モモンガさん、世界征服しないってよ   作:用具 操十雄

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Sunset,Moonrise

 

 

 脳内に血栓ができた場合、呂律が回らない・言葉が出にくくなるなどの口の動きの異変、体の片側が痺れる・動作不良、目の焦点が合わない、片目が見えないなどの初期症状で警告が出される。

 アインズ・ウール・ゴウン魔導国、頂点にして唯一無二の支配者、アインズ・ウール・ゴウンはまさにその状態であった。

 名を冠しただけのアイテムではない本物の傾城傾国(絶世の美女)は、執務室に置かれた机の隣に佇み、本日の予定を説明している。

 

 それらしく振る舞おうと椅子に腰かけ、手を組んで彼女の話に聞き耳を立てるも、アルベドを盗み見ると敏感に視線を察知し、妻にして絶世の美女は話を止めて嬉しそうに微笑みかけた。

 

 幾度となく彼の理性は髄液の藻屑と消える。

 

 長い夜を共にしたにもかかわらず、未だ冷めやらぬ煩悩の青い炎は鎮火と着火を繰り返し、アインズの頭蓋に坐す髄液で濡れた脳(コンピュータ)は動作不良を起こしていた。

 

「アインズ様、本日はラナーより昨日の報告、記憶操作の効果を確認、内務の資料を確認後、ブレインの邸宅へ記憶操作の応急処置となっております」

「……う、うむ」

「夜は早めに床へ入り、魔導国の将来のために励まれましょう」

「あ、はい……」

「他の妾を試されるのは、今しばらくお待ちください。法国、エルフ国への対応が済んでからになさった方がよろしいかと」

「……うん」

「イビルアイは妻とは言えアンデッド、お世継ぎを儲けるお役目は私が一手にお引き受けいたします。アインズ様は男の子と女の子どちらがよろしいですか?」

「……え? あ、はい……どちらでも――」

「まあ! さすがはアインズ様! 何人も御子を成すおつもりでしたか! やはりお世継ぎは早めに作りましょう! そうと決まれば雑用はデミウルゴスとパンドラに任せ、私たちはナザリックの未来について、ベッド上にて体で話し合いを――」

 

 即座に暴走をはじめたアルベドは、ノックの音で一時停止された。

 

「失礼します、ラナーでございます」

 

 性の暴走機関車は発進直前にエンジンを停止させ、アルベドは咳払いをして仕切り直し、毅然とした態度でラナーを入室させた。

 

「入室を許可します、ラナー第三王女」

「失礼します」

 

 微笑む黄金の姫は姿勢よく入室し、さも当然のようにナザリックの僕であるかのように跪いた。

 そのまま押し倒されかねない危機は去り、安堵の深呼吸をする。

 

「ラナー、昨日はご苦労だったな」

「お褒めにあずかり、身に余る光栄でございます」

「早速だが昨日の報告を――」

「お待ちください。その前に、私の話を聞いていただけますか」

 

 精神の沈静化という相棒を失ったアインズは想定外の事態に弱く、突然に降って湧いたラナーの申し出は、嫌な予感がしたので出来れば御免被りたかった。

 彼の立場は気楽な対応を許してくれず、内と外で矛盾を生じさせつつも、口からは自然と支配者らしき発言が出ていった。

 

「構わん、申せ」

「アインズ様、ナザリック及びそれ以外の女性が協力し、法国への対応を行なおうとした件はご存じないのではありませんか?」

「うん?」

「ラナー、なぜそれを話すの? アインズ様へは結果だけを捧げる手筈でしょう」

 

 アルベドが作戦の露見を察し、黄金の姫を咎める。

 

「アルベド様、渦中の漆黒聖典は舞台に上がり、法国攻略の策は水泡に帰しました。アインズ様、彼らの持つ洗脳アイテムを奪取し、敵の主要部隊長を手中に収めたお手並み、お見事でございます。私は惜しみない称賛、そして畏敬の念を禁じえません。ナザリックの支配者、アインズ・ウール・ゴウン様の知力・武力・そして魅力と運は、我らの想定を遥かに凌駕しておられました」

「う……うむ」

 

 既にアインズの頭脳は機能を停止しており、返事に意味はなかった。

 

「アインズ様! 出過ぎた真似とは承知で、私が全て企てたのでございます。この非礼は必ずお詫びを――」

「アルベド、ご苦労だった」

「アインズ様……」

 

 反射的にそれらしい対応ができた自分を褒めてやりたかった。

 日中は支配者としての振る舞い、夜はアルベドと過ごす彼に、一人になって悩む時間はない。

 いっその事どこかに失踪してラナーの発言を噛み砕きたかったが、その猶予もないだろう。

 

 普段から馬鹿をやっている友人であれば、疑問を気軽に聞けただろうと思い、この時ほど羨んだことはなかった。

 

 褒められて歓喜に震えるアルベドに、失言で暴走させないように細心の注意を払い、アインズは言葉を続けた。

 

 

「ラナーよ、今後はどうするつもりなのだ」

「はい、事態は予期せぬ急展開を迎えております。ヤトノカミ様が隊長を連れてお越しになるまで、アルベド様をお借りできますでしょうか?」

「アルベド、私はここで考え事をする。お前はラナーとお茶でもしてくるがいい。護衛はシャドウ・デーモンがいればよい」

「アインズ様……心遣い、ありがとうございます。必ずや、御身に報いて御覧に入れましょう!」

 

