赤鬼転生記~異世界召喚・呼び出された赤鬼は聖剣と魔剣を持っていない~ 作:コントラス
舞う砂埃に2度、3度と連続して【ウィンドボール】が撃ち込まれる。
砂埃が拡大し宏壱の姿を隠す。
――グゥゥォォオオオオオ!!
メガベアーが吼えた。それは勝利の雄叫びだろうか。
「俺はまだ死んじゃいねぇぞ!!」
メガベアーの頭上から声が降ってきた。それはさっきまで聞いていた重く低い声。見上げれば額から頬にまで血を伝わせた宏壱がいた。
空中で逃げ場などない。格好の的だ。当然メガベアーもこのチャンスを逃しはしない。
風魔法【ウィンドボール】が宏壱に放たれる。
「【月歩】!」
宏壱が空を蹴るとドン! と物を叩くような音がなる。すると、宏壱の身体は横に跳んだ。
宏壱が一瞬前までいた場所を【ウィンドボール】が通過し、天井を穿つ。
「おらあっ!」
背後から降ってくる爆風を追い風に加速して右拳を振るう。撃ち下ろすように放たれた拳は上を向いていたメガベアーの鼻を叩く。
「【剃】!」
拳を受けながらもメガベアーは口を開き宏壱を噛み殺そうと首を伸ばしたが、宏壱が姿を消したことで空振りに終わる。
ズドム!
メガベアーの身体が僅かに右にずれる。見下げれば自分の横腹に左拳を減り込ませた宏壱の姿。
左前足を振って反撃に出るが、またもや宏壱の姿は消え……。
ゴッ!
上からの衝撃でメガベアーの頭が下がった。【剃】で頭上に移動した宏壱が肘を立てて落としていた。そしてまた消える。
顎下から衝撃、今度は顔が上を向く。宏壱が正面真下から、跳び上がるように左拳を頭上に伸ばしてメガベアーの顎をかち上げた。
そのまま空中で身体を右に捻り、伸びた首筋に左回転蹴りを叩き込むとまた消える。
宏壱は出し惜しみを止めた。ある程度温存しておこうと、無難にじりじりとHPを削って勝とうと考えていた。
しかし、予想外に【炎神】が切れるのが早かった。そしてMPの枯渇によってできた大きな隙。一歩間違えれば、【鉄塊】の発動が遅ければ、顔を腕で守れなければ致命傷だった。
油断の2文字が宏壱の脳裏に浮かぶ。
(そんなつもりはなかったんだけどな……魔物が弱すぎて、メガベアーも大したことはないんだろう。なんて考えがどこかにあったのかもしれない。俺もまだまだ未熟ってことか)
胸中で自嘲する宏壱だが、攻撃の手は緩めない。メガベアーが反撃に移るよりも早く【剃】と【月歩】を利用して隙のできた場所に移動、攻撃を入れていく。
背後からメガベアーの横面に右膝を叩き込み、正面に移動して掌底を打ち込み、右側面に移動して左肘を横腹に減り込ませる。反撃に腕を振るうメガベアーを嘲笑うように【剃】で移動、頭上から踵落としを入れる。
正面に、背後に、左側面に、右側面に、頭上に、拳を入れ、肘を入れ、蹴りを入れ、膝を入れ、踵を落とし、時には頭突きをかます。
傍観者であるリーナ達では目で追いきれない速度でメガベアーを追い詰めていく。
追い詰めると言っても、HPはまだ半分も減っていないだろう。
(俺の攻撃力がメガベアーの防御力を下回っていることは明らかだな。さて、どうするか……)
宏壱が苦慮しているのはどうHPを削るか、ということだった。
実は宏壱としては【炎神】をかなり当てにしていた。
ユニーク魔法である【炎神】や【雷神】、【氷神】と【武装色の覇気】の相乗効果は計り知れない威力を発揮する。それは宏壱が歩んできた世界で実証済みだった。
だが、この世界では明確な“ステータス”という
物理、魔防の値が高ければ、宏壱の切り札である【武装色の覇気】も【炎神】も絶対的勝ちの要素にはなり得ない。効果が薄くなってしまうのだ。
(つくづく自分の詰めの甘さが嫌になる。想定して然るべき事態だった)
