輝けぬダヰアモンド   作:矢神敏一

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500キロメートル・ラヴ

「夜行間に合ったよ。朝にはそっち着くよ」

 

 そんな昔流行ったラヴ・ソングみたいな短い文句を、彼に送った。

 

 東京~大阪間、約500キロメートルの遠距離は、意外と心に重くのしかかる。

 

 23:10 全車指定 快速ムーンライトながら|大垣

 

 この耳慣れない行先の電車にお世話になり始めてから、もう三年が経つ。

 

 仕事の関係で最終の新大阪行きにはどうしても間に合わない。上司のつまらない小言と無駄な業務さえなければ乗れるんだけれど、言っても始まらない。

 

 それに今日は、仕事終わりに唐突に市ヶ谷に呼ばれた。軽い報告と辞令だったけど最終の新幹線を逃すには十分だった。

 

 終点の大垣には5:50着。対向に停まってる電車に乗り換えて6:27には米原に着く。

 

 そこから新快速に乗り換えて、大阪の駅には8:02に着く。

 

 9時間の行程は楽じゃないけど、現役だった時よりかはいくらかマシかもしれない。

 

「わかった。気をつけてな」

 

 そんなメールを受け取った23:15。彼からのメールを一瞥して、私は決して深くない眠りについた。

 

 

 

 

 翌朝、心地よいチャイムと乗客が動きだす音で目が覚めた。

 

 大垣手前、急いで降りる支度をする。

 

 この列車は、夜間でも消灯することはない。

 

 おかげで、彼に会うワクワクもドキドキもなくなった今でもぐっすり眠れることはない。

 

 眠れない理由は、他にもあるんだけれど。

 

 せめて消灯してくれればとは思うんだけれど、この密室の中で暗闇になると防犯上都合が悪いし、ありがたくはある。

 

 乗り換え時間はたった三分。

 

「走らないでください」の看板をみんなで無視して乗り換える。

 

 携帯に新着はない。

 

「大垣着いたよ」

 

 とだけ送った。

 

 

 

 大阪に着くと、急いで阪神デパートに向かう。

 

 デパートはまだ営業時間外だけれど、彼の車はそこに止めてあるはずだから。

 

「おう、おかえり」

 

 地下街を走っていると、向こうで手を振っている男が見えた。彼だ。

 

 彼を見た瞬間に、喜びじゃなくて気持ちが弛緩する。

 

「すまんな、今日はクルマちゃうねん」

 

「あ、そうなん?」

 

「“阪神(阪神デパート)”今工事中ゆうてな、なんか駐車場使えんなってん。めんどくてかなわんから電車やわ。ごめんな」

 

「ええねんで。ウチは」

 

 彼と走る二号線のドライブを少し楽しみにしていたけど、仕方がない。もっとも、この時間帯はそこそこ詰まってて大変なんだけれども。

 

「ほな行こか」

 

「ああ、うん」

 

 車だと、たいていどこかへ寄り道してくれるんだけど、電車だとそうもいかない。

 

 彼は何も言わず、私の荷物を持ってくれた。そういう少し気が利くところ、私は好きだ。

 

「野田まで行って、そっからチンチン電車な」

 

「あー……、ん」

 

「ん?なんかアカンか?」

 

「いや、ええねん、ええねん」

 

 本当は西北(西宮北口)の阪急デパートで買い物でもしたかったけど、彼にその気はないようなので抑えることにする。

 

「まあええわ。行こか」

 

 そう言って、彼は私の手を引いた。

 

 

 

 野田の駅を降りると、ここからは路面電車に乗る。

 

 本当は甲子園の駅までそのまま行くか、若しくはJRで甲子園口の駅まで出る方が早いんだけれど、彼は決まって「空いてる方がええやろ」と言って路面電車に乗る。

 

 ……運賃もそんなに変わらないし、別にいいんだけれど。

 

「はは、今日も空いとる空いとる。ガラガラ電車、ガラ電や」

 

 車内は、通勤ラッシュの反対方面と言うこともあってか、物好きそうな風貌の人間を除いて人はまばらだった。

 

 しゃべり声の聞こえない車内に、電車のけたたましい音だけが響く。ぎゅっとつないだ右手だけじゃ寂しくて、両腕で彼の左腕を抱えた。

 

「かわいい奴やな」

 

 そう言って、右手で撫でてくれた。大きくてごつごつした手が気持ちよかった。

 

 電車は右へ左へ上へ下へ、ぴょんぴょん飛び跳ねる。

 

