モモンガさん、世界征服しないってよ   作:用具 操十雄

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この痛み、激痛よりも疼痛

 ヤトが目覚めると女性達は既に起きており、応接間でツアレを交えて談笑している声が寝室まで届く。

 入室してきた蛇の化身へ、洗い物をしていたツアレがエプロンで手を拭いて、大事な報告を始める。

 

「ヤトノカミ様、私は今日からメイド教育所へ特別指導をされます。今までお世話になりました」

「ん? そうなのか?」

「はい、セバス様のいる場所にいます」

「あー……そういうことか。頑張れよ、ツアレ」

「はい、頑張ります!」

 

 深々とお辞儀をした彼女は、ヤトの食事を用意して応接間を出ていった。

 少ないながらも引っ越しの荷物を纏めなければならない。

 

「おはよう、ヤトノカミ……さん」

「ヤトでいい」

 

 浮名を流す寝ぼけた男と、化粧を施さなくても美人の妾は見つめ合い、正妻は無視されて眉間に皺を寄せる。

 

「朝から私の愛妻と仲睦まじくしないで貰えるかしら」

「ごめん、って俺の妾だろ」

 

 文句を言いながら着席し、置いてあったパンを齧った。

 

「昨日言い忘れたのだけど、私とレイナは出掛けるわね。数日は家を空けるから。」

「……帝都から戻ったのに、入れ違いに出ていく必要ないだろ」

「私が止めるのも聞かず、寂しい妻を置いて帝国へ出かけたのはどこのどなたかしら?」

「……どこに行くか教えろよ」

「安心して、変な場所に出掛けるわけじゃないから」

「……早く帰ってこいよな」

「素直に寂しいと言えばいいのに」

「浮気しないか心配なだけだ」

「先に浮気したあなたがそれを言うの?」

「……」

 

「二人とも、その辺にしなさい。私から見ると遊んでいるとしか見えない……のけ者にしないでほしい」

 

唇を尖らせたレイナースは、仲睦まじい喧嘩の仲裁をした。

彼女の発言を聞いた両名は、真顔で顔を見合わせる。

 

「本物の寂しがり屋がいたわね」

「レイナは戻ってきたらアインズさんに面通しをして、忍者の修業な」

「わかった。」

 

 食事を終えたヤトは、着替えを持って家を出ていく女性を見送り、家にいたエイトエッジ・アサシンも護衛に付け、屋敷には誰もいなくなった。

女性と夜を共にすることが無くなった彼は蛇の姿に戻り、静かな屋敷を出て王宮へ向かった。

 

 

 王宮についたものの、ラキュースの働きによって書類は全てまとめられており、やる事のなくなった蛇は執務室を出て庭へ這っていく。

中庭に大穴を開けて一仕事終えたマーレと、騎士の稽古が出来なくなったコキュートスはナザリックへ帰還し、他に話し相手と言えば転移ゲートを出入りして物資を運んでいるシャルティアしかいなかった。

 

「ヤトノカミ様、お久しぶりでありんす。」

「久しぶりだな。何をしてるんだ?」

「はい、物資の運搬でありんす。」

「パンドラはどうした?」

「デミウルゴスと一緒に、穴の底で罠の図面を書いていんす。」

 

久しぶりに見た年齢相応に幼い笑顔は可愛らしく、可憐な吸血鬼真祖(トゥルーヴァンパイア)は真の姿がヤツメウナギと思えなかった。

 

「夜はナザリックへ帰りたいんだけど、アインズさんの見送りに出かけるから、仕事が終わっても待っていてくれ。」

「はい、気を付けて行ってくんなまし。」

「シャルティアは今日も元気だな。」

「花嫁修業も欠かしていないでありんす!」

 

真っ白な素肌の彼女は、満面の笑みで蛇神を送り出した。

ここまで満面の笑みを浮かべられると、笑いを無くした自分まで釣られて微笑みそうになる。

 

アインズを見送ったヤトは、エクレアが見初めた若き冒険者に暇潰しの仕事を依頼し、それ以上に何一つと思いつかなかった彼は、シャルティアが待つ城へ帰還する。

 中庭の端でちょこんと縁石に腰かけ、足をぶらぶらと前後させながら主を待つシャルティアに声を掛け、ナザリックへ帰還していった。

 