 アルベドは、アインズが事態の巻き返しを図る機会を与えてくれたのだと、都合よく誤解していた。

 解けぬ誤解を抱えたアルベドは対法国作戦の軌道修正のため、二人で移動していった。

 残されたアインズは、何らかの策を張り巡らせていたと思われるアルベドとラナーの言葉を、これまでの対応と照らし合わせて必死に消化しようと試みる。

 

 しかし、存外に消化が悪く、二日酔いの少年を引き摺るヤトが王宮を訪れるまで、執務室からはアインズの唸り声が聞こえていた。

 

 彼女らの労を無駄にせぬように、自分はこの先どう振る舞えばいいのかと存在する脳を再起動するも、対応策はさっぱりわからなかった。

 

 

 

 

 ヤトは二日酔いの少年を叩き起こし、お揃いの衣服に身を包んだ彼を引き連れ、王宮への道を歩いていた。

 兄弟分にでも見えたのか、すれ違う国民には微笑ましいものを見たように笑みが浮かんでおり、二人とも居たたまれずに憎まれ口をたたき始める。

 

「……昨日の夜のことを覚えていないのですが」

「お前が勝手に忘れたんだろ。そこまで面倒みれるか」

「……それは酷いのではありませんか? だいたい、昨日のお酒は何なのですか。一服盛ったのではございませんか?」

「ガキに酒は早すぎたんだろ。そんなこと、俺が知るか」

「……絶対に許しません……この恨みは必ず」

「法国に帰る前に、娼館くらい奢ってやるよ」

「……いえ、そういう問題ではなく」

「嫌なのか?」

「……」

 

 納得したのかは別問題として、恨み言を募らせる少年の口は閉じた。

 

 執務室から聞こえる怪しい唸り声で、ドアノブを掴んだ手は止まる。

 間もなくアルベドとラナーも訪れ、漆黒聖典の隊長を出席させた対スレイン法国への打ち合わせが幕を開けた。

 

 ヤトが来たら意見を聞こうとしたアインズの思惑は、同時に入室したアルベド、ラナー、隊長によってあっけなく握り潰された。

 

 改めて仕切り直された王宮の執務室で、ソファーに腰かけた少年、その隣で腕を組む黒髪黒目のヤト、机に座った人間のアインズが見守る中、机の前方に跪いたアルベドとラナーが形式的な挨拶で打ち合わせの開始を告げる。

 

「アインズ様、彼の処遇はいかようになさるのですか?」

「う、うむ。この世界のレベル100である彼は、地下へ潜らせて実力を測ろうと思う」

 

 何も聞かされていない少年は、偉そうに隣で座っている青年に囁いた。

 

「……そうなのですか? 何も聞いておりませんが」

「しっ、ちょっと黙ってろ。あの二人の前で余計なこと言うと戦争の切っ掛けになるぞ」

「……あの二人とは」

「魔女が二人いるだろ、一人は魔導王の嫁さんだぞ」

「……御二方はとてもお美しいのですが、魔女なのでしょうか。角の生えた方が奥方ですか?」

「もう黙れ」

 

 情報収集を終えていない少年の口は油でも差されたように良く動いた。

 傍から見れば兄弟喧嘩しているように見える。

 

「アインズ様、我々に考えがございます」

「我々魔導国は、このままスレイン法国へ参りましょう」

「……はぁ?」

 

 不思議そうなアインズの問いかけに僅かな沈黙が流れたが、息の合った二人の魔女は一致する互いの思惑を押し進めようと、矢継ぎ早に言葉を発する。

 

「最も警戒すべきアイテムを奪取し、漆黒聖典もこの有様です。敵が事態を把握してしまえば、新たな策を取るでしょう。この混乱に乗じて法国へ出向き、属国化か永久不可侵条約を結ぶのでございます」

「敵に猶予を与え、事態を把握させるのは愚行。敵に塩を送る行為でございます」

「その、済まないが、あまりに急展開すぎるのではないか? 敵は元より、我々も事態についていけていないのであろう」

 

 雲行きの怪しい二人をアインズが止めた。

 

「左様です。私とアルベド様もあまりの急展開に少々混乱を致しました」

「ですが、それを把握し今後の対策を取る頃には、敵も準備を始めています。これまで順調に復興をしている魔導国に、戦禍を招く必要はございません」

「混乱に乗じ、彼らを無力化するのです。アインズ様とヤトノカミ様が人間のお姿であれば、敵の油断を招くでしょう。そこに付け入るのです」

「アインズ様、どうか我らの策にお乗りくださいませ。アインズ様やヤトノカミ様の策とは見劣りするやもしれません。しかし、彼の法国がエルフ国と戦争している今こそ好機。我らの力を見せつけ、否応なしにこちらの意向を飲み込ませるには、今を置いて他にございません」

 

 急速に展開し始めた成り行きについていけないのはアインズだけではなく、端で座る黒服の二名もどこかに置き去りにされていた。

 

「うへぁ……」

「蛇殿……雲行きが怪しいのですが」

「娼館でも行くか……?」

 