 信号の度に大きく揺れて、吹き飛ばされそうになる。

 

 路面電車に乗る時はいつも進行方向側に彼が居て、ブレーキの度に彼の懐に飛び込む形になる。私に比べて少し大柄な彼はそれを優しく包み込んでくれる。

 

 でも、今日はなんだかいつもより柔らかい気がする。

 

「……ちょい太った?」

 

「……男のデリケートなとこやぞ。言うなや」

 

「なにが『男のデリケートゾーン』や。どついたろか」

 

「どついてきたやつ全部この腹で跳ね返したるわ」

 

 揺れるたびに少し膨らんだお腹が震える気がする。初めての経験だから、少し面白かった。

 

 ……私には震えるものがないから。

 

 

 

 大橋を越えて、停留所。丁度銀行の前、商店街の入り口。

 

「銀行で金下してええ?」

 

「なんや、手持ち足りんのか?」

 

「そやねん。帰りの新幹線代がちょっと」

 

「なんやゆえや。そんぐらい出したるわ」

 

「ええって、悪いし」

 

「俺がここにおるのが悪いんや。こんぐらい出させいゆうねん」

 

「んもーいつもそう言って。手持ちないといろいろアレやし、寄るだけ寄らして」

 

 別に彼が関西に居ることはこれっぽっちも悪いことじゃない。そんなもの、出会いからして当然だし、お互いそれを承知で付き合い始めたんだもの。

 

 ただ、悪いと思ってるなら、そろそろ私に手を付けて欲しい。

 

 

 

 彼の家に着いた。

 

 だからと言って、特に何かあるわけでもない。

 

 真昼間からサカるわけでもないし、(お互いそんなに若くないし)、かといってなにか用事があるわけでもない。

 

 遠距離だから、会えるのは一カ月に数度が限度だから、この数少ない会える週末を大切にしたいとついつい焦るけど。

 

 でもだからと言って、遊園地や映画なんかで一日を潰せるほど二人とも気力があるわけでもなく。

 

 二人でたらたらと、やっと始まったプロ野球を眺めるだけだった。

 

「あー、そこは替えるやろー。藤波にどんだけ投げさせんねん」

 

「うわあ晒し投げやあ。シーズン始まったばっかやでえ」

 

 彼が根っからの阪神ファンだから、いつの間にか私も野球に詳しくなってしまった。

 

 この間の瑞鶴ちゃんの引退試合も見に行った。

 

 あの劇的なホームランの意味を判れる様になったのも、彼のおかげだ。

 

「うーん、これは見事なまでの馬鹿試合やなあ」

 

「あーもー気分悪いわ。やめよやめよ」

 

 にくっき東京の某オレンジ球団にコテンパン。マリアナも真っ青なワンサイドゲーム。せっかくお前と一緒におるのに、とつぶやく彼が愛おしかった。

 

 変えたチャンネルでは、いつも変わらないお笑い劇がやっていた。

 

『もう許したったらどうや!』

 

 いつも通りのお笑いで、私たちは大笑いする。

 

 内容はいつも通りの定型に、メロドラマ風の味付けがされたもの。

 

 遠距離で付き合ってた彼氏に浮気疑惑がでて仲違いするという内容。

 

 内容が内容だけにちょっとドキッとするけど、彼は変わらず笑い飛ばしてる。

 

 ……。別に、遠距離だからどうとか、いうことはない。

 

 だけど、地元にも具合が良い娘は居るだろうし、なんだったら私みたいなエセ関西人じゃなくて、もっとしっかりしてておとなしめな“エエ()”がいるかもしれない。

 

「なあ」

 

 胸はぺったんこ。身体はちんちくりん。正直、自分に女としても魅力を感じたことはない。

 

「君は、ウチでええんか」

 

 ついつい、そんなことを聞いてしまう。

 

「なんや、ハナから棒に」

 

「……それを言うなら“藪から棒”やろ」

 

「ああ、そういえばそやったわ。で、なんや急に」

 

 呆け面を見せた後に、急に真剣な顔になる。ぐっと顔を近づける。

 

「ウチ、こんなんやん」

 

「別にええやん」

 

「胸はちっちゃい」

 

「おっきいんは嫌いやねん。ただのデブやんあんなん」

 

「身体は小さい」

 

「お互いさまや。俺よりちっさいからなあ。おかげで抱き心地良くて助かるわあ」

 

「全体的にちんちくりん」

 

