モモンガさん、世界征服しないってよ   作:用具 操十雄

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異形編
馬鹿と鋏と溶け爛れた脳の男


 

 

 俺の定位置、執務室のソファーはそいつに取られていた。

 

「そこは俺の場所だ。それよりお前、俺の家にきただろ」

「ふん。なによ、二人も奥さんいるくせに、三人目を作ってもいいじゃない。魔導王さんの許可は貰ってるから安心してよ」

「この際だから言っておくがな、俺より強い奴が戻ってくるかもしれないのに、下から数えた方が早い俺を選ぶのは早まってるぞ」

「戻らないかもしれないでしょ? だったら、早めに狙うべきだと思うのよ」

「黙りやがれ!」

 

 アインズさんの前で、仲間が帰還しない話をしたくなかった。城についた俺の最初の仕事は、執務室から番外席次をぶちのめして追い出すことだった。当のアインズさんはいつも通りに、白くつるつるした頭を抱えていたので、こいつの言葉は響いてないに違いない。

 

 俺は安心して追撃に入った。

 

「おらおら、とっとと出ていけ!」

「食らえっ!」

「食らうか、ボケ!」

 

 魔導国王都の近郊にある“真水の海”を調査すべく、番外席次を含める漆黒聖典を漁師町に派遣するらしかった。俺と番外席次のせいで予定は大幅にずれ込んだ。書類整理はリアル時代から性に合わない。鬱憤が溜まっていた俺は暴れたかった。

 

 無駄に時間を取った俺は、ボスに大そう嫌みを言われる羽目になった。

 

 

 

 

 王都の夜は涼しい。

 

 俺専用に特注で拵えたアインズさんの説教は長かった。ジルと1対1(タイマン)の会談が翌日に迫っていなければまだ説教中だった。これまでの疲労とストレスを脱ぎ捨てようと脱皮できないか試したが、力んでも鱗一枚剥がれなかった。

 番外席次のストーキングに疲れた俺は、そいつを含めた女子隊員の全員に「アインズさんの妾になれ」と提案したのが全ての始まりだった。番外席次はさておき、女子隊員はまんざらでもなさそうだったが、兄貴分の怒りは沸騰していた。

 

 以前にタブラさんが教えてくれた血液型診断が思い出される。

 

《B型っていうのはね、ヤト公。快楽主義の芸術家だよ。A型は現実主義の労働家で、O型は……そうだね、楽観主義者の夢想家かな。AB型はよくわからないな》

《はぁ、タブラさんは何型ッスか?》

《B型。気をつけな、ルールに基づくAと自分のルールしかないBは仕事の相性が悪い。だから俺はモモンガさんに自分の主張を強く言わないだろう?》

 

痛感してます、タブラさん。

 

 思い出せば、折り合いの悪かった職場の上司もA型だった気がする。

 漆黒聖典は法国の会談で震えていたくせに、今は俺に対する恐怖と尊敬がない。アインズさんがまとめて独占するのはいいが、だからといって俺を小馬鹿にされても困る。

 

 異形種に転生した俺たちに、年齢で済ませられない問題が起きているのは確かだった。

 壁は常に高い。いつからこんなに差がついた。

 何か手柄を上げなければ、ナザリックの部下と、この世界の人間種族に示しがつかない。だが、力を得ただけのどこにでもいる一般人の俺にどうしろと……。馬鹿だ馬鹿だと言われ過ぎて、最近じゃ頭の回転が悪い。こんなとき、軍師がいれば相談できたんだが。

 

《ヴィア・ドロローサだよ、蛇公。苦難は成長に通じる。焦らず受け入れ、分析していれば活路もまた開けていく。少しはモモンガさんを見習っ……って、逃げられたか》

 

 植物系モンスターから逃げ出した記憶しか思い浮かばなかった。自分より年上でアクが強く、口数の多い相手に俺の口数は少なかった。話を聞いておけば、アインズさんの仲間としてどうすべきか分かったのかもしれない。

 

 帰った俺はベッド中央でとぐろを巻き、渦巻きの中心をソファー代わりにくつろいで本を読むラキュースに愚痴ったが、まともな返答は返ってこない。眼鏡をかけて何かの本を読む姿が美しかった。ついちょっかいを出したくなり、舌を伸ばして頬を舐めた。

 

「ふーっ、うるさいわね。邪魔しないでよ。今いいところなの」

「最近、嫁が冷たいんですがと、レイナに相談しようかな」

「仕方ないわね……はぁ」

 

 レイナースが事故で死んでからのへこみようは凄かった。このまま引きこもりになるんじゃないかと心配したが、いつの間にか元通りになっていた。だが、復活したこいつは何か考え込むことが多くなった。ラキュースまで俺に失望してるのか……?

