モモンガさん、世界征服しないってよ   作:用具 操十雄

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地下墳墓・哀歌


カタコンベ・エレジー

 

 

 宗教家というものは時に執拗である。信仰で人間が幸せになれると信じて疑わず、打算(ビジネス)ではなく善意で勧めるので迷惑極まりない。竜王国の女王曰く、「幸福の押し売り」であった。

 

 ヤトの自宅では眉間に皺を寄せたレイナースは半分だけ怒っていた。悪意がないから余計に質が悪く思えた。ラキュースは原因不明の高熱で寝込んでおり、この家を守るのは自分しかいない。

 

「是非とも、我々スレイン法国から妾を娶りください。一人だけで結構です」

 

 法国の大元帥と名乗った男はとにかくしつこかった。

 

「バンガイさんがいるじゃないですか」

「ええ、ええ。もちろん、彼女でも構いません。どうか、蛇殿によろしくお願いします。できれば正妻のラキュース様にもご挨拶を」

「だからぁ! 寝込んでると言いましたでしょう!」

「おぉ、それは心配でございます。よろしければお見舞いに何か」

 

 ヤトが羨ましかった。彼なら首根っこを掴んで目の届かない場所に放り投げるくらいはしたに違いない。

 

「プレイヤーの妾として、相応しき武力を保有しています。よろしければ彼女をこの家に――」

 

 さりげなくレイナースの地雷を踏む。老人は美しい顔立ちが鬼の形相へ変わるのを見た。

 

「愚劣な宗教家など、この家に入るな! 消え失せろ、落ちぶれたスレイン法国の負け犬がっ!」

 

 扉は家を揺るがす勢いで閉められた。

 

「……うぅむ、しつこく食い下がり過ぎたかもしれん。次は神官長の誰かから根回しさせよう。番外席次に直接、説得させるのも一つの手段か」

 

 大元帥は肩を落としていたが、反省はまるでしていない。のんびりした足取りで仮宿へ戻っていった。

 

 レイナースは寝室へ戻り、ラキュースの汗を拭いて額の濡れ布巾を交換する。

 

「ラキュース、体調はどう? 何か食べたいものはない?」

「ああ、レイナ……平気」

「明日、熱が下がらなかったら神官様を呼んでくるから」

「うーん……これは病気なのかしら。なんて言えばいいのか……体に穴が開いて体力が漏れているみたいなの」

「新しい病魔や呪いの類かな……」

「……思い当たる節がないわ。でも、晩御飯は精がつく料理がいいな」

「わかった」

 

 寝入るまでレイナースは傍にいた。熱に浮かされ見た夢で、大蛇がこの世から消えるとせせら嗤う女の声が幾重にも反響していた。

 

 彼女の熱はまだ下がらない。

 

 

 

 

 埴輪顔の卵男(エッグマン)は椅子に座り、執務室で書類を読んでいる。

 

「ふむ、芸術家の一斉自決とは何のことでしょうか……」

 

 デミウルゴスから返事はない。窓から階下を眺める悪魔は、彼らしからぬ冷や汗が滲ませていた。

 

「属国への対応としては申し分ありませんね。帝国は秘書官がお越しになる。法国は国民の説得が優先されます。デミウルゴス殿が立案した属国への対応一覧は、アインズ様が禁じた人間蔑視、その風潮を微塵も感じさせません。まるでアインズ様ご自身が立てたような千年見通し計画! これならばナザリック地下大墳墓の栄光は不変のも――」

「褒めても何も出ないよ、パンドラ」

 

 無情にも決め台詞は遮られ、早めに翳した右手は収まりが悪い。パンドラは誤魔化すように軍帽を正した。

 

「パンドラ、少しいいかい?」

 

 オールバックに仕立ての良いスーツを着た悪魔は、振り返ってゆで卵を真摯に見つめていた。表情に気障な余裕はない。

 

「私は、君たちとは違う。アルベドが考案し、実行したスレイン法国攻略策は破綻しながらも御方々に引き継がれ、結果だけ鑑みれば二国を同時に支配させる成果を上げた」

「その通り! さすがは我らが主神、アインズ様っ! これならばナザリックの維持費を稼ぎ、彼らの財宝を奪取し、表面上の平和な統治が未来永劫――」

「私はこのままでいいのだろうか……」

「――続いていー……はい?」

 

 せめて最後まで言い切りたかった。普段は気を使って長台詞を待ってくれるデミウルゴスも、この日は芝居がかった言葉と所作を無慈悲に寸断した。卵男(エッグマン)は柄にもなく寂しそうだった。

 

「思い返せばリザードマン侵攻作戦のときからだ。作戦の立案はアルベド、詳細の擦り合わせはパンドラ、私は現地で陣頭指揮。私は不測の事態に際し、有意義な結果を残したと言い難い。恐らく、私の部下に陣頭指揮を執らせても同じ結末を迎えただろう。相手はアインズ様だ、柔軟にこちらの対応に合わせてくださった」

 

 デミウルゴスの苦悩は深い。悪として創られながら、今の彼は人間に対して友好的に接するよう求められていた。敵国の居ない国家情勢はジレンマに思い悩む時間をうんざりするほど与えた。

 羊皮紙の安定供給を目的とした人間牧場建設計画は、ゴミ箱に丸めて捨ててしまった。

 

 と、ここまでが彼の中の葛藤だった。

 

「……私は、何の役にも立っていない。これでは、命じられるままに立つ案山子と変わらないじゃないか」

 

 「ふっ」とニヒルな口から漏れた溜め息は悲しい響きが込められていた。彼の知能はアインズよりも高く、十分な信頼を得ていたが、役に立っていないと勘違いを否定するものはいない。知能の高い者ほど思い込んだら抜け出せない。悪行と忠誠に板挟みにされ、彼の苦悩は亀裂のように深まっている。

 

「デミウルゴス殿……」

 

 パンドラは苦悩する忠臣を見た。

 

「済まない、愚痴っぽくなってしまったね。これでは命を与えてくださったウルベルト様に顔向けができないな」

 

 卵頭の表情は判断不可能だが、真摯に彼の内心に考えを巡らせていた。ユグドラシル現役時代、ウルベルトがモモンガにとある案件で大層な愚痴を零した際、モモンガは彼の愚痴を静かに受け入れた。パンドラも同様に受け入れ、その苦悩の深さを察する。あるべき姿を与えた創造主に報い、守護者として相応しき働きと結果を残すのは、ナザリックに所属する全ての生き甲斐、無上の喜び、生きる理由である。

 

(……本当にそれだけでしょうか?)

