“黄金”のラナー王女と“蒼の薔薇”のラキュースは旧友だ。今日も彼女らは、王宮の一室で雑談を交えつつ世間話に興じている。主な話題は、噂の黒髪黒目の変質者、黒い噂の絶えない不審者、ヤトノカミだ。
「それでどうだったの? 噂のヤト様は」
「まだわからないわよ、ラナー」
「クライムが執事の方に稽古をつけてもらったそうよ。なんでも、本気で殺されると思ったとか」
「そ、そうなの? 執事の方も強いのかしら……六腕より強いって話だけど」
「それは凄いわ。でも、本当にそんな人がいるのかしら」
「そうよね。あの人も戦士長より強いみたいだけど、そんな嘘をつく人にも見えないのよね……」
ややこしい人間性はなんとなく理解できたが、彼の強さに関しての譲歩は乏しい。執事のセバスは人間的に信用に足ると思われたが、肝心のヤトがよくわからない。
「どうやって畑を三つも同時刻に焼いたのかしら?」
「そうなのよね……そこは誤魔化されちゃった。というより、まるで何も聞けていないわ」
「あら、珍しいじゃない。詳しく掘り下げるって言ってなかった?」
「えーその、あっと……うーん、求婚がその……」
ラキュースは歯切れが悪くなった。
彼が去った後、改めて考えるとなんて恥ずかしいことを躊躇わずに言う人だったのかと、何度も思い出して赤面した。社交辞令であればまだしも、彼の顔は明らかに本気だった。あの場で受けていれば、帝国に行くことなく結納の日取りまで決めていたに違いない。断った過去の自分を褒めてやりたかった。
「え? 何の花の球根?」
「そうじゃなくてね。その……言い辛いんだけど、求婚されちゃって」
「ええー? よかったじゃない、ラキュース!」
このまま掘り下げれば彼女の顔が赤くなる。それはそれで面白いのかもしれないが、話を先に進めなければならない。ラナーには悠長に構えられる時間が少ない。
「何がよかったのよ……」
「話を聞くと、執事の方でもあなたより強いかもしれないのよ。その執事の方よりも強いのでしょう?」
「でも、いい加減な求婚だったから本気じゃない……と、思いたいわね」
「本気じゃなくてもいいじゃない。既成事実を作ってしまえばどうにでもなるわ」
ラナーは推し続ける。
「既成事実って……ラナー。それはちょっと、どんな人かわからないのに」
「でもね、話が本当だとすると、強くてお金持ちで可哀想な子供達を助けてくれる“程度”には優しい人なのよね。貴方の理想にぴったりの人じゃない?」
「そうだけど。まだ得体が知れないというか、危険な匂いを感じるというか」
「そういうところが好きですってこと?」
「それはそうなんだけど……って、なに言ってるのよ」
自分しか知らない裏側で知性の高いラナーは、友人の悪い病気など造作もなく見抜いていた。
王子様に憧れる少女が、夢を見過ぎて悪い病気を発病するのは想像に難くない。冒険者で名を馳せ、黒き魔剣を振り回し、影のある正義に憧れる彼女の心は容易に紐解けた。
「格好良かったの? お顔の方は?」
ニヤニヤした笑いがラナーに貼りついた。
「ん、うーんと、別に美形じゃなかったわよ。南方の人というのは間違いないけど。戦士長より南方の血が濃いみたい。着ている鎧も安物だったけど」
色白で黒目黒髪という特徴的な容姿を思い出す。
見た目や装備で判断するのであれば、決して強そうには見えず、むしろ弱そうに見えた。
問題は性格だ。
「困った人ね……きっと」
「私も会ってみたいわね。お宅に招かれたんだっけ?」
「ええ、自慢したいからみんなで来てくれって」
「普通の貴族の豪邸だったら期待外れよね」
「話を聞くと、どうも違うのよ。大墳墓なのに神殿で、地下なのに空が見えるとか、火山の溶岩とか凍土の雪山とか、食事が美味しくて豪華なお風呂ってなんなのかしらね……?」
支離滅裂である。
この世界の人間は、実際に見たとしても夢を見たと思うだろう。
「私の代わりに行ってきてくれない? 私も王女じゃなかったら一緒に行ったのだけど」
「でも、相手がどんな人かわからないし……」
「結婚を視野には入れているってことでいい?」
「もう二十歳だからね……って、どうしてもそちらへ持っていきたいみたいね」
この世界の平均寿命が40代~50代と考えると、20歳前後で結婚ならば決して早くはない。
ラナーは別の計算を始めている。
「子供達を助けたのは好感を持っているのでしょう?」