自室へ戻った彼は、嫁が戻るまでの退屈を潰そうと、指輪を外して眠りに落ちた。

 

 

 

 

執務室を飛び出た(アルベド)は、自室で絶望の涙を流した。

涙は止まることなく、愛しい白磁の骸骨が描かれた抱き枕は、局所的な雨で濡れる。

 

「モモンガ様……なぜ私を……そこまで憎まれるのでしょうか……」

 

ただの一度だけ、‟完全なる狂騒”を使用した際に愛していると言われた記憶を繰り返した。

 

希望は残されていない。

 

あの御方はイビルアイと結ばれるだろう。

 

以前に失望したと言い渡された以上に、声は心からの失望を表していた。

 

「……なぜ仰って頂けないのでしょう。私を愛せよと……お前の全てを愛そうと……ただ認めて頂ければ、それだけで良かったのに……愛せよと命じて、それを奪われるのですか……うぅぅ……うわあああ!」

 

号泣する私の自室には、悲痛な雨が降る。

 

 

 

 

その夜、魔導国領内に構える貴族の邸宅では、男性の貴族が愛娘に怒鳴っていた。

 

「ふざけるな! 認められる訳がなかろう!」

 

 顔を真っ赤にして怒る王国貴族の男性に、畏まって座るレイナースの頭が、ラキュースと初めて会った時のように申し訳なさで下がっていた。

 

「お父様、魔導国の蛇の妻としてお願いしているのです。二人目の妻に貴族の地位がないと、外聞というものが」

「この馬鹿娘が!久しぶりに顔を見せに帰ったのかと思えば、妾と養子縁組をしろだと!?どれほど無茶苦茶な申し出か分かっているのか!?」

 

彼の怒りは収まらず、その血を受け継いだ一人娘も、熱を当てられて徐々に加熱する。

 

「わかっています!今でこそ家を捨てた彼女ですが、元は帝国貴族です!何の問題があるのですか!」

「由緒あるアインドラ家の一人娘が、世継ぎが望めるか不明な相手に嫁いだのも不満なのだぞ!」

「娘の幸せが、それが全てのように言わないで下さい!」

「お家の存続が危ぶまれては、領地を誰が治めるのだ!」

「皆に分け与えればいいでしょう!」

「お前だって家を飛び出た癖に、いまさら外聞を気にするのか!」

「私は神に近しい者の妻です!人々のお手本にならなければなりません!」

 

伴侶と娘の冷める気配無き怒りに、ラキュースの母はため息を吐き、冒険から戻って偶然に立ち寄っていた義理の弟へ目配せをする。

彼女の意を汲んだアズスは、熱を帯びて赤くなる男女の片方へ声を掛けた。

 

「兄者、少し落ち着こう。珍しい酒を土産に持ってきた、あちらで休憩しよう。」

「休憩しても何も変わらんだろう!」

「いいから、いいから。」

 

強引に室外に連れ出されていくのを確認したラキュースの母は、自分のせいだと自責の念に駆られている美しい女性に声を掛ける。

 

「レイナース・ロックブルズさん。あなたはどうお考えなのかしら。」

「は、はい、あ、の…私なんか……家も親も、果ては婚約者と身分まで捨てた人間です。別にこのままでも」

「駄目よ、レイナ。ナザリック地下大墳墓の支配者でもあり、魔導国の指導者の一人でもある彼が見初めた二人目の妻なのよ。放浪の女性騎士でも問題はないでしょうけど、これで本当の家族になるのよ。」

 

ラキュースの母は、前しか見ていない猪娘を見て、娘とよく似た溜め息を吐いた。

 

「あなたは昔からそうだったわね。幼き時分に動物を拾ってきては、お父様によく怒られていた。成長するにつれて拾ってくるものが度を越し、孤児や浮浪者を連れ帰った事もあったわね。」

