ヤトが円形闘技場へ着くと、アルベドはまだ来ていなかった。
至高の存在が放つ濃厚な気配を察し、アウラが蛇神へ駆け寄ってくるのが見えた。
「ヤトノカミ様! ようこそ第六階層へ!」
「アウラ、元気そうだな」
「はい! 今日も元気です!」
自分の三倍程度も年を取っている彼女の頭を、ヤトは鱗に覆われた腕で撫でた。
「えへへ」
「マーレはどうした?」
「外出してます。ドライアードたちが用意した苗木を、復興予定の村へ配達だそうです」
「そうか…闘技場でアルベドと立ち合いをしていいか? 法国との戦争になるかもしれないから、腕試しをしたい」
「アルベドとですかぁ…。言って下されば私の魔獣達をお貸ししましたのに」
アウラは頼って貰えない寂しさで俯く。
ヤトの三倍以上も年上だと思わせない、可愛らしい
申し訳ない気持ちになって、一瞬言葉に詰まる。
「う…いや、対人戦闘を意識するにはアルベドがちょうどいい」
「そうですか…」
遥かに年上の彼女が露骨に肩を落とす様子を見て、罪悪感が肩に手を乗せた。
「そんなにへこむなよ、今度なにかあったら頼むから。悪いが腕がなまってると恥ずかしいから席を外してくれないか」
「えぇー…私も見たいです」
「駄目だ、アウラの前で恥ずかしい真似はしたくないからな」
「うー…残念です」
哀愁漂わせて去っていく彼女の肩を、急遽浮かび上がった疑問で引き留めた。
「アウラ、ぶくぶく茶釜さんをどう思う?」
「え?」
「また会いたいか?」
「勿論ですよー! 自分の創造主に会いたくない者はいません」
「…だよなぁ」
やはりアルベドだけが特殊なのかと自らに言い聞かせ、アウラによって緩められた心を締め上げた。
緊張を
背負った大鎌と小太刀を取り、汗の掻かない掌に握った。
「アルベド、お前は誰の為に戦う」
「モモンガ様のため、そしてこのナザリックに属する全ての
「俺もお前も、アインズさんの為に、相手を殺すしか選べないとはな」
「水と油は同じ液体でありながら混じり合いません。それこそが愛のジレンマというものです。ご存知ですか?」
「知らん」
「
「…すまんがよくわからん。どんな状況だ」
アルベドは小さいため息を吐いた。
失望ではなく、最後になる部下としての振る舞いを楽しんでいた。
「私、あるいはヤトノカミ様が不幸になれば、モモンガ様が幸せになる。モモンガ様が不幸になれば、私たちは幸福になる。どちらを選ばれますか?」
お互いに答えは一つしか持ち合わせがなかった。
「…なるほど、今の俺たちか」
「はい、アインズ様はナザリック内で同士討ちを望んでいません。慈悲深い御方が心を痛められると知りながら、私たちは相手を殺さずにいられません。それこそが相手のためになると信じているからです」
「愛とは罪深いな」
「種類は違いますが、私達には愛のエゴがあります」
「そうだな」
鎧の中で笑っているだろう彼女の声は、殺し合いをする直前と思えぬ明るさがあった。
両名は闘技場の中心へ移動し、互いの武器を構えて向かい合う。
合図の発生はなく、闘技場に立つ二人の戦士だけが、立ち上る殺意の波動で戦闘開始を知った。
ギルド内にて
帝都でアルベドを妾にするかで思い悩む支配者が、決して与り知らぬ所で。
◆
最初に動いたのはヤトだった。
様子見とばかりにアルベドへ直進し、大鎌を突き出す。
片手で突き出された大鎌の一撃は重く、アルベドの体が後方へのけ反る。
早期決着を望むヤトは追撃に乗り出すが、急いで体勢を整えたアルベドの長柄斧に阻まれた。
刹那の火花が散る。
振り下ろされた長柄斧を大鎌で防ぎ、小太刀を刺し込むが、背後に飛びのいて躱された。
ここまでの数秒、命のやりとりを行なった両者は、動きを止めて向かい合う。
僅かな出来事であったが、言葉よりも深く、お互いの殺意を確認した。
アルベドはかつてアインズが行ったように、ヤトの冷静さを奪おうと挑発する。
「ヤトノカミ、貴方を殺したら寂しくないように愛妻も後を追わせましょう。栄光あるナザリックに、汚らわしい人間など必要ない」
「安い挑発だが乗ってやる…舐めんなよ」
愛と憎悪がどこまで振り切ったかは不明だが、アルベドの簡易的な挑発は成功した。
睨みあっていた均衡が崩れ、ヤトはその場で一回目の衝撃波を放った。
真っすぐに空気を切り裂いて走る斬撃は、数秒でアルベドに届く。
放たれた衝撃波はアルベドに命中したが、漆黒の鎧を寸断できなかった。
鎧へとダメージを受け流し、三つの層に分かれる鎧の表層が崩れ、黒い甲冑の破片が地面に落ちる。
アルベドは怯むことなく、蛇神へ向かって駆けていく。
ガキンと歪で大きい金属音が轟く。
斬りかかった斧は鎌の外周で火花を散らし、アルベドの心にも火を灯す。
「私達からモモンガ様を奪うお前が憎い!」
「NPC風情が」
「孤独は私たちが癒して差し上げる!」
幾度となく振り下ろされる
素早さを強化された彼の動きは捉えられなかったが、ヤトを遥かに上回る知性が補った。
「そこ危ないわよ」
弾かれた武器を弾かれた勢いのまま後ろへ振り下ろし、反撃に出ようと背後に回り込んだヤトの頭部へ押し込む。
蛇の頭部に直撃し、赤い珊瑚を思わせる角の片方がへし折れた。
