モモンガさん、世界征服しないってよ   作:用具 操十雄

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この話、なんと25,000文字もあります。
通常のテンションで書く話、三話分に該当しますねえ…死ぬかと思った



骸骨の重婚可決宣言

 

 

 

アインズが魔法省を見学していると思われる時間、帝都の宮廷では魔導国の支配者であるアインズに対して、帝国が取る対処の議論が白熱していた。

 

「ニンブル、お前が見たアインズの印象を話せ」

 

皆の視線を集めた容姿端麗な若き騎士は、頭を下げて澄んだ声を上げる。

 

「率直な印象ですが、恐ろしくも不思議な御方です」

「不思議……か。」

「はい、明らかなアンデッドにもかかわらず、人間と話しているようでした。ですが、付け入る隙が見つからず、背後に立たれた時は心臓を抉られても納得したでしょう。」

「身に纏った品は全てが一級品でしたぜ。ありゃあ俺らとモノが違います」

 

バジウッドがニンブルに同調した。

 

「……私もそう思う。あの杖一本と我が国の国宝を比べてしまうと、国宝の方が見劣りする」

「陛下、やはり敵対するのは無謀かと。ここは素直に従い、歯を食いしばって耐え忍び、千載一遇の隙を伺うべきかと」

「お前も見ただろう。人間と話している雰囲気を纏いながらも、計り知れない叡智と、底が見えない武力を一人で有するのだ。そんな化け物が下位種族である人間に隙など見せるわけが――」

 

ジルの言葉は大きな音で遮られ、青い顔に汗を塗りたくった魔法省の使者が飛び込む。

強く開かれた両開きの扉は、壁にぶつかった反動で再び閉じた。

 

「陛下! たた、大変…ぜぇ…ぜぇ………はぁ…………大変です! 魔導王閣下が消えました!」

 

息も絶え絶えな彼の言葉は全ての者を凍結させた。

その場にいた全てが、同じ回答を頭に浮かべる。

 

「フールーダを、あの魔法の狂信者を呼べ! 無礼な振る舞いをしてアインズを怒らせたな! アインズが本気で怒ればこの国は終わりだ。全員武装して彼奴をひっ捕らえろ! 首を刎ね、私が自らそっ首を献上しに行くぞ、急ぎ支度を――」

「い、いえ、それが……中庭に……」

「武器を持つ者は付いて来い!」

 

アインズとヤトがその場に居合わせたら、瞬間湯沸かし器という言葉を思い出しただろう。

激昂するジルは中庭へと駆け出した。

 

彼らが目にしたのは、さらに常軌を逸脱した光景だった。

 

「で、デスナイト殿。申し訳ないのだが、この資材をあちらへ運んで頂けるかな?」

 

左手には巨大なタワーシールドを、右手には刃渡だけで1.3mもあるフランベルジュ、それを持つのは黒い巨躯のアンデッドだった。

何をしているかと思えば、控えめなフールーダに資材の運搬を指示されている。

 

中庭の端には、魔法省の職員が震えながら遠巻きに見ていた。

 

「……誰かあれを説明できるか?」

 

デスナイトの存在を知らない者も多く、返答は誰からも無かった。

恐ろしいアンデッドが資材の運搬に快く協力していると、何がどうすればそうなるのか誰にも理解できなかった。

 

「おお、陛下。デスナイト殿、少々お待ちいただいても宜しいでしょうか」

 

現場監督に頭を下げる若い職人よろしく、簡単に頭を下げる彼は、悍ましさを通り越して滑稽だった。

 

「……フールーダ、説明しろ」

「偉大なるアインズ・ウール・ゴウン閣下は、私が使役できぬアンデッドを造作もなく支配して下さったのです。ご覧ください、彼の伝説のアンデッド、デスナイトが閣下の指示通りに我らに従う姿を! 閣下への忠誠を私の忠誠に変えることが出来れば、更なる上位アンデッドを授けて下さると仰ったのでございます! デスナイトよりも上位アンデッドというと、やはりソウルイーターでしょうか。いや、もしかすると私の与り知らぬ恐ろしい不死生物が」

「そんなことは良い!」

 

怒りの炎が燻るジルは、中庭に木霊するほどの大声を上げ、周りのどよめきは静まった。

なんで怒ってるの?というフールーダ老の表情は、ジルの怒りを過熱させる。

 

「アインズが消えた件を説明しろ。事と次第によってはただでは済まさん」

「案ずる必要はありません、閣下は急用ができたので帰還すると、言伝を残して去られました。」

「……それを素直に信じろと?」

「陛下、魔導王閣下は偉大なる御方です。強大な魔力を有しながらも決して奢る事がありません。気さくな態度を取る事もあれば、威厳に満ちた態度を取り、硬軟織り交ぜながらも肝心な部分は逃さない、そんな御方でございます。その魔導王閣下が、多少の無礼で首脳会談を放り投げ、誰にも何も告げずに帰還するでしょうか。」

「それは……そうだが」

 

先ほどの会議に合致した彼の言葉で、ジルの頭は徐々に落ち着きを取り戻す。

 

「閣下の恐ろしいのは武力ではありません。この私でさえ跪きたくなる知性・運・魅力です。今日の短い時間でそれがはっきりとわかりました。陛下、御方を敵に回すと我らは滅亡しますが、友好関係を構築できれば間違いなく繫栄するでしょう」

「う…うぅむ…フールーダ、お前は魔法の深淵を覗きたいのだろう?アインズがその深淵なのではないのか?」

 

魔法の深淵そのものと形容できる存在、アインズを目の当たりにしてもさして取り乱した様子も見られず、ジルは意外に思う。

 

「御方がその深淵かはわかりません。閣下はご自身の圧倒的な魔力を、私にお見せいただけませんでした。それよりも魔導国へ向かう準備をしても宜しいですか。閣下の学校建築に協力をせねばなりません」

「ああ、そういう事か。先走るな、使者を魔導国へ向かわせる」

「ちっ……」

 

 老人と喧嘩をして本当に先走られると困るジルは、耳に届いた舌打ちに対して何も言わなかった。

 

 その後、アインズの姿を見つけたら宮廷に連れて来るように指示を出し、宮廷内の騎士を全て出払わせた。

 自身はフールーダが暴走をせぬように、監視をしなければならない。

 

「今日はロクシーの元へ行けそうにないな…誰かに伝令を任せるとしよう。」

 

 

 

 

 ジルが頭皮を優しく掻き毟って、暴走傾向の老人の監視をしている同時刻、帝都の歓楽街では昼間から酔っぱらっている蜥蜴人と、その子守をしながら帝都の商店を冷やかしているブレインがだらだらと歩いていた。

 

「ブレインよー、俺達はいつまでここにいるんだ?」

「知らん。まあいいんじゃないか、気楽な余暇だと思えばよ」

「…退屈だぜ」

「暴れたい気持ちも分かるけどな……お?」

 

不満を呈すワニの話を適当に聞き流しながら周囲を何気なく見ていると、金髪の女戦士がこれまた金髪のメイドに絡んでいるのが目に入る。

 

「だからー、あんたの命で勘弁してやるって言ってるでしょー?」

「申し訳ございません。汚れた服は私が弁償を」

「いいよー別にしなくても。その弱っちい命でさー…うふふふ」

 

会話から察するに、不敵に笑いながら短剣を取り出した女戦士に、メイドが何やら粗相を働いたようだ。

このままだと血を見る状況に、暇を持て余していたブレインは間に割って入る。

 

「よう、楽しそうだな」

「ああん? 今取り込みちゅ……あれえー? あんたもしかして、ブレイン・アングラウス?」

「有名人だな、ブレインよ」

「放っとけ」

 

酔っぱらいのワニが、面白くてたまらないとばかりに茶々を入れた。

 

「そこらへんで勘弁してやれよ。命をとった所で一文にもならないだろ」

「あんたさー、私と決闘でもしない?勝ったらそいつの命は助けてあげる」

「おいおい…まぁ暇だからいいか。どこでやる?ここじゃ人目がありす――」

 

女戦士はブレインの言葉を待たず、短剣を抜いて斬りかかって来る。

ブレインは刀の柄で短剣を受け、様子見と言わんばかりに両者は拮抗した。

 

「……せっかちだな。だが、それなりに強いのは分かった。そこの路地に入ろう」

「んふふー、それなりねえ…その顔が糞っ垂れに歪むのが楽しみだよ、ブレイン・アングラウス」

「あんた、名前は?」

「クレマンティーヌ。あんたを殺す女の名前だよー、憶えても損はないと思うけどねえ。……うふふ」

「やれやれ、ゼンベル、その姉ちゃんを任せたぞ」

 

俺にもやらせろと喚いていた彼は、その後の言動をすべて無視された。

 

