名持ちの大精霊ウェルサは、既存の属性に当てはまらない
彼女は数千年前、星王竜ヴェルダナーヴァによって創られた。
彼の属性の一部を引き継いでいるウェルサは、その恩恵か自力で現界することが可能だった。
契約に縛られることなく、自由に世界を放浪する日々。
色々な景色、色々な生命を眺めたが、特に気に入っていたのは人間という生命体だ。
ぽこぽこと雨後の筍のように生まれては、広大な大地をちょこまかと動き回り、時には寄り集まって国を作り、数十年や数百年もすれば国ごと大地に還る。
精霊と人間の価値観や感覚は異なるが、しいて人間らしく例えるならば、勝手に配置の変わる箱庭を見ているような。
そんな風に人間を眺めて、そして好いていた。
……人間が好きだ。
自らの創造主たるヴェルダナーヴァが好きだから、なんとなく、ウェルサもそう思っていた。
ある時、ウェルサは争う二つの国を見つけた。
痩せこけた土壌の上に根を張り、見掛けだけは仲良さげに並び合うその二つは、お互いの土地の奪い合いをしているらしかった。
あっちの国のどこそこで作物が育つらしいから奪いに行こうだとか、倉庫を打ち壊すだとか。精神生命体故に食事の必要がないウェルサには、人間たちが争う理由が分からなかった。
ただ、同じ姿形をした者たちが互いに傷つけ合うのは悲しいことだと思った。
精霊の間に争い事はない。世界のどこかで喚ぶ声に、気が向いたら応じて行く。そうでなければ、ただ虚無をさまよう。
もし、精霊が互いに争うようになったら……嫌だな、と感じた。
醜くて、とても耐えられないことだと思った。
何となく気になって、ウェルサはしばらくの間その国々を眺めていた。
すると、いつしかそのことに気がついた人間たちが、ウェルサに助けを求めてきた。
それぞれの国に自分たちに味方するよう願われたウェルサは、いったいどうしたらいいのかが分からなかった。
人間を助けるのは、別にいい。
創造主たるヴェルダナーヴァも、過度な干渉でなければ許してくれるだろう。
けれど、どちらの国も自分たちが正しいと言って決して譲らないし、果てには「大精霊様があの国を滅ぼしてくだされば……」だなんて言い出す始末。
たしかに、片方の国を滅ぼしてしまえば、その国の資源を得て、もう片方の国は豊かになる。
でも、国ひとつ滅ぼすなんて絶対にヴェルダナーヴァに怒られるし、それ以上に悲しませてしまう。そんなのは嫌だ。
あと……なんとなく、滅ぼされる側の人間たちが可哀想だし。
しつこい人間たちに返事をせっつかれる。
考え直すよう告げるが、そこをなんとか!と言ってすがってくる。
基本的にウェルサは人間が好きだから、しつこくてうざったいからなんて理由で殺してしまうことはない。なぜなら創造主たるヴェルダナーヴァがそう在れと望むからだ。
けれど、ウェルサが仮の住まいとしていた洞窟で、運悪くかち合ってしまった両国の使者がその場で醜く争いを始めた、その時だけは。
……少しだけ、叩き潰してしまおうか、だなんて考えた。
剣戟の音。血の臭い。てんで噛み合わない憎しみだけの叫び。
__ああもう、めんどうくさいなあ。
権能を解放して、どの人間もまとめて地面に叩きつけてやろうと片腕を振りかざした、まさにその時。