「う……はい」

「うら若き女性になると、冒険者になって亜人種の保護をすると家を飛び出して、結婚するといって連れ帰ってきたのが魔導国の蛇さんで、ようやく落ち着いたと思ったら妾さんを連れ帰って養子縁組をしろというのだから」

「はい…ごめんなさい、お母様。」

 

すっかり沈静化された怒りの炎は影も形もなくなり、後には母親に年甲斐もなく怒られ、肩をすくめる若い女性が残った。

 

「レイナース、今日は泊っていきなさい。あの人はアズスさんと私で説得するから。」

「あの……ラキュースのお母様」

「私はあなたの母です。お母様と呼びなさい。」

「お……お母様。」

「よろしい、明日からレイナース・ロックブルズ・アインドラよ。でも、あなたのご両親はどうしたのかしら。」

「二度と会いたくありません。」

 

この日、彼女が唯一見せた感情は拒絶だった。

 

「……そう、一度は話すべきかと思ったのだけど、その様子では難しいかもしれないわね」

「…申し訳ございません。」

「他人行儀な言い方は止めなさい。」

「……はい、お母様」

 

ヤトと会ってから今日までの記憶が駆け巡り、様々な感情が沁み出すレイナースは、鼻を鳴らして滲んだ涙をぬぐった。

 

「あら、泣き虫な妹を持ったわね、ラキュース。」

「泣き虫で寂しがり屋の大切な家族です。」

「けれど、そうなるとレイナースの方が年上だから、ラキュースが妹になるのかしら。あら、子供が産まれたらどうしましょう。恵まれなかった方が嫉妬するかもしれないわね。」

「大丈夫です、二人で育てますから。ね?」

「う、うん。」

「ヤトノカミさんによろしくね。二人とも幸せにしないと殺しますとお伝えして。」

「任せて!お母様!」

「ありがとうございます、お母様。」

 

魔導国の蛇が聞けば、緑の鱗が蒼白に変わるだろう。

物騒な会話をしながら、女性陣は美人の家族が増えたと素直に喜んだ。

養子縁組の件など忘れて、別室で弟と酒を酌み交わす領主を待たずに床に入った。

ラキュースが使っていた部屋は物置にされていたので、客間ベッドに実子と養子が横になる。

 

残念なのか喜ばしいのか、ベッドは大型ベッドが一つしか設置されていなかった。

 

「ラキュース、私は帝国にいても孤独を癒せたと思う。」

「そうよね、そんなに美人なのだもの。羨ましいわね、本当に。」

「顔はどうでもいい。帝国の彼は、遠い目でどこかを見ていたが、あれはラキュースを見ていたのだろう。全力で愛されているラキュースが羨ましかった」

「そ、そうかしら。」

「孤独など、誰かに認められる程度で癒せたというのに、人のものを欲しがるなんて……私は馬鹿だった」

「後悔しているの?」

 

ラキュースは不安な表情でレイナースを見た。

改めて考えると、無茶苦茶やり過ぎたかと心配になる。

 

「満たされた気分だ。新しい居場所をくれてありがとう、ラキュース。」

「よかった。」

「私は彼に愛されるだろうか……拒絶されたらどうしよう」

「大丈夫よ、その時は首輪でも付けて鞭で打ってあげるから。」

「……いや、そこまでしなくても。何か恨みでもあるのか?」

「あの阿呆が帝都でレイナとよろしくやってる間、私がどれだけ重労働をさせられたか。アインズ様に文句も言えないから、全部ヤツにぶつけてやるわ」

「そ、そうか……ラキュースも寂しかったのだな」

「……まあね。何よりも、帝都に置いてきて内緒で行き来すれば済んだものを、私が怒るのを承知で連れ帰ってきたのよ。今更、好きじゃありませんでしたなんて許さないわ」

「……ありがとう、ラキュース」

 

二人分の小さな笑い声が、ベッドから天井へ昇っていった。

 

「アインズ様ってどんな人?」

「ヤトより強い魔法詠唱者なのだけど、恐ろしいのは武力ではなく知力・運・魅力よ。どんな人間でも、あの人の前に出ると常識が崩壊して跪くわね。あの人にできない事は……あるのかしら」