 二人の囁き声はアインズへと届き、ヤトへ《伝言(メッセージ)》を飛ばした。

 

「うぅむ……」

 

 申し訳程度に悩む素振りだけはしたが、アルベドには看破されるだろう。

 事態が混迷を極め、遠くに置き去りにされた現状で、形振(なりふ)り構っていられなかった。

 

《ヤト、どう思う?》

《また至近距離で密談ですか》

《仕方ないだろう。精神の沈静化がない現状で、他に手はない》

《乗るしかないでしょうよ……策も何も、俺たちはなんも考えてないッスよ》

《……だよなぁ》

《イビルアイはどうしたんですか?》

《……昨日の夕方から姿が見えんのだ》

《猫みたいなやつですね》

《そんなことはどうでもいい、今は――》

《わかってますよ、アインズ・ウール・ローリゴウンさん》

 

 助けを求めたヤトからは何の妙案も出ず、《伝言(メッセージ)》を切断した。

 

「誰が法国へ行くのだ?」

「ラナーは王都にて帝国側との打ち合わせ、それも属国化する打ち合わせが残っております。私とアインズ様、そしてヤトノカミ様を主体とし、護衛はシャルティア、コキュートス、セバスでいかがでしょうか」

「……そうか」

 

 アインズは再び《伝言(メッセージ)》を飛ばした。

 

《帝国を属国化とは何の話だろうか》

《もう知りませんよ……正直なところ、帰りたいッスわ》

《……私もだ》

《こうなったら流れに従いましょう。他になんも浮かびませんって》

《お前なぁ、そんな簡単に》

《だって、意味わかんないし。何がどうしてこうなったんですかね》

《私が聞きたいくらいだ。なぜいつも事後報告なのだ》

 

 もはや密談ではなく愚痴の零し合いだった。

 ヤトは《伝言(メッセージ)》を切断し、彼に相応しい気楽な声色で問いかけた。

 

「アルベド、みんなして行く必要ないだろ。俺はエルフ国に行こうか?」

「お待ちください、ヤトノカミ様。エルフ国の情報は乏しい情報しか集まっておりません。彼の国家に何があるか不明である以上、こちらとしては最大の脅威が取り払われたスレイン法国へ出向くのが上策かと」

「ふぅん……でも、宝物殿の守護者がいるんだろ?」

「そ、そうだ。アルベドよ、彼の者の実力が未知数だ」

「そこにいるではありませんか、ちょうどよい情報の引き出し先が」

 

《え?》

 

 アインズ、ヤト、隊長の声は揃っていた。

 

 視線を一手に集めた隊長は、様々な意味で俯いた。

 美女二人とヤト・アインズの視線もさることながら、何よりも服装がヤトと似ているのが恥ずかしかった。

 

 事態の急転を引き延ばそうと抵抗するアインズとヤトは、更に二人を宥めようとする。

 

「国家間の交渉事だ。ここは時間を掛けるべきではないか?」

「そうだそうだ。交渉で間違えばそれこそ戦争になるんじゃないのか?」

 

ヤトとアインズ、アルベドとラナーで討論(ディベート)の構図が出来上がっていたが、明らかにアインズ側の形勢が不利だった。

 

「通常の交渉、あるいは国家間の貿易や金利交渉であれば、それでよろしいかと思われます。ですが、それでは無茶な提案を呑ませることは難しいでしょう」

「アインズ様、ヤトノカミ様。スレイン法国はこれを機に我らの支配下へ収めてしまいましょう。敵対者がなくなれば、アインズ様とヤトノカミ様の悲願だった、大陸外への散策へ移ることができます」

「た、大陸外?」

「何の話をしてんだ?」

「至高の41人の御方々を、お探しに出られるのではなかったのですか? ヤトノカミ様はアインズ様のため、ひいてはナザリック地下大墳墓の栄光を不変のものとするため、皆様を探すことが悲願であると」

「う……」

 

 無駄な抵抗をしていたヤトは、ここで再起不能(リタイア)となった。

 

「私とアルベド様は、その前提で今まで行動してきたのですが、我々の目測が間違っていたのでしょうか。やはり、アインズ様の目的は世界征服だったのですか?」

 

「仮にそうだとしても、何の問題がございましょう。大国の一つであった帝国は魔導国の属国となります。次に宗教国家であるスレイン法国まで傘下に収めたとすれば、領内に神殿を置く周辺国家は、魔導国に従属せざるを得ません。様々な国家を飲み込む大国となった魔導国に対抗できるのは、竜王が所属するアーグランド評議国のみ。それも白金の竜王との友好関係にて、敵対の目はございません」

 

「魔導国周辺を統一するに絶好の好機でございます! アインズ様とヤトノカミ様の望みは、最初から一貫してお仲間を探し出すこととお聞きしています。周辺国家の支配は最上の過程でございます。閉じられた宝箱が差し出され、蓋が開くのを待っているのです」

 

「どうかご決断を。支配、捜索、どちらにおいても、スレイン法国の無力化は避けては通れない道。ならば、我らにとって最も好都合な結果を出すため、今こそ千載一遇の好機です」

 

 討論会は初めから女性陣が優勢だった。

 

 矢継ぎ早に攻守交代する二人の女性に、アインズは抵抗する気力を失う。

 判断に迷った彼は、三度ヤトへ《伝言(メッセージ)》を飛ばした。

 

