「__ここで会ったが百年目。今日こそ貴様に引導を渡してくれるわ!」
狼が咆哮する。
びりびりと震える空気。それを物ともせず、相対する熊は狼に殴りかかる。
ひらりと躱されるのは承知の上か。本命の攻撃は、狼が滞空するほんの一瞬のうちに繰り出した蹴りのようだ。
「破ッ!」
狼の腹に鋭い蹴りが突き刺さる。とっさに身を捩っていたが間に合わず、そのまま十数メートルほど木々を巻き込んで飛んでいく。
その様子を見た熊は、獰猛な勝鬨を上げた。
「はッ! 口先だけの狼め! 今回もオレの勝ちだ!!」
勝利を確信したのだろう。
しかし、その認識は間違いだ。
「……口先だけだと? それは貴様の方だろう、意地汚い熊めが!」
「なにッ!?」
むくりと起き上がった狼は、無惨に砕けた木々をばきばきと踏みつけながら、今度はこちらの番だと言わんばかりに跳躍した__!
「……ねえ、迂回路とかないの?」
(ないよー。あの二匹ってば入口の真ん前で戦ってるんだもん。洞窟に入るには、あの絶賛決闘中? な魔物二匹を退かさないとだね)
のほほんと観測結果を告げる精霊の声に、私は軽く息を吐いた。
せっかくジュラの大森林まで来たんだし、どうせなら彼の邪竜ヴェルドラが封印されている洞窟にでも行ってみようかな。と思ったらこれだ。
『魔力感知』で広範囲をカバーしている精霊ウェルサの導きのまま歩き続け、ようやく見つけた洞窟の入口の目の前では、狼と熊の魔物が決闘(?)をしていた。
あれを退かさなければ洞窟には入れない。
休憩がてら一刻ほど観戦してみても決着がつく気配はなく、両者の傷とばっきばきにへし折られた木々、そしてクレーターや亀裂の走る地面が増えていくのみ。
……仕方がない。
決闘に水を差すのは気が引けるが……そも、魔物の世界とは力が第一。強いものが弱きものの上に立つのが魔物の道理なのだ。
明らかにただの魔物ではなさげな馬鹿力を発揮している二匹だが、それでもこの私には敵わない。
さくっと退場していただこう。それが一番手っ取り早い。
「__おい」
「!!」
『威圧』を立ち上げ呼びかけると、二匹の動きがぴたりと静止する。
長いこと油をさしていない機械みたいに、ぎぎぎとぎこちなく、二匹はこちらを振り返った。
熊と狼の表情なんて分からないが、人間で例えると顔面蒼白といったところか。
さきほどまでの有り余る威勢とパワーはどこへやら。すっかり怯えてしまっていた。
……少しやり過ぎてしまったか。
『威圧』を弱めて、私は努めてやさしい笑みを作った。だいじょうぶ、だいじょうぶ。こわくなーい、こわくなーい……
続けてかつん、と長杖を地面に打ち付けると、まるで冗談みたいな勢いで二匹の身体が地面にめり込んだ。
どぐしゃあ! みたいなヤバげな音が聞こえたが……魔物は頑丈だし、放っておいても死にはしないだろう。
「戦うなら他所でやりなさい。邪魔だ」
地面と大胆にキスしたままぴくりとも動かない二匹に向かって言い捨て、私はかつかつと洞窟に足を踏み入れた。
少しやり過ぎな気もするが……環境破壊は良くないし、何より
それらのことを当然だと思うあたり、私も随分とこの世界……特に魔物・魔人の価値観に染まってきたと感じる。
種族的には仙人なんだけどね。生き方は大分魔物に近いみたいだ。定住の地を持たずに放浪してるせいかな? だから何だという話だけれど。
☆ ☆ ☆
(__ふむ。ではお前は召喚者ということか?)
「いえ。私は偶然生じた次元空間の歪に巻き込まれた、いわゆる転移者です。……召喚者だったら、このように自由に行動など出来なかったでしょうね」
異世界からの召喚者は、こちらへ喚ばれる際に魂へ呪いが刻まれる。
強力な兵器を求めて喚ぶのだから、逆らわれては困るからだ。
私はレオンやクロエのように偶然落ちてきた存在だから何の制約もないが……もし何者かに召喚されていたとしたら、自由意思を奪われ、召喚主に忠実な兵器と成り果てていただろう。この世界に人権という概念はないらしい。
(ジンケン……? 初めて聞く言葉だな。何という意味なのだ?)
