モモンガさん、世界征服しないってよ   作:用具 操十雄

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Destine

 

 

 その日、ブリタが雑用をこなすべく王宮を留守にした時間で、それなりに仲良くなったティラは冒険に出て行ってしまった。アインズもイビルアイもおらず、王宮に残っても何をすればいいのかわからず、出遅れて仲間外れにされたブリタは仮宿へ戻っていく。

 頭髪の色と同じ色に染まりつつある石畳をトボトボと歩いた。

 

 哀愁は背中から全開で溢れている。

 

「ティラさん、自分だけ遊びに行くなんて……」

 

 当の本人はこれから数時間後に頭を潰される運命だったが、ブリタに知る術はない。 

 

「お酒でも飲もう……」

 

 席を外したわずかな時間でアインズの勅命を受け損ね、やけ酒を呑むために行き先を酒場へ変更する。

 

 途中で通過した豪勢な屋敷の前で、メイドが汚れたバケツの水を排水溝に流していた。

 特に知り合いでもなく、声は掛けなかった。

 バケツの水を交換し終えたメイドは屋敷へと戻り、鼻歌交じりで掃除を再開する。

 

 誰もいない豪華な屋敷、ブレイン・アングラウスの新居にうら若き女性の鼻歌が流れる。

 雇われメイドのクリアーナは、四名で住むには広すぎる屋敷の掃除を、今日こそは一周しようと意気込んでいた。時の流れは残酷なもので、夕方になっても半分しか終わっていなかった。

 

 無礼な蜥蜴人も、物騒な女殺人鬼も、無精ひげでやる気のない主もおらず、豪華な屋敷に一人という事実が彼女を貴族になった気分にさせる。

 悠々自適な彼女は楽しそうだった。

 残り半分を翌日に回そうと、掃除道具を二階へ運ぶ。

 

「ふーっ……疲れた。今日はこのくらいにしよう。明日は二階もやらないと」

 

 魔導国では割合い高級なパンをおやつに咥え、両手に掃除道具を掴んで二階に上がる。

 

(……黴臭い)

 

 長いあいだ、誰も使っていない二階は傷み始めており、誰かを住まわせるべきかと思う。

 一階と二階の掃除を分担できれば、メイドとしての仕事も捗る。

 金払いのいい主人に提案すべきか悩む。

 

 誰も使っていない二階は十分な埃が積もり、絨毯の敷かれた床を進むと足跡が残った。

 ここでパンを落とすと拾い食い(3秒ルール)は無理だなと、柔らかい唇に力を入れる。

 

 バケツに突っ込まれたモップが飾られた調度品を倒そうと横に広がり、壊さないように細心の注意を払って奥へ進む。誰も見ない無駄な調度品を売り払ってすっきりさせたかった。

 

 唾液で濡れたパンが千切れて落ちた。

 

「あっ!」

 

 咄嗟に雑巾などを手放し、埃の海へ落下する前にパンを拾う。

 だが、バケツに突っ込まれたモップは派手に暴れ、調度品の花瓶を引き倒した。

 

 「ガシャーン!」と死に際の叫び声を上げ、花瓶は粉々に砕け、中に入っていた古い水が絨毯を汚した。

 

「……いやな感じー」

 

 何か不吉なものを感じ、後始末をしながら嫌な気配を振り払おうと独りごちる。

 

「花瓶、買いに行かないと……私のお小遣いで買えるかな……雑貨屋を回って安いの探そう」

 

 ブレインから貰った白金貨(小遣い)はまだ残っているので、花瓶くらいはわけがないだろう。

 魔導国に来てから市場にしか出入りしていないと気付く。

 雑貨屋などを冷やかして買い物(ウィンドウショッピング)するのも、たまにはいいかもしれない。

 

 日付が変わる頃、同居人二名が戦死、主は瀕死で魔導国へ帰還するが、ほのぼのした彼女は珍しいマジックアイテムに三つの願いを叶えてもらう夢を見ていた。

 

 

 

 

 平和な場面が一転し、時計の針は先へ進められる。スレイン法国の会議室でレイナースが死んだと聞き、理性を失いかけたヤトはアルベドの勘違いか嫌がらせだろうと、最後の一線を踏み止まる。

 常軌を逸脱した重力はヤトの理性を黒く染めようと引っ張り、気を緩めたら皆殺しにしそうだった。

 

「アルベド、以前に喧嘩したのは悪かったと思ってる。だが、この場でそういうお返しをするのはどうかと――」

「それが……ラキュースが取り乱しており、状況はよくわかりません。執務室が爆発し、ラキュースを庇ったエイトエッジ・アサシンとレイナースが……」

 

 アルベドの曇る表情にふざけている様子はない。

 最後の一線はあっさりと踏み越えられた。

 

 瞬間的に炸裂した怒りは憎悪に自動変換され、理性の黄色い規制線がゴールテープよろしく、振り切った憎悪にブチッと千切られる。

 ヤトは真の姿、異形の蛇神へ変わる。

 

「ぁぁぁ……」

 

 人間を造作もなく千切れる丸太のように太い腕、剣を弾きそうな緑の鱗は体を覆い、赤い瞳は視線だけで人間を射殺せそうだった。

 額から突き出す太刀、背負った大鎌と小太刀は、この世の全てを切り裂いてもおかしくない一級品だ。

 

 蛇神ヤトノカミは血の底から響く低音の声で、瘴気を吐きながら問う。

 

「……お前らか? 王都に攻撃を仕掛けたのは」

 

 居合わせた全員が悟った。

 今までこちらを恫喝していた彼は演技で、こちらこそが彼の本性なのだと。

 番外席次は蛇と交戦する絶好の機会が訪れ、瞳を輝かせて口角を吊り上げた。

 

「答えろ」

 

 大蛇の尻尾は大きくうねる。

 

 小さめに誂えた円卓は、叩きつけられた尻尾を支えきれずに脚がへし折れた。

 円卓に乗り上げ、禍々しい姿にあっけにとられた神官長は口を開けて見上げていた。

 

「一人くらい死んでおくか? 血を見れば素直になるだろう」

 

 その逞しい腕で手近な老人の首を掴み、持ち上げて引きちぎろうとしていた。

 交戦する覚悟を、更には戦死する覚悟まで決めていた漆黒聖典は、目の当たりにした異形のプレイヤー相手に動けずにいる。半数しかいない漆黒聖典は、自らの歯が震えてカチカチと鳴る衝突音を聞いた。

 唯一動けた手ぶらの隊長が、腕に飛びついて止めなければ、老人の体は複数に分かれていた。

 