「争いをやめなさい」
「ッ! せ、聖女様!?」
「何故このような所に……!?」
凛とした声が響いて、それだけで人間たちは武器を投げ捨てて平伏した。
ウェルサはまだ、なにもしていない。
解放しかけていた力を一旦収めて、ウェルサはいつの間にか洞窟にやって来たらしい女性を眺める。
……美しい、と感じた。
神聖さの極み。いっそ神々しくすらあるそのオーラ。
そして何より、光輝くようなうつくしい魂が、ウェルサの心を惹き付けた。
当然、ただの人間ではない。
彼女は『聖人』だった。
ウェルサはそのとき初めて知ったが、彼女は数百年程前から人々を救い導いている尊い聖女らしい。
その威光はこのような辺境にまで及んでいて、だからたったの一言で醜く争う人間たちを平伏させた。
人間たちが懺悔するように吐き出した事のあらましを聞いて、聖女はウェルサに歩み寄る。
「ウェルサ。貴方のことは我が友ヴェルダナーヴァより聞いています。……このような人間の諍いに巻き込んでしまってごめんなさい」
「! いいの、だってわたし、人間が好きだもの。あなたが収めるのなら、赦してあげる」
争いで傷ついた人間たちを癒した聖女は、何やら彼らに吹き込んで自国に帰らせた。
なんと説いたのかは分からないが、その後ぴたりと両国間の戦争は止んだので、ウェルサはそれで良しとした。
そんなことより気になるのは、ヴェルダナーヴァの友人だという聖女のことだ。
百数十年前。途方もない善行と修行の果てに聖人へと進化した彼女のもとにヴェルダナーヴァが現れて、意気投合したのだという。
「あのひとって、とんでもない完璧主義者よね。私もその気があるから分かるわ。だから“調停者”として彼に協力することにしたの」
ここへ来たのもその一環なのよ。と聖女は微笑んだ。
まるで、何千年も昔からこの世界に存在して、世界の存続と調和を守ってきたかのような、うつくしい存在だった。
……なんだか、ずるい。と感じた。
ウェルサは思う。
この聖女が来なければ、きっと自分は使者たちを傷つけていただろう。もっと言えば、戦争を終わらせることもできなかっただろう。
それはきっと、人間が好きだと言いながらも、その実なにも真剣に見ていなかった自分の無関心さのせいだ。
人間の気持ちだなんて、今まで考えたことがなかった。そもそも、こんな風に人間と向かい合って話をしたことすらほとんどなかった。
自由意思を持つ、自分と同等になりうる生き物であると、全くもって認めていなかった。
良くて愛玩動物、あるいはただのお人形。その程度にしか思っていなかった。
ただ、創造主が愛しているから。気にかけているから。
人間を好きだと思うのは、それだけの空疎な理由だったと、今更ながら気がついた。
……じゃあ、生まれてから今までずっと、わたしが抱いてきた、人間が好きだっていう気持ちは、いったいどうしたらいいのかな?
全部偽物だったって、捨ててしまうしかないの?
曲がりなりにも大切にしてきた想いなのに?
「それは、これからのあなた次第でしょうね。知らなかったのなら、理解できていなかったのなら、そしてそれらを悔やむのならば、今からでもきちんと見ていけばいいじゃない。そうすればきっと、あなたの想いは本物になる」
