翌朝、いつまでも眠っているヤトはアインズに一喝された。
セバスとユリは農作業に精を出す村人を手伝うため、早々に出かけていた。二人は飲食・睡眠を不要とする指輪を渡されているため、睡眠・食事が必要なのはヤトだけだ。当の本人はアインズが部屋に侵入しても起きる気配がない。
静かな室内で耳をすませば、寝息が聞こえてくる。
「いつまで寝ているんだ。早く飯を食え」
「おはようございます、アインズーさん」
骨の手で揺り起こすとすぐに目を覚ましたが、寝ぼけている彼はアインズの名前を変な所で間延びさせた。引きずるように部屋を出て、応接間の椅子に腰を下ろさせる。寝癖が立っていたが、直してやる気にもならない。応接間のテーブルにはナザリックから持ってきた果物が置かれ、目が半分しか開いていないヤトは食欲という本能に動かされ、無造作に林檎を掴んだ。
シャクシャクと果実に食らいつく音を背景に、二人は打ち合わせに入った。
村内の視察に、アインズは姿を消して散策を、ヤトは武器を置いた自然体で村の中を回り、彼らの日常を知る必要があった。
「《
魔法を唱えたアインズの姿は掻き消えた。
「じゃ、行ってきまーす」
「夕方にまた落ち合おう」
「見えないなぁ……どこにいるんだ? ここか? あれ……こっちかな」
「早く行け……」
ヤトが外に出ると、セバスとユリは順調に作業を進めていた。セバスは農作業をする女性たちに交じって土を耕し、ユリが男性二人で持つ大きな材木を両肩に乗せ、心配する男性を付き従えて運搬している。
(普通、逆じゃない?)
男女平等とまでいかないが、激しい違和感のある風景に疑問を抱いた。村人たちは仕立ての良い服が汚れては困ると、必死で二人を抑えようとしていたが、アインズの命令を遵守する二人は実によく働いた。村人たちは完全に委縮していた。
少し離れた大木の下、木漏れ日に照らされる子供たちがチマチマと何かの作業をしており、彼はそちらへと向かった。自分達へ近寄って来る彼を見つけた子供たちは、大きい瞳を好奇心で輝かせて見ていた。驚かせぬよう、努めて優しい口調で話しかけた。
「こんにちは」
「こんにちはー!」
「何をしているんだ?」
「薬草をすり潰して薬の材料にするの」
リアルでは滅多に見ることのない器具、車輪の両側に棒の着いた薬師の商売道具で、丸い石の中心に溝のある器に薬草をすり潰していた。横に並べられた見覚えのない草を摘み取る。
「これはなんていう薬草かな?」
「知らなーい。お姉ちゃんなら知ってるかも。お姉ちゃーん!」
赤い髪の幼女が、若い女性を呼ぶ。
「は、はい、何でしょうか?」
一人の少女がバケツを両手で持ち、駆け寄ってきた。バケツに水が満杯だったが、器用な走り方で中身は零れなかった。
「すまない、忙しかったか?」
「いえ、大丈夫です。セバスさまのお蔭で余裕がありますので」
「この薬草はなんていう名前なのか教えて欲しい。私達の国にはなかった」
「はい、ぺんぎん草と言います」
(……なんだそのふざけた名前は、村の名前もペンギン村に変えたらどうだ)
更に詳しい話を掘り下げていくと、薬草はエ・ランテルの薬師に買い取ってもらうのだという。他にめぼしい情報はなく、自然な流れで仕事を手伝った。慣れない作業に手間取り、時間はあっという間に流れていった。
◆
太陽が沈み夜の帳が降りた頃、住居にしている要塞では、互いが得た情報の交換会が催された。
「ご苦労だったな。セバスとユリは部屋にて休養をとれ。護衛はエイトエッジ・アサシンとシャドウ・デーモンがいればよい」
天井にへばりついている、八本足の黒い生物が蠢いた。
「しかし、アインズ様」
「構わん、下がれ。休息も大切だ」
「……畏まりました」
「疲れるんだよな」と、アインズは心の中で愚痴を零した。二人が退室したのを確認し、ヤトは果物を齧りながら問いかけた。
「どうでしたか?」
「いや、特に有益な情報はなかった」
「村人たちは陰口を叩いてなかったですか?」
「感謝しすぎて困るくらいだったな。午後、村長と話をしたが、こちらの持っているアイテムは年長者の村長でも知らないらしい。使い方もわからないと言っていた」
