モモンガさん、世界征服しないってよ   作:用具 操十雄

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Like a children

ガゼフ、ブレイン、ザリュース、ゼンベルを従え、アインズはアンデッドが暴れ回る地下の洞窟に入っていった。

寝ているヤトは茶色いシャツのままに執務室のソファーへ横になり、声を掛けても起きなかったのでそのまま放置された。

 

気持ちよさそうに眠っていた。

 

一行を見送ったイビルアイは、アルベドに伝言(メッセージ)を飛ばす。

 

《アルベドさん、アインズ様は地下ダンジョンに降りた。今日は夕方まで戻らない》

《そう、もし予定よりも早く戻る事があれば連絡してちょうだい》

《わかった……興味で教えてほしいのだが、どうして二人のナザリック出入りを阻止する必要があるのだ?》

《そうね、少し前の話なのだけど。アインズ様に内密で進んでいた、リザードマン統治計画。順調に進んでいた計画は、アインズ様の登場により大混乱となったの。どうしてあの御方は守護者だけで進めていた計画を把握したと思う?》

《誰かが情報を漏らした、とか?》

《違うわ、計画に携わっていた者、あの場に居合わせたもの全てが大混乱を起こしたの。私の想像なのだけど、アインズ様は至高の41人の統括。ナザリックに戻っただけでそれまでの全てを把握できるのではないかと、私は考えているの》

《そんな……確かに不思議ではないが》

 

人間になったアインズは支配者に相応しい雰囲気を身に纏っており、アルベドの想像はイビルアイを納得させる。

 

《確証は何もないわ。言ったでしょう、想像なのよ。でも、アインズ様ならそのような力を所持していても、何ら不思議はないと思わない?》

《うん……私もそう思う》

《可能性は一つでも多く潰さなくてはならない。この作戦は、私たち女が守られるだけの弱い存在ではないと、御二方に知らしめるための重要な策。僅かな綻びも許されないわ》

 

メッセージを切断したアルベドは、ナザリックの執務室にて呟く。

 

「アインズ様、私に罰を与えなかったのは、恐らくそういう事なのでしょう。家族になりたければ、功績を立てよ、と。お任せください、家を守るだけが女の仕事ではありませんわ」

 

彼女はラナー王女から上げられる予定の情報が出揃うまで、ナザリック内における内政に従事するため、執務室で書類に判を押し続けた。

 

 

 

 

地下のダンジョン内部では、動きがもたついているスケルトンを、ブレインが地面にばら撒いていた。

 

「地下五階まで進むと、幾らもらえるんだ?」

「せいぜい、金貨一枚といったところだろう」

「そうかい、それじゃあサクサク進ませてもらおうかね。メイドの給料とゼンベルの酒代を稼がなきゃならないんでね」

 

地下五階までのスケルトンの動きは非常に鈍く、装備を整えてやればアルシェの妹たちでも十分に殺せそうだった。

人間でも殺せる設定にしたと、喜々として話していたデミウルゴスの言葉を思い出す。

 

問題は魔物ではなく、底意地の悪い罠だった。

案の定、ゼンベルが何気なく寄りかかった壁にスイッチが設置してあり、近くにいただけで巻き込まれた哀れなザリュースと共に、死刑を待つ重罪人よろしく、簀巻きにされた二匹の蜥蜴人がごろごろと地面に転がっていた。

 

「少々やりすぎだな……デミウルゴス」

 

ニヒルに笑って眼鏡を正す部下と、悪に拘ったその創造主が、愉快そうに眼鏡を正して口角を歪める絵面が浮かぶ。

この日もダンジョン内で夜を明かすことになりそうだと、悟ったアインズはため息を吐いて救出に取り掛かる。

 

相変わらず攻略は遅々として進んでいなかった。

 

 

 

 

アインズが地下ダンジョンの中にて、愉快な罠に嵌った仲間を助けている時、この日も平和な魔導国の入り口で、神妙な顔をした幼い少年と、老年の女性が囁き合う。

 

「見た目には平和な国ですな」

「そうだね。だが、油断はできないよ。神官長様があれほど警戒する国……いや、存在なんだ」

「やはり神の再臨なのでございましょうか」

「余計な詮索はやめよう。さあ、祈りを捧げるんだ。六大神の導きの下に」

「六大神の導きの下に」

 

二人は両手を合わせて神に祈りを捧げた。

イビルアイの見た目とそうは年が変わらないように見える幼い彼の声は、見た目に反して冷ややかな湖面のようだ。

老年の女性が十代前半の少年に指示を出されている状況は、事情を知らぬ者が見れば非常に奇異に映っただろう。

 

二人は多くの言葉を交わさずに頷き合い、無言で王都へと侵入していった。

傾城傾国(ケイ・セケ・コゥク)”が使用可能な老年の女性、カイレの身なりはこの世界における修道女(シスター)の衣服だった。

その隣を歩いている幼い少年は、黒一色に染められたローブを身に纏い、見た目は一人前の神官だったが、幼い顔が見習いだと告げていた。

 

見ようによっては、老年のベテラン修道女(シスター)が、僧侶見習いの孫を連れ立って歩いているように見える。

彼らは国内の喧騒に耳を傾け、少しでも情報を得ようと無言で歩き続けた。

 

「レイナース姫!」

 