「………………そっかぁ」
これから。……そうか、これからか。
再び世界を旅して、新しい視線で物事を見ていくのなら。
わたしは、この聖女の隣に在りたい。
__この私が認めた、最初の人間が! パートナーであってほしい!
だってわたしは精霊だから。今まで
そう心を決めたウェルサは聖女の細腕にすがりついた。
「ねえ、あなた。あなたは聖女で、調停者で……なら、これからも世界を巡る旅をするのでしょう?」
「ええ。そのつもりだけれど……」
「じゃあ、その旅にわたしも連れていきなさい! ……ううん、つれていって? わたし、もっと色々なものを見たいし、知りたいし、理解したい。あなたの傍でなら、きっとわたしは答えを見つけられる気がする……!」
「……そう。じゃあ一緒にいらっしゃい。果ての見えない難儀な旅だけれど、それでも良いのなら」
「ええ、もちろん! わたしはウェルサ。あなたの友人で、家族で……かならず傍に在る、あなたの半身よ」
精霊の親愛って重たいなぁ……という聖女のぼやきは当然のようにスルーして、ウェルサは新しく生まれ変わったかのような気持ちでにっこりと微笑んだ。
その後。聖女と精霊は世界を巡った。
誰かを助けたり、時には諭したり。たまに戦ったり。
多くの人々に感謝されたし、きっと同じくらい多くの人々に恨まれただろう。光があれば影もあるのと同様、それは避けられないことだ。光が強ければ強いほど、影もまた濃くなってゆくのだから。
それでも聖女は歩みを止めない。救うことを決してやめようとしないし、何よりも諦めることを嫌っていた。
はじめて会った時こそ、聖女をこれ以上なくうつくしい存在だと感じたウェルサだったが、共に生きていくうちに徐々に考え直した。
__この聖女、案外普通の人間だな? と。
いや、普通というより……自身が当たり前であると思うことを当たり前にしていたら、いつの間にか聖人になっていた。そんな感じだ。
そこには崇高な理念も理想もなく。
ただ、一人歩きした偶像を、求められているからという理由だけで演じてみせている。
なんというか、疲れそうな……そして何より面倒くさそうな生き方だ。
本当は、普通でいたいくせに。他に該当者がいないのだから仕方がないと、聖女として振る舞う寂しがりなひと。お莫迦さん。
しかし、嫌いになれない。むしろ好ましいとさえ感じた。
「ねえ、あなたって、ヒトを救いたくて救いたくて仕方がないから聖女やってるんじゃないよね? だったら、聖人じゃなくて勇者になっているはずだもの。……じゃあ、こんなことしてて楽しいの?」
「ん? うーん。それなりに楽しいよ? 誰かが苦しんだり悲しんだりしているより、笑ったり喜んだりしている方が良いでしょ。というか、そういう顔の方が、私が見ていて楽しいし、好きだし、守りたいと思う。私には世界の様々な存在を救えるだけの力がある。力ある者が力なき者を庇護するのは当然のことでしょ。あと、ヴェルダナーヴァと約束したからね。世界のため、ひいては私のために、私は色々なものを救ってるの。だから、結構楽しんでるよ」
「ふーん。わたし知ってる。そういうのって『お人好し』っていうんでしょう?」
「んん? さっきの台詞をどう解釈したらそうなるの。完全に自分勝手じゃない」
誰かの笑っている顔が好きだなんて、それを守りたいから
……なんて言ったって、きっとこの聖女は聞き入れないだろうから、ウェルサはそっと言葉を仕舞い込んだ。
「自分勝手なだけじゃなく、魔王討伐を勇者に丸投げした臆病者でもあるし。強者と対峙してまず思うのは、どうしたら生きてこの場を切り抜けられるか? だし……本当、どうして私が聖女なのかなぁ。私よりルシアの方がよっぽど聖女様らしくない?」
「んーまあ、あの子もいい線いってるよね。ヴェルダナーヴァもすっごく気に入ってるみたいだし。ただ、兄であるルドラがあんまりにも我の強い勇者だから相対的に、ね。あと、あなたのいう魔王ってあの赤い悪魔でしょう? あいつ魔王だけどそれ以前に同じ調停者じゃん。あいつは魔物側から、あなたは人間側から世界を見守っていこうってこの間話してたじゃない」
あれは何年前だったか。自らもまた調停者なのだと、赤い悪魔が協定を結びに来たのは。
初めこそ魔王の襲撃だと勘違いしたウェルサが真っ先に『重力砲』を放って流れのままに戦闘が始まってしまったが……そして悪魔が勘違いを正すでもなく愉しげに応戦してきたせいで一昼夜戦い続けることになってしまったが、その後はきちんと和解(?)して話し合った。
