IS〈インフィニット・ストラトス〉~天駆ける空色の燕~ 作:狐草つきみ
束さんに言われた通りに少女を回収して戻ってくると、束さんは満足したオーラと言うか雰囲気と言うか、そんなものを纏って格納庫で待ってくれていた。
「やーやー、そーくん! 無事運んで来れてなによりだよ~」
「二日もかかっちゃいましたけどね」
謙遜するように笑いながらそう言うと、束さんは僕に抱かれたままの少女を見る。
「さてさてようこそ、篠ノ之束の研究所へ! ここは君を虐める悪い奴らは居ないから安心してね♪」
「貴女が……篠ノ之束……」
少女も驚きの表情を隠せずに、僕から降りては束さんの傍まで寄る。束さんはそのまま抱き締めて、まるで我が子のように撫でた。
「今日から私が、私達が家族だよ。私がお母さん、だから君は私の娘」
「「えっ?」」
「別に驚くことでもないよ。私はそのつもりでそーくんに頼んだんだもん。……そーくんには感謝してるよ。私が蒔いた種が、勝手に芽を出して悪用されるなんて目覚めが悪いからね!」
胸を張ってみせる束さんに、僕は嘆息しながら言った。
「せめてこの子の名前を決めてから、自分の娘だと言い張ってくださいよ」
「それもそうだね。それじゃあ、束さんが名前を付けてあげよう。――君はこれから“クロエ・クロニクル”だ、そう名乗ると良いよ」
「クロエ……クロニクル……」
束さんに名前を貰って、少女は、クロエは何度も自分の名前を繰り返し、柔らかく微笑んだ。
「名前、しかと受け取りました。これからもよろしくお願いしますね、束さま」
「えー、お母さんって呼んで欲しいなぁ~」
「いえ、今の私にはこれぐらいで良いんです」
クロエがそう言ってみせると、やっぱり束さんがこっちを向いた。
「そーくんからも、クーちゃんに何か言ってよ~」
「……クーちゃんって……僕はクロエが好きに呼べば良いと思いますよ」
満面の笑みで答えてあげると予想とは違う答えだったのか、束さんはわなわなしながら後退って、挙げ句にはダッシュで格納庫から走り去っていった。
僕は自分でも流石にこの作り笑いはないなと思いつつ、真顔に戻ってクロエの傍に寄る。
するとクロエはまじまじと僕の体を眺め(?)ながら、不思議そうな顔で首を傾げた。
「やはり男なのですね。ソラさまは」
「確かに好きに呼べば良いとは言ったけども、“さま”付けされるとむず痒いね」
うん、自分で言っておきながらこれは恥ずかしいよ。
「確かに君の言う通り、正真正銘の男さ。……じゃあ君の部屋に案内するよ、僕に隠れてコソコソと束さんが準備してたみたいだしね」
「あ、ありがとうございます」
男がISを使える時点でおかしいとは思うだろうけど、ここは篠ノ之束の
部屋を目指しながらも廊下の途中、歩きながら僕はクロエに話し掛けた。
「実は僕がISを使えるのは、全部束さんのお陰なんだ。理屈は僕でも分かんないんだけどね」
「ソラさまは不思議ですね。ミステリアス過ぎます」
「ジョークとして受け取っておくよ。……ほら、君の部屋だ」
笑いながら歩くと、
中はシンプルにベッドと机にクローゼットと、必要そうなものは一通り揃えてある筈、多分。女の子じゃないから、正直なところどうなのか分からないけれど。
クロエは部屋を見渡しながら入っていき、感嘆の声を上げながら壁などを触っていた。そんなクロエをドアの側で眺めながら、僕は気に入ったか尋ねてみる。
「どうかな。足りないものがあったら買ってくるけど?」
その問いに、クロエは満足といった感じで首を横に振った。
「いいえ、ここまでしてもらったのにこれ以上贅沢は言えません。本当にありがとうございます」
きっかり四十五度と綺麗なお辞儀をして、クロエは頭を上げる。個人的には殺風景とまではいかないけれど、中々に寂しい部屋だと思っているので少し不服な感じだ。
「甘えても良いんだよ? ここは
もうここは、ただひたすらに命令されて、厳しくて苦しいだけの空間じゃない。束さんや僕という家族が、味方が居る場所なんだ。もう少し気を抜いても良いんだよ。