縦横無尽に動きながらメガベアーを倒す方法を考える。
(これを続けるしか思い浮かばねぇぞ)
結論は今の行動を継続することでHPを削る。それだけだった。
だが、彼は悲観はしていなかった。嘗ては神殺しさえ果たしたことがある宏壱は、最強と呼ばれた時代があった。その所為で孤高の存在とまで言われていたのだ。
それが今では命の危機に貧している。恐怖はない。あるのは恋にも似た胸の高鳴りと体外に出た血の熱だ。
戦闘狂であるつもりは彼にはない。ただ、戦うことが取り柄であると自覚している。一種のヒーロー願望のようなものだろう。誰かを守れることが嬉しいのだ。戦いはその延長線上のものでしかない。
だからこそ誰にも邪魔をしてほしくはなかった。
「――っ!」
メガベアーの頭に膝を落として意図的に重心を前に寄せる。その上で背後に移動、後ろ足の膝裏を蹴ってメガベアーの膝を地面に突かせた。
「二足は辛いだろ? 動物らしく四足でいろ!」
宏壱は膝を突かせた上で後頭部に蹴りを入れた。更に追い討ちを掛けて体勢を崩し、反撃をできないようにして、その内に技力回復薬と回復薬を飲む。そんなプランが宏壱の頭の中にはあった。だが……。
「よせっ、勇気!!」
その声で宏壱の動きが止まる。声のした方を見れば、こちらに走ってくる影。手には聖剣を構え、決死の覚悟といった面構えだ。
「俺だって、俺だってやれる! 俺は勇者なんだ!」
宏壱は失敗した。致命的な失敗だ。さっきの比ではない。まさかの行動に呆けてしまい、攻撃の手を緩めてしまったのだ。
メガベアーが立ち上がった。そこで宏壱の呆けた意識は覚める。だが、遅かった。クイーンアントを倒したことでレベルが上がった勇気は、少し素早く動けるようになっていた。
「でえぇぇやぁぁぁあああ!!」
勇気は正面からメガベアーに斬り掛かる。
袈裟懸けに振り下ろされた聖剣は、寸分違わずメガベアーの肩に当った。
そう、当たっただけだ。そこからは進まない。レベル差がありすぎるが故に、聖剣でさえ傷をつけるができなかった。
「……え?」
気の抜けた声が漏れる。何が起きたのか分からない。そんな間抜けな考えが勇気の頭を支配する。
そして振り上げられる右前足。決して見せてはいけない隙だった。退避か、防御に徹するか……。
メガベアーを前に呆けるなど、あってはならなかった。
「バカ野郎が!」
そんな声と同時に、勇気の身体は急激にメガベアーから離れていく。その際、一瞬首が締まったが、些細なことだった。
勇気の視界に鮮血が舞う。自分の血であるはずはない。
では誰の物か? 当然近くにいた人間である。
一瞬の浮遊の後、ドササーッと橋の上を滑り、リカルド達の下まで戻る。軽い衝撃と摩擦で思考が回復する。
「――っ! 山口!」
浮遊時、勇気の視界に移ったのは宏壱の顔。乱れた前髪と戦闘時に割れたのか、皹の入った瓶底眼鏡。その奥の眼は怒りを孕んでいたのが勇気にも分かった。
そんな一瞬の視線の交差の後、宏壱の背中は血を吹き出す。メガベアーの爪が宏壱の背中を掻いた。女神の加護がある制服を引き裂いた証だ。
誰も動けなかった。想定し得ない事態だった。余りの衝撃になずなと美咲でさえ思考を停止した。
倒れて動かない宏壱と、それを見下ろすメガベアー。体外へ流れ出た血は、既に止まっている。
「こほっ! ……ぐっ……っつ、クソがっ!
両手を突いて身体を起こした宏壱が、血を吐いて勇気を睨み付ける。その怒気の余波で我に返ったリーナも、なずなと美咲、晶カエデペアも動けずにいた。
ぞわっ、と寒気が彼らの背筋に走り、全員の足が地面に縫い付けられた。それはメガベアーでさえ例外ではなかった。
「――【氷神槍】っ! ……よし、リーナさん!」
――グルア!?
