モモンガさん、世界征服しないってよ   作:用具 操十雄

82 / 135
In chaos

 

「多くの犠牲と苦労を経験しなければ、成功とは何かを決して知ることはできない」

 

                           ――印度独立主導者

 

 

 

 

 白い陽光は王都を照らし、国民の体を覚醒させて朝を告げた。

 

 この日も、漆黒聖典の隊長は情報収集に向かった。

 

 カジットが訪れる可能性は考慮していたが、さほど有能に見えない彼が、昨日の今日で宿を訪れるとは思えなかった。

 

 効率の良い情報収集を行なおうと、噴水の広場にてカイレと別れた隊長は、街の南側へ向かう。

 

 労働者と消費者を織り交ぜ、市場へ向かう人の流れに身を任せる。

 人類の守護者である隊長は、わずかな時間だが任務を忘れた。

 歌うような喧騒に影響され、生きる者に祝福を与えてくれそうな魔導国で、人々を守りながら平和に暮らすのも悪くないのではと考えた。

 

 敬虔な宗教家の自分が馬鹿馬鹿しいと呆れつつ、そう思わせる不思議な国に笑みが漏れた。

 

 

 彼が内包した感傷の如何を問わず、全ては動き出している。

 

 

 

 

 ラキュースとレイナースにどこに行くともいわず邸宅を出たヤトは、真っ先にとある邸宅へ顔を出す。

 女性の喧騒が聞こえる邸宅のドアを開くと、見覚えのあるメイドがセバスに詰め寄っていた。

 

 以前に見たような光景だった。

 

「ツアレさんだけが妻っておかしいと思います!」

「私たちだって、ツアレさんが出会うずっと前からセバス様のことを――」

 

 押しの強烈な女性から口説かれるセバスは、これ幸いとばかりに女難問題をどこかへ放り投げ、蛇の化身に歩み寄る。

 

「ヤトノカミ様、お久しぶりでございます」

「取り込み中か?」

 

 未練がましい複数の視線が、セバスの背中に突き刺さっていた。

 

「……いえ、問題ありません」

「ちょっといいかな。ここじゃなんだから部屋に行こう」

 

 二人はセバスの私室へ移動していった。

 

 

 

「セバス、殺気を抑えたらどうだ。まだ話の途中だよ」

「……失礼しました」

 

 異形種の敵であるスレイン法国のスパイが、敵対行動のために潜伏中と聞いたセバスは、間髪容れずに強い殺気を放っていた。

 並の人間が浴びれば、良くて失神、悪ければ生命活動が停止していただろう。

 

「まぁ、そんなわけで、今日は彼らを探し出してアイテムを奪う。所持しているアイテムはちとまずいから」

「御伴いたします」

「プレアデスは何してる?」

「はい、ユリはペスと共にツアレの指導へ。ルプスレギナとエントマはカルネ村の支援、ナーベラル、ソリュシャン、シズ、は冒険者組合に」

「ナーベラルとソリュシャンを連れ出して、中央広場に来てくれ。俺は神官長を連れて後ほど合流する」

「畏まりました、では後程お会いしましょう」

「それと、銘柄は何でもいいから酒を買っといてくれ」

「はい、畏まりました」

 

 邸宅を出たヤトは神殿へと足を向けた。

 

 私室に残ったセバスは、いつも以上に険しい顔で外出準備を行い、先ほどまでと打って変わったセバスの雰囲気に、メイド達は声を失った。

 

 熱い視線に、愛が冷めたようには見えなかった。

 

 

 

 

 そうして午前中の早い時間帯に、ナーベラル、ソリュシャン、セバス、ヤトと神官長は噴水の広場に集結した。

 いつの間にか黒髪黒目の男は、イナゴを模した鎧を身に纏い、目を赤く光らせている。

 

「神官長、彼らの風貌はどんな奴らですか?」

「送られた文書によると、年配の女性と若者の二人ですな。しかし、スパイであるなら別行動をとっている可能性も」

「怪しい奴を片っ端からぶっ殺しちゃおうかな……」

「畏まりました」

 

 即答しつつも、物騒な策を止めるべきかセバスは迷っていたが、ナーベラルとソリュシャンは心得たりという表情だった。

 

「ここからは別行動だ。俺は北側を探す。お前たちは神官長と行動してくれ」

「別行動で大丈夫なのですか?」

 

 神官長が心配そうな顔で見ていた。

 

「平気ッスよ。とにかく怪しい奴はとっ捕まえろってことで。セバス、何か見つけたら、手を出す前に連絡を」

「畏まりました」

「洗脳アイテムを奪うまで、迂闊な交戦は避けるように。特にナーベラル」

「お任せください」

「……ソリュシャン、よろしく頼む」

「お任せください。ヤトノカミ様もどうかご無事で」

 

 待機呆けから復帰して間もない彼女は、ここぞとばかりにやる気に満ち溢れていた。

 自信満々で澄まし顔のナーベラルは、皆の心に憂いを召喚する。

 

「セバスも頼んだよ。失敗すれば洗脳、もしくは人質に取られるのは、ツアレやラキュースみたいな、俺たちに近しい人間かもしれない」

「お任せください。私が責任をもって監督いたします」

「じゃ、行動開始」

 

 変身した昆虫の全身鎧(フルアーマー)は、青空へ飛び立っていった。

 

「神官長様、護衛を務めさせていただくセバス・チャンと申します。こちらの二人は戦闘メイドのナーベラル・ガンマとソリュシャン・イプシロンです」

「英雄の執事殿ですな。お噂はかねがね」

「いえ、私などまだまだです。では参りましょう」

 

 神官長は、美女二名と穏やかで美形の執事に緊張を覚え、長い一日になりそうだと悟られないように気を引き締めた。

 

 

 

 

 飛び去ったヤトは真っ先に王都の北、つまり王宮を含める居住区がある方向へ飛んでいく。

 何よりも危険なのは、ナザリックの守護者も出入りする王宮付近で洗脳アイテムと戦闘になることであり、アインズやラキュースとレイナースに危険が及ぶ可能性も高い。

 ブレインの新居もこのあたりなのだが、彼らはまだ引っ越していなかった。

 

「勢いに任せて飛び出したけど、怪しい奴ってのは怪しい格好してんのかねぇ」

 

 中空で呟いた彼が、誰よりも怪しかった。

 

 探知スキルを併用して、街並みを細かく眺めながら天空であぐらをかき、風に流されるままに東方向へ移動していく。

 

 西に見える水平線から吹く風に、微かな潮の香りが混じっていた。

 

 マジックアイテムの鎧は錆びるのか心配していると、怪しさに該当する人物を発見する。

 

「……これであいつがスパイだったら、法国は馬鹿ばっかりだろーな」

 

 頭から勢いよく下界へ落ちていった。

 

 

