話は一日前に遡る。
王都の東門で、セバスを付き従えたヤトは用意された馬車の前に立った。ナザリックの馬車と比べると、座席の座り心地が悪そうだ。同乗する男も、スキンヘッドのごつい男と、仮面を被った不気味な男。せめて女でもいればと思ったが、唯一の女性は別の馬車に乗り込んだ。
スキンヘッドの男が形式的に頭を下げた。
「警備部門のゼロだ、よろしく頼む。彼らが私の優秀な部下だ」
「御苦労」
心の中で嘲るゼロに対し、上から目線で労をねぎらった。その軽い態度で、馬鹿にしていることが窺えた。
(馬鹿が、これが最後の王都と知らずに)
普段なら怒るゼロも、そう考えれば、無礼な態度も見過ごすことができた。
紹介された五人の部下も簡易的に頭を下げる。先ほどに美人と楽しくおしゃべりをしていたヤトは、意気消沈して彼らに興味を示さなかった。元より仮面をつけているので、表情が見られることはない。
「セバス。留守を頼む」
セバスは深々と頭を下げた。
「ヤト殿、気を付けて旅をしてくれたまえ。」
八本指のボスは手を振って見送った。内心は笑いをこらえるので必死だ。六腕がついていれば、彼が金を稼いでも八本指に入るか、死ぬしか選択肢がない。結果に得をするのは八本指だけだ。7人を乗せた二台の馬車は、無事に王都を出発した。。
(帝国に行くのにこのやっすい鎧じゃださいよな……)
いわゆる大都会の帝都へ出るのに、野暮ったい安価な鎧が恥ずかしくなった。
幸い、資金だけは潤沢に持っている。
揺れる馬車の中で窓の外を見ながらのんびり考えた。
同乗した黒いローブで顔を隠した男を見た。探知スキルで把握しているのは、彼だけがアンデッドだ。王都でアンデッドに遭遇したのは二度目で、今さら驚きもない。自分で思うより、異形種が紛れているならそれはそれで構わない。
「なあ、デイバーノックって言ったっけ?」
「ああ、そうだ」
「王都っていうのはアンデッドが多いのか? お前みたいな」
「えっ? ……え?」
「おいおい、なに言ってんだよ」
ゼロが慌ててフォローを入れた。
「あーいいからいいから。アンデッドはわかんだよ。どうせエルダーリッチかなんかだろ?」
「その辺にしておいた方がいい」
ゼロが睨みを利かす。
「うるせえな、いいんだよ、こいつで二人目だから。本当に変な国だよな、ここ」
ははっと軽く笑い窓の外に視線を向ける。
月は満月だった。
(ああ、メンドクセ……しかもツマンネ)
帝都でこなす仕事は、賭場で遊ぶことだった。
ラキュースと出会ったことで、目的が増えていた。
(高級で見栄えのいい服を買う……デート資金を稼ぐ……ついでに図書館も見よう……飯はあっちの方が美味しいかもしれない……やることが多いなぁ)
大事なことは王都に残っている。これからセバスが”蒼の薔薇”の女性陣とよろしくやると考えると妬けた。
「おい、ゼロ、武技は使えんのか?」
「当然だ。私は強いからな」
「結婚は?」
「……いや、してないが」
「じゃあ、恋愛経験は?」
「女を抱きたければ力ずくか娼館に行く」
「そっか……なんか……ごめんな。それじゃ恋愛相談なんかできないもんな」
仮面をつけているので表情はよくわからないが、同情をされているとわかったようだ。スキンヘッドの頭に血が上りそうになった。
「そこのアンデッドには聞くだけ無駄だな。下もついてないだろうし、じゃあ俺は寝るからよろしく」
言うが早いか彼はすぐに眠りに落ち、その後12時間以上眠ったままだった。楽し気な夢を見ているのか、時おり笑い声がでる。馬鹿にされた二人には余計に腹立たしかった。