 

 不安になった俺は機嫌を取って探ろうとしたが、なぜ俺が番外席次を妾にしないのかと逆に緑色の瞳で探られた。こいつの瞳はいつも眩しい。無言で見つめられると返答が鈍る。

 

「彼女にだけ冷たくしていると逆に違和感があるわよ」

「浮気を推奨するなよ、正妻。嫁なんか一人でいいんだよ。俺みたいなやつが二人もいるのはできすぎている」

「あら、感心するわ。でも興味はあるのね」

「そんなこと言ったか?」

「嫌いとはいっていないでしょう」

「……まあな」

 

 自分の親を自分で殺したあいつに興味はあったが、性的な意味での興味はない。子供は正妻と設けるべきだし、俺は誰かと違ってロリコンではない。

 

「……ねえ、私は人間なのよ。冒険者、王国貴族、そんな肩書を全て除外してしまえば、ここにいるのはあなたを愛した一人の女。それはレイナも同じよ」

「なんだよ、いきなり」

「あなたは異形種として、人間よりも遥かに長生きするでしょう? 時々ね……私たちが死んでからあなたが寂しがって荒れるんじゃないかと思うと、胸が張り裂けそうになるの」

 

 眼鏡を外して悲しそうに下を見た。右手は鱗のついた胴体を撫でていた。

 

「妻の責務かしらね。いくらあなたがナザリック地下大墳墓の支配者だったとしても、心はちょっと歪んだ人間でしょう?」

「……」

「考えて行動するのが苦手で、戦闘好きで危なっかしい所もあるけれど、それはあなたと彼女の共通点。人間を超越した力を持ち、性格も似ている。だからね、私たちがいなくなった後でもいいから、彼女を引き取ってあげて」

「いま死んだ後の話なんかするなよ……まだ何十年も先だろ」

 

 俺は昔から間が悪い。散々に怒られてヘタレているときに限って、面倒な追い打ちがくる。蛇は涙を流さないし、本当は悲しくないんじゃないかと思う。

 

 じゃあ、胸を搔き毟りたくなるこれはなんだ?

 

「私は、死ぬ覚悟はできているわ。たとえ何が起きても、明日、突然に世界が終わっても」

「死ぬなよ……」

「馬鹿ね。ずっと先の話でしょう。私は人間として天寿を全うするからね」

 

 嬉しそうに微笑んでいたが、俺は掻き乱された。そんなことを考えるのはずっと先だと思っていた。世界征服をしない俺たちに敵は少ない。人間に対する嫌悪はないし、戦争も起きない世界で、この二人は寿命で死ぬ。俺よりもずっと早く。別れからは逃れられない。俺とこいつらも、それにアインズさんとも。

 

 幾度となく「吸血鬼化」という甘い誘惑が俺の背中を蹴るが、最後まで人間として死んでほしい。角が刺さらないように離れている俺の頭を、ラキュースは優しく撫でていた。

 

 この日の夜は熱くて長かった。

 

 俺は支配者らしい振る舞いと、それに相応しい結果を出そうと決めた。

 

 

 

 

「間違えた? いったい、何のことだ?」

 

 唐突に恐怖公が訪れた。突然の来訪に面食らうも、感情はすぐに抑制してくれる。沈静化はアインズにとって最も大切な相棒だった。小さくて嫌われ者の紳士は、器用にお辞儀をして話を続ける。

 

「エルフ国で召喚した眷属なのですが、数日で消えてしまいました。竜王国に送った彼らも消えているかもしれませんな」

「……そうか」

 

 返事は素っ気ない。わざわざ変化を告げに訪れた部下に対し、「どうでもよい」とは言えなかった。竜王国は法国の東、“国境の湖”と呼ばれる湖を越えた先にある。距離を考えると現状で支配する必要性はない。仮にビーストマンの侵攻で滅びるとしても知ったことではない。今は帝国と法国の属国化を進め、手を付けていない周辺国家への対応も迫られている。

 

(ドワーフ王国のルーン工匠か……興味はある。口実としても相応しいな)

 

 既に考えは逸れていた。白い頭骨の額に手を当て、思わせぶりに礼を述べた。

 

「ご苦労だったな。もしかすると、私が考えていた策の綻びとなったかもしれん。感謝するぞ、恐怖公」

「勿体なきお言葉。我輩、身に余る光栄に身が震えますぞ。差し支えなければ、もう一つお話をさせていただけますかな」

 

 「構わん、申せ」と簡素に告げた。

 

「我輩の僕は無限に召喚が可能です。スケルトンは農場に利用するのであれば、人間たちのレベルアップに使用するのはいささか不相応ではありませんかな。我輩が無限に眷属を召喚して彼らのレベルアップに一役買わせていただくというのはいかがでしょうか」

「……恐怖公の眷属は小さ過ぎる。地下ダンジョンまで与えたのだ、我らが手を出す必要はない。後は人間の好きにやらせておけばよかろう。我らはナザリック地下大墳墓を繁栄させなければならん」

 

 恐怖公は差し出がましい非礼を詫び、魔導国を隠れ蓑にナザリックを繁栄させようとしているアインズの叡智を褒め称えた。感情は抑制され、心の中で種族特性に礼を述べた。ガゼフとブレインを筆頭とする騎士団の苦難は、密かに紙一重で回避された。これから訪れるジルとの会談に向け、アインズは想定される会話の練習に入った。

 

「属国化なんて、できるわけないんだよなぁ……ただの営業マンにさ」

 

 独り言が愚痴っぽくなっていた。昨日に大蛇の頭上に落とした説教の隕石は、アインズの心にクレーター並みの不満をもたらしていた。

 

