モモンガさん、世界征服しないってよ   作:用具 操十雄

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逆鱗剥がし

「ヤト……」

 

 ヤトの私室に転移したラキュースは、彼の変わり果てた姿に呟いた。

 

 壊せる家具を全て破壊した部屋の中で、体は自傷行為の刀傷を負い、血痕が室内のあちこちへ塗られていた。室外ではセバスとコキュートス、マーレが有事に備え待機をしている。

 

 貸し出された睡眠・飲食が不要になる指輪を嵌め、大きな円錐状のアイテムを抱えながら、彼が起きるのを眠らずに待ち続けた。

 

 アインズの言葉を思い出す。

 

《これで失敗したら、彼の心は閉じ籠る(ロックド・イン)だろう。十中八九、二度と表に出てこないまま、廃人になり息絶える。失敗は許されんぞ》

《わかりました……失敗したら私もヤトの後を追います》

 

 眠る大蛇に抱き着いて、一緒に眠りたい衝動を抑えた。馬鹿な事を楽しそうに話している姿を思い出すと、涙が止まらなかった。この姿に苦しんでいる彼に、私は気にしないと教えてあげたかった。それだけのことで、どれほど彼が救われるだろうか。

 

 今は血の滲む生々しい傷をつけ、眠りの世界に閉じこもっている。

 

 他の誰にも、この役は渡したくなかった。

 

 彼女は失敗したら本当に死ぬ。二度と会えないなら、生きている意味も分からない。アイテムの影響でどれほど時間が経とうと、睡魔も食欲も感じなかった。時間の経過が分からない部屋で24時間近くが経過したとき、ヤトの意識が覚醒し始めた。

 

「……ちっ、また目覚めたか」

 

 むくっと頭を上げた彼に、飛びつきたい衝動を必死で抑えた。

 

「ヤト」

「あ?」

 

 部屋の外まで響く破裂音が鳴った。

 

 円錐状のアイテムから垂れ下がる紐を引くと、奇妙な笑顔で片腕をつきあげた銀の像が飛び出す。紙吹雪が二人の頭にぱらぱらと落ちた。“完全なる狂騒”の下位アイテムで、ナザリックに数える程度しかない、ビーストマン専用・精神人間化(状態異常弱体化)の効果があるアイテムだ。

 

「え?」

「あら?」

 

 動きを止めるマジックアイテムだと思っていた彼女は、ぽかーんと口を開ける彼を見て、同じように呆けていた。

 

「うああああああ!」

 

 ヤトはアイテムの特殊効果で心を強制的に人間に戻され、凄惨な記憶に絶叫をあげてのたうち回った。壁に激突し、血の滲む傷口が開いて出血が始まる。

 

「殺してくれ! 誰か俺を殺してくれ!」

「落ち着いて!」

「畜生! 大勢殺した! 惨たらしく楽しそうに殺した! 止めてくれたみんなを殺そうと、アインズさんを! 俺はアインズさんまで殺そうとしたんだ!」

「ヤト!」

「近寄るな! 俺なんか死ねばいい! 俺だけが死ねばよかったんだ!」

 

 過去の記憶に対して、人間の心で強制的に向き合った彼は、両腕で頭を掴み体全体を跳ね上げてのたうち回る。止めようにも暴れまわる大蛇は、近寄っただけで壁まで飛ばされそうだった。

 

「大丈夫!落ち着いてください!」

「何でお前がここにいるんだ!早く出ていけ!」

「二度と離れないためです!」

「ふざけるなっ! 俺は蛇の化け物だ! 鱗に覆われたこの体を見ろ! 俺に殺されそうになったのを忘れたのか!」

「うるさい! 話を聞きなさい!」

「うあああああ! 殺してくれ! 頼む、もう殺してくれええ!」

 

 壊れている家具を更に破壊しながら、部屋を右往左往していた。部屋の中は心を引き裂かれそうなヤトにより、とても騒がしかった。

 

 室外で待機している守護者達に声が届く。

 

