赤鬼転生記~異世界召喚・呼び出された赤鬼は聖剣と魔剣を持っていない~ 作:コントラス
「……ぶつかったな」
ゴブリンの“魔石”をポーチに仕舞った宏壱は、メアを背中にしがみつかせて木々の合間を駆けていた。
その最中、把握していたセロル達の気配が密集するゴブリン達と接触したことを知覚した。
余談だが、ゴブリンはアントと違って身体の一部を残すことは少ない。あるのは棍棒や腰布がほとんどで、何かに役立つようなものでもないため、そのまま放置されていることが多い。
「メア、振り落とされるなよ」
「……ん……」
更に速度を上げる。作戦が上手くいけば不意を突いて背後を取れているはずだが、ゴブリンチーフの指揮で混乱は長くは続かないだろう。
ならば2度目の奇襲を受ければ、ゴブリンは総崩れになるほど浮き足立つ。と、宏壱は考えた。それ以前に、ゴブリンからすれば宏壱とメアというのは過剰戦力に過ぎるのだが。
「接敵まであと100歩。間に合うか?」
知覚するゴブリンとの距離を計る。凡そ400mほど離れたその場所に乱立する木々を躱しながらイメージする。
どうゴブリンを殺すか……。
(……考えが物騒だな。この世界にきて感覚が昔に戻ってきたか)
遠い過去。今の自分になる
その中で培った攻撃的思考は彼の性格の根幹になっている。
残虐で冷酷。敵には情け容赦なく振るわれる暴力は見る者にとっては嫌悪感すら抱くことも少なくない。
しかし、身に抱えた怪物は宏壱を狂気に染めることはない。それは彼を愛する者も少なくはないからだ。
この世界で言えば、なずなや美咲がそうだろう。そして、宏壱自身がそれに応える腹積もりでいるのも大きな理由だろう。
逸れた思考を修正する前に、宏壱は開けた場所に出る。木々が生えていないその場所は、情報通り周囲より少し窪んでいた。
窪みは円を描くように斜面に囲われていて、クレーターのようになっている。
窪みの中には2つの簡素な木板小屋とゴブリンが数体。向かい側の斜面では3体のゴブリンを相手にショートソードを振るうセロルと、斜面の上から他の斜面を登ろうとするゴブリンに矢を射って牽制するゴザム。その後ろでは回復魔法をセロルに向けて行使するライクがいた。
情報と違ってゴブリンの数が1体足りない。セロル達のうちの誰かが仕留めたのだろう。
木々のない草地に宏壱は下り立つ。
緩やかな斜面4mほど、十分飛び下りられる高さだ。
宏壱は足を止めず駆ける。目標は1体のゴブリン。他のゴブリンより肌の色が深い緑で額に2本の角、腰巻きだけではなく薄汚れたタンクトップを身に纏っている。それは他より自分が隔絶された存在であると誇示しているようだ。
「おい!!」
響く声。宏壱は注意を引くために声を張った。
ゴブリンチーフはその声に反応して振り返る。自分に迫る宏壱の姿を認めたゴブリンチーフは周囲のゴブリンに指示を出す。
弓矢を持った2体のゴブリンが矢を引き、放つ。
軌道からして宏壱に当たることはない。そう見た宏壱は一切足を止めずに進む。
読み通り、矢は宏壱とメアの頭上を越えて後方に刺さる。鏃が地面と接触した瞬間……。
ドウッ!!
地面が弾け、爆炎と爆風を撒き散らす。
「……っ!?」
宏壱とメアは背後からの予想外な煽りに身体を浮かされる。ただ、宏壱の足の速さが幸いしたのか、爆発に巻き込まれることはなかった。
「……づっく! メア、大丈夫か?」
「……ん……大丈夫……気持ちいい、風だった……」
3mほどの距離を浮き上がり、着地する。
宏壱の背中に張り付いているメアの方がダメージを受けているはずだが、やはり隔絶されたステータスの差で、宏壱とは感じ方自体が違うらしい。
「そりゃ良かった。ちょっと油断したな。設置型火魔法【マインボム】ってやつか? 効果は衝撃を与えると破裂する、だったか。厄介だな」
メアの無事を確認した宏壱は、自分の知識と先程の現象を照らし合わせる。
恐らく矢は予め設置されていた【マインボム】に向かって放たれたもので間違いない。
だが、宏壱は【マインボム】のことを言ったわけではない。
「……魔法を使うゴブリンがここにいるのか? っと、考えてる暇はないか」
今度は自身に向かって放たれた矢を拳で弾いて防ぐ。
宏壱の心配事はそれだった。たしかにゴブリンロッドと呼ばれる魔法を扱うゴブリンは存在するが、魔法使いが被るような尖り帽子に先が60cmほどの木杖を持った出で立ちをしていて、判別がしやすいのだ。
しかし、こうして見る限り、そんな格好をしたゴブリンは見当たらない。
「……っ! 考えても無駄か。まずは司令塔を叩く!」
更に飛来する3本の矢を細かなステップで躱し、止めていた足を踏み出す。ゴブリンチーフとの距離は70mほど。【剃】で潰せない距離ではない。
だが、宏壱は敢えて使わず、そのまま駆ける。SPの心配はしていない。【剃】を含めた【六式】のSP消費は極めて低いからだ。
ただ、
当然強敵が相手であればその限りではないし、セロル達がピンチであれば全力で戦いもするが、現在はそんなこともない。
それに宏壱には少し考えがあった。
ドウッ!! ドウッ!! ドウッ!! ドウッ!! ドウッ!! ドウッ!! ドウッ!!
