必ず訪れる痛みを察知すると、人は目分量の覚悟を決める。振り上げられた
馬の前脚は振り下ろされなかった。
振り返った彼女は、軽装に身を包んだ男性を見つけた。
黒い光沢を帯びた長い刀を両手で支え、
「重てぇ……この腐れ
「ヤト……私」
助けを求めていたが、実際にヤトを見ると昼間の件が思い出された。
「早く離れろ!」
「は、はい!」
彼の珍しく真剣な声で、急いで横に転がっていく。
「てめえも、いつまでも足を乗っけてんじゃねえ。離れやがれ!」
抑えつけられている刀を力任せに振ると、軽快な足取りで
この一撃で様々なことを把握し、ヤトに冷や汗が流れた。
(予想以上に重い。物理無効化は効かない……か)
飛び込むに最適なタイミングを計る予定だったのだ、現地に到着してすぐ、ラキュースがダメージを受けようとしていた。”惚れて”はいないが、”お気に入り”の
後先考えずに使ったことを後悔した。
新手の出現に、
「ラキュース、状況を」
「ティアが殺され、イビルアイはあそこで交戦中です。他の皆はまともに動けません」
「わかった」
相手に問題はない。蛇の体で睡眠を無効化すれば、大鎌の連撃で粉々に粉砕できる。しかし、敵はユグドラシルで戦った
意地でも蛇に戻るつもりはなかった。
ラキュースの異様な弱気にも気づかなかった。
防いだ相手の一撃が予想を遥かに超える重さだったため、ふざけている場合ではなくなった。彼は
仮面をつけているのでわからないが、らしくない真剣な雰囲気は彼女に伝わった。
「私も力が尽きました。まともに動けません。私はどうなっても構いませんから、ティアを……お願い……助けて下さい……」
MP枯渇・生命力減の作用により、過剰に弱っている彼女は今にも泣きだしそうだった。
「どうでもよくねえだろバカ、下らないこと言うな!」
「ご……ごめんなさい……」
昼間と立場が逆転していた。
ヤトはラキュースに近寄り、黒い魔剣を強引に奪い、アイテムボックスへ収納した。
「運びづらいから剣は預かるぞ」
「あの……私はもう戦えません」
「見ればわかる」
へたっているラキュースを、刀をしまってから両腕で抱えた。
「え? きゃあ!」
彼女らしくない生娘の悲鳴だったが、ヤトは違和感に気づいていない。恥ずかしさに思わず顔を両手で覆った。
これ以上ない、見事なお姫様抱っこだ。
羞恥で顔を赤くしながらも、期待に胸が膨らみ、心臓が大きく脈打った。おとぎ話のお姫様は、自分一人では演じられなかったのに、こんな簡単に叶ってしまった。
心拍音が相手に聞かれそうな不安で、仮面を被った彼の顔をまともに見れずにいた。首に手を回して無言で見つめ合う行為は、やはりおとぎ話の中だけなのだろう。現実は恥ずかしくて目も合わせられない。
普段のヤトであれば楽しそうに小馬鹿にしていたが、今の彼に余裕はない。これまでの消耗・MP消費による眠気の気配は間近まで迫っている。対峙した
(無効化できないからレベルは60以上、そんな強いソウルイーターなんていたか?)
