執務室にて、アインズは机に座り、ヤトはソファーに横たわり話をしていた。
やる気を感じないヤトも、アインズの話を聞いて顔に影が差す。
「馬鹿な貴族がこちらを挑発しに来たと?」
「ああ、デミウルゴスの話だと不愉快だから殺して欲しいとのことだが」
「殺せばいいんじゃないスか?」
「折角なので会ってみようと思う。第一王子が裏にいるからな」
デミウルゴスからは、下等な人間共がナザリックを挑発するために使者を遣わした、と報告を受けていた。初めから生かす気も無かったが、だからこそ多少の興味はあった。どうせ殺すなら、申し開くくらいは聞いてやればいい。
「お優しいですねぇ。アインズさんが言うなら構わないッスけど」
普段は容赦ないヤトも、ラキュースの件で寛大になっていた。
「……仲間をけなされたらキレそうですが、大丈夫ですかね」
「ダメだったら人体実験でもする」
「仕方ないッスね……惨たらしく殺せば鬱憤も晴れるかな。アインズさんは着替えるんスか?」
「うーん……少し悩んでからにしようか」
迂闊な挑発に来た彼らに、初めから生きる道など残されていない。
差があるとすれば、死ぬまでの経緯と時間だけだ。
◆
ナーベラルは相変わらずエ・ランテルで待機をしている。彼女を除くプレアデスは、ログハウスの中で使者の相手をしていた。
不快感を堪え続ける簡単な仕事だった。
「遅すぎる。一体いつまで我々を待たせるつもりかね」
儀典官のアルチェルは、忌々し気に言い放った。
皮膚は皺だらけ、骨と皮しかないと思えるほど痩せて、髪は殆ど残ってない上に白く細い。護衛のクロードは戦士職で、顔を守る兜から覗く顔には気品があり、貴族出身の戦士であることが見て取れた。若い貴族オリーは、ラキュースに見合いで茶を掛けられた一件にまだしこりを残しており、噂になったヤトに対するやっかみがあった。
そんな彼らが真摯な態度で臨むはずもなく、何かにつけてはメイドたちへ文句を言った。
引き連れた護衛の兵士は、武器を携帯して外で待機をさせていた。
「この飲み物はなんと美味な事か。」
味わったことのない飲み物に、クロードは感嘆の声を上げたが、二人は応えようとしない。オリーはプレアデスから目を離さず、アルチェルは待たされる不快感で頭が真っ白だった。
好色と苛立ちを浮かべる二人を、クロードが穏やかに収めようとする。
「もうじきに件の英雄殿がいらっしゃるだろう」
「クロード殿、私は本来であれば、こんなちゃちなログハウスに入る事さえ、不愉快なのですぞ」
立場はクロードの方が上だったが、アルチェルは怒りで冷静さを欠いている。
今回の一件を頼んだ王族と、プライドの高い自らを侮辱されていると感じたのだ。
若い貴族オリーは二人に構わず質問を投げかけた。
「すまないが、名前を聞いてもいいか?」
「はい、私はプレアデスのユリ・アルファと申します」
ユリはペコリと頭を下げた。
「プレ……まあいい。君はゴウン殿の妾なのか?」
「は?」
「これだけ美人揃いなのだ、ゴウン殿の夜伽まで手伝うために各地から集められたのではないのか?」
壁際に整列しているプレアデス達は、湧き起こる不快感を必死で抑え、微笑みを絶やさなかった。アインズとヤトが見たら褒めてくれただろう。それだけが彼女たちの希望で、望む願いでもある。
「いえ、そのような事はございません」
所詮は恵まれた貴族である。
一介のメイド風情に気を使う必要もないと判断し、下劣な質問を投げかけるのも無理はない。質問を脇で聞いていたクロードも、色に染まった目を向けた。