 

 

 カジットは人目が多い昼間を避け、夜が明けきる前から活動を開始していた。

 非常に効率の悪い活動だったが、辛うじてブレイン・アングラウスが王都北方向の邸宅へ引っ越す情報を掴む。

 現在の邸宅が不明な現状では、引っ越し先の北方面で待てば、効率が良いだろう。

 それが最短で選択する失敗だったと、太陽の日差しに照らされてから、そう時間が経たずに知った。

 

 

 路地裏に潜伏して往来の様子を窺うカジットの目前に、大きな音を立てて何かが舞い降りた。

 赤い目を光らせる昆虫らしきものは、視野にカジットを捉えている。

 

 舞い上げられた砂埃は風に流され、付近を走り回っていた子供たちを苦しめた。

 

「スレイン法国のスパイは、あんたか?」

 

 見た目に反して緩そうな声が聞こえたが、投げかけられた言葉は穏やかではなかった。

 腰に携えた南方の剣に手を掛け、赤い瞳を光らせる彼に、どう答えたものかと迷う。

 

「やはりお前だな。持っているアイテムを寄越せ。ここで死にたくなければな」

 

 反応と間の悪い彼は意図せずに肯定してしまい、気が付けば首に刀を突きつけられていた。

 迫る切っ先は、あと数ミリで喉仏を切り裂くだろう。

 

「あ、ま、待て……儂は違う」

「違うなら隠すことなく話せ。嘘をつけば躊躇わない」

「わかった。話すから武器を下げるのだ」

 

 漆黒聖典の二人は、カジットに対する嫌悪こそあれど、協力すれば殺される心配はなかった。

 だが、目の前にいる昆虫の鎧は、赤く光る眼から一切の感情を感じず、殺される心配しかない。

 

 前日に引き続き、穏健な尋問に協力的な姿勢をとった。

 

 

 

 カジットは前日の宿屋と同様に、腕を組むヤトの目の前に正座していた。

 知っている情報は全て話し、彼にできるのは祈るくらいだった。

 

「そのズーラーノーンってのに興味はないが、クレマンティーヌは諦めろ」

「……しかし、母の蘇生を――」

「わかったわかった。蘇生なら付き合ってやるから、漆黒聖典を探す手伝いをしろ」

「い、いや。母は蘇生魔法に耐え切れずに――」

「うるせえなぁ!」

 

 苛立ちと共に吐き出された声に、カジットは体が跳ねあがる。

 

「ったく、いいからいう事聞けよ、ハゲ。レベルダウンで蘇生できないってんだろ? レベルダウンしない蘇生魔法だってあんだよ」

「なんだと!? そんな蘇生魔法を、既に使用が可能だというのか!?」

「あー……鬱陶しい。時間を取るならここで殺す……今、死ぬか?」

 

 この時、ヤトは焦っていた。

 ここで逃がしてしまえば、危険になるのはナザリックの仲間、自分の妻かもしれないのだ。

 

「協力する! 何でもさせて頂く! 彼らは黒いローブの若者が漆黒聖典の隊長だ。年配の女性は白いローブを着て、カイレと呼ばれていた!」

「あ、そ。じゃあ、空から探そう」

 

 カジットの返事を待たずに、落ちぶれた僧侶の首根っこを掴み、空へ舞い上がった。

 

 何か叫んでいたが、知った事ではなかった。

 

 

 

 

 王宮付近で鎧を装着したヤトが空の旅に出た頃合い、王宮内にあるアインズの自室では、外とは違う緩やかな時間が流れていた。

 

「サトル、記憶操作の魔法研究を」

「キーノ、もう少しのんびりしても罰は当たらんよ」

「その、毎晩相手をしてくれるのはとても嬉しい。けど、もう止めたい」

「…………え?」

 

 肌触りのいいシーツを鼻まで被り、両手の指で押さえる彼女は、瞳を潤ませていた。

 下手だったのかと瞬時に冷や汗をかき、魔導王が三行半を突きつけられる悪評の効果に青ざめる。

 何よりも、砂漠に咲いた一輪の花を失いたくなかった。

 

 男として築き上げた自負は、地盤が砂漠に変わり、砂上の楼閣は崩れる寸前だった。

 

「これ以上は、アルベドさんに申し訳が立たない」

 

 予想の斜め上を行くイビルアイの返答に、アインズの冷や汗は引き、砂上の楼閣は持ちこたえた。

 代わりに額へ脂汗を生む。

 ヤトから散々に言われた件をイビルアイからも、それも事後のベッド上で言われるとは予想していなかった。

 

「キーノ、お前までヤトみたいなことを言うな。心配せずとも、アルベドには早々に応える」

「本当?」

「本当だ。キーノを相手にして、多少は自信が付いたからな」

「女は、好きな人の格好いいところだけ、見たいわけじゃないのだが……」

「だが、リードされるに越したことはないだろう?」

「一緒に歩くのも大切なことだ。どんなに情けなくても、それが愛した男なら喜んで受け入れられる……私は嬉しかった」

「……そうだろうか」

 

 人間であると告白した日、アルベドの反応の鈍さが思い出された。

 すぐにタコのような唇をして、今の自分を押し倒した彼女に塗り替えられ、自分で思っているよりも容易いのではとの結論に至る。

 

 実際、その通りなのだが。

 

「約束してほしい。アルベドさんにも応えるって」

「そうか……わかった。今夜にでも呼び出そう」

「……ありがとう、サトル」

 

 寝室にて噂の彼女は、ナザリックの長い廊下を姉の部屋に向かっていた。

 漆黒聖典の情報に進展があり、アインズの足元にカイレがいると知った彼女がパニックに陥るには、まだ時間があった。

 

 アインズは服を着替え、地下牢に降りる準備を始める。

 

 同時刻、王宮の隣区画では、ヤトがカイレを発見していた。

 

 

 

 

 子猫のように首根っこを掴まれて宙ぶらりんとなったカジットは、造作もなくカイレを発見する。

 

「おったぞ。あそこの白い奴だ」

 

 不細工な子猫が指さした階下では、白い修道女が住民に挨拶をしている風を装い、情報収集を行っていた。

 

 カイレの視界に入らないように注意深く降りていく。

 

「あのクソババア、俺の家を覗いた奴じゃねえかよ……チッ、あの時、殺しておけばよかった」

「……どうするのだ」

「俺はあの婆を殺す。お前は路地に誘い込んで気を引け。五秒程度でいい」

 

 人化を解除して蛇神の姿へと戻る。

 

「あ……っ……」

 

 初めてみる異形の大蛇に、カジットは浅い息を数回吐き出した。

 

「いちいち怯えんな。このやり取りにはうんざりしてんだよ」

「す、すまぬ」

「早く行け。奴の視線を逸らせ」

「わ、わかった」

「失敗したら、お前も殺すからな」

 