「ちょうどいい腕試しだな。行くぞ、クレマンティーヌ」

「腕試しかー…あっはっは!舐めてくれちゃってー、ぶっ殺してあげる!」

 

偶然にもヤトとアルベドが殺し合いをしている同時刻、帝都では違う殺し合いが密かに幕を開けた。

 

 

 

 

闘争の終結後、アインズは守護者への対応を求められ、どうしたものかと脳みそのない頭蓋を悩ませる。

 

「キーノ、どう思う?」

「何がでしょう」

 

 特にマーレとコキュートスは精神被害が深刻に見えた。

 コキュートスは原理が不明だが氷の涙を流し、小さな氷柱が足跡に突き刺さっていた。

 マーレは瞳の光を失い、消え入る前の蝋燭のような儚い所在だった。

 シャルティアがペロロンチーノの事を嬉しそうに話していたおかげで、アウラは多少だが復帰しており、馬鹿な友達の話に気のない相槌を打っていた。

 

 ナザリックを捨てたのではなく、現実(リアル)を優先しただけなのだが、結局のところ優先されなかった方は捨てられたと考えても不自然ではない。

 そんな仲間の話をありのままに話すのは気が引けた。

 

 アインズ自身が仲間を偲ぶ(よすが)である大切なNPCが、精神的に再起不能になる事態だけは避けたかった。

 

「皆に真実を話すべきか、それとも違う方法で誤魔化すかと思ってな」

「サトル、かつての仲間は今どこに?」

「私にもわからん……順を追って説明しよう。彼らは私がいた世界で人間として暮らしている」

 

 アインズはユグドラシルが一つのゲームであり、自らはそのプレイヤーに過ぎないことや、この世界に転移した影響で人間を辞めたことを掻い摘んで説明した。

 

「サトルやヤト殿がこちらに来たように、他の仲間もこちらに来る可能性はあるのでしょうか。」

「私が一番知りたいのはそこだ。この世界に仲間が戻る可能性があるのか……と」

「戻って来なくても私がいます」

「そうだな」

 

婚礼前の夫婦は静かに見つめ合う。

精神の沈静化は起きなかった。

 

「そうではなく、今は彼らへのフォローを考えよう」

「ご、ごめんなさい……」

「気にするな、キーノ」

「あの、サトル。声がなんか変です。以前より優しくなってます」

「そうか?」

 

自覚はないがアインズの声は、鈴木悟の声色に変わっていた。

 

「ふむ、私の内的な問題なのだろうか。気に入らなければ意識して元に戻すが?」

「いえそのぅ……えへへ………ドキドキします。」

 

今一つ女性の経験値が少ない彼は、支配者である普段との差異(ギャップ)に、動かない心臓を高鳴らせている可憐な乙女の心中まではわからなかった。

分かった所で精神の沈静化が起きた程度で、大した問題でもなかった。

 

「さっきから話が脱線しているぞ。彼らへの対応を」

「その件ですが、真実を告げない方がいいのではないでしょうか」

「うん?」

「ツアレが言っていましたが、正しければ良いわけではない、と。真実を告げるのは正しいかもしれませんが、最良の選択肢ではありません」

「真実が常に正しいとは限らない…か」

 

アインズの頭上に電球が浮かび、紐が引かれて明かりを灯した。

 

「よし、玉座に行くぞ」

「はい!」

 

二人は不安そうな守護者達が並ぶ玉座の間へと向かった。

 

 

 

 

 帝都の裏路地にある墓地に近い広場では、ブレインとクレマンティーヌの決着がつく。

 金髪のうら若き女戦士は、蹲って呼吸を乱していた。

 申し訳ない表情のブレインは、面倒くさそうに頭を掻いた。

 

「くそっ! なぜ勝てない!」

「武技はお前の方が上手いぞ。俺はそんなにたくさんの武技は使えないからな」

「くそがぁぁ! 死ね! 死ね! 死ねぇ!」

 

 疲労を怒りで塗り替え、悲鳴を上げる体を動かしてなおも斬りかかる。

 コキュートスという鬼教官の稽古と日夜繰り返されるアンデッドの殺戮、更には武器の希少価値により、ブレインの実力は並みの剣士ではなかった。

 対してクレマンティーヌは、アインズに圧殺されてからカジットと共に所属組織の手で蘇生されたが、レベルダウンは避けられず、単純なレベル差だけでも10近くついており、勝ちの目は存在しない。

 

 それでも必死で立ち向かう彼女に、以前にモモンに敗れ逃げ出した記憶を呼び起こされ、ブレインは暗い気持ちになる。

 勝者が敗者よりも暗い顔をしている奇妙な様子に、観客のゼンベル並びに殺されかけた女性、こっそりついてきた野次馬は解せぬ顔をする。

 

「畜生……畜生……」

「なあ、クレマンティーヌ。魔導国に来いよ。鬼教官の稽古で強くなれるぜ」

「ふざけんなよ。化け物に殺されたところを、生き返らせてもらったのに」

「化け物ってどんな奴だ? モモン…アインズ様より強いのか?」

 

 ここで彼女の様相は一変した。

 武器を落として両手で頭を抱え、上下の歯をカチカチと鳴らし、体が大きく震えだす。

 恐ろしいアンデッドに圧殺された記憶は、蘇生されてもしぶとく生き残り、夜ごと彼女を苛んだ。

 その記憶に混ざって浮かぶ言葉、モモン、アインズ・ウール・ゴウンという言葉の意味は分からず、不安にだけ苛まれていた彼女は、ブレインの言葉により全てを思い出す。

 

「あ……ああ……あんたまま……まさか」

「なんだよ……俺、何かしたか?」

 

 目を見開いて涙を流し、震えて失禁しそうな彼女に、ブレインが何か卑猥な事でも言ったのかと外野は視線で責める。

 助けたメイドまでが軽蔑する視線を放射していた。

 

 心外だとでも言いたげな表情のブレインは、落ち着かせようと一歩前に出たが、彼女の怯えは加速する。

 

「来るなぁぁぁあ! 近寄るな! お前まさかあの化け物の一味か!?」

「…何言ってんのかわからん。あの化け物って誰だよ。」

「モモンだよっ!」

「ああ、仲間というか、部下というか。魔導国の王様だしな。」

「…はぁー。あたしって、本当にツいてない。もういいや、疲れちゃった……殺していいよ」

「いや、別に命はいらない」

「追手なんでしょー? 殺してもいいよ、もう疲れちゃった。 あ、もしかして犯してから殺す? いいよ、この体を好きにしても」

 

立ち上がってマントを開き、服を脱ごうとするクレマンティーヌに、外野の軽蔑する視線は鋭さを増した。

 

「……勘違いすんなよ。命なんかいらん。」

「ふざけんなっ! 散々あたしを追い詰めてその言い草は何なんだよ! 殺してよ! もう殺してよ!」

 

 脱力して膝をつき、泣き声交じりの怒号が路地に響いた。

 

 クレマンティーヌは自分の強さに対する自信が故に、自分が眼中にない存在とは思っておらず、ブレインをアインズが放った追手と勘違いする。

 また、ここで死ねば悪夢にうなされることも無いと、誤った希望も抱く。

 

「なんか……」

 

 ゼンベルが何か叫んでいたが、拗れた事態の収拾が億劫に感じるブレインは、ヤトに似た口調で呟いた。

 

「……メンドクセ」

 

涙を流して罵倒する彼女と、何か騒ぎ立てるゼンベルと野次馬に、現実逃避するかのように空を仰いだ。

 

雲一つない晴天だった。

 

 

 

 

 ナザリック地下大墳墓の玉座の間では、今回の見物人だった守護者達が跪く。

 イビルアイを連れ立って入室したアインズは玉座に座り、彼女は後方へ静かに跪く。

 アルベドを見ると、玉座前の絨毯から外れた場所で顔を伏せて跪いていた。

 

「守護者諸君、日々の任務ご苦労。さて、此度の混乱の説明から入ろう。簡潔に説明すると、アルベドとヤトが殺し合いをした。それを止めた私も十分なダメージを負った。それだけの事だ」

「アインズ様、アルベドへの制裁は如何いたしましょう」

 

デミウルゴスが顔を上げ、冷徹な声で問う。

 

「此度の事態、招いたのは私の勘違いや思い込みに端を発する。故に、私は自らへの制裁も兼ね、超位魔法を発動した。以後、アルベドへの制裁は済んだものとし、異論は私への裁きを呈すと知れ。その上で、異論がある者は立ってそれを示せ」

 

誰も異論を示さないと予想していたが、アインズの当ては外れる。

 

「アインズ様、無礼を承知で申し上げます。アルベドは至高の41人であるヤトノカミ様を殺そうと致しました。それだけでも死罪と思われますが、いつかお戻りになる御方々へ、明確な殺意を公言しております。のうのうと生き永らえ、何ら変わらずに守護者統括として存在するのは見過ごせません」

