目の前に立つ、赤い髪の美丈夫。美しき悪魔。最古の魔王。この世界の最強の一角を担う者。
魔王ギィ・クリムゾン。
最も古き魔王であり、星王竜ヴェルダナーヴァや勇者ルドラを友とし、『調停者』として世界を見守る者。
悪魔らしく傲慢で冷酷だが、気に入った者や友人に対しては気を配ったり、殺したくないからと全力戦闘を避けたりする一面もある。そんな
……ああ、私はこいつを知っている。
初めて出会った筈であるのに、どこか懐かしさを覚えるのはなぜだろう?
分からない。意識を切り換える。今は生き残ることだけを考えろ。不興を買うな。かといって過度に媚びず下手にも出すぎず……そう、聖女として振る舞うんだ。それだけでいい。
さて。永き時を生きる悪魔が、たかだかここ
こんなところで何をって……どうせこうやって話しかけてくる前から私を観察してたんだろうし、帝国に向かってるってことぐらい彼も分かっているはず。
歴戦の魔王が分かりきったことをわざわざ問うとは思えないし……ということはつまり、帝国に向かう理由を問われている、のか?
……そんなの、ただ行ってみたいから。ってだけなんだけど……なんて返事をしたらいいんだ?
『思考加速』して色々と考えてみたが、妙案は浮かばない。
計略は得意じゃないんだ。そういうやり取りをしたいなら他を当たってほしい。例えばリムルとかね。ギィの究極能力を知ってからweb版の169話を読むとギィの惚けっぷりが笑えてくるから是非読み直してほしい。
結果、下手にひねらずにそのまま答えることにした。
「何をしているか、ですか。見た通り、帝国に向かっているのです。それが今の私の目的ですから」
「そうかよ。だと思ったぜ。……おい、オレが何を言いに来たのか分かっているよな?」
え? 何だろう。
世間話……って雰囲気ではないし、ひょっとして邪魔をしに来た……とか? でも何で?
聖女サマ、って呼び掛けてきたということは『求望の聖女』としての私の評判とか偉業とかを知っていてもおかしくはない。
そこから私の行動パターンを予測して、私が帝国に行っては自身にとって何かしらの不利益が出ると考えたとか? 全くありえない話でもないから悪魔って怖い。
東の帝国とギィと言ったら……皇帝ルドラとのゲームか。私が帝国に与すると思ったのか? たしかに私はそれなりの勢力、名声、実力を持つ聖人。もし帝国に与すれば、帝国の有する戦力はかなり増大することになるだろう。
それは皇帝ルドラと賭けをしているギィにとっては後々痛手となる可能性が高いから、こうして釘を刺しにきたのだろうか。わりと筋は通ってる気がする。
しかし……もしこの仮定が正しいのだとしたら、ギィはひとつ大きな勘違いをしていることになる。
だって私、帝国に与する気なんて欠片もないもん。
今までふらふらと大陸中をほっつき回って、自由気ままに旅をしてきたのに、今さらひとに仕えるとか定職につくとか無理だってば。というか嫌だ。面倒くさい。
私はただ、私と私の配下たちが安らかに暮らすことのできる場所を探しているだけ。帝国に向かっているのはちょっとした縁を感じたからで、つまりは思いつきの寄り道だ。
だからまあ、別にここで引き返したっていいんだけどさ。
それはちょっと釈然としないというか……面白くないよね。
だってさ、私は仮にも世界に認められた聖人で、求望されていた聖女で、人々の希望の象徴なんだ。
そんな私が、ちょっと魔王に凄まれたからって往く道を変えるだなんて、人々に示しがつかないでしょう。
……それに、唯々諾々として生きるより、自由奔放に振る舞う方が私らしいしね。
他人に流されるまま、自分で生きていない人生に、一体どれほどの価値がある? 答えはひとによるだろうが、私はそんな人生真っ平御免だ。
自らの望みを捨て、手の届きそうもないもの何もかもを諦めて生きられるような性格だったら、聖女になんてなってない。私は諦めが悪い上に強欲なのだ。
意を決して長杖を握りしめると、大切な相棒の声がした。
(うん。それでこそあなた、だよね。ふふふ……もちろんわたしも闘うよ、キキョウ!)