 片手で追いやられて路地を飛び出るカジットは、上官の命令遂行に走った。

 

 大蛇は襲撃の準備を始める。

 セバスに頼んだ酒を飲み干して女性に対するペナルティを解除、スキルで素早さを向上させ、大鎌を両手に持ち、念のために毒を付与した。

 

 今の彼には一切の油断が無かった。

 

 世界級(ワールド)アイテム未所持の自分は抱えるリスクが重く、洗脳アイテムの脅威によって危険に晒されるのはこの国の人間であり、その中には家族も含まれている。

 王都の惨劇の首謀者でへこんで引き籠る、アルベドとの死合と謹慎処分など、余計な遠回りの苦労を味わった彼は、確かに成長していた。

 予断を許さない状況と苦労の経験によって、気さくな蛇は情の欠片もない暗殺者へ変わる。

 

 離れた場所でカジットを見つけたカイレは、不愉快とばかりに眉間に皺を寄せる。

 

「何じゃ、貴様か。こんなところで何をしておる。さっさとブレインの邸宅を探らんか」

「新たな情報を手に入れた。ここでは人目がある、路地裏に」

「本当じゃろうな? 嘘だったら承知せんぞ。だいたい、わしは貴様が嫌いなんじゃ」

「いいから早く来るのだ」

 

 カジットは強引に老婆の腕を引いて路地へと入っていった。

 

 そして蛇は走り出す。

 

 誘い込んでから一秒と経たずに、カイレの細い背中には大鎌の刃が突き立てられ、体を貫通した刃は心臓の肉片と共に胸から顔を出した。

 路地へ流れ込む子供たちの笑い声に、誰にも気づかれず暗殺したとわかる。

 まだ息のあるカイレは、最後の抵抗にカジットの腕を掴んだ。

 

「こ……れ、は? き……貴様ぁ……裏切った…な…」

「……すまぬ」

 

 大鎌に力を込めると、大量の吐血がカジットのローブへかかった。

 カイレの魂はどこかに去り、カジットのローブには老婆の手形が残された。

 

 当の大蛇は、蝋人形のように冷たくなりつつある老婆の衣服をまさぐり、目的のチャイナドレスを探している。

 カジットの目には死体愛好家(ネクロフィリア)で老婆愛好者に見えたが、それを指摘するほど愚劣でもなく、何より命を大事にしていた。

 

「おぉ……あったあった。随分とまぁ、簡単に手に入ったな」

 

 表情こそ変わらないが、声は嬉しそうだった。

 大蛇はアイテムボックスにチャイナドレスを放り込み、カジットを赤い瞳に映す。

 

「おい、この死体を運べ」

「は、はい!」

「王都中央広場に行く。部下に連絡をするから、そいつを背負って付いてこい」

「……」

「早くしろ!」

 

 アンデッド作成にて死体は見慣れている彼も、出来立てほやほやの老婆の死体には触りたくなかった。

 彼の私情に構わず、ヤトは部下に連絡を飛ばしていた。

 

 

 

 

 連絡を終えたセバスは、神官長に顔を向ける。

 

「セバス殿、ヤトノカミ様は何と?」

「標的の片方は仕留め、目的のアイテムは手に入れた、と」

「おぉ、さすがはヤトノカミ様です。仕事が早いですな」

「一旦、中央広場に集合だそうです。神官長様、参りましょう」

 

 数歩後ろでは、ソリュシャンとナーベラルが楽しそうに絡んでいる。

 

「ソリュシャン、どうして機嫌が悪いの?」

「聞いてよ。わたしが作成していたスライム養殖の水槽が、一晩明けたら消えていたの」

「?」

 

 首を傾げるナーベラルに構わず、ソリュシャンは言葉を続ける。

 

「アインズ様の勅命を邪魔するなんて、どこの誰なのかしら。ヤトノカミ様はなぜか数日間は自室に籠って、お妃様と過ごして出てこられなかったし、他に持ち去れるような力量を持つ方といえば守護者の方々だけど、そもそも何のために持ち去ったかわからないでしょう? 心がもやもやして仕方ないのよ」

「もやもや……」

「そう、もやもや」

「……恋?」

「何を言ってるの? 待ち惚けが長すぎて、いよいよポンコツになったのかしら?」

「ポンコツ……」

「……駄目ね、これは」

 

 ナーベラルのやる気は長続きせず、いつ彼女の顔がドッペルゲンガーに戻るかわからなかった。

 そんな美女二人は大衆の目を引き、付近で情報収集をしていた隊長の耳にも届く。

 

 黒髪のポニーテールには見覚えがあった。

 部下のクインティアが使役する魔獣を、事も無げに屠った冒険者、救国の英雄モモンの相棒、美姫ナーベだった。

 なぜメイド服を着ているのか不明だが、何らかの情報に繋がるかと期待し、幼い僧侶は自然に後を追う。

 

 そして自然にソリュシャンに気付かれる。

 

「美姫ナーベちゃん……誰か後をつけているわよ」

「ふーん……」

「あん、もう。仕方ないわね、このポンコツちゃんは。セバス様――」

 

 ヤトと合流するために噴水広場に向かう以外を考えていないナーベラルは、欠片ほども興味を示さなかった。

 諦めてセバスに伝えると、彼の表情に緊張が走り、ソリュシャンも事態の深刻さを察する。

 

「どうなさいますか?」

「……気付かないふりを続け、広場まで行きましょう。ヤトノカミ様が何とかして下さいます」

「畏まりました」

「……デミウルゴスが羨ましいですね」

 

 彼を襲うか迷うセバスは葛藤を胸に抱え、聡明な策士のデミウルゴスを羨み、待ち合わせ場所へ向かった。

 

 

 

 

 憐れな生贄のカジットは、死体を背負って噴水広場で立っていた。

 体に次々と突き刺さる通行人の不審な視線より、背中に背負った荷物が気味悪かった。

 止血の処置もしていないので、赤いローブが徐々に濡れていくのを背中に感じる。

 

 それを彼に命じた大蛇は、付近の建造物の屋根で張り込みをしていた。

 カジットの背負った荷物を見て、全力で走り去るものを窺っている。

 

 状態異常に間の悪さを持つカジットは、ヤトにも多大な影響を及ぼしていた。

 

 セバスたちが広場にてヤトを探している最中、蛇が監視する広場にブレインたちが差し掛かる。

 荷車に引越しの荷物、メイドと廃人を乗せ、ゼンベルとザリュースが必死に引いていた。

 

 一部の者には不運としか言いようがない。

 

 

 ガゼフとブレインは、人目を集めるセバス一行に気が付く。

 

「おお! 久しいな、セバス殿!」

「これは、ガゼフ様とブレイン様。どちらにいかれるのですか?」

「ブレインが引越しをするのでな、その手伝いだ」

「久しぶりだな、執事さん」

「はい、ご無沙汰しております。お元気そうで何よりです」

 