「お待ちください!」

「なんだ? お前から死ぬか、ガキ」

「我々は会談に際し、まともな準備もしていません! 魔導国へ軍を向ける余裕はないのです! ここにいるのが全てなのです!」

「………チッ」

 

 信じたかは定かでないが、空中で解放された老人は床に落ち、第一席次は彼を優しく受け止めた。

 既に蛇の興味はどこかへ逸れ、赤い瞳が宝石のように輝いたが、そこには何も映されていない。

 

「誰だ……誰がやった……絶対に見つけ出し、永遠に終わらぬ苦痛を与えてやる」

 

 会議室の空気は吸い込んだだけで絶命しそうな瘴気に汚染され、蛇の姿を見た“絶死絶命”は空気も読まずに闘志を再燃する。

 

「ふふ……それが本当の姿なのね。もう一度、私と戦って――」

「邪魔だ」

 

 黒い波動を放つ大蛇は迂闊に近寄った彼女の頭を鷲掴みに、躊躇いなく窓の外へ放り投げた。

 神聖なる会議室の窓は三度に渡って破壊され、魔導国に破壊された窓は三か所となる。 

 瘴気で淀んでいた空気はさらさらと流れ、風通しが良くなった。

 

 嵌め殺しの分厚い窓を容易くぶち割り、彼女は階下へ墜落する。

 人外の実力を有する彼女がその程度で死ぬとは誰も考えず、今は眼前にて抑えきれぬ殺意を漏らす大蛇こそが問題だ。

 先ほどまでこちらを小馬鹿にしていたチンピラと同一人物とは思えなかった。

 

「……エルフ共か? 奴らに死の恐怖を味わわせてやる」

 

 蛇神はアルベドへ顔を向けた。

 

「アルベド、王宮へ向かい、レイナースを蘇生しろ。ラキュースと一緒にエルフ国へ連れてこい。顔を見るまで安心できん、絶対に蘇生させろ」

「畏まりました」

 

 アルベドは微笑んで立ち上がる。

 アインズの狙いはもしかすると初めからこれだったのではと、聡明なアルベドは勘繰らないでもなかったが、口や所作には出さなかった。

 

「デミウルゴス、待機している全軍をエルフ国へ向かわせろ。俺たちは先に行っている」

「畏まりました、すぐに手配いたします」

 

 デミウルゴスは立ち上がり、ニヒルに笑って眼鏡を正した。

 ナザリック地下大墳墓を治める支配者、その片翼に相応しき蛇神に、デミウルゴスはにこやかに命令を受けた。

 

 二人は一足先に法国を後にする。

 初めて見る未知の転移魔法に人間は目を白黒させていたが、知ったことではなかった。

 

「コキュートス、マーレ、恐――」

 

 言葉の途中、遠くで絹を裂く女の悲鳴が聞こえる。

 か細い声はすぐに途絶え、居合わせた全員が屋外へ放り投げられた番外席次の悲鳴だと思った。

 

 ただ一人を除いて。

 

「まさか……」

 

 急に押し黙ったヤトに、配下の将三体は不安げに顔を見ている。

 

 ユグドラシル現役時代、幾度となく聞かされた嘆きの妖精の絶叫(クライ・オブ・ザ・バンシー)を間違えようもない。

 第二夫人を殺されて湧き上がる憎悪と、非常事態が起きている友人への心配に頭は二分され、断片的な思考と感情が脳内を飛び交い、暴動と混乱が饗宴する。

 感情の押し合いは憎悪に軍配が上がり、アインズが攻性防壁を再始動させた心配は、レイナースが巻き込まれて死んだ憎悪に呑まれていった。

 

「……………野郎」

 

 呟いた蛇の思惑は部下に伝わらない。ダークエルフの男の娘は、不安そうに顔を見上げていた。

 

「マーレ、エルフ国に転移ゲートを開け」

「は、はい!」

「恐怖公、コキュートス、ついてこい」

 

 待ち望んだ活躍の場に、恐怖公とコキュートスの複眼が光った。

 

「転移の用意ができました!」

「………あぁ………いくか」

 

 魔導国の者は開かれた赤黒い未知の転移門に呑まれ、また戻ってくるのだろうと気を回したマーレにより、後にはエルフ国へ通じる闇だけが残された。

 

 緊張の糸は前触れなく絶たれ、居残る人間は深呼吸をする。

 机が破壊されていたので居心地が悪かったが、気を緩め過ぎて倒れてしまいそうだった。

 

 大蛇の本性はそれほど強烈だった。

 

「……なんということだ。ここまでの化け物か」

 

 誰かが小さく呟き、それを皮切りに皆が大蛇の力を推し量ろうと議論が始まる。

 椅子に腕を組んでいたが、円卓がないのが居心地悪かった。

 やがて意味がないと気付き、神官長は皆を諫めた。

 

「……止めよう、今は奴の話をしても仕方がない。漆黒聖典、第一席次、前へ出ろ」

「はい」

 

 呼ばれた二十歳の少年は、一歩進んで跪く。

 

「彼らは何が目的だ。我々を属国とし、平和に統治して何か利益があるのか?」

「魔導国王宮で先ほどのアルベド殿、そして元王国第三王女、魔導王と蛇の話をお聞きしました。プレイヤーの目的は人間に魔導国を統治させ、大陸外、あるいは遥かな遠方へ旅に出ることと、聞き及んでいます。王宮で聞いた話によると、我々と友好関係を築くため、エルフ国を滅ぼすと」

「……………旅?」

「どういうことだ……意味がわからん」

「プレイヤーの目的は、はぐれた仲間を探すことのようです」

「……絶望だ。彼らと同等、あるいはそれ以上のプレイヤーがいれば、彼女が何人いても無理であろう」

「いや…………もしかすると……これは我々にとってあながち損とは言えん」

 

 スレイン法国の立法、司法、行政を司る機関長が呟き、全員の目が一斉に向けられた。

 

「人間に統治させると考えているのであれば、我々が魔導国の実権を握れる可能性がある」

「は?」

「蛇の言う通り、人間が平和に暮らせる国家で、プレイヤー二名が後ろ盾になるのであれば、戦争は起きない。六色聖典を総動員し、国の繁栄に協力して信頼関係を構築し、国の中枢に入り込めば……」

「なるほど、合理的だ。実権を握って彼奴等を追い出してしまえば――」

 

 大元帥が物騒なことを言いだす。軍事顧問の彼らしい発言だったが、誰の同意も得られず、言葉は神官長に遮られた。

 

「それは違う。スレイン法国は属国となればいい」

「貴様……正気か!? お優しき六大神を裏切るのか!?」

 

 ここで別の神官長が激昂し、怒りを露わに立ち上がった。

 立ち上がった彼を諫めたのは、隣に座る別の神官長だ。

 