 

 パンドラは帽子の唾を掴んで静かに話しはじめた。

 

 

「………少し、私の話を致しましょう。私はアインズ様の御手で創造された領域守護者。私自身はアインズ様の息子である自負があります。それは何よりも私が誇ることでありながら、同時に一つの問題でもあります」

 

 デミウルゴスは下降傾向だった顔を上げた。

 

「私は全ての忠誠をアインズ様に捧げています。御方のためであれば、他の至高の支配者と躊躇いなく剣を交えるでしょう。事実、アインズ様への忠誠と、ヤトノカミ様への忠誠は等価ではありません」

「……なんだと?」

 

 デミウルゴスに張り付いていた悲痛な焦燥は不快感に変わる。空気はささくれ立ち、裏切り者を目前にしたような敵意が漏れた。如何なる理由があろうとも、ナザリックを作り上げた41人への忠誠に差をつけるのは背任行為である。それが参謀として数えられる三人の智将であれば、断罪されても不自然ではない。

 

「パンドラ、君は自分が何を言っているのか分かっているのかな?」

「デミウルゴス殿、あなたが抱えている問題の本質は、ご自身がよくわかっているはずです。あなたは人間に対する悪感情に揺れているわけではない」

 

 デミウルゴスは答えない。口にしてしまえば、それが事実になってしまう気がした。しかし、パンドラを止めることもできない。核心を突こうと伸ばされた彼の指は、デミウルゴスの心臓に向けられていた。

 

「あなたの創造主はウルベルト・アレイン・オードル様。ナザリック地下大墳墓が誇る最強の魔法詠唱者にして、最も悪として拘られた御方。そして……あなたを捨てた御方だ!」

 

 デミウルゴスは金剛石の瞳を見開き、青筋を額に浮き上がらせた。パンドラとの距離は瞬時に詰められた。

 「捨てられていないっ!」自分で思う以上に平静さを装えなかった。声は怒号となって入口の扉を震わせた。パンドラは軍帽を上げ、デミウルゴスと正面から対峙する。

 

「……捨てていなくても御帰還は困難であり、既に諦めているのかもしれません。この世界の別の場所に転移した可能性は一考すべきですが、そうだと仮定して、ナザリックに呼び戻す価値はあるのでしょうか」

「そのしたり顔で、知った風な口をきくな!」

 

 ナザリックに所属する者にとって、各々の創造主を貶める発言は禁句である。

 デミウルゴスは軍服の胸倉を掴んで持ち上げた。

 

「パンドラ、迂闊な発言は気を付けてくれよ。私にも許容しきれないことはある。ウルベルト様への冒涜と見做す発言は許さない。私と君が戦えば軍配は君に上がるだろうが、これは理屈ではない!」

「仰る通りです。ヤトノカミ様と死合ったアルベド殿然り、理屈ではありません。それは私も同様です。もし、あの日、あの時、あの場に至る経緯、時を紡ぐ歯車を一つでも違えていれば、私はアルベド殿と共闘し、敬愛する御方の親友を惨殺していました。創造された我々にとって、自らの創造主へ捧げる敬愛は、絶対にして無二のものです」

「ならば、なぜ失言をした」

「デミウルゴス殿、あなたの忠誠は、私とアルベド殿よりも強い。それは間違いありません。アインズ様とヤトノカミ様がご不在で、ナザリックだけがこの地へ転移していれば、あなたは世界征服を成し遂げ、悠久の時間を御方々の帰りを待つために使われたでしょう。ナザリックが壊滅的な打撃を受けたとしても」

 

 パンドラの言葉はデミウルゴスの心臓を射抜く。

 放たれた矢は一本ではない。

 

「そのあなたに問います、ウルベルト様とたっち・みー様がご帰還し、アインズ様を巻き込んで殺し合いに発展した場合、ウルベルト様の側に立たない保証がありますか?」

「な……に……?」

 

 掴み上げた手を逆に掴まれ、パンドラは悪魔に肉迫する。普段の彼からは想像できない、鬼気迫るものがあった。返事はないがパンドラの足は地に降りた。

 

「最強の魔法詠唱者、ウルベルト・アレイン・オードル様と、最強の剣士、たっち・みー様が同時に御帰還なされた場合、高確率で戦闘になるでしょう。御二方はあなたとセバス殿以上に仲が悪かったのです」

 

 セバスに対して悪感情はない。しかし、彼が善人らしき態度を取ったときに、妙に反発したくなる理由を知った。尚もパンドラは詰め寄り、デミウルゴスを追い詰める。手は力を失ったデミウルゴスの手を掴んでいる。

 

「戦いで傷つく己が創造主を前に、あなたは冷静でいられますか? ナザリックが複数の支配者によって分裂したら、あなたは自身の創造主ではなく、主神アインズ・ウール・ゴウン様へ忠誠を捧げ、ナザリックの分裂を阻止すると心から言えますか?」

 

 デミウルゴスは掴まれた手を支点に体を押された。姿勢は徐々に低くなり、気が付けば位置関係は逆転していた。

 

「ドッペルゲンガーの私を至高の御方々の姿に変え、アインズ様は過去を思い出して楽しそうに眺められた。そのお優しき心が孤独に苛まれる様を私は最も近くで見ていたのです。代わって差し上げたいとどれほど願ったことか」

 

 アインズの息子としての自負が彼を急き立てる。

 

「デミウルゴス殿、至高の御方々は人間でした。別の世界を生きるためにこの地を去られた。ですが、それはアインズ様とて同じことです」

「パンドラ……」

「唯一、残られた慈悲深きアインズ様は、至高の御方々が争えば身を引き裂かれる思いを味わうでしょう。他の御方々がナザリックを去っても、いつかお戻りになると信じ、孤独に耐えながら我らを見守って下さったアインズ様に、これ以上の残酷な仕打ちをなさるのなら誰であろうと私は許さない! たとえこの身が灰となっても!」

 

 デミウルゴスは、二人と差がついた理由を理解した。初めから立っている土俵が違うのだ。同様に、命を狙われ、明確な敵意を以て対峙していたヤトが、アルベドを簡単に許した理由も理解した。ナザリックにおいて、ヤト、アルベド、パンドラだけが初めから同じ土俵にいたのだ。

