モモンガさん、世界征服しないってよ   作:用具 操十雄

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CLIANA QUEST 後編

 

 

 朝陽は魔導国の王都に優しい光を降り注ぎ、朝露に照らされて輝く街路樹、酔っ払いの立小便の痕跡、清浄と汚穢を分け隔てなく照らしだす。他者の価値観など知ったことではなく、太陽はただそこにある。

 想像力が鈍り、他人の価値基準が理解できない場合は往々にして存在する。

 

 寝坊したクリアーナは、後輩に魔導国の案内をしながら雑談をしていたが、余計な発言が混じっていた。

 

「ネメルはジエットって子のことが好きなんだ。私なんか何年も恋してない」

「ねえ、クリアーナ。異形種さんは道を歩いていないの?」

「あはは、そんなもの、そうそう歩いてないわよ。まだまだ異形種の数は少ないの」

「そうなんだ? アンデッドが王様って聞いているから、どんな恐ろしい国なのだろうと思ってた」

「アンデッドも色々な種類がいるってことじゃないの?」

「でも所詮はアンデッドでしょう? 人間を気まぐれに殺すかもしれないのに」

「いつか英雄モモン様が次の魔導王になるかもね。もしかしたらモモン様の子供か、その子供がアンデッドを打ち倒してこの国を――」

 

 実に余計な発言である。ナザリックの守護者と遭遇すれば、そのまま攫われて人体(資源)を使い潰された可能性もあった。どちらにせよ、間が悪いことに変わりはなく、女性の金切り声が会話を中断する。

 

「よしなさい!」

 

 鼓膜を突き破ろうとする怒号が二人の耳に突き刺さり、思わず耳を塞ぐ。頭頂部に水の入ったティーカップを乗せた金髪のメイドが、色濃い険を宿してこちらを睨んでいた。

 カップ内に満ちる水は、揺蕩いながらも零れはせず、怒鳴られた二人の注意は怒るメイドよりもそちらに集中した。

 

「魔導国に所属するメイドが、異形種を貶めるなんて許されません! この国では人間よりも異形の方が高い地位にいらっしゃるの! 研修で教わっていないのですか!?」

 

 顔を見合わせる二人に反省の色はなく、彼女の怒りは語尾を強め、最後に発せられた言葉は怒鳴り声だ。

 

「本日、セバス様とペストーニャ様がお戻りになるのです。あなたたちの発言が他のメイド、異形の御方々、ましてやセバス様のお耳に入ったら……いいえ、それがプレアデス様たちのお耳にでも入ったら私たちは……ちょっとこちらへ来なさい!」

「あ、あの」

「早くしなさい!」

 

 魔導国に所属するメイドが、異形種を貶めるのは許されない。

 メイド全体の評価を下げかねない発言に、怒髪天を突きながらカップの水を零さない彼女は激怒していた。これがプレアデスの耳に触れたら、どんなお仕置きや嫌がらせ、拷問をされるかわかったものではない。現在、何かをされた者は存在しないが、それが想像力を膨らませていた。人目を避けるように、二人は手を引かれてその場を去った。

 

 

 

 

 そのままセバスが滞在している邸宅へ押し込められる。

 頭上のカップを下ろす彼女は動きが素早く、誤解を解く間も与えられず、メガネをかけた一人の女性が奥から駆けてくる。彼女は人間のメイド長と名乗った。

 年は20歳くらいだろうか。外見は整っているが、決して美人ではない。クリアーナは妙な親近感が湧く。

 

「あ、あの、どなたですか?」

「ツアレ様、聞いてくださいよ! この子たちは公共の場で異形種を貶めたのです! モモンに殺されればいい! なんてセバス様やペストーニャ様ならまだしも、プレアデスの方々の御耳に入ったら……あぁぁ、想像しただけで恐ろしい」

「あ、でも、この方々はここのメイドでは――」

「関係ありません! メイド服を着た者が異形種を貶めることが問題なんです! ツアレ様がお優しくては、セバス様の対外評価に影響してしまいます!」

「あ、はい……」

 

 ツアレは高説を垂れる彼女の意志を尊重し、クリアーナとパナシスにメイドの所作と異形種の説明を行った。講習を用途とした机が並ぶ室内には、女性の涼やかな声と、頭頂に乗せたティーカップが床に落ちる音が木霊する。

 

「ああ、落っこちちゃいました。次を乗せましょう」

「ツアレ先生は、何個のカップを割りましたか?」

「あ、ツアレでいいです。私は、0個です」

「異形の方とご結婚しているって本当ですか?」

「あの、はい、でも、今はその話はちょっと」

 

 彼女たちがブレインに雇われたメイドであると知ったのは、ツアレが知り得る限りの異形種を黒板一杯に書いた頃であり、二人が床に落として割ってしまったカップの総数は6個と、悪くない結果に落ち込んだ。

 その優秀さを誰かに称えられることなく、ツアレに優しく扱かれて疲労困憊の彼女たちが、屋敷を出たのは深夜になってからだった。セバスとペストーニャはアインズの勅命で孤児の対応に駆り出され、彼女たちがナザリックに所属する異形種を見ることはない。

 

 いつまでもクリアーナは王宮を訪ねてこず、執務室のアインズは首を傾げていたが、スレイン法国の責任者が連れてきた孤児の対応に追われ、所用は翌日に回された。

 

 

 

 

 メイドとして成長したクリアーナは、心機一転、体の軸を揺らさない素早い歩行で王宮を訪れる。予定をすっぽかした非礼を詫び、改めて説明を仕事の説明を受け、早々にカルネ村へ通じる転移ゲートは開かれる。禍々しい転移ゲートは初見であり、恐る恐る足を踏み入れた彼女の背中に声がかかったが、その意味は分からなかった。

 

「先客が死なないようにせよ。何かあれば私の名を出せ」

 

 言葉の意味を噛み砕く猶予もなく、堅牢な城塞に囲われたカルネAOGの前に到着した。正門は開け放たれており、小都市内の喧騒は外まで聞こえる。祭りでもやっているのかと鼻歌交じりに足を踏み入れたが、見えた景色は穏やかでない。

 

「やめて!」

「エンリ、邪魔をするな!」

 

 村長の妻とエンリの父は、スレイン法国の責任者を前に、堪えきれない怒りがマグマとなって吹き出していた。自らの手で仕留めようと農具を構える村人と、自らの命を守ろうと魔法の準備をしている責任者のあいだに立ちはだかるのは、責任者を引率したザリュースと、父親を止めようとするエンリ、その恋人のンフィーレアだった。

 守護者であるデスナイトは、ゴブリンやオークと協力し、畑をフランベルジュで開墾していた。

 

 見た目に反し、彼らが最も平和であった。

 

「皆さまお止めください。アインズ様はそのような行為を望んではおりません」

「お父さん! アインズ様のおかげでここまで発展したのに、今さらこの人たちを殺しても仕方ないよ!」

「お前は黙っていなさい! こいつらは、我々を皆殺しにしようとした張本人だぞ!」

「お、お義父さん、落ち着いてくださ――」

「お前に娘はやらん!」

 

 ンフィーレアは可哀想に思えるほど肩を落とす。

 

「あのぉー、お取込み中、すみません」

 

 空気にそぐわないクリアーナの声で、場は凍結する。

 

 

 

 

 じっくりと時間を掛けて煮詰めた油のような怒りは、感情の地層深くに埋め立てられた。クリアーナがアインズの名を出さなくても殺し合いには発展せず、殴り合いで止まっただろう。結果だけ見れば、クリアーナがきたことで法国の責任者は顔面を綺麗に保てた。

 

 ンフィーレアがナザリック、つまりアインズに献上すべく精製された回復薬の木箱は、ザリュースと“フォーサイト”の手を借りて順調に馬車へ積まれていく。

 大柄で朗らかな神官は、木箱を積んでから額の汗を拭った。

 

「ありがとうございました、ロバーデイク様」

「お安い御用です。我々も王都へ相乗りさせていただく手間賃ですよ」

「アルシェさんもありがとうございます」

「平気」

 