「信仰は勝手にしろと言っていたな。我々は正々堂々と公の場で六大神を崇拝し、その理念を魔導国に適用させ、今まで通り六大神を信仰することも可能、か」

「近郊に敵対プレイヤーが現れたとしても、魔導国には二人もいる。何よりも彼らの軍は神でさえ凌駕している可能性がある」

「しかし……異形種と平和に暮らすなど、恥ずべき行為。人類こそが神々に愛されるべきだと」

「もはや古い理念となりつつある。神々は元を正せばどこにでもいる人間だったのであろう? プレイヤーが人間であれば、八欲王のように腐った人間もいる、六大神のように慈悲深き人間もいる。彼らがどちらか、まだわからぬが」

「素直に異形種の奴隷になれと?」

「上辺だけの忠誠など、いくらでも誓ってやればよかろう。公の場で六大神を崇めさせろと、改めて条件を付け足す必要があるが。そうなれば今までと何ら変わりはない、属国でありながらスレイン法国を維持できる」

 

 淡々と流れるスレイン法国属国化及び、魔導国宗教国家化は、この状況において最も合理的な策に思えた。

 徐々に責任者たちは懐柔されていき、反論も出てこなくなる。

 何よりも皆が考えていることは一致していた。

 

「あの蛇が子を成せば、彼女を上回る血の交じり合いとなるかもしれん」

「ふむ……神人を嫁がせるか? 本来であれば彼女が最も相応しいのだがな……こちらの指示に従ってくれるかどうか」

「蛇側は興味を示していなかった……」

「縁結びとは難しいものよな……」

 

 自然に隊長に視線が集まった。

 居心地の悪さに少年は顔を伏せる。

 

「だが、神人がプレイヤーのどちらかと子を成し、我々の手中に収めれば」

「その子が魔導国を統治し、信仰を絶やすことなく」

「魔導国は新たなスレイン法国となる……か」

 

 意向を確認するように数珠つなぎで言葉を紡ぎ、思惑の一致を確認した。

 

 高圧的な会談に加え、駄目押しに大蛇の憎悪で圧迫されたが、異形種に虐げられてきた法国の責任者たちは、アインズやヤトの想定以上に逞しかった。

 プレイヤー両名、その部下に知れれば処刑されかねないが、少しでもよりよい未来を手にしようと前を向いていた。

 

「しかし、国民が納得するだろうか。異形種に恨みを燃やす者は多いのだぞ」

「時間を掛けて説得するしかないだろう」

「第一席次、彼らはエルフ国を滅ぼすと言っていたな。我々のためだけに滅ぼすのか?」

「魔導王と蛇も話していました。間違いないかと思われます」

「そうか……そちらの面で説得をすれば、なんとかなるやもしれん。人間種とはいえ、森の蛮族(エルフ)に悪感情を抱く者も多い」

「孤児たちの件と合わせ、時間を掛けて説得する必要がある」

「国内で待機している六色聖典を総動員し、彼らの戦争を見届けよう。神人も連れ、魔導王と蛇に面通しさせるのだ。彼女が這いあがってくる前に行動をかい――」

 

 

 手遅れだった。

 

「ふぅ……酷いなぁ。いきなり放り投げるなんて」

 

 白熱した議論を交わしている間に“絶死絶命”は壁を這いあがり、穴の開いた壁から再度侵入を果たしている。彼女の声で、皆が動きを止めた。

 

「あれ? 蛇はどこに行ったの?」

「……彼らは一旦、魔導国へ帰られ――」

「なにこれ? 転移魔法? 私も行っちゃお――」

 

 魔導国へ帰ったという虚偽で諦めさせようとした神官長の言葉は、虚空を漂ってシャボン玉のように割れた。言った本人は稚拙な嘘が少しだけ恥ずかしかった。

 

 ともあれ、暴走する彼女は留まることを知らず、言葉の途中で未知なる闇に吸い込まれていく。

 僅か数秒の出来事であったが、順調にみえた法国の未来は再び揺らぐ。

 彼女がアインズとヤトの機嫌を損ね、エルフ国ではなく法国を滅ぼす方へ考えが振れると、今しがた描いた希望の未来は蜃気楼の如く掻き消え、代わりに訪れる未来は瓦礫の山だろう。

 

 番外席次の消えた会議室は慌ただしくなった。

 

「追え! 漆黒聖典全員で彼女を止めろ!」

「い、いや、止められはしない。魔導王と蛇の邪魔をさせるな! 体を張って止めるのだ!」

「ここが最後の正念場だ。スレイン法国が消滅するのか、あるいは信仰をそのままに属国となり、新たなスレイン法国ができるのか」

「行け、漆黒聖典よ!」

 

 未だ震えが収まらぬ漆黒聖典からすれば、蛇と交戦する番外席次を止めるなど、これ以上ない迷惑である。

 命令を拒否したかったが、法国としての形を残しているこの場で、拒否などすれば背教者と後ろ指をさされてしまう。

 隊員の反応の悪さに、神官長の怒号が飛んだ。

 

 記憶に恐怖を刻んだ隊員の動きは鈍く、準備は順調に進まなかった。

 

 その流れで第一席次である隊長の謹慎も解除され、震える体を回復させた漆黒聖典は、明らかに嫌がりながらも転移ゲートに呑まれていく。

 “占星千里”だけは注射を嫌がる子供のように泣いて手を引き、転移ゲートの目前まで無駄な抵抗をしていたが、隊長へ小脇に抱えられ、闇に飲み込まれていった。

 

 漆黒聖典が到着する頃、エルフ国の森林は大炎上していた。

 

 

 

 

 エルフ国に到着したヤトは、何が起きているのか探ろうとマーレに情報偵察を頼む。

 まだナザリックの軍勢は到着しておらず、大森林は健在だった。

 マーレの偵察によると森林の中央に砂漠が見え、ヤトが懸念したレイナースの死因が攻性防壁である説が濃くなる。何かの間違いでエルフか法国が攻撃を仕掛けたという方が、報復ができるのでわかりやすかった。

 

 どう対応をすればいいのか、ヤトは決めかねていた。

 

「くそ……レイナ……あの野郎」

「あ、あの、次は何をすればいいですか?」

「ああ………悪い………俺は先に行く。皆の到着を待ち、森を焼き払え。敵がいたら殺して恐怖公にやれ」

「ヤトノカミ様、我ラモオ共ヲ――」

「駄目だ、待機しろ」

 

 返事を待たずに走り出した。

 

 ツアレの妹は蘇生できなかった。

 己の人生に満足した者は蘇生できない事実は、考えるほどに蛇の動揺を加速させ、感情は更に憎悪へ振れた。

 