赤い角は重たい音を響かせ地へめり込んだ。
重撃を食らったヤトの額からは血が流れ、瞳孔だけ赤かった蛇の目は、そのすべてが血に染まる。
「目を潰す筈だったのに」
「つ…舐めた真似を」
流れ出る血を指で確認し、舌で舐めた。
「戦略性の皆無、精神面の脆さ、それがあなたの弱さ。それでもモモンガ様の盟友のつもりなのかしら?」
「弱いのはお前もだろうが。アインズさんに振られた哀れな女」
あらかじめ用意しておいた精神攻撃を仕掛けた。
アルベドの聡明な頭を曇らせたかった。
「あの時即答していれば、アインズさんの妻になったのはお前だ」
「モモンガ様は私を憎んでおられる」
「あの人は最初からお前を妻にするつもりだったのに…馬鹿な女だ」
「こ、このぉ…言わせておけば…だから何だと言うのだ! 愛するモモンガ様はイビルアイを妻にする! ならば私はお前を殺し、そして私も消されよう!」
アルベドは片手を背後に回し、黒い短杖を取り出す。
黒い甲冑の腰へ差し込まれ、蛇の目から逃げおおせていた
ヤトの挑発は逆効果となり、想定していなかった攻撃を誘発する。
「マジ…かよ」
「虚無へと沈め!」
「やべえ、避けられねえ」
杖の頂点で紫色に光る宝玉は強い光を放ち、周囲は暗黒に包まれた。
◆
アウラは魔獣達の畜舎にて、可愛い
鼻の頭を指で撫でて湿り気を確認し、体調に問題がないことが分かると、順番に毛並みのブラッシングを始める。
「わっ…ちょっと、順番だよ。あはは、くすぐったいなあ」
早くしろと催促する他の魔獣たちのちょっかいに、アウラは楽しそうに笑った。
震度の大きい揺れが宿舎を揺らし、全ての者は天井を仰いだ。
「なにこれ。ただの立ち合いでこんな風になるの?」
彼女は即座にその場を離れた。
畜舎を出ると、
「ちょっと、あんたたち。何かあった?」
「とと、闘技場で大爆発が!」
「紫色の丸い爆発が!」
「はあ?」
妖精たちは自らの分身である大樹の陰へ隠れ、こっそりと顔だけ覗かせていた。
「仕方ないなぁ、こっそり見て来ようっと。あんたたちはそこから動かないでよね」
本体が樹木の彼らが移動するも何もないのだが、アウラは心配、不安、期待が綯い交ぜになった表情で闘技場へと駆けていった。
◆
体の鱗が至る所で斑に剥がれ、息も絶え絶えに見える蛇神は大鎌を支えに立っている。
「虚無を味わった感想はいかが? 蛇の神様」
「げはっ」
彼は大量に吐血し、闘技場の砂を紅に染める。
赤い液体が砂地のキャンバスに落下し、飛沫はアルベドの足元まで届く。
「はぁー…アルベド、いつの間にギンヌンガガプを奪い返した」
「法国のアイテムを奪取するまで、各階層守護者にはワールドアイテムが貸し与えられています」
「ちっ…俺は知らねえ」
「帝国で遊んでいる間に、こちらはそれほど進んでいるのよ、馬鹿な蛇さん」
「口の減らねえ女だ。正体を知ったらアインズさんの恋も冷めるだろうな」
アルベドは血走った金色の瞳を限界まで見開く。
「止めを刺してあげるわ」
「直に首を落とさねえと復活するぞ」
「やめておくわ。目が死んでいない蛇神へ、近寄るのは愚行。ならばギンヌンガガプの力を解放する」
「そいつぁ困る…スキル《疾風迅雷》」
素早さを大幅向上させた蛇は、瞬時にアルベドの背後をとる。
一切の手加減のない大鎌が、アルベドの脳天へと振り下ろされた。
ギンヌンガガプを持ちながら辛くも長柄斧で防げたが、両名は武器を交差して力を拮抗させ、動きを止める。
「馬鹿が。
そのまま放たれた衝撃波は、大鎌を抑えているアルベドに躱せず、アルベドは鎧へ衝撃を流す技を使わざるを得なかった。
三回しか使えないスキルだったが二回も使用を強いられ、アルベドに危機感が宿る。
強い衝撃を流された鎧の破片は、地面に散っていった。
ヤトは一旦距離を取り、満足げに零れ落ちる装備の残骸を眺めていた。
「ペナルティスキル《女好き》は、飲酒による強化スキル《ウワバミ》で相殺できるんだな。これはいい経験だ」
「詰めが甘い」
彼女は大鎌の一撃による痺れを物ともせず、体を捻らせ長柄の斧を振り下ろす。
瘴気を放ち飛びかかるアルベドの振り下ろしを、スキルの考察によって虚を突かれたヤトは食らってしまう。
大斧を防ごうと小太刀を尻尾で押し上げたが、武器が軽かった。
小太刀と長い柄の斧では分が悪く、小太刀をどこかに弾き飛ばし、後ろで押さえていた尾が切断され、血をまき散らしながら宙を舞った。
反撃の大鎌で切り払うも、体重が上手く乗せられない攻撃は弾かれ、アルベドは短杖を高く掲げた。
「ギンヌンガガプよ!蛇を無へ還せ!」
真なる無で彼を包もうとするアルベドは短杖を掲げたが、宝玉は光を発することなく、どこかから伸ばされた鞭で叩き落とされる。
伸ばされた鞭が主の下へ帰っていく姿を目で追うと、冷たい目をしたアウラが鞭を掴んでいた。
「アルベド!」
「アウラ…どうしたのかしら。私とヤトノカミ様は立ち合いを」
「ヤトノカミ様の尻尾を切り落としてるじゃない! 反乱でも企てたの!?」
ヤトはアイテムボックスからポーションを取り出し、自らに振りかけた。
失ったHPが回復すると、切り落とされた尾を生えてくる。
