IS〈インフィニット・ストラトス〉~天駆ける空色の燕~   作:狐草つきみ

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第1話 幼き少年と、天才

 

 

 

 少年が目覚めてから早くも三日が経つ。

 当の少年はまだまだ足取りこそふらつきながらも、松葉杖を持たずに歩ける程度までには回復していた。それでも壁伝いでなければ、あっという間によろけて倒れてしまうのだが。

 それは同時に側で見ていた束にとって、興味を惹かれるものが増えたということに他ならないのと同義。

 たったの数日で日常生活に支障が出ない限りに行動できるようになるというのは、並みの人間の回復力では到底不可能──というよりまず無理だ。体内に自己再生を極端に促すナノマシンでも入っていれば、また話は別なのだが。

 当然のようにそれを理解している束は、自然とそこに興味を持つ。細胞レベルまで分解して調べたいのはやまやまだが、流石に子供相手にそんなことを仕出かす程、束もイカれた科学者(マッドサイエンティスト)ではない。

 とは言え、健康診断と称した検査などで粗方調べ尽くしてはいるので、彼女に知らないことなんて殆んどなかった。

 

「そう言えば君さ、名前何て言うの? ……私は名乗りはしたけども、君の名前は聞いてなかったよね」

「僕、ですか?」

 

 当たり前とも呼べる素朴な疑問を束が少年に吹っ掛けると、まだこの場所の異様な雰囲気に慣れないのか、少年は消え入りそうなか細く小さな声で言った。それを平然と聞き取れた束は「うん」と頷く。

 束にとっては既に少年の本名を知っているため、今さら名前を聞こうが聞かまいが関係のないことなのだが、それは一旦置いておくとする。要は会話の種が欲しいだけである。

 少年は束のその質問に数秒程悩み込んだ後、天井を見上げながら呟いた。

 

「僕は……その、名前は……考えても分かんなくて……」

「うーん、そっか。まあ、無理して言う必要も考える必要もないから。それに、この束さんに掛かれば君の本名を知ることぐらい、雑作もないからネ☆」

 

 俯いて黙ってしまう少年に対し、束は有り余る胸を張りながら豪語する。ここで「なら何故聞いた」とツッコムのは無粋である。しかも、これが事実なのだから余計に質が悪い。というか既に知っているのだから殊更だ。

 ただ、それを知るよしもない少年は気にも止めず、寧ろ自分の名前と聞かれてふと浮かんだ名前に疑問を持っていた。

 

「(僕は……ソラ……?)」

 

 フラッシュバックする光景の中で、傍らに居た少女が呼んだ名前。それが自分自身の名なのか、はたまた別の人物の名なのか、今の少年には疑問でしかなかった。記憶が欠落した、今の少年には。

 

「君どうかしたの? 束さんがハグハグしてあげよっか」

「あ、その、いえ、大丈夫、です。……それよりも束さん、忙しいとか、言ってませんでした?」

 

 焦った少年の話を逸らすような言葉で、束はふと思い出す。

 

「ああ、あぁ! すっかり忘れてたよ~。早速取り掛からねば!」

 

 そう言っては、意外にもあっさりとその場から立ち去っていった。彼女が果たして何をしているのか、少年にはこれっぽっちも分からないが、あの世紀の大天才が「忙しい」と言う程の大きなことなのだろうと、少年はそう安直に想像した。

 しかし、現実と想像は大概が大きく掛け離れているもので、束は「忙しい」などと口先では言ってこそいるが、別に大した意味もないし大したことでもない。ただ単にそう言っていなければ呆れ返る程に()()()()だ。

 その乖離した事実をただの少年が一切知ることはなく、ただのんびりと雲が流れていくように、時間もまたのんびりと刻んでいった。この時の流れをゆっくり感じるも、速く感じるもそれは人それぞれだが、今の状態は前者が当て嵌まる。少年は不思議と何もせずに時間が経つことには慣れてしまっているみたいだが、この雰囲気では慣れるものも慣れないもの。見た目とは裏腹に、かなり気を張っていた。

 

「僕、どうなるんだろう」

 

 自分に割り当てられた部屋に戻り、ベッドの上で体育座りのまま、気を紛らわすようにぽっと出の考えに思考を移す。因みに少年のベッドは束お手製のベッドであり、身体への負担が掛からない謎技術のマットレスと、殆んど重みを感じさせない謎素材の掛け布団となっている。お陰様で寝ていても負担にはならないようになっている。