《ヤト、どう思う?》

《知りませんよ! もうどうでもいいッス!》

《……このままだと真面目に世界征服する羽目になる。お前も遊べなくなるぞ》

《世界征服なんかしなくても、周辺だけ支配して、それから冒険しましょうよ。国の支配者自ら進んで冒険に出る、平和な冒険国家になりますよ》

《事はそう簡単ではない。魔導国だけではなく、他国の領地まで平定するのであれば、長い時間を拘束されるだろう》

《やってみなきゃわかりませんって。優秀な部下がいっぱいいるじゃないスか、ナザリックには。ラナーが言ってる箱の蓋を開けて中を見ましょうよ》

《箱の蓋……シュレディンガーのタコ、か》

《はい?》

《ぷにっと萌えさんが昔、箱の中のタコは食料か悪魔かという意味不明な話をしてくれたが、中身に対する評価は開けた者によって変わるらしいのだ》

《はぁ?》

《どちらにせよ、中のタコに変わりはない。周辺国家の統一という出目しか入っていないのであれば、我々がいなくとも運営可能な国家を作り、ナザリックの維持を盤石のものにする。それから安心して仲間を探しに行けばよいのだ》

《じゃ、それで!》

 

 理解したかは怪しかったが、《伝言(メッセージ)》は投げやりに切断された。

 密談が終わったのを確認したアルベドは決断を迫る。

 

「アインズ様、ナザリック地下大墳墓の主神、絶対なる支配者、比肩なき知力・武力・魅力を持つアインズ様こそ、国を支配するに相応しき御方。今がご決断の刻でございます」

 

「アインズ・ウール・ゴウン様という太陽の光はやがて天に満ち、慈愛となって地に降り注ぐでしょう。大地を踏むもの全て、人間種族だけでなく、生きとし生きるもの全てに恵みを授けます。今こそ創世の謳を」

 

「諸国への対応はナザリックの参謀も協力して行いましょう。アインズ様にだけご負担を掛けること無きよう、ナザリックに所属するもの全てが協力し、諸外国への対応を行います」

 

「微力ながら私もご助力致します。アインズ様が不在となっても機能する国家のため、全身全霊で協力いたします。決して足枷にはなりません」

 

 既に逃げ場もなく、アインズは諦めて彼女らの策に乗じるか悩む。

 統治も悪くないまで思い至るも、最後の一線を越えられずにいた。

 

 黙り込んだアインズに代わり、頭のスイッチを切り替えたヤトが声をあげる。

 

「俺も諸外国へ行きますよ。アルベド、エルフ国は俺が行く。法国は任せて大丈夫だろ」

「ヤトノカミ様、その件でご提案なのですが、魔導国の冒険者組合はアインズ様が手中に収めております。手ごろな冒険者にやらせてはいかがでしょうか」

「……なんだと?」

「……なんでだ?」

 

 展開についていけず、少年は言葉を失っていた。

 

「法国と友好関係を構築する過程において、滅ぼしてしまうのが最も効率が良いエルフ国です。今後、冒険者に外交を行わせる一例となりましょう。相手がエルフともなれば、強者であってもたかが知れております。今後の展望も踏まえ、これ以上ない逸材かと」

「そりゃ面白そうだ。俺も冒険者として行ってもいい?」

 

 ヤトの目に好奇心が宿る。

 アインズを差し置いて、彼だけが通常の状態へ復帰した。

 

「ヤトノカミ様……それでは冒険者に外交をさせるという見本になりません。我らナザリックのものが出て行っては、今後も我々が必要となってしまいます」

「それもそうか。さすがはアルベド。アインズさんの嫁」

「くふー! お戯れを!」

 

 彼女の鼻息は急激に荒くなった。

 

「昨晩はお楽しみでしたね」

「はい! 魔導国のお世継ぎが誕生する日も、そう遠くないかと思われますわ!」

「ちょ、ちょっと、二人と――」

 

 アインズの制止は盛り上がった二人の耳に届かなかった。

 

「男と女、どっちがいいんだ?」

「双子が理想です。既に五歳までの子供服は編み終えました」

「……え?」

「ずいぶん気が早いな。俺も子供欲しいなぁ」

「お隠れになった至高の39人の方々がお戻りになられなくても、アインズ様とヤトノカミ様の御子が誕生すれば、ナザリックの地盤はより盤石なものとなるでしょう」

「いや……あの――」

「俺の子供は蛇か人間か微妙なんだが」

「竜王が人間との間に儲けた子孫が、どこかの国にいると聞いています。法国が静かになれば、そちらに出向かれてはいかがでしょうか。法国であればその所在も把握しているでしょう」

「それもそうだな」

 

「お世継ぎ……」

 

 アインズとアルベドの夜伽を想像してしまい、少年は名状しがたい顔をしていた。

 

 大きく脱線した話題に、その都度無視をされていたアインズが大声を上げた。

 

「私の話を聞け!」

 

 無視され続けて癇癪を起こすアインズの怒号は、良からぬ想像をしていた少年の体を跳ね上げた。

 彼以外には何の効果もなかった。

 

「あ、すんません」

「申し訳ありません。私としたことが、はやる気持ちを抑えきれずに」

 

