帝都アーウィンタール中心部にある宮廷。
赤い屋根で彩られた宮廷の執務室で、若き皇帝と主席魔法詠唱者が相談をしていた。
「レイナースが?」
「はい、闘技場で怪しいフルプレートと共に。損害額は以前より増しています」
「冗談……ではないのだな。損害はいくらだ?」
皇帝は穏やかな笑顔を崩さなかったが、冷や汗が滲んでいた。
主席魔法詠唱者は、構わずに言葉を続ける。
「……白金貨6,150枚ですな」
馬鹿げた金額に目まいを起こし、頭に手を当てた。
「じい、損害を補填するのにどれほどかかる?」
「必要経費を考慮すると……三年掛けても補填できるかどうか」
「レイナースを呼べ。他の四騎士も全員集めろ、大至急だ」
「はい、すぐに集めましょう」
年配の主席魔法詠唱者は、執務室を足早に退出した。
◆
とある小さな邸宅では、テーブルに白金貨が積み上げられていた。
皿屋敷よろしく積み上がる白金貨の枚数を、数えるヤトにジエットとその母は、異様な光景を呆然と眺めている。
「げー……一万枚と208枚ある。これはちょっと、やり過ぎ…まぁいいか、暗殺とたらい回しの代償だな」
鼻歌交じりに、ジエットの母に白金貨を8枚手渡した。
金貨80枚分に相当する、手にしたことのない大金に、ジエットの母は喜ぶどころか顔面蒼白になる。
「あの……こんなに頂かなくても、一生懸命働きますので」
「先立つものは必要でしょう?魔導国に行ってすぐに住居と仕事が与えられるかわかりません」
「なぜ……ここまで、して頂けるのですか?」
「この金貨は帝国の賭け事でせしめた物ですから。魔導国のために一生懸命働いてください」
栄養の足りない髪を、後ろで一まとめにしたジエットの母は、泣きながらヤトの手を握りしめた。
「ありがとうございます……この御恩は一生忘れません」
「……重いんで勘弁して下さい」
母親の再婚を懸念するジエットは、複雑な心境で二人を見ていた。
朝食を省略し、二人を魔導国に送る準備を進める。
「母親を大事にしろよ、ジエット。魔導国で会おう」
「はい、この御恩は決して忘れません」
「頑張れよ、ジエット。投げられた賽の目を生かすも殺すもお前次第だ」
王宮へ向かうように指示を出し、二人を見送ってから一息ついた。
空腹を訴える、胃の収縮音が鳴った。
朝食はガゼフ達が泊まる宿で取ると決め、住人がいなくなった邸宅を飛び去った。
◆
「陛下、レイナースです」
「入れ」
レイナースが呼び出された皇帝の執務室には、他の四騎士も揃っていた。
「余計な駆け引きはしたくない。昨日、闘技場で大損害が出たのだが、身に覚えがあるだろう。一緒に居た者は何者だ」
「はい、魔導国の中枢人物だそうです」
髪型を変えていない彼女は、下ろした前髪をかきあげて顔を見せた。
他の騎士から、感嘆の声が漏れていたのが誇らしかった。
魔導国の名を聞いて、皇帝の顔から表情が消える。
「レイナース、帝国を売り渡したか。盗まれた図書を返したのも、貴様だろう。呪いの解除と引き換えに、何を売った」
「売るなどと人聞きが悪いですわ、陛下。私は呪いを解くために、少し協力しただけです。帝国の機密事項は存じ上げませんもの」
「では、魔導国の者について教えてくれるかな?」
「はい、特に口止めもされておりませんので、全てお話しいたしますわ」
彼女はこの四日間、自宅で起きた騒乱を全て話した。
個人的な感情と、舌で舐められた事は黙っていた。
包み隠さず話すレイナースに対し、皇帝は懐疑的な眼差しで見ていた。
洗脳されて誤情報を渡されているのかと疑っていた。
「それで、目的の暗殺者は見つかったのか?」
「その件について何も聞いておりません」
「馬鹿っぽいという点を考慮すると、イジャニーヤには接触していないのだろう」