 アインズが暴走していた場合どうすべきかと考えたところで、レイナースの一件が冷静に考える間を与えず、名案など浮かばない。

 既に自身は暴走している。

 

 木々の間を縫って蛇は地を這う。

 俊敏な動きで邪魔な大木を切り倒し、到着からそう時間が経たずして砂漠の中央に到着する。

 

 大森林の中央に砂漠という異様な光景だった。

 

 砂漠に竜巻が起こる。

 

 

 

 

 夜の砂漠は寒い。

 氷点下にまで下がる夜もあり、比較的高緯度の地域では氷点下20度以下の酷寒となる。だが、それは初めから砂漠だった場所である。

 急拵えの砂漠は上位魔法を幾度となく放たれ、砂丘は十分な熱気を帯びていた。

 

 アインズの魔法詠唱が静まり返った砂漠に響く。

 

「《大顎の竜巻(シャークスサイクロン)》!」

 

 砂漠の中央に竜巻が起き、エルフを飲み込んだ。

 竜巻を泳ぐ大型人食い鮫たちは、中心部の生贄に襲い掛かる。

 食いでのないエルフの体は数分と待たずに骸骨へ変わり、宙を舞っていた骨は竜巻から弾かれ、バラバラと周辺に落ちた。

 

「強者はペナルティがあっても、幾度となく死ねる。強者に許された死の苦痛の味はどうだ」

 

 口を歪めた支配者はしゃれこうべに問う。

 骸骨になったエルフ相手に意味が無いとわかっていたが、身を焦がす憤怒の赤い炎は彼を先へ進ませる。

 到着した蛇が唖然としているのに気づかず、骨だけになったエルフは蘇生魔法によって戦場へ引き戻された。

 

 蘇生された彼が目にしたのは大量の死骸、遺体、内臓、骨。

 体内の部位はわからないが、腕や足、顔などは見覚えのある自身の体だ。

 目の前にいる人間の姿をした怪物は、何度目かわからぬ死刑を執行しようとこちらを見ている。

 

「こんなことを――」

「次はティラの分だ」

 

 情けない命乞いを遮られ、エルフの王は弱々しい手を震わせた。

 情け容赦ないアインズの制裁が再開する。

 

「《破裂(エクスプロード)》!」

 

 対象の体は破裂し、白い砂丘を赤い色彩で汚した。

 爆散した内臓は広範囲に飛び散り、アインズの白い服に肉片は汚れとなって付着する。

 

「ははは! 第八位階でも死ねるのか。このままレベルをゼロまで落としてやる!」

 

 蘇生魔法を唱え終えたアインズの耳に、誰かの呟きが届く。

 首を動かしたアインズの視界に、闇に浮かぶ赤い光が見えた。

 

「……あんたか」

 

 声の主、蛇神ヤトノカミは大鎌を構えている。

 

「ヤトか。今、この腐れプレイヤーのレベルダウンを――」

「やっぱりあんたが殺したのかぁ!」

 

 感情のままに何かを惨殺しているアインズを目の当たりにし、レイナースの件が頭で破裂し、抑えが利かなかった。

 暴走するヤトは、同じく暴走するアインズに斬りかかる。

 油断していたアインズの回避は遅れ、右肩に触れた大鎌の切っ先が衣服と素肌を切り裂く。

 遅れて走った赤い線から静かに血が流れた。

 

 アインズは肩を押さえ、制裁を邪魔する大蛇を睨む。

 

「……何のつもりだ」

「よくもレイナを殺したな。俺の……俺の大事な女に」

「……あぁ、そうか。攻性防壁か……後で蘇生をしてや――」

「ふざけんなよ、蘇生できなかったらどうする。ツアレの妹はできなかった」

「できるだろう、レイナースならな。そんなことより今はこの屑を――」

「そんなことと言ったな……」

 

 赤い瞳を見開き、再び蛇は斬りかかる。

 

「そんなことじゃねええ!」

「《飛行(フライ)》!」

 

 動きの速い彼との交戦に耐え切れず、アインズは空中へと離脱した。

 支配者は出血する肩を押さえ、未だ燃え滾る憤怒を蛇に向けた。

 

「邪魔するな! 蘇生が心配なら王宮で待っていろ!」

「あんたにとっちゃそうだろうよ……ああ……そうだとも。仲間の嫁は人間だ。人間を辞めてアンデッドになったあんたには、今の人間なんかただの駒だろうな」

 

 大蛇の瞳孔は亀裂のように縦に伸びた。

 映しているのはこれから打ち倒そうとする友人、かけがえのないたった一人の親友。

 

 宙に浮き、眉間に皺を寄せて怒っているアインズ・ウール・ゴウン。

 

 夜の闇に、大蛇の赤い瞳が瞬いた。

 

「自分の女が殺されて黙っている男はいない。蘇生できたとしても、あんたを許すつもりはない!」

 

 多忙なこちらの話を聞かず、憎悪に身を委ねたヤトに、アインズも抑えていた怒りを露わにする。

 元より沈静化されない怒りの炎は、燃える場所を求めて紅炎(プロミネンス)の火柱が如く天へ伸びていた。

 

「ならばどうする。惨劇の続きを、今ここでやるか?」

 

 アインズは空中で《完璧なる戦士(パーフェクト・ウォリアー)》を唱え、漆黒の戦士として落下し、砂塵を舞い上げた。

 

「人の嫁を殺しておいて何が神だ、傲慢な支配者が!」

「事情を知らず、私に迷惑ばかりかける無能な蛇が!」

 

 人間を辞めた二体の化け物は走り出し、一本の大鎌と二本の大剣が起こす衝撃波は周囲の砂を巻き上げた。

 

 蘇生されてから放っておかれたエルフは、逃げ出す機会を得て音を立てないように森へ走る。

 二体の化け物から垂れ流される黒い波動は、触れれば死んでしまう。

 周囲を暴れまわる剣風も、巻き込まれたら切り刻まれてしまうだろう。

 

「モモンガぁぁああ!」

「ヤトォォォオオオ!」

 

 地の底から轟く怪物の怒号が内臓を震わせ、今日何度目かわからぬ死の恐怖を味わった。

 

 森へと逃げ込み、彼らが去るのを待てば、この地に再び自身の国家を建国できる。

 他国へと逃げ、そこで新たな国家(ハーレム)を作るのもいい。

 種族さえわからぬ彼らを、人間種と血を交えた新たな軍で潰せばいい。

 

 長命種のエルフに時間は沢山ある。

 

 耳をつんざく金属の衝突音、背後で火花を散らす剣風を避け、ほうほうのていで逃げ出した森にて、大樹に縋りつく。

 大した距離ではなかったが、息は上がり、過度の疲労で走れなかった。

 