「それは認めるわ。誰でもできる行為じゃないからね。今回も結果的には八本指の財政面に大打撃を与えて、六腕を全て連れ出してしまった。今なら私たちでも八本指を壊滅できるかもしれない。でも、彼の周りで人が消えているのも否定はできないのよね」
行方不明になった武器屋の店主、子供達に絡んだゴロツキの姿は、王国から消えたままだ。それだけではなく、彼が王都に来てから、柄の悪い者たちの失踪が増えている。街の住人達から好感を持たれない相手なので、誰も本腰を上げて調べなかったのだ。
「それは本当に怪しいわね。”何が”ではなく”ただ”怪しい。ラキュースは好きなのよね?」
「それもどうかしら。イビルアイにちょっかいを出していたと聞いているの」
「少年と間違えたのなら無理もないでしょうね。みんなには話したの?」
「まだよ。みんな別の依頼に出掛けてしまって」
「そう、会談が楽しみね」
「情報を引き出すのが目的よ。彼の主人は
「どんな様子だったか詳しく教えてね」
ラナーは物思いに耽りだす。
心の底から愛している若き兵士、クライムに首輪をつけて鎖で縛り続ける生活を送るために必要不可欠なのは、相応の力と財だ。その第一歩として、ヤトに王国を売って生活の保証をしてもらう必要がある。
(おまけにラキュースをつけてあげれば喜ぶかもしれないわね……ふふ)
ラキュースはラナーの友人だが、お互いが同等に大事に思っている関係ではない。
“黄金”のラナー王女の目的は子犬のように可愛いクライムを鎖でつなぎ、その瞳に自分だけが映し出される事だ。鎖が金だとなお好ましかった。家族・友人・部下・王国、クライム以外の全てを犠牲にしても、彼女の心は痛むどころかさざ波すら起きず、永遠に凪いだままだ。
目下、当面の主題はヤトの目的だ。嫁探しとは思えず、話が事実だとして、強者は腐敗した国に何を求めるのか。いっそ国が目的なら彼女にとってどれほど素晴らしい事だっただろうか。
(こんな国、二つ返事でくれてやるのだが……)
戦士長の話だと、人間じゃない可能性もあるが、仁徳は持ち合わせている。それを踏まえれば、国を明け渡すという非人道的な話にヤトは乗ってこない。その裏にいる王、あるいは知性の高い側近ならば、ラナーの申し出を受けるかもしれないが、そんな存在が都合よくいるとも思えなかった。
下手なちょっかいを出してクライムが死んだら元も子もない。
(使者を通じて内密にここに招くか。いや、使者よりラキュースを使うのが確実だ。人間ではないという話、本気で検討すべきだ)
「ラナー?」
「……」
「どうしたの?」
「あ、ううん、なんでもない。八本指が落ち着いたら私の部屋に招きましょう。王や貴族が絡むと厄介だから」
「危険だからやめた方がいいと思うけど」
「大丈夫よ。クライムを通じて執事の方にお知らせしてみるわ」
「だけど、本当に危険よ」
ラキュースは友人ではなく貴族としての立場から止めた。
今はそれが鬱陶しかった。
余計な偽善の心を発揮し、中途半端に止めるなら初めから何もしなければいい。
「大丈夫よ。貴方の愛しいヤト様は取らないから」
「ちょっと! ラナー!」
「あまり大きな声を出すと衛兵が駆けつけるわよ?」
「ゴホン! 仕方ないわね……」
「八本指の調査はどうするの?」
上手く話題をすり替えた。
ラキュースはラナーの心情を察していない。薄々、何らかの事実に気付いてはいるが、普段の彼女を見る限り、それは信じられない。ラナーの内心が魔女に近いなど、友人だからこそ信じられない。
「必要であれば執事の方が協力してくれるみたいね。叔父さんは旅に出てしまったから、私達で探ってみましょうか」
「それはいい考えね。彼が返ってくるまで私達で調べておきましょう。上手くいけば、幹部だけは捕縛できるかもしれないわ」
「無事に帰ってくるといいのだけど」
心配そうな顔を浮かべた。
「大丈夫よ。六腕が束になっても敵わない人がそう簡単に死なないわ。それより今後の行動方針を――」
ラナーは口を動かしながら、昆虫に似た無感情な熟考を再開した。
城内へ招き、次いでラナーの私室へ内密に招くのであれば、何らかの功績をあげてもらう必要がある。ラキュースとの
万が一の場合には、ラキュースを犠牲にする必要も出てくる。
「ごめんね、ラキュース、いつも無理させて」
「いいのよ。これも全て王国に暮らす人々、それに親友のためだもの」
「ありがとう、嬉しいわ」
(ごめんね、ラキュース。私のために死んでも怒らないでね)
そんな親友の心中を知らず、ラキュースは真剣に八本指の調査に関する打ち合わせを続けた。
◆
スレイン法国の大神殿内部にて、神官達の会議が行われていた。