 念入りに会話の練習もそこそこに、バハルス帝国、時の皇帝ジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル=ニクスは、妾のロクシー、四騎士の二名を連れて王宮を訪れる。

 気楽な会談を装ってはいたが、汗は皇帝の背筋を伝い鳥肌を立たせた。何よりも、ロクシーがラナーと会っているのが気に入らない。そちらを気にするあまり、本題に入るのがやや性急だった。

 

「友人として付き合いたい」

「それで構わん」

 

 反射的に出た答えは快諾だった。

 

(ジルは友達が少ないのか? いや、私もだったな……鮮血帝と言われるくらいだ、彼も敵が多いのかもしれない)

 

 疑問は自己完結された。応接間に気まずい沈黙が流れる。想像力が盛んなジルは、今にも気分を害したアインズが立ち上がり、帝都に向けて魔法を放つのではないかとよからぬ想像を膨らませる。

 

「私も友人は少ない、人間の国家を治めるジルが友人になってくれると助かる」

 

 ジルは胸をなでおろした。それは心中での行動であり、見た目はどちらも平静だった。

 

(支配者の先輩だ、困ったら鏡で覗くのもいいだろう。私が失言をして見限られなければいいがな)

 

 失言まで10秒前であった。

 

「それで、友人となったアインズに、帝都から選りすぐりの美女を――」

「……何なのだ、どいつもこいつも」

 

 言葉を遮った髑髏は立ち上がり、応接間のテーブルを叩いた。脚には甚大な負担がかかっていると、原材料となった木材の悲鳴が教えてくれた。

 

「口を開けば女。女。女! 法国もアルベドもイビルアイもあの糞馬鹿蛇も、私はアンデッドで女は抱けないと言っているだろうがぁ!」

 

 スレイン法国の責任者一同は、属国化を快諾したが、引き換えに法国の女を娶ってほしいとのたまった。自国の女をより強国に嫁がせるのはおかしなことではなく、それはアインズも理解はしている。それは相手が人間であればの話である。

 

 ジルが提案をしたこの日は、奇しくも、前日に同じことを抜かした大蛇へ説教の隕石が落ちた翌日である。それまで提案したアルベド、イビルアイ、法国への不満はヤトで爆発し、残り火はジルを燃やした。

 

 怒りが抑圧されたとて、不満が消えるわけではない。涼やかな声も死を覚悟して歪む。帝国の未来のためと言い聞かせ、改めて涼やかな声に努めた。

 

「も、申し訳ない、無礼を詫びさせてほしい。アインズ、許してくれないか」

 

 相手は糸が切れたように静かになり、この機を逃すまいと畳みかける。

 

「アインズ、私は君の姿を見たので、あちらが本来の姿なのかと思っていたよ。人間でそれほどの力を持ち、尚且つ溢れる叡智は人間を超越している。一人でも多くの子を成すべきかと気を回したのだ」

「……いや、取り乱して申し訳ない。同じような提案をする者が多くてな、私こそ許してほしい。私は正真正銘、本物のアンデッドだ」

 

 会話が一歩進められ、帝国の危機は去った。ジルは惜しみない称賛を自らへ捧げた。

 

「差し支えなければ、提案した者が誰か聞いても?」

「法国の責任者、アルベドとイビルアイ――私の妻たち、そしてヤトだ。この馬鹿が一番しつこい。蛇だから執拗なのだろうか」

「ほう、スレイン法国が……」

 

 異形種を嫌悪するスレイン法国が属国化となった件は聞いていた。突然に宿を訪れたニンブルに顔をしかめたが、彼の手土産(情報)は秀逸で、クリアーナが知る全てはジルも知っている。法国が帝国と同じ考えでいれば、同じ場所で衝突する。いつとも知れぬ未来、アインズとヤトに代わり、この国を治める者に取り入るために。

 

「アインズともなると、悩みは尽きんな。私も此度の従国化宣言はラナー王女の提案に妾のロクシーが乗ったことが発端だよ」

「彼女は妾なのか? 王妃かと思っていたが」

「私としては妃にしても構わないと考えている。本人が容姿を気にしているのだよ。顔の美醜は生まれ持ったものだと聞かない」

 

(なるほど……妾として優秀な人材を確保しておくのか。いろいろ勉強になるな)

 

「お互い、女には苦労するな」

「すまないが、アインズには負けるよ。相応の知性と武力を兼ね備えた君だからこそだと思うが」

 

 笑い声こそないが、雰囲気は和んでいた。話題はジルの独断と偏見に基づく、嫌いな女の順位表に移った。

 

「竜王国の若作り婆も好かない。聖王国の聖王女も駄目だ。好きなのは都市国家の一つを治めるカベリア都市長だ。彼女であれば妃に迎えても問題ないだろうな」

「ほう、私も知らない都市だな。ドワーフ王国に関しては何か知っているか?」

「いや、亜人種・異形種の都市とは交易がない。魔導国が初めてだよ」

「評議国を見てみるといい。あそこは種族が多いが、実に平和だ」

 

 普通に会話が進むことに違和感があった。ここまでの経緯がアインズの策略だと言われても納得しただろう。ジルは改めて彼の考えを探る。眼窩の赤い光は、人間でいうところの瞳であると知っていた。人間への憎悪を感じないアンデッドの考えが読めず、それが逆に不気味だった。「上辺だけでも友人は友人ですわよ、陛下」と、人の気も知らずに笑顔で見送ったロクシーを思い出す。