 精神の沈静化がないご立腹な魔導王は、絶望のオーラを放出している。

 

「……私は記憶操作の確認のため、地下牢へ行く。法国は明日に行くとしよう。アルベド、ラナー、準備は頼んだぞ」

「アインズさん、このチビはどうしますか?」

「……法国にでも送り返せ」

「じゃ、届けておきますね」

 

 ヤトの返事も待たずに、混乱に怒りを加えたアインズは、冷静さを取り戻そうと地下へ消えた。

 短い間に急転直下した事態を、大至急に把握しなければならない。

 

 口を挟めずにいた少年は、怒るアインズが消えたことで一息つき、ヤトへ声を掛けた。

 

「蛇殿、私は」

「ああ、法国に帰れ。明日、魔導国の一行が行くと伝えてくれ。あの婆さんは蘇生して一緒に連れていくからよろしくな」

「いえ、あの、スレイン法国をどうなさるおつもりで」

「……あの二人の前で余計な発言をするな。悪いようにはしない。間違っても侵略したりはしないから、今は従っておけ」

「結構です、あなたは信用できません。失礼ですが、アルベド殿、ラナー殿、スレイン法国をどうするおつもりで――」

 

 勝手に口を開いた少年に、アルベドとラナーは表情を一転させた。

 

「貴様に発言を許可した覚えはない。黙りなさい、異形の我らに仇なすスレイン法国特殊部隊、漆黒聖典の隊長。あなたの命運は既に尽きている。出来ることはせいぜい結末を見るくらいでしょう」

「アインズ様が滅ぼすと言えば帝国、評議国、魔導国を以って戦争をします。アインズ様が生かすと言えば、あなた方は魔導国に従属していただきます」

 

 明確に殺気立っている異形種のアルベドと、ゴミでも見るかのようなラナーの暗い瞳に、漆黒聖典の隊長は黙るしかなかった。

 

「……」

「……ほら、な」

 

 改めて敵の手中に落ちているのだと知り、取るべき手段はいくらも無かった。

 

 アインズから地下への呼び出しがヤトへ入り、緊迫した状況を解こうとヤトは少年を促した。

 

「アルベド、ラナー、冒険者の手配はこっちでやっておく。二人は法国への準備を頼む」

「お任せください、ヤトノカミ様」

「また明日、王宮でお会いしましょう」

「ほら、行くぞ少年。中庭に転移ゲートを開いてやるから、法国へ帰って報告をしろ」

「……はぃ」

 

 それだけ言うのがやっとだった。

 

 ヤトは質の悪い宅配便のように、少年の首根っこを掴んで転移ゲートに放り込み、一仕事終えたヤトは地下への階段を降りていった。

 

 

 

 

 黴臭い地下牢は、昨日と一味違う地獄絵図だった。

 

「……すんません、気持ち悪いッス」

「……私もだ。外に出よう」

 

 夜を賭して清掃を行ったカジットも、二人と共に中庭に出た。

 カジットの隈は深くなっていたが、それ以上に牢屋内で繰り広げられる凄惨な光景に嫌気がさしていた。

 わずかな時間しか滞在していないにもかかわらず、穢れに汚染された精神は浄化されたように感じる。

 

「いやー酷いもんでしたね、アレ。何やったんスか?」

「好みを同性に変えたのだが……効果抜群だな」

「共食いしてましたが」

「人間を食料として見る異形種に変えた」

「死体を弄ってましたが」

「倫理観と幼少期の記憶を消去した」

「何人かされるがままのヤツがいましたね」

「記憶を全て消した」

「……哀れな」

 

 彼らは二度と日の目を見ないだけでは済まず、人間の尊厳も永久に取り戻さないだろう。

 盗賊の彼らはそれ相応の報いに相応しき罪を犯していたが、人間を辞めさせられた彼らに憐憫に似た情を感じた。

 

「あーと……カジット、だったか? あいつら、後で殺しておいてくれ」

「う、うむ、それは構わんのだが、牢屋の掃除は終えた。蘇生の件はどうなるのだ」

「そうだったな。蘇生アイテムはここにある。先に渡しておこう」

 

 アインズは青く発光する短杖を放り投げた。

 無造作に投げられたそれはカジットの両手で大切に受け止められ、手の中で発光する杖からは感じた事のない強力な魔力を感じる。

 

「お……おぉぉ……これが肉体を滅ぼさずに蘇生できるアイテムなのか」

「ペナルティなく蘇生が可能だ。我々からすれば取るに足らないアイテムだが、それをくれてやろう」

「ちゃんとあいつらを皆殺しにしておけよ」

「ありがとうございます……ありがとうございます……この御恩は一生忘れません」

 

 大粒の涙を流すカジットはその場で平伏し、アインズへの忠誠を語っていた。

 

「母親を蘇生できるかはお前にかかっている。後は好きにするがいい。どこかに消えたとしても、我々の知るところではない」

「それよりこの後の予定は?」

「一通りの効果は確認できた。ブレインの邸宅へ行こうと思うのだが」

 

 カジットに興味を示さないヤトに促され、アインズはブレインの邸宅へと消えた。

 