 遠くで幼い少女が三人、ヘッケラン相手に木製の剣を振っていた。体が小さい分、一撃が軽く、ヘッケランは上手く流していたが、体捌きが軽やかな三人に押されているように見える。アルシェがロバーデイクの影からため息混じりに零す。

 

「このまま冒険者になったらどうしよう」

「まぁ、心配ですね」

「大墳墓で受けた教育がまずかった」

 

 誰が言い出したのか不明だが、アルシェ姉妹はナザリックに軟禁され、自由行動も許されなかった。食事は美味しく、室内のベッドは柔らかく、生活に不自由はなかったが、時間を持て余していた。本棚の書物を手に取るも、見たことない文字で読めない。

 一週間に渡る軟禁生活に辟易し、「アインズに会いたい」と本心半分、外に出る口実半分で言い出した。それが悪手と知るのは、アインズの妾英才教育を一般メイドが始めたときである。

 

「やっぱり母親がいないと駄目か」

「フォーサイトさんは帝国出身でしたっけ? 実は私もそうなんです」

「……クリアーナさん、相談が――いえ、お願いがあります」

「はい?」

「あ、終わりましたね。私は倒れたヘッケランを介抱してきます」

 

 体力が振り切っている子供は、ヘッケランを見事打ち倒し、ネムが口をへの字にして剣を振り上げていた。

 

「ネム、冒険者になる!」

「クーデはワーカーになる!」

「ウレイはお嫁さん!」

「わかったから、休ませてくれぇ……」

 

 子どもに打ち倒されて口から魂が抜けているヘッケランを、ロバーデイクだけが介抱していた。

 

「……とても心配」

「クリアーナさん、アルシェ。馬車の準備できたわよ」

「イミーナ、出発は明日に延期になった」

「そう、わかった。従者の人に伝えておくね。ところで、あいつ、また負けたの?」

 

 

 魔導王の依頼は“フォーサイト”に引き継がれ、依頼報酬は彼らに立て替えられた。引き換えにアルシェの母親を魔導国に持ち帰る依頼を受け、クリアーナはカルネ村に一泊すると決まった。ブレインの邸宅にはメイドがいるため、そちらの心配はなかったが、勝手な真似をしてアインズに殺されないか不安になる。しかし、無下に断るには報酬額が良かった。

 

「大丈夫。そちらは私が伝える。大丈夫な理由がある」

「は、はぁ……よろしくお願いします」

「帝国に土地鑑のあるあなたなら大丈夫。アインズ様には私が説明する」

 

 それからのことは、忙しくてあまり覚えていない。

 ンフィーレアとトブの大森林へ向かい、大蛇相手に薬草と食料の物々交換を手伝い、エンリと姉が「親に子の結婚を認めさせるのに必要なことは何か」と相談を受けた。

 全てを終える頃には、宿泊せざるを得ない時間になっていた。

 

 

 

 

 緩んだ雰囲気の骸骨と大蛇は、ジエットの母が気を使って用意した紅茶を見ながら話をしていた。

 

「今日は孤児の親を蘇生し続けてMPが切れた。彼女の記憶は操作できそうにない」

「いやー、ちょっとやそっと操作したくらいじゃ治りませんよ。あそこまで至るのに生い立ちを調べたらどうスか?」

「ふむ……彼女の元同僚にでも聞いてみるか。それから、冒険者の組合長が、プレアデスたちを彼女らの都合でいいから派遣してほしいと言っていたな」

「受付嬢はメイドを回したんでしょ?」

「プレアデスのファンクラブができているそうだ」

「無視で」

 

 これ以後、冒険者組合は話題に上らなかった。

 

 

 

 

 翌朝、心地よい冷気を孕み、湿度も高いカルネ村の朝は、覚醒を呼び起こす微風で朝を知らせた。出発時間が早くても、各々が到着するのは夜である。

 

「クリアーナさん。母をよろしく」

「任せてください、アルシェ様。父上がいたらぶん殴って気絶させ、母上を誘拐してくればいいんですね」

「……だいたい合ってる」

 

 威勢がいい彼女を見て安心したのか、アルシェは妹たちとネムを連れて、魔導国の王都へ向かった。

 

「お姉さま、良かったね! アインズ様に会えるよ!」

「最初にお嫁さんになるのはお姉さまね!」

「う、うん……」

「いやあああだああああ! 私も行くのぉおおお!」

「痛いよネム! お願いだから言うこと聞いて」

 

 ネムは新しい双子の友人が王都に行くのに、なぜ自分だけが置き去りになるのかと駄々をこね、対応に追われるエモット一家とンフィーレアに見送られ、クリアーナは馬車に乗り込んだ。

 

 予定通り、クリアーナが帝都アーウィンタールに到着したのは夜になってからである。

 帝都はすぐに眠らず、眩い灯りが街を照らしていた。見覚えのある街並みを、実家に向けて馬車を走らせた。

 

 下流貴族の両親は彼女の帰宅を喜んだ。ブレインや魔導国のうわさ話、他の妹の近況などを聞きながら食事をし、何も家事をしないで眠る。ベッドから見上げる久方ぶりの天井は、まるで見知らぬ天井だ。ブレインが心配になり、あまり長居をせず、翌日に帝都を立とうと勝手に決めた。

 

 その決意通りに早朝から実家を出て、アルシェに教わったフルト家への道を急ぐ。お土産を購入する時間を捻出しようと、クリアーナは午前中にフルト家の門をたたく。

 

「こんにちはー……どなたか、いらっしゃいませんか」

 

庭の雑草は栄養過多に成長し、伸びた蔦は屋敷まで手を出している。返答はなく、扉は厳重に閉められていた。庭に売却済みと書かれた立て札がされ、館の主が不在とだけは理解できた。

 

 黄色い外套に白い仮面をつけた親切な近隣住民の話によると、娘が出ていったフルト家は欠陥住宅並みの傾きを見せ、夫婦喧嘩の声は日増しに大きくなり、知らぬ間に邸宅が売りに出されていたと聞く。穏やかで親切で怪しい隣人は、手土産に手作りの蜂蜜酒をくれた。丁寧に礼を言い、先方が魔導国の話を聞きたがるので情報を渡し、彼女はお家断絶したフルト家を見上げた。

 

「アルシェさん。もしかしてご両親は……もう」

 

 強い風が吹く。

 

 親切にしてくれた近隣住民は風と共に去り、暗い気分のままに突風に背中を押され、その場を動かざるを得ない。

 

 子に捨てられた親が、再会を果たすことはなかった。

 

 

 

 

 久しぶりの帝都を散策しようと浮かれていたが、気分は海底まで沈む。見上げれば、太陽は蒼天に坐し、こちらを見向きもしない。「いま思えば、母は現実的だったかも」と、昔の家族を思い出して微笑んだアルシェに、どの面下げて「一家離散してました」と報告するのか。アルシェとクリアーナは同様に下位貴族の出身者であり、フルト家の没落を他人事と一笑に付すほど愚かではない。

 前を向いている瞳には、実家の没落という妄想が映り、通行人に肩をぶつけるまで杞憂に囚われた。

 

「あ、ごめんなさい」

「大丈夫ですか? お怪我はありませんでしたか?」

「はい、ありがとうございます」

 

 顔立ちの整った若い騎士は、小包を大切に抱えていた。

 

「前を見ていませんでした、本当に申し訳ありません」

「お気になさらず。それでは、私は先を急ぎますので」

「あの、急いでどちらに」

 

 重たい気分をどこかに逸らそうと、クリアーナは話しかけた。

 何でもいい、他に考える案件が欲しかった。

 

「質の良い茶葉が手に入ったのです。信頼のおける筋から、良い銘柄が手に入ったと連絡が入りまして、皇帝不在の現状はお茶会を開く絶好の機会です。魔導国の属国となれば、最悪はお茶会を開く以前に、茶葉の入手が困難となるかもしれません」

