赤鬼転生記~異世界召喚・呼び出された赤鬼は聖剣と魔剣を持っていない~ 作:コントラス
トラックがぶつかる前にわたしを助け出した男の子は空を駆けて(意味が分からないと思うけど、そう表現するしかないんだから仕方ない)、わたしを通学路の途中にある人気のない公園に下ろすと、一言『今君に起きたことは誰にも言わないでくれ』とだけ言ってわたしの返事も聞かないまま去っていった。
不思議と一方的に告げられた約束事を破る気にはなれなくて、その日は事故に遭いそうになったことも、不思議な力を持った男の子と出会ったことも、お母さんとお父さんには言わなかった。
ただ、わたしが家と学校を行き来する通学路で事故があったことに凄く驚いて、心配をしてくれた。幸い運転手の人も無事で、巻き込まれた人もいなかったみたい。
それから数日、わたしは平凡に過ごした。朝起きて顔を洗って、ご飯を食べて、学校に行って、勉強して、家に帰る。
そんな日々を過ごしていると、お父さんが夕食時にわたしに言った。
――なずな、武術に興味はないか?
女の子に何を言っているんだ、と思わなくもなかった……と言うか、凄く思った。
お母さんはクスクスと笑うだけで何も言わないし、お父さんは妙に真剣だし。なんだか頷くしかない空気だった。
そうして頷いた結果……日曜日、わたしは近所にある菅野道場という武術道場にいた。
数十人いる身体の大きな男の人が木刀や木槍、薙刀、木の棒を振り回していて、当時のわたしだと『迫力凄い!』ぐらいにしか思わなかったけど、それでも魅入られていた。特に大きな男の人と木刀を打ち合うわたしと同い年くらいの女の子が、一層わたしの眼を惹き付た。
菅野道場。もう1人の幼馴染みで恋敵になる菅野 美咲ちゃん、みぃちゃんとの出会いの場所。
菅野道場に入門したわたしが習うのは棒術と柔術だった。
菅野道場は武術全般を教えていて、何でも扱えっていうのが資本で、力の弱いわたしには刀も槍も薙刀も振り回せなくて、身体が頑丈でもなかったから殴る蹴るなんてすると、身体を痛めるだけだって言われて、棒術と柔術に決まった。
わたしの師匠は菅野 凜菜さん。みぃちゃんのお母さんだ。みぃちゃんのお父さんは婿養子で、わたしのお父さんの会社の同僚らしい。
道場で修練を積むばかりのみぃちゃんを気遣って、同い年の娘がいるお父さんに相談すると、『じゃあ僕の娘を菅野さんの道場に入門させよう』と言ったのが、わたしが菅野道場に通うことになった理由なんだって。
で、お父さんの思惑通り、わたしは同い年のみぃちゃんと数日で仲良くなった。友達の少ない(本当はいなかったけど、本人が認めない)みぃちゃんは、仲の良さをアピールするために渾名で呼び合うことを強くわたしに求めた。
それから数日考えた結果、わたしは“なっちゃん”。美咲ちゃんは“みぃちゃん”と呼び合うことになった。
通う小学校も同じなんだけどクラスが違うからあまり一緒に過ごせないけど、放課後は一緒に下校して道場にいくようになった。
それから数週間後、小学生になって初めての夏休みに入り、その関係にもう1人加わる。それはトラックから助けてくれた男の子なんだけど、彼との再会は突然だった。
――たーのーもーっ!
と声が道場に響いた。
道場出入口には見覚えのある男の子の姿があって、対応した20代くらいの門下生の人が言うには、その男の子は“道場破り”をしにきたらしかった。
道場にいた大人の人達は笑った。『ごっこ遊びはほどほどに』とか『入門希望か?』と言って本気にしていなかった。
のだけど、男の子を対応した人が吹き飛んだことで状況は一変した。
最初は唖然。次に怒りで、その道場にいなっかた凜菜さんとみぃちゃんのおじいさんで菅野道場の総師範でありみぃちゃんの師匠でもある菅野
圧巻の動きだった。最初に吹き飛ばしたあとは、向かってきた人の体重を利用して転がすだけ。見ようによっては勝手に転んだようにしか見えない場面も幾つかあった。
立ち位置と重心移動を意識して、的確に捌いていた。……後からみぃちゃんに、あれは凄い集中力と技術を要する極限の動きで、柔術も学ぶわたしには目指す極点のひとつなんだって聞いた。
現状を理解した道繁おじいちゃんが男の子に誰何すると、『道場破りだよ』と答えた。
当時は今のように前髪は長くなくて、表情がはっきり見えた男の子、幼い宏壱くんは愛らしい顔に不釣り合いな笑みを浮かべた。獰猛で、壮絶で、肉食獣のように歯を見せた怖いはずのその笑みは、わたしとみぃちゃんの視線を惹き付けた。
――小童が吠えるのう。若造共、退けいっ! 儂が相手をしてやるわっ!