 

「レイ将軍の件はそちらに一任させていただく。彼をどうするにせよ、我々を気にする必要はないよ」

「部下の裏切りをよしとするのか?」

「今の彼は帝国で使い物にならないだろう。君の部下と同様に、忠誠を誓っている。同じようにフールーダもこのまま王都に滞在させよう。学校建設に有効活用してくれ」

 

 結果だけ見れば、上辺だけでも友人となっていた。一足先に属国となった身として、法国の追従を止めなければならない。それでもアインズの心の奥にある純粋な場所へ、足を踏み入れることは叶わないが、今は庭先に足を踏み入れた程度で十分だった。

 

「部下が望む場所へ配置するのも、上役の役目だよ。先に行っておくが、彼らは帝国のスパイではない。君に忠誠を尽くす、帝国出身の部下だと思ってくれればいい」

 

(……部下のケアは上司の役目、か)

 

 スポンジとなったアインズは、ジルの考えを噛み砕きながらゆっくりと会話を先に進めた。

 

「属国に関して条件の擦り合わせが必要だ。個人的な意見で申し訳ないが、ラナー王女は御免被りたい。お互いに自国民に情報を通達する必要があるので、私は帝都に帰還するが、次はいつ会えるかな」

「う、うぅむ……その件は部下に一任しようと思う。私の部下は私よりもよほど優秀だ。安心して彼らに任せ、私はドワーフ国にてルーン文字技術を調査する予定だ」

 

 武王の興行主、オスクから所持するコレクションの話を詳しく聞き出した際、ルーン文字の情報を入手していた。これ幸いとばかり、二国の属国化を知能の高いデミウルゴスとパンドラに任せ、自身は国を離れたかった。ドワーフの鍛冶職人、ルーン工匠を得て帰国するころには、全てが丸く収まっているだろう。

 

「そうかい? こちらも秘書官全員に知らせよう。私が生きているあいだの付き合いだと思うが、友人として親交を深めたい。よろしく頼むよ、アインズ」

「あ、ああ……そうだな。こちらもよろしく頼むよ、ジル」

 

 骨の手と華奢な手は握手を交わした。ジルの微笑みを見る限り、「元は一般人なので属国は部下に丸投げしますね」と悟られていないようだ。緊張していた帝国を代表するジルと、魔導国を代表するアインズの会談は終わった。次に為すべきはヤトと話さなければならない。

 

 自身が国を離れてもヤトが残っていた場合、至高の41人の一人として自然に意見を求められるだろう。大蛇の余計な思考が国家運営に反映されてしまう。これ以上、女性問題を書類の山に加えてほしくはなかった。

 

「友人として親交を深める……か。本音を風呂とかで語り合う程度でいいんだよなぁ……誘ってみるか。このところ書類整理ばかりで疲れているだろう」

 

 珍しく本来の声色で言った。

 

 

 

 

 地下から太陽は見えないが、時刻は夕方だった。骸骨と大蛇は第九階層の大浴場にいた。広大な浴槽に浮いている二人は今後の打ち合わせをしている。最初は水面を泳いでいた大蛇も、今は落ち着いて湯船に浮かんでいた。白い布巾を頭頂に乗せた全身骨格標本は、腹部に玉がなければスケルトンと間違えただろう。

 

「んで、なんスか? 急に呼び出して風呂って」

「いや……たまには親交を深めようと」

「もう深いッスよ。この世界にきて十分に仲良くなってますけどね」

「そうだな……」

 

 大蛇の口は軽い。先日の説教はさほど堪えていないようだ。アインズは安心して今後の打ち合わせを始めた。

 

「アゼリシア山脈にドワーフの住む王国がある。そこの工匠がルーン文字を使った武器を作れるそうだ。職人が手に入れば、お前の心配していたナザリックの資源を温存し、ダンジョンの報酬として使える。費用が安いのであれば、そちらを大量に流通させるのもいい」

「はぁ、また随分と急ですね」

「我々は早急にこの国を出なければ、学校建設と諸国への属国化について意見を求められるぞ」

「う……」

「お前も行ってこい。たまには役に立て」

「えぇー?」

「ここに残るか?」

「……行ってきます」

 

 ゆっくり羽を伸ばし、家でのんびりしたかった。そんなことを口にしようものなら、世界を滅ぼさんとする流星群(メテオ)が降りかねない。ボディーブローのように鈍く、しかし確実に説教は効いていた。ラキュースと話した内容も加わり、舌を出している見た目以上に心は重い。

 

「ちょうどいい国がある。竜王国に侵攻しているビーストマンに恐怖公の眷属を送ったのだが、この世界の物体を媒介にしていない彼らは消えている公算が高い。異形種の侵攻に怯えている彼らを助けてくるといい」

「ドラゴンがたくさんいる国でしたっけ?」

「ジルの話によると、若作りのおばあさんがいるところらしい」

「おばあさん? 若作り……おばあさん……しわしわの老婆でシャルティアみたいな服を着てる女王だったらどうしましょう」

 

 シャルティアの顔がカイレにすげ替えられた。下らない妄想にも拘わらず、二人は存在しない鳥肌を立てた。

 