「大丈夫だと思いますよ。魔導王陛下はとてもお優しいみたいです。アンデッドですけど」

「あなたは魔導国の関係者ですか?」

 

 眉目秀麗な騎士、ニンブルは懐疑的な眼差しでクリアーナを見た。彼の中で魔導国に関する猜疑心は解けていない。皇帝が魔導国から戻らない件も、既に洗脳されている可能性を示唆しており、今後の身の振り方を秘書官と密に相談していた。

 

「魔導王陛下から依頼を受けた、ブレイン・アングラウス様のメイドです。フールーダ・パラダイン様に、王宮までの道案内をさせていただきました。遅くなりましたが、私はクリアーナ・アクル・アーナジア・フェレックといいます」

「そうでしたか。私は帝国四騎士の一人、ニンブル・アーク・デイル・アノックです。パラダイン様がお世話になりました。ブレイン・アングラウスというと、王国最強のガゼ――」

「はい、そうです。魔導国最強の剣士です」

「……そうですか」

 

 「ガゼフ・ストロノーフと並ぶ剣士の?」という言葉は、輝く瞳を見て引き返し、超特急で体の内側へ戻っていった。

 

「ブレイン様ったら、懸想している女性がお亡くなりになって、蘇生をさせるなって意地を張っているのです。エルフ国からお戻りになってからというもの、落ち込んで見ていられません」

「はぁ……」

「あ、ごめんなさい、私ったら。今日はワーカーのフォーサイトさんに依頼されて、私の依頼を引き継いで帝国にお母様の捜索に来たのです。いい金額で雇われたのですが、捜索が失敗して暗い気分になっていたもので、つい」

「そ、そうですか。立ち話も何ですから、お食事でもいかがですか」

「えぇ!?」

 

 魔導国のスパイかと疑いは晴れず、ニンブルの懐疑的な視線は崩れなかったが、これ幸いと魔導国の情報を引き出すべく、彼は昼食に誘った。口説かれているのだと勘違いした彼女は、眉目秀麗な騎士の申し出に顔を赤くしていたが、彼にその意図は欠片もない。彼らの話は通りすがった通行人にも聞かれていたが、そちらも両名の知るところではない。

 

「魔導国……」

「ブレイン?」

「フォーサイト……」

 

 

 

 

「フォーサイト……私はクリアーナに依頼をしたはずだが」

 

 場面は一転し、魔導国の王宮執務室。アインズの眼前に跪く四名と、椅子の足元に纏わりつく小さな影が二つ。依頼を引き継ぎ、別の依頼を頼んだ件に関して咎めるつもりはなかったが、魔導王としての声色で聞くと責め立てているように思える。

 アインズが抱いた感想通りに、“フォーサイト”の面々は顔を伏している。

 

「妹たちが強い冒険者になってアインズ様に嫁入りすると」

「………ほぅ。この二人がか?」

「はい。貴族としての教育をする母親がいれば、間違った道を正せます。クリアーナさんには、母親の呼び出しを」

「なるほど」

 

 十分に納得をしてしまった。惚れた腫れたに無縁の少女たちは、優しいアインズに興味があるだけだろう。しかし、順当に間違った道へ進めば、娶る以外の選択肢がなくなると想像はつく。

 それからポーションを受け取り、発展状況の説明を聞きはじめた辺りで、昼食を終えた大蛇が入室する。

 

「は……」

「あ、アルシェとその仲間たちだ」

「そのやる気のない声は……まさか」

「おい、まさか、蛇の旦那か? 本当に蛇だったのか」

「蛇と言ったら蛇以外にないだろ。お前ら阿呆か」

 

 魔導国の蛇は本当に大蛇だったと余計な説明が挟まれる。改めて回復薬を査定し、カルネ村の発展状況の報告書を受け取り、報酬を渡して彼らを退室させた。

 

「近いうちにフールーダとジエット、アルシェの三名に学校で受けた教育の話を聞く必要がある」

「冒険者向けダンジョンの報酬も、ゴミアイテムとはいえ、ナザリックの品を渡すのは勿体ないッスよ。この世界の武器を集めて、ダンジョンの奥に置いておきましょうよ」

「ジルに聞いてみるか。何か知っていればよいが」

「それより、隊長は来ましたか?」

「彼が来るのは夕方だ。法国の教育関連の話も聞き出そう。クレマンティーヌの話の合間にな。さあ、仕事に戻れ。市民からの要望が積み上がっているので、書類に目を通せ。私は各地の作物状況を確認する」

「はぁ……」

 

 アルベドはナザリックにて内政、デミウルゴスとパンドラは中庭で打ち合わせ、ラナー王女には別の案件を任せていた。国家の税収向上を隠れ蓑に、本物の自国、ナザリック地下大墳墓の維持費を効率よく稼ぐため、骸骨と大蛇は眼鏡をかけて静かに書類を読みはじめた。

 

「このままだと、農民だらけの国になりますね」

「スケルトンは問題なく機能している。ここまでに消費したユグドラシル金貨の補填も、もうすぐだ。農民だらけで何も問題はない。戦争は起きず、食うにも困らず、もっと金が欲しいのなら働けばよい」

「いつになったら俺たちがいらなくなるんですかね。そろそろ遊びに行きたいんですが」

「まったくだ。我々がいなくても回らなければ、何の意味もない」

 

 

 

 

 バハルス帝国首都、帝都アーウィンタール。クリアーナとニンブルを見送る、恰幅の良い短髪の商人。ラビットマンと執事の従者は、後方で主の動向を見守っている。見えない算盤を弾き終え、従者に問いかけた。

 

「首狩り兎、彼女は強いのか?」

「一般メイド。そこら辺を歩いている、貴族の女中だね」

「そうか……魔導国最強の剣士、ブレイン・アングラウスか。近頃は武王の相手に事欠くようになった。国外から挑戦者を仕入れてくるか」

「気が乗らないなー。国王がアンデッド、その右腕は貴族を惨殺したって」

「情報が古いぞ、首狩り兎。最新のうわさ話だと、魔導国は天国のような場所で、足を踏み入れた者は居心地の良さで帰ってこない。皇帝が不在なのは魔導国を楽しんでいるからだと言われている」

「それでも気が乗らないなー」

「そういうな。あのメイド殿に話を聞いてからでも遅くはない」

「手を見せてとか言うなよ、旦那様」

 

 ほぼ同時刻、ワーカーが情報交換の場として好んで利用される宿屋で、“ヘビーマッシャー”のリーダーであるグリンガム、“緑葉(グリーンリーフ)”のリーダーであるパルパトラは、持ち帰った情報を小声で精査していた。

 

「聞き間違いしゃろ」

「老公、下らぬ嘘は言わん。フォーサイトは魔導国にいる」

「急に消えたと思っておったのしゃか。まとう国は仕事が多いのしゃろうか」

「ここ最近で諜報、情報収集、魔物退治に関する依頼が激減している。最近は皇帝不在を受け仕事の動きはいっそう少ない。この機に彼らを訪ねるのも一つの手段」

「もうちっと、まとう国の話を聞きたいのぅ。儂はそのフレイン・アンクラウスとやらは知らん」

「魔導国の話を聞きに行かないか?」

「そうしゃな」

「冒険者組合から魔導王の難度が400と聞いたが、老公はご存知か?」

「ひゃひゃひゃ、あほらしいわい。薬物でもやっとるか夢ても見たんしゃ。それはそうとウスルスは呼はんのか?」

「奴はエルフが手に入らなくて荒れている。冷静に話をする気になるまい。老公、急いで向かおう。今ごろ食事をしている頃合いだ」

 

 噂の彼は宿屋の外を通りかかった。ささくれだった心は表情に現れ、エルフを引き摺るように歩いていた。帝国のエルフは何者かに全て買い占められ、追加の仕入れを聞こうにも店が閉められていた。一体でも高額なエルフを、帝都全てで買い占めるなど狂気の沙汰だ。文句を言って一体くらい横流ししてもらおうと情報を集めるも、ようとして犯人は知れない。

 