 

「パンドラ……もしかして君は、あの日、アルベドがヤトノカミ様を亡き者にしようと謀反を起こし、アインズ様が玉座で我らに真実をご教授なさったときからそれを……」

「アルベド殿の心は痛いほどわかります。だからこそ、あれ以上の制裁を加えてほしくなかった。あの場で私が説明したのは全くの出鱈目です。アインズ様には見透かされていたと思いますが、慈悲深き御方は私の心情を察し、あそこで止めるとわかっていました」

 

 細長い手は離れていった。

 オールバックの悪魔は立ち上がり、両手を腰に当ててやれやれとため息を吐きながら首を振る。

 

「……何がいけなかったのだろうね」

 

 目を細めて口だけで笑った。諦めたような笑顔がもの悲しい。衣服を正したパンドラは、右手を差し出して続きを促した。

 

「至高の41人、全員がナザリックでお過ごしになられた黄金時代とも呼べる日々。我々は決して邪魔せぬようにご用命があるまで立っていた。本当に懐かしいよ……お姿を拝見するだけで、喜びに身が震えたものだ。徐々に姿をお見掛けする頻度が低くなっても、いつか御帰還なさると信じていた」

 

 ソファーに腰を下ろした。

 

「やがてユグドラシルの世界は消え、この世界に転移し、ヤトノカミ様が御帰還なされた。我々には忠義を残す御方が二人も残ってくださった……ただそれだけで満足していたのに」

 

 眼鏡を正して自嘲気味に笑った。視線は徐々に下がっていき、声も普段の気障な口調ではない。

 

 一人の捨てられた子供がそこにいた。

 

「今の私は御方々の、創造主の御帰還に期待してしまっている。ウルベルト様が御帰還し、ナザリックの悪行を執り行う際、吐く血反吐さえ尽きるまで私を使い潰し、理想郷のために活用していただきたいと望んでいる………いつから私は、こんなに欲深くなった」

 

 パンドラはソファーの傍らに佇み、帽子を深く下げて、デミウルゴスの肩に手を置いた。

 

「ヤトノカミ様とアルベド殿が殺し合いをした一件は解決している。しかし、アルベド殿という大輪の花が周囲の者へ差し込んだ棘は、聡明なあなたの心にも残っていたのですね」

「私は守護者失格だ。今は残ってくださった御二人にこそ忠義を尽くすべきと知りながら、なぜこうもウルベルト様への敬愛は心の深い場所から抜けないのだろう」

 

 デミウルゴスの顔から悪魔らしさが消えていた。今の彼は人間のように思い悩んでいる。パンドラは短い時間で彼を慰めるのにより効果が高い話を見つけた。

 

「慰めになるかわかりませんが、話題を変えましょう。最近、私は思うのです。アインズ様の生きていた世界の人間と、この世界の人間は同じ種族なのでしょうか?」

「……人間に種類があるとは思えないな。あるとすれば才能じゃないのかい?」

「下位種族としてレベルの上限を設定された人間が、この世界の人間。それとは違い、至高の御方々のように苦悩と葛藤に苛まれながらも、それを超えて無限に強くなる人間。同じ人間とは思えません」

「そうだろうか……私には御二方の人間化したお姿は、頭髪、瞳、素肌の色こそ違えど、同じ種族に見える。パンドラ、確か君は、自由意志で人間化するアイテムの開発に携わっていたね」

「はい、類似する魔法が見当たらず、完成は今しばらく先になるでしょう。その過程で思い至ったのは、このアイテムを完成し、心まで人間に戻ってしまえば、御二人しかいなくてもナザリックが分裂する可能性があります」

「……なるほど。御方々はこの世界の人間とは別物と仮定し、そのアイテムで並の人間……つまり、私欲に塗れ、悪魔以上に嘘を吐き、他者と争わずにはいられない、矮小なる人間になってしまえば、君の言う通り分裂するしかない……」

 

 「恐ろしい悪夢だ」と続け、冷や汗を拭った。

 パンドラの話は本質に迫っていく。デミウルゴスは少しだけ自らの苦悩から視線を外した。

 

「ヤトノカミ様の人間化では駄目なのかな。あの方に心が変わった様子は見受けられないが」

「……それが最も問題なのです。このアイテム開発に手を付け、人間に対する理解を深めた今でこそ、ヤトノカミ様にうすら寒いものを感じるのです」

「うん?」

「覚えていますか? この世界に転移してから七日目、カルネ村を支配下に置いた御方々は、玉座の間で至高の41人を降りると」

「勿論だよ。確か、命令の優先順位を………」

 

 デミウルゴスは凍り付いたように言葉を止めた。口は開いたまま、瞳は驚愕を表している。

 

「あの方は、7日目に忠誠をアインズ様に集めようとなさった。我々が100日以上かけて辿り着いた苦悩と葛藤、それを御方は7日目にして辿り着いたのではないでしょうか。皆さまが戻られて分裂する未来に思い至り、忠誠をアインズ様に集めておかなければ、と」

「馬鹿な……いや、しかし……我らの葛藤はアインズ様でさえ知らないはず」

「確証はありません。御二方が同じ方向を向いていた保証もありません。しかし、つじつまは合っている。敵対する至高の御方々がたっち・みー様であれば、守護者では返り討ちに合うでしょう。少しでも勝率を上げるために、僕をより多く引き入れる必要がありますからね」

「信じられない……これで元人間だというのか……我らの叡智など塵芥だ。人間とはいったい……」

 

 デミウルゴスは震えていた。称賛、敬意、忠誠に交え、確かに感じる大蛇の本能、全てを見通しているような無感情な赤い瞳を思い出し、その行動がもたらす過程に恐怖した。至高の41人とはナザリックを作っただけではないと、改めて知った。

 

「ヤトノカミ様の人体は非常に不便な性質を持っています。私がこれを改善してしまえば、御方は上手く結果を残せていないのかもしれません。アインズ様に対してのみ発揮される条件付きの際限なき叡智、賽の目を操るかのように成就する結果。全てを把握して行動していたと俄かに信じがたく、事実、全くの偶然としか思えない行動結果もあります」

「恐ろしい……偶然までもが御二人に……いや、違う。それは本当に偶然なのか?」

「そう、私が最も恐ろしいのはそれです。あの方が総てを知っていたとしたら? あの方は、どこまで先を知っているのでしょう。あるいは何も知らずに運命だけを味方にしているのでしょうか」