「私の
別に構わないんだけどね。私は強いから。
この世界の大抵の存在を圧倒できる程度の力は持っていると自負している。竜種や覚醒魔王なんかは自信がないけれど。
思えば、私は幸運だ。
転移してきて初めて出会ったのはのちに勇者として覚醒する少年で、彼に拾われ様々なことを教わった。この世界の常識から、魔法の真髄まで。目に見えないたくさんのものをもらった。
今の私が在るのは間違いなく彼のおかげだ。
もしも初めて出会ったのが彼でない、悪意を持った人間だったら……おそらく私は生きてはいまい。
恵まれているのだ。まぎれもなく。
(……キキョウ? どうしたのだ。突然黙り込むなど)
「あ……すみません、少し考え事を。申し訳ありません、暴風竜さま」
(そう畏まらずとも良い。__そうだな。お前は久方振りの客人だ、特別に我が名を呼ぶことを赦してやろうではないか!)
なんと。やはりこの邪竜さまは心が広くていらっしゃる。
実力的にも存在の格的にも私が下だから、態度も畏まっていたのだが……正直合わないんだよな、下手に出るのって。
そもそも、見下されるのが好きじゃない。物理的な話ではなく、精神的に。
というわけで。他ならぬ本人が良いと言っているので、無理に畏まるのはやめることにした。
ついでに面白いことを考え付いた。
「__では、ヴェルドラ。私の
(?)
「だから、こうして私とあなたが出会えたのもひとつの運命だと、私は思う。つまり……私とあなたはすでに『友達』ということ! でしょ?」
(む……? そう、なのか?)
「絶対にそう。決まってる。……え? むしろ違うの? なんで?」
(なんで……? …………言われてみれば、そんな気もするような気がするな。うむ。トモダチか……)
ヴェルドラは満足そうに二、三度頷いた。
(……ふん。友達ならば、その歯に衣着せぬ物言いも当然か。良いだろう。この我と友達になれるとは、貴様は幸運だな! クアハハハハ!)
私も、厳かに頷いた。
「自覚はある。……よろしく、ヴェルドラ」
(ああ!)
彼の爪先と私の両手で握手をする。
……内心では、ひそかにガッツポーズ。
この邪竜さま、チョロい。
☆ ☆ ☆
封印されてからまだ百年ほどしか経っていないため、今のヴェルドラはそう暇を持て余している訳でもないらしい。
外へ出たいか? と聞くと、出られるのなら出たいが、ここのところ少し暴れすぎていたため姉たちが恐い。と返ってきた。
……そう、竜種とか悪魔とかの基本的に寿命が存在しない種族って、時間感覚が人間とは違うんだよね。具体的に言うとギィとかギィとかね。彼らは数百年前のことを最近と言うし、誤差の範囲内として認識している。
あなたの言うここのところは一体何百年前のことなのだ……?