「なるほど、お疲れ様です」
ヤトは次の果物を手に取った。
「人化の術を解除すれば食べなくて済むよ」
「いや、アインズさんも嫉妬マスク外してないじゃないですか」
「……まあね。どこに目があるかわからないから。ヤト、人間をどう思う?」
「どうって……別に大した興味はないです。友好関係を築けるならそれでいいんじゃないスか」
「俺は虫けらを見ている気分だよ。子供の頃に昆虫図鑑を読んだことがあるが、いまそんな気分だ」
感情のない淡々とした声だった。それ以上でもそれ以下でもなく、一切の感情のない事実だけを説明する声だ。
「それってカルマ値の影響ですか? 単純にアンデッドだから? いや、でも、ユリは人間共と仲良く話してましたよ。男女問わずおモテになるようでしたね」
人間を“共”と表現をしている時点で対等に見ていない証明だが、大蛇の化身に自覚はなかった。
「セバスなんか女にモテるんですね。ある意味ライバルかな」
「……なに言ってるんだよ」
「いや、以前にペロロンチーノさんが、最初の一周目を誰にするかと話してたのを思い出しましたよ。最初だから適当に見つけた女の子に決めるのか、それとも理想に近い女の子が出てくるまで待つのかと」
「そういえば話してたなぁ……ぶくぶく茶釜さんの目を避けて。それとなんの関係が?」
仲の良かった友人を思い出すアインズは口調まで優しくなっていたが、彼にも自覚は無かった。
「いや、この村の女性を口説くかどうするかと……」
「まだ待ちなさい。しかし、カルマ値か。あんなおまけステがこの世界に甚大な影響を与えられるのかな」
「クエストや種族によっては、あながちおまけとも言えませんでしたがね。可能性の一つッスよ」
「セバスとユリにも聞いておこう。あの二人なら人間に悪感情を抱いてなさそうだ。そうなると、ナザリックにいる大多数のNPCがカルマ値マイナスなんだよね」
「アインズさん-500でしたね、極悪人じゃないですか」
「人じゃないけどね。ヤトは+100だったな。よくプラスにしたよ。カルマ値を上げるだけの、何の意味もないクエストやって」
「神職なのでマイナスにするとステータスに多少の影響があるんです。ペナルティがあるのがいやだったんですよ。これ以上、弱くなると困るし。クエストの敵も弱かったッスから」
「そのうちに実戦をやらないといけないね」
アインズは顎に手を当てて、何かを思案している。
「ちょうどいいから、北にあるトブの大森林を見に行こうか?」
「いいですねぇ。きっと初期ダンジョンですよ! ゴブリンとかゴブリンとかゴブリンがたくさんいますよ」
「全部ゴブリン……強いゴブリンがいるといいけどね。何とかゴブリンとかゴブリン何とかとか」
「敵が強かったらどうします?」
「……可能性として、何気なく遭遇した最初の敵、レベルが100だったらナザリックへ撤退だね。二度と外に出てこないよ……」
「村人のレベルは幾つでした?」
「セバスの話だと、レベル0から1だそうだ」
「0!? レベルって1からじゃないんですか!? レベル0.2とか0.3とかもあるんですかね」
ヤトは軽く笑った。
「レベル100とレベル0の人が町で肩がぶつかったらどうなるんでしょうね。いきなりヒットポイントがガリッと削れて死んだりするんでしょうか」
「そんな細かくて危ない設定だったら、この世界のレベル上げは大変だろうね」
アインズも楽しそうに、くだらない話に応じた。まだ二人からはゲーム内にいる感覚が抜けていなかった。
「ところでエ・ランテルにはいつ行くんですか? 冒険者になるんでしたっけ?」
「そうだね、エ・ランテルはそれなりに発展している町らしいから、そこで暮らす者だけが知る情報は貴重かもしれない。あ、先に言っておくけど、君は連れて行かないよ?」
「えーっ……なんて、言うと思いました? 最初からそのつもりですよ」
「え? どういう風の吹き回し?」
「これが、るし★ふぁーさんとか、モモさんと仲の良かったペロロンチーノさんだったら、否応もなくついていったと思いますけどね。せっかく二人で異世界に転移したというのに、同じところで活動してちゃ意味ないじゃないですか。ましてや、情報収集が目的だというのに」
