斜向かいの家に、博士が住んでいた。
博士、と言っても、白髪白髭で太っているようなステレオタイプ然とした人物ではなく、ごく平凡な人物だった。
背は高く威厳ある表情で、ひげはなく、細目だった。
なんの博士か聞いたことがある。しかし、要領を得た返事が返ってきたことはついぞなかった。子供に見られていたのだろうか。だが、それも何か違うようだった。
物静かで、一見厳格な顔つきだが怒ることはなかった。
私たちは特型の第三世代にあたる四人姉妹だ。いたずら盛りの私たちはさぞ、迷惑をかけただろう。
一度、大切にしていた花器を割ったことがある。
安物だと言って笑っていたけれど、あれは今でも反省している。
私たちは博士の家に行っては、よく彼の研究の邪魔をしていた。彼に引っ付いて、抱き着いて、挙句に膝の上で寝て。
私たちは、彼にとって猫のような存在だったのだろうか。
「君は、本当に優しいんだね」
彼は唐突にこういって、よく私たちの頭を撫でた。
みんな、優しい博士が大好きだった。
彼の家は高い生垣に囲まれていて、中は古い日本家屋になっていた。
たしか、そこそこの名家で、昔は私たちの駆逐艦寮の建物の大家さんだったらしい。
家には日本刀や古い槍があった。床の間にある掛け軸は達筆が過ぎてよくわからなかった。
たしか、私たちが人間文化順応プログラムの書道教育でやらされた書を、上げたことがある。そしたらいたく喜んでくれて、その掛け軸を取り外して飾ってくれた。今でもあるんじゃないだろうか。
庭には大きな桜の木があった。桜吹雪を追いかけて駆け回る私たちは、さぞ犬猫に見えただろう。
ただ残念なことに、春は基本的に窓を閉め切っていた。
春に彼の家に行くと、挨拶もそこそこに風呂場に放られ、そしてすぐに服を選択された。彼は重度の花粉症持ちだった。
私たちは当然花粉なんて関係ないわけで、何事もない私たちを見てはうんうんうなずいていた。
夏場は縁側でスイカをよく食べた。
また、よくアイスを食べさせてもらった。
バケツぐらいあるアイスを一人ずつ貰って、一人でそれを平らげるという贅沢をさせてもらった。
後で知ったのだが、それは私たちが夏に受ける温度変化の影響やなんかを調べていたらしい。アレが実験とは恐れ入った。なんともおいしい実験をさせてもらった。
しかし、博士は心配性だ。博士は夏の過熱をひどく心配していた。確かに近年はうだるような暑さが続いていた。だけど、私たちは南方で戦ってきた駆逐艦だ。これぐらいどうということはない。
秋口は、庭が枯れ葉で埋もれることがままあった。皆で駆けて落ち葉を集めて、それを燃して焼き芋を食べた。
冬は……冬は、実はあまり彼の家に行ったことがない。なぜか家を外すことが多かった。
その理由は後で知ることになるんだけど、冬は寂しい思いをすることが多かった。
ただ、年越しは一緒だった。大晦日には必ず帰ってきて、そして一緒に年越しそばを食べた。なぜか年末年始だけ外泊許可が簡単に出て(外泊と言う距離でもないんだけれど)、一緒にテレビを見て過ごした。
博士は大人だったけど、年越しの時はバラエティを見ていた。みんなでゲラゲラ笑って、楽しかった。
年が明ける頃にはみんな寝ちゃって、朝起きたら一緒に初詣に行った。
近くの神社でお祈りした後、家に帰ったらみんなで餅つきをした。
今時珍しい本格的な餅つきだ。みんなでお手伝いして、一緒に食べた。
いつもその厳格な顔立ちに柔和な笑みを浮かべて、優しい声で包んでくれた。
ただ、一度だけ怒ったところを見たことがある。
ある日、いつもの様に彼の家にいたところ、電話がかかってきた。
電話の相手が誰だかわからないが、だが、いい相手じゃないのは確かだった。電話番号を見た瞬間に、顔をゆがめたからだ。
話をしているうちに苛立ってきて、ついにはすごい剣幕で怒鳴り始めた。
電話が終わると、バツが悪そうな顔で私達に、今日はもう帰りなさいと言った。
寮に帰ると、なんでも大作戦の攻略艦隊に選ばれたとのことで、暫く帰ってこれなかった。帰ってきてすぐ博士の家に行ったら、博士はかなり憔悴してた。
どうしたのか聞いてみれば、なんでも会議で大もめにもめて言い争いをしたそうだ。恐らく学会かなんかだろうと思い、博士っていうのは大変なんだなあと思った。