「あ、あの……セバスさん。止めなくていいのでしょうか」

「人間ノ娘ナド、至高ノ御方ヤトノカミ様ガ暴レタラ、誤ッテ殺サレルノデハナイカ?」

「いえ、今の御方には憎悪も殺意も、敵意も感じません。しばらく様子を見ましょう」

「あのー……ご寵愛って、具体的にはな……何をするのでしょうか?」

 

 マーレはドキドキしながら尋ねた。

 

「マーレ様、理解するにはまだ早いのではありませんか」

「フム、マーレモ年頃トイウベキカ?」

「い、いえ。その……僕がご寵愛を授かる時のその……参考に……」

「……は?」

「……ム?」

 

 室外の守護者達は、中から聞こえる喧騒が収まるのを、妙な会話をしながら気楽に待った。

 

 

 

 

「ヤトが好きなのです!」

「うるせえ! 殺っちまうぞこのビッチが! そんな事聞きたくねえ! 嫌だ! 俺はもう何も見たくない!」

「やかましい! 黙りなさい!」

 

 どこから出したのか不明な程に、大きな怒鳴り声だった。謂れのない罵倒をされて、本気で怒っていた。それでもラキュースを無視して、釣り上げられた鮪のように暴れ続けていた。

 

 少し落ち着いたのか、動きを止めてすすり泣く声を上げ始めた。

 

「うぅ……うぅ……あああ! 涙すら出ねえ……生まれてごめんなさい……もう死ぬから許して下さいぃ……刀でさっさと首を切ればよかったんだよ……」

 

 冷血動物に涙は流れなかった。這いつくばって首を振っている大蛇は、刀を探していた。

 

 彼女は蛇の頭を優しく抱く。

 

「なんだよ……離せよ……俺はもう……お前を殺そうと」

「そのまま聞いてください。私は貴方がいないと生きていけません」

「俺は化け物だ」

「人間である事は重要ですか?」

「……ダメに決まってる」

「なぜ?」

「………それは哲学者にでも食わせてくれ」

 

 ヤトは目を閉じた。

 

「大事な事は一つだけです。私を好きか、嫌いかでしょう」

「……」

「私を好きですか?」

「……」

「嫌い……ですか……?」

 

 瞬時に瞳が潤い、嗚咽が混じった。

 

「だからそういう問題じゃ」

「好きか嫌いかで答えなさい」

 

 有無を言わせぬ低い口調で命令した。

 

「あ……嫌いじゃ……ないです」

「好きか嫌いかでしか聞きたくありません」

 

 じれったい態度に、苛立ち始めていた。

 

「……す」

「好?」

「……好きじゃない」

 

 渾身の力を込めて放たれた拳は、あっさり無効化された。

 

「もう放っておいてくれよ! 俺が死ねば済むじゃないか! お前だって他の男ができるだろ! 俺みたいな化け物を選ばなくてもいい男が寄ってくるだろうが!」

「本気で………本気でそう思うのですか?」

 

 明確な拒絶に溜めていた涙が流れた。

 

「……本気だよ。わかったらさっさと出て行け。もうどうでもいいんだよ」

「私は……寝ても覚めても……貴方のことばかり考えていたのに……貴方は違うのですか…?」

「…………違う」

 

 内的に否定はできないが、素直に肯定もまたできなかった。だが、彼の迷いは伝わった。

 

 

「私はここにいます。死ぬまで二人きりです」

「お前を食い殺すかもしれない」

「本望です」

「なに言ってんだ、馬鹿! さっさと出ていけ!」

「お断りします!」

 

 下らない押し問答はしばらく続いた。

 

 白い淫魔のように、設定改変に近い愛情を捧げる彼女が、すんなり従うはずがない。彼女は自分の中に住む闇ラキュース(中二病)の強い後押しで、彼を心から愛しているのだ。

 

 落ち着いても落ち込んでいるヤトは彼女の声に応えず、独白と化していた。

 

「雑貨屋に行った日の事、覚えていますか?」

 

「なんでも言う事聞くって言いましたよね?」

 

「私をどう思っているのか教えてください」

 