「彼らは本日、こちらに外交の挨拶にいらっしゃるそうですわ。くれぐれもご注意ください、彼は人ではありません」
「わかった、情報提供感謝する。レイナースは下がって良い。何か聞きたければ、また呼び出そう」
「はい、失礼します」
微笑んで部屋を後にする彼女を見送った。
“雷光”だけが彼女を目で追った。
「呪いが解けると、思ったより美人ですね」
「激風、不動、雷光。重爆を信用するな、彼女は魔導国に洗脳された可能性がある」
「それは、真ですか?」
「ガゼフ・ストロノーフ、最上位冒険者を従えるなど、洗脳でもしなければできん。そうやって順当に王国の中枢人物を洗脳していき、国を興したのだろう。重爆が言っていた人では無いという点も、幻を見せられた以外に考えられん。マジックアイテムの発掘が盛んな南方の者であれば、そちらが自然だ。帝国もマジックアイテムに尽力すべきだったぞ」
「勘弁してくださいよ、陛下。洗脳されて部下にされちゃ堪ったもんじゃありません」
「しかし、信じられませんね。いくら自らの身を優先し、忠誠を尽くさないって言っても、そこまでするでしょうか。彼女は四騎士で最も攻撃力が高いのですよ」
「呪いを解く事を条件に売り渡した可能性が高い。彼女が機密事項に通じていなかったのは、不幸中の幸いだ。これから彼らが来るのであれば、三名は私の護衛に当たれ。重爆が裏切って攻撃してくると想定に入れよ」
「畏まりました、皇帝陛下」
腕を腹部に当てて腰を折る“激風”は、やや緊張して顔を強張らせた。
理知的な彼が、他の二人を引き締める。
「私にはネックレスがあるが、君らにはない。彼らと謁見の際、玉座の後ろに身を隠せ。有事の際はフールーダと共に飛び込め。歓迎の支度を始めよう、舌戦といこうじゃないか」
レイナースの言葉を欠片ほども信用していない若き皇帝は、その後も二重三重の策を練っていた。
魔導国との謁見は、数時間後に迫っていた。
◆
レイナースが意気揚々と執務室を後にしたところ、部下の若き衛兵が声を掛けてきた。
「重爆様、よろしければ技をお見せ頂けないでしょうか」
「わかった、すぐに行く」
顔をまともに見ない部下に対しても、解呪を終えた今なら寛容に接することが出来る。
騎士たちは中庭に集まり、技を掛ける時に使う傀儡を設置していた。
四騎士最強の攻撃を拝見しようと稽古を中断している者も多く、いつもなら淡々と傀儡を壊して去るところだが、呪いの解けた顔を見せて反応でも見てやろうかと思う。
静寂の中、二つ並んだ案山子のような人形を、まとめて破壊しようと槍を構えた。
皆が固唾を飲んで見守る中、彼女の一撃が放たれる。
本人の予想に反し、片方しか破壊できなかった。
いつも軽く持っている槍が、酷く重かった。
手が痺れて震えていたが、部下の手前、取り乱す事も出来ない。
「きょ……今日は少し調子が悪い。申し訳ない」
「いえ、片方でも破壊できるのであれば、今後の参考にさせて頂きます。ロックブルズ様、ありがとうございました」
「では、失礼」
拍手する部下達を見ず、足早に立ち去った。
呪いが解けて弱体化したなど、信じたくなかった。
レイナースは体調を崩したとメイドに言伝を頼み、整った顔を蒼白に変えて王宮を後にした。
◆
「朝飯……時間制なんだね」
宿に到着した時点で、朝食の受付は締め切られていた。
最高級宿と聞いていたので、食事の質に期待を寄せていたが、過剰な期待は到着早々打ち砕かれた。
「そこまで落ち込む事か?」
久しぶりに柔らかいベッドで眠った彼らは、顔がすっきりしていた。
ガゼフの隈は取れていた。
「うー……そこら辺の軽食出してくれる店に入ろう。アインズさんに連絡しないと」