「そうです。アルベドはペロロンチーノ様を裏切り者と言いました…許せません」

 

立ち上がったデミウルゴスはシャルティアに同調され、眼鏡を正してアルベドを睨む。

抑えられているが、目には明確な敵意の光が宿っていた。

 

アインズは困ると同時に嬉しくなる。

 

 ウルベルトさん、ペロロンチーノさん、あなた達の子供は、俺に文句を言う程に成長しましたよ……嬉しいなぁ……。

 

「……お前たちの言う通りだ。」

 

 自分の親を(けな)されて怒る気持ちも、自分たちを捨てたと怒るアルベドの心情も、アインズの為に仲間のNPC()を殺そうとするヤトの気持ちも、以前ならわからなかっただろうが、今は痛いほどわかる。

 

「ヤトを殺そうとしたアルベドは相応の業を背負うだろう。だが、此度の事態は先ほど話した通り、全ては私が招いた事態だ」

「わかりました!」

 

やけに力の入った声が玉座の間に木霊する。

視線を独占して、颯爽と立ち上がったのはパンドラだった。

 

「アインズ様! その先の説明は、このパンドラズ・アクターにお任せを!」

「う、うむ。話してみよ。」

 

自分で作ったくせに、彼の事だけは未だによくわからなかった。

 

「感謝の極み! デミウルゴス殿、アインズ様とヤトノカミ様は共に至高の41人の御帰還を願っております。しかし、言い換えるならば可能性が低いと、暗に認めているからなのです。」

「ほう…なるほど、戻る可能性が高いのなら願う必要はなく、ただ待てばいいというわけか。」

 

あながち間違いではないパンドラの意見に、アインズは感心する。

 

「左様! ヤトノカミ様を全力の殺意を持って殺そうとしたアルベド殿を、アインズ様が御許しになる理由。仲間の帰還を渇望なさっているアインズ様は、僕である我らに創造主、至高の御方々を見ていらっしゃるからです。」

 

「パンドラ、それは私も考えたのだが。仮に戦っているアルベドに、タブラ・スマラグディナ様の面影を重ねたとしよう。しかし、残された結果は、アルベドがヤトノカミ様を殺そうとした点だ。それでアルベドを許すのは短絡的ではないだろうか。」

 

「迷惑を掛けられてこそ、僕とは違う真の同胞として思えるのです。タブラ・スマラグディナ様はアルベド殿、その姉君・妹君を創造する際、大層作り込まれたと聞き及んでおります。 精魂込めて作り込まれた結果がアルベド殿の暴走であれば、それは元を正せば創造主であるタブラ・スマラグディナ様、更に事態を拗らせたアインズ様、アルベド殿を力ずくで亡き者にしようとしたヤトノカミ様、至高の御方々への責任が及んでしまいます。」

 

パンドラは軍靴を鳴らして玉座の前に出た。

 

「なれば! 我らは偉大なる支配者、ウァ()インズ様の意を汲み、それに従うべきです!」

 

ビシッと敬礼する彼は、視線を独占したままに止まる。

同時に場の空気も止まった。

 

「パンドラ、ご苦労だった。下がって良い。」

 

一礼をして下がる彼を待ち、体が固まってしまったデミウルゴスへ問う。

 

「シャルティア、何か異論はあるか?」

「アインズ様……私は、私はそれでも……ペロロンチーノ様を裏切り者呼ばわりしたアルベドを……許せません。」

 

ペロロンチーノさん、こんなに愛されて羨ましい限りですね。

 

「アルベド。」

「はい」

 

俯いていた美女は顔を上げた。

 

「お前は私に愛せよと命じられた。そのお前が、至高の41人を憎んでいるのであれば、私は設定改変という手段をもってお前を殺そう。だが、彼ら全員を許すのであれば、私はお前を愛そう」

「アインズ様……」

「選ぶのは私ではない。無残な死を求めるのであれば構わん。それがお前の器だったのだろう。その程度で安易に死ぬのであれば、この先を私と共に歩むことはできん」

「私の心は決まっております。本当は捨てられていないと知っていても、赦そうと思えないのはアインズ様への愛が故。アインズ様の……主人の裁定に従うのは女の務めでございます」

「そうか…では、シャルティア、並びに迷惑を掛けた守護者へ謝罪をせよ」

 

 アルベドは女神のように微笑み、守護者達へと向き直る。

 

「シャルティア、並びに守護者の皆、今回の一件は全て私の暴走。皆に迷惑を掛けて、本当に申し訳ありませんでした。如何なる罰も甘んじて受ける所存ですが、ここに謝罪を述べさせて頂きます」

 

 美しい淫魔は三つ指をついて頭を下げた。

 

「シャルティア、私からも頼もう。アルベドを許してやってくれないか。」

「あぅぅ……アインズ様が、そこまで仰るなら……仕方ないでありんす!」

 

 牙を突き出して鼻息荒く胸を張ったシャルティアは、なんとか機嫌を取り戻したように思えた。

 内心はそこまで戻っていないが、アインズの前でこれ以上食って掛かるのも気が引けていた。

 

「デミウルゴス、お前の怒りは最もだ。私の超位魔法で片づけようと思っていたが、アルベドは今後落ち着くまで謹慎処分としよう」

「私の我儘を聞いて頂き感謝いたします」

「シャルティア、我が盟友ペロロンチーノに、変わらないシャルティアを見せてあげたいものだな」

「こなたもペロロンチーノ様にお会いしたくありんす」

 

二人は改めて跪き、アインズは立ち上がって玉座を降りた。

 

「マーレ、アウラ。」

 

暗い顔の二人は顔を上げる。

瞳に光は無かった。

 

「両名、ぶくぶく茶釜さんの事で聞きたい事もあるだろうが、今は私の話を聞くがいい」

「はい」

「我らは元人間だ。リアルという世界では、どこにでもいる普通の人間に過ぎない」

 

デミウルゴスが息を吞む音が聞こえた。

 

「リアルという世界はな、我ら人間を搾取するためだけの世界なのだ。ヤトが言っていたのでわかると思うが、生きるためにここを去らなければならなかった。誰もナザリック地下大墳墓を捨ててなどいない」

 

双子が顔を上げたのを確認し、アインズは割って入らせないように言葉を続ける。

 

「我らが人間であろうと、そうでなかろうと、各々へ愛情を持って創造した存在であることに変わりはない!」

 

「…………茶釜さまぁ」

 

泣き声が漏れたマーレの頭を優しく撫でる。

 

「マーレ、アウラ、よく聞きなさい。ぶくぶく茶釜さんはお前たちを憎んでなどいない。あの人は人間としてリアルを生きている。あちらの世界に行ける手段を探そう、そして共に迎えに行こう、お前たちの親を」

 

「あ……ぅ……うわああああん!」

 

言葉にならない悲しみの奔流だった。

涙を溢れさせて飛びつく彼を、アインズは優しく抱きしめる。

アウラは自分も抱き着きたい心情を必死で堪え、弟の為に俯いて堪えた。

 

皆はマーレの叫び声を黙って聞いていた。

 

 

落ち着いたマーレとアウラは守護者達の元へ戻り、アインズは項垂れているコキュートスの前へと歩み寄る。

 

「コキュートス、お前は強い。攻撃力だけであれば右に出る者はいないだろう。そのお前が、そうあれかしと作った武人建御雷を、疑う事は許さん」

「アインズ様、建御雷ハ弱イ私ヲ、見限ッタノデハ」

「至高の41人でナザリックを捨てたものはいない。これは全ての大前提だ。人間を辞めたとしても、ここで末永く暮らせると分かれば、全ての者は帰って来る」

「建御雷様……」

「わかったら面を上げよ、攻撃力で比肩する者なきお前が、弱気になっている姿は見たくない。」

「……アリガタキ……オ言葉」

 

 コキュートスはようやく前を向いた。

 

「ナザリック第六階層守護者、コキュートス。更ナル忠義ヲ持ッテ、君主ノタメ、創造主ニ恥ジヌ働キヲ誓イマス」

 

 体全体から冷気を吐き出す彼は、もう大丈夫だろう。

 ここまでは多少の差異こそあったが、全てはアインズの想定通りだった。

 ここからデミウルゴスが挟んだ口だけが想定外だった。

 

「アインズ様。もしや妻を娶る段階になられたのでございますか」

 

「あ、ああ。私はお前たちの後ろにいるイビルアイとアルベドを妻に迎えよう。ナザリック地下大墳墓の支配者である私が、一人しか妻を娶らないのは不自然であろう」

 

 察しのいい彼は、アルベドを愛そうという一言で、さりげなく悟っていた。

 

「私の疑問に答えて頂き感謝いたします。アインズ様、よろしければ人間であった時のお姿をお見せ頂けないでしょうか。絶対の支配者であり、我らの王であるアインズ様に関する知識は、全て知っておきたいと思うのは部下の務めでございます」