”美味しい”魂を二つも食べた敵はレベルの向上を図り、ユグドラシルでは考えられない厄介な変化がヤトを窮地に立たせた。物理の無効化はされず、相手の攻撃も重かった。
それでもヤトが負けるなど、蛇であれば考えられない。
眠気、空腹、倦怠感が体を襲い、今更に人化によるペナルティの重さを痛感した。戦闘訓練、実戦経験の無さで、彼は見た目以上に追い詰められていた。
「……ラキュース、飛ぶから首に掴まれ」
「あ……はぁい……」
恐る恐る両手を彼の首に回しているが、彼の方から言ってくれた喜びが顔に出ていた。
「絶対に喋るなよ、舌噛むぞ。スキル《疾風迅雷》」
二人は瞬時に姿を消した。
「援軍だ、間に合っ――」
イビルアイは遠目にヤトの姿を発見して油断し、漏れた安堵の声は
「くっ!」
大きく体勢を崩した彼女に、追撃を加えようとした敵は、後ろへ倒れ込んだ。ラキュースを抱えながら放ったヤトの蹴りが、知覚できない速さで打ち込まれた。横転した敵は足をもたつかせて暴れている。
「大丈夫か?」
「遅いぜぇ……英雄さんよ」
「痛くてもう限界。あとは任す」
二人は安心して地面に倒れた。空を仰ぐ表情は満足そうに笑っていた。
「ああ、ここで待ってるといい。俺はこいつらを倒す」
「はい!」
降ろされたラキュースは、ふらつきながら仲間達の近くにストンっと腰を下ろした。
「大丈夫なのか、ヤト殿」
「問題ない。こいつは俺が冥界へ送り返してやる」
それらしい台詞を吐く彼を、ラキュースは座り込んで見つめていた。脇へ携えた黒い大太刀、腰に横向きへ携えた一本の白い小太刀をそれぞれ構える。
「《分身の術》《疾風迅雷》《先制攻撃》」
スキルの多重化により、萎みかけていた加虐心が再び膨らんでいく。仮面の下部から、黒く着色された吐息が漏れる。地の底から這い出す息吹と怒号で、ヤトの姿が消えた。
「はぁぁぁぁ……行くぞ、馬の骨が!」
「今、忍術……使った?」
消えたヤトの呪文を聞き、ティナは不思議そうに首を傾げた。その疑問には誰も答えられなかった。
「やっぱり……あの人は英雄だったのね……」
夢見る乙女にも、誰も答えなかった。
◆
「
横に伸びる衝撃波は強化され、弱い
「すげえな! 流石は英雄だぜ!」
一体の殲滅を確認したヤトは、奥で様子を見ている
超高音の咆哮が周囲に木霊したが、ヤトは動きを止めなかった。二本の刀による追撃で、肋骨付近が大きく削れる。そのまま首を長太刀で切断せんと前に出たが、火球に邪魔をされた。気が付かずに詠唱された《
「分身じゃあ魔法は避けらんねえよ。熱そうだな」
魔法防御系のスキルを使うよりも火球を切った方が速そうだったため、一つでも多く斬って消し始める。そちらに気を取られ、別の攻撃に気付かなかった。
ダメージを負う覚悟で突っ込む
背後の火球に自ら突っ込み、火だるまになった。
「ぐああ!」
転がり回って火を消したが、高かったジャケットもベストも消し炭になってしまった。胸元を大きく開けたYシャツとスラックスという服装に見えた。砕けた仮面の残骸が頭から剥がれ落ち、忌々しそうに舌打ちをした。
「あっちい……」
ジャケットの燃えカスを払う。
蹄の一撃により、ヤトの額から血が流れた。濡れた感触に、人差し指と中指で額の血を確認した。
「やってくれたな」
そこで彼女達は初めて彼と敵の強さを確認した。並みの敵を一撃で倒すヤトが、負傷を負うほどの相手だったのだと全員が身震いをした。一歩間違っていれば自分は犠牲者となっていた。
ティアを
「流石はぷれいやーの戦いだ、何をしているのかまるでわからん」
「ああ、俺もだ。どうやら出番じゃねぇようだな」
「イビルアイ! ヤトを助けて! あなたしかもう戦えないの!」
ラキュースの悲鳴が響いた。
「しかし……私が行ってもこれでは」
「お願い……あの人を……助けて」
これまでの彼女から想像が出来ない、縋りつくか細い声だった。ラキュースの頭の中で、彼と過ごした短い時間が反芻された。昼間に言い放った言葉は強い後悔となって、彼女の弱気に拍車をかけた。
(この戦いが終わったら謝らないと……だから、お願い……生きて)
「わかった、どこまでやれるかわからんが助太刀してくる」