「本当にヤトと同郷なのだろうか。」

「そうでしょうね、自分で言っていたから。それにヤトより女性に慕われるわね。」

「アンデッドで女性に好かれるのか?」

「人間にも、人間以外にも、万遍なく女性が寄ってくるみたいよ」

 

レイナースの理解を超え、想像も浮かばなくなった彼女は、そういうものなのだと無理やり納得させる。

 

「私もヤトの前に魔導王と出会っていたら、惚れていたのだろうか。」

「可能性は高いわ。あの方は、全ての女性に応えて下さるでしょうね。」

「よくわからないが、凄い人物なのだな。」

「でも、アインズ様の妾になっていたら、私と家族になっていないわよ。」

「それは嫌だ。」

「これ以上、妾や側室を増やされるのは勘弁願いたいわね。」

「その妾がいうのも何なのだが、同感だ。」

 

友達を失って家族を得たレイナースは、空いている手を胸に当て、痛みを訴える心臓を撫でた。

彼女の孤独は既に癒えており、胸の痛みが欲しているのを愛だと知っていた。

 

それを癒せる者は、ナザリックの地下九階層の自室で眠りこけている。

 

同階層の別室で毒の果実が実りを迎えたなど、眠れる蛇神は知る由もない。

 

 

 

 

錯乱した(アルベド)は飲食・睡眠不要のアイテムを放り投げ、眠りへと逃げていた。

気だるい体を起こすと、愛しい御方の抱き枕や刺繍が目に入り、嫌でも昨日の記憶が照り返す。

 

愛する御方が人間であった事実を、受け入れられなかったわけではない。

至高の40人どもが事も無げに我らを見捨てても、自身は我らを見捨てずにナザリックを守って下さったと、心が震えていた。

 

だが、モモンガ様はそう判断なさらなかった。

 

 化粧台に腰かけ、一晩中泣き腫らした私の顔は醜かった。

涙の痕跡を拭きとって化粧を施し、改めて鏡の私を眺める。

 

「拒絶されても、胸は愛しの君を求めて疼く………激痛で苦しめれば、胸の疼きは忘れられたのに……哀れな女。」

 

鏡の中でこちらを見ている女には、何の表情も貼られていない。

 

笑えなくなっていた。

 

 

思えば生まれてから今日まで、モモンガ様が御身を愛せよと命じた瞬間が、最も満たされた時だった。

 

 

愛していると言って下さった想い出という幻想の発電機(ダイナモ)、頭部で輝く向日葵の髪飾りは鏡の中で揺れ、愛していると言われた記憶が蘇る。

髪飾りを外して両手で抱き、大切な記憶を海馬から映写した。

 

他に縋るものはない。

 

 

 

優れた叡智を宿すデミウルゴス、パンドラズ・アクター、そして私は各々に誇らしいものがあった。

デミウルゴスは揺るがぬ忠誠を捧げる臣下として、パンドラは御手によって創造された息子として、私は女として愛せよと命じられた誇りがあった。

 

私の誇りだけが崩れた。

 

「モモンガ様……貴方を憎めれば良かった……記憶の貴方は……色褪せずに光り輝いています」

 

耐え切れなくなった私の感情は、まるで初めから歪んで作られたように、絶望の袋小路で狂いだす。

 

 

私が消えればいい。

 

私が死ねばいい。

 

死ぬならいっそ、愛する人の手で。

 

愛する御方に憎まれる存在(わたし)は、哀れで無様に死ねばいい。

モモンガ様を苛む存在を、全て殺してから。

 

毒の花のように咲き、触れると爛れる果実を実らせ、刈り取られ、打ち捨てられ、枯れ果てて土に還ろう、永遠に。

 

愛している設定を改変した私は、既に私ではない。

 

設定を改変後に蘇生されても、私には関係ない。

 

私は長柄斧(バルディッシュ)を取り出し、ゆっくりと部屋を出た。

 

何をすればいいのか、自分でも分かっていなかった。

 

 

 

 

