赤鬼転生記~異世界召喚・呼び出された赤鬼は聖剣と魔剣を持っていない~   作:コントラス

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明けましておめでとうございます。


第四十九鬼

 目深にフードを被ったローブを纏う男が、木々の間を駆ける。

 その顔には焦りと恐怖が浮かんでいて、額からは止めどなく汗が流れ落ちていた。

 

 

「くっ! 【ウィンドボール】!」

 

 

 ミシッ、と後方の枝がしなる音が聞こえた。そこに向けて男は振り向き様に風の塊を放つ。

 その結果を確認することもなく、男は身体の向きを戻して駆ける速度を上げる。

 

 よくよく見れば、男の腕や足からは赤い液体が滴っている。ローブの上から浅くではあるものの、鋭利な刃物で斬り裂かれたようだ。

 

 木の枝葉から飛び出した黒髪の青年が、男の頭上から躍り掛かった。

 両手で掲げるのはグレートソードだ。

 

 

「おぉぉぉぉっ!!」

 

「ちぃっ!」

 

 

 大上段からの斬り下ろしを半身になって躱す。不格好によろけながらも、男は体勢を立て直そうとする。

 しかし、そんな隙を逃す青年ではなかった。

 着地時の屈伸から身体を伸ばし、下段からの突きを放つ。

 

 

「っ!」

 

 

 上半身を逸らして辛くも躱す。

 空を突いたグレートソードは、ガッと先にある木を穿った。

 どれほどの威力が込められていたのか、穿れた木は木片を散らし幹の半分以上が抉られた。

 倒れる木を気にも止めず、青年はグレートソードを横薙ぎに振るった。

 

 

「づっ!?」

 

 

 男の胸元を斬り裂こうと迫った白銀の刃は、木漏れ日を反射して銀閃を描く。

 運良く男は木の根に踵をつっかえさせ、尻餅を突いた。頭上をグレートソードが通過した。

 

 

「ぎっ、アァァァァッッッ!?」

 

 

 だがその運も長くは続かなかった。

 尻餅を突き、折れて立っている右膝にグレートソードが深々と突き刺さり、貫いて木の根を穿ち男の足を地面に縫い止めた。

 轟く悲鳴。突き刺さったグレートソードを伝い、赤い液体が止めどなく地面を濡らす。

 

 

「ぐっ! 【ウィンドカッター】!」

 

 

 男は激痛に耐えながら右腕を横に振るった。弧を描いた風の刃が青年に迫る。

 距離は2mも離れていない。確実に当たる。そう思った男だったが、その予想は外れた。

 青年はグレートソードの柄を支えに、身体を浮かすことで躱してみせたのだ。

 突き刺さった刃は更に深く膝に沈み、男に更なる痛みを与えた。

 

 

「があぁぁッ!」

 

 

 大量の脂汗を額からと言わず、顔中、いや全身から吹き出させ、男は尋常ではない痛みに呻いた。

 

 

「げふぅっ!?」

 

 

 地面に足を着けると、青年は男の鳩尾を爪先で蹴り、上半身を倒して完全に仰向けに転がす。

 

 

「⋯⋯」

 

 

 青年が無言のまま腰に提げているポーチに素早く右手を入れ、何かを取り出した。

 それは鈍色に刀身を光らせるナイフだ。

 順手に持っていたナイフを頭上に掲げると、くるっと掌で滑らすように回転させて逆手に持ち、勢いに任せて振り下ろし⋯⋯。

 

 

「あぁぁぁっっっ!!?」

 

 

 ⋯⋯男の右手の甲に刺し込んだ。

 男の悲鳴が木霊する。あまりにも痛々しい光景だが、青年は顔色を変えない。

 そして、手を緩めるつもりもなかった。

 

 

「ぎっっっ、ぁっ!!!?」

 

 

 今度は左掌をナイフが貫く。

 もう声にはならない。荒く浅い呼吸を続ける。

 

 

「もう一度聞く。メアは何処に連れていかれた? 今度は逃げないでくれよ?」

 

「ぎぃっ!」

 

 