彼女の泣きそうな瞳に断る事も出来ず、イビルアイはヤトに向けて走り出した。足手まといになる公算が高くても、隙を作るくらいはできるかもしれない。これも友人の頼みだ。
「水神様、二人をお守りください」
見たことない技を駆使する彼の姿に、神官として祈るラキュースの鼓動が、一人の女として高鳴った。
◆
「
放った衝撃波に追い付かないように、敵へ向かっていく。聖属性の小太刀を逆手に構え、頭を打ち抜いて止めを刺すつもりだった。
真正面から頭を交差しぶつかり合う。
逆に近づかれてヤトの間合いが逸れ、致命的な一撃を与えられなくなった。怯まずに二本の刀による切りを至近距離で与え続けた。
尋常ではない配分で減り続ける体力を自覚し、
そのまま首を食い千切るつもりだった。
ヤトの目が見開かれ、首が熱くなった。溶岩でも当てられたような熱と、体力を奪い続ける激痛に叫んだ。
「ああああ! 痛えなぁ、この野郎が!」
振りほどいたが首の肉片が相手の口元に付着しており、彼の首から大量の血が滴る。肋骨に深く食い込んだ小太刀は敵の体に残っており、あのままでは抜けそうにない。
「この出血……頸動脈か……人体として有効なんだな。HPが凄まじい勢いで削れていくのが分かる……最悪だ。HP量とダメージ量は等価じゃなかったのか……頸動脈を切ったら制限時間は何分だ」
片手を首に当て止血しようとするが、手の隙間から漏れる血液に、止まる気配はなかった。指の隙間から血が勢いよく吹き出し、石畳に赤い斑点を作った。
「血が止まらねえ! 徐々に減らされるとあのスキルも使えねえ! そして一番やばいのが眠い! あああ! 畜生ぉおおお! 今、寝たら死んじまうだろうが!」
誤魔化すように大声を出すが、気を抜くと昏睡しそうだ。
大量の血は地面に零れ続け、彼の顔面を蒼白にした。HP・MP消費の検証などしていなかったのだ。目の前の敵よりも恐ろしいのは睡魔だ。強い眠気が津波のように次から次へと襲ってきている。
「あの突き刺さった奴を下へ降ろせば勝てそうなのによ……俺はここで死ぬのか……?」
敵の胸に刺さった小太刀を恨めしそうに見た。あと一撃、敵さえ倒して血を止めれば、人間として最後まで戦え抜けそうだ。死か、蛇に戻るか、ヤトのすぐ後ろで二択は賽を振る機会を待っている。
「ヤト殿! 使え!」
少し離れた場所からイビルアイはポーションを投げ渡した。
「助かった!」
すぐに首に振りかけたが、敵は待ってくれなかった。傷が癒えるのを待たずに、こちらに走ってくる。
「ちっ、馬の骨が」
ダメージを緩和するために後ろに飛ぶが、予想以上に強い当たりは殺しきれず、こちらに走ってくるイビルアイにぶつかるまで飛ばされた。
「ぐっ」
「悪いなイビルアイ」
「だ、大丈夫だ。気にするな。それより早く回復を」
勢いが緩んだ出血が、イビルアイの衣服へ滴った。
問題は眠気だ。
(くそ、回復してもこれじゃあ眠くてしょうがない。頼むから早く来い)
背後のイビルアイを庇いながら戦える余力は、もう残っていない。首の出血にHP減少が、彼に冷静さを失わせる。敵は追撃の準備に入り始め、地面を蹄で引っ掻き、突進の準備を始めていた。
かくて漆黒の英雄は、満を持して舞台袖から高座へ上がる。
◆
何かがけたたましい音をたて、敵と味方、双方の間に落ちた。
重みを受け止めきれず、地面が大きくへこんだ。漆黒の鎧は黄色い霧を反射させ、怪しい美しさに彩られる。幼い頃に見た特撮のヒーローに酷似していた。
「すまんな……ヤト、遅くなった」
「ああ……おせえよ、モモン」
首の出血を押さえながら、顔を歪めて笑った。命に関わりそうな傷を負った友人を見て、モモンの怒りが沸騰する。
「インベルン、悪いが離れてくれないか? 我々の巻き添えを食らうぞ」
冷静さを失いそうな自らを律し、平静さを装って彼女を離した。
「え!? ……あ、ああ、分かった、モモン殿」
さりげなく名前を間違えられたが、モモンの鬼気迫る態度に引いていく。彼女の脳は完全に上の空になっていた。首を傾げてモモンを眺めるイビルアイの思考と動揺は、黒髪にポニーテールを揺らした不機嫌な女性に遮られた。
「そこの
「うえっ!? あ、ナーベ嬢」
「大人しく見ていなさい、二人の英雄の戦いを」
「英雄……」