噴水の広場に差し掛かったあたりで、一際大きな声が耳に刺さり、彼ら無言で顔を見合わせ、足を止めて聞き耳を立てた。

 

 

 

 

早めに職業取得の特訓を切り上げたレイナースは、自分の大切な家族へ夕食の準備をしようと、食材の調達に市場への道を歩いていた。

午後の魔導国は夕食の支度のために、自分と同様に市場へ向かう人の群れで溢れ、群衆の波は真っすぐに市場へ向かって流れていた。

 

広場の噴水が街路の先に見えてくる。

 

円形の王都を移動する多くの住民が、この広場を通過、あるいは待ち合わせに利用しており、周囲を往来する人々の表情で平和が窺えた。

この国が、かつて所属していた帝国と戦争をしていたなど、現状を見ればとても信じられなかった。

 

「あいつ、今日は帰ってくるから、晩御飯は何にしよう。辛い食べ物でも用意してやろうかな」

 

物騒な事を考える彼女は、湧き上がる微笑みを必死で抑えていた。

いくら自分が人並みより美人だとしても、だらしなくにやけながら歩く女性は、魔導国の蛇の妻として相応しくないだろう。

 

誰も気にしていないというのに、軽い咳払いをした彼女は、改めて市場へ向かう道を歩きはじめる。

 

「あのぅ……もしや、王宮にいた騎士様ではございませんか?」

「はい?」

 

ほぼ同時刻、病を治されて王宮の使用人として従事しているジエットの母は、先輩のメイド長にお使いを頼まれ、市場に向かっていた。

だが、勝手の分からぬ魔導国の地理に、少し天然の入った彼女は、迷子になって途方に暮れていた。

王宮の中庭で小さな女性に稽古をつけられていた美しい女性が、何かを悩みながら歩いているのを見つけ、決死の想いで声を掛けたその女性がレイナースだった。

 

「ち、違いますでしょうか。申し訳ありません、大変失礼を」

「いえ。その通りです。魔導国の蛇の妻です」

「蛇様の!?」

 

一際大きな声を出され、レイナースは見覚えのない使用人に警戒する。

側を通過する通行人の視線が気になった。

 

「あ、ご、ごめんなさい。私、あの御方に息子ともども助けられた者でございます。お会いした際に改めてお礼を申し上げようと思っていたのですが、なかなかお会いできないもので……つい」

 

当の本人は王宮執務室のソファーで寝入っているのだが、すれ違いとはいついかなる場合でも起きてしまう。

彼女が王宮に戻り、執務室の掃除に取り掛かれば、汚れた服で気持ちよさそうに眠る彼に会えただろう。

緊張が解けたレイナースは微笑みかけた。

 

「そうでしたか。私は彼の妻、レイナース・ロックブルズ・アインドラです」

「は、はい。あの御方のお妃様となると、とてもお美しいですね」

「ありがとうございます」

「申し遅れました。私は王宮の新しい使用人、テスタニアといいます。息子のジエット・テスタニアと共に、少しでもお役に立てればと。これから市場へお使いに行くのですが……その、道に迷ってしまって」

 

ようやく理解が追い付いたレイナースは、微笑みを絶やさずに続ける。

 

「そうでしたか。私も夕食の買い物に出かけるので、よろしければ一緒に参りましょう」

「よろしくお願いします」

 

年齢よりも幼く見える彼女に、ヤトに優しくされた件について若干の警戒心を抱いていた。

自分で考えるのもどうかと思っていたが、これ以上に妾を増員されたくなかった。

 

二人は連れ立って噴水の広場に差し掛かる。

 

「ここが王都の中央、噴水の広場です。ここから南に進むと、市場が――」

 

レイナースの魔導国観光案内は、空から舞い降りた軍服を発見し、中断を余儀なくされる。

空から舞い降りたパンドラは、人で溢れる中央広場で、演技掛かったポージングを決めた。

 

「やはり、蛇の花嫁ではありませんか。お目にかかれて光栄でございます!」

「パンドラ様、ご機嫌麗しゅう存じます。どうなさったのですか、空から」

「今日は領内の復興の確認、マーレ様が支援している農場、双方の視察を行い、報告書を提出するために王宮へ行く予定でございます。しかし! 広場にて姫を見つけ、こうして御挨拶に舞い降りた次第でございます!」

 

片手を胸に当て、もう片方の腕を天に向かって伸ばし、周囲の視線を独り占めにしていた。

大きくせり出した腕が通行人に当たらなかったのは、どちらの配慮なのか気になった。

 

「あ、はぁ……そうですか。ご丁寧にありがとうござ――」

「レイナース姫!」

「ひぅ……なんでしょうか」

 

予期せぬ大声に驚き、レイナースは息を吸い込みながら珍妙な返事を吐き、思わず赤面する。

 

「蛇の姫君が不用心に護衛もつけずに出歩くなど、迂闊でございます! ナザリック地下大墳墓の一柱、ヤトノカミ様の細君であるレイナース様が、然るべく護衛もつけずに、その美貌をむき出しで周囲に晒しながら無警戒に歩くなど」