彼は人類共通の敵である魔王として君臨し、人々が傲ることのないよう脅威を与える。
そして聖女は人類の希望として迷える人々を救済し、正しい方向へ導く。
いわば飴と鞭。あるいはマッチポンプ。
聖人のやることじゃないのでは? とウェルサは思わなくもなかったが、わりと手段を選ばない聖女は躊躇なく悪魔の手を取った。
精霊ゆえに、悪魔とは反りが合わないけれど……聖女が認めたのなら。とウェルサも悪魔を認めることにした。それでもやはり時々滅したくなったが。
聖女がスキルと魔法だけでなく、格闘技に手を出し始めたのも悪魔と出会った頃だった筈だ。
なんでも、聖人ゆえに身に纏うオーラが破邪の性質を帯びていて、相手によっては魔法やスキルを使うより手っ取り早いからだとかなんとか。
主に、稀に冗談混じりで口説いてくる悪魔をあしらうために使用していた。同等の力を持つため少しぴりっとくる静電気程度にか感じていないようだったが、のちにウェルサがヴェルザードと一緒に怒っておいたので問題はない。
「ルドラとあの悪魔、気が合うと思うんだ。どっちも偉そうだし我が強いから。きっとその内仲良くなってるでしょう」
事実、その通りになった。
名無しの悪魔は魔王ギィ・クリムゾンとなり、魔王ギィと勇者ルドラは幾度となく勝負を行い、そして……とあるゲームを始めた。
ルドラの理想については、聖女とウェルサも聞いていた。
人間は一つに纏まることができる。それ以外とだって、仲良くなれる。
人が増長するのなら、軍事力や文明のみを破壊する。
そうして、世界を統一して、理想的な世界を築いてみせるのだと、勇者は言っていた。
とても素敵な理想ね。と呟いた聖女に、勇者は協力を頼んだが……聖女はそれを断った。
そのような理想を……夢物語を叶えるだなんて、いくら勇者にもできるはずがないと、そこまでの夢はみられないと言った。
聖女は勇者の理想を尊いものだと肯定しつつも、今ある現実から目を背けられなかった。ただそれだけの話だった。
「私は……そのゲームには参加しない。私はただ聖人として、調停者としての責務を果たし続ける。今のまま、勇者と魔王、その間に立つ中立の存在でいさせてもらうわ」
「そうかよ。ま、お前ならそう言うと思ってたぜ。オレはオレの好きにするし、お前もそうすればいいさ」
「ええ、もちろん。……いつか決着がついたら、その時は私に言いなさい。仲裁するのが私の使命なのだから」
それから。聖女は彼に言った通り調停者として在り続けた。
生まれてすぐに親を亡くした友人の子を、つつがなく育てるための手筈を整えはしたが、あとは旅の途中に時たま会いに行く程度。
しかし、その子どもが育つ前に、聖女は死んだ。
創造主を失った世界の調和を保つために力を使いすぎたのか、あるいは悪意あるものに討ち滅ぼされてしまったのか……あまりにもショックだったせいで、ウェルサは事の次第を全く覚えていない。
自身の半身を失ったウェルサは、物質世界に留まることをやめて、精神世界を漂った。
怒りも湧かず、ただ空虚さだけが在った。寂しい、と感じたのは生まれてから初めてで、どう始末をつけていいのか分からなかった。
その頃はまだ精霊女王だったラミリスはウェルサのことを心配していたが、その気持ちに応える気力すら湧かなかった。
そうして数百年、いや数千年が経過したとき。
(__ひとりは嫌だ。誰かに傍にいてほしい。お互いに信頼しあえるような、理解しあえるような仲間がほしい……!)
「! __だったら、わたしが傍にいてあげる。ううん。あなたの傍にいるのは、わたしじゃなくちゃだめ!!」
懐かしい声に呼び寄せられて、ウェルサは再び現界する。
驚くラミリスを物ともせず押しのけて、数千年ぶりに笑顔を浮かべた。
「こんにちは、キキョウ! わたしウェルサ!」
初めまして、とは言わない。
たとえ彼女が覚えていなくとも、ウェルサは彼女のことを他の誰よりもよく知っているのだから。
人間が好きだ。けど、それ以上に……何よりも好きで大切なのは、長い時を共にしたただ一人。
彼女の傍に在ることができれば、ウェルサはずっと幸せであり、またそれが当然なのだ。
無人島の開拓をしたり転スラ8巻&8.5巻を読んだり魔法少女と戦ったりしていたら遅くなりました。
わりと後付け設定なので、矛盾点がありましたらこっそりと具体的に教えてほしいです。
12/3 加筆修正しました。