「なんだこいつは? これが帝国に経済侵略しようとしている奴か? ムカつく糞ガキがっ!」
苛立つゼロが吐き捨てるように言った。
手を出したくても、結果が出てないのに殺しても意味がない。
◆
馬車は順調に進んだが、遠方の帝都に到着したのは翌日の夕方だ。
「おせえんだよ、ったく。ああ、思い出してもむさ苦しい退屈な馬車だった。二度と御免だ」
「……」
「……」
起きたヤトに散々弄り倒され、二人の怒りは限界だった。
本来であれば即座に殺したが、何の成果も上がってない現状で殺せない。
ヤトは疲れて苛立ったが、彼を上回る苛立ちと疲労がゼロとデイバーノックを襲った。
「おい、お前……ちょっと宿探してこいよ」
「……ああ」
精神の沈静化で感情はすぐ落ち着くとはいえ、馬鹿にされ続けたデイバーノックは怒りの炎を燃やしていた。
(あの糞野郎。必ず殺してやる)
馬車の従者を入れて9名のため、三人部屋を三つとった。ヤトの同室は、そのままゼロとデイバーノックだった。
「あ、メッセ入った。ちょっと宿の外に行ってくる」
彼が出ていってから、デイバーノックは壁に穴をあけた。
「糞! あの糞野郎! 絶対に殺してやる!」
「落ち着け……奴は俺が殺す」
「畜生……すぐにでもぶっ殺してやりてえ」
「金を稼がせてからだ……それまで、何を言われても我慢するしかない」
壁に穴をあけ、ぼんやりと窓の外を見て精神を落ち着けた。
やがて眠気が上限に達したヤトが戻ってくる。彼は戻って早々、偉そうに指示を出した。
「ゼロ、明日は朝から闘技場にいく。全員でついてこられても邪魔だから、他の誰かに図書館の場所を調べさせろ」
「なんで俺達がそんな真似を!」
「口答えするな。おまえら俺の護衛だろ。調べろといったら調べろハゲ」
立ち上がろうとしたゼロの眼前に人差し指を突きつけ、暴言を吐き捨てた。歯を食いしばって怒りを堪えるゼロを鼻で笑い、ベッドに横になった。眠くて不機嫌の彼は、いつ爆発するかわからず、爆発したとなれば王都で溜め込んだ憎悪まで昇華される。
彼らがそれを知る事は無い。
「ボス、本当にこんな奴のいいなりになるのか?」
「……」
ゼロは真っ赤になって震えている。
温厚なタイプではなかったが、ここまで侮辱された経験もなく、彼の怒りは限界まで膨張していた。
足の一本でもへし折れば大人しく従うだろうと、右の拳を彼の足にめがけて無造作に放った。放った拳は彼に当たったが、威力は彼をすり抜けベッドを破壊する。眠っていたベッドが落ちたので、ヤトの体は穴に落ちた。
これが最もとってはいけない選択肢だった。
ベッドを破壊され、無理やり叩き起こされた彼の不機嫌の数値は、いきなり上限を振り切っていた。怒りで頭が真っ白になる感覚とは違い、殺意を交えた憎悪の炎は彼の頭を黒く塗りつぶした。ゼロが不運だったのは、ヤトが目覚める過程で、王都で溜め込んだ鬱屈した憎悪まで呼び覚ましたことだ。
これが生き地獄の始まりとなる。
「……うるせえぞ。ベッドを壊しやがって、てめえどうしてくれるんだ」
言い終わる前に、ゼロの顔に右の拳を叩きこまれた。多少の手加減はしたが、ゼロの体は壁まで飛んでいった。憎悪が一撃で収まるはずがなく、馬乗りになって殴り続けた。
抵抗は何の効果も無く、叫んでいても殴り続けた。
腕で身を守っていれば腕ごと殴った。
体を丸くしたのなら、腕の無い場所を殴った。
腕を売り回せば、その腕を殴った。