「過ごした日々にああすればよかった、こう言えばよかったと、後悔したくありません。私は貴方がいないと生きていけませんが、貴方はどうなのでしょう」

 

「……教えて……ください……。不安です……寂しいです……悲しいです……。私なんて……あの時、殺されていればよかった……。最愛の人に嫌われるのは……死にたくなるほどに……辛いです」

 

 震える声に嗚咽が混ざり始めた。

 

 大蛇は目を開き、瞳を動かしてラキュースを見た。

 

「…………好きだ、死ぬまで俺と一緒に居ろ」

「あぁ………はい!」

 

 心が満たされた彼女は、殺し合いの時に流した涙とは違う意味の涙を流して微笑んだ。

 

 全身を伸ばしきったヤトは、ラキュースに頭を撫でられ続けている。

 

 角が刺さらないか気を使った。

 

「このまま、眠る貴方を抱いています」

「……………人の姿にならなくていいのか?」

「どちらも私の好きなヤトですから」

「……」

「目覚めるまで、私はここにいます。安心してください」

 

 ヤトは蛇のまま頭を撫でられ続け、改めて静かに寝入った。

 

 薔薇の芳香に似た甘い香りに包まれ、初めて安心した眠りに落ちた。

 

 この日、彼の中で母親が死んだ。

 

 

 

 

 復帰したヤトはあれから時間をかけて眠り、体は睡眠中に回復された。起きて早々、執務室へ呼び出され、アインズの長い説教が続いていた。

 

「なんとか言えぇ! この大馬鹿野郎がぁ!」

「……」

「アインズ・ウール・ゴウン様。彼も反省しております。どうかお許しください」

「……なぜラキュースが謝る」

 

 蛇の姿では表情の無さにより反省具合がわからず、人化して執務室で正座をさせられている。自然にヤトの隣で正座をする、不自然なラキュースと共に、アインズに怒られていた。

 

 アルベドは微笑みながら、アインズを見ている。

 

「……死ぬつもりでした」

「本当にお前は馬鹿だな」

「……せぅですね」

「次、憎悪に支配されたら守護者全員を連れて止めに行くぞ」

「殺してしまっても――」

「それは許さん。かつての仲間になんと詫びればいいのだ。特に女性陣にハチの巣にされるだろう」

 

 声に孕まれた怒気は少しずつ沈静化されていった。

 

「直情型のやまいこさんは、ブチ切れそうッスね。」

「勘弁してくれ……」

「すんません」

「ラキュースは来賓の部屋で休め。ヤトは王都へ行くぞ」

「……謝りに行くんですか?」

「酔っ払いじゃあるまいし。彼らは王国を我々に渡すそうだ」

「えええっ!?」

 

 あまり興味がなさそうなヤトに対し、ラキュースは目を見開いて驚いていた。ここで彼女への説明が挟まれ、正座時間が延長される。ヤトの足は限界を迎えていた。

 

「ま、待ってください! 私も行きます!」

「公衆の面前でべたべたするのはちょっとどうかと思います」

「はぁ……」

「はぁ……」

 

 二人同時にため息を零した。

 

「仲間が心配していますので自宅へ帰ります。ラナー王女には後で話を聞きますので」

「王都まで送ろう」

「ところで……あの、アインズ・ウール・ゴウン様はモモ――」

 

 室内で騒いだ時にアインズと言ったため、モモンとアインズは同一人物という図式が、彼女の頭で建設を始めていた。

 

「待て待て、その話は後でする。」

 

 よりによってアルベドが見ている中で、ヤトとアインズが本気の殺し合いをしたなどと話せば、彼女主導の下に反乱が起きそうだった。上手く説明をしようとしても、二人で殺し合いをした部分を避ける言い訳が思いつかない。

 

「ラキュース、仲間を安心させてくるがいい」

「はい」

「行きますか」

 

 立ち上がろうとしたが、本調子でない彼は正座と説教の精神疲労で転んだ。

 

「はぁ……」

 

 アインズは頭を押さえて再びため息を吐いた。

 