 言葉を紡ぎ終えると青年は、掌を貫いたナイフと、膝を地面に縫い止めているグレートソードを同時にぐいぐいと揺らす。

 愉悦でもなく、焦りでもなく、悲壮感でも、怒りでもない。ただただ無の能面を張り付けた青年の顔に男は背筋を凍らせる。

 その表情から、その瞳から、一切の感情が読み取れない。

 

 

「だ、れが、答える、か⋯⋯っ!」

 

 

 息も絶え絶えに、男はそう吐き捨てた。

 

 

「俺、は、偉大なる、主の信徒。この程度の、痛みに、屈する、わけが⋯⋯ぎぃっ!!」

 

 

 尚も続けて口上を述べようとした男は、再度ナイフで掌を掻き回されて悲鳴を上げた。

 それを行った青年は抑揚のない声で言う。

 

 

「興味ない。お前らの思想も、目的も、在り方も、志も、なんにも興味ないよ。ただひとつ、あの娘を連れ去った。それだけで十分だ、俺にとってはな」

 

 

 事実だ。そう感じさせられた男は、憤りを覚えた。己の信仰する存在に対して、目の前の青年は一切合切興味がないと言い切った。

 解らないものに自分の思想を押し付ける気はない。しかし、この男の顔が驚愕に彩られる様を見てやろう、そう男は考えた。

 自分の死は運命付けられている。回避のしようはない。ならば意趣返しだ、と男は痛みに震える口に笑みを浮かべ、青年の無感情を湛える目を見据えた。

 

 

「くっはははっ!」

 

 

 まず、声を大にして笑う。突き刺さったままの刃が肉を擦って痛むが、気にしないよう努めた。

 

 

「どうした? 気でも触れたのか?」

 

「いや、無知なことほど愚かしいものはないと思ってな!」

 

 

 言葉が途切れるのを防ぐ。痛みなどもうなんともない、とは言えないが、感覚が麻痺しているのか、妙な冷たさが傷口を覆っている。

 不思議と血の流れ出る感覚もない。死が近いのかと、男は悟ったように笑みを深くした。

 

 

「教えてやる! あのガキは魔物だっ!」

 

「⋯⋯」

 

 

 青年が答えないことを、男は疑っているのだと思った。

 

 

「疑っているな? だが、事実だ。容貌からして、元はメガベアーだ。銀の毛並みを持つ熊の獣人など存在しない!」

 

「⋯⋯」

 

「いいか? 魔物とは瘴気から生まれる。肉体を構成するのは瘴気が100%だっ。血液や内臓、それら全てが見せ掛けだ。実際には必要のないものだ。だが、奴らにはそれが存在している。何故か? それは生物足らんがためだ。己が生物であると認識するためのオプションに過ぎない! 空気を吸い、食事をし、睡眠を取る。生物である証拠として、奴らはそうするように神が定めたのだ! しかし、実際は必要のない行動だ。空気を吸わなくても活動でき、食事をしなくても死なず、睡眠を取らなくても疲労しない。瘴気さえあれば生きていけるのが魔物だ。そして奴らは個別差はあれど、大なり小なり瘴気を吸収し、肉体に溜め込んでいる。その瘴気が臨界点を突破したとき、進化する。その形は様々だ。もっと醜く、異形の化け物になるか、限りなく人に近く、満ち溢れる瘴気を内包した化け物になるか。そのどちらかだ。前者はダメだ。吸収した瘴気を押さえきれず、肉体が変形して暴れまわるだけの存在になる。だがな、後者は違う。内包された瘴気は前面に出ることはなく、肉体の中で濃密に圧縮されて爆発的な力を生む。本物の化け物になる。心当たりがあるはずだ!」

 

「⋯⋯」

 

 

 長い説明だ。男は知らないが、青年は詳しいことは知らないながらも、浚われた少女が元は魔物であることを知っていた。

 先に青年が述べたように、そんなことは関係なかった。ただ、大切な妹が連れ去られたから取り返しにいくだけである。

 

 

「くっ、はははっ、心当たりがあるようだな。お前がやろうとしているのはその化け物を世界に解き放つことだ。悪いことは言わない。あのガキのことは忘れて帰るんだ──「知っている」──⋯⋯は、ぁ?」