差し込む日差しが逆光となり、彼らの表情は窺えない。議題は王国への警戒と、突然に現れた漆黒の英雄だ。漆黒聖典が遭遇した冒険者モモンは、ギガント・バジリスクを戦士の身でありながら悠々と屠った。
彼の存在は王国と敵対した場合、確実に脅威となる。そこで問題となるのは彼の実力ではなく、人間性だ。漆黒聖典の上げた報告書によれば、実に英雄然とした人物であったと記述がある。
「どちらにせよ、厄介な存在が出てきてしまったものだな。ぷれいやーか神人の可能性はないのか?」
「それはないだろう。隊長より弱いという判断だからな」
モモンは戦士としてのLVが低い。LV100の漆黒聖典隊長より強いと報告されることはなかった。魔法職を鎧で戦士職に見せているだけなのだ。装備品も魔法で作り出した全身鎧では、本来のものより劣る。実力が低く見られて当然だ。
アインズが好む情報戦において、ナザリックは圧勝していた。
「陽光聖典の調査はどうなっている?」
「王国内の武器屋で陽光聖典の武器が販売されていると報告が入っている」
「では、最高位天使を封じ込めた水晶も今は王国の手の中……か」
「彼らは誰にやられたというのだ」
「未だ不明のままだが、アインズ・ウール・ゴウンという者が近くのカルネ村を支配したとか」
「戦士長が無事なのはその者の影響も考慮すべきだ」
「一度、カルネ村に使者を派遣する必要がある」
「そんな者などどうでもよい。今は
「漆黒聖典は成果を上げられなかったが」
「失った土の巫女姫の後任もまだ決まっていないのだぞ」
「そちらは候補が数名いる。慌てずともよい」
これ以降、アインズとモモンの名がでることはなかった。
人類の敵となりえる竜王の復活に向け、王国を纏め協力をしなければならないという矢先、陽光聖典を失い、あまつさえ貴重な水晶を王国に取られてしまった。
――と、彼らは思っている。
彼らが忌み嫌うアンデッドを使役して飛躍的な発展を遂げようとしているカルネ村も、領内の話ではないので、深く考えるに値しない問題と判断された。
人間至上主義が故の弊害だった。
出現してもいない敵に目が集中してしまっている彼らは、足元のプレイヤー・脅威を考慮できなかった。スレイン法国の神官達は王国に対する警戒を若干強め、アインズ・ウール・ゴウンに関する調査は無期限の先延ばしにされた。
余談だが、後日カルネ村にスレイン法国の使者数名が派遣された。
顔面蒼白の使者によると、最初は楽しく話していた村人達にスレイン法国の使者だと身元を明かした。
それまで笑顔で話をしていた村人達は武器を手に取り、“アレ”と共に襲い掛かってきたらしい。カルネ村からすると王国への恨みは深いのだが、直接に攻撃してきたスレイン法国を許す者は一人として存在しない。豹変した村人の魔の手から命からがら逃げ帰った彼らは、故郷に帰って隠遁してしまう。
彼らが何を見て何をされたのか、神官達が知ることはなかった。
◆
王宮内の庭で、ガゼフとクライムは剣の稽古の後だった。良い汗を流しているが、通りかかる貴族からすれば迷惑極まりない。わざわざ王宮内で稽古する必要はなく、領内の外れにでも行ってしばらく戻らなければいいのだ。そうなれば、王を引き摺り下ろす作戦もいくつかの展開が見込める。
彼らの思惑など関係なく、二人は剣を交えて良い汗を流した。
「ありがとうございました!」
「いや、私も体を動かさないと鈍ってしまうからな。こちらこそ感謝する」
「ストロノーフ様。先日、件の御方の執事様に稽古をつけていただきました」
「ヤトノカミ殿のか?」
「はい、その通りです。本当に強かったです」
「剣の腕が上達したのは、その影響もあったのだな」
クライムの剣は、技術ではなく気迫が大きく上昇していた。時として気迫は技術よりも勝る。命を懸けた捨て身の剣が、敵の兜を破壊し、頭蓋を割ることだってある。
「そうです。冗談ではなく本当に殺されるかと思いました」
思い出すと足の震えが蘇るようだった。
「ヤトノカミ殿には会えたのか?」
「先日、宿に伺いましたが、お二人とも留守でした。ヤトノカミ殿は帝国に出掛けているようです」
「帝国に……彼のことだ。ゴウン殿と反目し、帝国に属して王国と敵対することはないと思うが……」
「それは怖いです。次の戦争は死ぬために行くようなものです」
「はっはっは。私も怖いとも」
ガゼフは愉快そうに笑った。
彼の性格から考えれば、ヤトが異形の者であると判明しても、恐ろしい真の姿を見たとしても、態度を変えるような性格ではない。強い剣士としての好感は、立ち会ったからこそ抱くもので、簡単には揺るがない。