 怪訝な顔のナーベラルがソリュシャンに尋ねた。

 

「だれ?」

「覚えていないの?」

「人間の名前、覚えられる?」

「当たり前でしょう。青髪がブレイン、隣が戦士長ガゼフ・ストロノーフよ。リザードマンは覚えていないけど」

「みんなも覚えてるの?」

「最低限ね。でも、あなたくらいよ。わざとやっているんじゃないかと思うほど、まったく覚えていないのは、ね」

「……」

 

 ポニーテールの女性は、口を開けて強い衝撃を受けていた。

 それ以上に強い衝撃を受けているのが、彼らを尾行してきた者である。

 

「クレマンティーヌ……では、あちらの男性、どちらかがブレイン・アングラウスか。情報収集は終わっていないが、ここで仕掛けるのが絶好のきか――」

 

 前に進む彼の思考は、カジットが背負った老婆の死体で止まる。

 

「カイレ……様……?」

 

 頭髪の無い僧侶に背負われた彼女のローブは赤く染まっており、動かぬ様子で死んでいると想像できた。

 そのままゆっくりと広場を去れば、五体満足で無事にスレイン法国の土を踏めたのだが、彼は誰かに見つかるまいと全力で駆け出した。

 走り出した彼の生体反応は蛇の赤い瞳に捕捉され、大蛇は屋根の上から飛び降りる。

 

 広場まで届く轟音を響かせ、蛇が石畳の道路へ穴を開けたのは隊長が走り出してから数秒後だった。

 

「動くな、動いたら殺す」

 

 落下の衝撃を気にした様子もなく、大蛇は前かがみで大鎌を構える。

 

「そこの路地裏に入れ」

 

 顎で指示されるままに、隊長は薄暗い路地へと入った。

 

「やっぱり俺の家を覗いたガキか……漆黒聖典の隊長だと分かってる。抵抗するな。子供を殺す気分じゃねえ」

「……何のことでしょうか」

「チッ、やはりここで殺しちまうか」

 

 届けられた轟音に気を回したセバスは、急いで路地の反対側から回り込んだ。

 彼の功績によって、隊長は狭い路地で挟み撃ちにされる。

 

 前も後ろも、逃げ出す隙はなかった。

 

「ヤトノカミ様、彼が標的でございますか?」

「このガキのレベルを調べろ」

「レベルは100のようです」

「こいつを王宮まで連れていく。抵抗するなら殺してしまえ。逃がしたらアインズさんに必ず害を成す」

「お任せください」

 

 セバスとヤトは黒い殺気を放つ。

 自分と同等、あるいはそれ以上の二名に、隊長は両手を挙げて無抵抗の意志を示した。

 

「一つ、教えてください。カイレ様をなぜ殺したのですか?」

「アイテムを奪うのが何よりも最優先だったからな。お前はどうする?」

「……今は従いましょう」

「次があればいいな」

 

 口元を歪める異形の視線に、隊長は口の中で歯ぎしりの音を鳴らした。

 

「セバス、お前でもこいつには勝てるだろ。逃げようとしたら躊躇うな。失敗したらツアレが死ぬ可能性もある」

「ご安心ください。我らに敵対する者に情けを掛けるほど、優しくはありません」

「頼んだよ」

 

 両腕をセバスに拘束され、蛇を先頭にした三名は噴水の広場へ向かって歩き出した。

 

 隊長は仮に自分が殺されるとしても、人類の守り手として命じられた教義に基づき、一矢報いる相手を魔導王か蛇のどちらにするか迷っていた。

 

 巨大な鎌を片手に持ち、警戒を緩ませず、隙も見当たらない蛇に報いるのは困難とわかっていたが、本国の神官や同胞に顔向けできない行動だけは避けたかった。

 

 

 

 

 

 水の流れを背景音楽に、緩やかな平和が流れる広場では、荷車を引くゼンベルが不満を垂れ流す。

 

「ブレインよぅ、早く行こうぜ。重たくて仕方ねえよ」

「失礼です!」

「クリ、何怒ってんだよ。発情期か?」

「むっかつく……この腐れワニが」

「なんか言ったか?」

「何も言ってません!」

「なんで怒ってんだよ」

「フンッ!」

 

 鼻息荒いメイドの怒りは、蜥蜴人に今一つ伝わらない。

 無自覚のままに際限なくメイドを怒らせる友人をみて、深いため息を吐いたザリュースの視界には、ヤトとセバスが入ってくる。

 

「ガゼフ様、ブレイン様。ヤトノカミ様と執事の方がこちらへ」

「ん……子供を連れているな。孤児でも拾ったか?」

「女子供には優しいからな」

 

 自然に周囲と溶け込む蛇神に、最も礼儀正しいザリュースは頭を下げた。

 武器を背負った異形種に、周囲の通行人は軽く頭を下げ、隊長の顔には困惑が張り付く。

 

「なんだ、珍しいとこで会うな。引越しか?」

「今日は手伝いだ。彼女の顔も見たかったのでな」

「そっちのが目的じゃねえのかよ」

「そんなことはないが、想像より美人で驚いたぞ」

「別に嫁にする訳じゃねえからな。訳あって匿ってるだけだ」

「しかし、メイド殿の話だと献身的に世話をしていると聞いたが?」

「……否定はしないが、可哀想だろ。これでも強い戦士だったんだよ」

「それよりヤト、その子は?」

 

 セバスに拘束される少年は、クレマンティーヌを見つけて目を開いていた。

 

「法国のスパイだ」

「なっ……ほ、法国のスパイだと!?」

「こうみえてもレベルは100だぞ。油断したら俺でも殺される」

「こんな年端もいかぬ少年がか……」

 

レベルを上限に上げただけの無課金プレイヤーに負ける気はせず、真っ赤な嘘だとわかっていた。

 

 更に誤情報を与えてやろうと思ったが、間の悪いお邪魔虫が介入してくる。

 

 隊長の眉間には深い皺が寄せられ、蛇の歪んでいた口は口角を下げた。

 

「話の途中で済まないが、それはクレマンティーヌか?」

「だれだい、このおっさん」

「ブレイン、失礼だぞ。年配の僧侶殿だ」

「お、おっさんではない! 儂はまだ35歳だ!」

「……いや、おっさんだろ」

「……私とそう変わらないのか」

「クレマンティーヌ! 儂を覚えとらんのか!?」

 

 黒い外套を着せられた彼女の瞳からは、何の光も無かった。

 目の前に駆け寄ったカジットの顔も、彼女は映していなかった。

 