ほお、とアインズは感心して顎を撫でた。前日、短絡的にメイドへ下着を見せろと命じた彼にしてはちゃんと考えていることに驚いた。その場しのぎの理由付けだとは見抜けなかった。
「何気にちゃんと考えてるんだね。るし★ふぁー仕込みの若造じゃなかったんだ?」
「仕込みなのは認めますけどね。いや、実験台という方が正しいかな。悪影響は受けてますけど。そういえば、昼間に薬草の話を聞きましたよ」
「俺もその場にいたから知っている」
「透明化してストーキングを?」
「失礼だな。生の情報調査だよ」
「薬草の種類も形態もユグドラシルとは差があるみたいスね。村長との密談はどうでした?」
村長の話だと、アインズの使用した魔法《
マジックアイテムに関しての具体的な情報は知らなくとも、その便利さは理解しており、不可解な事象は
「つまり魔法でやり過ぎても、マジックアイテムということにすれば何とかなる、という訳だ。他にも文化レベルは中世ヨーロッパかと思ってたが、どうやら違うらしい。魔法の力で発展の方向が違うから、下手するとリアルと変わらない可能性もある。町に行けばわかるが」
「噂の生活魔法ですね。塩を作るって本当ですかね……それってまさか人の汗を結晶化してたりしませんか。そう考えると汚いですね」
「それはないだろう……魔法の位階はわからないけど、習得できるなら使ってみたい」
「死臭のする塩なんか舐めたくないですよ」
「だから人の汗じゃ……なんだ死臭って。俺の骨か?」
その他に一般の生活レベルは不明だが、リ・エスティーゼ王国領の暮らしは苦しく、税を納めるので手一杯のようだ。一般的に異形種は人間の敵という意識が強く、どこかの国では異形種と人類の戦いが常に起きている。アイテムの価値については、この村がアイテムとは無縁なので不明と説明をしてくれた。
「この世界の女のレベルはどうしたんです?」
「知るか。腐れリア充、爆発しろ」
「リア充じゃないですって。欲望は進化に必要不可欠なものじゃないですか。あ、でも女の子達がユリの事を絶世の美女だって話してたから、あまり期待できないのかもしれないスね。まあ確かにユリは美人だけど、人化の好みと蛇の好みに差が生じているのかもしれないな。いや、これはむしろ欲望の増大か、湾曲という方が正しいような……」
ヤトはブツブツと取り止めのない独り言を呟いている。
「ヤト、今後パンツ見せて禁止。現実でやってなかったからってゲーム、といってもここは現実だけど、二度とやらないように」
「心外ですね。ボキは現実でもやってましたよ?」
「やってたの!?」
「意外と引かれないんですよ。相手と仲がいいことと、普段からそんな態度をとる条件が満たされていれば」
「このリア充め、《
「勘弁してくださいよ。ピヨっちゃいますって」
二人の楽しそうな会話が、応接間に満ちた。
文句を言いながらも、アインズとヤトの会話は止まらない。この他愛ない会話を楽しんでいた。以前の41人が揃っていた黄金時代と比べれば寂しさは拭えないが、ブランクがあっても現役時代と変わらずに接してくれるヤトは、いつか他のメンバーが帰って来ても全盛期と何ら変わることなく時間を過ごせると希望を持たせた。
同様にヤトは嬉しかった。ユグドラシル現役時代にアインズとの絡みは少なく、ギルドマスターなので会話はするが、彼と最も仲が良かったのはペロロンチーノだ。それが今は対等な立場に、しかも異世界転移した同志として、至近距離で会話をしている。
互いに話しているだけなのだが、それだけで嬉しかった。
「るし★ふぁーさんは最後に戻ってきてほしいですね」
「そうだよね。この状態で彼だけ帰ってきたら、ナザリックが崩壊しそうだ」
こうして二人の夜は、ヤトが眠気の猛攻撃に耐え切れず、音を上げる深夜まで続いた。相棒が眠りに落ちたあと、アインズはマジックアイテム《
周辺の村がスレイン法国の特殊部隊に滅ぼされ、彼らの手はカルネ村に伸びようとしていた。
◆
「じゃあ午前中は村人達を手伝ってきます」