宮廷に向かう道すがら、何か食い物が売っていればと思ったが、土地鑑のない彼らは該当店舗を見つけられなかった。
先に目的地が見えてきてしまい、アインズに連絡をするために、付近の路地裏に入った。
数日振りに聞いたアインズの声は、何やら明るかった。
「お前なあ……次から次へと人を送り込みやがって、受け入れ体制とか、心の準備ってものが。お前の説明不足のせいで、ワーカーを危なく殺すところだったぞ」
「穏やかじゃないッスね。何があったんスか」
「いや、なんでもない。魔法学院の生徒はよくやったと褒めておく」
「そいつあどうも、兄貴」
「あに……まあいい、連絡してきたという事は、皇帝と謁見かな?」
「そうッスね。何か言っておくことありますか?」
「ティラの話を聞く限りだと、暗殺依頼者が皇帝という線が濃厚だな」
「……生殺与奪の権でも握ってやりましょうか」
「待て待て、物騒な事は止めろ。ヤトが暴走しても、俺はここを離れられん。お前は勢い余って惨殺しかねないからな」
「離れられないって……やっぱり何かありましたね? 面白い事ですか?」
「……帰ったら話す。それより、ラキュースが寂しがってる」
「分かってます。俺も寂しいとでも伝えて下さい」
「……知るか、ボケ。伝言板代わりに使うな」
「おやびん!冷たいッス!」
「うるせえ!」
ついつい雑談が多くなってしまい、しばらく内容の浅い会話を続けた。
帝国への対応に関する指示を出され、ヤトは空腹のまま宮廷へ向かう。
「さて、ガゼフ達に指示を出そう。今回のロールプレイは彼らがいないと駄目だからな」
出来損ないの雷のような音が、腹部から聞こえてくる。
「……腹減ったな。朝飯、食わせてくれないかな」
◆
あの時、“行ってくる”と言っていたので、今夜は帰ってくるだろう。
他に何も考えたくなかった。
呪いの御蔭で強くなったと、暗い方向へ考えそうになる頭を振り、市場で食材を物色し始めた。
両手に食材の入った紙袋を抱え、自宅に帰りついた。
わかっていたが、部屋には誰もいなかった。
これまで騒がしかった分、無音の家が余計に寂しく感じる。
私は、寂しさを誤魔化すように、自室に入った。
ベッド脇に投げ出されている、読みかけの絵本は直ぐに読み終わったが、寂しくなっただけだった。
《星になったスピアニードル》の絵本を投げ出し、ベッドに入った。
日の高い時間から眠ったのは、生まれてはじめてだった。
◆
帝都アーウィンタールの中心にある宮廷は、赤い屋根の綺麗な城だった。
鎧を装備したヤトを先頭に、ガゼフ・ガガーラン・ザリュースと続く。
門番は王都の衛兵より、装備品が充実していた。
「魔導国のヤトノカミだ。皇帝陛下にお会いしたい」
「伺っております、こちらへ」
恭しく頭を下げた門番は、素直に宮廷に通してくれた。
ヤトが探知スキルを発動させると、物陰に大量の生命反応があった。
「やれやれ……大した歓迎だな」
呟いたつもりが、案内をする門番の耳に届き、振り向いて脂汗を掻いていた。
「じい、あれに勝てるか?」
「大した魔力も感じません。強いとは思えませんが、ここで戦闘するほど愚者ではありますまい。ジル、ここからが正念場です」
「ああ、わかっているとも。ここからは舌戦といこう。洗脳などに頼る愚か者の、
宮廷の窓から、一行を覗き見ていた皇帝と主席魔法詠唱者は、穏やかに笑った。
◆
彼らが玉座の前に着くと、若く顔立ちの美しい皇帝が、玉座に座って笑顔で迎えてくれた。
年齢はヤトと変わらないように見える、好印象な皇帝を見て、ヤトは腐敗貴族に嵌められたのではと勘繰り始める。
愚かにも暗殺を仕掛けてくるタイプには、とても見えなかった。
「ようこそ、帝都へ。魔導国の方々、歓迎しよう。私はジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル=ニクスだ」