 

 スレイン法国とエルフ国の支配もその一環である。アルベドが立てた策は運命を歪められたかのように、不自然なほど都合よく進んだ。スレイン法国最強の武器である番外席次を籠絡し、魔導国の所有物となった。未来の敵対勢力となったエルフ国までどちらがどのような行動をとったのかさえ知らぬうちに滅ぼされ、ナザリックから犠牲・消耗は皆無だった。

 

「アインズ様がお一人でこの世界に転移していれば、元人間であることを隠し続け、我らに心も開くことなく、アルベド殿とイビルアイ嬢を娶るなど考えられません。我らは秘密裏に世界征服へ動いていた公算も高く、そうなれば周辺国家の統一など夢のまた夢。私のアイテム開発が成就したとして、精々が見た目の変更。森羅万象の摂理さえも変えてしまう、豪運を所持する人間とはほど遠いのです」

 

 パンドラの高説は終わった。デミウルゴスはそれでも口を開けない。

 仕切り直しは、やはり一つの結論に至っているパンドラから発せられた。

 

「ヤトノカミ様へ己が有り方をご相談なさってはいかがですか? あの御方はアインズ様を全てにおいて優先なさっています。あなたの苦悩に何らかの答えをお持ちかもしれません」

「……そうだね。幸い、今の魔導国に敵はいない。属国化の条件をまとめた現状なら、事務処理をパンドラに任せられる。マーレとコキュートスも連れていこう。あの二人には棘が深く刺さっているからね」

「ナザリック最高の忠誠を持つ悪魔はお優しいですね」

「悪魔にも仲間意識はあるのさ。忠義には負けるがね。悪魔は悪行しかしないから純粋なんだよ」

 

 デミウルゴスは懐から密かに進めていた興行収入案、その詳細が描かれた羊皮紙を手渡した。

 

「パンドラ、属国化をまとめてから手を付けようと思っていた、魔導国の興行収入を上昇させる草案がある」

 

 細長い指が開いた羊皮紙には、学校建設の合間と息抜きを兼ねて開催する武闘大会の詳細が書いてあった。魔導国には周辺国家から人間が集まってきている。武闘大会の開催をするに十分な戦士()が揃っていた。国民の(ガス)抜きとしては申し分なく、それが高名な者同士の闘争であれば、一試合だけでも維持費を賄えそうだ。

 

「ほう、これは面白い。建国から数え、第一回御前試合というわけですね」

「一通り説明してから、私はナザリックに帰還させてもらうよ。この場にいても、私は君より遥かに劣るだろう。マーレとコキュートスを連れてヤトノカミ様のもとへ行くよ。今回、あの御方は護衛を連れていないのだろう? ゆっくり話す時間があるといいが」

「人間化アイテムの件もお願いします。現地生物で人間化できる者がいれば有用性が高い。最も都合がいいのは、人間が人間化の魔法を使えることなのですが」

「ふっ、それは難しいだろうね。人間ならば人間化する意味がない」

 

 扉の外でセバスが肩を震わせていると二人は知らない。

 執事の耳に入った話は断片的だったが、創造主の帰還が絶望的で、尚且つ戻ったところでナザリックを分裂しかねない一件は彼の心を瀕死に追い込んだ。

 扉をノックしようとした手は力なく下がり、いまきた道を多量の時間を掛けて戻っていった。

 

 セバスの忠誠はアインズとヤトの両方に等しく捧げられている。

 新たな勢力としてウルベルト、たっち・みーが帰還した場合、彼はどうするのか自分でも想像ができなかった。

 

「私は……弱い……」

 

 記憶に刻まれた正義を愛する最強剣士の姿は、弱さを戒める浄化の光に見えた。

 帰って早々に自室へ引きこもるセバスを心配し、ツアレはドアを叩いた。

 一向に返事はなく、時おりうめき声が聞こえてくる。別室でメイドの指導を行っているペストーニャを呼び、二人で強引に扉を開いた。

 

 セバスは服の色が変わるほど汗をかいていた。

 

「セバス様ぁ! 大丈夫ですか! 凄い汗です!」

「あ、ああ、ツアレ。今日はどうなさったのですか?」

 

 結婚して同居しておきながら、どうなさったも何もない。

 言葉以上に虚ろな瞳が異常事態を物語り、ペストーニャはツアレを強引に退室させた。

 

「……セバス様、何かございましたね。私でよければお話を」

「ペストーニャ……私は、弱い……」

 

 存在理由(アイデンティティー)が崩壊し、今の彼は並の人間程度に弱っていた。

 肉弾戦最強の執事とは思えぬ変貌に、ペストーニャは静かに彼が語るのを待った。

 

 つらつらと滴る汗と見えない血は、一滴一滴が簡潔な言葉の羅列で事態を教えた。

 

「……捨てられた?」

「はい」

「私たちがですか?」

 

 同意の言葉はない。

 

「セバス様、何を仰っているのですか。皆さまはいつかこの地へやってきていただけます。仮に、皆さまが私たちを捨てたとしても、御二方がいらっしゃいますわー……ん、わん」

 

 慌てて取り付けた語尾には言及されない。彼の脂汗は引く気配がなかった。錯乱もさらに加速する。

 

「あのデミウルゴスが、捨てられた幼子のように弱々しい声で……私が外にいるとも知らず。たっち・みー様が私を捨てたならまだしも、御帰還なさってアインズ様と袂を分かつなど信じられません。私は戦うべきなのでしょうか。たっち・みー様とですか? 最強剣士の創造主と、たかだかちょっと強いモンクが戦って何とかなるのでしょうか、ウルベルト様に助けを求めて、一緒に悪を滅ぼしましょう。そうすれば万事うまく行きます。いっそのこと私が死ぬ手もあります、この世の全ては栄光あるアイアイアイ……」

「落ち着いてくださいっ!」

 

 言動は支離滅裂だった。一時的な混乱に陥っている彼に、ペストーニャは猫だましで動きを止めた。セバスの視線は合わさった掌を見ている。

 

