__初めはただの気紛れだった。
数百年前。まだこちらの世界に来て数年しか経っていなかった頃。
クロエを探す旅の途中で、西の荒れ地近くでふらふらと彷徨う少女を見つけた。
見慣れない服装に、見慣れない持ち物。それだけで自分と同じ異世界人だと分かった。
辺りに同行者の姿はなく、完全に一人。おそらく転移してきたばかりなのだろう。表情は不安げで、両手をきつく握りしめながら、それでも少女は歩いていた。
話し掛ける理由なんてなかったはずだ。ましてや面倒を見てやる理由など。
それなのに何故だか放っておけなかったのは、少女とクロエを重ねて見てしまったからなのだろう。
黒い髪に白い肌を持つ、自分より小さなか弱い少女。もしもクロエが消えずに共にいられたなら、こんな風に連れ合って旅をしたのかもしれない。……そんな幻想を抱いたのだ。
この世界のことを教えてやりながら旅をした。
当初は多少の知識と金銭を与えたらそれで縁を切るつもりだったのだが、少女……キキョウが色々とレオンの想像を超えていたため、ずるずると引き延ばしていくうちに随分と長い付き合いになってしまった。
まず少女には魔道の才能があった。
「護身程度に教えておこう」はすぐに「冒険者としてもやっていけるように」になり、果てには当時自分の習得していた魔法の全てを伝授した。
流石に自分に匹敵するほどの才能があるとは思っていなかったレオンは驚いたが……当のキキョウは火魔法で肉や魚を焼き、風魔法で暑さを凌ぐようなアレな使い方をするのだから無理もないだろう。
魔法とは戦うため、あるいは高尚な目的を叶えるために使うものだ。それを手足のように用い生活を便利にするために使うなど、当時の他の魔術師が見たら憤死しかねない。
……そんな邪道な使い方をするキキョウがレオンと別れたあと世界を巡った結果、今では邪道が王道になってしまっているのはまた別の話である。
魔法だけでなく、剣での戦い方も教えた。
少女はいかにも世間知らずそうで危なっかしく、放っておくとろくなことにならないだろうなと、レオンは薄々感づいていた。
「剣の扱い方を教えてほしい」という少女の望みを一も二もなく請け負ったのは、少女の自主性を尊重したかったからと、それが少女のためになると考えたからだ。
魔道程の習熟度ではないが、一人で生きていくには十分な程の剣術を身につけたキキョウは、ある日置き手紙だけを残して静かにレオンのもとを去ろうとした。したのだが、普通に気がついたレオンはキキョウを引き留めてひとつ約束をした。
「お前は見ていて危ういところがある。定期的に顔を出せ」
「? 分かった。会いに行けばいいんだね?」
「ああ」
「了解した。お土産話、期待しててね」
その後、少女は律儀に約束を守り、定期的にレオンのもとを訪れては旅の途中で見たもの聞いたものを報告してくるようになった。
赤竜と戦闘して仙人に進化した、時の勇者と共闘した、精霊の住処に遊びに行った、邪竜ヴェルドラに会いに行った、配下ができた……
レオンの予感通り、キキョウの旅路は波瀾万丈だった。
……自分が言えたことではないが、生き急ぎすぎていると感じる。
本来なら長い長い研鑽の果ての微かな希望であるはずの進化を、わずか数年で成し遂げるその類い稀な精神力と才能。まるで、始めから定められていたかのような……
そう。キキョウはたまに、未来を見通しているかのような口振りで話すことがある。また逆に、この世界の遠い昔に起こったことを、さも見てきたかのように語ることも。
彼女は一体何者なのか。
ふらりふらりと危なっかしくて、まるで足が地についていないように見えるのに、時折覗く真っ直ぐな瞳は静かな強さを湛えている。
守られるのではなく、守りたいのだと。その瞳は告げている。
誰彼構わず救いをもたらす『聖女』? とんでもない。彼女はそんな大層な人間ではない。誰よりも近くで見守ってきたから分かる。
あれはただ、『目の前にいるひとを助けたい』……それだけの至極単純な思考回路で動く、一人の少女だ。
だからレオンは、彼女が聖女として世に謳われるようになっても、自身が魔王として世に認められても、彼女のことを一人の人間として扱い接する。また少女も、レオンのことを魔王ではなく対等な友人として見て接する。
それでいい。それがいいのだ。
レオンの目的は変わらない。今も昔も、クロエに再会することがレオンの最優先事項だ。
しかし、キキョウもまたレオンにとっては守るべき妹のようなもの。
すでに独り立ちして久しいが、だからこそ、そろそろ腰を落ち着けてはどうか? という誘いは若干曲解された結果思わぬ方向へと転んだ。
レオンはただ、自分の居城を拠点に使えば良いと言ったつもりだったのだが。彼女はどこぞの土地を私有して領土とし、自分や配下たちのための国を創るつもりでいるらしい。
たしかに彼女を慕う配下たちは人間・魔獣・魔人など多種多様で、普通の国で暮らすことは難しい。
だからといって、無人島の主である赤竜を従えて私有するのは客観的に見ると少し過激な気もするが……魔王であるレオンは特に何とも思わず、彼女らしいと思い見守っていた。
今は島だけでなく周囲の海域まで手中に収め、街造りに忙しいという。
「そんな訳で、しばらく……最低でも五、六十年は島に篭るから。何かあったら『思念伝達』するか直接会いに来てね」
「そうか。あまり無茶はするなよ」
「しないよっ! 今さら魔力切れで倒れるなんて真似、やろうと思っても難しいよ。うちの子たちは優秀だから放っておいてもどうにかなるだろうし。……これは謂わば準備期間なの。天魔大戦に備えた、ね」
天魔大戦。数百年周期で起こる天使との戦い。
少し前にこの世界にやって来たレオンとキキョウは、まだ天使との戦いを知らない。起こるにしても当分先なので、今まで意識したことなどほとんどなかった。
やはりこいつは未来が視えているのだろうか?
分からないが、こちらも見習って軍備を整えておくべきだろう。彼女の勘はよく当たる。
「それじゃ、またね」
「ああ、また」
互いに多くは語らない。
語らずとも通じるし、いっそ通じなくても構わない。
昔日のただ一度の気紛れは、そんな穏やかな関係をレオンにもたらしたのだった。
サイトの方でリクエストされたレオン目線のお話です。
書いていたら本編と繋がってしまったので、幕間として投稿させていただきます。