IS〈インフィニット・ストラトス〉~天駆ける空色の燕~   作:狐草つきみ

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第2話 天燕 ~前編~

 

 

 

 僕が束さんに拾われてから、もうそろそろ一ヶ月が過ぎ去ろうとしていた。身体のあちこちにあった傷も、後遺症がほんの少し残ったぐらいで既に大体が完治済み。

 しかしどうしてか、知識はあっても記憶だけがすっぽりと抜けていて、自分が誰で何なのかが分からないけど。──所謂「逆行性健忘」というものらしい。ましてや、今のこの状況ですら、今の僕には把握し切れるものでもないのだけれど。

 五月初頭、日本では所謂『ゴールデンウィーク』という週に突入して、僕は自分の部屋に放置気味だったタブレットPCを拝借してはニュースを流し見てみる。当然、日本らしい連休中の事故などしか書かれていない。ごく普通のニュースだった。

 そんな春(うら)らかな中で、束さんは今日も今日とて何かしていた。何をしているのかは僕が知る限りではないんだけれどね。でもすっごく気になっちゃうのが人の性なんだと、少なからず僕は思う。

 

「……にしてもこれから、何をするんだろう」

 

 確か数日前にも同じことを考えた気がする。これがデジャヴというやつだろうか。

 でも何かするのは絶対なんだから、何かするんだろうけれど。それでも束さんは何も教えてくれないまま、今も黙々と何かをし続けている。最近顔を会わせたのは数日前だし。

 いつもと変わらぬ時間を過ごしながらも、僕は手元のタブレットPCで今度は自分について調べてみた。

 

「やっぱり該当する資料無し……か」

 

 戸籍データに関しても調べてみたけれど、やっぱりそれらしきものすら見当たらない。ハッキングに関してはタブレットPC内に入っていた束さん謹製のツールソフトがあったのでそれを活用させてもらった。

 そう思うと、『僕』という存在はそれだけやらかしてはいけないことでもしたのだろうか。……ほら、アクション映画とかでも「テメー、機密情報を知っちゃったから死んでくれ」っていうのあるじゃん。あれだと思うんだ。

 結局、何の収穫も得られずに溜め息を吐きながらタブレットPCの電源を落とす。それと同時に束さんの研究室から様々なものが崩れ落ちるような、器材が壊れるような、爆弾が爆発したとも取れるそんな轟音が島中に響き渡った。

 僕は慌てて束さんの研究室に向かって、重たい両開きの扉を小さい体で開け放つ。

 

束さん!?

 

 両手で押してやっとこさ片方開けながら、僕は束さんにそう呼び掛ける。しかし返事は返ってこない。

 もしかしてと思って顔を青くすると、集積所のゴミ山の如く広く積みがる器材からひょっこりと、束さんが整えていないぼさぼさの髪を揺らしながら顔を出した。

 

「あ、そーくんおひさー。朝食出来てる~? 私お腹空いちゃった♪」

「……た、束さん……」

 

 半泣きになりながら、束さんを器材の山から引っ張り出すと、束さんはケラケラと笑いながら僕の頭をぽんぽんと撫でてくれた。優しく撫でられて思わず本当に泣き出しそうになる。

 

「まったく、そーくんは心配性だねぇ。束さんはとっても嬉しいよ。そうやって心配してくれるなんてさ」

「だ、だって、束さんが居なくなったら……」

「私が居なくなるわけなーいじゃないか! ちーちゃんやいっくん、箒ちゃんにそーくん……皆悲しませるわけにゃいかないのよさ!」

 

 腰に手を当て「にゃははははは!」などと大袈裟かつ陽気に笑いながら、束さんは研究室の扉へ向かって歩く。早足で僕もその傍らを歩きながら、つい先程気にしていたことを束さんに尋ねてみた。

 

「た、束さん」

「何かなそーくん?」

「これから何を起こすんですか? 僕、どうすれば良いんですか?」

 

 自分でも気が付かない内に僕の中に焦りでもあったのか、やや縋るように問い詰める。

 それを見た束さんは、微笑んだ顔のまま僕の頭をまたしても撫で繰り回す。そっと優しく、柔らかく。

 いきなり何だと驚いて、一瞬頭が真っ白になっちゃったけど、直後に束さんの言葉が耳に入ってきた。

 

「そーくんは何も心配することはないよ。ちょ~っち、悪の組織と戦争おっ始めようってだけだから♪」

「さらりと凄いこと言ってません!?」

「やだな~、束さんに掛かればそんなこと晩飯前だから余裕っしょ!」

 

 朝飯前にはできなかった。それは果たして余裕なのだろうか。

 いくら束さんといえど、一人で出来ることなんてたかが知れてる筈。束さんはそれを分かっているのだろうか。

 僕が再び尋ねようとするも、先手を打たれるように束さんが僕の頬を優しく撫でる。

 