ああ、ありがとうウェルサ。とても心強い。
最古の魔王相手にどれだけやれるかは未知数だけど……負ける気は、しない……!
いささか無謀なのは承知の上で『聖女覇気』を放つ。
瞬間、青く荘厳なオーラに包まれる。
魔を祓い希望を知らしめる聖なる気。聖女たる私を慕う人々の想いの結晶だ。
「__邪魔を、するつもりなのですか?」
「!」
意志を込めて告げると、ギィはさぞかし面白そうに目を細める。身の危険をびりびりと感じるが、断固として目は逸らさない。
この私の邪魔をしたいというのなら、私を納得させてみせろ! もちろん物理でな!
この世界は弱肉強食。強者は君臨し、弱者はそれに従うのが定め。
であるならば……戦って勝った方が己が主張を押し通せばいい。当然のことだろう?
ちなみに『聖女覇気』というのは『魔王覇気』や『英雄覇気』と同系列のスキルで、そのあまりの神々しさに対象を畏れさせ動きを封じる効果を持つ。
抵抗力の低いものならこれだけで無条件に私に心酔してしまうので、ほとんど使わない いわゆる死にスキルである。
まあ、悪魔で魔王であるギィには大した効果はないだろうが。
破邪の性質が付与されているので、ちくちくする程度には感じているかもしれない。
びしっと長杖を突きつけると、ギィは笑った。
「やる気か? いいぜ、やはりお前はそうでなくちゃな……!」
(ふん。忌々しい悪魔め……お前だなんて気安く呼ばないで。とてつもなく不快だわ!)
ウェルサは依り代の水晶から出てくると、これまで聞いたことがないくらい不機嫌そうな声で吐き捨てた。
おや? まるで旧知のようなやり取り。もしかしてこのふたり、知り合いなのか?
『思念伝達』でウェルサに尋ねようか迷ったその瞬間、彼女はすでに次の行動に移っていた。
すなわち、先手必勝。大規模攻性魔法だ!
彼女の青い妖気がうねる。
解放されるは星の権能。周囲のことごとくを吸い込み破壊する禁術だ。どうやら手加減する気はゼロらしい。
(今日こそ滅してやるから覚悟なさい!
「__やめろ!! 帝国を灰塵に帰すつもりか!?」
「!?」
……ウェルサが魔法を放とうとした、まさにその時。
驚くべきことに、ギィと私たちの間に超高速で飛翔してきて割り入ってきた者がいた。
蒼い髪の美女の必死な叫びに、ウェルサはしぶしぶといった様子で放つ寸前だった魔法を無効化した。
え、だれ? 初めて見る顔だ。書籍の挿し絵でも漫画でも見たことはない。……はずだ。
……いや待て。この状況で現れそうな存在で、しかも蒼い髪の美女といったら……もしかして、灼熱竜ヴェルグリンドなのか!?
私の予測は正しかった。
今まさに戦いが始まるその瞬間に割り込まれて、ウェルサは不満げに蒼髪の美女を見やる。
(なぜ止めたの、ヴェルグリンド!)
「何故も何も、さっき言ったことが全てよ、大精霊。貴方たちがぶつかり合ったら帝国領の何割かが消し飛ぶ。それは困るのよ」
……たしかに。ここ、帝国領近くの森の中だし。しかも歩いて半日しかかからないようなところだ。
そんなところであんな魔法を使ったら……その上魔王と戦ったりなんてしたら、そりゃあ帝国領に被害が出る。
私は徒に周囲を蹂躙することはしないが、あのギィとぶつかり合ってなお周囲に気を配るほどの余裕なんてない。
ヴェルグリンドが止めてくれなかったら、大変なことになっていただろう。
(むぅ……でも、決闘の邪魔をするなんて不粋にも程が……)
「気持ちは分かるけれど、灼熱竜の言う通りよ、ウェルサ。今は抑えて」
(……分かったわ。あなたが言うなら仕方がないや。良いわ、此度は引きます)
不承不承ながらも私の言うことを聞いて、ウェルサは水晶の中に戻っていった。ほっと一息。
一方これといった動きを見せる前に止められてしまったギィはというと、さして不満げな様子もなくしれっとしていた。
……やはり、本気で戦う気はなかったようだ。
「悪いな、ヴェルグリンド。つい熱くなっちまったんだ。許せ!」
「全く……。一体何を考えているのよ? お互いに直接の手出しはしないというルールでしょう? よもや、ゲームを放棄するつもりじゃないでしょうね?」
「まさか! オレはただ聖女に会いに来ただけだ。今ルドラに対して直接どうこうするつもりはねーよ。聖女は中立の立場だからな、オレたちがここから立ち去れば、もう文句はないだろ?」
「……ええ」
「じゃあこれで手打ちだな。……行くぞ、聖女」
えっ。どこに?