「ガゼフ、彼が皇帝で間違いない?」
「ああ、間違いない。以前に戦場でお会いしたままだ」
ひそひそと小声で本人確認を行った。
ガゼフの真面目さを信用しているヤトは、皇帝と断定しアインズの指示通りに動き始める。
と、そう上手くはいかなかった。
「ジルクニフ皇帝、私が魔導国の蛇、ヤトノカミだ。早速で悪いが、私の頼みを聞いて頂きたい」
「ジルと気さくに呼んでくれて構わないよ。これから国家間で友好関係を構築するのだ、出来る限りの要望を聞こう」
顔も口調も穏やかなジルは、心中で身構えた。
未だに彼を八本指のボスだと思い込んでいる彼は、目の前にいる妙な鎧を装備したヤトを、欠片ほども信用していなかった。
「朝食……食べさせてほしい」
「……は?」
「朝食を食べ損なってしまい、とても空腹だ。なんでもいいから食べさせてくれ」
先ほど指示された打ち合わせ通りに進むと考えていた三名は、顔に手を当てて呆れていた。
三名が漏らしたため息により、緊張の糸は断絶された。
場の張りつめた空気は緩んだが、洗脳されたと思しき三名の気が緩んだのを確認しても、ジルの警戒は解けなかった。
「そのくらいの事であれば構わないよ。すぐに支度をさせよう」
「恩に着る、ジル。俺の事はヤトと呼んで構わない」
「ありがとう、ヤト。では君らを」
「その前に後ろにいるのは四騎士か?レイナもいるのか?」
ヤトの探知スキルによると、玉座後方に四体の生命反応があった。
策を看破されたと思い、ジルの額に汗が滲む。
笑顔は凍り付いていた。
やや沈黙の後、ヤトが言葉を続ける。
「……何か変なこと言ったかな」
「い、いや。すまない、疑っていた訳ではないんだ、君らが何者かわから――」
「早く出してあげたらどうかな……」
汗をかいているジルと、放置されている四騎士らしき者を案じ、途中で話を切った。
ぞろぞろと玉座背後のカーテンから、三名の騎士と一人の老人が出て来る。
「あれ?レイナはどうした?」
「レイナとは、レイナース・ロックブルズの事か?彼女は体調不良で帰宅したが」
「体調不良?呪いが上手く解けなかったのかな」
「彼女の呪いは、君が解いたのか?」
「部下の神官が解いた。それより、朝食を……」
「これは失礼、彼らを案内してくれ」
ヤト達はメイドに案内されて、部屋を出ていった。
部屋を間違いなく出ていったと確認し、四名に彼らの印象を尋ねる。
「期待外れですね。本当に八本指のボスなのでしょうか」
「珍しい鎧ですが、強いんですかね」
「私が防ぎきってみせよう。不動にお任せを」
「陛下、秘書官を同席させては如何でしょうか」
「同席するのはフールーダ1名とする。レイナースの二の舞を踏まれても困るからな。フールーダ、所持している対精神操作のマジックアイテムを装備して、会食に同席せよ」
ジルは壮絶な舌戦を想定し、気を引き締めた。
相手は人を洗脳する事を厭わない、下卑た犯罪組織なのだ。
何がきっかけで足元をすくわれるか、わかったものではない。
◆
宮廷の食べ物を当たり前のように食している、南方出身の犯罪者が腹立たしかった。
心中で悪態をつきながら、穏やかな笑顔を貼りつけるのを忘れなかった。
全身鎧をいつの間に脱いだのか不明だが、周囲に脱いだ鎧は確認できなかった。
「ジル、王都とは違って“ある程度”食べ物は美味しいな」
大きな態度を、ガゼフに咎められていた。
洗脳された彼が咎める点に違和感を覚える。
演技なのだろうと判断したが、何が狙いか余計にわからなくなった。
「気に入って貰えて光栄だよ、ヤト」
彼の顔を知っているフールーダが、反射的に話し出す。
「む……やはりこの小僧、図書館で蔵書を奪った者。」