 

 

 プシュッ、と鮮血が舞い、パタタッと木に飛び散った。

 

 

「そういうことだったのか。それは興味深い話だ」

 

「あ、ああ、あぁぁぁぁっ!!」

 

 

 青年の言葉は男の耳に入らない。顔半分を己の血で濡らした男の顔右側面、そこにはあるべきものがない。

 それは耳だ。男の耳は地面に転がっている。青年の左手には血に濡れたナイフが握られていた。どうやらそのナイフで斬り落としたらしい。

 

 

「な、ぁ⋯⋯なんだこれはっ!?」

 

 

 男の不幸は続く。

 耳を失った激痛に呻き、身体を暴れさせると、パキンと軽快な音が響いた。

 男は違和感を覚え、足を見る。太股から下が砕け、転がっている。

 それだけではない。両手首から先は完全に砕け散ってしまっていた。それらの破片は、まるで冷凍でもされたような硬質感を持っている。

 

 

「でもな、どうでもいいんだよ」

 

「は、ぁ? なに、が⋯⋯」

 

「メアが魔物だったのは知ってる。何せ、俺はメアが変化したその場にいたんだ、知らないわけないだろ?」

 

 

 青年を揺さぶることはできず、男は項垂れる。

 もしかすれば、などという希望は砕かれた。両手首を失い、片足を失った男にもはや逃げ場はない。

 

 

「さぁ、時間もそうあるわけじゃない。とっとと吐いてくれよ?」

 

 

 血濡れたナイフを青年は男の頬にヒタヒタと当てた。

 

 ◇

 

 エレピカダンジョン深部、ここは未開の地とされている。

 未だに冒険者の手が届かぬ場所に建てられた荘厳な神殿内部で、事は起こっていた。

 

 窓は黒のカーテンで閉めきられ、光源は柱に掛けられた松明だけ。

 20人ほどの人影がある。全員が黒いローブを纏っていて、不気味さが辺りを包んでいる。

 

 

「これより、兼ねてから進めてきた(ゲート)を開く儀式を行う!」

 

 

 屋内の中心に位置する場所には、プラチナブロンドの幼い少女が立たされている。

 頭部に二つ、丸い耳があることから、彼女が獣人であることが分かる。

 床から幾つもの黒い靄が立ち上ぼり、一本のロープとなって少女に巻き付いている。腕ごと胴に巻き付き、足を開けぬように巻き付き、肩の可動域をなくし、首も回らぬように固定している。

 少女の立つ床には六角形の魔法陣が描かれていて、黒紫色の不気味な光を放っていた。

 魔法陣の頂点には目深にフードを被った者達がいて、小さく唱えている。

 

 少女のそばに1人、初老の紳士が立っている。この場の中心人物のようで、彼の言葉に皆、耳を傾けている。

 

 

「魔物を10集めた開門は失敗だった! 魔獣でも、人間でも成功しなかった! 魔界へと続く門を開くには瘴気が必要だ! それも濃密で、膨大な瘴気が! 数の問題ではない! 質の問題だと我々は気付いた! だからこそ、探しだしたのだ! ゲートと成りうる進化体を! それが、この個体だ!」

 

 

 そうして腕を広げて初老の紳士が示したのは獣人の少女、メアである。

 

 

「この個体の肉体をゲートにして彼の者を此処に召喚する! 皆、願え! 居場所を奪われ、家族を奪われ、尊厳を踏みにじられた者達よ! 願えば全てが元に戻る! 世界は、リスタートされるのだ!」

 

 

 周囲から歓声が湧く。狂気的な空気が充満していた。

 

 

「⋯⋯詠唱も終わりが近い。我々は失われた日々をやり直すのだ!」

 

 

 初老の紳士は描かれた魔法陣の外に出る。

 

 

「⋯⋯ぅぁ⋯⋯っ」

 

 