「んなことないやろ。テレビに出とるような『私可愛いやろー!美人やろー!』光線出しとる姉ちゃんよか百万倍ええわ。てかむかつくねん。ああいう女。ツンツン女」

 

「ちゃう……ちゃうんや……。なあ!」

 

 私はついつい、声を張り上げる。

 

「なァんや」

 

 一つ一つ私の事を肯定していく彼が、大好きで、たまらなくて。一つ一つ肯定してくれることが、嬉しくて、同時にどうしようもなく悲しくて。

 

「ねえ、せやったらなんで私のこと、ちゃんと『好き』って言ってくれへんの?」

 

 自分で、自分の顔が醜く歪んでいくのかわかる。

 

 彼は驚いたように目を見開いて、テレビを消す。

 

 真剣に聞いてくれるんだなって、そう分かった瞬間、堪えてたのがぽろぽろあふれ出す。

 

 結局、優しさに甘えてるだけ。二人で、お互いに、甘えて甘えられてるだけ。分かってるから、止まらない。

 

「最初の一回だけや。言ってくれたん。もう三年やで」

 

「それは……ごめんて」

 

「ちゃう……ちゃうんや。違うからゆうてん!」

 

 もう、止まらない。

 

「分かってる。そういうん苦手なん。いっつも優しいから、その癖照れ屋さんやから、そういうんわかってんねん、ウチ。今日やってなんも言わんで荷物持ってくれるし、そん時耳まで真っ赤にしとったし」

 

 彼は押し黙ったまま。当たり前だ。こんなこと言って、何か反応を返せるわけがない。だいたい、私だって何言ってるかわからないのに、彼に分かるわけないじゃない。

 

「なあ、無理して言わんでもええねん。二人いるだけで幸せやもん。月に何回も会えなくてもいい。でも……でも、でも!」

 

 腰からガクリと、崩れ落ちる。それを彼は抱き留める。彼の、決して広くない胸板で、私はただ赤子の様に泣きじゃくる。

 

「“その先”ぐらい、ちゃんと言葉にしてぇや……」

 

 消えそうなくらいか細い声で、かすれんばかりの声で、なんとかこれだけは言い切った。

 

 心臓バクバク言ってる。汗も涙も鼻水も、壊れたように吹き出てる。

 

 彼の腕が、いっそう強くなる。私はまた、それに甘えた。

 

()()()、頑張ってこっちの言葉覚えたの」

 

「知ってる」

 

()()()、最近東京の人間から変な目で見られるし、気持ち悪いって言われる。でも我慢した。我慢してた」

 

「知ってる」

 

「こんなの言いたくないけど、全部アンタの為や」

 

「……ごめん」

 

「謝らんで。謝らんで!」

 

 すぐに謝って、「自分が悪かった」で済ます彼が嫌いだ。大っ嫌いで大好きだ。

 

 自分ばっか。いつも自分ばっか、彼にぶつけてばかりだ。

 

 そんな自分が嫌になる。自分で自分が嫌いになる。

 

 言いたくない。言えば言うほど、彼を傷つけるから。それで私も一緒に、傷つくから。

 

 でも、言わずにはいられない。

 

「もう、時間があらへんかもしれんねん」

 

「お前、それって……」

 

「もうこれ以上は聞かんといて。これ以上は軍機的にゆうたらアカンし、人間としてゆうたらアカン事や」

 

 打ち明けるべきではないことを、ついつい口走りそうになる。

 

「ごめん。ウチ、どうかしてんねん。ごめんな」

 

 本当は言いたくてたまらない。でも、それは許されない。

 

 そんなはずみで、口にしてほしくないから。

 

「……。」

 

 彼は押し黙る。痛い沈黙が流れるけれど、私にはそれでよかった。

 

 そうでなかったら私は、そう遠くない将来に、具体的に言えばこの一年そこらで、民間適応プログラムの任を解かれることを、彼に告げてしまいそうだったから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 彼はあの後、暖かいシチューを作ってくれた。

 

 そしてずっと、何も言わずに私を撫でてくれた。

 

 夜は久しぶりに何もなく。この家の夜はこんなにも静かなんだと、初めて気が付いた。

 

 目が覚めた時、この家で迎える初めてのスッキリとした朝に驚きつつ、なるべく平静を装って起きた。

 

 とっとと帰り支度を済ませて、いつでも帰れるようにした。

 

「新大阪やろ。送ってくわ」

 

 日曜日はお互い何もないから、いつもは最終の新幹線までイチャイチャするんだけれども、今日はそんな気分じゃなかった。

 