痛みを堪えて立ち上がった宏壱が、念の為にと【氷神槍】でメガベアーの足を橋に縫い付けると、瓶底眼鏡を外し、リーナに向けて放る。
「え?」
反射で受け止めたリーナだが、宏壱の意図が読めなかった。
戸惑うリーナを気にも止めず、右手で前髪を掻き上げた宏壱の視線はなずなへ向く。鋭く射竦められたなずなは、ピクッと肩を震わせるが視線は逸らさない。
戦闘時と勇気に水を差されたことで険を含んでいた鋭い眼差しと雰囲気が、ふっと和らぐ。
「朱津嶺さん。……なんて他人行儀なのはもうやめようか」
言葉を区切り、二回深呼吸を繰り返す。そして紡いだ。
「なずな」
「っ!」
「俺は、もうなんとも思ってないから……悔やむなよ。俺達は、少し間が悪かっただけだ。だから、話し合おう」
なずなの眼からじわりと涙が溢れた。名前を呼ばれたのが嬉しかった。何か言葉を返したいけれど、喉が詰まって何も言えない。
そんななずなの手を美咲が握る。それに答えるように握り返したなずなは「うんっ!」と強く頷いた。
そして宏壱の視線は横の美咲へ移る。
「美咲、また手合わせしようぜ。どんだけ強くなったか見てやるよ」
「ふふ……今度こそ一太刀浴びせてあげるわ。小学生の頃とは私も違うもの」
「そうかい、そりゃあ楽しみだ」
3人にしか分からない遣り取り。この言葉の意味をなずなと美咲は寸分のズレもなく把握していた。次の視線はいじめっこ筆頭の龍治へ。
「
「はん! 腑抜けたテメェがあんな底辺共にボコられんのが嫌だっただけだっつーの!」
「男のツンデレはキモいだけだぞ、龍治!」
「テ、テメェっ!」
龍治の怒り顔を見て「ははっ」と笑うと今度は晶に視線を向ける。
「三船……あー、いや、晶、でいいか?」
「え? あ、うん、いいけど……」
「んじゃ、晶、俺も宏壱って呼んでくれ。カエデさんもな」
「えっと、分かったよ、山口……じゃなくて、宏壱君」
「承知しました、コウイチ殿」
「おう!」
2人の返答に笑顔で答える宏壱。戦闘時の気配などありはしない。と言っても、普段の暗さがあるわけでもなかった。言うなれば、しっくりくる。そんな感じである。
本来の彼はこうである、そう思わせるには十分だった。
「先生も色々気に掛けてくれてありがとう。こっちに来てからも俺のこと気にして声掛けてくれたよな。正直、気の使い過ぎだって思ったけど、嬉しかったよ」
「山口君……」
「今まで苦労掛けてごめんなさい。それとありがとう」
なずな、美咲を除いた全員が違和感を覚えた。おかしいと。一体彼は何の話をしている? 何故、今更になって本来の性格をさらけ出し、メガベアーの動きを止めてまで親しかった者達に声を掛けるんだ?
到達した結論は全員一緒だった。まるで別れのようではないか。リーナに投げ渡した眼鏡は形見のつもりなのか?
「リーナさん、それ後で返してもらうから、失くさないでくれよ?」
「勇者コーイチ、何を――「待ってください。今、橋の上にいくのは危険です!」――……勇者スガノ! このままではっ――」
「待たせたな、熊公」
叫び、飛び出そうとしたリーナが美咲に止められたのを見届けた宏壱は、メガベアーに向き直る。
その時見せた、右肩甲骨から左脇腹に掛けてできた4本の爪痕が、メガベアーの攻撃力を物語る。
メガベアーの眼は憤怒に染まっている。正に死に体のちっぽけな人間に自由を奪われたことが我慢ならなかった。
その怒りは力となり、自分を縫い付けた氷を破壊する。
――グゥゥァァァアアアアアッ!!
自由を得たメガベアーは怒りの一撃を宏壱に見舞おうと右前足を振り上げる。
「もう遅ぇよ!」
宏壱はメガベアーが動き出すよりも早く片膝を橋に突け、強く握り込んだ両拳を上下で重なるように橋に向けて構えていた。
「(体勢は悪いが、この程度の橋なら!)【六式奥義・六王銃】!!」
力を全身に込めると、止まった血が滲み出てくる。だが、宏壱はそれも気にならなかった。気持ちが晴れ晴れとしていたから。
メガベアーの攻撃が届く一瞬前、衝撃が橋に伝わる。
ビシィッ! と宏壱の両拳を中心にして放射状に走った亀裂はどんどん広がり、リカルド達の傍までいった。
それから直ぐに崩壊が始まる。真っ先に崩壊を始めたのは宏壱の足下。それがメガベアーと続き、橋は崩落していく。
1人と1頭を巻き込んだ崩落はリカルド達まで届くことはない。
「テメェも一緒に落ちるんだよ!」
崩落から逃れようと藻掻くメガベアーに取り付いた宏壱は、メガベアーの動きをなんとか押さえて闇に飲まれた。
「な……そんな……」
取り残されたリカルド達は唖然と見送り、リーナと陵子は膝を突いて崩れ落ちた。
「薄情じゃない? 助けにいかないなんて」
「必要かな?」
「酷いわね。助けが必要ないなんて」
唖然とした空気の中、笑いを含んだ2人の少女の掛け合いが響く。
周囲はそれに付いていけていない。
「だって……あの人は、山口 宏壱……だよ? 死ぬなんてあり得ない」
「そうね。死ぬなんてあり得ないわよね」
言い聞かせるようなものではない。ただ、事実を事実として受け止めているだけだ。本気で言っているのだ。「山口 宏壱は死なない」と。
彼ら一行は一部を除いて暗い雰囲気のままダンジョンを出る。
クイーンアント討伐作戦と副産物で出たメガベアーの排除は、勇者1人を犠牲に終幕を迎えた。
クイーンアント戦&メガベアー戦終了!