 

「デミウルゴス、悪いがそれには答えられない。私自身、よく覚えていないのだ。ヤトのように人間に化ける術が使えるわけでもない。唯一言えるのは、黒髪黒目でヤトの人化の特徴によく似ている」

 

「ほう、なるほど。ヤトノカミ様の人化に似ていらっしゃるのですね。差し出がましい口を利いた私をお許し下さい」

 

 パンドラとデミウルゴスは目で合図を送った。

 

 その後、当面の目的はスレイン法国の無力化、アイテム奪取、異世界へ行く方法が記された蔵書の捜索、魔導国領内における異邦人の情報確認へと話題が移っていった。

 

 シャルティアは今まで以上に瞳に闘志を燃やし、自分の花嫁修業に加え、いつか戻る愛しい主の為にハーレムを用意しようと騒いでいたが、元気になったアウラにわき腹を蹴られていた。

 

「ヤトはしばらく外出禁止、アルベドはナザリック内で謹慎処分とする。全員周知徹底せよ。自室外で二人を、特にヤトを見つけた場合は即時捕縛、拘束し自室へ放り込め。これはナザリック地下大墳墓の主神、アインズ・ウール・ゴウンの命令である」

「畏まりました、アインズ様」

「今回の一件はナザリック外はおろか、他の僕たちにも口外無用だ。以上を持って解散とする」

 

 室外に出ていく守護者達は持ち場に戻ろうと廊下を移動したが、パンドラとデミウルゴスは別方向へと歩いて行った。

 

「デミウルゴス殿」

「やはり、気づかれてしまったか。我らはアルベドのように女としての立場ではないからね」

「その通り!御方が人間であると分かった今! 全ての謎は解け、我らがこなすべき当面の案件は打ち出されたのでございます!」

「王都を任せていいだろうか。私はカルネ村に行こう」

「お任せください、デミウルゴス殿!」

 

 何か物騒な打ち合わせをする彼らの心中は、誰にもわからなかった。

 

 

 

 

ヤトの自室へ単身転移すると、件の大蛇は全身を包帯で巻かれていた。

口の辺りに巻かれた包帯の隙間から、黒焦げになった舌が覗いている。

意識を取り戻しているが、舌が中までじっくり(ウェルダン)に焼かれてまともに喋れないのをこれ幸いと、ラキュースは長い説教の真っ最中だった。

 

「女に手を上げるなんて最っ低!」

「……」

「……アインズさんのためだって、だから馬鹿なのよあなたは! どうして違う手段を取れないの!? 武力にものを言わせて強硬手段に出るなんて、馬鹿もここに極まれりね。二人が喧嘩したら遠慮して誰にも止められないのよ。イビルアイやアインズ様まで巻き込んで恥ずかしくないの? 絶対許さないからね!」

「……」

「だからそうじゃないでしょ、私が……どれだけ心配したと思ってるのよ……本当に、馬鹿なんだから」

「……」

「レイナに助けを求めるな!」

 

 険悪な空気で喧嘩の真っ最中かと思われたが、徐々に微笑ましい夫婦漫才の様相を呈し、アインズは咳払いで自らの存在を主張する。

 

「あら、アインズ様。」

「調子はどうだ?」

「包帯の交換は一日に二度です。洗面器は直ぐに赤くなるので、できれば室内に大量の水を置いて頂けると助かります。食事の必要はないとの事でしたが、いっそのことアイテムを外してこのまま眠らせてはいかがでしょうか。喋れないくせにぼそぼそと五月蠅いので、黙らせる妙案でございますわ」

 

 甲斐甲斐しく世話をするレイナースの代わりに、ラキュースは丁寧に説明してくれた。

 

 超位魔法で焼け尽くされた蛇を自室へ監禁することになった顛末は、レイナースが提案し、ラキュースが全力でそれに乗っかったのだ。

 少しやりすぎだろうと思ったが、嫁二人の夫婦水入らずで過ごせて、女性はとても嬉しそうだった。

 

 

 焼けただれた皮膚の大蛇を見て、最初こそ取り乱した二人はアインズの説明により状況を把握し、ラキュースは般若の形相で気絶しているヤトを睨んでいた。

 気絶しているヤトを自室のベッドに寝かせ、傍らで怒りを露わにする彼女はヤトへの制裁を提案した。

 

「ラキュース、いっそのこと外出禁止にしよう。それが一番の薬だ」

「いい考えね、レイナ!」

「そこまでしなくてもよかろう。今回の件は元を正せば私が――」

「そうだとしても、迂闊に甘やかすと癖になります。馬鹿夫の教育は私にお任せを。今は彼女もいます。」

「あ、あの、初めまして、アインズ・ウール・ゴウン様。レイナース・ロックブルズ………アインドラです。」

「帝国から連れ帰った妾だな。よろしく頼む……………ちょっとまて、アインドラとはどういうことだ?」

「養子縁組を致しました」

「……よくわからんのだが、詳細を聞いてもいいか?」

 

 結局、長話の最中にヤトが意識を取り戻すことは無く、妾が家族になった顛末を聞いたアインズは、メイドに医療品を運ぶように指示を出して立ち去った。

 

 

 過去の回想に耽っていると、ヤトがレイナースにぼそぼそと何かを耳打ちしていた。

 

「アインズ様、彼が何でもいいから早く治してほしいと申しております。」

「駄目だ、お前は行動が短絡的すぎる。あの場で俺が止めに入らなければ本当に殺していただろう。」

「……」

「何だって?」

「殺しても生き返らせればいい、と」

「ナザリック内で殺し合いなんか、見たくないのだ…。今回は最後まで私が面倒を見よう。お前はそこでゆっくり休め」

「……」

「せめて話ができるようにしてくれ、と」

「それも駄目だ。妻が二人になったのだから、たっぷり甘えて療養しろ。重婚も悪くないぞ」

 

 アインズはンフィーレアお手製の試作品ポーションを、ラキュースに手渡した。

 

「これをスプーン一杯程度、毎日飲ませるといい。五日後には完治する」

「ありがとうございます、アインズ様」

「食事は室外で待機するメイドに言ってくれ。すぐに何かを運ばせる」

「何から何まで感謝します」

「……」

 

 ヤトは包帯の隙間から覗く赤い瞳で責めていたが、その場にいた全員が無視をした。

 唯一動かせる尾の先がじたばたと暴れていたが、レイナースに抑えられ観念して愚痴を零した。

 

「……」

「大丈夫だ、私とラキュースが側に居る」

「……」

「私じゃ………だめ?」

 

 悲しみに満ちた上目づかいで上から見下ろすレイナースは、帝都から連れ帰った凛々しい彼女ではなかった。

 彼女は一人旅に出たらしく、今となっては蛇の自分に怒って斬りかかって来たのが懐かしかった。

 

「私が邪魔ならそう言って欲しい。ラキュースと二人で過ごす邪魔をしている自覚はある。せめてヤトノカミが回復するまでは身の回りの世話をさせてくれないか」

「……」

「ありがとう。私もお前が好きだ、ずっと一緒にいる。死んでも離れないから覚悟しろ」

 

「好きにしろ」を「好きだ」と聞き違えて喜ぶレイナースに、ヤトはどうしたものかと包帯の中で悩む。

 下らない平和な二人を余所に、ラキュースとアインズは離れた所で密談をしていた。

 

「本気で不満を呈すようであれば、私を呼ぶといい。ナザリック正規品のポーションであれば、あの程度の傷は直ぐ治る」

「いえ、それはご遠慮いたします。夫と二人で何不自由なく過ごせて、とても満足しておりますので」

「それもそうだな。ラキュース、私はアルベドとイビルアイの二人と結婚する」

「おめでとうございます、アインズ様。ですが、よく皆様が了承なさいましたね」

「うむ……自分でも強引だった。心から私を愛している彼女が、可哀想になってな」

「アルベド様を大切になさって下さい。イビルアイをよろしくお願いします」

 

アインズは急に顔を近づけ、声が聞かれないように調子を落とした。

 

「…………あの馬鹿に、ありがとうと伝えてくれ」

「はい、お任せください」

「すぐには言うなよ。調子に乗るからな」

「心得ておりますわ」

 

 それ以上は言葉を続けず、アインズは照れ臭そうに頬を指で掻く。

 微笑むラキュースの視線に見送られ、アインズは部屋を後にした。

 

 ヤトに歩み寄ろうとしたラキュースの足元に、黒い何かが落ちていた。

 

「あら、これは何?」

 

 床に落ちていたのは猿の手だった。

 ヤトは王都の執務室に飾ってあった妙なミイラの手を、何とはなしに持ち帰ってしまい、アルベドとの戦闘準備でアイテムボックス内の余計な道具を自室にばら撒いていた。

 