 貴重な週末を、貴重な二人の時間を、一時の感情で潰してしまった後悔がある。

 

 なんだか悲しくなって、泣きそうな顔をしながらこくりとうなずいた。

 

 二号線(国道二号線)は、日曜にしては珍しく、そして私の身勝手な希望とは裏腹に空いていた。

 

 ただ、高速を使わずにわざわざ二号線を使っている当たり、考えていることは一緒かもしれない。そう思うとちょっと嬉しかった。

 

 梅田で新御堂筋に入って、暫くすると御堂筋線と並走して、河を越えたらもう南方。

 

 新大阪はもうすぐだ。

 

 流れるように車はロータリーに入った。

 

「ありがと」

 

「ええんやで」

 

 私は車からトランクを引っ張り出して、そして別れを告げた。

 

 次会えるのはいつか。

 

 なぜか、もう二度と会えないような、そんな想いに取りつかれた。

 

「なあ!」

 

 背を向け歩き出そうとする私に、彼は声をかける。

 

 振り向けば、彼は窓を開けて助手席側に身を乗り出していた。

 

「お前に、一つだけ言いたかったことがあってん」

 

「なに?」

 

「今は言えへん」

 

「なんや、それ」

 

 ニヒルな笑みとため息がこぼれてしまった。こんな顔したくないのに。

 

「こういうことは、はずみで言うべきことちゃう。ちゃんと場所とタイミングをわきまえなアカン」

 

 それだけ言って、彼は窓を閉めた。

 

 いきなりで良くわからずに突っ立っていると、彼は車を降りてきて、私を抱きしめた。

 

「お前とは、ちゃんとしたい」

 

「それって……」

 

「今週は、間に合わなかったんや。その、資金的な面で」

 

 彼が至極残念そうに言う。

 

「アホ、無理せんでええのに」

 

「ほんまごめん。そのせいで、心配させてもうた。こんなんアカンわ」

 

 彼の上着に、シミができる。徐々に徐々に大きくなっていく其れは、まぎれもなく私の涙だった。

 

「見栄張りたかったんや。その結果がこのザマや。ほんまにごめん」

 

 くしくしと頭を撫でられるのが、気持ちよくて。彼の匂いが心地よくて。私は全てを彼に預けた。

 

「ほんまはな、知ってん。お前がこの先、また海に出ること」

 

「え……?」

 

一昨日(おとつい)、軍の連中が来てな。そう言うとったわ。せやけど、繰り上げることもできんかってん」

 

 なんだ、全部知ってたんだ。

 

「俺は、お前を死んでも守るなんて言えへんから。その代わりにお前にできることを何でもしたい。だけど、ごめん。あとちょっとだけ待ってや」

 

「ウチこそごめん」

 

「お前はなんも悪ないやろ。アカンのは俺や。大事なこと一つも言えんと怠け腐ってからに。自分の一番大事な女何度も泣かせて」

 

「もう、またそうやって」

 

 またそうやって、自分が悪いことにする。

 

 なんでこの人はこんなにも優しいのか。

 

「だから、今日からちゃんと言うわ。もう二度と不安にさせたりせえへん。好きやで。愛してる」

 

 少し語尾を口ごもりながらも、静かに囁くように紡がれた言葉は、私の二回目だった。

 

「ウチも、愛してる」

 

 彼に縋りつくように、彼を抱きしめた。

 

「じゃあ、また来週」

 

「ああ、来週。無理やったら連絡してや。こっちから行ったるわ」

 

「ええの?」

 

「こんだけアホみたいに時間かけたんや。“プランB”も用意してあんねん」

 

「ふふっ、楽しみにしてる」

 

「ああ、楽しみにしててや」

 

 私は、彼の首から離れた。

 

「じゃあ」

 

「ほな、また」

 

 涙を拭いて、私は歩きだした。

 

 私は、今日が晴れの日だとやっと気が付いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『本日も、東海道新幹線をご利用いただきありがとうございます。この列車は、のぞみ号、東京行です』

 

 彼が昨日、地元の商店街で買ってきてくれた軟骨のから揚げをつまみながら、ビールを飲む。

 

 窓に映る自分の顔は、ちょっと腫れていた。

 

 景色が後ろに飛んで行く度、寂しさが(くすぶ)る。

 

「また、来週、か」

 

 自分反省会をしつつ、彼の言葉を反芻する。その度に心が跳ね上がった。

 

 次は何が何でも最終に乗って行こう。

 

 一秒でも早く、また彼に会いたいから。


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