「見捨てて帰ってきちゃいましょうか」

「そう言うな。対外効果も期待できる。今のうちに護衛を誰にするか考えておけ」

「あー……俺、今回は一人で行きます。シャドウ・デーモンとエイトエッジ・アサシンがいれば、緊急避難はできますから。たまには手柄を上げさせてくださいよ。ビーストマンを滅ぼして、竜王国を属国にするくらい、一人で十分ッス」

 

 法国の脅威は去ったとはいえ、止めるべきだとわかっていた。しかし、彼がこんなことを言いだしたのも、長すぎた説教の影響だろうと口をつぐむ。竜王国の危機もビーストマンの侵攻であり、彼らを滅ぼすだけで終わるのなら何の問題もなく、ワールドアイテムの所持だけを頼んだ。エルフの王がプレイヤーと思えないほど弱く、まだ見ぬ存在への脅威は再び緩んでいた。

 

「私はアウラとシャルティアを連れていく。ゼンベルがドワーフ国に行ったことがあるらしいので、彼も道案内に連れていこう」

「忙しいッスね。もうちょっと、のんびり過ごしたいんですが」

「これが終われば一段落つく。学校と属国の件が終われば、ラナーを始めとする王族に通常業務をやらせればいい。彼らもそれくらいは喜んで協力するだろう。ラキュースとレイナースも、蛇の妻として王宮勤めになるぞ」

「そうスね」

 

 会話に隙間ができた。アインズ相手に重い話をするのは気が引けたが、誰が彼の怒りを買うかわからない。前日の番外席次の件もある。大蛇は重たい口を開いた。

 

「アインズさん、今、幸せですか?」

「さぁ、どうだろうな。国ができ、それなりに忙しくはなったが、仲間はまだ帰還していない。順調なのか不明なので、幸せなのかと聞かれると――」

「もう、仲間が戻らなくてもいいんじゃないスか?」

「………はぁ?」

 

 吐き捨てるように言った。明確な非難の色があったが、大蛇の口は止まらない。

 

「この世界にいるキャラも、なかなか濃いッスよ。急いで仲間を求めなくても、当面は彼らで我慢したらどうスか。魔導国にキャラの濃いのが集まってますよ」

「……」

 

 両手にお湯を掬い、頭骨に振りかけた。顔を洗った彼の気持ちはわからない。揺れる水面に髑髏が映る。

 

 どことなく悲しそうに見えた。

 

「俺らがこの世界で過ごした100日ちょっとで、リアルがどうなっているのかわかりません。もしかすると死んでいるメンバーもいるかもしれません」

「……異世界から蘇生できるだろうか」

「彼らが残したNPCという家族がいる。互いに嫁がいる。一緒に冒険に出る仲間もいる。たまに人間になって飲み食いも楽しめる。他に何がいりますかね。取りあえず人間で我慢したらどうですか」

「……」

 

 結論は何度考えても決まっている。それでも蛇の言い分も分かると、考え直したのも事実だが、やはり結論は揺るがない。たっぷりと時間をかけてアインズは答えた。

 

「……無理だ」

「え?」

「私に家族はいない……いや、それは正確ではないな。リアルに家族はいなかった。その私が、仲間に対して執着するのも、自分ではどうしようもないのだ」

「ふーっ……まったく、ひねくれてますね。童貞を拗らせるとこうなるという悪い見本ですよ。そりゃ、人間を対等に見れないのはわかりますけどね」

 

 大蛇は尾でお湯を揺らす。浴槽から溢れたお湯が、丁寧に掃除されて輝くタイルを濡らした。水を弾かせまいとお湯をかけて遊んでいる蛇に、アインズの反論が突き刺さる。赤い光点の瞳はヤトを凝視していた。

 

「お前はどうなんだ」

「え?」

「前々から思っていたが、お前はNPCを家族だと思っていないだろう。現地の人間とばかり遊んでいるのが証明ではないのか?」

「……」

「私は仲間の面影を見るNPCを仲間であり、彼らが残した子供だと思っている。お前は現地で出会った友人や人間を仲間だと思っている。言い換えれば、私は現地の人間を対等な存在だと認めておらず、下等生物だと見下している。お前は意志を持ったNPCを仲間だと認めず、仲間が創作したキャラクターだと思っている」

「そんなことは――」

「ないと言い切れるのか?」

 

 言葉は続かなかった。感情が表に出ない異形種同士の会話で、表情から心を察するのは困難だ。想像力で補てんしながら続けた。

 

「考え方を改める必要があるのは私だけではなく、お前もということだ。これが終わったら守護者達と風呂でも入るか? 本音を語るのは酒と風呂が一般的だぞ」

 

 ヤトに(なら)って軽口を叩いたつもりだった。返答はなく、大蛇は浴槽に深く潜り、泡をひとしきり浮かべて立ち上がった。大蛇が滴らせるお湯の音は、それ以上の指摘を阻んだ。

 