 ラキュースに肩を借りて立ち上がる彼は、ばつの悪さを隠すようにピンクの舌を出した。

 

 

 

 

 ラナー王女の私室にて、アインズとラナーはここまでの経緯をヤトに説明する。

 

「本気ですか?」

「はい、本来であればヤトノカミ様をここへ招く予定だったのです。反国王派閥の思わぬ邪魔が入ってしまい、さぞや不快な思いを成さったことでしょう。申し訳ありません、改めてお詫び申し上げますわ」

 

 国を奪取する予定ではあったが、事態が性急過ぎてついていけなかった。本来の予定ではしばらく先の予定だったのだ。“子犬のようにクライムを飼う”とは何の話なのかと考えていた。

 

「アインズさんが国王に?」

「ナザリックの内務で忙しい」

「え? 俺はちょっと」

「誰のせいでこうなった?」

「……」

 

 本調子でない彼は、ふざけてやりすごす返答ができなかった。

 

「当面は第二王子のザナックを主体に国政を行いましょう。私と信頼できる貴族が全面的にお手伝い致しますわ。国民への説明、周辺国家への通達、自給率の確認に税収の政策、まだまだやることは沢山あります」

「うぼぁ……」

 

 誰かに手伝わせようと呑気な結論が出て、ここで考えるのを止めた。

 

「アインズさんが国王陛下になった事ですし、国の名前変えません?」

「まあ、それはいい考えですわ。ヤトノカミ様とラキュースの婚礼を、国を挙げて行いましょう。この機に王国は生まれ変わるのです」

「素晴らしいぞ、ラナー王女」

「……断る。婚礼は関係ないでしょう」

 

 ラナーは嬉しそうに微笑んでいた。

 

「アインズ・ウール・ゴウン王国はダサいッスね」

「公国? 強国? 皇帝国?」

「魔を入れましょう。アインズさんは魔王ですから」

「魔……魔法国・魔術国・魔道国・魔王国……」

 

 さりげなく魔王という箇所は認めていた。

 

「逢魔が国とか」

「この馬鹿蛇……」

「魔導国などは如何でしょうか?」

 

 ラナーが嬉しそうに微笑んだ。それからいくつかの案が出たが、今一つしっくりこず、ラナーの提案が採用された。

 

「現王族のラナーが決めたのなら問題あるまい。それで、ラキュースに求婚(プロポーズ)はしたのか?」

「……」

 

 そっぽを向いて誤魔化していたが、相手が悪かった。蛇神が相手にしているのは、魔王と魔女だ。

 

「あら、一番重要な箇所ではありませんか?」

「ラナーよ、こいつは意外とヘタレなのだ」

「それは困ります。彼女は今が最も美しい年齢です。ヤトノカミ様だけが独占できるのですよ。これ以上に何をお望みなのでしょう、彼女も純潔を捧げる所存ではないのでしょうか?」

 

 瞳を動かして窺うと、目を輝かせながらこちらを見ていた。

 

「しばらくナザリックに帰って来なくても構わんぞ。こちらで内政業務に従事せよ」

「えー……?」

「ラキュース邸宅に泊まれ。部屋はズタズタになって眠れないだろう」

「………まぁ、そうなんですけど」

 

 助け舟とばかりに、不安そうな上目遣いをしたクライムが時間を知らせに来た。二体の恐ろしい異形種に、不安は拭えないらしい。それが世話になり尊敬する剣士の、真の姿であっても。

 

「よぅ、クライム。元気か?」

「は! はいぃ! ヤトノカミ様、ご無沙汰しております!」

 

 反射的な素早さでヤトの前に跪く。

 

「ラナー王女、彼は子犬っぽいよね」

 

 「なんでわかったの?」と言わんばかりに不思議そうな顔をしていた。

 

「ラナー王女殿下、そろそろお時間でございます」

「……」

「?」

「?」

 

 ラナーがそっぽを向いて無視をしているのが、二人には理解できなかった。

 