「はぁ……はぁ……くそ! 化け物め! あんな怪物がこの世にいていいわけが無い!」

「ちょっと、エルフのおじさん。状況を教えてくれない?」

 

 怒鳴り声に返事を求めていなかったが、なぜか返事が返ってきた。

 コキュートスとマーレは、ヤトが殺さなかった番外席次を自分たちが殺すのもどうかと思い、森に飛び込む彼女は見過ごされた。

 

 森を突っ切って砂漠を見つけた彼女は、手近な大木に縋りつく一人の男性エルフに何気なく状況を尋ねた。

 夜が順調に更けていく砂漠で、火花を散らす魔導国の二人という状況が理解できなかった。

 エルフが有する最大の特徴、尖った耳は人間と同じ長さに切り落とされ、髪で隠されている。今の彼女は人間の少女にしか見えず、彼女が自分の子という点には思い至らない。

 

 傲慢さを失わず、嫌な汗を流しているエルフは虚勢交じりの大声を上げる。

 

「あぁ!? 何だ貴様!」

「暗くてよく見えないけど、どうしてあの二人が戦っているの?」

 

 人間種の少女は誰かに似ていた。

 

 頭髪の色が左右で白と黒に分かれ、大きい目に光を灯す彼女は美しかった。

 血が共鳴し、少女を映す瞳に色が宿る。

 

「それより、私を森の外に連れ出してくれぬか。彼らに襲われ、疲れてもう歩けんのだ」

「法国はエルフと敵対中だけど、私は興味ないから。さっさと状況だけ話してくれる?」

「ほう、お前は法国の者か? 私はエルフ国の王で――」

 

 空気の読めない簡易自己紹介で、一刻も早く戦闘に混じりたい番外席次は苛立っていた。

 

「……早く教えてくれないかなぁ」

 

 腕を組み彼女の爪先は上下を繰り返し、不機嫌に眉をひそめた。

 

「あんな怪物どもと戦うのはやめろ。今は引き、私の子を産み、さらなる強者を育てるのだ」

「あなたは強いの?」

「当然であろう! 私こそが絶対強者だ!」

「そう、よかった! 相手が二人じゃ分が悪いから、こっちも共闘しましょう!」

 

 初めからまともに話など聞いておらず、エルフにとっておよそ考えうる最悪の選択肢、彼らの戦闘に混ざるが採択された。

 少女の歪んだ笑みに自分の笑顔が重なり、自分に似ているのだと知る。

 

 叫ぶ彼の意向を無視して首根っこを掴まれ、強い力で引っ張られて宙を漂うエルフと共に、番外席次は戦闘へと混ざっていく。

 

 三つ巴の戦いが幕を開けたが、エルフの王は戦力外であった。

 

 

 

 

 アインズは隙を与えぬよう、絶え間なく斬りかかる。

 回避されてしまえば一秒と待たずに背後を取られる。

 相手を防戦一方にしておけば、注意すべきは衝撃波だけだ。

 

「ああああ!」

 

 大鎌で防ぐヤトに、アインズは大剣を小枝のように振り回し、回避をする隙を与えない。

 しかし、大蛇からすればコンマ一秒の隙で十分である。

 

 漆黒の兜に走るスリットから、大蛇の口が歪んだのを見た。

 

(のろ)(のろ)い! スキル、《疾風迅雷》」

 

 背後を取られると思ったアインズは後ろに注意を向けたが、ヤトは目の前に現れる。

 

「ぐっ!」

「食らえ!」

 

 両手持ちに構えた大鎌は、漆黒の鎧の肩を食い千切る。殺そうと頭を狙えばよかったのだが、ヤトには迷いがあった。

 

 出血は少なく、アインズは即座に反撃へと転じる。

 飛びかかる大剣を大鎌で受け、反撃に転じた大鎌も大剣で受け止める。

 幾度となく夜の砂漠に火花が散り、ぶつかり合う鋼鉄が轟音を鳴らす。

 

 希少性の高い大鎌と魔法で拵えた大剣ではヤトが勝っている。アインズの大剣は徐々に消耗して刃こぼれし、切れ味が悪くなっていた。

 

 王宮で立ち会ったときと違い、両手持ちに構えた大鎌の斬撃は重い。

 

 ひときわ強くはねられたアインズは大きく後ずさる。

 全力の激突により、アインズだけ怒りが多少緩和されていた。

 

 相手が自分と同様に考えている、あるいは自分の考えが正しいと思うのは傲慢である。

 大蛇の黒い炎はまるで沈静化されていなかった。

 

 蛇が体を伸縮させ、ばねのように飛び込んでくる。

 交わる得物が火花を散らし、刹那の光に乗せて言葉を交わした。

 

「やるじゃないか、蛇神! 馬鹿の一つ覚えでスピードだけかと思ったぞ!」

「本気の前衛を舐めるなよ」

「楽しいなぁ! 本当は戦士職に憧れていたよ! 言葉ではなく剣で語れる男に!」

「…………楽しくねぇよ。魔法詠唱者(マジックキャスター)が魔法無しで前衛の攻撃をいつまでも防げると思うなよ」

 

 前衛として身体能力を強化しているヤトに対し、魔法でレベル100の戦士になっただけのアインズは分が悪い。

 王宮の惨劇のように自我を失っておらず、レイナースを殺したアインズに制裁を加えるために戦っている。

 魔法詠唱者のアインズからすれば厄介だった。

 

 ティラ、ゼンベルというコレクションが殺された怒りで一時は我を忘れたものの、怒りが多少緩和され、収縮した感情の隙間に友人の嫁を殺してしまった悔恨が入り込んでいた。

 今さら謝るのもばつが悪かった。

 

 相対する大蛇も薄々わかっていた。

 難しい病(中二病)に関心を寄せ、第一夫人のラキュースを羨むレイナースが、蘇生を拒む理由はない。それでも、蘇生できない可能性が極小でも存在する以上、レイナースのことを考えると黒炎が脳を焦がした。

 彼女を見るまで戦いを止められない。

 

 火花に合わせて憤怒と憎悪を散らし、武器が拮抗する。

 得物を押し合いながら、アインズが楽しそうに叫んだ。

 

「どうした! 私に魔法を使わせてみろ!」

「ぶん殴ってその兜を引っぺがしてやる」

「かかってこい! 知能の足りない馬鹿蛇が!」

「うるせえ! 傲慢で童貞(ヘタレ)の魔導王が!」

 

 そのまま距離を取ろうと武器を離したが、両者の隙間に放り投げられたエルフの王は二人の闘争を阻む。

 

「し、死ねっ! 《透過熱線(クリア・レーザー)》!」

 