「考えておきますよ。ふー……暑い。先に上がりますよ。俺はナザリックの支配者として、単身で手柄を立てて帰還しますんで」

「部下の手本になるのも上司の務めだ。それから、竜王国の女王は竜王との混血だそうだ。お前が知りたがっていた異形種との混血についても聞いてくるといい」

「ふーん……了解ッスー。子供作れるのか、早めに調べたいと思ってたんスよ。ラキュースとレイナが死んだら、俺を愛してくれる人なんかいないんで、今のうちに作っておかないと。アインズさんもナザリックの跡継ぎを考えといた方がいいんじゃないスかぁ?」

「わかったわかった。明日から私はドワーフ国に行く、竜王国は任せたぞ。何かあればメッセージで連絡してくれ」

「ええ、そんじゃ、お疲れさまッスー」

 

 アインズは気付いていた。自分一人で頑張ろうとするヤトは、不測の事態が起きても連絡しないだろう。説教だけで沈んでいるにしては大袈裟だったので、ラキュースと何かあったのかと勘繰らせた。監視を付けるか否かの熟考はできず、喉に刺さろうとする魚の小骨並みに引っかかる言葉があった。

 

『ラキュースとレイナが死んだら、俺を愛してくれる人なんかいないんで』

 

 大蛇の言葉は頭蓋を残響する。

 

「種族の違いは、俺たちには何の関係もないだろう……お前はいい奴だよ、馬鹿だけど」

 

 いつまでも固執する彼が悲しかった。そして、過去に執着するヤトと自分は本質で似ているのだと知った。

 

「ヤト……愛情と執着は違うんだよ」

 

 彼には聞かせられない言葉だった。

 

 

 

 脱衣所で大蛇は体の水滴を拭きとった。長々と伸びる体は時間がかかると思われたが、円筒形の体は簡単に終わった。容易に折り曲げられる体がこれほど便利に感じたことはなかった。着る服も防具も宝物殿で埃をかぶっているため、体の火照りを癒した。

 なぜか設置してある扇風機の風が心地よい。大型の鏡にはだらしなく舌を出した蛇が映っていた。現実世界の姿と似ても似つかない、種族さえも違う姿が。

 

(……俺だって、あの日、ログインしたのは偶然だったんだ)

 

 母親を施設に預けられなければ、会社で立場が悪くなければ、恋人がいれば、別のゲームをしていれば、最終日のログインを邪魔するあらゆる可能性が存在した。事実、無理ならそれで構わないと思っていた。だが、実際には邪魔する何かは起こらず、一人で生活できない母親を見殺しにしてここにいる。

 

 脱衣所の外が騒がしい。声を聞く限り、アルベドがナザリックの大浴場を混浴に変えようとしているのは想像に難くない。

「ゴリ押しだな、アルベド」蛇は口角を歪めた。

 

 仲間が戻る保証はない。彼の名前がアインズ・ウール・ゴウンである以上、仲間への執着は消えていない。

 

 ナザリックで共感するところの多い存在、アルベドは良い友人だった。

 

 アンデッドと蛇神のどちらが長生きするのか、考えるまでもない。悪魔種族のアルベドは生体の蛇よりも長生きする可能性が高い。自分が消えても、彼女やイビルアイ、現地妻複数名が心の支えになればいい。自分の都合でさっさとゲームを辞めてしまった自分が、支配者として君臨していいはずがない。

 

 これが物語の一幕であれば、主人公は初めから決まっている。

 

(みんながユグドラシルを忘れてると、モモンガさんが考えないわけがない……)

 

 人間化して一般市民に混ざって生活すれば、現実では味わえない、自身が強者として振る舞える世界が待っている。全てを捨てて、過去の仲間に執着するアインズが悲しかった。

 

「だって、来なかったじゃないですか……最後の日に」

 

 

 

 

 卑しい顔でゲスゲス笑う客引きに連れられ、私は娼館の門をくぐった。今日は魔法の仮面を被っているので、子ども扱いはされないだろう。

 

 胸が内側から激しく叩かれた。

 

「また来たのか、少年」

 

 店長らしき顎鬚を生やした男性には気付かれ、胸はひときわ大きく跳ねた。

 

「なんのことでし――」

「接客業を舐めるなよ」

 

 口角を片方だけ挙げてニヤリと笑った。馬鹿馬鹿しくなり魔法の仮面を外した。魔導国の娼館に法国の人間がいるはずがない。

 

「どうも……」

「最近、魔導国に出入りする人間が増えたせいか、みんな忙しくてな。あの娘たちの片方しかいないが、いいかな?」

「はい」

 

 仲間には見せられない姿だと自覚はある。漆黒聖典の第一席次、貴き神の血を引く隊長の私が、人目を避けて娼館に出入りしていると知れば、皆はどんな顔をするのだろう……と、浮き上がった考えを消し去るのに時間がかかった。

 

 待合室へ迎えにきた彼女は何も変わっていなかった。

 

「あら、久しぶり。元気だった?」

「ええ、はい」

 

 同じ意味の返事を重ね、案内された部屋に入った。

 私の申し出に、彼女の手は止まる。

 

「今、なんて言ったの?」

「身請けを……させていただけないでしょうか」

 

 命を賭けて働く漆黒聖典の給金は安くないが、上位冒険者と比べれば見劣りするとは知っている。失礼のないよう、私は貯蓄していた全てを手に、ここを訪れた。

 