「どうも、お久しぶり。“借りた”本は返しておいた。後で確認してくれ」
「勝手に盗んだんだろっ!」と、危なく叫ぶところだった。
“借りた”を強調する彼に、不快な表情を必死で押し殺して舌戦を挑む。
「それで、今日の用件はただの挨拶なのかな」
「ああ、そうだったな。本題に入ろう」
飲み物を飲み干してから、コホンと咳払いをして、無表情になった。
「まずは暗殺者を差し向けてくれて感謝する」
「……意味が分からないな。身に覚えが――」
「あー、そういうのはいいから、ちょっと黙って聞け」
手を振って私を遮った。
顔には何の感情も現れていなかった。
「おかげで闘技場で儲ける口実もできて、レイナの御蔭で充分に稼げた。水に流してやろうじゃないか」
明らかな挑発と、上から目線だった。
「損害額の情報は行ってるだろ。今後、魔導国に何か仕掛けたら、経済報復を仕掛ける。更に配下に収めたイジャニーヤを使って、カウンターを仕掛ける」
「配下? 彼らを配下に収めたのか?」
「ああ、勿論。弱い忍者なんて珍しいからな。大して強くも無いが、アインズさんの良いコレクションになるだろう」
洗脳して直属の部下、頭領が美人なら手籠めにする意味だろう。
どこまでも腐りきった、唾棄すべき奴らだ。
イジャニーヤを奪われた事で、私の心中に暗雲が生じる。
「どうやら情報の行き違いがあったようだ。部下が申し訳ない事をした、代わりに私が謝ろう」
「気にするなよ、ジル。あんたらの金で、仕立ての良い服も、掘り出し物の宝石も買えた」
口元を歪めて、両手で上着の襟を摘む。
露骨な挑発が鬱陶しかった。
「……その件だけなのかな?」
「いや、今日は同盟の要請に来た」
「同盟?」
「そうだ、魔導国と同盟を結んで欲しい。こちらに学校を作りたいのだが、一から作るのが大変だ。フールーダさんをお借りして、学校建設に協力して欲しい」
「その条件は飲めないな。彼は主席魔法詠唱者だ。彼がいないと国が回らない」
「ではここからは、直接フールーダさんに話そう」
「お断りする。帝都を離れるつもりはない」
聞かれる前にフールーダは即答してくれた。
犯罪組織風情が提示する条件を、彼が飲むとは思っていなかった。
「アルシェから聞いたのだが、魔法の深淵を覗きたいらしいな?」
「……む、アルシェを知っているのか。彼女は元気かね?」
「ああ、妹達や仲間と共に魔導国に引っ越した。今は家を用意されて、仕事を頑張るつもりのようだ」
「そうか、よろしく伝えてくれ」
「それで、魔法の深淵を覗きたいのに、第六位階までしか使えないんだって?」
馬鹿にした酷薄な表情が張り付く。
明らかにこちらを下に見ていた。
英雄の領域にいるフールーダは、馬鹿にされて苛立っていた。
「貴殿は第何位階まで使えるのだ」
「俺は前衛だから使えない。アインズ・ウール・ゴウン魔導王は第十位階と、その先にある超位魔法を使える。ここじゃ第十一位階って言うんだって?」
「ふざけるのも、いい加減にしろ!寝言は寝ていえ!」
フールーダは激昂して立ち上がり、テーブルに両手を叩きつけた。
強い衝撃で食器類が床に落ち、ドアで待機しているメイドが、目を見開く程に大きな音を立てた。
「帝国の連中は、人の話を信じない傾向にあるな」
「私は貴様が想像できぬほど、悠久の時を生きておるのだ!その私が辿りつけぬ領域に、貴様ら犯罪者風情が」
「異議あり、訂正しろ。俺は八本指のボスではない。ヤトノカミと魔導王は、ナザリック地下大墳墓の支配者、神の領域に足を踏み入れた存在。程度の低い犯罪者と、一緒くたにするな」
片手を軽く上げて、声のトーンを落としていた。
情報を垂れ流しているように感じるが、言っている言葉の大半が理解できなかった。