「他にもメイドはいるのか?」
「はい、私達はこちらで待機と仰せつかっております。他のメイド達はナザリック内で通常業務に従事を」
クロードとオリーはごくりと喉を鳴らす。滞りなく進めば、思っていたよりも美味しい思いができそうだ。アルチェルは再び苛立った声を上げた。
「それで主人はいつこちらに来るのかね」
(ちょっとは黙ってろ)
プレアデスは寸分の狂いもなく、同時に思った。
「もう、まもなくかと」
「その台詞は先ほども聞いたよ。王家よりの使者を馬鹿にしてい――」
「お待たせして申し訳ない」
「こんにちは」
アルチェルの言葉を遮り、黒いローブに嫉妬マスクを被ったアインズ、刀を携えたシャツとベストのヤトが入ってきた。
プレアデスは内心ほっとしていた。
安堵しているプレアデスに対し、使者の三名は度肝を抜かれていた。
現れた魔法詠唱者の着ている衣服が、あまりにも豪華なものだったのだ。手を覆うガントレット、体全体を黒く覆うローブ、異様な仮面を付けている。仮面は別としても、他の衣服に関しては、全財産を投入しても購入できるか怪しかった。
「ふむ、君がアインズ・ウール・ゴウンか」
「ええ、そうです。彼が護衛で友人のヤトです」
「初めまして」
二人は軽く頭を下げた。
王族の使いに対して軽薄な態度に、アルチェルは冷静さを取り戻す。
聞いていた通り、礼儀作法も知らぬ蛮族なのだと、彼は威圧行為に入った。
「王族の使者を待たせて、一体何をしていたのかね」
「ええ、準備に手間取りましてね」
「事前に連絡をくれれば準備しましたがね」
あまり興味なさそうに、苛立つ老人へ返事をする。
使者はふんと鼻で笑い、それぞれが自己紹介をした。この段階で、彼らはアインズとヤトを下に見ていた。貴族なのだから無教養な蛮族に気を遣う必要が無い、と考えるのは王国の貴族大多数にいえた。
アインズとヤトにも、初めから真摯に対応するつもりなどないのだ。相手はナザリックに喧嘩を売る腐敗貴族で、どうなろうと生きる道はない。その感情が相手に伝わり、アルチェルは不快な気分になる。
「王都領内にいるのだから、跪きたまえ」
「お断りします。転移魔法の失敗でたまたまこちらに来ただけですので、支配下に収まるつもりはありません」
ヤトは偉そうな態度を取る老人に、不快さを感じ始める。
それは待機しているプレアデス達も同様だった。絶対の支配者に対して、人間ごときがあまりに無礼だ。
「まあまあ、アルチェル殿。まずは通過儀礼から済ませましょう」
「そうですね……では、仮面を外したまえ」
「お断りします。この魔法の儀式が――」
「外したまえ」
有無を言わせぬ高圧的な言い方だった。
「おい! このクソジジ――」
「ヤト!大人しくしていろ」
「…………はい」
立ち上がろうとしたヤトはアインズに制され、それをみたアルチェルは小馬鹿にして鼻で笑う。見下したような笑みを浮かべる老人に、発散できなかったヤトは内々で黒く塗り潰されていく。
「魔法的な理由あってのこと。この仮面を外した場合、多くの被害が出るかもしれません。今回はご寛容ください」
「……仕方が無い」
諦めたアルチェルの様子を見たクロードとオリーは、やれやれとため息を吐いた。
若い貴族はさっさとメイドを手に入れる話をしたかった。相手に教養が無いことなど、初めから織り込み済みだ。アルチェルは一枚の羊皮紙を取り出し、読み上げた。
「第一王子のお言葉を伝える、今は跪き給え」
「お断りします」
「跪き――」
「お断りします」
アルチェルは再度、不快に顔を歪ませた。