「私は魔導国で暮らします。ですから、私の傍にいていただけないでしょうか」

「もしかして、あの娘にも同じ提案をするの?」

「はい」

 

 彼女は悩んでいる。

 

 額が少ないと言われれば、冒険者や魔導王の汚れ仕事など、どんなことでもして貯蓄して出直せばいい。彼女たちが望むものを与え、私と共に歩んでほしい。

 

 私は子供だった。

 

「帰って」

「え?」

「帰ってよ。二度と来ないで」

「あ、いや」

 

 人類を害する魔物と戦い、部下に的確な指示を出した冷静な私はここにいない。女性に拒絶された子供だ。

 

「まだ愛も恋も知らないあなたみたいな子は、初めての人が忘れられなくて言ってるだけ。私は娼婦なのよ、わかる?」

「知っています! それでも私は――」

「私はお金のために股を開く淫売。たくさんの男の人の《   》を咥え込んで金貨を稼ぐ売女(バイタ)。それ以上でなければそれ以下でもないの」

 

 反論する隙は与えられず、また意味がない気がした。

 

「ここには二度と来ないで。娼館は大人がその場限りの恋を味わうために来る場所なの。あなたみたいな子供は、大きくなってから相応しいお嫁さんでも探してね」

 

 彼女は“客”の帰宅を店長に告げた。素直に従って出れば、まずいことになるのは経験の少ない私にもわかる。情けない声が出ていたが、他に言葉が思いつかなかった。

 

「あの、お金なら――」

「ここにくるお客さん、どんな人か知ってる? もちろん、誰かに連れられてきたあなたみたいな若い子もいる。貴族や冒険者、ワーカーにへそくりを貯めてくる普通の人。でもね、そんな人たちじゃなくて、魔物に顔を食い千切られ、ローブがなければ出歩けない人。酷い暴行を受けて下半身が役に立たない人。家族を異形種に食い殺され、過去を乗り越えられない人。そんな人たちが短い時間だけ愛されるためにくることもある」

 

 自分が、どれほど短絡的な思考でここを訪れたのかを知り、私は気圧された。それでも彼女は美しかった。

 

「あなたみたいな子供に興味はないの。短時間の恋を買うのではなく、本気の恋がしたいなら他所を当たってよ。他のお客さんにも、店長にも迷惑だから」

 

 自分がどうしようもないガキなのだと知った。

 

 私が知っているのは教義、戦い方、世界の法であり、女性の口説き方は誰も教えてくれなかったし、私も聞かなかった。スレイン法国は神人の一夫多妻を奨励し、潔癖であれとは言われていない。しかし、上に立つ者が私欲に塗れるのは忌避され、自然と潔白になってしまう。無言で部屋を出る私の肩は落ち、背中に投げられた言葉で息の根を止められた。

 

「お客様のお帰りです。ありがとうございましたー」

 

 彼女にとって私は、幼い客以上の存在になり得なかった。胸に空いた大穴に風が吹く。誰にも見せられない情けない顔をしているだろう。このままでは皆が泊まる宿に帰れない。

 

 足は勝手に動いていた。

 

 

 

 

「あの子、まだ10代前半なのに、娼婦に入れ込んじゃ駄目よ。あんたこそどうなの? お金が目当てなんでしょ?」

「私は一人で生きていくためにお金が必要だったんだもん」

 

 紫煙をくゆらせる会話に店長が混ざる。

 

「それで幸せになるなら店としては辞めてもらっても構わないんだがな。娼婦は幸せになっちゃいけないという法はない。ここは自由な魔導国だ、何の障害もない」

「うーん……店長、店変わってもいいかな? あの子に通い詰められても困るから。系列店に空きはないかな?」

「駄目だ。系列店に人は間に合ってる。それに――」

 

 片方の口角だけ吊り上げ、ニヤッと笑った。

 

「通い詰めて常連になれば、情も湧くかもしれないぞ。私は金払いがいいなら一向に構わんよ」

「……そういうの、借金を枷に働いているみたいでやだな」

「以前は借金だったじゃない」

「……まぁ、そうなんだけどね。一年以上、通い続けて同じこと言うなら、考えてみようかな」

 

 

 

 

「あー……それ、お前が悪い」

 

 幼い隊長と芯が温まっている黒髪黒目の男はバーにいた。

 

 少年の来訪に戸惑ったが、神妙な顔の子供を無下に扱うほど悪党でもない。部下のケアは然るべきである。すれ違いで番外席次はヤトのために用意された夕食を食べていたが、それを知るのは帰宅してからだった。

 

「私のどこがいけなかったんでしょうか」

「そういうところ」

「ですから、どこが」

「真面目なところ」

「意味が分かりません。働かなくても不自由なく幸せに暮らしてほしいと願うことの、何に問題が」

「だからそういうところだよ、馬鹿ガキ。汗水流して働いてるところに、もう働かなくてもいいよって言われたらどんな気分だ。だいたい、そこまでの仲になってないだろ? あまりに唐突なんだよ、今のお前は。魔導国で性格変わったんじゃないか? 頑固なのは変わってないみたいだけどな」

「……」

 

 悩みだした彼に「そうやって悩むから悪い」とは言わなかった。反論もできず、目の前の酒が入ったグラスを睨んでいる。今の彼は、増長して番外席次に戦いを挑み、馬の小便で顔を洗わせられた過去と同程度には落ち込んでいた。