「わかった、また後で」
周辺の村を調査して村同士の交流はどうなのかを知ろうと、アインズは上手くいっている鏡の操作に没頭し、ヤトは一足先にエンリとネムを手伝おうと出ていった。
果物を齧りながら、村内を気怠そうに歩くと、すれ違う村人たちは、一人の例外もなく挨拶をしてくれた。
「おはようございます」
「おはようございます」
「おはよう」
「おはよう!」
「お兄ちゃん、起きるの遅いんだね」
「ん、いや家の中でやることがあったんだよ」
しばらく取り止めのない話が続いた。
「おはようございます。ヤトノカミ様」
やがて、水の入ったバケツを手にしたエンリがやって来る。
「おはよう、エンリ。今日も手伝わせてもらっていいかな?」
「あ、でも今日は近くの森に薬草の採取に出掛けようと」
「じゃ付いていこう。こう見えても強いから護衛になるぞ」
「よろしいのですか?」
「あぁ、アインズさんは中でやることがあるみたいだから、俺は暇なんだよ」
「ではよろしくお願いします」
控えめにエンリは頭を下げた。
「ねえ、お兄ちゃんはどこから来たの?」
「なんで髪が黒いの?」
異国の民へ興味津々な子供たちは、瞳を輝かせて質問を投げつける。
「俺はずーっと遠くの国からだ。俺にもどのくらい遠くなのかわからない。そこに住んでいる人は、みんな髪が黒いんだよ」
この村では大人たちが農作業に取られてしまい、子供たちも遊ばずに作業を手伝っている。絶好の遊び相手となったヤトは代わる代わる肩車をせがまれ、エンリは申し訳なさそうに謝っていた。
子供に特別な興味があるわけではないが、他者と親交を深めるイベントは嫌いではない。彼は全ての子供たちに応じながら、トブの大森林へ足を向けた。
◆
森林の入り口付近での薬草採取を終え、村に帰ると正午だった。魔物と遭遇することなく、薬草採取は退屈に終わった。食事を摂るために要塞に帰宅すると、セバスとユリは頭を下げて出迎えてくれた。
「ただいまー」
「お帰りなさいませ、ヤトノカミ様」
「お帰りっていいな」と思いながら、卓に並べられた調理の必要が無い果物に手を付けた。
「アインズさんは?」
「はい、まだ作業中でございます」
「ふーん。そうか」
(まだ鏡弄っているのか。何か面白い発見でもあったのかな?)
面白いイベントを待っているヤトが、何かの発見があったのかと期待していると、ユリが申し訳なさそうに声を掛ける。
「あのう、ヤトノカミ様?」
「どうしたユリ?」
「お聞きしたいことがございます。よろしいでしょうか」
主の食事を妨げたユリを、セバスが軽く睨んだ。
「いいよ、何?」
「一般メイドであるフォアイルに、その……ご寵愛を授けたというのは事実でございましょうか?」
口の中で咀嚼していた果物を吹き出し、一部は気管の方へと足を延ばした。
「ゲホッゲホッ。水をくれ」
「は、はい、ただいま!」
優秀な執事であるセバスも、ユリの想定外な質問に固まっていた。
「ふぅ」
コップに入れられた水を飲み干し、一息を吐く。
「いや、あれはご寵愛などではない。私達にしかわからないことを確認したかっただけなんだ。決して下品な下心からではないよ。だからこれ以後、もう二度と言わないから」
「そうなのですか?」
「当たり前だ。ちなみにその話、どこまで広まってんの?」
「はい、守護者の方々はあまりご存じないかと思われます。私を含めたプレアデス・一般メイド達と、噂によるとアルベド様の耳には入っているとか」
心の広場に立っている小さいヤトが、滝のように流れる冷や汗で足元に水溜りを作った。既に一度、説教を食らっている。アインズに知れたら、何をされるか分かったものではない。
「明日には帰還するから、皆の誤解を解いてくれ」
「畏まりました。私の悩みに応えて頂き、ありがとうございます」
「悩んでたの?」
「はい、アインズ様はアルベド様と御婚約なされたというのに、更に一般メイドにお二人でご寵愛をとの事でしたので、アルベド様が不憫でございまして」
「……指輪のことだな。アインズさんは婚約指輪という意味で与えたわけではないよ。ついでにそれも訂正しておくように」