「あなたがそんなに取り乱しては、この館のメイド達が不安がります! それでも栄光あるナザリックの執事にして、人間のメイドを統括する者ですか!」

「はっ、私はなんということを……」

「凄い汗です、ツアレに体を拭いてもらいましょう」

「い、いえ。もう大丈夫です。一時的な混乱に」

「いいから、今日はもうお休みになってください。たまには指輪を外し、睡眠をとられてはいかがですか? 幸いにも、御方々は別の仕事をこなすために旅に出ています。私は誰にも言いませんわ」

「そんなわけには――」

「混乱状態で仕事をし、皆を悪戯に不安がらせるのであれば、アインズ様とヤトノカミ様に報告させていただきます」

「……」

「ツアレ! ツアレ!」

 

 ペストーニャは足早に退室する。扉の外で正座し、セバスが出てくるまで夜通し起きているつもりだったツアレに、彼の世話を託した。彼女はすぐに支度をして、セバスの体を拭き、一緒に床に入るだろう。

 ペストーニャの仕事は既に終わっており、ナザリックに帰還するべく転移ゲートを開き、潜る瞬間に呟いた。

 

(餡ころもっちもち様……捨てたなんて、嘘ですよね……?)

 

 ふと、同じ創造主が創った、兄弟ともいえる相方を思い出した。

 ナザリックに帰還し、足は自然に執事室へ向かう。

 

「それで、私に何用かね、ペストーニャ・S・ワンコ」

「あなたはどう思う? ペンギーゴ」

「私はエクレア・エクレール・エイクレアーだ。ペンギーゴでない」

「冗談よ」

「まったく……犬の語尾を忘れてる。餡ころもっちもち様に謝れ」

「わん」

「言えばいいもんじゃない」

 

 ナザリックに帰還したペストーニャは、真っ先にペンギンを訪ねた。セバスが王都に滞在しているため、執事室は彼が独占している。偉そうにふんぞり返る、短い腕を交差させる彼は指摘する箇所が多かった。至って彼の反応は悪く、興味が無いようだ。

 

「私はナザリックの次期支配者だよ? 至高の御方々がどうなろうと、私にとっては好都合。何を気にすることがあるのか」

 

(そうだ、こいつはこういう奴だった……)

 

「そういえば、王都のガゼフ殿には会ったかい? 彼は優秀な戦士だ。男手は多いに越したことはない。将来、私のナザリックにおいて重要なポストに就……おい待て、話は最後まで聞いてから――」

 

 扉は無情に閉められる。

 

 ナザリック地下大墳墓の簒奪を狙う彼は、とにかく話が長い。

 叶わぬ夢を追い求めている、浪漫に魅せられたペンギンの夢はぶつ切りにされ、余計なフラストレーションを溜め込んだ。大そう怒っていたが、バードマンLv1の彼はご多分に漏れず鳥頭で、三歩あるいてから何事もなかったように通常業務に戻った。

 

 ペストーニャが廊下を歩いていると、辻で夜会巻きの眼鏡美女と鉢合わせする。

 

「あ、ペー……失礼。ペストーニャメイド長、どちらへ」

「ユリちゃん。今は誰もいないから大丈夫よ」

「あ、そうよね。実は妹たちとお茶か……月例連絡会に。私はもしかすると孤児院の援助に回るかも」

「それは楽しそうね」

「そう、実は私も楽しみで……あ、いや、そんな不敬な」

「やまいこ様によく似て、子供が好きなのよね」

「うん……」

 

 直情的ではあるがとても優しいやまいこを誇りに思う彼女は、嬉しそうに笑った。

 創造主同士がそうであったように、誰もいない場所では気軽に呼び合える仲だった。

 アウラも交えて第六階層でお茶会をするのは、不定期だが大切な行事になっている。

 

「少し、いい……?」

「どうしたの?」

 

 ペストーニャはセバスから聞いた話をそのまま彼女に伝えた。

 しかし、彼女は揺るがなかった。脳筋の彼女は想像しない。その手で創造してくれた優しいやまいこが、自分を捨てたなどあるはずがなかった。

 

「考え過ぎだよ、ペス。セバス様と私がカルネ村に付き従ったとき、御二方は誰が最初に戻ってくるか楽しそうに悩んでいたのよ?」

「そうよね………疲れてるのかな」

「人間メイドの研修、順調じゃないの?」

「ツアレが頑張ってるよ。たまには顔を出してあげてね」

「そう、わかった。それじゃあ、また今度、アーちゃん交えてお茶会しようね」

「うん、お休みなさい」

 

 そして棘は引き継がれる。

 

(やまいこ様、今ごろどこにいらっしゃるのでしょうか……)

 

「……りねえ、ユリねえ!」

「ん?」

「ユウウウリイイイイネエエエエエええ!」

「わあああ!」

 

 ルプスレギナが耳の穴を押し広げ、全力で叫んでいた。反応の悪いユリは刹那の回想から帰還したが、瞬間的に怒りが湧く。守護者不在の第六階層の片隅、偽りの星空がもたらす木漏れ日の下で妹への折檻が行われようとしていた。

 

「ルプスレギナ……」

「ちょー! ちょーっと待ったー! タンマァァー!」

 

 振り上げた拳は言葉通りに止まった。ソリュシャンがルプスレギナの命を救うため、ユリに声をかける。

 

「ユリ姉様、月例連絡会だというのに、進行の途中でぼーっとしているほうが悪いわ」

「そーっす! 私は悪くねえっす!」

 

 銀の弾丸が入った銃でも突きつけられたかに、ルプスレギナは万歳で降伏していた。

 ユリの腕は下がっていく。

 

「あ、ご、ごめんなさい。私ったら」

「どうしたの、ユリ姉。何か心配事?」

「う、うん……いや、何でもない」

 

 ナーベラルの探る視線に動揺は隠せない。元よりユリは直情タイプで、裏工作や事態の隠匿には不向きだった。

 

「何でもないことないわぁ。連絡会なら報告するべきよぉ」

「うーん……」

「今日は……ひま……」

 

 特に命令もないプレアデスは、一般メイドと変わらない。

 御付きもなしに飛び出したヤトノカミ様の所在は不明で、アインズ様の御付きは既に間に合っている。少ない仕事を全力でこなした彼女らは時間の猶予があった。

 

 早い話が暇だった。

 

「実はね――」

 

 ユリは侮っていた。他の皆が自分と同じように考えるとは限らない。

 彼女の誇りと悲劇は同一、自身が創造主と似ていたことだ。

 一通り話し終え、全員が静寂を以て彼女に答える。

 

