赤鬼転生記~異世界召喚・呼び出された赤鬼は聖剣と魔剣を持っていない~   作:コントラス

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第四十八鬼

 ポツ、ポツと髪から水を滴らせる宏壱の顔は俯けられていて、表情は窺えない。

 ふらり。軸もなく、不安定な動作で一歩進む。股まである水がザブリと波打った。

 一歩、一歩。ふらり、ふらりと揺れながら、ゆっくりと時間を掛けて進み、浜辺に上がった。

 

 

「コ、コーイチ?」

 

 

 サテナの声が静寂を破る。緊張していた兵士達が、空気が風船から抜けるように脱力する。彼らは妙な不気味さを覚えていた。

 

 

「ふぅ⋯⋯──っ!」

 

 

 口の中で呟く。それは音になるも、誰の耳にも届かない。

 宏壱の鼓膜だけを震わせた呟きは【武装色の覇気】だ。SPの温存のために宏壱は乱用を避けている。ここという場面で使用できなくては、戦うこともままならない。

 そして、宏壱は“ここ”という場面を逃した。何のための温存か、と内心で己に苛立ちをぶつける。

 油断であった。ダンジョンを出れば安全だと、そう思い込んでいた。そんな馬鹿な話はない。事実、複合都市・マグガレンではアントがダンジョン外に領域を広めようと進軍していた。

 事例は少ないとはいえ、ダンジョンから魔物が溢れ出すことはあるのだ。

 そして、宏壱は見ていた。セターヤというダークエルフがここにいることを。

 宏壱は知っていた。セターヤが属する組織らしきものが、メアを狙っているであろうことを。

 

 気を抜くべきではなかった。10層にいるはずもないミノタウロス。これだけの異変に、彼女が関わっていないとは言えない。寧ろ、関連性があると考えるのが妥当であるとも言える。

 

 

「⋯⋯」

 

 

 顔を上げる。

 ひっ、と悲鳴なのか、息を飲んだのか分からない音が響くが、宏壱の耳には届かなかった。意識を向けているのは、排除すべき障害である。

 

 自然と道ができた。宏壱の視界に映るまいとするように、兵士達はミノタウロスから距離を取った。サテナさえも彼らに混じっている。

 

 

「⋯⋯行くところがある。退いてくれないか?」

 

 

 メアが発するように、抑揚のない声音だ。しかし、それはメアのような感情の欠落したものではない。

 ぐっと濃縮された怒りの感情を無理に抑えつけていることは、宏壱との交流がない兵士達にさえ分かってしまう。

 

 

──ォォオオオッ!

 

 

 宏壱の張った緊張の糸は、ミノタウロスを強く刺激した。

 

 

「お前にかまけている暇はない。初っ端なから全力だ」

 

 

 砂浜は不安定な足場だ。足の踏ん張りは砂に吸収され、体幹の軸がブレる。

 重心を安定させ、爪先で地面を掴むように丸めて砂を蹴った。

 バフッ、と背中の方に流れる砂を置き去りに駆ける。宏壱はグレートソードを持っていなかった。吹き飛ばされた拍子に手放したのである。

 故に、宏壱の武器はその肉体のみで、振りかぶるのは拳だ。

 

 

──ォォオオオッ!

 

 

 肉薄する宏壱の頭をカチ割らんと、ミノタウロスは両手で大斧を頭上に振り上げ、懐に飛び込まんと己の二歩先で深く膝を曲げ、姿勢を低くした宏壱の頭蓋目掛けて振り下ろす。

 

 

「【剃】」

 

 

 大斧が砂浜を抉る。宏壱の姿はそこにはない。

 ガツッ、とミノタウロスの側頭部に衝撃が走り、頭が右に弾かれるように(かし)いだ。

 宏壱の左膝が、強かにミノタウロスの側頭部を打ち付けていた。

 

 

「お、っと」

 

 

 右足でミノタウロスの肩を踏みつけてとんぼ返りし、振り向き様に振り抜かれた大斧を躱した。

 着地して二度、三度とバックステップで距離を取る。

 手早く腰のポーチに右手を入れて、素早く振り抜き、更に大きく後方に跳ぶ。

 それは宏壱がクイーンアント討伐に備えて大量購入した、50銅貨のナイフだ。

 飛翔するナイフはミノタウロスの肩に当たる。どれほどの勢いで投擲されたのか、刃が砕け散った。

 

 

「これを着るのも久しぶりだ」

 

 

 しゅっと袖に腕を通す。ポーチから取り出し、宏壱が着込んだのは白のブレザー。宏壱が通っていた内宮東高校の制服だ。

 女神の加護という効果があり、DEF 、MNDに2000のステータスがプラスされる。

 メアと出会ってから、宏壱は一度も着ていないその上着は、新品のようにぱりっとしていて、どうも着心地が悪い。

 

 

「一月くらいか? 着なかったのって」

 

 

 ぐっぐっと肘を曲げたり、肩をぐるぐる回したりと、落ち着かない。

 

 

──ブオォォォッ!!