当時60歳だった道繁おじいちゃんだけど、身長180cmで筋骨隆々。綺麗に色の抜けた白髪をオールバックにした
そんな道繁おじいちゃんも怒っているような口調とは裏腹に、楽しそうな笑みを浮かべている。
そこから唐突に始まった男の子とおじいちゃんの戦い。道場の壁際に逃げたわたしとみぃちゃんは、凜菜さんの解説を聞きながら戦闘に見入っていた。
素手で岩を砕く力を持っている道繁おじいちゃんと正面から拳を打ち合わせ、眼で追えないほどの速さで動く道繁おじいちゃんに付いていく。
人の域を越えた力と力がぶつかり合った。
結果は引き分けだったけど、道場の床とか壁に穴が一杯空いて凜菜さんが激怒。2人は道場の真ん中で正座させられて、お説教を受けた。勝者は凜菜さんだった。
その後、道場破り云々の話は冗談だったと、宏壱くんが語ってその件は終わった。(影で凜菜さんに頭を下げながら弁償代を払ったらしい)
本当の目的は有名な道場があると聞いて、どんなものか、と見にきただけみたいだった。
最近引っ越してきて、地理を把握するためのお散歩のついでらしい。
その日から宏壱くんも道場に来るようになって、時間があれば道繁おじいちゃんと軽い組み手をして、その後にのんびりお茶をしたり、将棋を指したりと凄く馴染んでいた。
わたし達も、宏壱くんが加わった日常を受け入れて日々を過ごした。その中で、事故から助けてくれたことにお礼したり、みぃちゃんが宏壱くんに渾名呼びを強要したり(宏壱くんは断固拒否の姿勢だった)、わたしの両親とみぃちゃんのご両親と道繁おじいちゃん、道繁おじいちゃんの奥さんのユメおばあちゃん、それとみぃちゃんの2歳年下の弟であるタケくん(本名は
テロの皆さんは即座に道繁おじいちゃんとユメおばあちゃん、凜菜さんとみぃちゃんとわたしが鎮圧した。
……実は宏壱くんは結構怪我をしている。痕が残るような火傷とか、打撲痕、切り傷、弾傷、その他色々。行く先々でトラブルに巻き込まれる体質で、そのほとんどが荒事だった。
ただ宏壱くんが巻き込まれるだけなら怪我なんてしないと思う。宏壱くんには六式っていう体技があるし、それ抜きにしても宏壱くん自身がとてつもなく強いから。
だけど、そこに一般の人が絡むと宏壱くんは反射的にその人を守ろうと動く。それはわたしとみぃちゃんも例外じゃなかった。
危険から命を救ってもらったことは一度や二度じゃなかった。その度に増える傷跡はわたしとみぃちゃんにとっての戒めになって、宏壱くんとわたし達を繋ぐ絆になった。
それが一緒にいたいって想いになって、いつの間にか恋に変わっていた。優しい宏壱くん。いたずら好きな宏壱くん。子供っぽい宏壱くん。大人っぽい宏壱くん。……そして誰よりも強い宏壱くん。色々な宏壱くんを知って、惹かれた。
……わたし達の関係は突然の終わりを迎えた。切っ掛けはみぃちゃんが小学校を卒業後、引っ越すことが決まった。
理由はみぃちゃんのお父さんの地方への転勤だった。生活力が殆どないみぃちゃんのお父さんは1人で生活するのは難しい。だからみぃちゃんと凜菜さんがついていくことになった。
わたしとお母さんとお父さん。菅野道場のみんな。そこに宏壱くんが加わって、お別れパーティーをした。盛大に泣いて別れを惜しむわたしをみぃちゃんは優しく抱き締めてあやし、宏壱くんも頭を撫でてくれた。
そんな優しくて心地良い時間も終わり、翌日。みぃちゃんと凜菜さん、おじさんは、わたし達に見送られて簡単には遊びにいけない場所に向かった。
それから数週間後、わたしと宏壱くんは中学生になった。宏壱くんは小学生の時はわたしとみぃちゃんとずっと一緒にいて、同年代の男の子にからかわれることが多くて、友達が少なかった。みぃちゃんと宏壱くんしか友達がいなかったわたしも、宏壱くんのことは笑えないけど。
小学生の頃は菅野道場の人とみぃちゃんと宏壱くんくらいしか深い交友はなかったし。