「………あ、あれ? みんな、どうしたの?」

 

 嵐の前はいつも静かだった。

 

 いち早く声を掛けたのはルプスレギナである。テーブルを両手で叩いて立ち上がった。

 

「ユリ姉、言っていいことと悪いことがあるっすよ! 私、他の人にも聞いてくる!」

 

 彼女がどこに行ったか不明だが、人狼の娘は走り出し、エントマは無言で後を追った。

 

「ルプー! エントマ! どこいくの!」

 

 二人を追うべく立ち上がった彼女の腕が掴まれた。腕を掴んだソリュシャンの口は裂けていた。

 シズはこちらに銃の標的を合わせ、ナーベラルは生ごみを見る目で立ち上がった。

 

「ユリ姉様……ナザリックに災厄を持ち込むの?」

「ユリ姉…………覚悟」

雷撃(ライトニング)!」

「うわああああ!」

 

 ユリに雷撃が命中し、思わずその場に崩れ落ちた。姉妹として創造された設定まで無視する憤怒。近寄る三名からはそれが見て取れた。

 

 恐慌状態の三名に理屈は通じないだろう。

 その証拠に、全員がユリに対する敵意と害意で瞳を染めていた。

 命の危機を感じ、ユリは逃げ出す。

 

「逃げた……」

「ナーベラル、闘技場に追い込むから、あなたは現地に転移して待ちなさい」

「了解」

 

(どうして……どうして……? みんなは創造主様が信じられないの? それとも……本当は捨てられたと思っているの?)

 

 木々の枝葉をかき分け、ユリは走った。目の前に巨大な円形の建物が見えてくる。ここに逃げ込めば籠城するしかなくなると考え、方向転換する。しかし、足首に打ち込まれた弾丸がそれを遮った。

 

 狙いは恐ろしく正確だ。

 

「ユリ姉……覚悟………」

「くっ……」

 

 暗殺者(アサシン)を取っているソリュシャンの足は速い。油断していると追いつかれると考え、已む無く闘技場に逃げ込んだ。中央の広場で待っていたのは両手を合わせ、魔法を打ち込む準備をしているナーベラル。

 

 いつの間にか杖を装備していた。

 

「ユリ姉、思い残す言葉、ある?」

 

 見下したようにこちらを眺める黒髪の乙女。後を追ってきた金髪ミニスカートの暗殺者と背の低いミリタリーメイド服。前後を追い詰められたユリは、なぜここまでされなければならないのか腹が立った。

 

「ナーベラル、人の話を――」

「至高の御方々を愚弄する姉の言葉は、やっぱ聞かない」

「聞けぇ!」

 

 誰かが言った、「魔法詠唱者ごときスッといってドスン!」と。足首に弾丸を打ち込まれながらも、ストライカーとしての体捌きを生かして距離を詰め、妹の鳩尾に拳を突き込む。

 使用できる魔法こそ秀でているが、素早さはユリに分があった。

 

「ごは……」

 

 両腕で腹部を押さえながらも衝撃は堪えられず、ナーベラルは先ほど嚥下した紅茶を吐きだした。シズとソリュシャンを振り返る。自動人間が持つ大銃の照準は額に合わせられている。

 

「覚悟……」

「甘い!」

 

 姿勢を低くして飛び込み、シズを全力で打った。

 体躯の割に重い彼女は壁付近まで転がっていった。

 

「痛い………」

「シズ! 少し頭を冷やしなさい!」

「………わかった」

 

 意外にも彼女は素直だった。

 次はソリュシャンの頭を冷やそうと振り返ったが、彼女の姿はない。

 

「……逃げたのかな」

「誰が、逃げるのかしらぁ」

「しまっ――」

「《強酸の情愛(アシッド・レイン)》」

 

 ソリュシャンから吐き出された酸性雨が空中で広がった。人間が一滴でも浴びれば、親指大の穴が貫通だろう。急いでその場を離れるも、体をそのままに移動できるわけもない。大地を蹴り上げた片脚と出遅れた手に酸の雨がかかった。

 

 肉が焦げる刺激臭が立ち込めた。

 

「ソリュシャン……自分が何をやっているかわかってるの?」

「あぁらあ、お姉様ぁ、焦げ臭いわねぇ」

 

 ここに至るまで、ユリに責めっ気はない。

 種族で自分を凌駕するソリュシャン、魔法に特化したプレアデス最強の魔法詠唱者ナーベラル、両者を同時に相手するのは自殺行為に等しい。自らの被害を確認するまで、彼女はどうやって逃げ出すかとだけ考えていた。

 

 やまいこが授けてくれた自分の体、ホワイトブリムが与えてくれたメイド服に、強酸で穴が開いているのを見るまで。

 

「あ……」

「ひひ……うふふふ、ユリ姉様。あなたの忠誠と同じく、体と服が穴だらけよ」

 

 ユリはガントレットをきつく締め、前後の二人を指さした。

 

「ソリュシャン、ナーベラル。覚悟はいいわね。あなたたちを粛清します!」

「ユリ姉、今度こそ黒焦げにする!」

「安心して、お姉様。簡単には殺さないわ。死の恐怖に踊り狂いなさい!」

「うへあ……………困った」

 

 一発ぶん殴られ、冷静になったシズは頭から煙が上がるほど悩んだ。

 

 どこかで見たような光景だった。

 レベルは過去の類似風景を下回るが、ナザリックを軽く揺らす戦闘は円形闘技場で静かに始まった。

 

 

 

 

「やれやれ……思ったよりも遅くなってしまった。早速、コキュートスに外出を持ち掛けなくては」

 

 守護者級の僕は睡眠と飲食の手間がない。

 パンドラとの打ち合わせは、いつもの振る舞いに戻った彼の影響で延長を続け、デミウルゴスが帰還したのは深夜を大きく回っていた。足早に歩を進めるデミウルゴスの尖った耳に、女性複数の喧騒が届く。

 

「でもぉ……嘘ですよねぇ?」

「あのユリ・アルファ様が謀反なんて、そんな」

「ユリ姉様はぁ、脳みそ全部が筋肉になっちゃったみたいなのぉ」

「まったく信じられないっす! 姉とはいえ制裁を加えてやろうかと思ったくらいっすよ! 至高の御方々がナザリックを捨てた、なんて」

 