 自分自身についてを一切合切思い出せない現状、篠ノ之束というこの世を変革させた天災の傍に居るしかない。それしか、今の少年には生き延びる道はない。

 

「(──でも、例え、ここで生き延びたとして、その後はどうするんだろう?)」

 

 そんな疑問が少年の頭に渦巻いた。名前も思い出せないのなら、自分の身分すら分からない。完璧な記憶喪失というわけでは無いのが余計に質が悪いものの、自分のことだけ分からないというのは、中々にもどかしくて微妙なところだ。

 少年は頭を膝の間に埋もれさせ、光の差すことのない自分の心に籠った。

 

 

 

 それから何時間が経過したのだろう。この部屋──いや、この孤島の何処にも時計というものは無いに等しく、唯一把握できるのは太陽、又は月の角度、もしくは自身の体内時計からぐらいだろう。

 一応、少年の居る部屋にも窓はあるが、少年にそこまでの知識はない。ましてや体内時計などもっての他である。そんな些細なことにも目もくれず、少年は体育座りのままさらに丸くなる。

 ふと、暗がりへと変わりつつある部屋の戸が、前触れもなく開け放たれた。それをするのはこの場において少年を除けばただ一人、束だけだ。束はその手に二つのトレーを持って、少年の傍らに駆け寄った。

 

「ねぇねぇ、いちいち“君”じゃあ呼び辛いから“ソラ”って呼んでも良い? 良いよね?」

 

 トレーを傍らのテーブルに置き、ベッドの上で四つん這いになって有無を言わさずに少年へと迫り尋ねる。それに対して少年は、動揺を隠しながらも僅かに首を縦に振る。

 

「やったー! 君の名前はこれから“ソラ”だよ! ふっふっふ~、束さんの助手さん一号だね♪」

「えっ?」

 

 だが次の言葉から流石に動揺を隠しきれずに、束の口から出た言葉に少年は顔を束に向けた。その顔には驚きの相が見え、それに対して束はしてやったりとニッコリ笑うのみ。

 名前が先程頭の中を(よぎ)ったものだったのは兎も角、彼女の口から「助手」という単語が聴こえたのは気の所為だろうか。少年は一瞬にして頭が真っ白になり、混乱して思考がこんがらがってしまう。

 

「 ぼ、ぼぼぼ僕が、束さんの助手!?」

 

 突然な束の言葉に動揺して思いっきり後退る。何度も目をパチクリと瞬きさせるが、視界は一向に変わらない。現実は非情である。

 天才でもなければ知識もない。ISに関しての実技や座学など経験がある筈もない。ましてや男である。そんな自分を助手に仕立てあげてどうするつもりなのか。

 少年の頭には尽きぬ疑問が、湯水のごとくぽんぽんと浮かび上がっていった。取り敢えずは落ち着こうと深呼吸を繰り返し、落ち着いたと思ったところで深呼吸をやめる。そんな時に、束が体勢はそのままに上目遣いで見上げてきた。

 

「…………嫌?」

「あ、えっと、その……僕、ISなんて全く知らないし、男だから……」

 

 たじろぎながら視線を左右に泳がせる少年に、束は面と食らったかのようにキョトンとした面持ちになる。そして今度は前触れもなく唐突に笑いだした。

 

「あははははは! なんだ、そんなこと心配してたのかー! 大丈夫大丈夫、束さんはそんなちっぽけなことは気にしないよ? 料理とかしてくれれば良いから、サ♪」

「……本当に、本当にここに居て良いんですか?」

「当たり前田のクラッカーだよそーくん!」

 

 死語辞典なんてものがあれば最初に来そうな言葉に、少年は疑問に思うものの考えるのを止める。考えてはいけない気がする、そう直感が告げたからだ。

 こうして少年──ソラは、篠ノ之束の住むこの孤島に厄介になった。自分が何なのかを知るために、自分はどうするべきかを導き出すために。

 

 

 

 

 

 

■ ■ ■

 

 

 

 

 

 

 束さんと生活し始めて、そろそろ一週間が経つ頃合いだろうか。その時点で束さんについて分かったことは、相当生活面がズボラだったってことだ。

 家事一般は人並みにできるみたいだが、わざとそれをしようとしないみたい。そこでなし崩し的に僕が家事をこなすしかなく、見たこともやったこともない家事を僕がやるしかないわけだ。

 まさか生まれて始めて、この歳で家事をするとは思わなかった。他に僕が出来そうなことも無いし、これをやるしかないのだから、手探りだけど一生懸命やってみよう。七転び八起き、失敗は成功の基……挫けずやろう。

 