「ラナー…………サマ、そろそろお時間です」

「ありがとう、クライム。では参りましょう、建国を宣言するために」

「あぁ、そういうことか。ラナーと呼ばないとだめじゃないか、クライム」

「……はい、申し訳ありません」

 

 感情に反応する子犬の耳のようなアイテムがあれば、装備させてみたかった。

 

「では、行くぞ、ヤト」

「……あぃ」

 

 貴族達への不満はまだ残っていたが、何よりガゼフに顔を合わせ難かった。二度と人間に戻らないと思い、やりたい放題、言いたい放題、殺したい放題して、平然と顔を合わせるほど傲岸不遜ではない。彼女の下へ帰りたい内心を抑えながら、二人の後を追い這った。

 

 

「ランポッサ三世、安心するといい。彼がここにいるという事は、最悪のシナリオは回避できた」

「……」

 

 ヤトはそっぽを向いている。大蛇の姿で入室したため、脇に待機をする貴族は震えていた。

 

「彼はこう見えて機嫌がいい。愛する人と結ばれて少しは温厚になったのだ」

「ちょっと、余計な」

 

 抗議をしようと思ったが、ラナーに遮られた。

 

「父上、私とナザリックの皆様で、この国を平和にしてみせます。勿論、ザナックお兄様にも協力を頂きます。隠居して平和をお楽しみください」

「ええっ?」

 

 第二王子は急に名前を出されたため、声以上に慌てていた。人を喰らう美人メイドの恐怖が思い出される。

 

「……父上と呼ばれたのは久しぶりだな、ラナー」

「陛下!」

 

 ガゼフが止めようとしていたが、か細い腕で振り切り、アインズとヤトの前に跪く。

 

「ヤトノカミ殿、これまでの非礼をお許し頂けないだろうか」

「ヤト、国王陛下と戦士長に謝れ」

「……」

 

 ヤトはまだそっぽを向いていた。首を向けられた側の貴族たちは、震えて歯をガチガチと鳴らしていた。

 

「あれからラナーに貴殿の話を聞いた。暴れるそなたを見て人の血を浴びるのが好きな魔物かと思ったが、我々の過ちが貴公を憎悪の化け物に変えてしまったのだな。人間を辞めさせられた貴殿の心まで察してやれなかった。すまない、許してくれとは言い辛いのだが、どうか許してはくれぬか?」

「ん……うーん……国王とガゼフの足を砕きましたがねぇ……」

 

 恐る恐る二人に向き直った。

 

 国王の隣で跪くガゼフの目線は、長く伸びているヤトと同じ高さだった。彼の目力が強く、ヤトは目を閉じてしまいたかった。

 

「ヤト、私は君主への無礼を許す気にはならん」

「……ですよね」

 

 蛇に表情は無いが、声は意気消沈だった。復帰したとはいえ、本調子でもない。

 

「だが、それは貴殿も同じ気持ちだったのだろう。陛下が許したのに、臣下の私が許さぬわけにはいかん」

「……すいません、陛下、ガゼフ。俺は憎しみと殺意に染まり、自我が消えました。強大な力と同時に、歪な心を持ってしまった弊害で。殺した貴族に謝るつもりはないですが、生き残った国王派閥の彼らには後で詫びておきます」

 

 端の貴族たちが漏らす、安堵の息が聞こえた。気が気ではなかっただろう。武器を持っていなくても、彼は素手で人を千切れるのだ。

 

「ヤト、また酒でも飲もう。以前に貰った酒は、陛下からの贈り物だったのだぞ」

「あ………本当に申し訳ない、あの酒はとても美味かった。お詫びに平和は保証する。ランポッサ三世殿も一緒に酒でも飲みますか?」

 

 落ち込んで弱ったヤトに人間の彼が重なる。国王が穏やかに許さなければ、ガゼフは許す気にならなかっただろう。

 

「そうだな、今度は私も混ぜて貰えるだろうか。国を捨てた無能な国王だというのに、晴れ晴れした気分だ。重くのしかかっていた暗雲が、強風に飛ばされたかに心が軽い」

 

 元国王は対外的な威厳を捨て、穏やかな顔で笑った。

 