「畏まりました」
居心地悪くなったので、果物を手に取りアインズの部屋へ移動した。
どちらにしても噂はアインズの耳に入ることになり、ヤトへの説教も揺らぎはしなかった。
◆
「アインズさん。何時ごろにトブの大森林に行く?」
「おかえり、その前にちょっとこれを見てくれ」
アインズは遠隔視の鏡を指さした。
「なにコレ? 廃村?」
鏡の中に映っていたものは、焼き払われた村の残骸、煙を上げる家、無造作に置かれた老若男女の死体だった。死体の致命傷は剣によるものだ。奥に生きている人々が10人程度、呆然自失で立ち尽くしているが、生存者の十倍以上の死体が転がっていた。
「盗賊団の襲撃かもしれない」
「ここはどこですか?」
「ここから南東に下って行った場所、だね」
「カルネ村にまで来るかもしれませんね」
「俺もそう思う。すぐに帰還しよう」
「えっ? 助けないんですか?」
不思議そうなヤトの問いに、輪をかけて不思議そうなアインズが聞き返した。
「なんで?」
「だって可哀想じゃないですか」
「いや、もう情報はもらったし、理由も価値もないから」
「う、いや、まあそーなんですけどねー……」
驚いたり失望したりしているわけではなく、ようやく発生したイベントを無視して拠点に帰るのは勿体ない。アインズの意見には同意し、理解もできていたが、帰還と交戦ではどちらが面白そうかと偏った天秤にかけると、自然に戦う方へ軍配が上がる。
「ではこうしましょう。逃げる準備を万全に整えて、隠密部隊を後方待機させます。その後で村人を待機させ、俺が本気で強化スキル全力の一撃を与えましょう。それで相手が死んだらオッケー、死ななきゃ逃げましょう。実戦の機会ですよ、アインズ様」
個人的な希望を練り込まれた意見なので、あまり強く言えなかった。アインズは顎に指をあてて考えている。
「実戦訓練という意味で考えれば、逃げやすい状況での実戦は悪くない。一般的な盗賊団だとすると、レベルも桁違いに強いわけではないだろうし」
「ありがとうアインズさん」
「でも負ける可能性が1%でも見えたら即時撤退。ゲートの準備は先にする。これは譲れない」
反論は許さないと、アインズは静かに強く諭した。
「ん、うーん……はい、わかりました」
これ以上の反論が思いつかず、また反論する気もなかったので引き下がった。アインズの言う通り、命を懸けて守らなければならないのは自分たちの住処、ナザリック地下大墳墓だけであり、他の生命は行きがけの駄賃というのに同意見だ。アインズにとっては虫けらであり、ヤトにとっては
彼らが死のうが生きようが、どちらもゲーム内のイベントに過ぎなかった。
◆
俄かに信じがたい事実を突きつけられた村長は、困惑して汗を流した。ヤトが鏡の映像を見てもらうよう提案し、映し出された大量の死体を見て、彼は何が起きたのか一目で理解した。
「こっこれは!? コトス村が壊滅している! なんという事だ……」
「落ち着いてくださいよ。襲撃した奴らはその内ここにも来ますよ」
「村長殿、世話になった礼に、我々も協力しましょう。だが、彼らの強さが分からない以上、逃げる準備は必要です。我々だけで太刀打ちできなければ、この村は滅びるでしょう」
崩れ落ちてもおかしくないほど重大な衝撃を受けた村長を宥め、村の北側に住民を集めさせた。北側に集めたのは、アインズ達が撤退した場合、トブの大森林に隠れて一人でも生き残れるようにとの提案だ。
セバスとユリをナザリックへ帰還させ、入れ違いに防御に特化したアルベドを呼びだす。
「アインズ様ぁ、お会いしとうございました」
全力の武装をした彼女は、黒い鎧で全身を覆い隠して性別すら不明だったが、しなを作ってくねくねと悶えているので女性だとわかる。アインズの目の前で
「よかったね、アルベド。彼も会いたがってたよ」
「くふふふ、ありがとうございます。アルベドは女に生まれて幸せでございます」
「……うむ、では作戦を決めるとしよう」
冷や汗を掻いていそうなアインズを、ヤトは面白そうな目で眺めていた。
◆