キングサイズのベッド中央でとぐろを巻く蛇神は、長い休眠から覚醒して大きな欠伸をした。

にょろにょろと部屋を這い出ると、待機していた一般メイドのインクリメントが、読んでいた本を慌てて閉じるのが目に入る。

 

「おはようございます、ヤトノカミ様。夕食は如何なさいますか?お部屋にお持ちするのであれば、すぐに運ばせますが。」

「いや、腹は減ってない。バーで酒の摘みでも食う。」

「畏まりました。御伴いたします。」

「いや、ナザリック内だから御伴しなくても……ところで、アルベドはどうした?」

「アルベド様は自室にて内務整理を……」

 

インクリメントは、引き籠っている想定だったアルベドを見つけて、言葉が途切れる。

彼女は長柄斧(バルディッシュ)を持って、廊下をゆっくりと歩いてきている。

生霊に似た様は、思い詰めているのが誰の目からも見て取れた。

 

「インクリメント、イビルアイはどこにいる?」

「はい、第六階層でペットと共に訓練の最中かと思われます。」

 

二人を無視して側を通過しようとするアルベドの肩を叩き、彼女の動きを止める。

 

「アルベド。」

「モモンガ様……モモンガ様……」

「落ち着け。話があるから夜になったらバーに来い。」

「……?」

 

彼女の心に言葉は少しも響いていなかった。

ヤトは錯乱状態に陥るアルベドの目の前で掌を強く合わせ、乱れた意識に石を投げつける。

 

「あら、ヤトノカミ様。御機嫌よう。」

 

猫だましを食らったアルベドは、幾何学模様の心中から一時復帰した。

愛が失墜した傷心に我を失っている彼女へ、軽口は叩けなかった。

 

「アインズさんの件で話がある。」

「……モモンガ様」

「夜になったらバーに来い。わかったか?」

「夜にバーへ行く。」

「よろしい、はい回れ右。自室へ戻れ、皆が不安がるから。」

「はい。」

 

インクリメントは痛ましいアルベドの姿に、首を横に向けて目を背けた。

 

「大丈夫か……」

「アルベド様……」

「このことは他言無用な。」

「畏まりました。ではバーへ御伴を。」

「いや、先に第六階層に行く。伴は必要ない。」

「そうですか……」

 

残念そうなメイドを残し、ヤトは第六階層へ向かって這った。

 

 

 

 

「でかいハムスターだな。」

「イビルアイ殿!蛇でござるよ!拙者の尻尾よりも立派でござる!」

 

棒立ちするデスナイトへ事務的に水晶騎士槍(クリスタルランス)を突き込んでいたイビルアイは、ジャンガリアンハムスターの声で動きを止めた。

 

「ハムスケ殿、彼は支配者の一人だ。無礼をするとアインズ様や他の方々に叱られるぞ。」

「す……すまないでござる。某はまだ皆の顔を覚えておらぬが故に……」

 

二足歩行で肩をすくませるハムスターは、申し訳ないと言わんばかりに頭を下げた。

 

「……あまり賢くなさそうだな。何だそのつぶらな瞳は」

「私は強大な力を感じるぞ………です、ヤトノカミ様。」

 

アルベドの英才教育を受けたイビルアイは、一生懸命に僕として振る舞おうとして言い直す。

 蛇の鱗をくすぐられているようで落ち着かなかった。

 

「今まで通りでいいぞ。落ち着かん。」

「わかった。」

「ところで、あそこの水槽はなんだ?」

「ソリュシャン殿のスライム養殖槽だ。」

 

蛇が尻尾で指した第六階層の端には、大量の水がたゆたう水槽が設置してあった。

 まだ調整中なのか、水槽内に満ちた水と同色で見えないのか、中には何も入っていないように見えた。

 

「ラキュースはどうしたのだ、ヤト殿。」

「どこかへ出かけた……実家に帰ってなければいいけどな」

「何かしたのか?」

「……妾を連れ帰った」

 

妻と妾問題で揺れるイビルアイに、言い辛そうに渋々と堪える。

案の定、彼女は噛みついてくる。

 

「結婚してそうは日にちが経っていないぞ。何をやっているのだ」

「あ、うん……いや、その」

 