「――クロエ、何か欲しいものがあったら遠慮なく言ってね。できる範囲で何でも用意するから」
「はい。ソラさまがそこまで言うのなら、私は甘える練習も兼ねてソラさまに頼らせてもらいますね!」
「せめて、束さんも頼ってあげて?」
……何か涙を流してる姿が容易に浮かぶ。
「勿論です。お母さまにも、たくさん頼って、たくさん迷惑かけちゃいます」
「アハハ、束さんも大変だ」
ここへ来て初めて、クロエが笑ったのを見た気がする。やっぱり、笑顔がとっても似合う子じゃないか。見てるこっちが照れ臭くなっちゃうよ。
「それじゃあ僕は天燕の整備してくるから、何かあったらさっきの格納庫まで来てね」
「あ、はい」
彼女に手を振りつつ、僕ははにかみながらその場を後にした。この場で感じた感情が、きっと“誰かを守りたい”っていうことなのかな。……あの人も、同じことを思っていたのかな。きっと――。
■
翌日、束さんが僕を呼び出す。今度は何だと思って束さんの研究室へと足を運ぶと、そこには束さんがあの椅子なのかも怪しい椅子に足を組んで座っていた。
「今度は何ですか? また何処かを襲撃するなら――」
そこまで言ったところで束さんにストップを掛けられ、僕は口を噤む。
束さんは椅子から立ち上がってから、僕に人差し指を思いっきり向ける。その急な行動に一瞬だけ体を震わせてしまった僕は、微動だにせずその場に固まった。
「そーくんに新しいミッションを与えるよ」
真剣過ぎる眼差しに、僕も緊張が走りながらも固唾を呑んで束さんの瞳を見つめ返す。
束さんは少し間を置いてから、口元を緩ませて喋り始めた。しかし誰が聞いても、驚く以外の反応が見当たらない、まさに驚愕の内容だった。それは――、
「フッフッフッ、そーくんには
ズビシと人差し指で差してポーズを取った束さんは、まるで「決まった」と言わんばかりにドヤ顔だった。
それに対して僕は、束さんが何を言ったのかが理解できなくて、疑問符を浮かべながら首を傾げる。
「だーかーらー、IS学園に行ーくーのー」
「は、はぁ……」
気のない返事に、束さんはつまんないと言いたげな様子で僕を見る。流石に、何て返事したら良いのか分かんないよ。「イエス」か「ノー」で答えろって言われたら、即行でノーだね。
「あのー、IS学園に僕が入学できるとでも?」
僕は当然の如く言うが、束さんは首を傾げるだけで、全く話が進まずにいた。
――IS学園。簡潔に言えば、その名の通り「IS」について学ぶ学校。それは事実上、全寮制の女子校とでも言うべき場所だ。通う人は全員が女子、教員も全て女性。ISのことだけを学び、ISのことだけを知る日本帰属の国際学校。そこではありとあらゆる全ての国の法律が通用しない、法で裁けないという意味では“自由な場所”だ。
そんな場所へ男の子を放り込むなど、この女尊男卑の世界で「社会的に死ね」と言っていると同義。確かに僕はISを使えるけれど、流石に
だから僕は当然の如く反論する。しかし束さんは、それすら無視して話を続けた。
「大丈夫だよそーくん。いざと言う時には私の親友が守ってくれるし、これから起こることに対して先手を打っておきたいのよさ」
「先手……ですか」
その言葉に、僕は眉を顰める。
「ですが、僕が男として入学するのは流石にマズイ気が……」
「フッフッフッ、気にせずともこのISスーツがあれば問題ナッシング!」
一体何が問題無いのか気になるところだけども、それを聞く前に束さんは話を続けた。
「後はちーちゃんが何とかしてくれるよ。外に騒がれて、そーくんの正体まで知られるのは私にとってマズイし」
「ちーちゃん」と呼んだ人が恐らくその親友なんだろう。束さんはサムズアップしながら、そう言って携帯を手に取る。
手の中で弄ぶようにキーを叩く電子音が流れ、やがて「プルルルル」と通信中の音声が聞こえ始めた。直ぐに繋がったのか、束さんが相手に話し掛ける。
「あ、もしもしちーちゃん?」