「アウラ、弾いた武器を拾え。アルベドに渡すな」
「は、はい!」
返事をする頃には短杖を拾い上げていた。
アルベドは鎧の目を光らせ、アウラを睨む。
「アウラ、邪魔しないで頂戴」
「ヤトノカミ様に何かあったら、あんたを許さないからね、アルベド!」
アウラの
彼女は黒い
「さあ、邪魔者もいなくなったし、回復もできた。近接戦闘でケリをつけようぜ、愛されなかったアルベド」
「人を嬲るのも大概にしろ…低能な蛇が!」
激昂するアルベドとそれを迎え撃つヤトノカミ、両名は大型の前衛武器でしのぎを削り始めた。
◆
武器を持ち去ったアウラは闘技場の外で止まり、各階層守護者へ緊急
睡眠の必要が無いシャルティアが、寝ぼけた声で応対する。
「ふぁい、なんでありんすかぁ?」
「起きろ馬鹿!何やってんのよ!」
「うるさいでありんすねぇ、このチビは。夜ごと行われる花嫁修業で疲れてるでありん」
「急いで第六階層へ集合! アルベドが反乱してヤトノカミ様を殺そうとしてるの! 早く来なさい!」
「は、ええー…?」
緊迫した状況が喉を通らない阿呆の子の返事を待たず、次の守護者へ伝令を飛ばした。
同時刻、貸し与えられたイビルアイの自室では、不釣り合いなキングサイズのベッドで、小さな彼女が足と腕を組んで頭を悩ませる。
「ううーん…やはりアルベドさんには正妻が似合う。それに、私への風当たりも…なぁ」
すれ違うメイド及び各所で出会う僕たちは、はっきりと口には出さなかったが、目はナザリック外のイビルアイが歩くのを気に入らないと言っていた。
アインズの妻として公言されていない以上、彼女の立場はアルベドの恋路を邪魔する部外者であり、それは彼女自身もよく分かっていた。
何よりも、最愛の彼が抱える悲しみは、自分がどんなに頑張ろうと一人では癒せないだろうと思った。
「ヤト殿だって妾を連れ帰ったのなら、サトルだって作ってもいいだろう。サトルを愛する者が多ければ、昔の仲間に依存しなくて済むんだ」
誰にも悟られずに加速していた彼女の心は暴走へ変わった。
「二人はどんな話をしているのだろう…だめだ、我慢できん! 私も行かなくては!」
何が待つのか想像もせずに、部屋を飛び出していく。
全速力で走っても息が上がる事のない彼女は、バーのマスターから立ち合いをする予定と聞き、第六階層へ急いだ。
闘技場からは歪な金属音が聞こえたが、いつもの戯れなのだろうと想定した彼女の足取りは軽く、二人の会話に混ざろうと闘技場の中心へ急いだ。
だが、目の当たりにした状況は理解出来なかった。
大鎌を振り回してアルベドの首を執拗に狙うヤトは、かつて王宮で暴れていた時よりも明らかに強く、そして恐ろしかった。
長柄斧で迎撃して蛇の首を切断せんとするアルベドは、微笑みながら執務室の黒板へアインズへの愛を箇条書きにさせた講師とは別人だった。
互いの明確な殺意を見てしまった彼女の、理性は破棄された。
範囲も威力も強大な剣風が吹きすさぶ中へ、自殺行為と分かっていても飛び込んでいく。
「やめろ!何をしているんだ!」
二人の間に割って入り、両手を広げた。
戦闘は一時停止し、イビルアイは命を拾う。
「イビルアイか」
「邪魔しないで、イビルアイ」
「ああ、その通りだ。俺もアルベドも相手を殺すまで止まらねえ」
立ち上る黒と紫の波動が殺意を立証し、イビルアイは声を荒げる。
「二人が戦ってなんの意味がある!」
彼女の言葉は殺意で固めた二人の心に弾かれ、両者の殺意は揺らがない。
「ああ、不毛な戦いだ…お前もそう思わねえか、アルベド」
「ええ、それでも互いに後には引けない」
「どけ、イビルアイ」
「あなたはモモンガ様の妻として生きなさい。私はこいつを殺してモモンガ様に殺される」
ゆっくりと歩み寄ったアルベドは、片手でイビルアイを押しのける。
「やめてくれ…こんな悲しいだけじゃないか」
諦めずに二人の間に割って入ろうとするも、手加減した打撃で壁まで飛ばされ、体が激突したと同時に、万事上手くいく筈だった未来が砕けて散ったのを見た。
体を起こしてなおも駆け寄ろうとするが、予想以上のダメージ量に転倒し、地を這いながらも彼女は震える手を伸ばした。
小さな涙の雨が闘技場の砂を濡らす。
「サトルを悲しませるなぁぁ!」
イビルアイの絞り出した声は誰にも届かず、既に両者は走り出している。
大鎌と長柄斧が火花を散らすかと思われたが、更なる乱入者によって双方の武器は静止した。
「やめなさい、アルベド!」
「ヤトノカミ様、武器ヲオ納メクダサイ」
武装していないシャルティアが長槍でアルベドの長柄斧を止め、コキュートスが戦斧でヤトの大鎌を止めていた。
真紅と青銅に輝く乱入者の背後で、デミウルゴスとパンドラは落ち着いた口調で諭す。
「アルベド、これはどういうことか説明して欲しいのだがね」
「アルベド殿、至高の存在であるヤトノカミ様に対し、どういうおつもりですかな」
思わぬ乱入者に二人は数歩後ろに下がり、衝突していた武器の拮抗を外す。
「止めるなコキュートス、俺はアルベドを殺す」
「アウラが呼んだのね。私はヤトノカミを殺すわ」
デミウルゴス、コキュートス、シャルティアはそれぞれの放つ殺気を纏ってアルベドを睨む。