(フォーサイトにはハーフエルフがいたと聞きましたが、彼らも帝国から消えてしまった。魔導国……か。もしかすると、エルフの奴隷はそちらで転売されているかもしれません。魔導国の奴隷商人を聞き出し、必要があれば拠点を移してみましょう)

 

 それぞれの思惑も三者三様に、ニンブルとクリアーナが食事に舌鼓を打っている食堂の外で、機を狙うグリンガムとパルパトラ、魔導国にエルフの奴隷が売られているかを聞きたいエルヤー、魔導国とブレイン・アングラウスの情報を入手したいオスクと従者が待機している。

 

 のけ者にされた帝国四騎士のナザミ・エネックは、二つ名が示すとおりに宮廷から出てこなかった。

 

 

 

 

「お食事、奢っていただきありがとうございました」

「こちらこそ、魔導国の情報を教えていただき感謝します。皇帝陛下と私の同僚は、魔導国を楽しんでいるでしょう。それがわかっただけでも十分です」

「お役に立てて光栄です」

 

 四騎士のニンブルだけが、欲した情報を全て入手し、最も満足していた。

 

「もし魔導国に行くことがあれば、案内をお願いできますか?」

 

 差し出された提案に、クリアーナは黙り込む。

 

(次回の逢瀬(デート)を取り付けるなんて……ブレイン様より手が早いわね)

 

「どうしました?」

「ごめんなさい、私は仕事が楽しくて。恋とかは今は考えられません」

「……はい?」

 

 気まずい沈黙が流れる。ニンブルが言葉の裏に隠された意図を探ろうと首を傾げている時間に、人気者のクリアーナの視界には、彼女の話を聞こうとする者が集まっている。

 

 人さらいに囲まれた気分になり、ニンブルの影に隠れ、振り返った彼は表情をこわばらせた。

 

「……失礼、こちらの女性は私の連れです。何か御用ですか?」

「帝国四騎士の激風殿とお見受けする。我はワーカーチーム、ヘビーマッシャのリーダー、グリンガム」

「なんしゃ、ウスルスもおったんかい」

「……ええ、彼女に魔導国の話を聞きたかったのですよ」

「そちらの商人はどなたですか?」

「失礼、私はオスクという商人です。闘技場最強の戦士、武王の興行主でございます。ブレイン・アングラウス様と武王の戦いを闘技場で実現させたいのですが」

 

 名が売れている武王が試合する際、闘技場は弱者を虐げる暗い喜びで満たされる。

 日ごろの鬱憤を晴らそうとする観客で場内は溢れかえり、ここ最近で武王を出せと闘技場側から依頼が相次ぎ、懐事情がよろしくないのかと勘繰らせた。

 オスクの懐は潤沢に潤い、観戦客の鬱憤も晴らしていたが、それと同時に武王は弱者とばかり戦わせられることとなり、欲求不満を募らせる。

 ガゼフ・ストロノーフと対等の試合を繰り広げたブレイン・アングラウスであれば、手ごたえのない相手とばかり戦っている武王の欲求不満も解消されるだろう。

 何よりも自身が手塩にかけて後援し、腕を上げるのに協力している彼が、王国最強の地位にあるブレイン・アングラウスを叩き伏せている光景を見たかった。

 

 だが、彼の提案に反応を示したのは、自意識の高いワーカーだった。

 

「ふっ、失礼ですが、私こそが帝国最強の天才剣士、エルヤー・ウズルスです。なぜ、私に頼まないのですか?」

「ブレイン・アングラウス様とお会いしたいのですが、魔導国に行けばお会いできるでしょうか」

 

 石畳に付着したガムでも見る目で一瞥し、一切の返事をせずにオスクは続けた。

 戦士としての腕前を全否定されたエルヤーは憤る。

 

「失礼ではありませんか? 闘技場で暴れるだけのトロールなど、見世物程度の実力なのでしょう。私は過去に幾度となく魔獣を狩っています。その程度の魔物など私が――」

「失礼なのはどちらなのか、よくお考えになられてはいかがかな。私は彼女に話している。一介のワーカー如きが、ゴ・ギンに勝てるわけがない」

「待ちなしゃれ。一介のワーカー如きという物言いは引っかかるそ」

「あなたも邪魔をしないでいただきたい。首狩り兎、私を守れ」

「はいはい」

 

 オスクの背後にラビットマンが立ち塞がり、エルヤーは腰の刀に手をかけ、兎は丸い拳を握る。

 会話の隙間にクリアーナはグリンガムに取られていた。

 

「失礼、メイド殿。我はグリンガム。貴殿に依頼をしたフォーサイトと親交のあるチームだ。彼らを訪ねたいのだが、お会いする予定はあるだろうか」

「彼女は魔導王陛下の勅命を受けた御方です。邪魔するなら私が相手になりますよ」

「何これ。もう、帰りたいなぁ」

 

 ニンブルに協力してもらいながら状況を整理し各人の思惑を把握したが、午後の日はすっかり高くなっていた。今から帝国を発ったとしても魔導国の地を踏むのは深夜であり、馬車の中で夜を明かすのは気が引けた。開き直った彼女は、打算に指南されてオスクに対してのみ真摯に接する。

 

「ブレイン様は療養中ですが、回復すれば武王という方には負けません」

「ほほぅ、帝国で武王と戦っていただきたいのですが、依頼は受けていただけますか?」

「知りませんよ、自分で頼んでください。なんなら、明日にでも一緒に来ますか?」

「それは願ってもない。是非お願いしたい」

「馬車の手配はそちらでお願いします。手数料も私個人にください。それ以外に、ブレイン様への試合報酬を。余計に一泊する羽目になったのですから、それくらいはかまいませんよね?」

「うぅむ、仕方がありません。それくらいはこちらで持ちましょう」

「それではまた明日、帝都の正門前でお待ちしています。オスク様、失礼いたします」

 

 ワーカーをニンブルに任せて足早に立ち去ろうとするも、行く手はエルフに遮られてしまう。後ろで冷笑を浮かべるエルヤーは、態度が悪く、好きになれなかった。

 

「失礼、次は私です。オスク殿にはまだ言いたいことがありますが、それは後回しにしましょう。魔導国でエルフの奴隷は売られていますか?」

「知りません」

「魔導国にも奴隷商人くらいはいるでしょう」

「だから知りません。ご自分で魔導国に来られてはいかがですか?」

 

 彼の見下したような態度と冷笑も気に入らないが、連れているエルフの奴隷は経験のない彼女の目から見てもお手付きであり、冒険の相方として対等には扱われていない。

 ゼンベルに対等に接していたブレインとの格差に、内心からこみ上げる嫌悪を抑え込んでいた。

 

「魔導国最強はブレイン様です。それに、魔導国には魔導王様と蛇様がいます。武王だろうが、ワーカーだろうが、一撃で倒せるような人がごろごろとジャガイモのように転がっている国です」

「ぷっ……」

 

 一国の主がその国で最強の存在など、おとぎ話でももう少し現実的な設定にする。下らない嘘だと判断し、噴き出したエルヤーを見てクリアーナは瞬発的な怒りに囚われる。

 

「私の主人と魔導国を笑わないで。あんたなんかブレイン様に挑んでも数秒と持たないんだから! 嘘だと思うなら魔導国に来ればいいじゃない! 全員まとめて相手になってあげますから!」

 

 冷静になった彼女は慌てて口をつぐむも、吐いた言葉は戻らない。エルヤーのこめかみに血管が見えた。

 

「我々は、ブレイン・アングラウス殿と戦いたいわけではない」

「ひゃひゃひゃ! 我々もついて行くそ。面白そうしゃ」

「御老公……」

「それは素晴らしい! 是非とも武王との戦いをお願い致します! しばらく武王は戦う予定がありません。特注の馬車でお連れします」

「それは願ってもない。奴隷を買いに魔導国へ行く予定でしたので、その片手間にブレイン・アングラウスを葬って私の名声を高めるとしましょう」

 