 間を置かず、メアからか細い声が漏れる。彼女を縛るロープが締め付けを強くした。

 魔法陣が強く暗い輝きを放つと同時に、天井からもロープが下りてメアに巻き付き、張り詰めて彼女を宙に浮かせた。

 それらのロープを伝い、ドス黒い瘴気が波打ちながらメアに流れ込む。

 最初はゆっくりと、だが徐々に瘴気の流れは速くなっていく。

 

 

「あああぁぁぁぁぁぁっ⋯⋯!」

 

 

 常時ではあり得ないほどの声量で叫ぶ。

 瘴気はメアの許容量を超えて注ぎ込まれ続けている。彼女の肉体が悲鳴を上げていた。

 

──ドグン

 

 ある一定量を超えた瞬間──空気が振動した。

 それは何かの鼓動のように、ドグン、ドグンと間隔をおいて脈動する。

 強く、尚も強く、鼓動は鳴り、空間を揺らす。

 

 扉や窓は閉めきられている。風が入ったとしても、すきま風程度だろう。

 しかし、メアを中心に風が渦を巻き始めていた。それはひとつ、鼓動がするごとに大きくなっていく。

 やがて、松明の火は風に煽られて消えた。屋内は暗闇に閉ざされる。

 

 

「おぉ⋯⋯」

 

 

 感嘆のような吐息が漏れる。

 それは誰が吐いたものか、誰も気にすることはなく、ただ一点、メアを見ていた。

 暗闇において、尚暗く輝く瘴気は、その場にいる全員の目に、はっきりと見えた。

 

 

「⋯⋯開く、門が開くぞ」

 

 

 メアの全身から瘴気の靄が噴出する。それは彼女の頭上で一塊の球体になっていく。

 暗黒のようなそれは、瘴気を吸収するごとに大きくなり、鼓動するごとに凝縮され、圧縮される。

 禍々しく、そこに顕現しつつあった。

 

 カクンとメアの首が落ちる。気を失ったようだ。それでも瘴気の噴出は止まらず、最後の一滴まで絞り出そうと鼓動を続ける。

 残りカスのような瘴気が球体に吸われ、メアは床に落とされた。魔法陣の輝きは収まり、彼女を拘束していたロープも緩みきっている。

 

 ヴォッと松明に火が点く。屋内が再び明るく照らされる。

 

 

「おぉ⋯⋯我らが主よ、そのお声をお聞かせください」

 

 

 初老の紳士が恭しく球体の前で跪く。それに倣うようにローブを羽織った者達も、皆膝を突く。

 

 

──足りぬ

 

「⋯⋯は?」

 

 

 反響する声。それは頭に直接語り掛けているようで、恐怖感を覚えさせる。

 

 

 ──瘴気が足りぬ。これでは我は顕現できぬ。故に、貴様らのも貰うぞ

 

 

 球体から瘴気を纏った触手が一本伸びて初老の紳士の腹を貫き、持ち上げた。

 

 

「ぐぶふっ⋯⋯な、にを⋯⋯?」

 

 

 初老の紳士は喉までせり上がった液体を口から吐き出す。血だ。

 

 

──足りぬのだ。この程度では到底足りぬ。我の肉体を呼び出すことはできぬ。故に、貴様らの魔力を瘴気に変換するのだ

 

「⋯⋯主は、我らを救うのでは⋯⋯!?」

 

──戯けたことを言う。我が貴様を救う義理などないわ

 

 

 その言葉は、初老の紳士だけでなく、この場にいる全ての者に絶望を与えた。

 彼らは信じていた。自分達が救われることを。彼らは信じていた。失ったものを取り戻せると。

 

 

──では、食事の時間だ。甘美な悲鳴を我に聞かせよ

 

 

 球体の7割ほどの面積にひとつの大きな目玉が現れ、不敵な笑みを浮かべるように細められた。

 

 

「かあぁ、はっ⋯⋯」

 

 

 初老の紳士がみるみる細くなっていく。吸引機で肉を吸われたように、骨と皮だけになり──衣服を残してこの世から消え去った。

 

 

「ひっ⋯⋯」

 

 

 誰かが発した悲鳴を引き金にするように、球体から無数の触手が生え、彼らに襲い掛かった。


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