 中庭から人気のなくなった後も、カジットは起き上がることなく平伏して涙を流した。

 こみ上げる感情は舐め続けた苦汁を思い出させたが、それ以上に二度目の人生こそ母親には幸せになってほしいと願う彼は、感情で頭を混濁させながらもアインズへの深い感謝を海馬へ刻み込んだ。

 

 地下牢の使用済みモルモットを殺害し終えた彼は、忽然と姿を消す。

 

 

 その後、彼を見た者はいない。

 

 

 

 

 突然に訪ねてきた二人の支配者は、ブレインの新居にて愚痴を零し始める。

 前日にガゼフたちの協力を得て引越しと大掃除を終わらせ、家具の配置をまともに終えていないブレインからすれば、迷惑以外の何物でもなかった。

 

「酷いと思わんか、ヤト。なぜ私をないがしろにして策を練る必要があるのだろうか。肝心要の一押しは、いつも私の役目ではないか。事後報告される身にもなってもらいたい」

「そーッスね」

「アルベドもラナーも、私の意向を聞かずに勝手に話を進めて、いくらナザリックのためとはいえ私の理解も追いついてほしいのだ。いきなり帝国を属国にしたと言い出し、次はその理解が追い付く前にスレイン法国を隷属させて周辺国家の統一だと。このまま世界征服でもさせるのではなかろうな」

「知らないッス」

「所詮は元人間なのだとアルベドは知っているだろうに、なぜ私だけが毎回毎回頭を悩ませなければならんのだ。そんなこと、俺が知るか!」

 

 

 クリアーナとゼンベルは新たな自室で昼寝を謳歌しており、この家でまともに動けるのは自室のレイアウトを考えていたブレインだけだった。

 

 喧騒で起きてくることを期待したが、前日に奮闘し過ぎた両名は出てこなかった。

 

「なんなんだ……」

 

 耳に届いたブレインの声に、ヤトが反応を示し、アインズの広げられる一方の愚痴を制止する。

 

「アインズさん、愚痴の続きはアルベドにでもベッドの中で。あるいはイビルアイを呼び出してでもお好きに。それよりブレインの嫁を」

「……そうであった。済まないな、ブレイン。クレマンティーヌの部屋に案内してくれ。余分な記憶を消し、彼女の人格を呼び戻そう」

「あ、はぁ」

 

 浮かない返事で二人は消えた。

 残されたヤトは、退屈そうにブレインの新居を眺めた。

 

 八本指幹部の邸宅だった屋敷は、多少の傷みこそあるものの造りは豪勢だった。

 天井で光る豪勢なシャンデリア、飾られている調度品の数々はそのまま置かれ、部屋数も安宿並みに多かった。

 

 無心で呆けていると、そう時間も経たずに二人は戻ってくる。

 

「早かったッスね」

「ああ、無事に終わった。明日には自我を取り戻すだろう」

「ありがとよ、アインズさ……あー、陛下?」

「アインズで構わん。ブレインは私の部下ではないだろう?」

「アインズ、さん? いつまでその姿なんだ? どうも調子狂うな」

「それは私が聞きたい……それと、彼女の記憶は少しだけ弄っておいた。あとは好きにするといい」

「?」

「明日のお楽しみだな」

「ん、まあ、よくわからんが感謝はしてるよ」

 

 話題はすぐさま冒険者としての活動に移り、半ば強引にブレインにエルフ国への従属化を迫る外交員としての任務が言い渡される。

 

 状況についていけず、大いに難色を示すブレインに、アインズとヤトは執務室での自分たちを重ね、親近感がわいた。

 

「……えーっと? つまり……俺は誰かを連れてエルフ国に行くのか? 何のために?」

「魔導国の支配下に入れという交渉のため、でいいのかな?」

「多分、そんな感じだろう。ここ数日の急展開に私もついていけん」

「……御免被りたいんだが」

「頑張れ、ブレイン。嫁も連れていけ」

「それはいい考えだな。エルフ相手であれば、戦闘になったとしても逃げられないことはあるまい」

「だから嫁じゃねえってえの。確かに、クレマンティーヌのリハビリにはなるかもな」

「じゃ、それで」

「では、それで」

 

 精神をすり減らして投げやりになったアインズは、邸宅を訪れてから支配者らしからぬ態度を連発し、ブレインは奇妙な顔をしていた。

 

 特徴が似ているため、ヤトが二人に増えた気分だった。

 

「……なぁ、アインズさんは適当過ぎないか? いくら人間になったとはいえ、こんなに変わるもんか?」

「ブレイン、今の私は魔力を除いて人間と変わらんよ。アンデッドではなくなったことで、頭の働きが鈍いのだ」

「夜もアルベドに手籠めにされちゃいましたもんね」

 

 黒目の国王は相方をジロリと睨んだ。

 ため息を吐いて右手を顔に当て、やれやれと首を振る。

 

「……済まない、疲れているのかもしれないな。アンデッドの体が懐かしい」

「でも、戻ったらアルベドも抱けなくなりますよ」

 

 再び睨まれたヤトは肩を竦めたが、口元は歪んでいた。

 

 ブレインは、言い渡された冒険者としての任務を迷惑に感じながらも、観念して考えを巡らせる。

 