いかなる事情があったとしても、至高の存在に刃を向けるアルベドは、守護者達からすれば謀反としか取れない。
突き刺さる殺気を浴びながらも、アルベドは涼し気に佇む。
僅かな間の後、廓言葉を放棄したシャルティアが、怒りを露わに口火を切り、他の守護者達も続く。
「アルベド、どういうつもり? ナザリック地下大墳墓を裏切るの?」
「謀反ナラバ粛清スルノミ」
「お伺いしましょうか、アルベド。どういうおつもりですか」
「私が愛と忠義を捧げるのはモモンガ様のみ。ここでヤトノカミを殺して、私もアインズ様に殺されるわ」
口に指をあてて悩んでいたパンドラが、手を後ろに組み直して尋ねる。
「ふむ…殺される前提でなぜこのような真似をなさるのですか、アルベド殿。聡明なあなたが、どちらにしてもアインズ様が悲しむ行為に及ぶ、その経緯は何なのですか?」
「御方の家族は至高の40人ではなく、このナザリック地下大墳墓に属する全ての僕、かつてナザリックを去った裏切り者など必要ない」
「もしや、あなたは…」
パンドラの声は、怒りに火が付いたシャルティアに遮られた。
「アルベド、ふざけるなよ。ペロロンチーノ様を裏切り者呼ばわり……殺すぞ、てめえ」
シャルティアは明確な殺意を刺し込む。
「お前たち、悪いが邪魔だ。俺がアルベドを殺すのを端で見てろ」
紅の波動を見た赤目の蛇は、守護者達が争う場面を拒絶し、シャルティアの怒りを逸らそうと声を掛ける。
「我ラ守護者ガ謀反ヲ見過ゴスナドデキマセン。何ヲ言ワレヨウトモ、ココデ止メサセテ頂キマス」
「守護者は至高の御方々へ少しでもお役に立つために創造された存在、それを反故にするのなら必要ありません。御手を煩わせず、私たちで対処いたしましょう」
それでも彼らは引きそうになかった。
「お前たちは絶対に手を出すな。守護者同士が戦うとアインズさんが悲しむ。わかったら下がれ! 邪魔だ!」
序列二位の支配者に怒鳴られた彼らには大きな隙が出来た。
素早さを向上させたヤトは隙間を縫ってアルベドへ斬りかかった。
アルベドも余裕をもって大鎌を迎え撃ち、今度こそ二本の鉄塊が火花を散らす。
パンドラは巻き添えを喰わないように皆を下がらせ、彼らの怒りを宥める。
「下がりましょう、デミウルゴス殿」
「これを見過ごせというのか!?」
普段は冷静なデミウルゴスが声を荒げる。
「ヤトノカミ様はご自分で弱いと仰っていますが至高の41人に名を連ねる御方。その武力は我らとは違います。戦況が芳しくないようであれば、我らがアルベド殿を止めればよいでしょう」
「パンドラ、ソレハ不敬ダ」
コキュートスは武器を地面に突き立てた。
「そ、そうよ。反乱を見過ごすなんてアインズ様に知れたら…あぁ、アインズ様に怒られる! だいたい、アルベドは至高の御方々を裏切り者と言ったのよ! ここでアルベドを殺しちゃえば済むじゃない!」
怒りと困惑が混沌とする表情のシャルティアがまくしたてた。
「慈悲深い我らの絶対的な支配者、アインズ・ウール・ゴウン様は器の狭い方ではありません。静かに待機して見守りましょう、ヤトノカミ様の戦いを。両名が交える矛、発する火花に混じって聞こえてくる、二人の慟哭が教えてくれるでしょう、如何にして互いに武器を取ったのか」
アルベドの心中を察し、少なからず共感する部分もあるパンドラは、武器を下げようとしない他の守護者を促し、闘技場の隅へ移動していった。
唯一落ち着いた口調の彼は、妙に説得力があった。
「私もどこかの歯車を違えていれば、アルベド殿と共闘していたかも知れません」
彼の呟きはアルベドへの敵意、ヤトノカミへの忠義、アインズが望む結果に思い巡らせる守護者達には聞こえなかった。
少し離れた場所で攻撃魔法の準備と、魔獣たちへ招集をかけている
「お、お姉ちゃんどうしよう。ヤトノカミ様が手出しをするなって」
「どうしようってどうしようもないでしょ! あたしはアインズ様に連絡するから、ちょっと見てなさい!」
「わ、わかったよぅ、お姉ちゃん」
アルベドへ冷たい敵意を向けていたマーレの瞳は、姉にいなされておどおどしたものへと変わった。
二人から目を逸らさずに後退する守護者達へ、イビルアイが這い寄ってくる。
「パンドラズ・アクター殿、彼らを止めてくれ」
「おや、イビルアイ嬢ではありませんか。アインズ様の現地妻がなぜこちらに」
「今はそんなことどうでもいいから、ヤト殿とアルベドさんを助けてくれ!」
「あ、あの、僕も止めた方がいいと思います」
「その通りだ。やはり私の部下を動かして」
精神の荒波が
目前まで迫った斧を見ても表情は変えず、静かに眼鏡を正したデミウルゴスの心中は穏やかでなかった。
「どういうつもりかな、コキュートス」
「アインズ様ハ私ニ仰ッタ。身ヲ粉ニシテ忠義ヲ尽クセバヨイトハ限ラナイト」
「至高の御方々は二人しか残っていないのだよ。その一柱であるヤトノカミ様に何かあれば、我々全員の命を以てしても贖えるものではない。ならば、如何に叱責されようとも、ここは止めるが上策」
「落ち着いてよ、二人とも。もうすぐアインズ様が来るから!」
「今すぐ止めてくれ! こんな殺し合いは悲しすぎる!」