騎士に守られるお姫様に酷似した、ラキュースとヤトの情景が脳裏に浮かぶ。ヤトに抱かれたいわけではなかったが、あのシチュエーションは羨ましかった。顔を真っ赤にしながらも、嬉しそうに彼の首に手を回していたラキュースが。
「ナーベ殿、お姫様抱っこというものをされたことはあるか?」
「はあ?」
露骨に不快な顔をされて、イビルアイは仮面の下を羞恥で真っ赤にした。
「いや、なんでもない……すまない。英雄の戦いに集中しよう!」
ナーベはヤトの傷を見て頭が真っ白だ。本来ならば真っ先に盾となるべき自分が、モモンに言われて見ているしかできないのが歯痒い。音が鳴るほど歯を食いしばり、二人の支配者が戦う姿を、一瞬たりとも見逃すまい目を見開いた。
「胸に刺さった小太刀でそのまま切り裂きたい。奴に突っ込んでくれ……先に言っておくが、これが失敗しても成功しても俺は昏倒する」
ヤトの冗談がない口調は、彼に事態の深刻さを告げた。
首の血はまだ止まっていなかった。
「わかった。奴が死ぬ前にお前が死ぬなよ」
「ああ……頑張る」
「愛しのラキュースが見守っているぞ」
小さな声で呟いた。
ラキュースはこちらを見ながら祈るように両手を組んでいた。
「はは……そりゃ死ねないな」
「その通りだ。簡単に死ぬなよ、英雄」
「そちらもな……
負傷したヤトは立ち上がり、空っ風が場を流れた。
「行くぞ、ヤト!」
「わかった……モモン」
蒼の薔薇・ナーベが見守る中、二人は動き始めた。モモンは勢いよく相手に走り出て、視線を集める。
怒りが沈静化されて粘着質な憎悪に変化したモモンは考えなかった。自らが創造した僕は、友人を傷つけた魔物となり下がっている。
モモンは敵に真正面から当たり、敵の動きを封じた。
「やれ!」
「ああ!」
滑り込んでモモンを潜り抜け、腕を上げて胸の小太刀を掴み取った。その動きに合わせてモモンは一歩引き、空間が出来たので一気に下まで切り裂いた。
「
MPが尽きるまで衝撃波を直上へ放ち続け、
ここが彼の限界だった。
遠くで女性の悲鳴が聞こえたが、夢の世界に入るのは止められなかった。
昏睡する友の首に、急いで赤いポーションをかけた。首の傷は収まり、見る見るうちに顔色が良くなっていく。その様子をみて安心したモモンの心中に、やり場のない怒りが再び湧いた。戦闘訓練を怠り、後先考えずに技とMPを駆使して消耗したヤトへ、ではない。認識が甘かったために、友人を傷つけた自らに対する怒りだ。
スリットに赤い光を宿し、モモンは大剣を突きつけた。
「さて、お前がこのまま死のうが生きようが、私が止めをさそう。大切な友を傷つけた代償を払え!」
体をよろけさせバランスを崩して倒れそうな
敵の体が骨の一本一本バラバラになるまで、二本のグレートソードの剣風を巻き起こし続ける。失敗した部下に対する粛清というより、個人的な理由の苛烈な復讐だ。モモンは自分が許せなかった。
抵抗する力を失った
「地獄へ還れ!」
残った頭部へ二本の剣が全力で打ち下ろされ、頭部は完全に砕かれた。
王国始まって以来、最強のアンデッドは塵になり、二人の英雄の戦いは終結した。
「格好いい……はっ? 私は何を言っているんだ」
「
「ナーベ嬢、そのモモン殿は……」
「はぁ?」
「あ、う……いえ、なんでもない」
モモンは剣を仕舞い、眠るヤトを両手で抱えた。敵のいなくなった場は静かで、耳を澄ますと穏やかな寝息が聞こえてくる。
「ヤト……すまない、今回は私のミスだ。どうか許してほしい。ナザリックへ帰り、ゆっくり眠れるといい」
アインズは友人を抱え、マントを棚引かせながら観客の下へ歩き出した。
《ギャンブラーの矜持》→クリティカル率再抽選 →当たり(一体目)
《ギャンブラーの矜持》→クリティカル率再抽選 →外れ(二体目)
イビルアイ好感度ロール
ヤト→10
モモン→10
インベルンと呼ぶ→当たり
敵のクリティカル率→成功
ヤトの生存率→成功
これ以降、アインズさんは思慮深くなります。
原作でいう所のシャルティア戦後。
補足
蛇なら無傷で勝ってます。
初期レベル50で魂を食べてなければ他との差異は無し。
魂を食ってレベルの向上をはかった彼のレベルは、一時的に80前後(という独自設定)
ヤトvsソウルイーター
ffだと、レベルを100に上げてもラストダンジョンの敵に、何も考えず舐めてかかって死ぬことがあります。
そんな感覚です。