「ガゼフも連れていくかな……」

「悪いがティラも連れて行ってくれないか。彼女にも何かさせないと可哀想だからな」

「ラキュースとレイナは駄目だからな。俺たちが不在中、二人には雑用してもらわないと」

「ああ、リザードマンたちにでも同行してもらうさ。それなりに強いからな」

「彼らは法国と戦争中だ。間違われて交戦とならないように注意してほしい」

「報酬はそれなりに頼むぜ、魔導王陛下。これでもこの家の大黒柱だからな」

「約束しよう」

 

 アインズとブレインは握手を交わした。

 むさ苦しい光景にヤトは舌を出し、咎めたアインズに頭を叩かれ、舌は引っ込んでいった。

 

 成り行きに巻き込まれたブレインを中心に、情報がないままにエルフ国を支配下に置こうとする外交員が決まる。

 

 既に先の事態は誰にも予想できなかった。

 

 

 

 

 夕刻、スレイン法国最奥の会議室では、国家を運営する最高責任者たちを前に、帰還した隊長が跪いていた。

 

 六名の最高神官長に、法国内の三権分立を任される機関長、軍事機関の最高責任者である大元帥を加え、スレイン法国最強の部隊である漆黒聖典、その隊長格である第一席次の宗教裁判が始まった。

 宗教裁判は途中から異端審問へと変わり、跪いて首を垂れるガラの悪い少年は処刑を覚悟していた。

 死を予想した彼が思い出したのは自らの走馬灯ではなく、魔導国王都で楽しそうに生活している国民や、自分を優しく迎え入れてくれた娼婦たちだった。

 

 それだけで弾劾されかねなかったが、幸いにも彼らに記憶を読む魔法は使えない。

 

「カイレを殺害され、神々が残せし秘法を奪われ、カイレの蘇生を条件に情報を売り渡し、まともな情報を得られず、裏切り者の身柄を確保できないばかりか、スレイン法国が従属を迫られているだと!?」

「貴様、よくもおめおめと我らの前に顔をだせたな! 恥を知れ!」

「火あぶりにしろ!」

「水責めがよかろう。洗脳されている可能性もある」

「漆黒聖典の隊長として恥ずかしくないのか! その下卑た身なりは何だ!」

「愚か者がっ! スルシャーナ様に顔向けができんわい!」

「漆黒聖典第一席次、申し開きはないか?」

 

 怒りを露わにするスレイン法国の最高責任者たちの前で、今さら何も言えなかった。

 愚かな功績を挙げて帰還したのか、十分に自覚があった。

 

 部下が同じ真似をすれば、迷うことなく処断しただろう。

 

「……ございません」

「本日を以って漆黒聖典第一席次の任を解く。貴兄への処罰は追って下す。今日は下がれ、我らは明日にここを訪れる魔導王、蛇、従属神への対策を練らねばならん」

「その件ですが……我らに出来ることは――」

「下がれい!」

「目障りだ! 消え失せろっ!」

 

 怒りに任せた誰かが茶碗を投げ、隊長の頭部に当たって砕け、渋めのお茶は長い頭髪を濡らした。

 

 誰も彼もが少年の声に耳を貸さなかった。

 

「……失礼いたします」

 

 彼らは夜通しで対応策を練ったが、法国を属国にしようと考える魔導国に対し、情報不足の彼らが取れる対策は知れていた。

 ”彼女”を投入するかについては議論が白熱したが、隊長があの有様で、”傾城傾国”も奪われた現状で他に手段はない。

 

 

 隊長は議論を邪魔せぬように、静かに会議室を後にする。

 

 宗教家として神に殉ずると決めた自身にできる事と言えば、処刑という人生の終着点に向けて覚悟を決めるくらいだった。

 信仰を捨てて魔導国に下る訳にもいかず、漆黒聖典の立場もなく、少年の進退は極まった。

 

 自分が情けなかった。

 

 誰にも顔を合わせたくなかったが、悲壮な顔でドアを閉めると彼女が待っていた。

 

「ふーん……変な服だけど、そっちの方がいいんじゃないの?」

「……あなたですか」

「そんなに落ち込まなくても、処刑なんかされないって。神人は子供作らなきゃ」

「神人……ですか。今の私にそんな資格は」

「で? どうだったの? 魔導国は」

「……蛇と一戦交えました」

 

 彼女の口角は吊り上がり、戦闘衝動が湧いていた。

 死を覚悟して悲壮な表情をする少年に、彼女を諫める労力は残されていない。

 

「私と蛇、どっちが強い?」

「……わかりません。あの化け物に勝てる者がいるとも思えません。蛇に勝ったとしても魔導王がいます。私は手も足も出ませんでした」

「負けて服を変えられたんだ?」

 

 血に塗れた笑顔は無邪気なものへと変わる。

 隊長の悲壮な表情も、彼女からすれば喜劇を演出する調味料(スパイス)だった。

 

「あまり笑わせないでよね」

「……私は真面目です。あなたとこうして話せるのもあと数日が限度でしょう」

「漆黒聖典だけじゃなく、六色聖典全軍出動かな」

「……私には関係ありません」

「あんたも武装して待機すれば? 私も蛇と戦ってみたいな」

 

 スレイン法国最強であり人類の守り手が敗北するという、最悪の未来予想図が浮かんだ。

 もはや止める力もなく、隊長は曖昧に顔を歪めた。

 

「何? その変な顔」

「……私は疲れました。後はお任せします」

「ふーん……」

 