あまりにも姉たちが恐ろしいのか目に見えてしゅんとしてしまった彼を「そのうち……あと二百年くらい経てばきっと良いことがあるし、その封印も解けるよ!」と慰めたり、私の今までの旅路を語ったりしてひとしきり親睦を深めたのち、もう一度ちょこんと握手のようなものをして別れの挨拶を。
やはり定期的に会いに来るよう言われたから、彼も満更でもなく楽しかったのだろう。嬉しいな。
聖人に進化するため研鑽を積んでいると話したら、お前ならばその程度すぐだろうな! と激励してくれたし、本当に人間好きな邪竜さまだ。
ツンデレチョロゴンさんとか思っててごめんなさい。改めるつもりはないけれど。
次に会うときまでには、聖人に進化できていればいいな。などと思いつつ、私は封印の洞窟を後にした。
……途端に地べたに這いつくばる熊と狼が目に入ってきて、思わず踵を返しかけたが、意思の力で何とか思い止まり、とりあえず声を掛けてみる。
「……何をしているの?」
一瞬、まだ気絶してたのか? と思ったが、よくよく見たらひれ伏してるつもりなんだろうな、このポーズ。どこからどう見ても地面とキスしてるようにしか見えないが、熱意は買うということで。
さて。
私がこいつらを問答無用で地面にめり込ませてから、ヴェルドラと色々と話し込んでいたため随分と時間が経っているのだが……こいつらは何故逃げていないのだろう? 普通逃げるでしょ。自分よりずっと強いヤツに一方的に捩じ伏せられたら。
不思議に思って尋ねると、二匹は同時にがばっと面を上げこう叫んだ。
「自分達を、貴方様の配下にしてください!!」
「……は?」
正直、やっちまったな。と思った。
私があんまり強く地面に叩きつけてしまったせいで頭が……? と戦慄した。
しかし、彼ら曰くそうではないらしい。
「魔物にとっては、圧倒的な力こそが全て!」
「オレたちは貴方様に、認識も出来ぬ一瞬のうちに叩きのめされた。敗者であるオレたちが貴方様に従うのは当然のこと」
「ですからどうか! 我々を貴方様の配下に……!」
「うーん……言わんとすることは分かるけどなぁ」
あんなガチバトルを繰り広げておきながら何気に息ぴったりな二匹は、それはもう目をキラッキラとさせてこちらを見ている。
主とか、柄じゃないんだけどなぁ……でもこの勢いだと、駄目だと言ってもついてきそうだ。
てくてくと森を歩く私。その後方には木々に身を隠しきれていない巨大な熊と狼が……! って、何のホラーだ。森のくまさんと赤ずきんをごっちゃにしたようなカオスじゃないか。
……うん、仕方がない。これも強者の務めだろう。
旅は道連れ世は情け、とも言うしね。
「__良いでしょう。私の配下となることを許します。せいぜい強くなりなさい」
そう、さっさと強くなって下克上してもいいのよ? 負ける気なんてしないけど。それくらいの気概が好ましい。
名前は……どうしようかな。この森は魔素濃度が高いし、かき集めればどうにかなるか。
「よし。ではお前たちに『名』をあげます。そこに直りなさい」
「!? よろしいのですか!?」
「ん? 要らないの?」
もちろん要ります! と再び声を揃えた二匹に微笑ましさを感じつつ、一匹ずつ名前をつけてやった。
狼は『グラヴ』で、熊が『ノルド』だ。
本人の意思に反しているのなら名付けは無効になるはずなので、こいつらの私に仕えたいという気持ちは本当なのだろう。物好きなことだ。
ちなみにグラヴは雌で、珍しいはぐれの牙狼族。ノルドは2メートル大の巨大な熊で、二匹はかねてからのライバルらしいよ。漫画みたいだね。
魔力不足でぶっ倒れるのは困るから、与える魔力は少なめにしておいた。
そのため、リムルの配下のような大変身は起こらなかったが……どうせ長い付き合いになるんだ、私と共に旅をして経験を積めば、自然と進化の道は開けるだろう。
「ありがとうございます、主様! このグラヴ、誠心誠意お仕えいたします!」
「オレも、いやオレこそ! こんな狼よりも強くなってみせます!」
「なんだと?」
「あ? やるのか?」
「こら。喧嘩するなら場所を選べと言ったでしょう」
(__それと、むやみやたらと木々をなぎ倒すのはやめなさい。森の管理者である
「……ウェルサ、そう脅さないの。はいはい妖気しまってー」
ひょんなことから道連れが増えてしまい、一気に賑やかになった私の旅路。
こんなに賑やかなのは転移してきてから初めてだから、ざっと百年振りになるか。なんだか楽しいや。悪くない。
しかし……これから向かうのは魔大陸とはいえ、前途多難の文字が見える気がするのは何故だろう。
グラヴは私の役に立ちたいらしいが何分価値観が異なるためしばしば空回るし、ノルドは黙々と自己研鑽しつつもやたらとグラヴに突っかかる。景気よく喧嘩し始めた二匹を「うるさい」ってウェルサが叩き潰し、私が治療してウェルサを宥めるところまでワンセットと化している。ちょっと賑やかすぎない?
このままじゃ人間の住む領域に行くことができない。即座に噂が回って討伐されてしまう。
……とりあえず、牙狼族のグラヴには『影移動』を。巨大な熊であるノルドには『小型化』を、早いところ覚えてもらわないとね。
12/2 加筆修正しました。