だけど、中学に上がって友達が増えた。話し掛けてくる人が多くなって、こんなわたしに告白をする人もいた。
勿論、宏壱くんとの付き合いがなくなった訳じゃない。
放課後は菅野道場にも行くし、2人で買い物にだって出掛ける。夜にはみぃちゃんと電話もする。
少し変化のあったわたしの日常。そこに大きな変化、わたしにとっては最悪と言っていい出来事が起きた。
中学一年の初めての夏休みは例年通りに過ごした。道場での鍛練と難しくなった宿題。数ヶ月振りに会うみぃちゃんとみんなで海外旅行。帰りの飛行機でハイジャック犯を鎮圧したこと以外は、楽しく過ごせた。
そんな夏休みを終えた二学期のある日の放課後、校舎裏に向かう宏壱くんを見掛けて追い掛けた。
そこで見たのは横たわって呻く十数人の男子生徒と、無感情な眼を彼らに向けた宏壱くん。
わたしは声が出なかった。喉がカラカラに乾いて身体が震えた。これが大きな間違いだった。自分をもっと律するべきだった。
わたしに気付いた宏壱くんは一歩声を掛けながら近付いた。それが『よう』だったのか『おう』だったのか分からない。短い言葉だった気はするけど、宏壱くんの無感情な眼が、冷たく醒めた視線が脳裏から離れなかった。
一度も見たことのなかった眼。まるでゴミを見ているようなその眼は、わたしに恐怖を覚えさせた。
意外と人の感情に敏感なところがある宏壱くんは、多分わたしが
動きを止めて宏壱くんはわたしに背中を向けた。ここ止めていればなにかが違ったのかもかもしれない。わたしが踏み出せていれば……そんな“もしも”とか、“たられば”が一杯浮かんだ。
一番脳裏に浮かぶのは宏壱くんが見せた寂しそうな、悲しそうな顔。普段はキリッと吊り上がった鋭い眼差しは、目尻を下げ、弱々しく揺れていた。
どう帰ったかなんて分からないけど、気付けば家に帰っていて、自室にいた。勉強机の上に置いてある道場で撮った集合写真。その中の宏壱くんはにかっと笑っていて幸せそうだった。
翌日、学校では男子生徒が怪我を負ったことが、学校中に広まっていて、犯人も宏壱くんだと特定できていた。
普通なら相応の処分があるはずだけど、宏壱くんは注意を受けただけでお咎めなしだった。
理由は……誰も知らない。わたしも聞けていなかった。だけど、それがダメだった。
宏壱くんにやられた男子生徒が言い触らした。『朱津嶺さんに付き纏うストーカー野郎を呼び出したら、山口が逆上してやられた』……そんなあり得ない話が出回って宏壱くんの立場は悪くなった。
わたし達が通う中学校は、3校の小学校の卒業生が進学してくる少し大きな学校で、一学年約170人いた。だから、宏壱くんを知らない生徒も多くて、誤解が誤解を生んで悪循環に陥った。
わたしにとって一番都合が悪かったのが、宏壱くんとわたしのクラスは別々で、友達とかクラスメイトがわたしを宏壱くんから遠ざけたこと。なにより、宏壱くんがわたしを避けるようになったことだった。
一緒にしていた登下校も、道場通いもなくなって、わたしの見える世界から色がなくなった。
それから数ヶ月後、お正月が過ぎて三学期に入ってからわたしは校長室に呼び出された。理由は真相を聞かせるため。
あの場所にいた男子生徒がわたしを襲う計画を立てていたということだった。宏壱くんは彼らに呼び出されて、わたしを誘い出すように言われ、それを断ると逆上して襲い掛かってきた男子生徒を伸した。というのが本当の話だった。
わたしは普通の男子中学生が何人襲ってきてもどうこうされることなんてない。それは宏壱くんも知っているはずだった。なのに、わたしのために怒ってくれた。大切に想ってくれていた。
その結果があの無感情な眼で、見下した視線だった。
その日、わたしは涙が止まらなかった。後ろめたさと後悔の思いばかりがわたしの心を占めて、自分の弱さを痛感した日だった。
長くなったので切ります。もっと短く纏められる文章力が欲しいです(切実