「然るべく?」

「然るべく!」

「そんな大声を出さなくても……わ、わかりました、申し訳ありません。次から気をつけます」

「もしも麗しい姫君に何かあれば、ヤトノカミ様がどれほど嘆き悲しむのでございましょうか。本日は急場しのぎのため、私が御伴いたします」

「え? あ、いえ、王宮の使用人のテスタニアさんが一緒なので」

「初めまして、私は魔導王直轄の部下、パンドラズ…………アクターでございます!」

 

即座に握手の為にと異様に長い掌を差し出した。

 

「あの、お静かに……周囲の皆が見ておりますので」

「おぉ、これは失礼。気分が乗ってきてしまい、思わず暴走をいたしました」

 

ジエットの母は、見たことない衣服を纏い、卵に穴を三つ開けた顔の、動きと声が妙に派手な彼を、目を限界まで丸く開いて見ていた。

思考は活動を停止しているようだ。

伸ばされたパンドラの掌も、ずっと静止していた。

 

「テスタニアさん? テスタニアさん!?」

「はっ、私は何を……あ、ご、ごめんなさい」

「彼はアインズ・ウール・ゴウン魔導王直属、パンドラズ・アクター様です。王宮の出入りもなさいますので、面通しを」

 

テスタニア未亡人は、出来の悪いマリオネットのように、初めて見る異形種へ挨拶を行った。

事務的な話もそこそこに、三名は市場へ向かって歩き出す。

 

噴水に腰かけて事の成り行きへ聞き耳を立てていた漆黒聖典の隊長とカイレは、周りの人間に決して聞かれない声で囁いた。

 

「あれが蛇の花嫁のようですね」

「どうなさるのか?」

「行きましょう。あの奇妙な異形は魔導王直轄、強いて言うなら魔導王直属軍。情報は多いに越したことはありません」

 

白と黒のローブを纏った二人は、適度な距離を保ちながら、騒がしい彼らの後に続いた。

 

「本当に感謝をしております。私があの子の足かせにならずに済んだのは、何かの縁で蛇様にお会いしたおかげでございます」

「然り! 魔導国の蛇ことヤトノカミ様は、人間に対して非常に寛容でございます。花嫁、使用人、政治活動の部下にいたるまで、全て国内の人間から」

 

ジエットの母は、パンドラと共にヤトへの感謝の想いを話し続け、その燃料投下を受けたパンドラも、仕える君主の片割れに対する思いを迸らせる。

 

枯れ木のように痩せこけ、少し押せば倒れて絶命しかねなかった以前と比べ、今の彼女は頬に赤みが差し、押せば女性特有の柔らかい反発が期待できそうだった。

 

「はぁ……」

 

聞くのに飽きたレイナースは、早く市場に着かないかなと、ため息を吐いた。

 

悩める彼女に気付かない両名は、市場についても口を回し続け、レイナースは一人で出歩いて多少危険な目に遭った方が、疲労が少なくて済むだろうと決めた。

 

 

「ではここで――」

「あ、お待ちください。レイナース様、王宮はどちらでしょうか……?」

「……」

 

ヤトの自慢話を聞くのは嫌いではなかったが、それにも限度というものがあった。

また話聞かなきゃダメ?と、うんざりする内心など、両名の知るところではない。

 

「テスタニア女史、ご安心ください。私が噴水の広場までご案内を致します。ヤトノカミ様の愛の巣へ行くには、何れにしても中央広場を通過しますので」

「ありがとうございます、パンドラズ・アクター様」

「恐らく彼のヤトノカミ様であれば、やはり同様に途中まで道案内をなさったでしょう。ならば、ナザリック参謀に名を連ねるこのパンドラズ・アクターが、途中まで道案内を」

「はぁ……早く行きましょう。そろそろ陽が沈みます」

 

彼らを、特にパンドラを上手にいなせる力が欲しいと、星に願いを捧げる少女のように、レイナースは紅に染まった太陽へ願った。

 

翌日から彼女の忍者修業は熾烈を極め、過剰なまでに自身を追い込む鬼気迫る修業に、師匠のティラは柄にもなく気圧され、レイナースの貞操を狙う策を諦めるしかなかった。

 

「あの、今日はありがとうございました。また王宮でお会い致しましょう、レイナース様、パンドラ様」

「お気をつけて、テスタニアさん」

「道中お気をつけて下さい。テスタニア女史」

 

ジエットの母と別れたレイナースは、勢いの止まらぬパンドラに付き従われ、自宅への帰路を急いだ。

早く彼と別れたかった。

 

噴水の広場では、彼らの一連の行動を尾行していたカイレと隊長が、どちらに追従するかを検討する。

 

「どうなさいますか? 私は使用人を尾行すべきと思いますが」

「いや、魔導国の蛇の妻を追おう。住処がわかれば情報収集が楽になる。あわよくばこの国、彼らの核心に迫れるかもしれない」

「しかし、横を歩く妙な異形は何者でしょうか。着用している衣服も、様々な意味で我々の基準を超えていますぞ」

「魔神……かもしれない」

「なるほど、魔王直属軍となれば、従属神の可能性も自然ですな」

 

いつの間にか魔王になっていたが、隊長も特に否定はしなかった。

 

「実力は未知数だが、交戦だけはできない。それから……カイレ様、今は見習い神官とベテラン修道女なのです。砕けた口調にしてくれませんか」

「ほほっ、こりゃ失敬。それじゃあ、行こうかね」

「はい」

 