アインズが鏡で周辺をくまなく探した結果、今夜から明朝にかけてカルネ村へ襲撃をかけるらしく、騎士の格好から盗賊ではないと推測された。
「盗賊じゃないって、じゃあ戦争の侵略行為ですかね?」
「皆殺しにしていないところを考慮すると、その可能性が高いと思われますわ」
「ふむ、帝国か、帝国の仕業に見せかけようとする第三者か、どちらにしても振りかかる火の粉に変わりはない。彼らに先陣のヤトが放つ衝撃波が通じなければ即時撤退。だが、ここはナザリックから近い。戦争の示威行為だった場合、我らの身も危険だ」
アルベドとヤトは、顎に手を当てて悩むアインズの次の言葉を待った。
「エイトエッジ・アサシンは15体、全員で等間隔に村を囲め。ヤトの初撃で歯が立たないようなら、その身を挺して我々を守れ」
「御意」
壁際に整列しているエイトエッジ・アサシンが応えた。彼らは隠密行動に長けた昆虫種族であり、その豊富な手足で8回連続攻撃を持つ強力な暗殺者だった。
それなりの弱者であればだが、彼らだけで事足りる。
「アルベド、お前は最終防衛ラインだ。必ず我々の撤退を支援し、そして自らも生きてナザリックに帰還せよ。念のため、作戦前にデスナイトを一体召喚しておく」
「はっ。必ずやご期待に応えてみせます」
「いつものデスナイトですね」
「エイトエッジ・アサシンは敵影が発見できるまで、周辺地域を広範囲にわたり警戒。敵影を発見後、即座に伝達。行動はすぐに実行せよ」
「仰せのままに」
返事と同時に彼らの姿は消えた。
「アインズ様、他の守護者達を呼んでは如何でしょうか。特にアウラは魔獣を使役していますし、シャルティアは眷属召喚が可能です。発見した敵の実力を測るのに最適かと思われます」
「今回、最も優先しなければいけないのは、敵が我々より強かった際の素早い撤退だ。それには人数が多いと時間がかかってしまう。エイトエッジ・アサシンであれば、ここに置いていっても、隠密行動に優れているので見つかることは無いだろう」
アルベドに優しく諭した。
「はっ、失礼いたしました。ではそのように」
「では待機だ、アルベド。よろしく頼むぞ」
「畏まりました、アインズ様」
アルベドは要塞の外へ出ていった。アインズの
「相変わらずロールプレイがお上手ですね。俺も従いそうになりますよ」
「好きなことだし、趣味も入っているからね。今回は命懸けだけど」
「さて、何時に来ると思います? アインズさん」
「戦争の先発隊だと仮定すれば、村人が目を覚ます前、早朝が妥当だ」
「俺もそう思います。人化は解除しておきますね。もうすぐ夜なので、外で見張りしませんか?」
「そうだな。念のため空から見てみるか」
ヤトは本来の大蛇に戻った。
「うし、眠気も覚めましたし、警戒に当たりましょう。血沸き肉躍るというのはこんな気分なんでしょうねえ」
「どうも締まらないな……」
若干の不安と強い好奇心を小脇に抱え、二人は要塞を後にした。
◆
満天の星空を照明に、村人たちは災害で避難してきた難民のようであった。焚火に照らされる表情は不安の色が濃く、みなが口々に慰め合っていた。空を流れる美しい天の川も、彼らからしてみれば見慣れた景色だ。慣れない野営と襲撃の恐怖で、大半の人間は震えて眠れない夜を過ごした。
「お母さん、今日は外で寝るの?」
「そうよ、あなたは何も心配しなくていいの。たくさん食べなさい、私の分も」
「いただきまーす!」
ネムは赤い果物をもぐもぐと食べ、口の周りを果汁で濡らした。母親の手が優しく口を拭き、咀嚼する彼女の口角が上がる。すぐ隣では食欲を失ったエンリが、顔に濃い影を落とした父親に尋ねていた。
「お父さん、私たちどうなるのかな……」
「わからん。今はあの方々を信じるしかない。エンリももう休みなさい」
「うん……」
何でもない一日は、執事の訪れから一変してしまった。
命を奪われる恐怖に、皆がすぐにでも逃げ出したかったが、夜の森をうろついて魔物にでも遭遇すれば、そちらの方が死ぬ確率が高い。
「お母さん、これ美味しいよ! お母さんも食べなよ!」
ネムだけが遠足の前日にはしゃぐ子供のように、笑顔で果物にかぶりついていた。
タイトルは世界、ウルルン滞在記より