馬鹿にされ蔑まれたフールーダは、顔を真っ赤にして震えていた。
「人をおちょくるのも大概に――」
「ならば証拠を見せてやる。このクズ共が」
黒髪黒目の男は、立ち上がって大蛇の姿に変わった。
頭部から刃が突き出ており、背中に大きな鎌と小さな武器を背負っていた。
呼気は瘴気でも帯びているかのようだ。
「ヤト、やめろ! 殺すな!」
「旦那! ここは抑えてくれや!」
「あなたが本気で暴れたら廃墟と化してしまいます!」
蛇の部下は彼に対して武器を構え、本気で止めようとしていた。
私は彼らの認識を改めた。
この怪物は洗脳などしなくても、力ずくで従わせるだろう。
見たことない怪物に私の体は固まり、指先一つ動かせなかった。
「私はナザリック地下大墳墓、支配者の一柱ヤトノカミ。暗殺者を差し向けた礼をここでしても構わないが」
「おのれぇえ! 化け物めが! 《
フールーダの放った魔法は、途中で掻き消えた。
蛇は何事も無く、腕を組んでこちらを見ている。
逃げようにも、体が動かなかった。
こんな化け物が、人の世にいて良い筈がない。
「ジル、しっかりしなさい! 四騎士の三人を呼ぶのです!」
「四騎士! 入ってこい!」
フールーダに促されて体の硬直が解けた私は、部下を呼ぶために叫ぶ。
ドアの外で様子を窺っていた彼らが雪崩れ込んで来たが、蛇を見て私と同様に固まっていた。
「これが四騎士か。帝国四騎士の実力を見せてもらうぞ。」
「ヤト! もう止めろ!」
四騎士に向き直った大蛇の前に、ガゼフを初め連れの二人が立ちはだかる。
「ガゼフ、邪魔をするな」
「ラキュースを悲しませる気か、旦那!」
逞しい最高位冒険者の女性が放った言葉で、怪物はしばらく動きを止めた。
「……チッ、仕方ないな。だが、人の姿には戻らないぞ」
連れの三名は安堵の息を吐いたが、帝国側の人間はそう簡単に納得できない。
私と四騎士は、動きを完全に止めていた。
「では、同盟に関しての条件を……いつまで固まっている」
「あ、ああ。済まない。聞かせてくれ」
それだけ言うのがやっとだった。
「アンデッドを差し出す。デスナイト……いやデスナイトじゃ安っぽいかな。
「な……なぁにぃ? 今、何と言った」
「デスナイト数体か、
「詳しく教えて欲しい」
フールーダの目に妖しい光が宿り、私は彼を失う覚悟をする必要があった。
魔導王は魔法詠唱者として神の領域にいる者、その盟友ヤトノカミは人間を止めた者、その現実を一目瞭然と突きつけられた。
異形の姿を目にした我々は、彼の話を信じるしかなかった。
彼らの提示した条件は、学校建設への協力要請、大規模農場への土地提供、戦争の終結であり、それ以上こちらへ金銭を要求する事は無かった。
「しかし、そんな事が現実に……」
「やはり疑い深い。帝国も偶然に上手く政治ができただけの、馬鹿の集まりだな。王都のラナー王女は、こちらが説明しなくとも感づいたぞ」
ラナー王女に劣るとまで言われて、固まっている訳に行かない。
「ヤト、私が同盟を断ったら、君らはどうするのかな」
「闘技場で大赤字するだろうな。出入り禁止にされた場合、我々は帝都で性質の悪い金貸しを始める。どうなるか想像できるな?」
想像の域を出ないが、彼は何かの方法で試合結果が見れるのだろう。
今後も白金貨を大量に赤字されては、帝都の滅亡が近づく。
どの程度の損害が出るかは、既に実証されている。
そちらを禁じても、化け物が営業する性質の悪い金貸しが帝都に出来た場合、恐ろしい事になるのは想像に難くない。
洗脳ではなく武力行使するタイプと判明し、付け入る隙を探した。
「返事はまだしなくていい。明日、出直すから一晩ゆっくり考えろ。魔導王を敵に回すと帝国は一日で壊滅する、それをよく覚えておくんだな」