 ラナー王女の暗躍により、貴族から反国王派閥は掃討されていた。

 

 王国を蝕むダニやノミが掃討されたとはいえ、本来であれば国王は許さなかった。殺された貴族達がどのような存在であっても、領主であり家族がいるのだ。事前準備にてラナーが完膚なきまでに叩きのめさなければ、戦争の宣言として殺戮を繰り返す可能性が高かった。

 

 ラナー魔女は弱った国王の心を、優しくも容赦なく言葉で滅多刺しにしていた。

 

 五日間という猶予は、聡明な彼女に充分な根回しと、あらゆる策を弄する時間を与えた。

 

 ここで失敗をしたらレェブン侯が彼女の援護をしていた。

 それに失敗したら暗殺の話を匂わせ、第二王子を優しく脅した。

 さらに失敗したらアインズに従い、国民の命を人質に取る脅迫をしていた。

 それでも従わなければ、ヤトを(けしか)けて皆殺しにするつもりだった。

 

 今のラナーは魔女であり、大事なことはクライムとの生活だけだ。

 

「では、アインズ様。ここに魔導国の宣言を、お願い致します」

 

 ラナーは跪き、忠誠を誓った。ヤトはノロノロと体を動かし、端っこへ移動した。

 

「……うむ」

 

 皆が固唾を飲んで見守る中、アインズは逃げ出したい衝動に駆られている。貴族としての教育など受けていない自分が、王となり演説をしなければならない。緊張するなと言う方が無茶な話だ。相手は守護者と僕ではなく、殺戮を潜り抜けた貴族だ。

 

 玉座の前で皆へ向き直った。

 

「リ・エスティーゼ王国、王族・貴族諸君。私はアインズ・ウール・ゴウン。ナザリック地下大墳墓の絶対支配者にして、人知を超越した死の支配者。直に王国は無くなり、アインズ・ウール・ゴウン魔導国に取って代わるだろう」

 

 死の支配者は一旦区切り、人知れず周りの様子を窺う。

 

「だが、勘違いするな。私は不死者(アンデッド)であるが故、生理欲求は存在せん。支配欲・物欲、生者への憎悪や渇望、殺戮衝動も存在しない。諸君が従わないからといって、殺害する事は無い。戦争を仕掛けるならこれを滅し、何もしなければ見過ごすだろう」

 

「我らに従うのであれば、平和を約束しよう。それ以外は約束しない。より繁栄を望むのであれば、自らの手で成し遂げるがいい」

 

 右手を前に伸ばし、手のひらを広げた。

 

「集え! 我が支配下に! 無為な屍を作り出し、踏み(しだ)く必要はない! 魔導国に従い、新たな神話の一部となれ!」

 

 立っていた貴族たちは徐々に一人、また一人と跪く。

 

 とある若年貴族は異形種の彼に神性を感じ、感銘の涙を流しながら跪いた。

 とある年配貴族は死の支配者に怯えながらも、真の王たる器に心酔し跪いた。

 とある中年貴族は目前の超越者に魂を揺らされ、脱力を誤魔化すため跪いた。

 

 皆が、同等に自分が神話の登場人物と知り、同様に跪き忠誠を誓い、同然に声なき崇拝を捧げた。

 

 

「今こそ祝福の刻だ! 魔導の加護の下、約束の地で天寿を全うするがいい!」

 

 

 玉座の間は静寂が続いた。

 

 様々な感情が渦巻いたが、誰もが望んで加護を得ようとしていた。

 

 

 異世界に転移してから六十日目、彼らは自国となる魔導国を手に入れる。

 

 惨劇の幕は静かに下ろされ、リ・エスティーゼ王国は魔導国としてナザリックの軍門に下る。運命の賽は投げられ、異形種が統治する平和の行く末は誰にも分らない。

 

 

 

 

 夜になり自室の修復が終わるまでナザリックから追い出されたヤトは、ラキュースの寝室にいた。

 

 ベッドに横になり目から下を隠してこちらを見るラキュースに対し、ベッド脇に敷かれた毛布にヤトは横になっている。

 