「知り合いか?」

「おぬしら、こやつが何者かわかっておるのか?」

「知らん。可哀想だから帝国から連れ帰った」

「こやつは漆黒聖典の裏切り者だ! 秘密結社ズーラーノーンの幹部で、儂と共にアンデッドをばら撒く死の螺旋を――」

 

「おい……今、なんて言った」

 

 会話の途中で割り込んだ大蛇の瞳は、より一層赤みを増す。

 殺意を感じるヤトの赤目に、カジットは命を惜しんで沈静化された。

 

「こいつも漆黒聖典か?」

「元は漆黒聖典の第九席次に籍を置いていた。英雄級の実力がありながら、人格破綻者」

「ブレイン、やはりそいつは殺してもいいか?」

 

 いつもの気さくな蛇だと思っていたブレインとガゼフは、抜き差しならない状況だったのだと悟る。

 彼が垂れ流す殺意は、かつて王宮で起きた殺戮時に感じたものと同一だった。

 

「ヤト、どうしたのだ! 落ち着いてくれ!」

「その女はツアレの妹を殺した漆黒聖典。俺たちに生かしておく理由がない」

「なっ、ヤ、ヤトノカミ様?」

 

 殺意を溢れさせる君主の発言に、セバスは激しく動揺し、隊長の拘束を緩めてしまった。

 この機を逃さすまいと、拘束を抜け出した隊長は武器を取り出し、蛇に一矢報いようと槍を向けた。

 

「……おい、ガキ。ぶち殺されてえか」

「私は漆黒聖典です、異形種に屈するわけにはいきません」

「頭の悪い宗教家には虫唾が走る。法国のクソガキが」

 

 異形種のスルシャーナを崇拝していながら、法国の教義に殉じようとする隊長と、自分の家族や友人を守りたいヤトは、今さら剣を納められない。

 

 惨劇の記憶を持つブレインとガゼフは、事態を打破しようと考えを巡らせた。

 ブレインにだけ、命を賭した名案が施される。

 

 大蛇と少年はその場で激突した。

 初めから力に大きな差が出ており、装備が本来のものでない少年は、大鎌によって噴水中央の銅像まで弾き飛ばされ、殺しきれない勢いは水瓶を持ち上げた銅像を粉砕する。

 

 水の女神は下半身だけが残された。

 

「やめろっ! こんな街中で血を流すな!」

 

 ガゼフの怒号に反して、異形種に慣れつつある国民は、珍しい出し物をみている顔で、遠巻きに観戦していた。

 法国のスパイと魔導国の蛇の死合(カード)など、金貨を払ってでも見たい者が多かった。

 

「法国に、俺たちの邪魔をさせてたまるか!」

「偽りの平和など、必要ない!」

 

 はじまる前から単身の隊長には、一縷の望みもない。

 飛びかかる隊長の槍は、セバスの足蹴りで上空へ飛ばされ、壊れた女神像に突き立った。

 

「セバス、拘束しろ」

 

 主の命令通り、セバスは躊躇なく両腕を拘束する。

 背後ではナーベラルが攻撃魔法の準備をしており、ソリュシャンはいつ仕掛けてもいいようにナイフを両手持ちしていた。

 

 無言の殺意が命ずるままに大鎌が振り下ろされたが、蛇の眼前へ誰かが飛び出す。

 

「なぁ、ヤト。家族を守ろうとしたんだろ?」

 

 命を落とす寸前だったが、彼の声は静かだった。

 ブレインの脳天を貫こうとした大鎌は、間一髪で動きを止める。

 

「俺も同居人が増えたから、少しはお前の気持ちがわかるぞ」

「……」

「殺すなとは言わないが、もう少し待ってくれないか?」

「なぜそのガキを庇う」

「こいつを庇ったわけじゃないさ」

 

 怒り狂う前にお前を庇ったんだよとは敢えて言わず、ブレインは人差し指で頬を掻く。

 

「なぁ、嫁さんがそんな姿をみたら悲しむぜ」

「だがこいつは――」

「スパイなら堂々と案内してやればいいだろ。平和で気楽な魔導国を。クレマンティーヌのことも聞きたいから、今は剣を引いてくれよ」

「ブレイン……」

「頼む、この通りだ」

 

 両手を合わせて頼む彼に、苦笑いのように口を歪めた蛇は、緊張の糸を切った。

 

「……やれやれ、ブレインの嫁のために仕方がないな。セバス、放してやれ」

 

 セバスの強烈な拘束から解放され、隊長は呼吸も荒く石畳に四つん這いとなる。

 

 戦いが終わったのを確認した野次馬たちは、ヤトへの称賛と共に日常生活へ帰っていった。

 

 ガゼフは思い切った行動に出て、冷や汗を拭っている友人に駆け寄る。

 

「変わったな、ブレイン」

「そうか? 結構、危なかったけどな」

「以前のお前なら……いや、彼女を匿った時点で、変わっていたのだな」

「褒めるなよ、照れるだろ」

「褒めてないが……」

 

 今のお前と戦えば負けるかもしれないと、口の中でだけ称賛を送った。

 雰囲気が緩んだ彼らの傍らで、国民の称賛に応え終えた気さくな蛇は、再び情け容赦ない声で隊長に問う。

 

「おい、クソガキ。一つ教えてやる。てめえら法国が領内の村を滅ぼしたから、俺たちは村の復興のためにアンデッドを手配した。お前らに滅ぼされた村の復興に、どれほどのアンデッドが従事してると思う。お前らが魔導王や俺、あるいはその家族に何かしてみろ。滅びるのは法国だけじゃねえ。魔導国で働いている人間が大量に餓死し、暴走したアンデッドで数百倍の死者が出る」

 

 半分近くが適当な脅し文句だったが、少年は蒼白となり、効果は抜群だった。

 

「人類の守護者ってのは、大量殺戮するのが目的なのか?」

「違う……違う。違います! 我々は人類の――」

「笑えるよな、人類最強の守り手が、こんな何にも知らない馬鹿で。お前らが信じる六大神がただの人間だと知ったら、どんな顔すんのか見ものだ」

「な、なに?」

「これ以上は何も言わん。王宮に来るならアインズさんが教えるだろうが、ここで逃げ帰るなら追わないぞ?」

「……魔導王に会えるのですか?」

「王宮に来れば会わせてやるよ。スパイのエロガキ」

「また斬りかかるかもしれませんよ」

 

 二人の視線は派手にぶつかり、石畳に火花を落とした。

 意外にも緊迫した空気を解いたのは、魔導国の神官長だった。

 

「初めまして、漆黒聖典の隊長殿。私は魔導国の神官を束ねている者です」

 

「お初にお目にかかります、神官長殿」

 

「本日はスレイン法国が誇る最強の特殊部隊、その隊長様にお会いできて光栄です。分を弁えない発言かと思われますが、ここは王宮にお越し頂きたく進言致します」

 

「やはり、魔導国の神殿は支配下に……」

 