彼らはレイナースを正妻と誤解したままに、ヤトの家を探し当て、そのまま付近の宿屋に宿泊する。

必然的に彼らの部屋は蛇の邸宅が見える場所となり、夜になるのを待っていた。

 

宿の程度(グレード)は人並み程度で、食事は美味しいとはいえなかった。

 

 

 

 

「ふぅ、今日のお仕事は執務室のお掃除で終わり……あら」

 

モップとバケツを持って執務室を開いたジエットの母は、夕方になってもソファーで眠りこけている恩人を見つける。

 

「ど、どうしましょ。ヤトノカミ様、起きてくださいませ。もう夕刻にございます」

「うーん……」

 

彼女が寝過ごして置いてけぼりを食らった蛇を起こそうと孤軍奮闘している時刻、中庭の地下五階では心身ともに疲労困憊の一行が、早めの野営(キャンプ)に取り掛かっていた。

 

皆一様に口数が少なく、ここまでの道中の過酷さを物語っていた。

 

適当に食材を放り込んで作ったスープを、皆が口に運んだあたりで、彼らには言葉を取り戻す。

 

「ふぅー……しかし、何なんだ、この洞窟は」

「魔物は弱いのだがぁ、どこで何が起きるかわからんねえ」

「私とヤトの体感なのだが、この先はアンデッドの強さが上がる。罠の数は減るが、意地悪さが増すぞ」

「帰りてえです……」

「……」

 

ぐったりと怠そうに息を吐くブレインの頬には、呪いを示す笑う髑髏の絵が張り付いており、髑髏の頭上には《運低下》と日本語で書いてあった。

他の面々も健康状態には問題があり、ガゼフは頬にぐるぐるしたナルトの絵を描かれ、頭上には《バッカス化》と書いてあった。

頭に疑問符を浮かべるアインズが魔法で調べたところ、どうやら強制的に酩酊状態(酔っ払い)となる呪いのようだ。

ゼンベルは《好物恐怖症(favorite phobia)》によって酒と魚に怯え、ザリュースは状態異常の《沈黙》にて一言も話せないと、似たようなものだった。

唯一、状態異常を無効化するアインズも、彼らを助けるために砂や泥によって服が汚れてしまい、着ている服が俺は初めから茶色だったと物申していた。

 

「今日はゆっくり休めば、全員のステータス異常も治るだろう」

「魔物の数を増、やしても構、わない、から、罠を減らしてほしい……」

 

酩酊状態のガゼフが、適当に食材をぶち込んだスープに癒され、呂律の怪しい口調で話す。

あまりの聞き取りにくさに、アインズとブレインは苦笑いを浮かべる。

 

「製作者に提言しておこう」

「それにしても、疲れた……蛇も連れてきたかったな。あいつなら俺たちの代わりに全ての罠にかかってくれたろ」

「あいつを背負って罠を越えられたか?」

「……すまん、何でもない。モモン、そこの酒をとって――」

「ひぃっ!」

 

酒と魚に怯えるゼンベルが、彼らしからぬ怯えた声をあげた。

 

「ゼンベル、お前は先に寝ろ。飯は食っただろ」

「……あ、ああ。そうさせてもらうぜ。また明日な」

 

珍妙な状態異常にかかったゼンベルは片隅の暗がりへ移動し、時折聞こえてくる《酒》《サカナ》の言葉に震えながら、丸くなって眠りについた。

口が利けないザリュースが、野営の片づけを始める。

 

「敵がスケルトンだけじゃ、腕試しには物足りないな」

「私がぁ王都を留守にした間にー、随分と稽古に励んだそうじゃないか」

 

酔いの醒めないガゼフが、胃袋にスープの恩恵を浴びながら世間話を始める。

どことなくエントマを思わせる間延びした口調に、アインズは吹き出しそうになるのを堪えた。

 

彼は真面目に話しているのだ。

 

「まあな、それでもお前に勝てるか怪しいもんだ。強い敵がいれば参考にもなったがな」

「ふむ……スケルトンの一つ上程度なら配置してもいいかもしれん。スケルトンの一つ上だと、スケルトン・ファイターだったか」

「俺たちは最下層まで進めるか?」

「それは大丈夫だろう。ガゼフもブレインも英雄クラスだ。本当はラキュースも呼びたかったのだが、ヤトがあの有様だったからな」

「違いないな。今ごろ家で平和に過ごしているだろうぜ」

「いや、彼はまだ寝て…ヒクッ…いるかもしれんぞ」

「……しゃっくりがはじまったぞ、これ本当に酔っ払い状態か?」

「……私にもわからん」

 

赤ら顔のガゼフは、心なしかいつもより楽しそうだったが、そろそろ会話も困難かというあたりで、アインズが魔法とアイテムで治す。

沈黙を強制されるザリュースは、片づけを終えても会話に混ざれず、退屈に堪え切れなくなってゼンベルの横で休んだ。

同時刻にジエットの母から控えめに揺り起こされている、だらしなく寝ぼけた蛇の化身を知る由もなく、楽しそうに談笑する皆は小さなたき火を前に酒を交わす。

 

強制的な酩酊から復帰し、改めて酒を飲むガゼフが真面目な顔ではじめた。

 