口元を歪めた蛇は、連れと共に部屋を後にした。
去り際に隣のガゼフへ「ろーるぷれい」「流石はアインズさん」と言葉を掛けていたが、パズルのピースは繋がらなかった。
「おのれ! 死ね! 死んで腐ってしまえ! 化け物め!」
「ジル、落ち着いて下さい」
「じい! なぜ、あんな化け物の話を聞いたのだ! お前なら殺せたのではないのか!」
「魔法を無効化する術など、私は知りません。何よりも提示した条件は、決して損ではありません」
魔法の深淵に取りつかれたフールーダが、私をかえって落ち着かせた。
「すまない、取り乱したな」
「陛下、やばいんじゃねぇの?」
「くそっ、同盟だと? あんな化け物が支配する国と、同盟など出来るはずないだろう。提示した条件を守る保証もないのだ。レイナースはどこにいる、彼女の話を聞きたい」
「陛下、重爆は体調不良で帰りました」
「体調不良?」
空気の読めない重爆に苛立った。
「……明日には同盟の返事を聞きに来るのだ。時間が無い、秘書官、魔法詠唱者・騎士の主だった者を全員集めろ。明日、レイナースが来たら私の部屋へ呼べ」
頭を掻き毟りながら、急いで指示を出した。
母、兄弟を粛清した骨肉相食む争いの末に、必死で築き上げた帝国だ。
国が崩れる可能性は、私自身も壊してしまいそうだった。
突然訪れた大いなる災いにより、秘書官・魔術師・騎士を集め、夜遅くまで会議を続けた。
だが、魔導国の魔の手から逃れる術は、ようとして知れなかった
◆
「三人ともお疲れ様。なかなか迫真の演技だったぞ」
「ヤト程ではない。上手くやれただろうか」
「大丈夫だろ。なんなら明日にまた脅すさ」
「旦那、今日はこれからどうするんだ?」
「……昼寝でもするか。明日、彼らの返事を聞いてから、魔導国に帰る」
「自由行動でいいのかい?」
「ああ、観光でもしてくれ。俺は昼寝する」
「それにしても、本当に演技とは思えませんでした。死も覚悟しましたが」
ザリュースは冷や汗を拭った。
爬虫類でも冷や汗は掻くらしい。
「演技だよ、ラキュースが悲しむだろ」
「本当に奥方が好きなのですね」
「ザリュースよぅ、旦那と嫁の大恋愛、そのうち聞かせてやるよ」
「恥ずかしいから勘弁してくれ」
ヤト以外は、楽しく笑い合った。
「妾さんはどうすんだ?」
「妾じゃない。泊めてくれた礼のついでに、きっちり振ってくる。こっぴどく振られれば、諦めて他の男を探すだろ。」
「……ろくでなしだな」
「それが彼女のためさ、ガゼフ。異形の蛇の嫁はラキュースだけで充分だ」
「よろしくお伝えください。あと、あまり酷い事は避けた方が……」
「言い過ぎないように注意するよ、ザリュース」
人型に戻って眠気に襲われたヤトは、ガゼフに背負われて宿へ向かった。
この時、彼の中で悪のロールプレイは抜けきっていなかった。
転がる災いの出目は、レイナースにも迫っていた。
◆
眠りながら泣いていたのか、顔が乾いて引きつっていた。
後程、訪れるであろう彼の為に、気怠い体に鞭打って料理を作り始めた。
何かしていれば、他の事を考えずに済む。
一通りの料理を作り終わったところで、ドアが叩かれる。
出迎えると、やはり彼が立っていた。
「よう。世話になったから、別れの挨拶に」
「入って、ください」
さっさと立ち去る雰囲気を出す彼を、家に招き入れた。
せっかく作った料理が、無駄になると勿体ない。
「……すぐに帰ろうと思ったんだが、作り過ぎじゃないか?」
「お酒もあります」
「いや、挨拶して帰ろうと」
「作り過ぎたので、食べるのを手伝って欲しい」
「明らかに二人分じゃないだろ……」
他に誰かが来てもいいように多めに作っていたのだが、気付かれてしまった。
呪いのお礼と素直に言えなかった。