「所詮は蛮族か。ならば下賤な平民は平民らしくそのまま聞くがいい」
ヤトの憎悪は更に溜まっていく。
「仲間をけなされたら怒る」とは、アインズとヤトもそれに当てはまると考えなかった。
せめて残虐に殺してやろうと心に決めた。
この手の階級に拘り相手を見下すタイプは嫌いだったが、それ以上に友人に対する無礼極まる対応が、意識が黒く染めるのを加速する。壁際でみているプレアデス達は、彼の表情が不機嫌になるにつれ、自分たちも同様に不快になるのを感じた。
読み上げられた内容は以下の通りだ。
《ナザリック地下大墳墓は転移魔法の失敗とはいえ、由緒あるリ・エスティーゼ王国領内の一部を不当に占拠している。直ちに本来の所有者であるリ・エスティーゼ王国へ返還するか、そこから動けないのであれば正規の方法でその地を領地として定めよ。周辺の土地を買い取り、その土地に見合った税金を課税するものとし、支払わないのであれば当方は戦争も辞さない。当方の戦力十万、全軍を以って侵攻を開始するものとする。なお、支払い能力に不安がある場合は、人材をこちらへ渡す事で交渉が可能である。》
早い話が、出ていくか、金を払うか、戦争するか選べという高圧的な文言だった。
視界の隅でヤトが刀に手をかけたのが見えた。
ヤトにいいよ、と言えば即座に皆殺しにしただろう。
「税金も人材も、戦争もお断りします。もし仕掛けてくるのなら、こちらもそれ相応の対応を致しましょう」
「貴様! この無礼者が! バルブロ王子の慈悲に泥を塗るつもりか!」
「その辺にしねぇと……マジでぶっ殺すぞ、糞ジジイ」
静かな淡々とした声をあげ、刀に手をかけ立ち上がった。
支配者であるヤトの粛清を邪魔しまいと、プレアデス達は気配を断ち壁際に下がった。それでも彼らの自信は変わらず、武器に手を掛けたのも脅してこちらを引かせようする駆け引きなのだと侮っていた。
「まぁまぁ、アルチェル殿。少し落ち着かれよ」
「その通りです。我々は喧嘩をしに来たわけではありません」
ヤトの黒炎は轟音を上げて燃えていた。
「ゴウン殿、その衣服を見る限り財は豊富に成しているとお見受けしたが」
「どうやってこれだけの美女や、その高価な衣服などを集めたのだ?」
「仲間達と一緒に、ですが」
「これだけの美女は見たことがない。素晴らしい仲間達だ」
仲間を褒められ、アインズの不快指数は少し下がった。
「ヤトノカミ殿……だったかな? ラキュース殿と恋仲というのは本当なのか?」
「はぁ……どうでしょう」
「彼女とは知らぬ中ではない。よろしければ夜伽の様子などを教えて欲しいものだ。知っているか、あのタイプは後ろから首を絞めてしてやるとより乱れる。試したことは?」
下劣に笑う若き貴族の心中は、嫉妬によるやっかみだ。
「……あ?」
目に宿った明確な殺意の視線など、貴族の彼らが気付くはずがなかった。
「まぁまぁ、このナザリックという場所についてご教授頂きたいのだが」
「ナザリックは地下十階層からなる広大な神殿です」
「他にも彼女達のような美しいメイドがいるというのか?」
「ええ、勿論です」
ナザリックの支配者二人は、彼らを殺す算段を始めていた。
今、迷っているのは外で殺すか、中で殺すかだ。
二人が迷っている間に、使者たちは予定通り彼らの挑発に入った。
「戦争ともなれば数に不利なそちらに勝ち目はない。そこでどうだろうか、美しいメイドを数名分けて頂ければ、こちらも王子に譲歩を申し出ても構わないが?」
「手始めに、そこの数名をお貸し頂きたいのだが。戦争となり、王国と敵対すれば懇意にしている戦士長、周辺住民、そして蒼の薔薇、特にアインドラ殿に多大な迷惑がかかるのではないか?」