 オスクとエルヤーの目は「逃げるなよ?」と念を押していた。

 怒りの消えた思考は冷めたが、余計な真似を悔いる彼女にニンブルの心配する声は届かなかった。

 

「どうしよう……ブレイン様に怒られる」

 

 

 

 

「どうしてそうなるんスか。ブレインに怒られますよ」

 

 夜になった魔導国の王宮で、アインズの突拍子もない提案が理解できず、日ごろの行いが悪い大蛇も思わず咎めた。

 

「男は守るもののために戦うものだ」

「はぁ、そりゃまあ」

「生きる気力を無くした者に、口先だけの安い慰めや、下らん倫理観に基づく説得は効かん。お前もそうだっただろう?」

「それを言われると苦しいス」

 

 かつて自室に引き籠り、歪んだ感情の命ずるままに自傷行為に及んだ過去が思い起こされる。下手な慰めで刺激してしまえば、相手を殺して自身まで殺しかねなかった。

 

「ブレインが何て言いますかね」

「今から行くか?」

 

 クリアーナが何をしているのか心配もせず、二人はブレインの邸宅へ転移した。ドアを開いた新たなメイドは、異形の来訪者に怯えながら対応し、震える足を引き摺って案内してくれた。「そんなに怯えるな」と声を掛けたかったが、何をしても卒倒しそうな彼女に、行動する気にもならない。寝室のブレインは回復薬も飲まず、包帯とギプスに束縛され、ベッドの上で呆けていた。

 エルフの王を相手に熱戦を繰り広げた剣士も、こうなっては見る影もなく、隠居したランポッサ三世となんら変わりない。

 

「なぜ回復薬を使わない。一本、渡しておいただろう」

「気が乗らなくてな」

「今日はクレマンティーヌのことで話にきた」

「いや、特に話すことはない。あいつは自らの意思で俺を庇って死んだだけのことだ」

「ブレイン、悪いが彼女は蘇生できた。つまり、生きたいと思っている」

「……そうか」

「問題はそこではない。これから彼女の歪みについて話す。その後は好きに選べ」

 

 クレマンティーヌは生い立ちこそ身分が確かなものであったが、その生き様は光を求めて闇を酔歩している。希望の光を手にしたか、彼女が最後に見た人物の記憶が物語っていた。

 

 アインズは電車に引かれてひき肉になった人体像のように、支離滅裂となった記憶の歪みを消去したが、《彼女が最後に見た者》の記憶、他と違って澄み切った小さな記憶は消さなかった。

 

「汚い感情が詰め込まれた中にでも、小さな希望は残すものだ。人間とはな」

「……あいつも、色々抱えてるんだな」

「人は色々と抱えるものだ。私も、この馬鹿も、な」

「しかし、何がどうすれば、俺があいつの兄貴と戦うことになるんだ?」

 

 アインズの提案。それは、彼女の人格が歪んだ原因の一つ、殺したいほど憎んでいる兄貴を、ブレインが打ち倒すというものだった。生きる気力を失った彼女が元に戻らなければ、処刑か再利用(リサイクル)しか選択肢はない。

 仮にブレインが彼女の兄を倒し、鈍色になった心に石を投げたとて、彼女が治らなければ辿る道は変わらない。

 

「再利用って……おまえら、普段は下手な人間よりも人間らしいくせに、たまに異形種らしいことを言うよな……」

「蛇だからな」

「私はアンデッドだ」

「見ればわかる。そうか、あいつが蘇生されたなら、俺も真面目に治療するかな」

「回復薬を飲み、体調を整えろ。クレマンティーヌがナザリックで解剖されて異形種の食卓に上るか、この家で暮らすのかはブレインの腕にかかっている」

「食卓に上るのは目覚めが悪い。真面目に戦うさ、腕が鈍ってなけりゃいいが」

「また俺の眷属と稽古するか?」

「少しは骨のあるやつがいいんだが。まぁ、ガゼフ相手に上手くやるさ。本気で立ち会える相手はガゼフか蛇の嫁さんくらいだからな」

「ガゼフは療養中だ。ザリュースは休みをもらって家に帰った。ラキュースは駄目だからな」

「上手くいかないな……」

 

 退室する彼らの背中を見送り、自分がどうしたいのか改めて考える。彼女が帰ってくる未来は、想像して楽しかった。強さを取り戻せば、ガゼフと並ぶ良き友人になる。自身も更なる強さを手に入れるかもしれない。

 

「ありがとよ……二人とも」

 

 誰にも聞こえない前提で呟いた。

 当然、屋敷を出て雑談をしながら歩を進める二体の異形種には届かず、両者は別の話題を拾い上げている。

 

「それにしても、この世界のレベルアップの仕組みはどうなっているのだ。なぜ戦いの中で急成長する。漫画の主人公か」

「異世界のルールなんて知りませんよ。経験値は戦いで得るとは限らないってことでしょ」

「職業についても調査をする必要があるかもしれん。レベルの上限が100という点は同じだが」

「あ、そういえばパンドラにモモさん人間自由化アイテムの開発を頼んだんで、完成したらよろしく」

「よろしくない」

 

 それから、アインズがいかに世界を楽しめない体なのかを懇々と説くヤトに、何らかの意趣返しをしようと決めた。クリアーナが帝都を発ち、ワーカー、商人、異形種と楽しく野営をしているときに起きた一幕である。

 

 

 

 

 ブレインが王宮にてクレマンティーヌの兄と戦うべく、闘志十分に刀を素振りしている最中、クリアーナが来客を連れて帰還する。王宮に連行して蛇に相手をしてもらおうと考えていたが、中庭で待っていたのは雇用主その人だった。

 

「クリアーナ……」

「あうぅ……どうしてブレイン様がここに」

 

 水中の酸素濃度が低下した金魚に似ている。真顔でこちらを見ている主に言葉が出ず、口の開閉を繰り返した。話しかけやすい蛇に対処してもらおうと練った策略は、実行に移す前に露と消えた。

 

「あ、あの……」

「失礼、私、帝国四騎士の一人、ニンブル・アーク・デイル・アノックでございます。ブレイン・アングラウス様でしょうか」

「そうだが、何で四騎士がここにいるんだ」

「クリアーナ殿も主を前に緊張しているご様子。及ばせながら、私からこの事態をご説明させていただきます」

 

 涼やかな騎士は面倒事に巻き込まれた此度の事態を説明し、ブレインは事情だけは把握したが、納得はできなかった。

 

「……やれやれ、仕方がないやつだな。それで、俺はどいつと戦えばいいんだ?」

「あそこのひょろっとしたワーカーさんと、あちらの大きな人だけです。他のワーカーさんは観戦だそうです」

「……おい。あれは人間じゃないだろう」

 

 ブレインが頭髪を掻き混ぜたあたりで、アインズとヤトは地下牢からクレマンティーヌを連れてくる。両手を引き摺られて階段を上り、力の入らない足が垂れ下がる有様は、さながら宇宙飛行に成功したチンパンジーだった。枷は外されていたが、活力のない彼女は座った姿勢のまま横に倒れる。

 

「おい……もう少し優しくしてやれよ」

「横に倒したわけじゃないからな。コレが力を抜いてるんだよ」

 

 記憶のデータ貯蔵庫(アカシックレコード)でブレインの記憶が動いたが、見覚えのある顔を見て、誰なのか探っただけだった。近寄ったブレインが体を起こし、頬を優しく叩くも何の反応もない。

 

「クレマンティーヌ、俺が分かるか? ブレイン・アングラウスだ」

「……」

「うーん……」

「ブレイン、彼らは誰だ」

「なんか人多くね?」

 

 二人の視線は明らかに人間の規格ではない武王に向く。オスクの喜ぶ声は、この距離では届かない。

 

「おお、あれはまさしく、アンデッドの魔導王陛下と魔導国の蛇! 二つ名の通りの容姿だ」

「……気持ち悪い」

「ふっ、ふっ……感謝する。お前は約束通り、俺が身震いする強者と引き合わせてくれた。いや、これは身震いではない、死の恐怖だ」

「何だと? そこまでの相手だというのか、ブレイン・アングラウス殿とは」

「ありゃー……わかんないの?」

「奥のアンデッドと大蛇。あれはこの世界にいていい者じゃない。スケルトン、ナーガといった一般的な種族ではない」

「そう、あそこに世界を滅ぼす神が二体いる感じって言えばわかる? 近寄ったら死ぬ」

 