「しかし、モモン殿。鎧を脱ぐとなかなかの美形じゃないか。特徴がヤトと同様に南方出身者なのだが、ゴウン殿やヤトと同郷なのか?」

「あ、うん、いや……実は、私がアインズなのだ。モモンとアインズは同一人物で、特殊なアイテムを使って一時的に人間へと戻っただけでな」

「ほう、魔法は何でもありなのだな。ふうむ……」

 

ガゼフはしげしげと汚れたアインズを、頭頂から爪先まで眺める。

値踏みされるような視線に、アインズは居心地悪そうに座り直す。

 

「ずっとその姿だと、国民の人気はいま以上だろうな」

「女にもな」

「勘弁してくれ。既に妻が二名、妾希望者が三名、未来の妾が三名もいる。これ以上は……いや、既に私の手では持ち切れない」

 

モテ過ぎてとても困っていますと言わんばかりに、アインズは頬を指で掻いた。

 

「強者に抱かれたいのは女の心理ではないだろうか」

「へっ、結婚してからいいなよ、ガゼフ」

「放っておけ。私は武に生き、武に死ぬのだ」

「陛下……いや、元陛下はどうしてるんだ?」

「ああ、帝都から戻って挨拶に行ったのだが、子供たちが村の復興に出てしまい、大そう寂しがっていた。なぜ私も連れて行ってくれないのかと。折を見て酒でも酌み交わそうと考えている」

 

哀愁を漂わせ、縁側でぼーっとしている老人が思い浮かぶ。

ただの想像なのだが、彼の年齢を考えると呆けないか心配になった。

 

「ガゼフ、その時は私も誘ってほしい。彼が変わったこの国をどう考えているのか知りたいのでな」

「わかった、必ず誘うと約束しよう」

「国を代表する戦士長が、現国王ではなく、前国王に忠誠を誓っているのはどうなんだ?」

「この際だからはっきりさせておく。私はガゼフの忠誠が欲しいわけではない。尽くしたい相手がいるのなら、好きにすればよい」

「あっさりしてるんだな」

 

拍子抜けしたブレインに代わり、いつにもまして真面目な顔のガゼフが続けた。

 

「ブレインの言う通りだ。王であるゴウン殿へ忠誠を誓うべきなのだと、わかってはいる。だが、平民出身の私が、農業で一生を終えずにここにいるのは、ひとえにあの御方のお陰だ。いくら感謝しても足りはしない」

「へえ、忠誠を誓えば強くなれるのかねえ」

「それは違うぞ、ブレイン」

 

ガゼフは一呼吸おいて、話を続けた。

 

「常に民を思い、自らの命さえ投げ出そうとするランポッサ三世様を、私が命懸けで守ることで恩返しができるのならばと考えたからこそ、私は強くなったのだ」

 

ブレインはガゼフの言葉を飲み込んで消化しようと、残った酒を喉に流し込んだ。

 

「守るものの為に、か」

「ブレイン、今はお前にもあるだろう。メイドがいる、世話をしている女もいる。ブレインに何かあれば、彼女たちは路頭に迷うぞ」

「……柄じゃないさ。誰かのために振る剣は、重すぎて俺には振れない」

「ほう、ゴウン殿、詳しくお聞かせ願いたい」

 

ガゼフは珍しく瞳を輝かせ、身を乗り出した。

新しい玩具を与えられた子供の瞳だった。

 

生真面目なガゼフの意外な一面を見たアインズは、同様に楽しそうに秘密を暴露する。

 

「実は帝都で自由行動中に女戦士とメイドを――」

「ガゼフに話すなって! 恥ずかしいだろ!」

「ブレイン、自らの行動に恥じることがあるのか。それでは強くなれんぞ」

「ふざけろ、ガゼフは興味があるだけだろ。この童貞め」

 

自分に言われたわけではないと分かっていても、アインズはなぜ知っているのかと、心臓を針で刺された気分になる。

 

精神の沈静化が恋しかった。

 

「どっ、私だって女を知らないわけではない!」

「嘘つけ! 娼館だって行かないくせに、給料は何に使ってんだよ」

「いざという時の為に貯蓄を」

 

この辺りでアインズが噴き出した。精神の沈静化に邪魔されることなく、素直に笑えるのが心地よかったので、口論する二人を楽しそうに眺めていた。

一通り堪能したところで、話題を変えようと、アインズが会話の方向転換をする。

 

「前から気になっていたのだが。ブレインにも南方の血が混じっていると考えている。間違いないか?」

「いや、俺は自分の家系を詳しく知らない。ガゼフも南方の血が混じっているだろ」

「ガゼフよりもブレインの方が血が濃いのではないか?」

「そうか?」

「ここからは想像の域を出ない話だ。酒の肴として聞いてほしい。私の憶測だが、その南方の民というのは、我々と同じ世界から来た者の子孫、あるいは同等の存在だ」

「神様かよ……」

「いや、そうではない。私もヤトも、仮の姿としてこの姿を望んで選んだのだが、中には人間の姿を選ぶ者もいる。真の姿と同様の姿を選んだ場合、南方の民の特徴とピタリと一致する」

「ちょ、ちょっと待ってくれ! ゴウン殿は人間だったのか!?」

「……冗談だろ」

「その辺の話は詳しくするつもりはない。悪いが話を続けるぞ」

 