幾度も爆音が響く。前後左右から爆風に煽られながらジグザグに駆ける宏壱。
矢の軌道から落下地点を推測して躱す。なるべく直線的に走らないことを意識した。
一度目は不意を突かれ吹き飛ばされた。だが、くると分かっていれば爆風に備えて踏ん張ることは可能だ。駆ける中で身体が浮かないように爆風を受け流す。
考えとは多くの【マインボム】を破壊することだった。
埋まっている場所はゴブリンチーフが把握しているのだろう。正確に爆破させて宏壱とメアを爆風が襲う。だが、それが宏壱の狙いだった。
【マインボム】が埋まった状態では下手に歩き回れない。歩くだけで発動することはないが、何かの拍子で爆発しないとも言えないのだ。
だから宏壱は、ある程度【マインボム】を除去しておきたかった。
「もういいか……メア、跳べっ!」
「……ん……!」
宏壱の声に応え、メアが宏壱の肩を踏み台にして跳ぶ。
高く跳び上がったメアが目指すのはゴブリンチーフだ。一直線に舞い上がった砂塵を突破して、メアはゴブリンチーフに反応させず、眼前に下り立った。
複数いるゴブリン達に見向きもせず、両腕を交差させて頭上に掲げる。
両手の五指を開き、突き立てるように関節を曲げて振り下ろす。
「……【ベアクロー】……!」
嘗て宏壱を襲った真空波だ。その威力は以前のものよりも大きく、撒き散らす猛威は今の宏壱では受け切れるものではない。
ゴフォッ!!
風を巻き込み振り下ろされた両手、爪から10もの斬撃が飛ぶ。斜めに交差したまま斬撃は地面を削りながら直進して前方のゴブリンチーフ、ゴブリン達を切り裂き、斜面を登り木々を切り裂き、数十m進んで止まった。
悲鳴さえ上げられず散ったゴブリンは6体。宏壱が森で倒した4体を含めれば計10体。残ったのは、セロルが相手をしている3体(余りの出来事にセロルと一緒に放心している)だけだった。
「何をしているんだ! 早く仕留めろ!」
「っ!?」
尻餅をついている宏壱がゴブリン同様呆けているセロルに叫ぶ。
メアが跳ぶとき、余りの力に肩が後方に押されて倒れていたのだ。
「【トリプル】!!」
セロルのショートソードが前にいるゴブリンの胸を袈裟懸けに斬り、右のゴブリンの腹部を突き刺し、更に押し込んでその後ろのゴブリンも串刺しにする。
スキル【トリプル】は、三連撃を決めるまでは動きを止めず身体を動かすことができる。
たとえ、痛みを伴っていても、疲労で身体が重くても常時と変わらない動きができる。
ただ、発動条件として立位状態でしか使用できない。その上、無理に身体を動かすためか、発動後は肉離れを起こす。セロルの切り札のひとつだ。
「……終わったな」
ゴブリンの気配がすべて消えたことから気を緩める。
当然、勝利の瞬間こそが攻撃の狙い目であることは間違いない。故に【見聞色の覇気】に頼りきらず、多少の警戒心だけは残しておく。
この世界に合わせて能力が調整されてしまっているため、感知系スキル、魔法を無効化するスキルや魔法がないとは言えず(事実、宏壱が手にした書物の中にも幾つかそのような効果のあるスキル、魔法が載っていた)、【見聞色の覇気】さえもすり抜けられてしまう可能性が大きいのだ。
「……ん……」
「お? あー、頑張った頑張った。偉いぞ」
宏壱はててて、と小走りで寄ってきて期待した眼差しで頭を差し出すメアに、苦笑を浮かべて撫でる。
てきとーな言葉のわりにその手付きは優しいものだ。
「お疲れさま。駆け付けてくれるのが早くて助かったよ」
「その嬢ちゃんすげぇな。エグい威力のスキル使いやがる」
爽やかな笑顔のライクと、【トリプル】を使ってぐったりしているセロルを肩に担いだゴザムが声を掛ける。
「言ったろ? メアは俺よりも強いんだよ」