「上位冒険者なのであれば理性的な対応が必要だと思うのだが。蒼の薔薇が反逆罪で捕らえられ、尋問の末に行方不明になどなれば事ではないか?」
「まだ執事は王都にいるのだろう? 強いと噂の彼を失うのも手痛い出費なのではないかな?」
「先ほど仲間と築いたという話だが、王国の領内にあるものを不当に占拠しているだけだと言い切れまい?」
「なるほど、そんな仲間など本当はおらず、打ち捨てられた所へたまたま通りがかり、占拠したと思われても致し方ないな」
矢継ぎ早に散々な挑発をして帰ろうとしている彼らは、二人の目から見て愚劣で醜かった。目の前に座る二人だけではなく、壁際のメイド達からまで禍々しい殺気が溢れているなど、こちらを見下している彼らが気付く筈がない。
合図さえすれば、彼女達は過剰な殺意を以て彼らを討つ。
「本来は盗賊の集団で、仲間割れで皆に見捨てられてたまたま残っただけなのではないか?」
「はっはっは、それは言い過ぎではないですかな。だが、これだけのメイド達がいて仲間が二人だけというのは、見捨てられたと思われても仕方ありませんなぁ」
「誰も戻ってこない墓守という訳か。ご苦労な事だ」
「それでゴウン殿、メイド達の件は考えておいてくれたまえ。これでも我々は優しいのだ、そちらの事と次第によっては柔軟な対応をしようではないか」
楽しそうに見下した目で笑う彼らは、地雷原に埋まる地雷を一つ残らず踏み抜いた。誘爆を引き起こしながらもなお、自覚症状のない起爆装置にまで手を伸ばそうとする。
十分な余力を持って、アインズの怒りは頂点に届いた。
ヤトは目の前が黒く染まり、何も見えなくなっていた。
「お前達は俺の仲間をけなした、作ったたものに対してけちを付けた。仲間が残した大事な者を奪おうとした、俺の大切な宝物に唾を吹きかけた……誰も……誰も戻ってこないだと! この糞どもがぁ!」
アインズの爆発した怒りにより、沈静化が起きるが、それで収まる程度の怒りではなかった。何度も、何度も、何度も沈静化を繰り返すが、すぐに怒りが頂点に届く。
それでも彼らはまだ見下した表情を崩さない。
バルブロ第一王子という王家の威光がある以上、無礼な態度で向かってくる彼に対して、どのような厳罰を与えようか考えている。ナザリックの奪取という目的がある彼らにとっては、無礼な態度こそ望むところだ。
「望み通り殺してやる! 地獄まで連れて行っ――」
スクロールを取り出し、ケルベロスを召喚しようとした時、アインズの前に刀の刃が差し出された。
ヤトは抜刀し、アインズの前に刀を突き出して制した。
「なんのつもりだ、ヤトノカミ」
アインズの声は低い威圧感が込められていた。
「殺しては…い…いい…いけません」
「ふざけるな! 貴様はここまで言われてなぜ怒りもしないのだ! お前は私と同じく仲間の帰還を待っていたのではないのか! それとも俺だけか? 俺だけが仲間の帰還を願っていたというのか? 貴様まで俺を馬鹿にするのか!」
裏切られたと思ったアインズの怒鳴り声は、先ほどの比ではない。
プレアデス達は怒号で体が震える錯覚に陥り、敬愛する主君の莫大な怒りに怯えていた。
「殺して気が、す、済むんですか? ただこ、殺すだだ、だ……だけで……」
妙な間を入れながら反論した。
既に憎悪は上限を振り切り、それでも溢れ続けている。
気持ちを切り替えないと、まともに会話にならないと判断し、大蛇の姿に戻った。持っていた刀は額の装備スロットの穴に収納され、背中に新たな武器が二つ出現する。よく血を吸っていそうな大鎌が光の反射で輝いた。