 立ち込めた嫌な予感に包帯で巻かれた大蛇は全力で暴れるが、体が少し跳ねただけだった。

 

「落ち着きなさい、暴れると傷に障るわよ。心配しなくても私はあなたとずっと一緒よ……きゃっ!」

「どうしたの?」

「動いた……このミイラの手みたいなアイテムが、手の中で震えたのよ」

 

 レイナースは猿の手を拾い上げるが、特別に変わった箇所は見られなかった。

 

「気のせいじゃないか?」

「変ねえ……」

 

激しく動いているヤトの尾が目に入り、レイナースはそのまま彼に近寄る。

 

「どうした、痒いのか?私もラキュースと一緒に側に居るから、安心して休んでいい。三人でずっと一緒に居られればいいのに……あっ!」

 

 再び猿の手は床に落ちた。

 

「どうしたの?」

「動いた。手の中でぶるぶると震えた……」

「あら、消えていくわよ。ねえ、ヤト。これって何かのマジックアイテムだったのかしら。」

 

 

猿の手が何かを知らないヤトは答えられなかった。

アインズのコレクションを無断で使用してしまい、使用済みのアイテムが消えた現実から目を逸らしていた。

 

「答えなさいよ、この馬鹿蛇め。この、この」

「あ、私も。ほら、吐け、洗いざらい吐いてしまえぇ。」

 

 包帯の上から二人の女性に体をくすぐられ、ただでさえ全身の鱗が火傷の再生で疼いて痛痒い彼は、居心地の悪さに可能な限り体を捻った。

 

 包帯の中へ幽閉された彼の自室謹慎一日目は、女性二人にくすぐられて楽しそうに過ぎていった。

 

 

 

 

 王都の王宮中庭に、デミウルゴスとパンドラが作成中のダンジョンは、建設途中で放置され、マーレが空けた大穴は変わらずにそこにあった。

 

「ガゼフ戦士長! 帝都の出張、お疲れ様です!」

「副長、久しぶりだな。騎士の姿が見えないのだが、一体どうしたのだ?」

 

 数日の休みをもらったガゼフは、ザリュースを連れ立って王宮へと出勤した。

 しかし、騎士やメイド、来訪者で賑わう王宮は静まり返っており、のんびりと掃除をするメイドの姿が見える程度だった。

 

「はい、訓練用のダンジョンを中庭に建設中でして、騎士たちは自由行動となっております」

「自由行動……か」

「裏庭は空いておりますので、そちらに行きますか?」

「ああ、行こう。ザリュース殿、休んだ分を取り戻すために、剣の稽古をしよう」

「はい、よろしくお願いします。ガゼフ殿」

 

 真面目な両名が中庭の横を通り過ぎた。

 

 暇なブリタとティラは退屈そうに庭の縁石に腰かけ、膝を合わせて頬杖をついていた。

 空は雲一つない晴天で、太陽の光が降り注ぐ。

 

 近頃、そばかすの数が気になるブリタは、日光を避けようと日陰の縁石に移り、彼女の貞操を密かに奪おうと狙っているティラは、一緒に付いて回った。

 

 ティアとティナは退屈に耐え切れず、帰還したガガーランを誘って冒険に繰り出し、しばらくは戻ってこないだろう。

 

「アインズ様、今日もいませんねー……」

「夜伽の練習という手もある」

「アインズ様って、女性に興味ないのでしょうか」

「押し倒して知るべし」

「推して知るべしですよ……何言ってるんですか」

 

 取り止めのない話を雲の代わりに流していると、赤黒い転移ゲートが目に入った。

 

「おぉ、うら若きお嬢様方! 雲一つない晴天の下、求める太陽はアインズ様ではありませんか? ならば! アインズ様に咲き誇る花束を捧げる一手は、このパンドラズ・アクターが――」

「うるさい」

「私の話は、ここからなーのに」

 

 ティラに長台詞を遮られ、顔を隠すように帽子を正したパンドラに、ブリタが応えた。

 

「アインズ様は帝国に行きました。ダンジョン建設中で稽古もできません。冒険に出ようにも勝手に出るわけにもいきませんし、一人で行っても仕方ありません。何もやる事ありませんよ」

 

「お嬢様方、アインズ様は直属の部下である我ら守護者に対し、自らの生い立ちをお話になったのでございます。しかし! それを口止めもせず、デミウルゴス殿の妻を娶る段階を肯定し、更には自らの出生の秘密まで授けて頂き、それを口外無用と致しませんでした。つまり、女性を囲う段階になったのでございます!」

 

 帽子を深く降ろして二人の前に跪く彼は、今までで一番絶好調だったかもしれない。

 

「アインズ様は自らが人間である事を我らにお話になった。そこで我らは納得したのでございます。なぜ人間に対してお優しいのか! なぜ人間の女性ばかりを魔導国に置いておくのかを!」

 

 パンドラは芝生の上で軍靴を合わせ、乾いた音を立てた。

 

「人間であった過去を忘れられない御方は、それ故に種族に関わらず全ての生きとし生ける者へ慈愛を降り注いでくださいます。我らは御方の意を汲み、言葉ではなく行動でこた」

「早く本題を言え」

 

 ティラとパンドラの相性はすこぶる悪かった。

 

「むぅ……失礼しました。簡潔に説明すると、アインズ様の妾になりませんか?」

 

「ちょ……ん。ええ? ええ………へえ…えええ!?」

「待ってました」

「アインズ様は元は人間でございました。なればこそ、人間の女性に興味を持ってもおかしくはありません。恐らく数日の内にアインズ様が結婚なさると通知が入るでしょう。しかし、妻は妻! 生の儚き人間から妾を選ぶのは至極当然! アインズ様はヤトノカミ様が回復なされば、快気祝いを行われるでしょう。それこそが私とデミウルゴス殿に妾を集めよと命じられた天啓!」

「話長い。でも妾にはなりたい」

「おぉ、麗しい忍者姫、話が早くて助かります。早速ですが――」

「ちょっと! 待って! ええと…アインズ様は元人間? 人間の女性に実は興味がある? 結婚するって相手は? 私にも可能性はありますか!?」

「アインズ様は慈悲深く、またその器も我らに測れぬほど大きな御方。祝福の鐘を鳴らしましょう! 正妻へ光の祝福を!妾になる自身へ祝福の鐘を鳴らすのです!」

 

 パンドラの台詞でブリタの頭が空白になったと同時刻、デミウルゴスはカルネAOG()にて、アルシェとエンリに同じ内容の話をしていた。

 

「ダメエ!」

 

横で話を聞いていたネムは、エンリの腕にしがみ付く。

 

「ネム、どうしたの?」

「お姉ちゃんはンフィー兄ちゃんと結婚するんだもん! だから行っちゃダメ!」

「……え?」

「……げ」

 

面食らうエンリ、顔を瞬時に真っ赤にさせるンフィーレア、強い目力で姉を止めるネムのこう着は更なる迷走をする。

 

「アインズ様の妾は私がなるもん!」

 

三名は沈黙に支配され、少し離れた場所では同様に妹が姉を止めていた。

 

「お姉さま、好きでもない人の妾になっちゃいけないんだよー?」

「私がなる! アインズ様と結婚するから、お姉さまは好きな人と結婚していいからねっ!」

「二人とも、意味わかって言ってるの? その年で結婚なんて。」

 

「なるほど……悠久の年月を生きるアインズ様に、自分好みに育てる戯れを提案するのも面白いですね。よいでしょう。本来であれば下等な人間にこんな話はしませんが、アインズ様の出生は人間。私も多少は寛大になりましょう。」

 

 

 デミウルゴスは眼鏡を正し、腕を後ろに回してつかつかと二組の妹達へ問いかけた。

 

 ロバーデイク、ヘッケラン、イミーナは、何と言っていいのかわからず、騒ぐ女性陣を遠巻きに眺めていた。

 明らかに人間を下等生物と見下し、自分たちを指先一つで殺せそうな悪魔の前で、それ以外に何もできない。

 

「将来、美しく咲き誇るのであれば、花を咲かせる戯れを御方に提案いたしましょう。あなた達はヤトノカミ様の快復を待ち、アインズ様に拝謁なさい。なぜなら、正妻の一人であるイビルアイ嬢、彼女の身体年齢は12歳なのです」

 

「クーデはアインズ様のお嫁さんになるー!」

「ウレイもなるー!」

「ずるい! ネムも行くもん!」

 

 挙手するちびっこ三名に、保護者として同伴する事になったアルシェは、自分がどうしたいのかまだ迷っていた。

 妾にならなくても、妹の暮らしは保証されるだろう。

 しかし、男性に関心が無いわけでもなかった。

 

「私は……どうしよう……」

 

 

 

 