「余計な真似をして被害が広まるより、ここはアインズ様の到着を待つがいいでしょうね、デミウルゴス殿」
「お、お姉ちゃん、どうすればいいのかな」
「チビ助、どうすればいいのよ」
「あたしに聞かないでよ、どうすればいいのか…わからないんだから」
一行が様々な思い込み勘違いを織り交ぜて押し問答している間に、白熱する戦闘の怒号は過熱をしていた。
その声は余力を持って彼らへ届けられる。
「お前がプレイヤーと戦うのは荷が重すぎる」
「私が一番わかっている!」
「ぐっ!」
アルベドの激昂を乗せた一撃でヤトは後ずさる。
鉄塊の金属音と火花に乗せ、アルベドは胸の内をぶつける。
防戦一方のヤトに対し、長柄斧は怒号と共に繰り返し振り下ろされた。
「誰よりもわかっている! それでも戦うしかない! 捨てられたモモンガ様は、仲間を求めて胸を痛めている。その御心が癒せないと知りながら、お側に寄り添おうと願う心が、貴様に分かってたまるか!」
「お前が頑張ったところで、あの人の孤独を癒せるのは仲間だ。ならそれを応援すればいいだけだろうがぁ!」
強く弾かれた反動を利用し、一歩下がって踏み込み直したアルベドが飛ぶ。
上方から振り下ろされた斧は、大鎌を持つ手を痺れさせた。
二人の武器は拮抗し体は動きを止めたが、アルベドの慟哭は止まらなかった。
「我らを作り造作もなく捨てて、素知らぬ顔で帰ってくる貴様らが憎い! 私たちがモモンガ様の家族だ! 貴様らは必要ない! 捨てた貴様らなど忘れてしまえばいい! 人間であろうとなかろうと、ここに残って我らを見守って下さったモモンガ様のために、命を尽くす我らこそが、あの御方の家族だ!」
「そうしなきゃ生きられなかった! どうしようもない世界でも、生まれたからには生きなきゃいけねえんだよ! 身寄りのないあの人に大切なのは対等な仲間だ! 絶望的な仲間の帰還を望むあの人の心を、なぜ素直に応援できねえんだ!」
吸血姫のイビルアイは自らの身体構造を高まった感情で超越し、四つ這いになり涙を流した。
「こんな…悲しすぎるだろう…どうして共に歩む道が選べないんだ」
魂を削り合うが如き火花は、その場にいた者全てに余すことなく届けられ、イビルアイの悲痛な雨が哀しみの呼び水となる。
「捨て…た…?」
「マーレ…」
「ペロロンチーノ様を初め至高の御方々は、別の世界にいるのよ。いつか戻ってくるからこそ、私は御方の妃になるべく花嫁修業に明け暮れてるんだからねっ!」
創造主の正妃になるべく夜ごと行われる努力を、鼻息荒く自慢するシャルティアは高説を垂れたが、マーレの被害は甚大だった。
彼らの事情を顧みることない戦士たちは、武器と力を拮抗させながら、なおも火花を飛ばし続ける。
「捨てられたモモンガ様の苦しみは、捨てられた我々にこそ理解できる!貴様などいなくても御方の痛みは我らが癒して差し上げればいい!」
「お前に何がわかる! 元いた世界に一切の未練が無いのは悲しい事なんだ! 身寄りもなく親に愛された記憶もなく、ただ搾取されるだけの世界から自由になっても、あの人はアンデッドになっちまった!」
「我らが共にあればいい! 命続く限り、我らは御方の家族として共にある!」
「対等の関係で話せず、支配者としての立場を求められるあの人の苦痛が、てめえに分かってたまるか!」
「モモンガ様を捨てた貴様が、御方の心を語るなぁぁあ!」
届けられた火花は、アインズへの忠誠で塗りつぶされていた地雷を、起爆するべく導火線に火を灯す。
マーレの悲痛な声が守護者達に聞こえた。
「お、お姉ちゃん…やっぱり捨てられたんだ…ぶくぶく茶釜さまは、僕たちを捨てたんだ。僕が可愛くないから? 僕が憎いから? 弟がいらないから?」
「マーレ!黙りなさい!」
「お姉ちゃんだって捨てられたんだよ。僕たちは捨てられたんだ…可愛くない僕らは捨てられたんだ!」
「いい加減にしろよ!」
アウラはマーレの胸倉を掴むが、彼の目は虚ろに涙を流していた。
「会いたいよぅ…一度でいいから茶釜様に会いたいよぅ…頭を撫でて欲しい…膝の上に乗せて欲しい…冒険に連れて行って欲しい…一緒に寝て欲しい…」
「あたしだって会いたいよ! だけど、仕方ないじゃない! 茶釜様はお…お忙しいのよ!」
「お姉ちゃんだってわかってるんだ…捨てられたって…茶釜様…茶釜さまぁ…帰ってきてよぉぉ…」
アウラの手は力を失い、零れ落ちたマーレは地面にへたり込み、流れ出る涙を手の甲で拭った。
それでも感情と涙は止まらず、蹲って膝を抱え咽び泣く。
「泣くなよマーレ…捨てられてないから…捨てられてない…あたしたちは捨てられてないもん…」
アウラは自らに言い聞かせるように繰り返す。
その涙は頬を伝い、闘技場の地へと落ちた。
「ちょ、ちょっと、二人ともどうしたのよ。しっかりしなさいよ!」
慌てて慰めるシャルティアの声は、悲しみに囚われた双子の心に届かなかった。
悲痛に喘ぐ者へ、慰めの欠片も感じない残酷な事実は続けられる。
「貴様さえ戻ってこなければよかった! 貴様さえいなければ、モモンガ様も他の者が戻る可能性などに縋らなかったのに!」
「アインズを名乗るあの人の心がわからねえのか! 皆に帰って欲しいと願うあの人の心が!」