加虐嗜好まで加わり、口を歪めて暴行を楽しむ仮面の男は、自分で止めることができなかった。
デイバーノックは強者であるはずのゼロが、子供扱いされ殴られ続けているのを仲間が駆けつけるまで呆然と見ていた。音を聞いた他の4人が駆けつける頃、ゼロの顔は本来の大きさの倍まで膨らみ、素肌の見える場所は酷い内出血を起こし、まるで青い大きな鱗に覆われたようだった。
駆けつけたはいいが、部下たちも目の前の光景が理解できずに立ちすくむ。自分たちのボスの実力には信頼を寄せていた。六腕最強であるゼロは、大人が子供をいたぶる実力差で殴られ続けている。
ヤトは虫の足を捥ぐ幼子の残虐性で、口角を歪めてゼロを殴り続けた。
やがてゼロの体力は底を尽き、激痛で身動きすらできなくなった。
「ちっ、動かなくなった。勿体ないけどポーション使うか。」
空中から赤い液体を取り出し、ゼロに振りかけた。完治したゼロは意識を取り戻し、ヤトに叫ぼうと口を開いた。
「お、お前はいっごっ!」
叫ぼうと大口を開いたのがまずかった。彼の言葉はヤトの拳で遮られた。初めから治癒を望んだわけではない。
ただ、殴り足りなかった。
それだけのことなのだ。
「やめろっ!」
ボスの声でいち早く我に返ったデイバーノックが止めた。
仮面の中央に描かれた大きな一つ目がデイバーノックを見て、悪魔の拳が止まった。
「なんだ? 何か文句があるのか、虫けら」
仮面をつけているので表情がわからないのが、余計に不気味だった。誰も彼に答えなかった。
「どうした、お前ら。攻撃しないのか?」
ヤトは仮面をゆっくりと外した。
口元を歪め、残忍な表情を浮かべる彼は同じ人間とは思えなかった。誰も何もしないのを確認して、再びゼロに暴行を加え始めた。
「やめろがっ! 手を出すごぼっ! 化け物ぐほっ!」
部下の身を案じて叫ぶゼロの声は、止まる事のない右の拳で邪魔され続けた。悪魔は口角を更に歪め、愉悦とばかりに拳を叩き込む。
「安心しろよ、殺さないから。俺が殴るのに飽きたら止めてやるよ」
見物人は八本指管轄の劣悪な娼館を想像した。どんなに女が泣き叫んでも、サディストは殴り続ける。女が負傷すればするほど興奮し、最後に犯して終わる。それが自分たちのみに振りかかってきたのだ。
ゼロはやがて動かなくなった。
「ちっ、雑魚が。相手の力もわかんねーなら手ぇだすんじゃねえよ、ゴミが」
意識を失ったゼロの顔に唾を吐き捨てた。
「おい、てめえらはどうすんだ。ボスの名誉を回復しなくていいのか?」
彼の顔は加虐嗜好に溢れていた。誰も言葉を発さず、ただ沈黙だけが流れた。
「んだよ、根性無しだな。俺に歯向かったらどうなるか覚えておけ、雑魚ども。お前ら今日から全員、俺の部下だからな」
「……」
「返事をしろ!」
大きな声で数名の体がビクッと跳ねた。
「はい」
誰かがそれに答えた。何が“はい”なのかもわからないが、この場をやり過ごせばなんとかなりそうだった。
「あーそうだ。アンデッドのお前、武技は使えんの?」
「使えません」
突如、金属を砕くような音が部屋に響き渡り、デイバーノックの体は空中でバラバラになった。砕けた肋骨、髑髏、頸骨、薄汚れた白い骨が思い思いに床へ散らばった。ヤトが残骸を踏みつけると、白い骨は砂となって消えた。
素早く力任せに殴っただけなのだが、他のものは残像さえ捉えられなかった。
考える間を与えず、ヤトが声を掛けた。
「他に武技を使えない奴、いまここで楽にしてやるから言え。ここで死んだ方が楽かもしれないぞ」