 

 

 ナイフによる投擲への苛立ちからか、ミノタウロスが雄叫びを上げる。闘牛のように頭を下げて宏壱に角を向けて突進する。

 

 

「二足歩行のくせにそんなことをするのか? 隙だらけだぞ、っと!」

 

 

 凄まじい勢いで迫るミノタウロスの頭頂部に踵落としを喰らわせる。

 頭部というのは非常に重たい。人間のように二足歩行で生活するミノタウロスは、頭部を下げたことによって身体の安定感を失った。

 いくらステータス値が高くとも、不安定な体勢で宏壱の踵落としを受けては、容易くバランスを崩す。

 ザクッ、と砂浜に角が刺さる。刺さりは甘く、抜け出せないようなものではない。

 しかし、抜け出すよりも早く、宏壱はミノタウロスの頭を胸に抱え込むようにして首に腕を回す。

 がっちりと喉仏の辺りで両手を組んだ。

 

 

「【雷神】!」

 

 

 バチィッ!

 

 宏壱の身体を雷が這いずる。それは接触した部分からミノタウロスにまで伝った。

 雷撃による刺激で、ビクンと身体を跳ねさせるミノタウロス。数度の痙攣を繰り返しながら宏壱を振りほどこうと暴れる。

 

 

「ぐっ、うぅぅぅっ」

 

 

 ミノタウロスの繰り出す拳が宏壱の肩を打ち、腕を打ち、横っ腹を打つ。ミノタウロスの肩甲骨部分に顔を突け、そこだけは狙われないようにと強く密着した。

 そうすることで更に宏壱の腕に力が入り、ミノタウロスの気道は塞がれた。

 

 

──ッッッッッ!!

 

 

 息を吸おうと口をパクパクさせ、尚も暴れる。立ち上がろうと試みるも、身体が痺れて膝に力が入らない。

 上半身を振り上げようにも、慣れない砂浜で踏ん張りが利かない。

 酸素の供給が途絶え、力が入らなくなる。腕を振り回す気力もほとんどない。

 

 

「⋯⋯時間を掛けてられないんだ」

 

 

 呟きと同時に首を締める力が緩む。

 酸素の供給が再開される。ミノタウロスは未だに頭の上にいる宏壱を振り払うよりも、空気を取り込むことを優先した。

 

 

「【指銃】!」

 

 

 左手で握り拳を作り、親指を立てる。右手を左手の小指側に添えて、ミノタウロスの喉を突き上げるように押し込んだ。

 

 ドシュッ。

 

 【武装色の覇気】で強化された宏壱の指は、いとも容易くミノタウロスの喉を突き破った。

 

 

「【氷神】」

 

 

 宏壱は【雷神】を解除し、間髪容れずに【氷神】を発動する。

 宏壱と触れる砂浜に霜が降りる。それは範囲を広げることなく、宏壱の周囲だけに降った。

 意識して突き入れた親指に魔力を集中させる。

 

 

「雪原でもないんだ。耐性なんてないだろ?」

 

 

 宏壱は白い息を吐きながら問う。返事は期待していない。

 血液さえも冷凍させるような局地的に、それこそ宏壱と接触している部分だけが急激に冷やされていく。

 

 ここに至って彼は悟った。自分は死ぬのだと。彼にとって、今自分を押さえ込んでいる人間は脅威足り得なかった。

 しかし、今は違う。

 ほんの少しの選択ミスだった。刃物が飛んできて、肩に当たって砕けた。丈夫なものではない。非常に脆く、大してダメージを与えるものではなかった。

 だからこそ、強い怒りを覚えた。こんな物で自分を殺せる気だったのか、と。

 気が付けば人間に角を突き刺そうと突進していた。彼の思考は意識が飛ぶほどの怒りに染まったのだ。

 

 そして出来上がった現状がここにある。

 頭を押さえ込まれ、喉に指を突き入れられ、体内に冷気を流し込まれている。

 エレピカダンジョンではあり得ない冷たさだ。経験のない冷気に、自分の死を悟ったミノタウロスに宏壱は更に冷気を送り込む。

 パキパキ、と凍てつき始めたミノタウロスの頭部。

 