 強さを見抜くのも暗殺者には必要である。彼らと戦い、生存する可能性が見いだせず、首狩り兎は体が震えるのを必死で堪えた。活火山の火口に飛び込む方が、まだ生存確率が高い。

 

「俺の勘が逃げろと騒いでいる。お前は約束を全て守ってくれた。最後に戦う相手に相応しい。二人同時に相手を――」

「ま、待て! 今日はブレイン・アングラウス殿と――」

「無理だってばー……一番おいしいものが目の前にあるのに、三番目に美味しいものを食べようとは思わないでしょ?」

 

 中庭の端で準備運動をしていた武王、ウォートロールのゴ・ギンと、アインズ、ヤトの両名は視線を電撃のように繋げる。オスクが青くなり、首狩り兎が逃げる算段を始め、武王が手に汗握って視線を切らないすぐ隣、打って変わってエルヤーは侮っていた。

 法国出身の彼からすれば、死者の大魔法使い(エルダーリッチ)とナーガは倒した経験があり、侮るに足る相手だった。

 

(ふふん、魔導王がエルダーリッチで、魔導国の蛇とはナーガでしたか。口ほどにもありませんね。この場でブレインを倒し、魔物を討伐して英雄になるのも悪くありません)

 

 異形種をせせら笑うエルヤーの傍ら、グリンガムとパルパトラはブレインを見ていた。

 

「む……彼奴は、強い」

「そうしゃな。儂も殺気を放ってみたが、簡単にいなされてしまったのしゃ。強さはアタマンタイト級か、あるいは凌駕するかもしれんそ」

「奥の異形種、魔導王と大蛇にも殺気を?」

「まさか! 勘弁してくれい。儂は早死にしたくないんしゃ」

「十分に長生k……いえ、御老公、賢明な判断だ」

 

 80歳になる老人、放っておけば100歳を軽く超えていきそうな老人は、前歯のない口を開けて愉快に笑った。異形種の強さを見抜いた両者は早々に中庭の片隅へ退場し、物事の動向を窺った。下手に関わって彼らの怒りを買えば、人間に思いつかない惨たらしい最期が待っているかもしれない。

 あわよくばフォーサイトが通りかかればと思ったが、それらしき姿はない。

 

 遅れてきたクレマンティーヌの兄、クアイエッセ・ハゼイア・クインティアは、状況を把握すべく、柱の陰に隠れた。現世に別れを告げようとしている妹を見つけ、強い憐憫と微小な親愛が入り混じった視線を向けた。

 

 

 

 

「状況がわからん。全員、こちらに来て名乗れ」

 

 真っ先に駆け寄り、名乗りを上げたのは商人のオスクだ。

 

「私は帝国を拠点とするしがない商人のオスクでございます。本日は急な訪問にご対応いただき、感謝に尽きません」

「長い前置きは必要ない。私はそなたの王ではない。簡潔に目的を話せ」

「はっ! こちらが従者の執事とラビットマンと……おや?」

 

 首狩り兎から息が漏れた。魔導王と蛇を見た感嘆の息ではない。気まぐれに指を振れば命を刈り取られる相手だと本能で察している。

 そんな相手が、髑髏の眼窩から怪しい光点で自分を凝視している。

 

「ラビットマンとは珍しいな」

「ひっ……」

 

 アインズの視線は彼――女装をしているが男性である――から動かない。再び恐怖の息が漏れた。「珍しいからちょっと殺してみてもいいか?」と聞かれたとしても、誰もが納得する迫力があった。上下の歯が衝突する音が自身の骨に響き、短い時間で首狩り兎が勝手につけている武力順位が二つも下がった。

 

「アインズさん、震えてますが、殺す気ですか?」

「む、そうだな。寒いのか?」

「いや……あんたが見たからでしょ」

「そうか?」

「は、ひぃ、ひいえ! 寒くありません!」

「そうか。この大蛇は冷気に弱い。兎は違うだろうが、必要があれば毛布でも用意させよう」

「けっけ、結構です!」

 

 彼が暗殺者兼護衛として雇われたと知らず、愛でるコレクションなのだろうと勝手な判断を下したアインズは優しかった。そして、自分もちょっと欲しかった。

 

「オスク、中断させて悪かったな。続けてくれ」

「はっ! こちらが闘技場最強の名を欲しい(まま)にしている武王、ウォートロールのゴ・ギンでございます」

「ほほぅ……これがそうなのか」

 

 何がこれで、何がそうなのか自分でもわからない。なんとなくそう答えるのが最適な気がしただけで、武王など聞いたことはない。アインズが帝都に滞在したのは二日間であり、まともに観光や情報収集もしていなかった。

 

「流石は陛下、ご存知でございましたか。彼を連れてきたのは、ブレイン・アングラウス殿との戦闘組み合わせを、闘技場にて実現させていただきたく――」

「オスク、その必要はない」

「ゴ・ギン?」

「私は震えて逃げ出したくなる相手を求めていた。魔導王と蛇よ、名を聞かせてくれ」

 

「……? 私の名は、アインズ・ウール・ゴウン魔導王だ」

「俺は魔導国の蛇、ヤトノカミ」

「俺はここで死ぬとしても、その名を絶対に忘れない。俺と戦ってくれないか?」

「ゴ・ギン! 許さんぞ、そんなこと!」

「この機を逃すと、二度と戦えないかもしれない。戦って死んでも構わない」

 

 アインズとヤトは顔を見合わせる。異形の顔は判断が付かないが、彼らは目を丸くして彼の真意を探り、同時に武人として振る舞う彼に興味が湧く。

 

(彼は良い趣味をしている……他のコレクションを見せてもらいたいものだ)

 

「随分と理知的なトロールだな。突然変異種なのか? 以前にトブの大森林で殺害したトロールは、絵に描いた愚か者だったが」

「同種族を見る限り、俺が変なのだ」

「お前、前衛職だな? 戦いたい気持ちはわかるぞ。どっちと戦いたいんだ?」

「二人同時に」

「おいおい、俺をないがしろにして話を進めるなよ。俺だって療養を止めて戦いに来てるんだぜ」

「いや、ブレインじゃ勝てないだろ。こいつはエルフ王並みだぞ。前衛なら前衛と戦いたいと思うけどな」

「待て、ここは私が――」

「いや、俺に任せてくれ」

「前衛で最強は俺だ。俺にやらせろ」

 

 アインズが興味を示した影響で、下らない押し問答へと導かれる。ゴ・ギンの目にはブレインも楽しめる強者なのだと理解はできたが、より強者の二人を見てしまった今となっては、闘争本能は二体の異形に向けられていた。

 放っておかれたエルヤーが、見下している異形種に侮られ、静かな怒りを上限まで溜めたのは、三名のダイスによる抽選が終わった頃だった。

 

「あああぁぁぁぁ………」

「外れた……」

「よし! ……ゴホン。大いなる運命は私を選んだ。武王、ゴ・ギンよ、私と戦え」

「殺さないでくださいよ? 俺も後でやりたいから」

 

 片手を上げて返事をしたアインズは、ゴ・ギンを連れて中庭の隅に移動していく。慌てたオスクは後を追い、首狩り兎は逆に離れていった。

 

「んで、残ったお前らは……あ、四騎士とクリアーナは知ってるから下がっていいぞ。ワーカーは名を名乗れ」

「異形種風情が、一国の主のおつもりですか。私の刀でナーガを殺せば、私がこの国を治められま――」

 

 エルヤーの顎で爆弾が起爆され、顔の下半分が消失した感覚に見舞われる。直後、襲ってきたのは想像を絶する激痛だったが、飛ばされて壁に叩きつけられた彼の傷みは緩和された。鋼鉄の鞭に酷似した尾の一撃に、エルヤーの顎は砕けている。