 ヤトが病床に臥せって三日後、アインズは経過の観察に彼の自室を訪れた。

 帝国では取り残されたブレインとゼンベルにより軽い騒ぎになっていたが、適当に観光し終えた後に帰還せよと指示だけ出したアインズが、彼らを顧みることは無かった。

 

「快気祝い?」

「ああ、あと二日もすれば容態も回復するだろう。桜の木の下で酒でも飲まないか?」

「んなことより、さっさとポーションでも掛けて下さいよ。だいたいこの状態じゃ夫婦生活もできないじゃないスか。つーか、アルベドはどうなったんスか。責任とって結婚するって、寝言は寝てからにしてっつんですよ。仲間を殺そうとした女と結婚なんかしますかね、ふつー。女性に手を掛けるのが嫌なら、俺が殺りましょうかぁ?」

 

 二日ぶりに会った彼の口は良く回った。

 当の本人は人型に変わり、全身に包帯を巻かれ、車椅子に座らされている。

 くどくどと文句を言う彼は、顔まで包帯でくるくると巻かれており、表情は一切うかがえなかった。

 

「そう言うな。元はと言えば俺が余計な事をした影響だからな。責任くらい取る、俺に任せてくれ。お前は二度とアルベドと戦うことは無い」

「何がどうなって結婚になんスカ? だいたい性欲の薄められたアインズさんが、女に惚れるとかあるんですかぁ? 仕方なくならやめた方がいいッスよ」

「いや、薄いが興味はある。タブラさんに何て言えばいいのかはわからんが、対外的には聡明で美人なアルベドなら相応しい。俺の知的好奇心も満たされる。何より人間の残滓は大分前からアルベドに傾いていたからな」

「人間の残滓ねえ………まぁ……それでいいなら、別に構わないんですけどぉ。いや、何より重要なのは、なんで俺の体を治してくんないんスカ。ポーション一本で治るでしょ」

 

 体の治療は経過観察に移り、現時点で最も重要なのは、彼が外出禁止を破らない事だけだった。

 ミイラ男の体は厳重な拘束具にて車椅子に巻き付けられている。

 古代エジプトの君主(ファラオ)も、ここまで邪険にされたことは無いだろう。

 それでも彼が本気で抜け出そうとすれば、一秒たりともまともに拘束できなかった。

 アインズは彼が大人しく捕まっているのは、二人の嫁に構われるのを楽しんでいると判断する。

 

「そんなに不満でもないだろう。私の目には、この状況を楽しんでいるように思えるのだが。俺の嫁を殺そうとした罰とでも思え」

「酷くねえッスか?俺が誰の為に――」

「ありがとう、全部お前のお陰だ」

「………アインズさん、変ですよ、口調が。何かありました?」

「そうか?」

 

 アインズは指を顎に当てて間を空け、険のない言葉で続けた。

 

「俺も少しは支配者らしくなったって事だろう。お前が馬鹿のお陰だな」

「ふうん………そんな感謝はいらないんで、早く治してくださいよ。何なんスか、俺ばっかり酷い目にあって」

「本当に治していいのか? 二人に甘えられなくなるぞ?」

「……けっ。俺はアルベドを赦したわけじゃないスからね。隙あらば首を落としてやる」

「ラキュース、レイナース。夫の教育が上手くいって無いようだな。」

 

「申し訳ありません。あと二日ありますので、それまでには何とか」

「申し訳ありません。私たちの力不足でございます。この非礼は命でお詫びを」

 

 レイナースはヤトの刀を取り出し首に押し当てるが、刃と峰が逆だった。

 ヤトは気付かずに慌てた声で止める。

 

「おい、やめろ馬鹿」

「馬鹿に馬鹿と言われたくはない」

「お前の方が馬鹿だろ。いいから刀を離せよ馬鹿」

「うるさい馬鹿。私の言う事を聞けないなら、そこまで他人に迷惑を掛けたいなら私が死んでからにしろ」

「卑怯だぞ、自分の身を人質に取るな馬鹿」

 

 痴話喧嘩をする二人の言葉に馬と鹿が大量に行き交う。

 ラキュースはそちらに構わず話を続けた。

 

「快気祝いの場所はどちらでなさるのですか?」

「第八階層、桜花聖域だ。参加者も私とアルベド、イビルアイ、それにお前たちだ。荒らすと管理者に怒られるだろうが、人数も少ないから問題あるまい」

「初めてお会いする方ですわね」

「不老の女性で、種族は人間だ。ナザリックでも珍しいから、ラキュースとレイナースの話し相手にもよかろう」

「お会いするのを楽しみにしております」

 

 全ての僕に面通しをしていないラキュースは、中学二年生に変貌する病気によって胸を高鳴らせた。

 

「アインズさん、お願いがあるんですけどぉ」

「何だ、言ってみろ。多少の事は頑張って叶える」

「お風呂に入りてえっす」

「わかった。外のメイドに伝えておく。大浴場以外は立ち入らないように」

「それから……」

 

 ヤトは小さな声で前々から思っていた提案をするが、髑髏のアインズは表情を曇らせた。

 

「駄目だ」

「何で?」

「勿体ないだろう」

「俺を酷い目に合わせたのは誰のせいッスか。こちとら新婚なのに体が動かなくて不憫してるんでぃ。だいたい俺がなんでこんな目に遭ってんのかと問い詰めたい。俺だって頑張ったのに、なんて悪い扱い! 新婚で嫁が増えたというのに、女も抱けずに何なんスカこれは! イジメか!? イジメだな! うわあああん!」

 

やけくそな最後の叫びは何の意味も無かったが、アインズに不満は伝わる。

二人の女性は元気になった伴侶の様子に、顔を向かい合わせて笑っていた。

 

「はぁ……仕方のない奴だな。一回だけだぞ。アルベドとも仲直りすると約束するなら、一回だけ叶えてやる」

「よっしゃー」

「なんだ、その気のない返事は。お前が言い出したんだろ!」

「ふん、叶えて当然でしょ。俺がこんな目に遭ってんのに、一人だけのうのうと新婚生活を送ろうなんざ、お天道様が許しませんぜ」

「太陽はナザリックに当たらないな」

「じゃあ魔導国の蛇が許しません」

「魔導王に対してか?」

「うるさいな! わかったらご退場願います! 俺は風呂に入る!」

「絶好調だな。気が進まないが、いつかは検証するべき事案だ……しかし、勿体ないなぁ」

 

アインズの言葉は彼に聞こえておらず、ラキュースとレイナースを急かして風呂の支度をしていた。

 

「包帯の下は服を着ているのか?」

「全裸ですよ、全裸! 疼いて痒いったらありゃしない!」

「そ、そうか……ラキュースに渡したポーションを全部振りかけて貰え。」

 

 車椅子をラキュースに押され、レイナースに着替えを持たせ、メイドに案内されて家族風呂に向かうヤトは、いつになく嬉しそうだった。

 二人の女性に死んだ皮膚を擦られ、痛みに喘ぎながらもこの日で彼は完治した。

 

 

 

 

 二日後、魔導国の内政を簡単に確認したアインズはナザリックへ戻り、ヤトの快気祝いに酒と料理を第八階層に運ばせた。

 王宮で退屈しているかと思われたティラとブリタの姿はなく、ガゼフとザリュースに一声だけかけ、王宮を後にした

 不満を呈すかと思われた桜花聖域の領域守護者、プレアデスの末妹は快く承諾し、至高の41人の妻に会えるのを楽しみにしていると言っていた。

 

いつもの服ではなく、白いタキシードを元に製造された衣服に着替えたアインズは、イビルアイとアルベドが見守る中、マジックアイテムを使用する。

 

「はぁー……勿体ないなぁ……」

 

 脳裏にじたばたと暴れまわるヤトが浮かぶ。

 大きなため息を吐いて決意を固めた彼は、右手の人差し指を高く掲げる。

 

「さあ、指輪よ。私は願う(I WISH)!」

 

 自分の脳が大宇宙の知識そのものと連結したような、知性欲を無限に満たす幸福感、その後に訪れる大切な何かを失う未来を見たような絶望感、その狭間に魔力の源泉とも思える何かの存在を感じた。

 大きな波が彼の胸を襲い、《星に願いを(ウィッシュ・アポン・ア・スター)》がユグドラシルより強大な魔法を叶えるものに変容したと分かった。

 

「私を一時的に人間に戻せ!」

 

 声が響き一拍後、魔方陣の中心にいたアインズの体が光る。

 

「サトル!」

「アインズ様!」

 

 光は空に昇って行き、白いタキシード姿の黒髪黒目の人間が立っていた。

 アインズは肉の着いた手を珍しそうに眺め、上にかざして血潮を確認する。

 

「ふむ、こんなものか。あまり感覚に差は無いな」

 