鮮血のような両目に亀裂に似た瞳孔、緑がかった鱗が全身を覆い、人間など一飲みに出来そうな大蛇、頭部には鹿に似た赤い角が二つ、額からは黒い刀が突き出し、二本の逞しい腕は人間をパンのように千切れそうだ。
「っはぁぁぁぁ……」
地の底から這いあがる吐息に、黒い瘴気が混じった。
愚かな使者は、相手が異形の化け物だと知り、背筋が凍りつき死の恐怖が近づくのを感じた。外で待機する衛兵たちを呼ぶ余裕はない。
文字通り蛇に睨まれた蛙だった。
「だ……大丈夫…殺意があ、溢れて……」
「ヤト……」
「このまま……王都に……進軍を」
「おまえ…何言っているんだ!」
「王都に……ナザリックで……壊滅」
「落ち着け! 今は何も言わなくていい! こいつらは私が殺しておく!」
「もういい……アインズさん。もう……何もいらない。ナザリックとアインズさんだけ……俺にはあればいい!」
今まで経験した事のない膨大な憎悪が上限を超え、冒涜的な狂気へ近づく。
ラキュースの明るい笑顔、彼女と過ごした日々、王都や人間に対する霞む期待、自らの未来への希望、向き合おうとした過去、全てが欠片も残さず、どす黒い闇に染まっていく。
静かで暗い水面はヘドロで泡立ち、今の彼は身も心も異形だった。
大蛇はメイドへ顔を向けた。
「プレアデス」
「はい、なんでございましょうか、ヤトノカミ様」
いつもと様子の違う主に戸惑いながらも応えるユリ。
「王都へ進軍する……付き従え」
「お望みとあらば、即座に」
「は、反逆者だ! 兵隊共! 逃げる時間を――」
「黙れ!」
「さっきからうるせえんだよ……てめえ」
アインズの制止も虚しく、王家の威光を笠に威圧しようとした老人の腕が千切れる。素早く掴み、全力で引っ張っただけだが、水分の足りない老体には耐えられなかった。
「ぎゃあああ!」
座っていた椅子から転落し、床を転げまわって床を汚した。
「きったねぇ……。人間が腐ってると……血も臭いのか?」
さりげなく腕をエントマに渡しながら、生ごみでも見るように呟いた。
「ひいい」
「だ、誰か! 私を助けろ!」
部下の私兵を犠牲にして逃げるしか思いつかなかった。
腰から下げた銅の剣など、この化け物の前では
「逃げられると……思ったか」
「ヤト! 少し止まれ!」
「アインズさん……その枯れ木の治療を……お願いします」
「待て!」
アインズに応えず、ログハウスの外へ出た。
クロードの声により、六十人程度の私兵は武装してこちらへ向かってくるが、ヤトの姿をみた彼らは立ち止まる。相手が異形の化け物など誰も聞いていない、また想定もできない。
今のヤトにとって憎しみをぶつける相手など誰でもよかった。
二本の腕を生やした巨大な蛇は、持っていた”荷物”をログハウスの壁へ放り投げ、兵達の殺戮へ興じる。”荷物”は壁に当たり、潰される蛙に似た悲鳴を上げていた。
ヤトは武器を使わなかった。
腕で心臓を掴み抜き出す、両腕で四肢を引きちぎり返り血を浴びる、尾で相手の首を掴み、地面へ叩きつける。どれほど赤い水で草原を濡らそうと、憎悪の暗黒は晴れる気配が無い。下手に暴れて冷静さを取り戻した彼は、残虐性が増していた。
たった五分程度で、六十人程度いた兵は全て一塊の赤い肉塊になった。肉塊の下から赤い血が流れ、草原に染み込んでいく。這って移動するヤトの体は、赤黒く染まっていた。
動くたびに、ぐちゃっ、ぐちゃっと、血と臓物を踏みつける音を出しながら。