 大きめの瞳を見開き、下から少年の顔を覗き込んだ。

 童貞を捨てて女性に対する考えが変わった彼は、急に距離が詰まった女性に対して動揺する。

 

「な、何ですか?」

「魔導国で何かあった? なんか感じ変わったね」

「いえ、何の話か私には――」

「女でもできた?」

 

 娼館の件で後ろ暗いことがある少年の心臓は、体を飛び出さんばかりに跳ね上がった。

 

「……私は休みます。明日は何もなくても、こちらで待機しなければ」

「そっか」

「蛇と交戦するのであれば、彼は力も素早さも私より遥かに上です。あなたの情報もあちらに流れています。くれぐれもご注意ください」

「楽しみにしておくね、おやすみ」

 

 いつになく上機嫌な彼女は、玩具も持っていなかった。

 

 

 神殿を出ると太陽は地平線に潜ろうとしていた。

 

 赤みを増していく空を見上げると、早めに顔を出した月が見えた。

 

 綺麗な半月だった。

 

 

 

 

 王宮の寝室ではアインズが寝物語(ピロートーク)にて、珍しくアルベドを責め立てる。

 七割がた自棄っぱちになったアインズは、支配者らしき態度をどこかに置き忘れていた。

 

「……アルベド。そんなに私は支配者らしくないだろうか。そちらで策を練る必要があるほど、私は信用できないのか?」

「アインズ様?」

「確かに私は元人間なのだが、これでもお前たちの上に立つものとして、相応しき態度を心がけてきたつもりなのだが……なぜ私に相談してくれないのだ。事後報告もその後のフォローが大変なのだぞ。これまでは運よく事を運べたが、今後も上手くいくとは限らな――」

「なにか誤解をなさっていらっしゃいますわ」

 

 いかに報連相が大切かという説教を始めようかと思っていた矢先、声を遮ったアルベドに後の先を取られた。

 

「我々はアインズ様が頼りない、あるいは信用できないから策を練ったわけではございません」

「うん?」

「アインズ様とヤトノカミ様の、これまでの功績を顧みれば、ナザリックの僕が何の役に立っていないことは明白です。我らは、御二方より賜った命令こそ遂行致しましたが、それ以外では何の役に立っておりません」

「う、うむ」

「私たちは至高の御方々の御役に立つよう、創造されたもの。何の功績も上げずに、御二方の栄光を称えるだけであってはならないのです。存在意義の証明、そしてアインズ様の家族となるためには、我々でもお役に立てることを証明する実績が必要不可欠でした! そうでなければ! いつまで経ってもアインズ様の御心はヤトノカミ様にだけしか開かれないのです!」

 

 後半から大声に変わったアルベドは、感極まって涙を流していた。

 流れる雫に堰を切った言葉は止められず、沈黙を守るアインズは溢れた感情を静かに受け止める。

 

「女としてという立場だけではございません! ヤトノカミ様と同様、私が誰よりも願ったアインズ様の幸せに、他の至高の御方々の御帰還こそが最善だとも理解しています! それでも……守護者、(しもべ)には心を開いてくださらない事実が……私には何よりも耐え難く、悲しい事実なのです……」

「アルベド……」

「ヤトノカミ様が気まぐれにご帰還なさらなければ、気付く事さえできなかったでしょう。アインズ様が心を開く相手は、至高の御方々、かつての仲間だけであると。私は、いえ、ナザリックに所属するもの全ては、アインズ様の部下であり、道具であり、そして家族なのです」

 

 アルベドの悲痛な叫びはアインズを侵食する。

 

 彼の胸に去来した感情、それは憤激でも後悔でもなく、紛れもない愛情だった。

 

「お前に涙は似合わない」

 

 彼女の煌めく涙はアインズの親指で掬い取られた。

 

「アインズ様……御身は一人ではありません。我らは変わらずお側にいます」

「ありがとう、アルベド」

 

 絶対の支配者は今まで見たことないほど、穏やかに微笑んだ。

 アルベドが言葉を失って見惚れるくらいに、愛情に満ちていた。

 

「周辺国家を束ね、我らで支配するのも悪くない。ナザリックの維持費に貢献させればよい。法国へ出向くのもその一環と考えれば、アルベドとラナー、並びに他の協力者たちは素晴らしい功績をあげた。改めて礼を言うぞ、アルベド。それでこそ私の妻だ」

「はいっ!」

 

 雑念を荒れ狂う激情で振り払い、ここ数日で揺らいでいたアインズは、支配者として相応しきの声色と振る舞いを取り戻す。

 

「現在、ナザリック外で活動中の者は誰だ」

「はい、プレアデスが二名、カルネ村にて支援を。マーレが農業用地開墾の準備で、領内のどこかにて活動中です」

「日の出とともに呼び戻せ。命令はナザリック全軍に通達しろ」

「はい! アインズ様!」

 

 アインズが告げた命令、それは彼らに唯一に害を与えうる敵国に、武力を見せつけるものであった。

 

 

「ガルガンチュアに起動を命じろ。ヴィクティムも呼び出せ。空いている(しもべ)を彼の地へ集結させろ。マーレとプレアデスが揃い次第、折角だ、ナザリック全軍を率いて行くとしよう」

 

 

 

 


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