 鈴木悟に戻ったアインズは、物珍しそうに自分の顔をペタペタと触る。

 憂いを帯びた暗い光を放つ瞳、サラサラと流れるミディアムの黒髪、鼻と口の堀は浅いが穏やかで優しい印象を与え、29歳成人男性の好青年だった。

 気怠そうな顔立ちのヤトとは真逆の優しそうな男性、それがアルベドとイビルアイが抱いた印象だった。

 そんな相手を目の前にして理性で抑えられる訳もなく、愛する事を肯定されたアルベドは不正出発(フライング)する。

 

「モモンガさまああ!」

 

 口を蛸のようにして吸い付く準備万端の彼女は、美貌を崩さなかった。

 

「止まれ、アルベド………のわあ!」

 

 鈴木悟は掌を突き出してアルベドを制する。

 と、想定通りに行くはずもなく、アルベドはその剛力を持って彼を押し倒し、事態の困窮を察したイビルアイが後を追う。

 

「モモンガさま、なんと慈悲深くも穏やかで可愛らしいお姿! アルベドは我慢が出来ませんわぁ!」

「アルベドさん! またサトルに怒られるから、今は抑えてくれ!」

 

 今にも悟の服を脱がそうとしている処女の淫魔は、色白な手で頭を鷲掴みにされた。

 

「……失望したぞ、アルベド。お前はこの程度も我慢が出来ない、節操のない女だったのか。本当はヤトでもいいのではないか?」

「モモンガさま! 私は――」

「離れないと婚姻を解消するが、どうする? 私はどちらでも構わんぞ。」

 

 声こそ優し気だったが、彼の声は乙女の心に深く突き刺さり、アルベドは自らの理性と戦いながらゆっくりと立ち上がり頭を下げた。

 

「……申し訳ありません、取り乱しました」

「次は無い。服が汚れてしまったな。キーノ、そこにあるブラシを取ってくれ」

「あ、はい」

 

 

 傍目には支配者たる彼に怒られる女性の構図だったが、彼の中ではそうではない。

 今にも止まってしまいそうな心臓の鼓動を、必死で抑えるので精一杯だった。

 

あっぶねー!よかったぁ、奇声を上げるとこだった。女の人怖いよぅ…精神の沈静化も無いから、アルベドをよく御しておかないと駄目だな。

 

 女性経験のない彼が美女に押し倒された経験など無く、よく平然と持ちこたえたと惜しみない称賛と拍手を自らに捧げた。

 

 二人を待機させて服にブラシを掛け、鳴りやまぬ血の通う心臓と戦うアインズは、第八階層への到着が大幅に遅れた。

 

 

 待ちくたびれたヤトは桜の木にもたれ掛かり、オーレオールへの挨拶もそこそこに副料理長が運んだ酒を飲んでいた。

 ラキュースは中二病全開で、オーレオールと嬉しそうに様々な話をしており、あぶれた(アンチ)中二病のレイナースは、ヤトの隣でお酒を飲み始めた。

 

 アインズが鈴木悟になって第八階層に到着したのは、ヤトがブランデーを一瓶も空けてからだった。

 

「……悪かったな」

「おっそいなー。何してんスか」

「……どう思う?」

 

 三歩後ろにアルベドとイビルアイを付き従えた鈴木悟は、白いタキシードの両腕を広げた。

 

「そういえばなんで着替えたんですか?」

「いや、いつものローブだと重たいかもしれない。妙な角が生えてるからな。倒れたら困る」

「ふぅん。レベル百だから大丈夫でしょうに、どうでもいいから飲みませんか?」

「どうでもって……いや、違う。見た目はどうだと聞いたのだ」

「案外といい男ですね。アルベドに押し倒されませんでした?」

「……押し倒された」

「ぶっ………いてっ」

 

 頭を叩かれて大人しくなったヤトは、アインズのグラスに琥珀色の酒を注ぐ。

 アルベドとイビルアイは支配者同士の交友を邪魔せぬよう下がっていった。

 

「でもなんで桜花聖域なんすか?」

「ん、たまにはオーレオールの顔を見ようと思ったのと、彼女は人間だ。ラキュースとレイナースも接しやすいだろう」

「そりゃどーも。でも快気祝いなんて必要ないでしょうに。酒くらい勝手に飲みますよ」

「たまには男同士で腹割って話そうと思ってな」

「そっちの趣味は――」

「言うと思ったよ、馬鹿蛇。それよりこの体になって精神の沈静化が起きず、他は人間と変わらない。ヤトの人化とはまた効果が違うのだろうか。お前の感情値は一体どうなっているのだ」

「それ、飲まないんですか?」

 

 アインズはグラスを持ったまま手を動かさず、口に付けようとしない。

 

「いや、この世界にきていきなり口にするのが酒というのも」

「はい、チョコレート」

 

板チョコを適当に放り投げられ、アインズは恐る恐る口にする。

 

「甘い……」

 

ヤトは感動で身を震わせるアインズに、言葉を失う。

絶対の支配者である彼は、そのまま一押しすれば消え去りそうに儚く見えた。

 

「その酒はブランデーです。チョコがよく合いますよ」

「経口摂取ひとつで、ここまで満たされるのだな……」

「ついでに性欲でも満たしたらどうッスかぁ?」

「その時間はないだろう。すぐにオーバーロードへ戻るさ…………ありがとう、ヤト。お前のお陰だ」

「ふん、アルベドのことでしたら――」

「世界を、人生を楽しむって事だ。私はもう迷わない。お前に最も救われたのは、私かもしれないな」

「らしくないなぁ。それでも支配者ですか?」

「目的に変更はない、仲間に会う手段を見つけよう。法国のアイテムを奪う寄り道もいいだろう。人生という名のゲームを楽しむためには、寄り道が必要だ」

「へいへい、最後まで付き合いますよ。どちらかが死ぬまでね。それ、飲んだらどうですか?」

「ああ、そうだな。飲んでみよう」

 

 アルコール度数が40度もあるブランデーだと忠告し忘れ、不慣れな酒を一気飲みした友人に、心身ともに青くなる。

顔面蒼白になったヤトに対比するように、アインズの顔は赤くなる。

 

「……あのー……すいません、気分はどうスか?」

「暑いな」

「でしょーね」

「先に言っておくが酔わないぞ。毒対策はしてあるからな」

 

二人のグラスに桜の花びらが舞い降り、琥珀色の液体に波紋を作った。

 

「乾杯、ヤト」

「はいはい」

 

涼しい音が鳴った。

 

 

 

 

 ヤトはアルベドから謝罪を受け、興奮しているイビルアイを弄り、ラキュースの悪い病気のことをアインズに口を滑らせ、レイナースを放置しながら、桜の木の下で平和な時間を過ごした。

 赤黒い転移ゲートが、平和な静寂を破るように開かれ、三つの小さい影が飛び出す。

 

「うわあー、綺麗」

「お姉さま、なんて花かなあ」

「あれえ、お兄ちゃん何してるのー?」

 

ネムとウレイリカが桜に目を奪われる中、クーデリカが胡坐をかくアインズの隣に立ち、不思議そうに眺めた。

だが、視線は直ぐに食べ物に移っていった。

 

「クーデリカ……だな?」

「双子なのによくわかりますね」

「わかるさ、ウレイリカは周りに目を奪われやすく、人見知りをする。クーデリカは人見知りせず誰とでも楽しく付き合える。クーデリカ、食べるか? 美味しいぞ」

「ありがとう! お兄ちゃん!」

 

 座り込んで口一杯に唐揚げをほお張っていた。

 

「クーデったら……ありがとうございます。えーっと……ヤトノカミさん、この人はどなたでしょうか」

 

 アルシェは不思議そうに白いタキシードの男を眺めた。

 じぃっと眺めていた彼女は、アインズに微笑まれて恥ずかしそうに頬を染める。

 

 当たりを見渡すとデミウルゴスとパンドラがこちらに歩いてきていた。

 

「我が創造主、アインズ様! なんと麗しい姿でございましょう。慈悲深く人間相手にも分け隔てなく接する御方、その印象通りに儚く穏やかで優しい存在感! しかし、確かに感じる圧倒的な魔力!」

「アインズ様、人間のお姿になっていらっしゃったとは、知らずに失礼いたしました。不躾ながら、将来性を加味した人間の妾を集めて参りました。是非ともアインズ様に吟味して頂きたく存じます。全ての者がアインズ様の所有物でございます」

 

「……よくわかったな、私がアインズだと。」

 

「然り! 我らの偉大なる支配者を、私たちは同階層に居れば直ぐに知覚できるのでございます!」

「如何に姿を変えようとも、至高の41人の総括である、アインズ様の圧倒的な存在感を覆い隠すことはできません。守護者であれば、その程度は当然の嗜みかと」

 

 デミウルゴスとパンドラは、妙に息が合っていた。

 

「勝手ながら独断で動かせて頂きました。支配者たるもの、多くの女性に慕われるのは見えないステータスの一つ。幸いにも花束の用意は整っております。ご覧ください、この可憐な花束はアインズ様の太陽の如き慈愛の光を、今か今かと待ち望んでおります」