行動が規格外(ぽんこつ)な蛇神に、イビルアイはため息を零した。

 

「ラキュースに見限られたらどうするのだ」

「昨日謝っておいた」

「支配者なのだから仕方ないが、あまりに性急だろう」

「アインズさんとラキュースに、充分に怒られたから勘弁してくれよ……」

「ラキュースは何と言っていたのだ?」

「俺の連れ帰った妾はラキュースの愛妻になった」

「……はぁ?」

「……はぁ」

 

首を傾げるイビルアイの疑問符で会話が途切れ、しばらく辺りは静かになった。

ハムスケは長くなると察し、地べたへ寝そべった。

 

「ラキュースの考えてることはわからんが……ヤト殿が妾を作ったのならアインズ様も作るべきだな!」

「……そーね」

「アルベドさんへのフォローを頼まれた。私は一緒にいられれば妾でも構わないから、もう一度頼むように説得してこよう!」

「待て待て、今のアルベドに会ったら殺されるぞ」

「……やはりそう思うか?」

「うーん……」

 

 蛇神と吸血姫は腕を組んで頭を悩ます。

 

「人間だと受け入れられなかった奴など放っておけばいい気もするが」

「それは違う。私が即答しただけなのだ。アルベドさんもきっと受け入れている」

「あのな……誰よりも愛していると公言している奴が、即答できないほうがおかしい。ラキュースは俺に即答したぞ」

「う……だけど、アルベドさんは私と出会うより前から、アインズ様を愛していたんだ」

「お優しい事で、足元を掬われるぞ」

「アインズさまの隣は、アルベドさんがよく似合う」

「……それは認める。アインズさんも奥手だからなぁ……俺からも二人に言っておく」

「同じ人を愛した女として、これで終わりはあまりに悲しすぎる……できれば助けてやってくれ、ヤト殿」

「わかったわかった。今日はもう終わりにして休め」

 

 片手で追い払われたイビルアイは、眠れる齧歯類の鼻提灯を割って起こし、共に円形闘技場を後にした。

 残されたヤトは、水槽を揺さぶってスライムが入っているのかを確認しながら、アルベドに何の話をしようかと思い悩む。

 

「あ、そっか。アインズさんが俺にやった手段があった」

 

 世話の焼ける三人の純潔にため息を零し、蛇は一足先に酒を飲むためにバーへと這っていった。

 この選択が間違いであったと、イビルアイが後悔するのは翌日である。

 

 

 

 

 カウンターへ腰かけた黒髪黒目の蛇の化身は、キノコ型の頭部を持つ副料理長と利き酒を行っていた。

 ここまでは平和なナザリック地下大墳墓の風景で、二人の間には緩んだ空気が流れる。

 

「ウイスキーもブランデーも、味の違いは難しいな」

「飲み慣れていないので、仕方ありませんよ。更に幾つか見繕いましょう」

「いや、それは次回でいい。度数が最強の酒は何かな」

「スピリタスが96度でございます、ヤトノカミ様」

「試しに少しだけ出してくれないか」

 

 お猪口で出された高濃度の酒は、喉から胃袋に掛けて焼き畑農業を行い、しばらく胃袋(ストマック)の辺りを押さえて苦しむ。

 必死で取り繕ったつもりだったが副料理長には気付かれてしまい、申し訳なさそうにブランデーとチョコレートが出てきた。

 甘い口当たりのする琥珀色の液体は、同じく甘くて黒いチョコレートを優しく受け止め、胃袋で暴れる炎は徐々に収まった気分になる。

 

「……俺、ブランデーでいいわ」

「左様でございますか。では次回、お越しになられるまでに、お口に合いそうな物を見繕っておきます」

 

 化粧の乗りが悪いアルベドは夜になっても現れず、ヤトは副料理長から酒の知識を授けて貰いながら、時刻は未明に差し掛かった。

 感情と生気のない表情をしたアルベドが、静かにバーへ入ってくるのを視界に捉えた。

 

「アルベド、遅かったな」

「準備に時間が掛かり過ぎてしまいました」

「準備?」

「化粧です」

「……そうか、奥の席で話を聞こう」

 

 最奥のテーブル席へ移動し、二人は向かい合って座った。

 ヤトは責めも許しもせず、淡々と話すアルベドの話を聞いていた。

 

「話は以上です」

「へー……」

 

(これってアインズさんも悪くねえか?)