アインズが話した内容によると、ガゼフとブレインを比較すると、強さこそガゼフが勝っているが、ブレインの容姿、使用武器と技、人間性など、様々な事象がガゼフよりも血が濃いと判断できるというものだった。

しかし、それを聞いても今一つピンとこないブレインは、難しい顔をしている。

 

「つまり……どういうことだ?」

「ブレインはガゼフを追い抜く可能性が高い。現時点で最強なのは間違いなくラキュースだが、それは装備品によるところが大きい。単純な強さでいえばガゼフだが、ブレインが血の滲む稽古を続けるのなら、この先はどうなるかわからないだろう」

「それは私も同感だ。以前に剣を交わした時から考えていたが、数年後には私を追い抜くだろう」

「おいおい」

「才能とは誰もが等しく持つものではない。持って生まれたのであれば、呼び出せばいい、更なる高みへと飛び立つために」

「私を追い抜くのはブレインだろうと、随分前から知っていたぞ」

 

二人は息があったように会話を続け、真剣な視線でブレインを突き刺す。

刀を携えた剣士は、照れ臭そうに鼻の頭を掻いた。

 

「なんだなんだ、二人とも。褒めたって何も出ないぞ」

「魔導国に強者が増えるのは喜ぶべきことだ。ブレイン、誰が為に剣を振るのか、よく考えるといい。クレマンティーヌの件は、これが終わったら早々に協力しよう」

「だから……ん、まあ頼むわ、魔導王さん。あいつも治ればなかなか強いぞ」

「私にも紹介してほしいのだがな」

「お前にゃ、会わせない」

「心配するな、家は知っている」

「残念だったな、手狭になったので引っ越す予定だ」

「引っ越し祝いを持っていこう。場所を……ゴウン殿、彼の新居はどこだろうか」

「元スラム付近の邸宅だ。場所は戻ってから教えよう」

「教えるなよ!」

 

険のない口論はガゼフとブレインに任せ、アインズは星の見えない岩盤の天井を見上げた。

 

楽しい……やっぱり冒険しながら、仲間と口喧嘩したり、語り合ったりするのは楽しいな。今ごろ、みんなは何をしているのだろうか。

 

かつての仲間を思い出しながら、地下で過ごす夜は更けていった。

 

 

 

 

 

「寝すぎた……アインズさんも冷たいなぁ」

 

寝過ごして置き去りにされたヤトは、重たい体を引き摺るように、見覚えのある女性に優しく起こされて王宮を後にした。

何か執拗に感謝を述べるジエットの母の言葉は、寝ぼけた彼の頭を右耳から左耳へ素通りし、彼の海馬には足跡さえも残さなかった。

 

「レイナ、晩飯作ってくれてんのかな……帰って晩飯が無かったらどうしよう」

 

結婚して間もないのに冷めた夫婦になっていないかと下らない心配をする彼は、鼻歌交じりで料理を作るレイナースと、アルベドから送られた書類を読むラキュースが待つ家に帰っていった。

 

幸いなことに心配は杞憂に終わり、家に帰ると食事の支度を終えたレイナースが、白いフリルのついたエプロンで出迎えてくれる。

 

「お帰りなさい」

「ん、ただいま」

「夕御飯は作ってある」

「そう、じゃあ食う」

「待て、汚い服で家に入るな。外で着替えてこい」

「いや着替えが無――」

「紳士用の寝間着は用意してあるから、ここで脱げ」

「ちょ、おま」

「恥ずかしがるな。家族だろう」

 

しばらくの押し問答の後、ヤトは玄関で服を脱がされ、紳士用の寝間着に着替えさせられる。

互いに家族の認識がある男女は、以前なら考えられなかった行為を、いともたやすくえげつなく行った。

毟られた服は洗濯カゴにまとめて放り投げられた。

 

リビングに行くと、既に席についていたラキュースが、スープから昇る湯気の向こうで微笑んでいた。

 

「おかえりなさい、あなた」

「あ、ああ、ただいま」

 

まるで結婚生活は初めから三人だったかのように、楽しく会話をしながらレイナースが作った夕食に舌鼓を打つ。

ヤトの食事にだけ少々の唐辛子が振り掛けられていたが、味に問題はなく気にした素振りは無かった。

レイナースは悪戯が空振りに終わり、少しだけ残念に思う。

 

「それで、明日着る服がないんだけど」

「ふーん」

「へー」

 

二人の女性はまるで興味がない生返事をした。

 

「冷たくない?」

「洗濯が終わるまで家にいたらどうかしら」

「洗濯はお休みだ。二日はかかるだろう」

「それまでは蛇で外出を――」

「駄目、たまにはゆっくり一緒にいましょう」

 

それ以上の反論は許さんと、ラキュースの明るい笑顔が言っていた。

 

「あ、はい……仕事が、いや、ダンジョンが」

「私たちと一緒にいたくないのか?」

「い、いや、そういうわけではな――」

「酷い人ね。レイナを悲しませたら離縁してやるから」

「私もラキュースを悲しませたら出て行ってやる」

「……なんなんだよ」

 

妙に強引な二人に悪い気はしなかった。

 

「俺はどこで寝ればいいんだ?」

「今日は私と寝ましょう」

「あ、はい。レイナはどこで寝るんだ?」

「イビルアイとツアレが使っていた部屋が空いたのよ。レイナの部屋もあるから心配しないでね」

「明日は私と寝てほしい」

「ふーん……わかった」

 