一緒に山に行ったこともあった。途中で博士が足をくじいちゃって、妹たちがおぶって帰ったこともあった。
街に出かけたこともあった。研究に使うんだと言ってカメラや文房具なんかを買い足してた。
博士は根っからの研究家で、家でよく「研究」をした。
私たちに紙とえんぴつを渡して、それで自分なりに研究してみてごらん、と言った。
でも、研究と言われてもよくわからないから、戸惑っていた。すると博士は、何でもいいんだよ、と言った。
たとえばね、と私たちの靴下を脱がせると、紙の上に乗っかって足の形通りに線を引いた。
全員分やり終えると、それぞれ縦と横の長さを測りなさいと言った。
定規で計ってそれぞれメモすると、博士はたくさんの靴を持ってきて、さあこの中から自分に合う靴を探しなさいと言った。
靴にはそれぞれ縦と横の長さが書いてあった。全て同じデザインで造られていて、何か異様な光景だった。
同じ数値でも微妙に形が違うのもあって、博士はそれもよく吟味したうえで選びなさいと言った。
よくよく見てみると、同じサイズでも微妙につま先の空間が広かったり、小指の辺りの形が違って小指が擦れたり擦れなかったりした。
一時間ほどしてそれぞれが一番合う靴を選別し終えたら、それをメモしなさいと言った。
そうしてメモしたものを博士は、これが研究だ、と言った。
私達にはよくわからなかった。
ただ、一つだけ言えるのは、それから私たちは靴の履き心地と言うのをえらく気にするようになったということだ。
軍から支給された靴はあまりにも、私たちにとって合ってない靴だというのを、知ってしまったのだ。
月日は流れ、ある日。軍から新型の艤装が渡された。それは靴が改良されていて、私たちは以前のような靴擦れに悩まされることは無くなった。
そして、今。私は博士の墓前に花を供えている。
博士、知りませんでしたよ。あなたが私たちの艤装を設計したなんて。
博士は特型の艦娘艤装の設計者で、私たちの服も、靴も、更には魂以外の全てを創った。
駆逐艦寮が博士の持ち物だったのは、自らが創った駆逐艦の様子を近くで見られるように、博士が建物を提供したから。
博士の家にあがりこんで遊んで帰ってきてもだれも怒らなかったのは、軍経由で話が通っていたから。
夏場、いやに熱の事を気にしていたのは過去に排熱に関しての失敗をしたからで、それを起こしていないか心配だったから。
アイスを腹いっぱいに食べさせてくれたのを「実験」と言っていたが、あれも本当に実験だったんだ。おかげで私たちは今、大事な作戦の前にアイスを食べることが推奨されるようになった。
大晦日、一緒に夜遅くまで居たのは、私たちの活動限界を調べるため。
山でわざと捻挫して、艦娘の馬力を見るためにわざわざ妹に背負わせたりもしていたようだ。
学会だと思っていたのは、艦政本部の会議。私たちの改装について激論を飛ばしていたらしいというのを後で聞いた。
そして、靴。博士、あのデータをあとでこっそり持ち込んで、私たちの新規支給品の設計に流用したらしい。
博士。昨日新艤装が届いたわ。前のと違って一人ひとりオーダーメイドで、一人ひとりにぴったり合った服は、心地よさよりも愛を感じた。
博士の死を聞いたのは、博士が亡くなってからずっと経ってからだった。
過労の末の心不全だったらしい。
冬場の冷える研究室で、冷たくなっていたそうだ。
冬、いつも家を空けていたのは泊まり込みで事務処理をするため。年度末に向けての事務処理で、研究もままならないことが続いたそうだ。
遺書らしき遺書もなく、遺言らしい遺言もない。あっけない別れだった。
人の死を幾度も目の前にしてきて、いつしか命に関する感情が希薄になっていた私達だけれど。
それでもこれは、私たちの感情を揺さぶるには十分だった。
残ったものは、私たちを包む最高の戦闘服。動揺し、混乱した私達でさえ十全に戦える、そんな装備。
その一つ一つに、博士の研究が詰まっている。
悲しみに暮れるたび、雑に戦うたび、その優しさが身体を包む。それが余計に、私たちを動揺させた。
博士は私たちに、ガンとしてお屠蘇と甘酒以外のませなかったけど、今日だけは飲ませて。
ありがとう、博士。あなたのおかげで、明日も戦える。
さようなら。博士。
妹たちと私を、ありがとう。