 

 パンドラに促され、後方からブリタとティラが現れる。

 

「………ブリタ、ティラ。お前たちは、何をやっているのだ。」

「妾になりに来た」

「あ、あの、もしかして、アインズ様……ですか?」

 

 アルシェに見つからないように食事を盗み食いした幼子たちが、お腹も満たされこの辺りで騒ぎ始める。

 

「アインズさま、いないね」

「アインズさまはー?」

「あのお兄ちゃんがアインズさまだって」

「えー、違うよぉ。アインズさまは骨だもん」

「そうだよ、クーデ。骸骨の人がアインズさまでしょ」

「……だって、変な服着た人がそうだって」

「クーデ、ウレイ、ネム、お話の邪魔しないように、あっちに行こ」

 

 騒々しい子供達は、保護者によって離れた場所へ連れ出された。

 

「王様、人間?」

「あの、魔導王様はどうしてそんな姿に」

 

 いつかと同様に騒動が起きる前の静けさを感じた。

 

「デミウルゴス、パンドラ。お前たちが私の為に独断で動いたのは、喜ぶべきだろう。しかし、私はオーバーロードだ、今は人間に戻っているが、すぐにアンデッドに戻る。妾など手間がかかるだけであろう、早急に彼女たちを送り届け」

「やっぱり王様だった」

「え?」

「王様、人間なら問題ない、抱いて、今すぐ」

「ちょっ!」

「ぶっ……」

「ヤト! 笑うな!」

「今すぐここでも構わない。皆の視線も背徳的でいい」

「見たがっていた桜の木はどうした!」

「迸る性欲には負ける」

「やかましい! 近寄るな!」

 

 じりじりと這い寄るティラに、貞操の危機を感じたアインズは立ち上がる。

 最後の砦であった精神の沈静化がない現状に、振りかかった災いはアインズの心を乱す。

 

「アインズ様……格好いいです、すごく」

 

 酒も飲んでいないのに赤い顔でアインズを見上げるブリタは、理性を失っているようだ。

 

「あの、何でもします。お側に置いて下さい。心身ともに尽くしますから、お願いします」

 

 瞳を潤ませてアインズを見るブリタは、化粧をして以前より可愛くなっていた。

 そんな考えをしている自分に動揺し、アインズの心は大きく揺らぐ。

 

「なりません!」

「やめろぉ!」

 

 当然ながら正妻が見過ごすわけもなく、アルベドとイビルアイは一足先にアインズを押し倒す。

 

「わぎゃ!」

 

 奇声を上げて倒れ、しこたま強く頭を打ったアインズの両眼から、大きな火花が飛び出し、頭上を星とヒヨコがくるくると回った。

 

「ああ、アインズさま、申し訳ありません。私が人肌で看病を!」

「アルベドさん、人肌は関係ない! さりげなく体を密着させるな! 私だって我慢していたのだ!」

「いいから全員離れんかっ! あー……ったま痛いな……ふらふらする」

 

 軽い脳震盪を起こして再び仰向けになったアインズは、輝く視界で椅子取りゲームの椅子になった気分を味わっていた。

 

 桜の木の下では、にやつきながら酒を飲むヤトが、隣のレイナースを放置して子供達に食事を食べさせていた。

 

「ヤトノカミさま、それ美味しいの?」

「ネム、酒はまだ早いぞ」

「あの、ヤトノカミさん、止めなくていいの?」

「いいんだよ、アインズさんはオモテになるんだから。自分で何とかするだろ。俺より年上なんだからさ。んなことより、アルシェは何でここにいるんだ?」

「この子たちの保護者として――」

「違うよー! お姉ちゃんもアインズさまの妾になりに来たんだよー!」

「そうだよ! 三人一緒にアインズさまと結婚するの!」

「ネムもなるもん! 仲間外れにしないでよー!」

「……アルシェ、お前もか」

 

 この辺りで子供達は、楽しそうなアインズの椅子取りゲームを見つけた。

 

「あ! 私もやる!」

「私も行くー!」

「待ってよー!」

 

 子供達は遊んでいると勘違いし、一人の男を取り合っている中へ混ざっていった。

 

「あの子達ったら。あの、そこにいるのは、もしかして帝国四騎士の」

「ん、そうだよ。あの時、俺と一緒に居たレイナース」

「なぜここにいるの?」

「それは――」

「馬鹿蛇、私はお前の口からまだ聞いてない」

 

 レイナースは赤い顔と座った目でヤトに絡み始める。

 アルシェの疑問はどこかに投げ捨てられた。

 

「何を……って、深酒してるな? 放っておき過ぎたか……」

「だいたい、お前は――」

「ちょ、ちょっと、待てって。今はそんな事よりアインズさんを――」

「そんな事じゃない! 私にとっては大切なのだ! お前に好かれていなければ、私はどうすればいい。また一人になってしまう……」

「一人じゃねえだろっつーの。好きかどうかは問題なのか?」

「当たり前だ!」

 

 レイナースはヤトに詰め寄り、間近に迫った彼女の顔を、綺麗だなと違った方向で眺めた。

 

「私は人の物に手を出そうとした最低の女だ。ラキュースはそれでも私を家族として受け入れてくれた。だが、疼く胸を癒せるのはお前だけなんだ。それが悔しくて、切なくて、憎らしくて……恋しい。なんでお前は――」

「なんか前にも言われたような」

「好きなら態度で示せ!」

「うるっさいな、わかったよ、もう」

「問答無用!」

 

 飛び込んで来たレイナースは、ヤトの口を自らの口で塞ぐ。

 

「うわあ……」

 

 アルシェが頬に両手を当て、顔を真っ赤にして見ていたが、そちらの視線には構えなかった。

 

 長い口づけの後、レイナースはゆっくりと離れ、嬉しそうに微笑んだ。

 

「うふふ……ざまあみろ、やってやった……ぞ……」

「あーあ、寝やがった。やり逃げかよ。起きたら覚えてろよ」

 

 眠った彼女の頭を優しく撫でた。

アルシェが走り去る音は、二人の世界に陶酔する彼らには聞こえなかった。

 

「見ちゃった……口づけするところ……顔が熱い。ドキドキする」

 

 立ち止まった彼女の傍では、押し倒されて女性陣に椅子取りゲームされている悟が目に入る。

 

「きゃははは!」

「クーデ重い!」

「ネム! 足を踏まないでよー!」

「いい加減に離れろっ!」

「王様ぁ……抱いて」

「サトルは私のものだ!」

「アインズ様、私だって強くなったんです!」

「モモンガさまぁー! んー……」

「アルベドォォ……唇を奪おうとするなぁぁ」

 

 アルベドの蛸のようになった唇を掌で防ぐが、徐々に押し切られていた。

 

「………いいなぁ。」

 

 アインズの唇に目が行ってしまう。

 この時、騒乱の熱と漂う酒気に当てられ、アルシェの精神は昂っていた。

 

「あの!」

 

 くんずほぐれつの一人の男と四人の女性、三人の少女は、突然に叫んだアルシェに視線を注ぐ。

 

「私も魔導王さまの妾になります!」

「………はぁ?」

 

 言い終わった彼女は蠢く男女の中に飛び込んでいった。

 

「ヤトォォ! ニヤニヤしてないで助けろお!」

「知りませんよ、夢のような状況を堪能してください。寄り道を楽しむって言ったのは誰でしたっけ?」

 

 ヤトは扱いの悪い自分への慰めも兼ねて、友人の苦境をただ見ていた。

既に収拾はつかず、ラキュースたちが散歩から戻るまで混沌としていた。

 

 桜花聖域の領域守護者であるオーレオール・オメガは、自らの聖域を不埒な女性陣に汚されたような気がして、口には出さないが大そう腹を立てていた。

 アインズは彼女への謝罪をどうしようか悩み、沈静化の起きない体で本物の胃痛を味わっていた。

 

 

 

 




次 回 予 告!

人間になったアインズとヤトが王都に帰還し、魔導国編は終わりを迎える。
スレイン法国が人の世のため、戦乱の準備を始め、時代は再び動き出す!
聡明なアルベドは主神の正妃に相応しき名誉を挽回すべく、新たな政策を打ち出したァ!

次回、「魔女(ヴァルプルギス)の夜」

女の戦いは今、新たな神話の一幕となる!


「セ、セバス? どうかしたのかな。やけに叫んでいたが」
「おぉ、デミウルゴス。実はこのような手紙が私に。お戯れが好きなヤトノカミ様でしょうか」
「ふむ…《この文章を全力で叫べ》と書いてあるね。最後尾に書いてあるこの《you は shock!!》とは何だろうか」
「いえ、私にはわかり兼ねます。もしや、これが‟りある”という世界の言葉なのでは?」



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