咄嗟に尋ねるよりも前にギィの腕が伸びてきて、肩を抱かれる。疑問があまりの驚きに声にならずに消える。
続いて彼は転移門を開くと、こちらをじっと見つめていたヴェルグリンドにひらりと手を振って、門を潜った。
__いやいやいや待って待って、一体どこに連れていこうというの!?
転移は一瞬で済んだ。
まさか氷土の大陸じゃないだろうな……と突然のことに戦慄しつつ辺りを見回すと、意外なことに見知った景色だった。
魔王ミリムの支配領域の北端。私が配下たちを置いて帝国を目指し始めた出発地点だ。
これは、つまり……どういうことなんだ……?
「ギィ、これはいったい、」
(この悪魔がっ!!! 殺す!!!!)
「……ウェルサっ!?」
ちょっと、此度は引くんじゃなかったの!?
何やら激怒しているウェルサはくっついたままだった私たちの間にタックルで割り入って引き剥がし、辺りに転がっていた岩を重力操作で持ち上げてギィにぶつけ始める。もちろんギィは軽々と避けた。飛ぶ岩が増える。
……まあ、あれくらいならじゃれ合いの範疇か。
そうやってわーわーと賑やかにじゃれ合い始めた二人を私はただ見守る。うーん、なんだか懐かしいような、微笑ましいような。
ひとしきり動き回ったあと、すっきりした面持ちのウェルサの手を取る。
「ウェルサ。落ち着いた?」
(うん! 滅するのはまた次の機会にするわ!)
あ、やっぱり滅するんだ……あんなに仲良さげに追いかけっこしてたのに。精霊さんの怒りのツボは謎である。
で。わざわざ送ってくれたギィに、満を持して疑問を投げ掛けた。
「……ねえ、どうして私の行く道を阻んだの?」
本気で戦うつもりはなく、かといって即座に殺すこともせず。一体何が目的で、彼は私に会いに来たのだ?
「そんなの決まってるだろうが。これはオレとルドラの戦いだ。手出しは無用。お前は中立でいなければならない。このことを今一度確認したかったんだよ。……ま、その様子じゃ必要なかったようだがな」
…………そう、か。そうだな。
世界を盤に見立てたゲーム。ルドラは人間側を、ギィは魔王側をそれぞれ率いて、勝った方が負けた方を従える……それが二人の戦いだ。
一方私は人間の行き着く果て……聖人であるが、配下には魔物も魔人もいる。もちろん人間や仙人だっている。
私はどちらの勢力にも与しない。だって、どちらでもあるのだから。
だから私は傍観者に徹する。それで良いのだ。
(話は終わり? ならば疾くと失せなさい!)
「お前たちは昔から変わらないな……。それじゃあな、聖女! あまり無茶はやらかすなよ?」
出したままだった転移門からギィが帰っていった。
それを見届けたウェルサはにっこりと笑って私の腕にすがりつく。
(キキョウっ! 早く
「ああ、うん。そうだね……」
何だか色々あったが、今回も無事に生き延びられたのだし、それでいいか。
ウェルサの言う通り、早く配下たちのところに帰ろう。
予定よりだいぶ早い帰還になってしまうけど、離れているより一緒にいたほうが良いもんね。
もしかして、他のキャラ視点って需要ありますかね?
一応リムル視点はそのうち書く予定でいるのですが……いかんせん主人公と彼が出会うのは作中時間で約150年後。
その間の繋ぎとして、主人公がこの目線ではどう見えるのかとかが気になる方がいたら教えてほしいです。書けるかどうかは分かりませんが頑張ってみます。頑張っても裏の裏まで回収するのは難しいかもしれませんが……!
12/3 加筆修正しました。