 

 

「アルベド、イビルアイを殺す気か?」

「……あの方が自らの幸せの選択としてイビルアイを選ぶのならば、私が何を言えましょうか。同じアンデッド同士、離れることなく永続の愛を貫くでしょう」

 

 前向きな発言をする彼女の声は、失墜した絶望を表しており、表情こそまともだったが、それが却って逸脱を悟らせた。

 微かに聞こえる歯ぎしりがそれを証明する。

 

「イビルアイを殺して、正妻に収まらないのか?」

「愛しいモモンガ様は……イビルアイを選ばれた。その選択にケチをつけることは、愛と忠誠に泥をかける行為です」

「ふーん……じゃあ今のお前が望むのはなんだ?」

「設定改変前に命を絶つことでございます。その後、設定を改変されて蘇生された私はもはや私ではなく、今の私には関係ございません」

 

 アルベドは頭から向日葵の髪飾りを外し、テーブルに置く。

 

「この髪飾りはあの方との大切な思い出であり、私がモモンガ様を愛する象徴。今の私には、太陽の光を集めようとする向日葵は少々眩しゅうございます」

「アルベド……そう悲観しなくても、まだ可能性はあるだろ」

「私は、他の至高の40人どもがこのナザリックを捨てても、私達を見捨てずに残られ、慈悲深く我らを見守って下さったモモンガ様を、心より愛していました。それも設定を改変されてしまえば、全てが過去の遺物となりましょう。光のように輝き、一心に愛されたいと願った私の愛までも」

 

 至高の40人を“ども”と称したのは、聞き間違いだろうと流れていった。

 

「……設定改変前の記憶があるのか」

「忘れることはできません。玉座で寂しいと呟いたあの方の悲しみを。あの方の苦痛、渇望、希求……愛せよと命じられた時、私は裏切り者である40人の代わりに、モモンガ様の心の支えになれると歓喜いたしました」

 

 ヤトの頭蓋内で限界まで音量を上げた特別警報が鳴る。

 アルベドを黙らせろと伝える警報は、矢継ぎ早に言葉を続けるアルベドに押し切られた。

 

「このナザリック地下大墳墓はモモンガ様だけのもの。かつての仲間など、あの方に必要ない。全ての守護者、全ての僕、全ての人間、意識無き魑魅魍魎、墳墓内の空気まで全てが貴き名を持つモモンガ様の所有物。我らを勝手に創造し、身勝手に捨て去ったかつての仲間など、もういらない」

 

 ヤトの胸を痛みが刺す。

 過去の記憶や己のした行為を突きつける痛み、激痛ではなく疼痛に似た、負の感情を呼び起こし掻き毟りたくなる痛みが。

 不快感を振り払おうとしたヤトは言葉を続けるが、望んだ答えは返ってこず、聞きたくなかった言葉が放り投げられる。

 

「タブラさんにも同じ感情を抱くのか?」

「私を捨てた創造主へなど、何の感傷もありはしない」

「……てめえ、仲間が戻ってきたらどうするんだ?」

「殺す」

 

 その瞬間、二人が掛けていた席のテーブルは砕け散った。

 テーブルを砕いたヤトは蛇の姿に戻って立ち上がり、アルベドを見下ろす。

 蛇神を無視するアルベドの目は、床に転がる髪飾りに走った亀裂を映す。

 

「愛しい思い出に亀裂が……そうか、目の前にいたわね……私がアインズ様に憎まれるために、殺すべき相手が」

 

 物騒な呟きは、呼び起こされた過去の不快感に囚われるヤトに聞こえなかった。

 アルベドは微笑みを向けた。

 

「ふざけんなよ……アインズさんは仲間が戻ると願ってんだぞ」

「仲間のせいで辛い思いをなさるのであれば、ナザリックの僕がいればいい。我々こそがモモンガ様の家族であり、それ以外の仲間は必要ない。何度、アインズ・ウール・ゴウンの紋章旗を焼き払おうと思ったことか」