 エントマの表情はよくわからない。ルプルレギナは頬を膨らませて怒っていた。一般メイドは二人の言動に一喜一憂し、表情をころころと変えた。

 

「……君たち、何を話しているのかな」

「デミウルゴス様でっすか! ちょうどいいところに来てくれましたっす」

「ルプー、話し言葉になってるわぁ」

「あらら、失礼。ちょっと聞いてくださいよ! ユリ・アルファが至高の御方々がナザリックを捨てたって言うんです。謀反ですよ、謀反!」

「……順を追って説明してくれるかな」

 

 デミウルゴスの顔色は話が進むにつれて悪くなる。

 ペストーニャに話したのは間違いなくセバスだろう。では、誰がセバスに話したのか。

 

(私とパンドラの話を聞いていたのか……セバスは王宮を訪れていたのですね)

 

「デミウルゴス様! ユリ姉の制裁はお任せを!」

「ルプー、口が笑っているわぁ」

「エンちゃん、裏切り者の制裁はしかるべきっす!」

「お姉さまなのだから悲しそうにしましょうぅ、私も悲しいわぁ……うふふ」

 

 まったく悲しそうではない。

 

 危険な二人の戦闘メイドに、デミウルゴスは眼鏡を正してため息を吐いた。

 

「二人とも、盛り上がっているところ悪いのですが、それはユリの勘違いです。詳しく話したいところですが、私はマーレとコキュートスを連れてヤトノカミ様の護衛に行かなければなりません。以後、この件は他言無用ですよ」

「えー……? 誤解……だったっすかぁ……」

 

 露骨に残念そうだった。

 

「わかりましたわぁ、デミウルゴス様ぁ」

「一般メイドの君たちも、今回の件は勘違いだったと忘れるように」

「はい、畏まりました」

「畏まりました」

 

 二体のホムンクルスは丁寧に頭を下げた。

 眼鏡を正して仕切り直し、デミウルゴスはルプスレギナに問う。

 

「さて、件のユリはどこにいるのかな」

「あ、忘れてました。早く行った方がいいかもしれないっすよ。ナーベラルとソリュシャンはかなーり怒ってたので」

「ユリ姉が黒焦げになっちゃいますぅ、第六階層のどこかにいると思われますわぁ」

「……そうですか。すぐに行ってみましょう。あなたたちは仕事に戻りなさい」

「はーい」

「はぁい」

 

 女性陣が散るのを確認しなかったのはデミウルゴスに落ち度がある。

 

「ふーん、勘違いっすか。じゃ、ちょっと脅かしてみようっと」

「るぷー?」

「エンちゃん、先に戻ってて! 私は朝ごはん食べに行くっす!」

「んんー? さっきたくさん食べてなかったぁ?」

 

 加虐心を満たす小道具(おもちゃ)を手に入れたルプスレギナは、朝食を一般メイドたちと同席する。メイドたちに刺さった小さな棘は、特に開花する予定もなくそのままにされた。一線を画すプレアデスに所属するルプスレギナの爆弾は、日ごろの言動の軽さに救われ、精神に多大な影響を受けた者はいなかった。

 睡眠・飲食が必要な一部のメイドに食欲減退、夢見が悪いなどの症状が出たが、正気を失ったソリュシャンとナーベラルほどの被害は出なかった。

 

 今もなお、円形闘技場で戦いは行われている。

 

 

 

 

 戦況はユリが優位に立っていた。

 

「はぁ……はぁ……立ちなさい! まだ粛清は終わってない!」

 

 二人の妹は地を這い、殺意を込めて長姉を見ていた。

 ナーベラルは魔法に特化し遠距離でも致命傷を与えられる厄介な相手ソリュシャンは物理攻撃を無効化する天敵、ユリには不利な状況だった。

 

 シズの援護射撃がなければ立場は逆転し、ユリは想像できない残酷な方法で殺されていただろう。正気を失った二人の妹によって。

 貴い忠誠を踏みにじり合い、ミルフィーユのように積み重なった敵意は容易に解けなかった。

 

「許さない……許せない……ソリュシャン、詠唱時間を稼いで! このゴミを殺す時間を!」

「失敗はゆるさないわよ、ナーベっちゃん」

 

 ナーベラルは上半身を起こし、両手を「パン」と合わせた。

 より上位の魔法発動を予期し、ユリはすぐ動いたが、短剣が太ももを貫く。ソリュシャンの腕は伸びていた。

 

「シズ!」

「…………充電中」

「くっ」

「観念しなさいよぉ、お・ね・え・さ・ま」

 

 耳元で囁かれ、背中に寒気が走る。

 

 ソリュシャンは姉を羽交い絞めにして、四肢を体内に飲み込んだ。

 ナーベラルに向けて差し出されたユリの体は、恰好の的だった。

 

「このまま撃ちなさい!」

「ユリ姉、弐式炎雷様を貶めたあなたは影さえも残さない。《二重最強化(ツインマキシマイズマジック)連鎖する龍雷(チェイン・ドラゴン・ライトニング)》!」

 

 ナーベラルの離れた両手は雷撃で繋がっている。ご丁寧に彼女は魔法の威力を最大に上げている。絶命か、あるいは瀕死近くまで追い込まれる魔法の一撃を予想し、ユリは歯を食いしばった。荒れ狂う稲妻が二本の竜を形作る寸前、彼女の時間は停止した。

 

「《ジュデッカの凍結》」

 

 守護者不在の円形闘技場に悪魔が降り立つ。

 

 彼は眼鏡を正し、一体化しているユリとソリュシャンを眺めた。引き連れてきた親衛隊、嫉妬・強欲・憤怒の三魔将はナーベラルに拘束具を取り付け、発動した魔法の無効化をしていた。

 

「君たち、いったい何をしているのかな」

「デミウルゴス様……」

「あら、デミウルゴス様。ちょうどいいときに来てくださいましたわ。この不埒者を抹殺するお手伝いをお願いします。これはナザリックに害成すものですわ」

 

 ソリュシャンの瞳は種族特性で濁っている。

 彼女がどの程度まで理性を失っているのか判断できなかった。

 

「ふむ……」

「デミウルゴス様、魔法の無効化は終わりました」

「連れてきなさい。ソリュシャンとユリにも拘束具の取り付けを」

 

 シズは不問とされ、早々に円形闘技場から追い出された。両手を後ろで拘束され、正座する三名を前にデミウルゴスは穏やかに尋ねた。

 