「えっと、食器洗いはさっき済ませたし、洗濯物も乾かしてるし……掃除は束さんの部屋以外やっちゃったし……」

 

 あれ、存外やることがない。夕飯の下拵え、とか言っても別段時間を掛けるものもないから、本当にやることがない。

 暇を持て余すように暇にならないことを考えていると、背後からどつかれるように抱き付かれては、後頭部に柔らかいものが当たる。

 

「そーくん、そーくん! IS完成したよ!」

「……僕が乗れもしないのに、束さんが乗るわけでもないのに何で作ったんですか?」

 

 ぴょんぴょんと跳び跳ねる束さんの胸が僕の頭の上で打ち付けられるようにバウンドしていることに、ある種の苛立ちを感じつつもそう言うと束さんは面白くなさそうな顔をして僕をさらに抱き締める。

 

「そーくんは面白くないな~。……ヌルフフフフ、ズバリ! これから始めることの下準備なのだよ!」

 

 人差し指を明後日の方向へ突き刺して(のたま)う束さんに、僕はうんざりしながら尋ねた。

 

「これから始めること、ですか?」

「うん、害虫を駆除するんだ♪ ……いっくんを、そしてそーくんにまで手を出した愚図共を、それはもう面白可笑しく滅茶苦茶にしてやるのさ」

 

 束さんの顔を見上げるように覗きこむと、まるで目の敵にするような歪んだ顔で、目の下の隈も相まって相当恨んでいるようにも見えた。……そう言えば、一人は兎も角、何で僕も含まれるのだろう。

 

「──ああそうそう、そーくんも見てみたいでしょ? 私の作ったお人形(IS)を」

 

 歪んだ顔から一転、にこやかに微笑んだ束さんの言葉に僕は静かに頷き、いきなりお姫様抱っこされて格納庫へと連れていかれた。そこからは一瞬だ。

 気が付いたらいつの間にか、冷たく、金属の臭いが鼻に付く格納庫へとやって来ていた僕ら。そこには一枚の布が被せられたハンガーが置いてあった。何故かそこだけ照明が照らされてて、目の前まで来たと同時に、僕は束さんの腕から解放される。

 そのまま自慢気に僕の前へ躍り出た束さんは、胸の下で腕を組ながら仁王立ちした。ライトの位置と相まって中々に格好いいポーズに見える。ただし、目のやり場に困るけど。

 見た目はふわふわしたメルヘンチックな格好なのに、威圧感も感じるのはどうも不思議に思う。やがて口角をつり上げ、待ちに待ったと言わんばかりに束さんが口を開いた。

 

「じゃじゃーん! これが世界初、史上初の()()()()()()インフィニット・ストラトス“プロト・ゴーレム”なのだー!!」

 

 右人差し指を天に向けてそう叫んだ束さんの動きに合わせて、背後の布がばさりと後ろに引かれる。

 勢いよく布の中から現れたのは、鈍い鉛色の装甲を纏った三メートルは越すだろう人型の機械。その圧巻の一言に尽きる存在感を遺憾なく発揮しながら、それは束さんの後ろに鎮座していた。

 おもむろに僕はそれに近付いて、そっとその装甲に触れる。冷たく返される感触(へんじ)は懐かしくも、初めてのように感じた。

 

「これが…………“プロト・ゴーレム”」

 

 ぽつりと呟いた一言が格納庫いっぱいに広がり、反響して音の尾(エコー)を響かせる。

 するといつの間にか僕の後ろへと立っていた束さんが、僕を再び後ろから抱き締めてクスクスと笑う。疑問符を浮かべた僕は束さんに身を任せて、目の前のゴーレムを見つめつつ唇を尖らせた。

 

「何が可笑しいんですか」

「いや、そーくんって面白い反応をするなぁ~ってね♪」

「理解に苦しみます」

 

 何が面白いのか、束さんの思考やツボはいまいち分からない節がある。……でも、嫌いじゃない、かな。時々怖い表情もするけど、基本的に優しい人だし。

 そんな僕の考えもお見通しなのか、少しきつめに抱き締めながらも、束さんは僕に頬擦りしてくる。

 

「もう、そーくんは素直じゃないなぁ! 束さんは嬉しいし、悲しいぞ~!」

「わっ! やめてくださいっ、擽ったいですよお!?」

 

 雪崩れ込むように倒れて、束さんは上機嫌な顔をして、僕は(しか)めっ面を見せる。天才の束さんとその助手にされた僕のこれからの生活は、なんとも波乱な日常になりそうだ。

 

 

 


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