ツー、ツー、ツー。
無情にも通話が切れた音が部屋に鳴り響く。無言のまま束さんは再び同じ電話番号を打ち込んで、再び通信中の音声が流れる。そしてまた同じタイミングで繋がる。
「あ、もしもしちーちゃん? いきなり切っちゃうなんて酷いなー。束さんはそんな子に育てた覚えはありません!」
『私はお前に育てられた覚えは微塵もない。……で、何の用だ? こちらとて色々と忙しいのに、厄介事だけは御免だぞ』
聞こえてきたのは厳しそうな女性の声。束さんが言うには、その親友とやらなんだろう。
束さんはマイペースさを崩さず、そのまま笑顔で実に嬉しそうに用件を伝えた。
「そーそー、ちーちゃん。ウチの子、預かってくれない? 偶々IS使えちゃってさー、教えたいのは山々だけどちーちゃんの方が上手だと思って、お・ね・が・い★」
『まるで金を借りる悪ガキみたいなことを言うな。……そもそも束に子供なんて居たか?』
「んーん、いーや、海岸で拾った子。中々にイケメンだよ」
そこまで束さんが言ったところで、相手の女性は押し黙ってしまう。僕は今まさに微妙な顔をしながら傍で聞いていると、再びスピーカーから女性の声が聞こえた。
『イケメンだと?』
「うん~。その上、良い子でね、束さんの助手も勤めてるんだよ。あ、そうそう中学生だから手出しはNGだからね? 束さんのだから」
あれ、今さらりと犯罪発言したような。
『どういうことだ、束。話に追い付けん』
女性の声に焦りが見えてくる。当の束さんは、ニヤニヤとニヤつきながら勿体ぶって答えた。
「決まってるでしょ? 男だよ」
『男だとっ!?』
スピーカーから「ガシャンッ!」と椅子が倒れた音が僅かに、というかハッキリ聞こえた。女性の声音も、驚いているとハッキリ分かるほどに狼狽えていた。
僕は思わず顔に手を当てて、目も当てられない状況になったな、と直感する。これはマズイと。
これ以上は流石に引き返せない。答えはイエスかノーか。この人はどう答えるだろう。
「ちーちゃん、預かってくれないの?」
『流石にマスコミが五月蝿く騒ぎ立てるのは、こちらとしてもマズイ。教えたいとしても、無理がある。隠し通せる自信もない』
「そこは私の方でもなんとかするから。ちーちゃんはちーちゃんで出来ることをやって、お願いだから」
いざ真剣に語った束さんに、遂に女性も折れたのか深く溜め息を吐いては、しばらく間を置いて答えた。
『分かった。こちらからも理事長に報告しておく。――だが、余計なマネはするなよ。何か企んでいるつもりなら、それがもし害を成すならお前でも容赦しない』
「分かってるよ、親友だもん。でも、これはきっといっくんも関わってくる。きっと奴等が狙ってくるから、だから先手は打っておきたいんだ。その為の布石でもある。リスクは高いけど、これしか方法がないから」
『……そうか、今回はお前を信じよう。来年は騒がしくなりそうだ』
「元々女の子は姦しいものだよ」
『それもそうか』
他愛もなく話を終えて、通話終了ボタンを押してから放り投げる。束さんは軽く息を吐いてから、椅子に深く腰掛けた。
案外呆気ない終わり方に謎の安堵感を覚え、僕も踵を返しながら束さんに言った。
「僕は大丈夫ですからね、束さん。記憶が無くてもあっても、どっちでも僕は束さんの助手で家族ですから。それだけは絶対に忘れないでくださいね」
「分かってる、分かってるよそーくん。……久しぶりだよ、私がこんな気分になるの。ここまで心配になるのは箒ちゃん以来だもん」
「妹ですか?」
「うん。たった一人のね」
直感的に言ってみると、案外当たった。
「今頃はきっと中学三年生かな?」
「来年は高校生ですか」
そこで何となく僕は予感がした。嫌なものか、良いものかは分からないけれど、きっとその人とも出会うだろうと。いずれ直ぐに。
僕はそのまま部屋を後にして、天燕の整備に行くのだった。
そしてそれから十ヶ月後。僕はいよいよ、IS学園へと入学する。――“最年少のIS乗り”として。