「私はアインズ・ウール・ゴウン魔導王を、自らの意志で崇拝しております。彼の魔導王様は、ご想像している悍ましいアンデッドなどではありません。慈悲深く、全ての国民に分け隔てなく対応して下さいます。魔導王陛下になってからこの国は治安が良くなりました。犯罪組織が消え去り、スラム街が掃除され、路地裏の孤児は神殿で楽しく過ごしています」

 

「……しかし、カイレ様はアイテム奪取のために殺されています。その程度で人を殺す異形種を、人類の守護者である我らが信用するわけには――」

 

「あなたも血の滲む成果として、最強の部隊長を得たのでしょう。それに関しては多大なる尊敬の念を禁じえません。しかし、神に相応しき力を持ちながら、自国民の食糧難を解決なさるアインズ様を、思い込みで貶める発言は慎んで頂きたい!」

 

 神官長の異様に大きい叫びに、皆が押し黙った。

 ブレイン、神官長、そして暴れる蛇に悲鳴すら上げない国民など、人間が彼らを喜んで許容している事実は、隊長の警戒を少しだけ薄れさせた。

 

「……わかりました。蛇殿、王宮までご案内をお願いしたいのですが」

「セバス、彼の子守は任せる。俺も王宮に行くから」

「畏まりました……ヤトノカミ様、先ほどツアレの妹を殺したと」

 

 セバスは隊長の肩を持って優しく起こし、別の話をヤトへ振った。

 

「ああ、ツアレには妹がいたらしいんだけど、ブレインが拾ったあの女が殺したんだと。アインズさんが言ってた」

「……」

 

 ツアレはナザリックのメイドに恥じぬよう、ユリとペスに強火でじっくりと(しご)かれており、へとへとになって帰宅する彼女と話す時間は限られていた。

 短い時間で彼女が語った話は、過去は思い出したくないので捨てた、だった。

 それ以降、昔の話はしなかったが、新たに舞い込んだ妹の情報に、セバスは何が最善なのかと思い悩む。

 怒っていいのか悲しんでいいのかわからず、セバスは口元をひん曲げ、拳を握って冷や汗をかきながら苦悩していた。

 

「セ、セバス?」

「……私は、ツアレが、ツアレを」

「落ち着け」

「……お願いします」

 

 何をお願いされたのか考えていると、ソリュシャンとナーベラルが挨拶に歩いてくる。

 

「ヤトノカミ様、改めて御挨拶をさせて頂きます。お久しぶりです、ご機嫌麗しゅう存じます」

「お久しぶりです」

「ああ、別に気にしなくていいのに。ナーベラルは待機から復帰できてよかったな」

「はい、ありがとうございます」

「ヤトノカミ様、この娘ったら待機が長すぎて呆けてしまったようなのです」

 

 元から怪しい所があったろと、反射的に口にするのを踏み止まる。

 

「じゃ、リハビリが必要だな。ナーベラルはエ・ランテルに出張の可能性も………あ、忘れてた。あそこのハゲを王宮に連行してくれ。背負ってる婆さんと一緒にな」

 

 急に美女の視線を集めたカジットは、殺伐とした戦闘の空気の影響にて体が動けずにいた。

 黒髪ポニーテールの美女に何か感じるところがあったが、記憶の欠損は回復しなかった。

 髄液が沸騰するまで雷撃に焼き切られた彼の損傷は、クレマンティーヌよりも重かった。

 

「わしをどうするつもりだ」

「牢屋行き」

「母上を蘇生させてはくれんのか!?」

「俺は魔法使えないからアインズさんに言え。二人とも、逃げようとしたら殺していいからな」

 

 濁ったソリュシャンの瞳が一瞬だけ輝いた。

 ヤトがいなければ舌なめずりをしていただろう。

 

「ガゼフ、ブレイン。俺たちは王宮に行く」

「そうか、俺も後で顔を出すかな」

「荷物が少ないとはいえ引越しなのだ、今日は難しいだろう。ブレインには彼女の世話もある」

「はん、誰が」

 

 鼻で笑って済ます予定は、蛇の介入により上手くいかなかった。

 

「どうせ嫁にするんじゃないのか?」

「それは私も聞きたい」

「勘弁してくれよ。若くて美人ならいいわけじゃない」

「若くて美人だとは思ってるんだな?」

「ならば、彼女次第という事になる。ヤト、彼女は生かしてくれないか?」

「考えておく。俺も殺人狂じゃないからな」

 

「お前ら息ぴったりだな……」

 

 ブレイン一行とはそこで別れ、彼らは王宮へと足を向けた。

 道中、クリアーナは不安な顔でブレインに聞く。

 先ほど見た蛇の殺気は、魔導国に不慣れな一般市民の彼女を震え上がらせていた。

 

「ブレイン様、あの、蛇様は……」

「気にするな。あいつはあれでもいい奴なんだよ」

「メイド殿、見た目が蛇だからといって怯える必要はない。困っていたら、助けてくれるぞ」

「……人を食べたりとかしないんですか?」

「魔獣じゃあるまいし。あいつは俺たちと同じものを食ってるよ」

「魔導国で最高位の冒険者と結婚したのだ。帝国の女性騎士も妻に迎えたのだが、どちらも中々の美人でな。まったく羨ましい限りだ」

「嘘つけ。お前は女に興味ないだろ。まさか、男か!?」

「ブレイン、それ以上は許さん」

 

「ふぅん……強くて優しくてモテるんだ」

 

 彼女の不安や妄想は、毎度のことながらゼンベルに邪魔をされる。

 

「クリも嫁になるのか?」

「ゼンベル、いい加減にその呼び名を変えろ。クリアーナ殿が怒っているだろう」

「ザリュース、クリはいつもこんな顔なんだよ」

「……いつも怒っているのではないのか?」

「シネ……」

「あんだって?」

 

 同居人の爬虫類にも見習ってほしかった。

 

 同時刻に王宮では予想しない事態が起きていると知らず、ヤト一行はアインズのもとへと向かった。

 

 

 

 

◆《ここから残酷描写小―中》

 

 

 

 

 イビルアイと共に、アインズは地下牢へ続く階段を降りる。

 夜にアルベドと契りを交わす約束をしてしまった件への緊張はあったが、新たな魔法の実験は彼の心を駆り立てた。

 

 つまり、浮かれていた。

 

 薄暗い灯りに照らされて、監視の衛兵が最敬礼をしている。

 彼を下がらせ、アインズは左右に分かれた牢屋の右へ入り、囚人の一人を選んで頭に手をかざす。

 

 他の囚人はこれ幸いとばかりに逃げ出そうとしていたが、牢屋の前に立ち、胸を張って腕を組む小生意気なイビルアイを見て、断念せざるを得なかった。

 