「捨てるのは勿体ありません。今まで私に、散々な無礼を働いたのだ、これくらいはいいでしょう」
「う……あぁ、そうだな」
俯いて何か言っていたが、残念ながら聞き取れなかった。
私は彼に酒を注ぎ、食事を始めた。
どちらも何も言わずに、ただ食べる音だけがしていた。
「……私は……呪いが解けて弱くなりました」
「あぁ、ジルが体調不良って言ってたな」
「重爆である私の特徴は攻撃だったのに、攻撃力が弱体化してしまって」
「へー。
「……はい」
そこで彼の手が止まる。
皇帝を気安く呼んでいた点は、気づいたが言わなかった。
その後、彼から聞いた話によると、私の取っていた
外見を変更する呪いが消えたから職業が消失してしまい、強さの基準である“れべる”というものが下がった。
彼はレベル測定ができないので、今の強さはわからなかった。
「呪いが解けたら騎士を辞めて、剣を取らない暮らしをするから、ちょうどいいな」
「あなたへの恨みは、まだ晴れてない」
「呪いが解けたんだから、忘れてしまえ。明日、魔導国へ帰る」
「……そう」
表情無くよかったなと言っていた。
自分がどうしたいのかが分からず、何と言えばいいのかも分からなかった。
静かな部屋で、私と彼は酒を飲んだ。
今日、彼は私の顔を正面から見なかった。
「じゃあ、俺は帰る。食事ありがとう」
「あ……ま、待って」
「……なんだ? 一発くらいなら殴られてやってもいいが」
「呪いのお礼に……その……私を抱いても構わない」
女性からこんな事を懇願する恥ずかしさで、顔が熱くなった。
「……いらん。帰る」
無情に断って手早く上着を羽織る彼を、俯いて両手を握りしめながら見ていた。
思わず言葉が漏れ出た。
「そんなに魅力、無いだろうか……」
彼は顔を半分だけ向けて、こちらを見ていた。
こちらを真っすぐ見てくれない事が、こんなに寂しく感じるとは思わなかった。
「妻がいる」
「私は誰にも話さない。一夜限りの事」
「そこまで興味が無い」
「……一緒に、いて欲しい」
最後は私の懇願だった。
寂しさを埋めるには、誰かの温もりしかないと思った。
出会ってから何回か見た、顎に指をあてて悩む仕草をしている。
考え終わったのか、頭を掻いてため息を吐いた。
「あのな、はっきり言うが。お前、誰でもいいんだろ」
「……違う」
「呪いを解いてくれるなら、誰かれ構わず同じことを言っただろうな」
何も言えないでいる私に、彼は言葉を続ける。
静かで暗い水面に似た声は、私の心に刃の如く刺さった。
「誰でもいい女に興味はない。男娼でも買い付けろ」
「人を娼婦みたいに言うな、蛇野郎」
「呪われた姿が本来の自分だというのに、気付かず解呪に固執するから、何も残らなかったわけだ。前に言っただろ、呪いを解いて何か残るのかと」
「消え失せろ! 私の前から消えろ!」
「哀れな女だ」
私の返事を待たずに、彼は静かにドアを閉めた。
悔しさで涙が流れていたが、彼には見えなかっただろう。
私が少し素直になれば、彼はここにいたかもしれない。
彼が妻帯者でなければ結果は変わったかもしれない。
見えていなかった事実が、解呪により澄んだ瞳に見えていた。
目を曇らせる呪いが晴れて、見えてきたのは輝く世界などではなかった。
私には、家族、友人、仲間、恋人、何一つとしてない。
孤独な女だけが残された。
私が持っていないもの、全て持っている彼が羨ましかった。
生きる目的を失ったと気付いた私は、全てがどうでも良くなった。
叫びたい衝動は抑えたが、流れる涙は止められなかった。
テーブルに突っ伏し、声を上げて泣いた。
誰でもいい、抱きしめて欲しかった。
スピアニードルと自分が重なる。
絵本と違い、私の泣き声は誰にも届かなかった。