食器を下げるレイナースを何とはなしに眺めていると、唐突に特殊装備(ライダースーツ)を思い出した。

 

食器を洗うレイナースを残し、ラキュースと共に寝室へ入っていった。

寝室ではいざ夫婦の睦言に臨もうとするヤトが、口を蛸のように変えてラキュースに迫る。

いつかのアルベドを思い出したが、その気になった彼には知った事ではなかった。

 

だが、ラキュースからすれば非常に重要な問題である。

 

「んー……」

「ちょ、ちょっと、やめてよ」

「なんでだよ」

「馬鹿な顔して口づけを迫らないでよ。雰囲気を大事にして」

「そうか?」

「そうよ、女性は甘い雰囲気に浸りたいものよ」

「フーン」

 

窓から指す月の光に、二人の影は抱き合って一つになる。

 

「あ、そういえば」

「なあに?」

「ブレインが女を拾ってきたぞ」

「また関係ない話で雰囲気を壊すんだから……もう。彼も結婚するのかしら」

「さあな、捨て犬を拾った感覚なんじゃないか」

「捨て犬って……どんな人?」

「ク、クレー……クレマンティーヌだ! 前にアインズさんに殺された女だって言ってたが、変な縁もあるもんだな」

 

ヤトがクレマンティーヌの名前を口にした時、窓の外から物音が聞こえた。

人間であれば気にならない程度の物音だったが、反射的に探知スキル(ピット器官)を作動してしまう。

スキルによるレーダーによると、二つの生命反応が敷地内から逃げ出していくのがわかった。

 

覗かれていた不快さにより、ラキュースの制止も聞かずに窓を開いて飛び出した。

 

「は、早く、逃げるんだ!」

「はぁ、はぁ、そんな突然に」

 

穏便に物音だけ聞こうとしていた漆黒聖典の二人は、クレマンティーヌの名を聞いたことで動揺してしまい、慌ててその場を去ろうとしていた。

時すでに遅く、本気で追うヤトを撒けるはずもない。

 

当然とばかりに蛇の化身は、寝間着のまま二人の前に立ちはだかる。

 

「おい、お前ら。他人の睦言なんざ聞くもんじゃな……ちっ、刀を忘れた」

 

ボタンがはだけた紳士用寝巻に素足、武器を持たない手ぶらの彼は、魔導国の蛇という箔が付いた肩書からほど遠く、見た目は緊張感に欠けていた。

威圧する道具が絶望のオーラしかない彼は、全力で絶望の黒い波動を立ち上らせる。

 

 

白い修道女がその場に尻もちをついて、月明りに皺が刻まれた顔が見えた。

ヤトから目を離さずに、彼女を支える黒い僧侶の顔は10代前半に見える。

 

出歯亀(peeping tom)が老女と少年だとは予想しておらず、見た目通りに気の抜けた彼は、絶望のオーラを消して面倒くさそうに話を続ける。

殺伐とした雰囲気は、場を訪れる前に踵を返してどこかに帰っていった。

 

「おい、婆さん。孫の性教育も結構だが、娼館でやれ」

「あ、あ……」

「申し訳ございません。道に迷ってしまい、お尋ねしようとしたのですが」

「庭からか? いい度胸だこのガキ、覗きはいけないと、体に教えてやろう」

 

脅しのために両手の指を開き、指をゴリゴリと鳴らした。

 

「い、いえ」

「正直に言え。卑猥な事に興味があったんだろ」

「どうかお許しください、魔導国の蛇様」

「つーか、お前ら誰だよ。神殿の神官か? 神に仕える者が覗きとはいい度胸だなぁ、おい。異形種を受け入れられない阿呆が寝込みでも襲いに来たんじゃねえだろうな。先に言っておくが何かしたら、死ぬより恐ろしい目に遭わせてやる」

「はい、本当にそのような真似を――」

 

交戦も覚悟して言い訳を続けようとした彼の言葉は、正妻の呼び声で遮られる。

 

「ヤト!」

「あ、ラキュース。覗き魔を捕まえてこれから尋問を――」

「この馬鹿!」

 

夫に愛の鉄拳制裁を下そうとした彼女の一撃は、無効化されて届かなかった。

 

「何で俺が……」

「老人と子供を殺そうとしていたでしょ」

「だって……ラキュースとレイナに危害を」

「違うと言ってるじゃない」

「いや、でも――」

「よくしてくださった神殿長様に、顔向けできないでしょう。わかった!?」

「……フン」

 

怯える老女を一瞥して、不貞腐れた子供のようにそっぽを向いた。

既に殺意はなかった。

 

隊長は何かを言おうとしたが、まず何から聞けばいいのかわからなくなっている。

 

なぜ妻が二人いるのか、彼は神なのか、法国に対して友好的なのか、どこまで知っているのか、クレマンティーヌを知っているのか、魔導国の神殿長とはどんな関係なのか、など次から次へと湧き上がる疑問で脳が埋め尽くされたが、迂闊に話して襤褸を出すことを恐れ、それなりに修羅場をくぐった彼も動きを止めた。

 

命を失う心配は妻の登場で消えたが、こちらの情報を渡さずに相手の情報を獲得する名案の行方は、ようとして知れなかった。

 