「わかっているからこそ貴様を殺し、私の死をもってモモンガ様を説得する! 残された皆が家族になればいい!」
「いい加減に離れやがれ! 打ち合いでぶっ殺してやる!」
自らの心を押し殺し、二人の動向を見逃すまいとしているパンドラとデミウルゴスへ、戦斧が倒れる乾いた音が聞こえた。
「コキュートス?」
「デミウルゴス、我ラハ捨テラレタノダロウカ…」
「コキュートス、我らは捨てられたのかもしれない。だが、やる事は一つだけだろう」
「慈悲深く見守って下さったアインズ様、奇跡的にご帰還なされたヤトノカミ様へ忠誠を尽くし、この命を捧げるまでです」
「パンドラの言う通りだよ、コキュートス。気を確かに持ち給え。我ら守護者が動揺してはいけない。他の者に示しがつかないだろう」
コキュートスは力の抜けた六本の腕を揺らし、地に膝をついた。
「…強イナ、デミウルゴス。私ガ弱イカラ捨テラレタノダロウ。武人建御雷様ニ見限ラレタ事実ハ、ワタシニハ重タ過ギル。」
「
「コキュートス殿、私は創造主に捨てられる苦しみはわかりません。ですが、私をドッペルゲンガーにしたアインズ様の痛みはわかります。コキュートス殿、今はお二人の戦いを見守りましょう。全ての決着は、我らの王が決めてくれるでしょう」
「パンドラ…」
コキュートスはそのまま立ち上がらなかった。
二人の対話は佳境を過ぎ、闘争はこれから佳境を迎える。
密かに転移したアインズが身体を透明化する魔法を使用し、闘技場のどこかで状況を把握しようとしている事に、動揺している守護者達と舞台の主役たちは気が付かなかった。
パンドラだけは静かに
◆
武器を弾いたヤトと、飛び退いて距離を取ったアルベドは、一定の距離を保ったまま微動だにしなかった。
本当の勝負はここからだと悟っていた。
ヤトはありったけの強化スキルを発動し、限界まで高まった攻撃性は、目前に立つ漆黒の鎧に対する殺意で意識を黒く塗り潰していく。
口からは瘴気が吐き出され、絶望の黒いオーラが体から立ち上る。
その姿は異形の祟り神そのものだった。
「はぁぁぁ…行くぞ、アルベド。どうなっても知らねえからなぁ」
瘴気を吐き出しながら開戦を告げるヤトを見て、自然とアルベドの体が強張る。
アルベドは鎧の中で覚悟を改め、愛する者へ祈りを捧げた。
「モモンガ様、共に生きる未来を捨てた私に、あなたが幸せになる夢を見る勇気を…」
防御に特化した自分と、速さと手数に特化したヤトでは、自らの分が悪いとアルベドだけが気付いていた。
逆境を跳ね返すために密かに最愛の者へ祈りを捧げ、怒号を以て全力の激突を開始した。
「かかってこい、ヤトノカミ!」
アルベドの声と共に蛇は地を這った。
大地の表層を撫でるかのように限界まで姿勢を低くし、大幅に向上した速度でアルベドの足を薙ぎ払う。
飛び上がったアルベドは地面に斧を突き立て、それを支えに飛び上がった。
強く払われた斧を辛うじて持ちこたえ、着地と同時にヤトへ振り下ろす。
長柄斧の切っ先は蛇神の胸へ命中し、ダメージこそなかったが、物理攻撃の回避スキル、《分身の術》の効果は消えた。
大蛇に気にした様子はなく、すぐに体を傾けながら大鎌を叩き込む。
特化したアルベドの防御は硬く、突き込まれた鎌を受け流して足元へしゃがみ込み、蛇を二枚に下ろそうとバルディッシュを下から斬り上げた。
「つっ…邪魔くせえ」
切っ先は下腹部を微かに切り裂き、斬られた箇所からは血が流れる。
アルベドは更なる追撃のため、斧を返して横に払った。
だが、薙ぎ払った長柄斧は躱されて重心を崩し、ヤトは僅かな隙を見逃してくれなかった。
「
接戦で放たれた衝撃波は躱せず、鎧へダメージを流すスキルを発動する。
強い衝撃を流された彼女の鎧は、黒く輝く砂となって闘技場へ散っていった。
衝撃波で重心を崩すことなく、持ち直した彼女は白いドレスを翻して斬りかかったが、ヤトは既にそこにいなかった。
背後から迫る殺気に鳥肌が立つ。
頭上から大鎌が振り下ろされていたが、アルベドは反撃で応じる。
大鎌の単調な一撃を体捌きで避け、左腕へ長い柄の大斧が振り下ろされた。
的確に当たった斧は太刀を持つ手首から先を切り落とす。
鱗に覆われた左手が落ち、ゴムの塊を落としたような音を立てた。
それで止まらないアルベドは、追撃の手を緩めずに腕を切断しようと肩へ斬り込む。
「邪魔だ!」
怒号と共に鎌を突きつけるも、腰を落としたアルベドは回避に成功し、大鎌はアルベドの髪を数本だけ宙に舞わせた。
下から顎へと正確に突き上げられた長柄斧は、顎への強烈な一撃を見舞う。
目から飛び出す火花を抑え、距離を取ろうとする蛇神を逃すまいと、アルベドは鎌の柄を掴む。
素早さを剛力で殺されたヤトはバランスを崩し、アルベドの長柄斧をまともに食らってしまう。
「ここまでよ、裏切り者」
胸に突き込まれた斧の刃が体にめり込む。
鎧で武装していない美しいアルベドが、赤い瞳のスクリーンで微笑んでいた。
ヤトは口から火を吐き出し、傷が抉られるのを覚悟で強引にアルベドを振り払う。
「ぐ…げはっ」
抉られた喉からの出血、深刻な手傷による吐血、血は蛇の鱗を紅に染める。