「……」
この状況で使えないなどと言えるわけがない。殺されたデイバーノックは“不死王”の二つ名を名乗ることなく消滅した。名乗っていても気に入られずに消されていたかもしれない。どちらにしても彼に生きる道はなかった。
「いないんだな。じゃあそこのゴミを連れていけ。目障りだ」
「……」
水揚げされたマグロのように転がるゼロは微かに動いている。今なら処置をすれば助かりそうだ。
「早くしろ、死にたいのか?」
「デイバア……ノック……」
犯罪者の武闘派集団でも、仲間を案ずる気持ちはあるらしい。虫の息のゼロは息も絶え絶えに、消滅した仲間の名を呼んだ。
「まだ意識があったのか、うるせえんだよ」
ゼロの頭をサッカーボールのように蹴飛ばした。数日前、武器屋の店主にしたような生易しい蹴りではなく、頭が飛んでも構わない蹴りだ。彼は床を回転して壁に当たり、全身痙攣を起こしている。
「早くつれていけ! 目障りだっつってんだろうがぁ!」
怒鳴られてからやっと動けた4人はゼロを引き摺り部屋をでた。最後の一撃で本当に死んだと思ったが、胸は辛うじて上下していた。
退室していく彼らの、最後尾に呼びかけた。
「おい、おまえ」
「はっはい!」
「豚に振りかけろ。死なれては利用価値がない」
赤いポーションを投げ渡した。
「死んだら教えてくれ。蘇生させる」
悪魔は感情の無い言葉を放ち、空いているベッドへ飛び込んだ。内容の意味も分からず、頷いて部屋を出た。
◆
赤いポーションを振りかけられ回復したゼロは、四つ這いになって涙をながした。
未だかつてこれ以上の屈辱を受けたことがない。殺せるなら殺してやりたいが、何回やっても勝てる想像が浮かばない。歪んだ口角を思い出せば、全身が恐怖で震えた。
「ボス……」
部下は哀れみの目線を送った。
「全員で襲えば勝てるかしら?」
「無理だと思う」
普段であれば軽口を叩き、冗談を飛ばしながら話した。今は親の葬儀のように暗い。ゼロは自らの原風景である、スラムで泣く子供に戻っていた。
(力があれば人から奪って楽に暮らせるんだ)
ただそれだけだったのに、もうゼロは原風景から未来へ出られない。彼らは静かに涙を流すボスの周りで、声を掛けられずにそのまま時間を過ごした。
心のへし折られた“五腕”は、僅かな反抗心・脱走への希望を残しながらヤトの部下として振る舞う。
これが終われば逃げ出せるという希望を信じ、ナザリックで真の地獄を見せられるまでの短い間を。
多少の溜飲が下がったヤトは綺麗なベッドに横になって天井を見上げた。
(女が一人いたな……遊ぶか?)
ラキュースの顔が浮かび、その気が失せていく。
(恋多き方は好きじゃない……か)
性欲を満たすのは諦め、五大最悪の全てを試すだけで留めようと思った。彼らが活躍できるのは、確かな意思と生を持った異世界でこそ相応しい。防衛戦力としての彼らは、そこまで役に立つとは言い難い。恐怖公だけが、その容姿だけで敵を引かせることができる。問題は、彼の部屋に入りたくないことだ。
想像すると鳥肌が立った。
黒い憎悪の炎は頭の中にあった。
彼らは命拾いをしたが、死んでいた方が楽だったと知るのはしばらく後だ。
帝都アーウィンタール1日目。
血反吐色の絶望で彩られた夜は更けていった。
ヤトと同じ馬車→”不死王”デイバーノック。
ゼロの怒り →70%
暴言により+1d10を加算。
暴言×2怒りゲージ 2d10→17 クリティカル
ゼロの死亡率ロール→失敗