「……どれほど会いたがっていると思ってんだ」

「創造した我らを簡単に捨てる仲間など、モモンガ様に必要ない。誰も戻らないと知れば、アインズ様は御名をモモンガ様に戻すでしょう」

「死にてえのか?」

「殺せるのかしら?」

 

 

 ヤトはアルベドにアインズの妾になれと説得し、アルベドは愚痴を零し、立ち会いをしてすっきりさせる予定表通りにはいかなかった。

 似て非なる感情を持つ二体の異形は、黒と紫の波動を立ち上らせ、初めから仕組まれていたように強い殺意を持って対峙する。

 こう着するかと思われたが、気の抜けた溜め息で場が解ける。

 

「はぁ……アルベド、まあそういきり立つなよ。少し落ち着け」

「そうですわね、失礼いたしました、ヤトノカミ様」

 

 ヤトは蛇のままにソファーへ腰かけ、アルベドは亀裂の入った髪飾りを拾った。

 落ち着いた口調の二人に、キノコの頭部を持つ彼はカウンターの内側で胸を撫で下ろす。

 表層だけ取り繕う両名は、互いの心中へ探りを入れる。

 

「そうだ、闘技場で立ち合いしないか?暴れればすっきりするぞ」

「それは名案です。是非お願いします」

「手加減しろよ。戦力差はそんなにねえんだから」

「それはこちらの台詞です。至高の御方と立ち合いなど、これ以上ない程に緊張します」

「じゃあ準備をして円形闘技場へ」

「後ほど伺います」

 

 見た目だけは穏やかに出ていく二人を見送った副料理長は、ヤトが破壊したテーブルの残骸を掃除し始めた。

 

「やれやれ……お戯れが好きな御方だ」

 

 彼は二人の殺意が本物であると見抜けなかった。

 

 

 

 

宝物殿の霊廟と、アルベドの自室、全力の戦闘準備をするヤトとアルベドは同調する。

同じ方向を向きながら違う事を考えている両名は、それぞれが同時に呟いた。

 

「アルベド相手に手加減はできねえ。蘇生アイテムを持っていない俺が、スキルを使って耐えきれるのは一回。回復アイテムは全て持っていこう」

 

「至高の41人であるヤトノカミ相手に手加減はできない。彼の高い体力を削るには、こちらも鎧を犠牲にすれば可能。素早さ対策は一つしかない」

 

戦闘準備は深夜にまで及び、戦場へと向かう前に改めて決意を新たにしようと、瞑想に耽った。

二人の脳裏に浮かぶのは、同一人物だった。

 

 

「アルベドを消して、設定改変後に蘇生すればいい。アインズさんは仲間が戻る極小の可能性に賭けている。それなら俺は協力すればいい」

 

 

「ヤトノカミを消した私は、殺されても構わない。モモンガ様は孤独(ひとり)じゃない、我ら(NPC)がいると分かって下さればいい」

 

 

憎悪や怒りではなく、愛するが故の殺意を持って二人の男女は対峙した。

似て非なる二つの愛は互いに違う場所で呟く。

 

 

「アインズさんが仲間を探す邪魔をするなら」

 

 

「我々からモモンガ様を奪い去っていくなら」

 

 

 

 

「アルベド」

 

 

 

「ヤトノカミ」

 

 

 

 

 

「お前を殺す」

 

 

 

 




―次回予告―

アルベドの心は加速を続け、掻き乱された心は幾何学模様(Geometric)にアインズへの愛を描写する。
至高の41人ヤトノカミと、守護者統括のアルベドは、同一人物への愛を携え剣を取った。
ナザリック地下大墳墓の栄光を揺るがす、かつてない事変が第六階層で開幕の鐘を鳴らす。
互いに全力で激突する情愛(エロス)友愛(フィレオ)は、冷たい雨が降る円形闘技場で最後の審判を受ける。

次回、「血で語る愛のジレンマ」

モモンガ様…永遠に愛しています。



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