簡単には。
「今は黄金の林檎亭で宿をお取りです。“蒼の薔薇”の方々と同じ宿ですね。」
「ふむ……クライム、共に彼を訪ねないか?」
「よろしいのですか?」
「勿論だ。このまま待っていても彼は訪ねてこないだろう。こちらから行こうじゃないか」
遊び呆けているヤトの頭は、ガゼフ邸に遊びに行くという考えを忘却の彼方へ追いやっていた。彼はこのまま放っておけば、ガゼフ邸など永遠に訪れない。それはガゼフの考えている通りだ。
「執事のセバス様が夜か早朝であれば、宿にいらっしゃると仰っておりました。」
本来であれば従者に様付けするのは不自然なのだが、彼にとっては大事な師匠だ。
「王から丁重にもてなすように言われているからな。何か手土産を用意しておこう。クライムはいつが空いているのだ?」
「はい、三日後の夜であれば」
恐らく自分が知る中で最強の剣士であろう、しばらく会っていない黒髪黒目の顔を思い出す。クライムの話によると、八本指の件にも絡んでいると聞いている。その辺りの話も聞きたかった。
「ラナー様には内密にお願いします」
「ああ、勿論だ。その代わり、私が王の勅命を受けている事も内緒だぞ」
「はい、楽しみですね」
「ああ、楽しみだ」
二人は庭で笑い合った。
ラナーの目的は歪んだ形でクライムと結ばれることで、彼が必要以上に強くなるのは損こそあれ、得する事は何もない。その意味で、クライムがラナーに内密にしたことは正解と言える。
ただし、後々に起きる歴史を変えた事象を考慮すると、彼の選択は大失敗ともいえた。
稽古で温まった体を冷やす彼らの談笑はしばらく続いた。
◆
ガガーランとイビルアイは王都郊外にいた。
魔物の間引き依頼は、相手の数が多ければ上位冒険者に回されるケースもある。しかし、相手がゴブリンやオーガでは手ごたえがない。二人の間の空気は緩み切っていた。
「王国で三番目のアダマンタイト級?」
「そうだ、どうやらかなり強いな。今まで上げた功績で何段も飛び級したと聞く」
「そんな奴がいんのか。そりゃ会ってみてえなあ」
「いずれ会うだろう。この国にアダマンタイト級は三つしかいないからな」
「あいつとどっちが強いと思う?」
”アイツ”とは、イビルアイがご立腹の相手、黒髪黒目の不審人物、ヤトノカミだ。名前が出てすぐ、イビルアイの声は暗くなった。
「……あいつはどうでもいい」
「つれねえなあ、イビルアイ」
「うるさい、ぶちのめすぞ」
小さな仮面の赤ずきんの声は本気の怒気を孕んでいた。ガガーラン頭を冷やさせようとは少しだけ間をあけた。仲間が本気で怒っているのを煽るのは少しだけ気が引けた。
「もう許してやれって。悪気があったわけじゃねえんだろ?」
イビルアイが少年と思われていたと、ラキュースから話が流れていた。イビルアイ彼女の精神は、250年の歳月を過ごしても、一部で幼い。12歳で突然にアンデッドとなった彼女は、理屈ではない部分が心のどこかに残されていた。
普通の人間としての250年間であれば、また話は変わったのだが。
「なぜ少年と間違える。そんなことが許せるものか」
女性として何かを期待したわけではない。
だが、まるで気にしなかったわけでもない。
その結果が少年だと思われていたなど、いい笑い種だ。実際にティアとティナに笑われ、陰で甚大なショックを受けた。今回の依頼はその影響もあり、ガガーランと一緒なのだ。
「その仮面のせいじゃねえの? お前さんの素顔は俺らしか知らねえんだからよ」
「外すこともできないだろう。私は奴との会談など死んでも御免だ」
「イビルアイィぃ……」
「フンッ!」
仮面による声の変質で男女の区別すらつかない声だ。
勘違いされて当然である。
八つ当たりに近い怒りだったが、理屈で解決できなかった。
イビルアイはどこかで復讐してやろうと強い決意を固めた。
ラナー、ヤトへの接触方法→5王女の部屋に招く
スレイン法国の“王国領内”警戒度 初期値0 上限100
王国の体制による不信感1d20 →6
陽光聖典の失踪による警戒度1d20 →17
漆黒聖典の報告1d20 →12
合計警戒度 35
ガゼフ達の日程→1d4 →3 三日後
姫の復讐→2 ライダーキック
ガゼフは良い奴、でも結婚できない
ダイスの必要すらない決定事項
女より剣を取っちゃ駄目でしょ
ブレイクポイント
ソフトウェア開発のデバッグ作業において実行中のプログラムを意図的に一時停止させる箇所