 

「ミノタウロスの頭蓋シャーベットの完成だ」

 

 

 表面に霜が掛かり、身動きをしなくなったミノタウロスを見て、宏壱は離れる。

 背中半ばより下は筋肉質でありながらも、肉感的な柔らかさを保っているように見える。

 だが、それより上は、見るからに硬質で、叩けばコンコンとノックの音が響きそうだ。

 宏壱が無言で足を振り上げた。狙いはミノタウロスの頭部。そこに振り下ろし、粉々に砕いた。

 

 ミノタウロスの身体は粒子に変わり、辺りは沈黙に包まれる。残されたのは拳大の“魔石”と、錆び付いた大斧だ。

 宏壱がミノタウロスを迎撃に要した時間は、凡そ3分ほどだ。

 

 

「おう、出たな。中々出ないって話だったんだけどな。(もっ)けもんだ」

 

 

 “魔石”と錆び付いた大斧をポーチに収め、落ちていたグレートソードを拾い上げて背中のバンドに差し込み、身体の向きを変える。

 見据えるのは先程出てきたエレピカダンジョンだ。

 

 

「ちょ、ちょっと。アンタ、どこ行くつもりよ」

 

 

 問い掛けではなく、確認するような言葉がサテナから掛けられる。

 振り返ると、戸惑った様子でサテナが立っている。現状に理解が追い付いていないのだ。

 ただ、宏壱が戻ろうとしていることだけは彼女にも分かった。

 

 

「どこって、メアを連れ戻しにいくんだよ。⋯⋯妹だからな。それと、プレゼントもできたしな」

 

 

 妹と口にすると、妙に腑に落ちる。

 曖昧な関係だった。恋人ではないし、友と呼ぶにも違和感がある。

 ただの知り合いと言うには深い関係でできず、そう呼ぶ気もない。

 仲間としてもどこか違い、母や姉などと呼べはしない。宏壱とメアの関係性を語るなら、兄妹のようなものではないか? と宏壱には思えた。

 

 

「じゃあ──「サテナは帰れ」──⋯⋯っ!? 何でよ!?」

 

 

 サテナの続く言葉を予想できた宏壱は、先回りして遮る。当然、それに納得できるサテナではない。

 

 

「あいつらは強い。お前は弱い。それだけだ」

 

「──っ」

 

 

 言葉がでない。メアを連れ去った者達は強い。それは明白だ。

 メアを容易く捕らえ、宏壱を吹き飛ばす。なるほど、サテナでは足手まといにしかならないだろう。が、それで納得できるほど良い娘のつもりはない。

 

 

「だからって一人でいかなくてもっ。人数がいればできることだってあるでしょっ!」

 

 

 言葉を言いつのってみせても、宏壱は苦笑するだけ。こんな戯れ言に取り合う男ではないと、サテナはこの数日で知っていた。

 

 

「⋯⋯っ」

 

 

 宏壱をキッと睨み付け、目を附せた。

 

 

「⋯⋯ちゃんと、二人で帰ってきなさいよ」

 

 

 悔しさが滲み出るような押し殺した声で、見送る言葉を送るしか、無事を祈ることしかできなかった。

 足手まといなのは理解している。頼りないことは理解している。力になれないことは理解している。

 全て分かっているのだ。自分は弱いと。

 

 

「おう、当然だ!」

 

 

 ニカッと笑ってみせた宏壱は振り返ることなく、再びエレピカダンジョンに潜った。

 

 ◇

 

「⋯⋯ふぅ」

 

 

 宏壱が消えて数分、ただエレピカダンジョンを見ていたサテナは、堪えたものを吐き出すように深く息を吐く。

 エレピカダンジョンを監視する駐舎の脇にある転移魔法陣が、ポゥと光り輝く。

 光りの中から現れたのは、ダンジョン内で出会ったドーガを始めとする探索パーティーだ。

 彼らが転移魔法陣を離れると、また魔法陣が輝く。冒険者がもう一組、五人パーティーだ。それが二度三度、続く。

 ドーガ達を入れて、五組のパーティーが魔法陣から出てきた。

 

 

「あん? サテナじゃねぇか。まだ帰ってなかったのか?」

 

「コーイチさん達は一緒じゃないんですかっ?」

 

 

 サテナに気付いたドーガとティナが寄ってくる。

 

 

「⋯⋯ちょっと、色々あるのよ」

 

 

 どう説明したものか。話していいことなのかも分からず、そう言うに留めた。


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