 

「お前ら、あいつを介抱しろ。エルフ、お前らはそこに座って待機しろ。この世のエルフは全て魔導国の所有物だ」

 

 さも当然とばかりに命令されたパルパトラとグリンガムは、刃向かうことなくエルヤーに駆け寄る。反論すれば彼の二の舞なのだと、感情の籠らぬ蛇の瞳が物語っている。

 

「ヤト! 戦う相手が確実に減っているぞ!」

「あ……すまん、ブレイン」

「ったく、腕試しくらいさせてくれよ。クレマンティーヌの兄貴はまだ来ないのか」

「そこの柱の影にいるから呼んできてくれ」

「そうなのか?」

 

 エルヤーは遠くの壁まで飛ばされ、顔には恐怖が貼りつき、二度と離れそうにない。

 エルフは顔を背けて暗い笑顔を押し殺し、彼をブレインが圧倒する様を見たかったクリアーナは、器用に片頬だけを膨らませた。

 

 

 

 

「良い目をしている。殺すには惜しい逸品だ。それでもまだ戦うか?」

「そちらも素晴らしい力だ……俺は、もっと戦っていたい! その強さを余すことなく味わいたい!」

「ここからは手心を加えん。お前は死ぬが、それでいいのか?」

「命は惜しくない! 俺にその力を、強さの(いただき)を教えてくれ!」

「大したトロール……いや、武人だよ、お前は。負けたら蘇生し、私の物になれ!」

 

 

 

 

「……ビーストテイマーかよ。騎士じゃないのか? 決闘の経験は?」

「ありません」

「なあ、あんた。妹をどう思ってるんだ?」

「早く死んだ方が彼女のためではありませんか?」

「武器を貸してやるからブレインと立ち会え」

「お断りします。ビーストテイマーの私が戦士と一騎打ちをすれば、万に一つも勝ち目はないでしょう」

「妹に声くらいかけてやれよ」

「そちらもお断りします。血縁者とは言え、彼女は漆黒聖典の裏切り者。法国の重要人物も殺めています。本来であれば、私自ら使役する魔獣を操り、八つ裂きにしてやりたいところです」

「……だめだ。こいつも頑固者だ。法国はこんなやつばっかなのか」

「……双子だから似てるな。あいつも人の話をまるで聞かなかった」

 

 残された手段はさほどない。蛇にも慣れた手段しか思いつかない。顔を突き合わせ、密談を終えた蛇とブレインは、同系統の武器、刀を抜いて中庭で対峙する。

 

「ブレイン・アングラウスだ。あんたを倒す野良犬の名だぜ」

「いくぞ、野良犬が! ここで死ね!」

 

 エルフ国の再現である。クアイエッセは、ヤトの高圧的な命令、ブレインの親身な懇願にほだされ、渋々と彼女に声をかけたが、彼にしてみれば迷惑極まりない。

 

「クレマンティーヌ、聞こえるか? お前の兄、クアイエッセだ。お前の性格が歪んだのは私のせいだ。兄として、お前には迷惑を掛けたと思っている。何と謝罪すればよいのだろうか」

「……」

「お前の居場所は法国ではない。帰る場所はブレインの家だ。お前の帰りを待っている」

「……」

「しっかりしろ! それでもクインティア家の娘か! 裏切り者とはいえ、貴様も誇りある漆黒聖典の一員だったのだぞ! あの男が誰のために戦っていると思うのだ!」

 

 通して演技で行うつもりだったが、言葉に出したことで彼の言葉は熱を帯びる。

 

「……ブレイン……アングラウス」

「そうだ! ブレイン・アングラウスだ! お前が愛した男だろう! これ以上、情けない姿を見せ、彼を悲しませるな! 彼は誰のために戦っているんだ!」

 

 刀と刀がしのぎを削り、耳障りな金属音が鳴る。ワーカー三名は、人知を超越した彼らの武力に、感嘆のため息を吐く。

 

「老公、彼らの斬撃が見えるか?」

「見えん。年取ったせいしゃないそ。人間の速度を超えておるんしゃ」

「ば……化け物……」

 

 そうではない。

 

 交互に単調な攻撃を繰り返しているだけだった。刀とは、振り下ろす以外に受け流し、居合い、突き、袈裟斬り、切り上げと、用途は様々な武器である。通常の剣と大きく違うのは、その速度と切れ味だ。傍から見ている彼らが、装備品の希少価値とレベルで遥か高みを行く闘争の演技を、怪物同士の戦いと見たのも無理はない。

 

(こんな適当な攻撃でいいのかな……)

 

 不安になるヤトの心情など、観戦者の知るところではなかった。

 

「邪魔だぁ!」

「うぐっはぁ」

 

 尻尾の一撃でブレインの体が浮き、クレマンティーヌの眼前に着地する。鳩尾にクリティカルヒットした打撃はブレインの内臓を損傷した。胃を押さえ、刀を支えに立っているのは演技ではない。

 

「くっ……あの野郎」

 

 倒れるブレインに大蛇の影が差す。蛇の視線はブレインの心臓に突き刺さり、軽い演技で戦っているとは思えなかった。

 

「もう終わりか、ブレイン・アングラウス。野良犬の意地とやらは、そんなものか」

「舐めるなよ、蛇野郎。クレマンティーヌは、俺が守る!」

 

 このタイミングしかないと判断し、ブレインは武技を展開した。

 寸前で間合いの外に出た大蛇は嘲笑する。

 

「はっはっは! なんだその哀れな力は!」

「どうした、俺の間合いに入ってこいよ。怖いのか?」

「雑魚が……力の差を教えてやる。お前の必殺技を無効化し、その首を刎ねてお前の女に突きつけてやろう!」

 

 大蛇は領域を侵した。

 

 当該区域の命中率を上げる《領域》、知覚できない神速の刃《神閃》、それに乗せて併発したのは、宿敵で親友の得意技《六光連斬》。無造作に領域を侵した大蛇へ、六つの斬撃が飛来する。ブレインを舐めていたと知るのは、刀を握る利き手の指が、同時斬撃によって全てひしゃげ、得物を取り落としてからである。

 

「……え?」

「へへ、ヤトにも効いたか……つ」

 

 未だ武技使用の過負荷に耐え切れず、ブレインは体を揺らし、慌てて頭を押さえた。

 気を抜くとそのまま倒れかねない消耗を感じた。

 

「無効化を貫通した……のか?」

 

 ブレインに余力は残されていない。ヤトも何が起きたのか、潰れた右手を見るばかりである。

 

 彼女は走り出していた。

 

 自身に残された記憶の上澄み、開かれたパンドラの箱の底に残ったもの、彼女の大切な記憶の欠片を守るために。自分のためではなく、ブレインのためだけに蛇の前に立ち塞がる。女豹のように姿勢を低くして走った彼女の手には、ヤトが落とした刀が握られていた。

 

「クレマンティーヌ!」

「あたしは盾になる! 守って死ぬための、それだけで死ね!」

 

 言語構成は怪しかったが、彼女は元気を取り戻したように見える。大蛇は拍手でもしてやろうかと口を歪めた。

 

「おめでとう、クレマンティーヌ」

「今を生き、そして死ね!」

「あー……もしもし? もう終わったぞ」

「ああああああ!」

 

 刀で斬りかかりながら絶叫する彼女に、蛇の言葉は届いていない。彼女を止めようにも、ブレインも慣れない武技の消耗で立ち上がれず、苦笑いをしている。

 

「おい、ブレイン。暴走してるぞ、何とかしてくれ」

「悪い。立てないようだ」

「簡単に力を使い果たすなよ」

 

(今の奴に見つかったら、本当に殺されるかもしれない)

 

 クアイエッセは柱の影に隠れた。

 

 クレマンティーヌは弱々しく武器を掴み、無効化されても刀で斬り続けた。まともに飲み食いをしていない彼女の体力は長続きせず、やがて力尽きて地に伏す。

 一瞬たりとも見逃すまいとしていたクリアーナは目を擦り、零れる涙を拭った。ニンブルは見かねてハンカチを出したが、鼻をかまれて貸し出しから譲渡に切り替える。

 