「それに、そーくんは私の側で、事の巻末を見届けてくれるだけでいいんだよ。そーくんは日本に戻る必要も、ここから居なくなる必要もない。ずっと私の側に居てくれればそれで良いんだよ」

「たばね……さん?」

「だって、そーくんがこれ以上不幸になることなんてないんだから、さ」

 

 背筋が思わずゾクリとした。これ以上不幸になる、それってどういうことだろう。分かることは、何のことだかさっぱり分からない僕にとって、一層不安になる言葉でしかないってことだけ。

 だからこそ、ここを離れるなってことなんだろうけども、僕にだって出来ることは他にもある筈なんだ。だから僕は唇を強く噛み締めて言った。

 

「でも、それでも僕は……僕にだって出来ることが何かある筈です! 僕にしか出来ないこと、ある筈なんだ!」

「そーくん、これは──」

「別に不幸になったって良い! 他の皆が辛い思いをするのは嫌だ!」

 

 束さんの言葉さえ遮って僕は言う。我が儘だって言われてもいい、思い上がるなと言われても仕方ない。でも、脳裏に自然とフラッシュバックする光景に僕は堪えられなくなる。

 束さんの服の裾を掴んだまま僕は、膝から崩れ落ちてしまう。

 

「もう、悪夢を見るのは嫌だ……誰かの悲鳴を聴くのは怖いよ……誰かが居なくなるなんて堪えられないよ!」

 

 何度も焚き付けられる僕に残された、ほんの僅かな“記憶”。それらが僕を突き動かした。

 黒髪の少女が血塗れになりながら僕に手を伸ばす姿。親しかったらしい女性が悲しみに暮れる姿。嫌という程に焼き付く歪んだ笑み。それらが僕を追い詰める。

 一ヶ月、何も出来なかったわけじゃない。ポツリポツリと断片的に思い出したんだ。……()()()()()()()()()()()。それが一つのパズルのように繋がって、一つの光景になって、それが僕に悪夢を見せた。──だから、

 

「お願い束さん……僕に、飛ぶ力を……束さんと一緒に戦える力を……ください」

 

 声を振り絞って吐き出すように漏らす。床に跪いて、こんなに惨めになるなんて初めてだ。

 ここまで無力なのが逆に辛い。胸の奥底で誰かがこんな思いをしながら戦ってるのかと、(したた)かに感じることができた。それが誰なのかは分からないけれど、きっと僕にとって大事な人なんだろうと思う。

 頭を項垂れ、涙を流し、跪く僕の願いに、束さんは一瞬躊躇いを見せながらも最後にはコクンと小さく頷いてくれた。

 

「……そこまで言うのなら、私は止めはしないよ。そーくんが自分で決めたことだもんね。だったらできる限りのことはしなくちゃね!」

 

 一拍置いては、いつにも増して真剣な顔立ちでそう言って、僕の手を掴んでは研究室へと踵を返した。

 連れて来られた研究室は、さっきまでガラクタの山と形容するべき場所だったのが、いつの間にか片付けられていて見違える程に整理整頓されていた。それこそ「さっきの轟音はなんだったんだろう」って言いたくなるぐらい。

 疑問符を浮かべる僕を余所に、束さんは中央のデスクに僕を連れていき、特殊な形状をした、近未来的な椅子に座らせられる。その不思議な形状と僕が座っても有り余るスペースに驚いていると、カシャンと音を立てて僕の両手首・両足首が拘束された。

 不安げに束さんの方を見るけど、ニッコリと笑みを浮かべているだけだ。

 

「……な、何をするんですかぁ……」

「知っての通り、ISは女性にしか扱えないことはとーぜん、知ってるよね?」

「はい……」

 

 I()S()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。最早自然の摂理の一部とも言える程、現代では常識となったこと。男には到底かつ絶対に扱えない代物。

 それをリピートするように思い起こすと、束さんはニンマリと笑って、両手に八本ものメスを構えては奇妙な笑い声を上げた。僕はそれに身の毛が弥立つ感覚と共に震え声で聞いてみる。

 

「……お、女になれとっ?」

「まー、まー、真に受けないでよそーくん。怯える顔もステキだけど、目的はそうではないのだよ」

 

 束さんは指に挟んだメスを周囲に放り投げるかのように散撒(ばらま)いてから、ズズイッと顔を迫らせる。その迫真な様子に堪らず頬を引き攣らせる。

 

「必要なのはそーくんのデータなのだ! ……だから体の隅から隅までじっくりとっくり見て上げるから、覚悟してね☆」

 

 とっくりは関係ないと思います。あと、ウインクしながらそんな末恐ろしいこと言わないでください。以上、心の中の愚痴でした。

 そんなわけで、というわけじゃないけれど、体の各所にどこからともなく現れた注射器を射たれ、勝手に採血される。数秒もしない内に、気が付いたら採血が終わっていて、驚く間もなくあっさり解放されていた。