「ボク? 大丈夫?」

「あ、はい」

「修道女様、もう大丈夫です。さ、手をお貸しします」

 

飢えた金魚のように口をパクパクさせるカイレに、ラキュースはどれほど脅したのかと、目で軽く責めていた。

 

「覗き魔なんて放っておきゃいいだろ」

「可哀想でしょう」

「法国のスパイだったらどうすんだよ」

「まだ子供よ。こちらの修道女様も、とてもそうは見えないわ」

「……けっ、薔薇の姫様はお優しい事で。おい、ガキ」

「ひっ、なんですか!?」

 

法国のスパイという単語に心臓を貫かれている隊長は、発言までが見た目通りに幼くなる。

 

「次覗いたら、警告なしでぶち殺すぞ。夫婦の時間を邪魔するな、スパイなら他所でやれ」

「ス……はい! 申し訳ありませんでした!」

 

スパイはいいの!?という言葉がつい反射的に口から覗いたが、睨んでいる寝間着の男に、様々な意味で口答えができなかった。

 

「お送りしますわ、宿にお戻りになるのですか? それとも神殿に?」

「あ、宿に帰ります」

「そう。ヤト、反対側の肩を」

「いいよ、俺が背負ってやるから」

「素直じゃないわね。そういう優しいところ、好きよ」

「フン……」

 

何がどうなってそうなるのか、互いの素性を知る者が見れば、目玉が飛び出すありさまだった。

 

姥捨て山よろしくカイレを背負い、子供のようにそわそわする漆黒聖典の隊長を連れ立って、ラキュースと共に彼らの宿へ歩き始めた。

 

裸足で飛び出したことには、しばらく気付かなかった。

しかたなくヤトは大蛇の姿へ戻り、老婆を背中に乗せてソロソロと這う羽目になる。

 

中級の宿へ到着した頃にはカイレも恐慌より復帰し、申し訳なさそうに二人で頭を下げた。

 

「今日は本当にご迷惑をお掛けしました」

「すまないねえ、蛇様や。孫にもよく言い聞かせておきますので」

「エロガキ、次はねえからな」

「大丈夫よ、坊や。この人はこう見えてとても優しいの」

「ラキュース、甘やかすと癖になるだろ」

「戻って続きをしましょう」

「うん」

「ほら、ね?」

「……フン」

 

ラキュースを背中に乗せて仲睦まじく自宅へ戻る二人を見送り、子供のような幼い顔だった隊長の表情は、感情が冷えたかのように真顔へ戻る。

 

「カイレ様、どう思われますか?」

「そうじゃのう。悪人ではなさそうじゃが、あれは人を殺し慣れているじゃろう」

「私も同感です。同感ですが……不思議ですね」

「なんじゃ、何か言いたげじゃのう」

「ええ、私が仮面を被っていれば、交戦となったでしょう。しかし、私が子供だから、そしてカイレ様と同行していたから、彼は気を緩めた。油断ではなく情に弱い可能性もあるのではないか、と」

「ふむ、それが真であれば、悪い奴ではなさそうじゃ」

「今は入手した疑問を書類に纏めましょう。僅かな時間の対峙でしたが、得た成果は大きい。裏切ったクレマンティーヌの情報まで手に入りました」

「裏切り者が魔導国にいるとはのう」

「上手く事を運べば、魔導国と不可侵条約で済むかもしれません。その辺の采配は上にお任せしましょう」

「明日は神殿にでも顔を出してみるとするかね」

「そうですね。神殿長が不在の現状であれば、他の神官の話も聞けるでしょう」

 

しかし、うまくはいかなかった。

神殿長が不在の状況で、彼らは気さくに得た情報を話してくれたが、情報に統一性はなかった。

ある者は、魔導王は人格者であると言った。

別の者は、悍ましいアンデッドと吐き捨てた。

また、絶世の美女をメイドに召し抱えているとも聞く。

神殿を訪れる者達は、魔導王への信仰を囁く者もいた。

 

弱者に優しい、武力で並ぶものなし、結婚していない、実はアンデッドではないなど、もはや井戸端会議の域を出ない情報の数々に、隊長は頭を悩ませる。

 

結局、どちらが正妻なのかもよくわからなかった。

 

考えようによっては大半が真実であったが、プレイヤーの知識を吸収しきっていない彼が、真実に到達することは無かった。

 

情報をまとめたところで大いに矛盾した内容に、そのまま法国へ提出できるわけもなく、隊長とカイレは途中経過の報告のために、一時的に法国へ帰還する。

 

 





「い、いや! 近寄らないで! 誰か助けてええ!」
「馬鹿が、叫んだって誰も助けに来ない。貴様はここで犯されるのだ!」
「いやあああ!」
「……」
「あ、あら? どうしたの?」
「ラキ、やっぱこの設定はいやだ」
「プッ……」
「笑うなよ」

「誰だっ! ラキュースは蛇の妻だ! 貴様になんか渡さな……あ、あれ?」
「あ、レイナだ。盗み聞きでもしてたか?」
「うわあああ!」
「あ、待って!」

その後、子供のようにベッド上で遊んでいた二人は、自室にて壁に向かって体育座りをする女性を宥める羽目になる。
恥ずかしさの数値が振り切った彼女は、しばらく顔さえも二人へ向けられなかった。



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