吐き出された血の塊が闘技場の地を、体から流れる赤い川は蛇神の鱗を、それぞれ赤く染めた。
「前から思っていたのだけど、女子供に弱いわよ。私が鎧を脱いでからの攻撃は単調そのもの。あなたの敗因は、精神の脆弱さ、性格の甘さ、足りない知識と知性」
「…あ?」
「性能だけに頼るものに負けはしない。私が負けたらナザリックの同胞はアインズ様の家族になれる機会を永遠に失ってしまう。他の裏切り者はともかく、あなたには勝てる」
どのような感情を持って話しているのかは不明だが、アルベドの解説はヤトの頭へ冷静さを取り戻す。
蛇の流れる血は止まらなかったが、体から立ち上る黒い波動は消えた。
「俺はさぁ、自分の命を懸けて俺を助けてくれたあの人に、他に何もしてやれねえんだよ」
「もう引いたらどうかしら。今なら命だけは許してあげるわよ。ナザリックから永遠に消え去ってくれるなら」
「初めから投げやりだった俺が新しい家族と、一度は捨てたナザリックという居場所をくれた。俺があの人に報いるには、やっぱ命を懸けるしかねえんだよな」
「それがあなたの抱える愛の
「そうだな、それしか思いつかん」
「お前は…」
アルベドは言葉を切って飛びかかる。
戦略性のない攻撃はヤトの体へ傷をつけ、避けようともしない相手にアルベドは心中のわだかまりを吐露する。
「お前にはいくらでも笑いかけてくださるのに! 私には笑いかけて下さらない! どうして? どうして? どうして? どうして?」
「アルベド…」
右手の大鎌越しに伝わる振動は彼女の悲しみを語り、攻撃性が沈静化していくのを感じた。
「知らなければよかった…裏切った貴様だけに、心から楽しそうに笑いかけているモモンガ様を…貴様にだけ心を開いているなどと…知らなければ、苦しまずに済んだのに。どんなに愛しても、愛しい光は私を照らしてくれない」
「それがお前の苦痛か」
「お前さえ帰ってこなければ、私は今でもあの方の隣で微笑んでいられたのに!」
最後に突き込まれた長柄斧の一撃はヤトの胸を貫く。
仇敵を貫いて勝利を手にしたはずのアルベドは、歪んだ心を引き裂こうとする惜しみない愛に引きずられる。
武器を離した彼女は、虚ろな目で蛇の頬を平手で打つ。
弱弱しい声と共に蛇の頬を何度も叩いた。
純白のドレスはヤトの出血と、それに混じる涙で染まっていった。
「お前たちに」
「モモンガ様は渡さない」
「ナザリックがある」
「私たちがいる」
「私がいたのに…」
既に力を失ったアルベドの白い手は、HPを徐々に失っていくヤトに掴まれ、脱力して地へ跪いた。
「もう休め。愛する事に疲れただろ」
「モモンガ様…私はかつて人間でありながら、異形の我らを見守って下さった貴方を、永遠に愛しています」
両手を合わせて愛する者への祈りを捧げる彼女の、愛の殉死に等しい戦いは終わっていた。
見守る者の胸に打ち寄せる感情は、いつしか割って入ることを忘れさせた。
二人の慟哭は皆の心と感情を刺激し、涙を流せる者は感情と共に涙を降らせた。
流せない者はやり場のない感情に体を強張らせた。
アインズの声が頭に響かなければ、どちらかが死ぬまで動かなかっただろう。
《守護者たちよ、各々の疑念、悲哀、激情など言いたい事があるだろうが、それらは後ほど聞き、必ず応えよう。彼らの決着は私の手で付ける。即座に闘技場の外へ出ろ》
パンドラとデミウルゴスが我に返る。
膝を抱えて蹲るマーレ、虚空を見て呟くアウラ、膝をついて脱力したコキュートス、自分の悲しみを堪え、友達の悲しみを慰めようと必死になるシャルティアは動けなかった。
《皆が外に出たのち、王都へ行きラキュースを連れてこい》
「
「ああ、転移ゲートを開いて欲しい。彼らを外へ運び出そう」
デミウルゴスとパンドラは動けない者を外へ転移させた。
中心部ではヤトが大鎌を振り上げ、聖母のように祈るアルベドへ照準を合わせた。
「おやすみ、アルベド」
振り下ろされた切っ先はアルベドに触れることは叶わない。
間に割って入った絶対の支配者は、杖で大鎌を止めた。
「アインズさん…」
「あぁ…モモンガ様…私の愛するモモンガ様…」
普段とは違う衣服を纏った彼は、パンドラの擬態ではなく本物のアインズだと二人に悟らせる。
物理耐久力の低い杖はミシミシと音をたて、大鎌によって唐竹割に引き裂かれた。
余力を持った凶器は、アインズの白磁の手が止める。
だが、それも耐え切れず、大鎌を止めた白骨の右手は、手の甲まで勝ち割にされた。
「流石だな、ヤト」
アインズは引き裂かれた手に構わず、静かに称賛を投げかけた。
彼が何を思っていたのか、二人には窺い知れなかった。
無傷の左手で回復アイテム取り出し、二人に振りかけた。
赤い雫が蛇と淫魔へ振りかかり、僅かな傷も残さずに癒していく。
最後の審判は支配者自らの手で下される。
「可愛い守護者を殺そうとする同胞も、大切な親友に殺意を向ける部下も、許せそうにない」
魔法陣が作る半球形の魔法陣内で、アインズの怒りは続く。
「だが、誰よりも許せないのは…何よりも情けないのは…この事態を招いた俺自身だ」
《
超位魔法の即時発動を叶えるために、砂時計は光の粒子へ変わる。