 清潔感のない囚人の記憶に潜ったアインズは、弄る記憶を選ぼうと適当な記憶を覗く。

 選定した記憶に不首尾があったと知るのは、大分経ってからだった。

 

 

 覗き込んだ記憶内では、肌着一枚を身に纏った女性が、大勢の盗賊に囲まれている。

 周囲を囲んでいる盗賊は、大多数がかつてアインズに切り捨てられた者だ。

 森の中で馬車を襲撃された貴族の娘は、血を吐いて転がる従者の死体の横で、跪いて許しを乞う。

 

 据え膳という言葉がアインズの脳裏に浮かんだ。

 盗賊も同じことを考えたらしい。

 

「さあて、ここで一通り楽しむとするか」

「お願いします! 私はどうなっても構いません。帰らないと病の父と幼い弟が」

 

 家族のためなら自らの犠牲を厭わないと告げる彼女の瞳からは、大粒の涙が流れていた。

 

「こいつは上玉だぜ。あたりだな、今日の襲撃はよ」

「ああ、まったくだ。しばらく楽しめるな」

 

 色に染まった瞳で体を見られているにもかかわらず、家族を思う彼女の懇願は止まらない。

 

「どうか、お願いします。皆さまのお相手をしろというのなら、わたしがお相手します。ですから、終わったら家に帰し――」

「うるせえ!」

「きゃあ!」

 

 若い女性は頬を張られ、赤みを増す部位に手を当てて死体へ倒れ込む。

 生命活動を停止した死体の口から、ごぼっと音を立てて血が吐き出された。

 

「いつまで騒いでやがる! さっさと股開け!」

「これが終わったらねぐらの奴らに渡すんだ。あんま時間はねえんだからよ」

「ひひ、悪いなぁ。今まで誰一人として、家に帰したことはねえ。お前も穴倉の中で一生過ごせ」

「そんな……」

「嫌なら今ここで死ぬか? 構わねえよ、温かいんなら死体でも楽しめるからよ」

 

 口元を吊り上げる盗賊は、剣に手をかけた。

 

「ひゃはは! そいつあいい! 反応がねえからヤり甲斐もねえけどな!」

「いやぁ……いやああ……誰か助けてええ!」

 

 這って逃げようとした彼女は髪を掴んで引き倒され、盗賊の間を順々に回されはじめた辺りで、気分が悪くなったアインズは魔法を中断する。

 

 剥き出しになった人間の欲望と悪意に触れ、怒りを上限まで高めた。

 記憶の海原より復帰したアインズの息遣いは荒く、瞳を怒りで燃え上がらせ、心配する妻の視線では精神を沈静化するに至らなかった。

 

 モモンとして活動している最中、監禁されている女性たちは、忌まわしい記憶を植え付けられながらも全員が五体満足で助け出されていた。

 アインズが偶然に覗いた哀れな子羊も、今ごろは家族と再会していると容易に想像できるが、怒りで頭が真っ白になった彼は想像力を含む冷静さを欠く。

 

 昂る一方の怒りは、数値化できれば過去最高値を叩きだした。

 

「糞! 糞! 糞がぁっ!」

 

 胸に残る悪い後味がもたらした怒りのままに、罪人の頭を蹴飛ばす。

 尋常ではない肉体能力で蹴られた頭部は、脊髄を引き抜いて体から飛ばされ、壁に数回バウンドして他の囚人の目前に落ちた。

 

 数度のまばたきをして止まり、目を見開いて静止する頭だけが残る。

 

 脳が詰まったサッカーボールも、アインズの足によって質の悪いトマトの如く踏み潰され、床一面に髄液と脳漿を広げた。

 胸が悪くなりそうなドグシャという音は、全員の耳に嫌な余韻を残した。

 

「ひっ……ひっぃぃぃい!」

 

 旅立った頭部と目を合わせ、破裂する頭部から脳髄を浴びた罪人は、恐怖のあまり失禁して床に染みを作る。

 

「貴様ら……反吐が出る。リサイクルしてやろうと思ったが、気が変わった」

 

 蹴飛ばしただけで頭部を引っこ抜き、躊躇いなく踏み潰して脳をばら撒いたアインズを、目を光らせる悍ましい化け物と見紛う。

 

「ひ、た助けてくれ!」

「襲撃され、助けてくれと懇願した女に、貴様らは何をした?」

 

 無慈悲な支配者の瞳は濁り、濁った声で問いを続けた。

 

「答えろ、何をした?」

 

 失禁した罪人の前に立ち、質問を繰り返したアインズの瞳には何も映っていなかった。

 底なしの穴が空いていると言われても信じるほどに。

 

「ま、回しました」

「許しを乞う女を助けない貴様らを、私が助けるお人好しの馬鹿に見えたか?」

「……」

「答えろ!」

 

 怒りに任せて目の前に座る彼の頭は、アインズの足の裏という筆で、脳漿を壁にぶちまけた。

 白子のような脳の欠片が、血の足跡をつけて蛞蝓の如く壁を這う。

 

 周囲の罪人たちは死を受け入れざるを得なかった。

 

 怒りという激流に身を委ねたアインズは、妻が呆然と見守る中、服が汚れるのも厭わず彼らを殺害する。

 殺害方法に一切の慈悲はなかった。

 

 確実な方法をとったアインズは、全員の頭部を潰すか引き抜くかで順調に殺害していく。

 

 殺戮の宴が催される最中にイビルアイが我に返ったが、彼は最後の囚人のこめかみを押さえて軽々と持ち上げ、潰した頭蓋から溢れ出る血と髄液と脳漿を頭から浴びていた。

 

 既に右側の牢屋に生者はおらず、生ごみが派手に散らかっていた。

 

 牢屋に飛び込んだイビルアイは、殺戮を止めようと全力でしがみつく。

 

「駄目だサトル! 落ち着いてくれ!」

「止めないでくれ、キーノ。こいつらは皆殺しにすべきだ」

「ヤト殿の繰り返しじゃないか! やめろ、やめてくれえ!」

「……どうか止めないでほしい。クズ共の性欲処理に使われた哀れな女に報いるため、こいつらは死ななければならない」

「やるなら私をやれ! そんなサトルなんか大嫌いだ!」

 

声が枯れそうな声量だった。

 

「キーノ……」

「殺して気が済むなら、全部殺してしまえばいい! 夫が殺人鬼になるくらいなら、死んだ方がマシだ!」

 

 コアラのように腕にしがみ付く彼女の顔を覗く。

 

 身体機能を超越した彼女は大粒の涙をこぼし、ついでに鼻水も流れていた。

 緊迫した空気にそぐわない酷い顔に、アインズの怒りは大きく逸れていく。

 

「ぷっ……あははは!」

「サトル……?」

「ははは、ゴホっ! ゴホッ! はぁ……キーノ、酷い顔だ。鼻水が垂れてるぞ」

 