 両手から放たれた熱線は二人の肩を貫通し、どちらも後ろへ飛び退いた。

 蛇か魔導王か迷っていた番外席次は相手を決め、獲物が武器に飛び込むのを待っていた。

 漆黒の全身鎧は、大蛇の胸を戦鎌(ウォーサイズ)が貫くのを目撃する。

 

「ヤト!」

 

 徐々に鎮静されつつあったアインズの怒りは、轟音を上げて噴き上がる。

 蛇は大量に吐血し、足元の白い砂を赤く塗り固めた。

 

「やった!」

 

 楽しい決闘を邪魔された獣の片割れが、歪んだ笑みを浮かべる半妖精(ハーフエルフ)に叫んだ。

 

「邪魔ぁするなああ!」

 

 エルフの国王は逃げ出す隙を失う。

 

 目の前に仁王立ちし、漆黒の鎧から暗黒の波動を立ち上らせるアインズを前に、蛇に睨まれた蛙の如く動けずにいた。

 指先一つでも動かせば、それが殺戮の合図になりそうだ。

 どちらにしても、邪魔をした彼への制裁に変更はない。

 

 アインズは二本の大剣を砂漠に突き刺し、エルフの胸倉を掴んで持ち上げる。

 

「どこまでも腐りきった外道がぁ!」

 

 気が付けば顔面に黒拳がめり込み、強い衝撃で前歯が根こそぎ飛んでいった。

 

 

 

 一方、ヤトは以前に胸を貫かれた経験があり、落ち着いた所作でアイテムボックスから回復薬を取り出す。

 

「ごめんね、蛇さん。私、やっぱり本気のあなたと戦いたい」

 

 悪びれる様子もなく、番外席次は口角を吊り上げていたが、大蛇は答えない。

 回復薬を飲み干し、瓶を投げ捨てた蛇は今度こそ理性を失う。

 絶望のオーラが大蛇の体を闇に溶かし、夜の暗がりには赤い二つの瞳だけが浮いていた。

 

「そんなに死に急ぎたいのか」

「うわぁ……さっきより強いじゃ――」

 

 言葉の途中で蛇が消えた。

 

 残像さえ捉えられず、番外席次の左腕が掴まれ、肘から先が大鎌で切断される。

 番外席次は腕が離れる瞬間さえ見えず、瞳孔が捉えたのは左腕の鮮やかな切り口と垂れ流される出血。

 人間には所持さえ難しい大型の武器を軽々と振り回し、背の高い人間さえも凌駕する大蛇は、尻尾さえも掴ませない。

 

「――!」

 

 言葉にならない声を上げ、激痛を堪えて後ろに飛び退いたが蛇を振り払えず、今度は右手首を掴まれた。

 大鎌にもたらされるであろう激痛を想像し、全身に鳥肌が立つ。

 

「畜生ぉ! 食らえ!」

 

 父親と同じ熱戦を放ち、蛇の拘束を躱したが、そこから先に策はない。

 片手持ちの戦鎌と両手持ちの大鎌は幾度となく合わさり火花を散らすが、アインズとヤトの火花よりも小さかった。

 

 憎悪の化身は手加減しながら機を狙っている。

 

「両足を切断してやろう」

 

 空気が震える音で背後を取られたと知るが、顔を向けたときにはそのまま天空へ放り投げられていた。

 追撃の衝撃波詠唱に合わせ、死神の大鎌は刃を光らせる。アインズ相手と違い、彼女に容赦は無い。

 

 番外席次は体を分断される覚悟を決めた。

 善戦はできなかったが、自分より強者の手で殺されるのは望むところだ。

 宗教や国家理念など彼女には関係なく、己の中にあるのは退屈な生を潤す火花に似た戦いへの渇望。

 

「子供……欲しかったな」

 

 夢が半分だけ叶った彼女は苦笑いをしたが、走馬灯は流れなかった。

 アインズに殴られた衝撃で飛ぶ荷物が、ヤトの体へぶつかる。

 

 衝撃波を邪魔され、ヤトは拳で顔面を殴られたエルフを睨む。

 余程強く殴られたのか、上下の前歯は全て抜け、吐血が鱗を汚した。

 

「汚いな……」

「く、くしょ()! 《勝利の剣(レーヴァテイン)》」

「《超斬撃衝撃波(ギガスラッシュ)》!」

 

 つい数刻前、この場所で人間相手に圧倒的であった光の大剣は、斬撃の衝撃波で掻き消える。

 

「邪魔だ」

 

 エルフを遠くへ放り投げた蛇へ、体勢を立て直した番外席次の刃が迫る。

 大鎌で受け止めたが、武器を握る手が開かれ、熱線が戦鎌の柄を貫通して蛇の肩を貫いた。自らの武器の柄を犠牲にした一撃に、大蛇は後退する。

 

 法国での借りを返そうと、短くなった戦鎌は蛇の心臓から照準を放さず、番外席次も食らいつく。

 

「油断大敵だね!」

「お前が、だ。忍術、《火遁の術》」

 

 大蛇は口から火を吐き出し、敵は炎に包れ、消火しようと砂に潜っていった。

 程なくして彼女は砂丘から飛び出し、アインズは《完璧なる戦士(パーフェクト・ウォリアー)》を解除し、汚れたタキシード姿で蛇の隣に佇む。

 

 法国での続きをやろうと、黄金の杖を装備していたが、ヤトの憎悪もアインズの怒りも頂点だった。

 

 闘う獣は協力して邪魔者を排除するという。

 

 その理論通りに共闘しようとヤトへ提案する。

 

「ヤト、私の攻撃に合わせろ。先にあの馬鹿を倒す」

「命令するなよ、俺はまだあんたをぶん殴ってない。だいたい、異形種ばかり抱きやがって、ティラたちに手を付けてないよな、堂々巡りの魔童貞王」

「……あ?」

 

 二人の思惑は見事にずれていた。

 

 悪神(ロキ)主神(オーディン)の一時休戦案を廃棄し、共闘は実らない。

 人間の憎悪に理論は通じず、アインズの目論見は空論に変わった。

 

「どうせ人間相手だと自信がないから、人間種に手を出してないんだろ。同じ異形種なら失敗しても種族の違いという大義名分があってよかったな、童貞(ヘタレ)の王様。なんならいい風俗を紹介する、漆黒聖典の隊長と一緒に身分を隠してお勉強してくるか?  蛇の名前で予約すれば安く済むぞ」

 

 ビキッと青筋の立った音を聞いた気がした。

 

「……貴様」

「俺があんたをぶん殴ることに、変わりはない」

 

 目を見開いて歯を食いしばり、眉間に深い皺を寄せた人間のアインズは表情がわかりやすく、明白に激怒していた。

 いつの間に距離を詰めたのか、睨みあう二人の至近距離で、番外席次が笑っていた。

 