「さて、何が起きたのか、詳しく話す必要はありません。状況は把握しています」

「デミウルゴス様、姉を殺す許可をください。その後は殺されても構いません」

「いえ、私にください。弐式炎雷様を貶めたこれは、姉でも何でもないです」

「ソリュシャン……ナーベラル……」

 

 我を忘れている二人にユリはとても悲しそうだった。

 至高の41人がどのように戻るかによってナザリックが分裂する可能性は、今の彼女たちが裏付けとなり、デミウルゴスは大粒の冷や汗を流した。

 

(下手をすると誤情報一つでナザリックが崩壊するかもしれませんね……)

 

「やれやれ……君たちが怒っているのはユリに対してではないだろう?」

「え?」

 

 ユリの疑問に答えはなかった。

 

「君たちはプレアデスの姉妹として創造されている。それを上回る怒りは、創造主に対してのもの。君たちは捨てられたと聞いて、本当にそうかもしれないと思った自分に対して怒っている。違うかな?」

 

 返答はなかったが、尋ねられた二人の顔は下を向く。

 

「これは守護者しか知らないのだが、先日、ヤトノカミ様とアルベドが本気で殺し合ったのだよ。何の巡り合せか、この場所でね」

 

 驚愕の表情で居合わせた全員が顔を上げた。

 

「む、謀反……なのですか?」

「いや、アインズ様の家族は至高の御方々なのか、それともナザリックの僕なのかで意見が割れたのが発端だよ。アインズ様が超位魔法を発動し、力ずくで二人を止めた」

「それで、スライムの養殖槽が……」

「自身の創造主が戻らなくても、アインズ様とヤトノカミ様に忠義を捧げるべきだ。本来、同胞と殺し合うなど厳罰処分なのだが……」

 

 デミウルゴスのメガネが光った。

 妹たちの殺処分に顔色を変え、ユリは慌てて申し出た。

 

「デミウルゴス様! 此度の事態は、私の失言が原因でございます! お願いです、妹たちは助けてください! 私はどのような厳罰でも――」

「話は最後まで聞きたまえ。君たちほどではないが、不安に苛まれている守護者がいる。彼らを連れ、ヤトノカミ様を訪ねようと考えていた。アインズ様の未来にのみ発揮される無限の叡智と、偶然までも味方にする御方ならば、答えをお持ちだろう。ナーベラル・ガンマ、ソリュシャン・イプシロン、君たちも付き従いなさい」

 

 二人からの返事はない。

 

 ユリは他言無用と口止めだけされて闘技場を放り出され、ナーベラルとソリュシャンは氷結牢獄に準備が整うまで幽閉された。

 

 デミウルゴスは下界で活動中のマーレを呼び戻し、コキュートスに声をかけて外出の準備を始めた。アルベドに見つかると面倒な事態を呼ぶため、彼女の行動範囲を徹底的に避けて行動する三名は、支度の作業効率が悪い。

 

 ようやっと出かける準備が整ったのは、ヤトがビーストマンの駐屯地へ着いたころだった。

 

 噂の彼はナザリックの異変を知る由もなく、知性溢れる竜王に朝まで拘束された。

 

 眠る時間は与えてもらえず、朝まで知的好奇心を満たす快楽に付き合わされている。

 

「懸念すべきは帝国の皇帝ではない。帝国の思考に一定の流れを与えているのはその妾だ。しかし、法国と違い、非人道的な行為には及ぶまい。法国と決定的に違うのは君の友人、魔導王に対する畏怖の念と、自国を愛するが故の打算だ。誤った信仰は欲望に劣る。それから、君の友人が遠征しているドワーフたちは知性と無縁、俗物の集団だ。手土産一つでいとも簡単に懐柔が可能だろう。知性の数値でいえば、君こそがそちらに行くべきだったのだ。私と君の邂逅は人選ミスによる奇跡に他ならない」

「…………悪かったな、馬鹿が来て」

「異議あり、訂正したまえ。馬鹿ではない、知性が足りないと言ったのだ。君は自分で思うほど、愚かしい結果を残していない」

「うるせえなぁ……」

「さあ、次は君だ。情報は等価交換でこそ取引が成立する。十分に汚染された荒野の如きリアル世界とやらの情勢を話したまえ。キギョーが支配する荒廃した世界で、何のために生まれ、何のために生きていたのかね」

「うーん……すまん、覚えている範囲でいいか?」

「構わん。君の知力は十二分に把握している。眼の曇りや思い込みまで想定し、こちらで正しい解釈に当てはめよう。チャーシューあーころじぃとやらの安全地帯から隔絶された汚染地域で、血反吐を吐く思いで幼い時分より母の面倒を見ながら馬車馬のように働き、どのようにして生きる気力を消失させていった。いつ天に召される覚悟を決めた。荒廃した世界に残された宗教は何だ。その聖書は君たちの本拠地にあるかね」

「……チャーシューじゃなくオーシューだ。はぁー………夜は長いな」

 

 大蛇の感じた通り、明けの黎明を拒否して夜は暗くなった。

 

 

 




たまには解説しましょうか(蛇足)

アインズ×ヤト=オーディン×ロキ。愚痴っぽく人間くさい主神にトリックスターで厄介者の悪神と、気が付けば北欧神話っぽいス。アルベドが髪飾りで向日葵を選んだせいです。
ロキはとにかく口が悪く、罵声劇場なんかは読んでて辟易しますが、トリックスターは往々にして読者受けが悪いのかもしれません。アインズ=オーディンは原作も踏襲している感じがあります。好色(?)で愚痴っぽく発言は神らしくないが人間くさい魅力的な主神。
あれ? 解説邪魔ですか? ……すんません

悪魔STALKING! テケリ・リ!




次回予告

真っ暗な腹の底へ、穢れた羊を飲み込む獣性の賛歌(ドグマ)
教典は命懸けで守る誇りと、劣等なる本能の手引書。
人と異形の狭間で揺れ、蛇は摂理と未来を踏み拉く。
身を引き裂く苦悩と葛藤は、雷鳴轟く夜へ走り出す。

次回、「肉とムッター・マシーネと肉球」


「俺は! 何のために生まれてきたんだ!」


※※※※警告※※※
次話、えげつない表現が多発します。
胸糞展開、残酷描写が過多です。
ご理解の上、先にお進みください。
ちなみに読み飛ばし可能です。

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