 我に返ったイビルアイは、あまりの恥ずかしさに腕を飛び降りて乱暴に顔を拭った。

 

「悪かった。ヤトを全力で止めた私が、怒りに囚われるのも格好がつかないからな」

「私は真剣だったんだ!」

「わ、悪かった。済まない」

「うるさいっ! サトルのバカ!」

 

 穏やかになった彼の表情は、対面の牢屋にいる囚人たちに光をもたらした。

 どちらにしても、記憶魔法の実験生物(モルモット)である彼らに、明るい未来などは来ないのだが。

 

 アインズは白いタキシードを赤く染め、桃色のプリン体を衣服のあちこちに付着させながら、そっぽを向いて腕を組み、頬を膨らますイビルアイの機嫌を取っていた。

 

 この時、帝国の一行は王宮の門を叩こうとしていた。

 

 

 

 

◆《ここまで閲覧注意でした》

 

 

 

 

 

 アインズは機嫌を直してくれたイビルアイと地下から上がる。

 晴天の光が視野を一瞬だけ白一色(ホワイトアウト)にさせた。

 

 目をまばたきして復帰すると、庭の片隅に赤黒い転移ゲートが開いていた。

 間髪容れずに飛び出した黒い影は、一直線に闘牛よろしく突進する。

 

「アアアインズサマァァア!」

「ぐほっ」

 

 肺を満たしていた空気はアルベドの頭突きで全て排出され、喜劇的(コミカル)な声を上げて痛恨の一撃(クリティカルヒット)を受けた。

 一瞬だけだが、目の前が真っ白になる。

 

 早とちりして気を回したイビルアイは、物陰に引いていった。

 

「ゴホッゴホッ、アルベド……痛いだろう」

「あ、あああアインズさま! 大変です! 漆黒聖典が! 我らに害成す敵がぁ!」

「落ち着くのだ、アルベド。漆黒聖典がどうした」

 

 彼女の肩を持って落ち着かせようとしたが、シルクの手触りな美しい肌と、緩急のバランスよい体によって、自身の動揺が急発進する。

 

「魔導王……陛下? お客様がお越しでございます」

 

 アルベドの混乱はさておき、アインズの姿に自信のないメイドの声で視線を向けると、修学旅行の如く一列に並んだ一行が不思議そうな顔で見ていた。

 先頭のジルは、顔に手を当てて頭痛を堪える姿勢をとる。

 

「ジル? なぜここにいる」

「……す、すまない。少々混乱しているのだが、君は、その……誰だ?」

「あ」

 

 人間になっていることなどアルベドによる二重の不意打ちで忘却し、うっかり普通に対応してしまった。

 既に時遅く、ジルの隣にいる女性は、アインズが実は人間だったと仮定していた。

 

「初めまして、魔導王陛下。私は皇帝陛下の妾、ロクシーと申します。お会いできて光栄です。もしや、魔導王陛下は人間なのでは?」

「アインズ様! それどころではございません! 漆黒聖典がこの王都に潜伏しております! 私が情報確認を怠ったために、彼らはこの魔導国に侵入を! どのような罰でもお受けしますので、今はナザリックへ避難を!」

 

「え?」

 

 アルベドとロクシーの言葉は、アインズの理性に強烈な一撃を見舞った。

 事態を把握しようとしても、精神の沈静化もない彼は復帰する術を持たない。

 彼らの後ろで悲壮な顔をした大勢のエルフと、片隅で跪くレイ将軍も気になった。

 

 古くから、間の悪い人間とはしばしば周囲の者にも影響を及ぼす。

 カジットというどこまでも間の悪い男の影響を受け、ヤトは混迷を始めた中庭に到着する。

 

「なんだぁ? 騒がしいなぁ。あれ、ジルがいる」

 

 先頭を這う大蛇は、事態の混迷を知らずに緩くジルへ声を掛けた。

 久しぶりに見た大蛇の姿に、ジルと四騎士は隠し切れない冷や汗をかいた。

 

「や、やあ、ヤト。久しぶりだね」

「遊びに来たのか?」

「いや、今日は使者の方に招かれたのだ」

「ふぅん……ああ、いたいた。アインズさ……なんでそんなに汚れてるんですか?」

 

 アインズの服は赤く染まり、ところどころにピンク色の肉片がへばりついていた。

 清掃は手間がかかりそうだった。

 

「漆黒聖典の隊長とズーラーノーンのおっさんを連れてきましたよ。ワールドアイテムを使う婆さんは殺しちゃいました」

 

 アインズの足元に投げ出されたカジットと隊長は、所在なさげに顔を伏せた。

 カイレはソリュシャンの中に収納されている。

 

「………はぁ?」

 

 それがアインズに言える精一杯だった。

 

「ヤトノカミ様! それが漆黒聖典でございますね! お見事な手際でございます。ここで命運を断ち切ってくれましょう!」

「お、おい、アルベド。ちょっと待てって」

 

「……なぜこうも、訪問は重なるのだろうか」

 

 自分で言った言葉にデジャヴを感じた。

 

「アルベド様、御止め下さい。アインズ様にご意見を伺いましょう。それより、アインズ様、そのお姿はどうなされたのですか?」

 

「ねぇ、ナーベラル、どういうこと?」

「……」

「口、半分開いているわよ」

 

「魔導王陛下! 私の母を蘇らせてくれ! そのためなら、私にできる事なら、どんな事でもする!」

「……あなたは誰ですか? 魔導王とはアンデッドではなかったのですか?」

 

「ちょ、全員うるさい。ちょっと黙れって」

「ヤトノカミ様、半数ほど殺してしまえば静かになります!」

「アルベドも武器をしまえって」

 

 全員が巣で餌を待つ鳥の雛の如く、好き勝手に主張を始める。

 

 精神の沈静化(相棒)不在のアインズは、ナザリックの静寂を懐古した。

 

「アインズさん! 聞いてんスか!?」

「アインズ、その姿はどうしたのだ? なぜ人間に化けているのだろうか」

「アインズ様ァ! これを機に漆黒聖典は殺してしまいましょう!」

「魔導王陛下!」

「アインズ・ウール・ゴウン殿!」

 

 皆が隣にいる者より大きい声を出そうと、中庭はお祭り騒ぎになった。

 

 雲は流されるままに空を移動し、そのまま海を渡るのだろう。

 

 現実逃避する彼は、宇宙の深淵に坐すであろう魔力の源泉に思い馳せる。

 

 広大な宇宙の神秘に、ちっぽけな自分の悩みを吹き飛ばしてほしかった。

 

 全員が反応のないアインズを見て声量を数段階上げ、中庭の騒音レベルは極めてうるさくなる。

 

 

 

 空を見上げるアインズだけが黙り込んでいた。

 

 

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。