「私も混ぜてよ!」

「お前はハーフエルフの分際で偉そうなんだよ。切り落とした耳、回復してやろうか? それとも馬の耳でもつけてやろうか? 法国の人間が、最強の存在が少女じゃなく亜人種だと知ってどんな顔するのか見ものだな。馬の糞でも投げつけられたら、洗顔料にして顔を洗ってやろうか? ロリババアの賞味期限切れ処女」

「……黙れよ」

 

 理性なき三匹の獣は、手を伸ばせば届く場所まで距離を詰める。

 何の策略もない。

 

 ただ殴り合うためにそこにいた。

 

「二人まとめて相手にしてやる! 命を賭けてかかってこい!」

「それはこっちの台詞だ、処女童貞」

「まとめて八つ裂きにしてやる!」

 

 戦いに臨む理由も、その過程も、そして戦い方も三者三様であるが、目的だけは一致していた。

 

 しばらく無言で睨みあい、アインズの怒号で一斉に攻撃を仕掛けた。

 

「《現断(リアリティ・スラッシュ)》!」

「《超斬撃衝撃波(ギガスラッシュ)》!」

 

 呼応するように番外席次も光線を放ち、三つが激突して衝撃波を発生させ、砂塵を舞い上げて見通しが利かない。

 大蛇は探知スキルを発動し、二体の場所を掴んだ。

 デスナイトを召喚する声が聞こえ、すぐに攻性魔法が詠唱された。

 

「《魔法最強化(マキシマイズマジック)千本骨槍(サウザンドボーンランス)》!」

 

 砂漠が割れ、広範囲に無数の骨槍が突き出す。

 ヤトは器用に全てを躱し、デスナイトに守られるアインズへ向かう。

 番外席次は槍を躱そうと宙を舞ったが、アインズの衝撃波が後を追う。

 

「逃がすか! 《現断(リアリティ・スラッシュ)》!」

(……避けられない!)

 

 襲い掛かる細長い衝撃波に直感する。武器を犠牲にして体を回転させ、体を捻って直撃は避けたが、彼女の背中に裂け目ができ、血を吐き出しながら砂丘へ落下する。

 

「どけえ!」

 

 連撃でデスナイトを倒した大蛇はアインズへ鎌を突き込み、顔面にクリーンヒットする。

 柄の部分が当たったのだが、強い衝撃にアインズの脳が揺れた。

 ヤトの手は止まらず、鎌を振り上げる。

 

「思い知れ!」

「舐めるな! 《魔法三重最強化(トリプレットマキシマイズマジック)万雷の撃滅(コール・グレーター・サンダー)》!」

 

 三本の雷が大蛇を襲う。

 雷撃に体を焦がす蛇は激痛に咆哮を上げ、武器を失った番外席次はアインズに殴りかかる。

 

「死ねぇ!」

「邪魔だ!」

 

 焦げた痛みを堪え、大蛇の尻尾が跳ね、アインズを殴ろうとする彼女を跳ね飛ばす。

 共闘ではないので邪魔する必要はないが、殴る役目は自分だという自負が、合理的な戦闘を阻む。

 

 そして、アインズの反撃を助長してしまう。

 

「《魔法三重化(トリプレットマジック)黒曜石の剣(オブシダント・ソード)》!」

 

 気が付けば二人はアインズの術中だった。

 

「舞い踊れ!」

 

 空中に三振りの輝く黒剣が浮かび、ヤトに二振り、番外席次に一振りが飛来する。

 魔力由来のそれは物理攻撃で破壊するのは困難を極めるだろう。先ほどまで振っていた大剣とは格が違う。

 二人が苦戦するのをしり目に、超位魔法の発動準備に入る。

 

 魔法詠唱者のアインズが全力で殴るとすれば、超位魔法以外にない。

 蛇の鱗が粟立っていくが、憤怒と闘志に当てられたアインズに躊躇いはない。

 

 光の魔法陣が周囲を覆い、ヤトは耐久スキルを発動させ、魔法詠唱を中断させようと斬りかかる。

 時すでに遅く、砂時計はアインズの手中に握られていた。黒い剣の一振りが吹く手を阻み、残った一振りは腕を貫く。全力で走っても、砂時計の消費に先を越されるだろう。

 第二夫人に報いることができず、咆哮が砂漠に響いた。

 

「ちくしょぉぉぉおおおお!」

「ここまでだ、《失墜する(フォールン)――」

「させるか!」

 

 番外席次の右拳がアインズの頭部へ命中し、一定ダメージにより超位魔法の発動は遮られた。

 彼女は黒い剣に腹部を貫かれ、脚を伝って血が流れている。蒼白となった顔色を見る限り、残り体力は少ない。

 

「《現断(リアリティ・スラッシュ)》!」

「《超斬撃衝撃波(ギガスラッシュ)》!」

 

 二つの衝撃波(W スラッシュ)は空中で相殺され、衝撃波が爆発となって番外席次を飲み込んだ。

 彼女は口から血を吐きながら人形のように飛ばされ、砂漠に倒れる。

 借りを返したつもりだったが、十分なダメージを負わせてしまったようだ。

 

 残った二人は至近距離で向かい合う。

 

「俺の勝ちだ」

「まだ終わってはいない」

 

 何をすべきか相手の目が語っていた。

 

 互いに武器を放り投げ、顔面に拳を叩き込む。

 動きの速さが仇となり、ヤトの腕に合わせてアインズの腕がかぶせられ、交差した拳が互いの顔面を打ち抜く。

 

 どちらも骨にひびが入ったような音を聞いた。

 

 動きの器用さでアインズに軍配が上がっていたが、物理攻撃力はヤトの方が高い。

 双方、気絶しかけながら砂漠に倒れていく。

 

 

 誰も動かない。

 

 

 砂漠の夜に静かな風が流れ、舞い上がる砂が三名の体に振りかかった。

 

 

 

 

 静かな夜だった。

 

 10分程度の時間が流れ、砂漠を舞う砂塵は落ち着きを取り戻す。

 

 仰向けで倒れるアインズの脳は振動を止め、平静を取り戻した視界を確認したアインズは、隣の大蛇へ聞こえる程度の声で呟く。

 

「ヤト、生きてるか?」

「……気安く……話しかけ、るな。レイナが蘇生できなければ、このまま殺し合いを――」

 

 うつぶせで倒れるヤトの探知スキルに、森の方角へ三体が引っかかる。アルベド、ラキュース、レイナースと考えるのが自然だろう。

 蘇生できなかった場合、三人で来るとは考えにくい。

 自然にヤトの黒炎が引き、目視しなくても大蛇の気配が緩むのを感じた。

 