「近くに行ってもいいですか?」

「なんで同じ部屋で寝てんスか……」

「離れたくないからです。寂しいので同じベッドで寝ませんか?」

「余計なこと言うと処女奪いますよ。」

「奪ってください。私は貴方のものです」

「………なんだ、これは」

「私のこと、好きですか?」

「……知りません」

 

 ヤトは成り行き上、半泣きで懇願するラキュースの寝室で眠る事になった。大蛇の姿が狭い部屋でかさばるため、寝るだけだった彼は人の姿になっている。

 

 ベッドからこちらへ突き刺さる焼きゴテに似た視線に、居心地の悪さを感じ横向きになるが、泣きそうな声を出されるので諦めた。眠りに逃げたくても、昏睡するほど眠くもなかった。敬語に戻して収まるのを待とうと思ったが、かれこれ数時間、収まる気配が無い。

 

「一緒に寝ましょう。こちらに来てください」

 

 彼女は脇に敷いた毛布に、ベッド内から手を伸ばした。

 

 白く透き通る肌が月光を反射して眩しい。

 

「恥ずかしいので、あまり近寄ら――」

「私は恥ずかしくありません」

 

 目から下は見えないが、満面の笑みを浮かべている気がした。

 

「俺が気にします」

「どうして余所余所しい口調なのですか?」

 

 上体を起こし、頭上の窓を見上げた。大きな三日月が覗いており、見られている気がした。気になり始めると安心できず、窓際に立って月を見上げた。

 

「お願い……寂しいです。朝起きて記憶を手繰り続けるのは、もう嫌です……」

「泣き虫。こんなに涙もろいとは知りませんでしたよ」

「……好みじゃ……ありませんか? どんな女性が好みですか? 私……貴方のためなら何でもしますから……離れないで下さい」

 

 彼女の涙もろさに、凛としたイメージは崩壊していた。失言をすれば、たやすく号泣するはずだ。

 

 絶望的な戦力差で、異形の彼に果敢に挑んだ彼女はどこに行ったのだろう。買い物に出かけて迷子になったのだろうか。

 

 下らない現実逃避をしたところで、彼女の縋る視線は変わらなかった。

 

「別に……そのままでいいですよ。だいたい同じ部屋で寝るならすぐ見えるでしょう」

 

 窓から視線を外さずに答えた。

 

「……本当に、馬鹿ですね」

「……そっちも馬鹿でしょう。普通選びますかね、自分を殺そうとした異形の相手をその……あれに」

「あれではなく、はっきりと言ってください」

「だからその………コイビトに」

「え?」

「聞こえたでしょ」

「女性ははっきり言葉にして欲しいのです。不安ですもの」

「……今日は三日月……か」

 

 月を見上げて誤魔化した。

 

「はぁ……本当に、世話の焼ける人ですね」

 

 ため息を吐きながらベッドを降りて、窓際で月を見上げる彼に寄り添う。互いの鼓動を交換し合った。

 

「ヤトを恋人には選びませんわ。最愛の人に選びました」

「……」

「憎しみなんかに、二度と貴方を渡しません。私が止めてみせます」

「……」

「大好きです。二度と離れません」

「……」

「結婚してください」

 

 相手の返事は気にしていなかった。自分の想いは心の奥まで届いていると知っている。

 

 この時、不安に怯える少女は消えた。

 

 

 涼し気に無視をしている彼に、見た目ほどの余裕はなかった。

 

 どう答えたものかと悩みに悩み続けたが、名案は捻りだせなかった。素直に言葉にしてやればいいのだが、捻じれた性格面で難しかった。

 

 最後の手段として文学的に煙に巻く事にしたのだが、直接的な表現でなくても意図した内容を考えると、言い出しにくい事に変わりはなかった。

 

 彼女はそんな心情など知らず、嬉しそうに上目遣いで指を絡ませてくる。

 

 もう二度と離れないために。

 

 

「月が綺麗ですね」

「はい、ずっと月は綺麗です」

 

 

 

 


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