「よかったですぅ……ブレイン様ぁ。これも愛のなせる業なのですね……」

「そのハンカチは、差し上げます」

 

(人は変わるものだ……あのクレマンティーヌが、誰かのために戦うとは……今日はこれで失礼しよう)

 

 クアイエッセは密かに城を去るが、彼の胸に親愛があったか定かではない。

 

 

 

 

「それで、それからどうなったの?」

 

 ヤトの自宅、応接間で雑談をするラキュース、レイナース、ヤトは、ブレインにまつわる騒乱の話を肴に、しめやかに酒を飲んでいた。

 

「ワーカーは用がないから追い出したが、しばらく王都にいるらしいぞ。アインズさんが魔導国に冒険者とワーカーの垣根は必要ないって言ってたから、仕事でも頼んでみるか」

「激風はどうしたのだ?」

「四騎士は皇帝の宿へ向かわせた。王宮にいても仕方がないし、せっかく来たんだから皇帝に会いたいだろ」

「武王……ウォートロールだったかしら。彼は?」

「トロールはアインズさんがコレクションに加えた。冒険者をやらせるか、騎士を鍛えさせるか、外交に連れていくかで楽しそうに悩んでたよ。連れてきた商人とも応接間に籠って長話をしてたな」

「話は変わるのだが、昼間にバンガイセキジと名乗る子がきた。上がり込んで色々と聞かれたのだが、知り合いか?」

「……あの野郎。王宮で姿が見えないと思ったら」

「彼女はどうなったのかしら」

「イビルアイか? アインズさんの部屋にでもいるんだろ。アルベドはナザリックで仕事してるから」

「違うわよ、ブレインの奥さん……奥さんなの? クレマンティーヌよ」

「ああ、それはな――」

 

 場面は変わってブレインの邸宅。寝室のベッドで休んでいるブレインの傍ら、ベッド脇に正座している女性は彼を凝視する。

 

「そこにいられると、眠りにくいんだが」

「あたしはー……ブレイン様の部下、です。好きにお使いください」

「好きにって……」

「……嫌い?」

「さっさと行け。お前の部屋はあるだろ……はぁ、次から次へと、どうしてこう平和に過ごせないのかね」

 

 新たなブレインの奴隷は無表情に努めていたが、心なしか笑っているように見えた。

 

 あれから、力尽きて動けなくなったクレマンティーヌの記憶は、再び書き換えられた。「ブレインを愛している」と、最後の記憶に書き加えようとしたアインズは、ブレインに全力で止められた。アインズとブレインのあいだで彼女の処遇に関する議論がなされたが、《奴隷》と《友人》の二択で揺れ動く。

 

「ブレインは昔の彼女を知らないからそう言えるのだ。部下の妻の妹を惨殺した快楽殺人者なのだぞ。愛で縛っておくべきだろう」

「それでも、奴隷ってのは違うだろ。こいつだって不幸になるために生まれてきたんじゃない。対等な友人なら俺が止められるぞ」

「従属する喜びもあるがな」

「そんなのは求めていない」

 

 互いに一歩も譲らなかった。早く帰りたかったヤトは、二人の議論を方向転換する。

 

「あーはいはい、二人ともストップ。時間の無駄だから、ここは間を取ったらどうスか」

 

 そのまま大蛇の提案が採決され、記憶の上澄みには「ブレインの部下である」と書き加えられた。しかし、深層心理に仕舞い込まれた記憶に、ブレインを愛した記憶の欠片が混じり込み、部下と愛人の記憶を混同した彼女は、言動、行動ともに奴隷と相違ない。

 

「ブレインさまー。添い寝をさせて……ください」

「早く行け! 自分の部屋で寝ろ!」

「むりー……です」

 

 部下として振る舞おうとする彼女が、まるで指示を聞かないのは気になったが、理由は彼の知る所にない。殺人衝動、人格の歪みは健在だったが、別の巨大な感情に踏み潰され、今の彼女は拾われた捨て猫だった。

 

「ねえん、ブレインさま」

「ああ、面倒くさい……勝手にしろ! 俺は疲れているから、先に寝るからな」

 

 今は睡眠薬が欲しかった。

 

 なぜ裸体でベッドに潜り込むのかと問い詰めたかったが、返事は色を付けて返ってくるだろう。観念した彼は流木のように微睡の海を漂流する。漂う海は温かかった。

 

 

 

 

 派手に脱ぎ散らかし、部屋着に変わったクリアーナはベッドに飛び込む。自室のではなく、パナシスの部屋のベッドへ。

 

「大変だったわね」

「手に入れた報酬はクレマンティーヌ様の装備品で消えちゃったし、お小遣いも無し。花瓶は買い忘れるし、ブレイン様には文句を言われるし、踏んだり蹴ったりよね」

「花瓶は私と買いに行きましょ。ねえ、それより帝国四騎士様とは何もなかったの? 同じ馬車だったんでしょ?」

「何もないわよ。真面目な話を除外して、雑談はお茶の話ばーっかり。お茶友達もたくさんいるみたい」

「遠距離恋愛は続かないっていうもんね」

「あ、そういえばハンカチ貰ったわ。それに蜂蜜酒も」

「なあにそれ」

「帝国で優しくしてくれた怪しい人がお土産に持たせてくれたの。乾杯しましょうか」

「いいわね! 妹も呼んでくるからちょっと待っててね」

 

 花瓶の探求は失敗したが、楽しい思い出を咀嚼するように、しめやかな女子会は夜更けまで行われた。

 

「明日も、その次も、そのまた次の日も、同じ毎日が続いていくのよ!」

「あーさいっこう! こんな毎日なら一生独身でもいいかもぉ!」

「お姉ちゃん……クリアーナさん……」

「アインズ・ウール・ゴウン魔導国に、栄光あれぇ!」

「魔導国に、永遠の繁栄をぉ!」

「酔っ払っちゃった……先に寝るからね」

 

 出来上がった二人の駄目女を前に、呆れた妹は席を立った。幸いにもブレインは翌日の昼過ぎまで部屋から出てこず、寝坊した彼女らが青くなって部屋を飛び出ても、咎めるべき主人の姿はなかった。

 

 

 彼女たちの言う通り、周辺国家と良好な関係を築き上げた魔導国は平和に繁栄を続ける。何が起きても世界の法則は変わらず、時間は確実に経過し、太陽は沈んで昇るを繰り返し、必ず明ける夜は常に訪れ、魔導国は順調に栄えていく。

 

 ナザリックの維持費を稼ぐことに全力を注ぎ、人間・異形種を愛するつもりなど毛頭ないアインズは、彼らを放置することによって魔導国に平和を紡いだ。

 

 仲間と(しもべ)に注いだ愛のおこぼれは、魔導国の大地に降り注いで潤いを授け、生きとし生けるものに光と愛を与え、悠久に幸が守られ続けるだろう。

 

 

 魔導国の大君主(オーバーロード)は誰よりも強いのだ。

 

 

 

 





次章、異形編

「お前も行ってこい。たまには役に立て」
「えぇー?」
「ここに残るか?」
「……行ってきます」

 次回、「馬鹿と鋏と溶け爛れた脳の男」

「本音を風呂とかで語り合う程度でいいんだよなぁ……」



――※注意※――
この先から残酷描写は事前告知無しの警告なし発砲。会話メインに疲れ、筆が異様に重くなりましたので、小説らしいまともな文章を書く努力をします。
これまであった創作時の優しい倫理観は死にました。胸糞、残酷描写は無機質に展開されますのでご注意ください。ダイスは健在です
参考:平山夢明先生の小説を全て楽しめる程度


今回、最終回っぽい雰囲気を出していますが、ここから書き方と考え方が変わるので一区切りつけました。
ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました。
最初は三万文字超えていましたが、なんとか二万四千文字弱にまとめられました

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