 

「えぇっと……これでお仕舞いですか?」

「採取した血液から遺伝子情報を確かめて、その遺伝子情報を基にあらかじめ偽装プログラムを作って、ISにそーくんの性別を誤認させるんだよ~♪」

 

 得意気に語る束さんは、とっても楽しそうで、とっても悲しそうに見えた。僕はそれに気付きながらも、感心したように振る舞う。

 

「そんなことも出来るんですね、流石は束さんです」

「ねぇそーくん、もっとも~っと褒めても良いんだよ? ほらほら、遠慮せずに~」

「それじゃあ僕は昼食の準備をしたいのでそろそろ……」

 

 遠慮するように立ち去ろうとすると、背後から泣き付くかの如く抱き付かれる。

 

「ごめんなさいごめんなさい寂しいだけなんです一人にしないでくださいウサギは一人になったら寂しくて死んじゃうんだぞぉ~!」

「大丈夫です、束さんは人間ですから。寂しくなっても死にません」

「そーくんのい~け~ず~!!」

 

 うぅ、採血のお陰で若干貧血気味になったかも……。

 ふらふらと千鳥足で適当に束さんをあしらってから、僕は言葉の通りに昼食の準備に向かうことにした。お昼ご飯は何にしようかなぁ。

 

 

 

 

 

 

■ ■ ■

 

 

 

 

 

 

 午後三時、所謂おやつ時というやつかな。小腹が空いてくる頃合いでもあり、少々眠くなってくる頃合いでもある。

 僕はと言えば悠々自適にネットサーフィンでもしながら、のびのびと時間を費やしていた。束さんは開発室という場所でまたしてもISを開発しているのだとか。今回は()()に有人ISを作るらしく、何故かは分からないけれど、束さん本人も躍起になって取りかかっている。

 

「むぅ……コーヒーでも淹れようかな」

 

 気になった情報(ニュース)を見て回っていると、やっぱり日本は平和ボケしてるな、と思いつつある。そんな平和且つ平凡なニュースを見ていても欠伸が出るだけで、僕は眠気覚ましにとコーヒーを淹れることにしたわけだ。

 そうやってコーヒー豆を挽きながら再びタブレットPCの画面に目線を落とすと、三ヶ国合同軍事演習なんていうものが開催される、と言うニュースが目に入った。

 

「イギリス、フランス、ドイツの第三世代型IS稼働運用テスト……」

 

 丁度一ヶ月後と言う、面白可笑しな日付だ。場所はフランスの西側、ブルターニュ半島。恐らく欧州連合(European Union)こと通称『EU』が発表する統合防衛計画『イグニッション・プラン』に提出する機体のためのテストなんだろう。……ってあれ、何でそんなことを僕が知ってるんだ? 何処かで聞いたのかな。いやいやそんな筈は──。

 

「あ、コーヒー」

 

 そういえば淹れてる途中だったのを思い出し、慌ててキッチンへと戻る。

 改めてコーヒーを淹れてから、先程目にした『三ヶ国合同軍事演習』とやらについて、改めて探りを入れてみることにしようか。物は試しにとフランス軍のデータバンクにハッキングしてアクセスを試みる。束さんのハッキングツールがあるので、わざわざバックドアを仕掛けてなくとも簡単に侵入できるのは非常に楽だ。その分、自分のハッキング能力は大して高くはないと公言しているようなものなのだけど。

 やはり目的はISの運用試験だとして、通常の軍隊まで演習に加わるとは何事だろうか。通常兵器ではISに損害を与えられないのは確かなのに。通常兵器との連携運用であれば納得はいくが、仮想敵として連合傘下の同盟国を選ぶのは如何なものか。

 

「まぁ、気に留めておくだけで良いかな」

 

 取り敢えずは、という感じでタブレットPCのファイル内にその資料をコピーした後に保存しておく。ハックした痕跡もご丁寧に消して、と。

 僕はその作業を終えてから、コーヒーの中に砂糖を山盛り二杯程放り込んで、暖かい内にかき混ぜてはちびちびと飲む。

 

「僕のIS、か。本当に男の僕でも扱えるのかな。束さんは何も心配するななんて言ってたけど……いいや、束さんを信じないでどうするんだよ僕」

 

 首をぶんぶんと横に振り、目の前のコーヒーに視線を落とす。

 所詮は凡人の絵空事でしかないことを、無理言ってやってもらってるんだから、何があっても文句は何も言えない。乗れなかった時はその時で、他のことで束さんを全力でサポートすれば良いんだ。……僕にできることなんて、たかが知れてるけど。

 

「ま、やれるだけやってみるしかないよね」

 

 そう納得付けて、僕はコーヒーを一気に飲み干す。コーヒーは酷く甘い味がした。


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