仕方なく治療されたアルチェルは横たわり、息も絶え絶えだった。
ログハウスに戻ったヤトに、アインズは駆け寄る。
「お待たせしました」
「おまえ、様子がおかしいぞ。少し落ち着け!」
仲間の異変に声を荒げた。
「大丈夫……落ち着いています。今は冷静です」
とてもそうは思えなかった。声だけは落ち着いているが、目を離すと王都へ単身乗り込みかねない。
「……わかった。念のため周囲に監視がいないか確認している。少し待て」
「はい」
「それで、王都に侵攻というのはどうするつもりだ」
「二人で行きませんか? 俺が先陣を切って王族と貴族皆殺しにしておきます。その後で王都を壊滅させるなんてどうですか?」
「ヤト、壊滅は許さん。デミウルゴスとセバスが暗躍した事が全て無駄になるのだ」
「そうでしたね……もうどうでもいいですけど。じゃあ王宮だけにしますか。連絡お願いします」
「……彼らが逃げないように見ていてくれ」
「はい」
アインズはデミウルゴスとナーベラル、セバスに大至急の帰還命令を出した。
連絡している間に、ヤトは若い貴族の頭皮を剥いでいた。
「何をやっているんだ……おまえは。本当に大丈夫か?」
「ふむ……ちょうどいいので、色々と検証したいです。使ってないスキルもまだあります」
「その手に持っている汚い物を捨てろ」
「ああ……失礼」
手には、はぎ取った頭皮が毛髪を付けたまま握られていた。埃でも捨てるように、無造作に放り投げた。頭皮を剥ぎ取られた貴族は、地面に横たわっている。
唯一、無事なクロードは震えて失禁し、涙を流していた。
「さて、お前には聞きたい事がある」
◆
「なるほど、主犯は全て王宮にいるわけだ」
「プレアデス達を……連れて進軍します」
「それは危ないからやめろ。お前、ちょっとおかしいぞ! さっきから自分が何を言っているのか分かっているのか!」
「そうですかぁ? 落ち着いてますよ……俺は」
「明日にはラキュース達がここへ来るんだぞ。こいつらを殺して全部、終わりだ!」
声を荒げても、彼の意識に届いている気がしなかった。
底なし沼に小石を投げている感覚に陥る。
「もういいです。所詮は、あの女も貴族ですから、どこで裏切るか分からない。なら、初めから皆殺しにしてしまえば――」
「問題はそこじゃないだろうがぁ!」
何もかもどうでもよくなった投げやりな言い方に、沈静化されるほど苛立った。
「無理に固執する必要はないでしょう。どうせ、俺はもう化け物なんですから。」
淡々とした無機質な口調で、大蛇は口角を歪めた。どこか自嘲しているような悲しい響きだ。
「楽しそうに準備していたのに?」
「そうでしたっけ?」
「どうやってもてなしてやろうか、嬉しそうに考えていただろう!」
「どうでもいいじゃないですか」
「ふざけるなぁ!」
アインズの怒鳴り声で、プレアデスは体が跳ねた。
「お前は……お前は彼女を愛していたんじゃないのかよ……」
「落ち着いてくださいよ。らしくないですよ、人間なんかに拘るなんて。今は王都領内を廃墟にすることが先決ですよ」
変わり果てた友人に言葉を失った。
眠そうにソファーへ横たわる、先ほどの彼と同一人物と思えなかった。
「お前は……お前はそんな事をするために、王都にいたわけじゃ……」
「どうでもいいですよ、何もかも。ナザリックだけ残ればいいじゃないですか」
「ラキュースも殺すのか?」
「はぁ、殺しますけど……それがどうかしたんですか?」
微かな感情も感じさせない彼は、冷血動物そのものだった。
(おかしい……怒りや憎悪でここまで心は壊れるのか?)