円形闘技場は光に包まれた。
自身もその対象に入れた広範囲の高熱魔法は、闘技場の中心にいる三名へ落ちる。
体が灼熱で焼かれる感覚を最愛の者が授けた裁きと思い、一切の抵抗なく体を焦がすアルベドは最後に呟く。
「モモンガ様に永遠の幸あれ」
血を吐きながら白目を剥いて失神し、自らの血に染まった大地へと倒れゆくヤトには届かなかった。
◆
闘技場を包んだ光が消え、中央には深刻な外傷を負った三名が残る。
ヤトは体中の鱗が焼き尽くされて黒く焦げ付き、舌を出して天を仰ぎ昏倒している。
アインズは自らの痛みを堪え、アルベドへ回復薬を振りかける。
空から降り注ぐ雫が顔を伝い、美しいアルベドは愛する主君を仰ぐ。
服は全て燃やし尽くされ、生まれたままの美しい彼女が跪いていた。
「アインズ様、私はどのような罰でもお受けいたします。至高の御方への殺意、更には傷をつけた私を、どうか罰してください。叶うのなら、御手によって私の命の炎を吹き消してください」
アインズはアイテムボックスから外陰を取り出し、白く美しいアルベドの裸体に巻く。
「アルベド、一つ教えて欲しい。まだ私を愛しているか?」
「勿論でございます。私は永遠にアインズ様を愛しています」
「それが我が手によって歪められた感情だとしてもか?」
「勘違いをなさっています。御身が玉座で悲しむ様子を見て、私が御身の家族になれればと、私はアインズ様を愛したのでございます。皆が去っても我らを見捨てなかった、慈悲深き我らの王を」
「ふぅ…」
アインズのため息に、アルベドは改めて死を覚悟する。
一度は蒸発した涙が、再び瞳から流れていた。
彼女の涙は白い指で優しく拭かれた。
「随分と時間が掛かってしまったな…今こそお前に応じよう」
「はい、覚悟は出来ております」
食い違う互いの意向は確認しなかった。
そんなことをしなくても、互いに覚悟は出来ている。
「お前は私の妻となれ。そこで伸びている馬鹿も妾を作ったのだ。支配者である私が妻を二人娶ってもおかしくはないだろう」
「アインズ様…?」
「今回の一件は、お前たちの心まで測れなかった私のミスだ」
「し、しかし、私は」
「裁定に異言を持つということは、この事態を招いた私も許さぬと同義だ」
「……」
アインズの口調は支配者としての
ヤトにだけ見せる顔で接してくれたこと、プロポーズをしてくれたこと、ここまでしたのに簡単に許された自身への葛藤、様々な感情はアルベドの両眼から涙となって流れた。
「アルベド、お前が消えてしまったら、私は誰に愛されればいいのだ。私のベッドに誰が良い匂いをつけてくれるというのだ」
「アインズさま…アインズさま…アインズさまぁぁ…」
外陰の袖から白い腕を伸ばし、アルベドは愛する男へ抱き着いた。
アインズは抱き着くアルベドの肩を掴み、引き剥がそうと声を掛ける。
「お前を抱きしめるのはまた後日としよう。先に転移して服を着替え、玉座で待て。今回の件に絡んだ者への説明をせねばならん」
「畏まりました」
闘技場の入り口から騒がしい喧騒が聞こえてくる。
絶望に塞ぐアウラとマーレを、必死で慰めるシャルティア。
何か怪しげな事を叫ぶコキュートスと、その火に油を注ぐパンドラ、騒ぎを鎮火しようとするデミウルゴス。
怒り狂うラキュースと宥めつつ同調するヤトの妾、ぐずぐずと落ち込んでいるイビルアイ。
「早くいけ。お前の素肌は私だけのものだ、他の者に見せるな」
「は、はい!即座に!」
「さて…」
舌をだらしなく出して伸びている蛇を、アインズは腕を組んで見下ろす。
「愛しています、あなた」
呟きが耳に届き振り向くが、アルベドは消えていた。
アルベドを相手に精神の沈静化は起きないだろう。
鱗を大量に焼き尽くされて黒焦げになった体は、見た目だけで判断するなら生きていると思えなかった。
だが、アインズは彼がスキルを発動したことを確認しており、生きているのはわかっていた。
念のためHPを調べると余力は無く、ぎりぎりの賭けを外さなくて済んだと安堵する。
「まずはこの馬鹿を運ばせるか…まったく、世話の焼ける奴だな。お前がいなくては、誰が私の友になるのだ…馬鹿蛇め」
いち早く駆け寄ったラキュースは、蛇が黒焦げになった姿に、妾と一緒に錯乱状態へ陥る。
「ヤト! ちょっと! しっかりしなさい! 起きて目を開けなさい!」
「死ぬな! 私はまだ想いを伝えていない! 目を開けろ! 目を開けて…お願い、神様、彼を助けて下さい」
「私を残して死なないでよぉぉ…お願い、目を開けて、何でもするからぁ」
「死んでないから落ち着くがいい。失神しているだけだ」
死にかけていると思われるヤトを見つけ、即座に取り乱して縋りつくラキュースと名を知らぬ妾に、こんな夫婦も悪くないなと思いながら、カルネ村で開発された回復薬の試供品を蛇に振りかけた。
「さて…忙しくなりそうだ…な」
帝国との会談など忘れ、誰にも聞えないように呟いた。
―次回予告―
光り輝く最後の審判が墜落し、十字軍の宗教戦争は灼熱の煌めきにより終戦を迎えた。
友が発する支配者の胎動と、散りゆく桜を肴に、
次回、「骸骨の重婚可決宣言」
アインズさん、あんたは二度と孤独にならない。