「どうした?」

「……レイナは蘇生できた、かも」

「……後で謝っておく」

「……疲れた」

「私もだ……MPの消費が激しすぎる」

 

『……はぁ』

 

 二人の支配者は倒れたまま同時にため息を吐く。

 うつぶせに倒れている蛇に、こちらに這い寄る番外席次が見えた。

 出血による消耗が激しく、彼女は立って歩くこともままならない。

 

 何度も激痛で顔が歪んでいた。

 

「痛っ………もう、終わり?」

「今日はもう疲れた」

「二度と御免だ」

「そっか……」

 

 彼女の顔は見えないが、声は寂しそうだった。

 アインズは祭りの後のもの悲しさを彼女の声に見る。もしかすると、このまま死を選ぶかもしれない。

 

「私は、死んじゃおうかな……」

 

 考えた直後に肯定された。

 番外席次は仰向けに転がり、砂漠の夜空を見上げた。

 

 左腕を切断され、体中の裂傷から流れる出血が痛ましい。

 徐々に薄れ始めた意識に身を委ねようとする彼女に回復薬が放り投げられ、小さな胸を跳ねた。

 上手く振りかからなかったようで、出血は止まっていないが、腕の切断面から左腕が生えた。

 

 戦闘狂の矜持を邪魔され、眉をひそめて抗議していた。

 

「……なに?」

「勝手に死んでいいと言ったか?」

「帰ってきた仲間の嫁候補にでもしますかね」

「やまいこさんが戻ってきたらどうする。ご用意しましたとでも言うのか?」

「殴り飛ばされますね……二人とも」

「私もそう思う」

「……私の意見は?」

 

 番外席次を無視し、軽口を叩く二人に明かりが見えた。

 

 夜明けかと思いそちらに顔を向けると、到着したナザリックの軍が森に火を放ち、東方向の森林が炎上していた。気温も低く風が弱い夜、火の回りこそ鈍いが、放っておけば数刻と待たずに全ての森林が焼けてしまう。

 

 人材はともかく、資材を利用しようと考えていたアインズに冷や汗が流れた。

 

「ヤト……お前、森を燃やせと命令したか?」

「ええ、まあ。エルフ国は滅ぼすんでしょ?」

「この馬鹿! 資材や人材の確保が済んでいないだろうが!」

「属国から貰えば――」

「属国にして早々に資材よこせじゃ立場がない! いきなり恥を晒してどうする!」

 

 三匹のレベル100に休む時間はないらしい。

 アインズとヤト、番外席次は、痛みを堪えて立ち上がり、おぼつかない足取りで放り投げた武器を拾った。

 戦うためではなく、杖代わりにするために。

 

「いってぇー……デミウルゴスに消火を依頼してください。魔法集団化すれば手っ取り早いでしょう」

「か、顎が……くっ……体の治療も終わっていないというのに」

「早くしないと燃え尽きちゃいますよー」

「……戦闘の続きをしてやりたいくらいだ」

 

 手ぶらの番外席次は唇を尖らせて文句を言っている。

 

「ちょっと、私は誰のお嫁さんになるの?」

「知らん」

「私も知らんな」

「蛇がいいな」

 

 くりんとした目を輝かせ、蛇の赤目を見ていた。

 必死で生娘らしく振る舞ったつもりが大蛇には通じておらず、酷く反応が悪い。

 

「いらん、間に合ってる」

「えぇー……じゃぁ、魔導王さんでいい」

「じゃぁとは何だ。私の方がいい男だ」

「ヘタレのくせに」

「何か言ったか、馬鹿蛇」

「別に」

「蛇が好きなら執拗に求婚でもしていろ。同じ前衛職だ、通じるところもあるだろう」

「冗談じゃない、俺は間に合ってますよ」

 

 二人で押し付け合い、扱いの悪さに乙女心が蝕まれた。

 顔を赤くして怒る番外席次は、外見年齢相応の少女に見える。

 

「ちょっと! 何なのよ、この扱いの悪さは! それならせめて名前で呼んでよ。私の名前はク――」

「お前なんかバンガイで十分だろ」

「はぁ!? いい加減にしないと、本当に嫁をぶっ殺すよ!?」

「武器もないくせに」

「名前くらい聞け!」

 

 地団駄を踏んで怒っていた。

 

「アインズさん、グラスプハートを」

「うむ、《心臓掌握(ブラスプ・ハート)》!」

 

 意識混濁した(ピヨった)彼女は頭を大きく振っていた。彼女の視界には頭上を旋回するヒヨコが見えているに違いない。

 

「その……なんだ。ヤト、悪かった。レイナースには、後で謝っておく」

「ふぅ……俺も全力で殴ってすんません」

「かなり痛かったが……怒りで我を忘れた私も悪い。精神の沈静化に慣れすぎるのも困ったものだな。どうせ沈静化されるという慣れが、此度の事態を招いたわけだが」

「早くオーバーロードに戻ってくださいよ」

「……私が聞きたい。いつ戻るのだ、これは」

 

 二人の間に弛緩した空気が流れ、照れ臭さを誤魔化すように大蛇は“絶死絶命”を眺める。ふらふらと体を揺らしながらも、器用に両足で立っていた。

 

「それにしてもこいつは、うるさいったらありゃしない。ほら、目を覚ませ」

 

 軽く頭を叩かれ、番外席次の意識を呼び戻す。

 目を覚ました彼女は、左右で色の違う大きな瞳に大蛇を映す。

 

「あれ? 私は何を……」

「そいじゃ、嫁を迎えに行くかな」

「私も行っていい? 蛇の花嫁さん見てみたいな」

「……手を出したら殺すぞ」

「私の方が可愛いかもしれないよ?」

「黙れ、ロリババア」

「誰がババアだ、この腐れ蛇。蒲焼きにするぞ」

「やれるもんならやってみろ」

「後ろに気を付けなー」

「俺は素早いぞ」

「夜の方も早かったりするの?」

枷付き(処女)のくせにどこで仕入れてくるんだ、そんなネタ」

 

 心境の変化はよくわからないが、上機嫌な彼女は饒舌だった。

 アインズに見送られ、二人は口喧嘩しながら砂漠を去っていく。

 

「同じ前衛だからなのか、似た者同士だな……喧嘩するほど仲がいいとはよく言ったものだ」

 

 

 誰とはなしに呟いたアインズは、魔法集団化にて《伝言(メッセージ)》を飛ばす。

 

 

 人間に深い爪跡を残す怒りの日は半分しか終わっていない。

 

 

 心無い天魔は上空で嗤っていた。

 

 

 





次回

「Drumfire」


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