先程の力を見れば納得せざるを得ない。故にライクとゴザムは苦笑で返した。
「……ん……」
「ん? どうした?」
「……くさい……」
くいくいと袖を引かれる感覚がして下を向くと、眉間に深い皺を作ったメアが小屋のひとつを指差す。
「臭い? ……そうか? ちょっと待っててくれ」
宏壱は一度鼻をひくひくとさせて匂いを嗅いでみるが、特に思うことはなかった。が、メアがそう言うのだから何かあるのだろうと、メア達にその場で待っているように告げて小屋に向かって足を進める。
「これは……たしかに臭うな」
小屋に近付くにつれて香る異臭を感じ取る。鼻の奥をツンと刺すような刺激に一瞬痛みを覚えたほどだ。
「血の臭い、か?」
嗅ぎ覚えのあるそれはたしかに血のようではあった。
「開けてみれば分かるか……」
小屋の押し開きの扉の前に立った宏壱は、左手で鼻を押さえながら右手で扉を開ける。
「っ!? なんだ、これはっ!」
鼻だけでなく、眼にさえ飛び込む臭いの刺激。それ以上に窓のない小屋の中の光景が宏壱にとてつもない衝撃を与えた。
床や壁、天井に至るまで辺り一面が赤色に染まっている。乾いてしまっているのか、赤黒く変色してはいるが、それがなんなのか宏壱にはすぐ分かった。
「血かっ! これ全部!?」
バケツをひっくり返したような、などと言うには生ぬるい。蛇口を全開にしてシャワーを一面に撒いたように赤一色に染まっていた。
流石の宏壱も予想外な光景にごくりと喉を鳴らす。
躊躇いながらもギシと床板を軋ませて小屋の中に入る。天井に空いた幾つかの小さな穴と、開け放たれた入り口から差し込む光だけが光源となって屋内を照らす。
「酷いな。酷いは酷いが……」
宏壱は腰を下ろして人差し指の腹で床を擦る。指に付着した臭いを嗅ぐ。
「すん、すん……人間のものじゃないな。獣臭い……多分、魔獣か」
獣臭と言うのか、独特の生臭さを感じていた。
「ん? なんだ?」
宏壱が擦った床は少し血が拭われた。そこに紫色の線を見た。
線は床一面に広がっているようだ。
「なんだこれ? ……魔法陣、か?」
線を辿りながら当たりを付ける。が、この世界に魔法陣と呼ばれる物は非常に少ない。有名な物で転移魔法陣だが、これは古代技術を解析して使い回しているだけに過ぎない。
事実、魔法は魔法陣の媒介を必要とせず、詠唱だけで発動できるのだ。衰退して当然の技術と言える。
「……あるとすれば、召喚? たしか使役契約のときに、魔法陣と召喚獣が住んでいるとされている精霊界を繋ぐ門として魔法陣を使うって書いてたな」
考察を重ねる。この世界で得た知識は膨大だ。なにせマグガレンは各種族の王が集う場所。重要な書物も多く保管されていた。
厚待遇を受けていた宏壱は、禁書以外の閲覧を許されていたのだ。相当な量を読んだと自負している。
「だとすれば……この血の持ち主は召喚獣への供物? いや、たしか召喚獣は宝石を好むはずだ、血液なんざ持ってくれば契約なんてできないだろ……と言うか、そもそもゴブリンが召喚魔法なんて使おうと思うか?」
考察の論点以前に前提条件が違っていた。この場にいたのはゴブリンだ。であれば、この魔法陣を使用しようとしたのがゴブリンということになってしまう。
召喚獣は誇り高い。魔物の中でも低位置に存在するゴブリンを契約主と認めるわけがないし、召喚魔法に応じるわけがないのだ。
だとすれば……。
「これを使うのは人間ってことになる。なら、ここにいたゴブリンは……っ!」
そこまで考えたところで宏壱は顔を上げた。
「……っ!?」
ミシミシミシッ!
まるで外から押さえつけられたように小屋が軋んで悲鳴を上げる。
そしてあっけなく押し潰されるように倒壊した。