アインズは頭の中に沸いた疑問に対する答えを探る。
パズルのピースは全て揃っているのに、何から手を付けていいのかわからない気分だった。進軍させても、彼を止めても、王都を廃墟にしても、友人であるヤトノカミは帰ってこないのではないかと恐怖に駆られる。
粘着質な憎悪はアインズの心にも貼りついていたが、それ以上に彼に対する心配の方が大きかった。
「殺すなら今回の当事者である貴族だけにしろ……私がモモンで止めに行こう」
「わかりました……貴族は皆殺しにしておきますね。邪魔者も殺しますけど」
「お前が暴走していたら、殺す気で止めるぞ」
「望むところですね」
蛇の顔が歪んだが、笑っていたのだろうか。
ラキュースと交戦になったら、今の彼は躊躇わず殺す。
(それだけは、させてはいけない……)
極端な話、彼が元通りになるのであれば、訪れた無礼者を殺して終わりだ。彼が報復にこだわるのなら、舐めた真似をした王都へ、超位魔法を一撃叩き込めばいい。ラキュースが死んだとしても、彼が元通りになるのであれば知った事ではない。
「ヤトノカミ様、準備は整っております」
「わかった……ありがとう。今日は惨たらしく痛めつけて殺すのが仕事だ。手を抜く必要はない、我らの恐怖を奴らの臓腑に刻み込め」
プレアデス達は丁寧にお辞儀をした。
ルプスレギナ、ソリュシャン、エントマはどことなく嬉しそうだった。
「シズ。武器を持ってきましたよ」
エクレアが体に似合わない大きな銃をよちよちと運んで来た。
「エクレアか。お前も大変だな」
「おお、ヤトノカミ様。王都へ進軍なさると聞きましたが、ガゼフ・ストロノーフ殿は殺さないで下さい。彼はナザリックの優秀な戦力となるでしょう」
「お前は仕方のない奴だなぁ。部下にでもする気だろ?」
エクレアと話すヤトは穏やかで優しい声であり、見ているアインズには強烈な違和感だった。イワトビペンギンは両手をぱたぱたと反論している。
「悪いが、邪魔したら殺すしかない。そのときは別の相手を探してくれ。人間は他の国にもたくさんいるからな」
「そうですか……仕方ありませんね」
蛇神は口角を歪め、ペンギンのとさかを撫でていた。
アインズは少しでも後の事態を有利に運ぼうと、プレアデスに指示を出した。
「プレアデス、私はモモンになって、ヤトノカミを止めに来た英雄になりきる」
「畏まりました」
「それを機に王都から即時撤退せよ。後は私とヤトノカミでやろう」
「うし、行くかぁ。プレアデスはこの使者は持ってくれ。じゃ、先に行ってます」
口調だけはいつも通りのヤトを先頭に、転移ゲートへ吸い込まれていった。いつの間にか回復させられた使者は、プレアデスに引きずられて何かを喚いていた。
全員を見送ったアインズは、初日からの彼の言動、先日の彼の愚痴、今までの行動などのピースを浮かべ、しばらくその場で組み立て続けた。
「あの馬鹿蛇。本当に……本当に世話の焼ける奴だ」
結論は出なかったが、行動方針がまとまる。
「《
モモンへと変わり、出撃の準備を始めた。
まずアルベドに《
《はい、アインズ様》
《私はこれよりモモンとして王都へ進軍したヤトを止める。シャルティアと共に完全武装してナザリックへ待機せよ。私からの連絡で王宮玉座の間へ転移してヤトを止めろ》
《畏まりました。すぐに準備を致します》
援軍は頼めない。尊敬するプレイヤー同士が本気で戦う姿を、NPCたちに見せて動揺させるわけにはいかない。前衛職のヤトを相手に、どこまでやれるか不安はあるが、友人を取り戻すにはこれしかない。
握った拳に汗が滲むようだった。
「今までで一番の緊張だぞ。仲間プレイヤーと命を懸けたPVPとは……なんて不利な戦いなんだ」
次回予告
1d4→3 活動報告参照
祟り神の本来あるべき姿になったヤトノカミ。人の姿を捨てた彼は、ヒュプノスの手を離れた。
純粋な憎しみの暗黒に全てを委ね、
妄執と絶望に囚われる彼の心に気付いたモモンは、親友を守るために再び王都へ降臨する。
蒼い薔薇を携えた雄々しき姿の黒い戦士と、修羅の如く祟る蛇神は玉座の間で刃を交わす。
次回
BLACK SAVIOR
残酷度 極大(閲覧注意特大警報。読み飛ばし可能。)
残酷部分を読み飛ばしができるように、二話投稿します