 

「明日から海の調査だろ? 番外席次まで動員して、“真水の海”を調査し、海を荒らす魔物がいたら討伐。俺も明日から出掛けるんだから、酒飲んで早く帰って寝ろ」

「私は……諦めるのは苦手です。諦めは部下の死に繋がります」

 

 いつまで愚痴が続くのか聞いてやりたかった。「道中に何かあるかもしれない」と、竜王国に歩いて向かおうとしているヤトは早く眠りたかったが、彼の目はそれを許していない。酔いが進んでいるのか、目が据わっていた。ヤトの受け答えもおざなりになっていく。

 

「頑張って稼げ。そして通いつめろ。人間だから情も湧くだろ」

「そうでしょうか」

「じゃあ諦めるのか? 諦められるんなら諦めた方がいいぞ、向こうもしつこいのは迷惑だろうからな」

「……くっ、やはり相談する相手を間違えました」

「おう、その通りだ。クレマンティーヌの双子の兄貴あたりに相談してみるか? 意外とクレマンティーヌなら経験が豊富かもしれないぞ」

 

 据わった目の焦点はヤトに移動した。睨まれて怯むことなく、人化したヤトは口角をゆがめている。

 

「飲めよ、酒が減ってないぞ」

「いえ、私はまだ十代中盤ですので――」

「だから、そういうところが駄目なんだよ、阿呆。真面目で得したことがあるか? お前がそんなに真面目だから、娼婦の娘も断ったんじゃねえの?」

「……ちくしょう」

 

 彼にしては珍しく口調が荒くなり、酒の入ったグラスを飲み干した。以前に飲まされた強烈な酒とは違い、程よい酩酊感に襲われる。目が半開きで顔の半分が髭に覆われているバーの店長は、間髪容れずに酒を注いでくれた。

 

 そして彼は饒舌になった。

 

「あなたは悪党です。それも真なる悪ではなく、自己中心的な悪。私にとっては嫌な記憶と結びつき、印象は最悪です。あなたの持つ希少価値の高い武器、せめてそれに近い武器があれば、決闘を挑んで――」

「盛り上がってるところ悪いが、もう帰っていいか?」

「人の話は最後まで聞いてください!」

「面倒くせえ……」

 

 潤滑油が優秀だったらしい。会話で乾いた口を酒で潤し、顔面全土が赤くなるまでよく動いた。置いて帰る算段を始めたあたりで、ようやく竜王国の話題に移った。

 

「竜王国は真にして偽りの竜王が治める国家です。法国とは協力関係にあり、それなりの額を支払っていただいています。どこかの誰かさんが陽光聖典を皆殺しにしたおかげで、彼らへの武力支援は滞っています」

 

 嫌みが混ざっていた。ここ最近で大侵攻が始まっている竜王国では既に三つの都市が落とされ、人間という御馳走を手に入れた彼らは宴を催している。領地を拡大し続ける魔導国にとって、彼らの苦汁は蜂蜜に等しかった。アインズが仕掛けたのではないかと、ジルでなくても深読みして疑いたくなった。

 

「ここ最近で大侵攻って、何かあったのか?」

「私はビーストマンではありませんので知りません。大陸の中央にあるビーストマンの国で、何かあったのでしょうね。異形種の考えはわかりません」

 

(まさか……な)

 

 ヤトは、仲間はこの世界にいないと思っている。ビーストマンの国家に別のプレイヤーが降り、そちらでも領地拡大のために人間を侵攻していると(よぎ)ったが、それこそ都合の良い考えだった。ビーストマンに繋がる異形種プレイヤーであれば、同時期転移したナザリック関係者、つまりかつての仲間ではないのかと自然に結びついてしまう。

 

 ヤトも元を正せば最初に取った種族はビーストマンの蛇である。アインズとはぐれて転生し、ビーストマン国家におり立っていれば、彼らを支配して領地を拡大するのは自然な流れである。

 

 それ以後、隊長の話は耳から入って脳に挨拶し、何事もなく反対側の耳から出ていった。

 

 ヤトが自宅の扉を開けたのは、うつらうつらと頭を揺らして舟を漕ぐレイナースが限界に迫った頃である。

 

 遅くまで待っていた彼女に非礼を詫び、眠ることなく旅立ちの支度を始めた。

 

 蛇が徒歩で竜王国に出発したのは、太陽が世界を覗く一時間前である。

 

 

 

 

 アインズとヤトが旅立ったこの日、おおよそ芸術家に分類されるもの全てが、自らの喉笛を掻っ切った。部屋は総じて赤く染まり、多くの自殺者が滴る血で何かを描いた。各々のそれは、蛸のような生物、泡の連なる集合体、5つの嗤う女性の口、仮面の男、形の定まらない触手を生やした肉塊に見えた。

 

 蘇生は拒否され、感受性の強い芸術家が何に気付いたのかはわからない。

 

 

 雑貨屋は営業停止となった。

 

 

 






「約束じゃ!」
「あーはいはい、わかったわかった。またなドラちゃん」


 次回、「悪魔来たりて桃色の蛆を踏む」


「俺は、ここに居てはいけないんじゃないのか?」

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