モモンガさん、世界征服しないってよ   作:用具 操十雄

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煉獄の業火で火をつけて

 

 ヤトはナザリックで充分な惰眠を貪った。しかし、NPC相手に心細いので派手に外出せず、結局は自室で退屈したので王都に戻った。アインズとは入れ違いとなってしまい情報交換はできなかったが、互いに急いで報告すべきことはない。宿へ着くとセバスは仕事に出掛けていた。

 

 時刻は朝の七時で、知り合いの少ない王都ではヤトを構う相手がいない。

 

 眠気はまるで感じなかった。本体の蛇の欲求が満たされると、人化しても増加しないとわかっただけで大きな収穫だ。0に何を掛け合わせても0でしかない。ナザリックで朝食を済ませた今、やるべきことは何も決まっていない。

 

「暇だから出かけるか……腹も減ったし」

 

 夜になって八本指に関する調査報告を聞き、本格的な調査に入らなければならない。暇潰しには最適だが、今度は暇潰しまでの暇潰しを考える必要がある。まだ出入りをしていない武器屋へ、武器の調査と余剰武器の売却に出掛けた。

 

 太陽の支配下にある屋外に出て、改造を施した仮面をサングラス代わりに被った。目に細かい穴をあけただけで改造と呼べるのか怪しいものだが、視界は明るかった。口の部分も着脱式で、仮面をつけたまま食事がとれる。これならば、アンデッドの小僧に混乱させられることはない。

 

 気分が急上昇し、近くにある市場へ情報収集と食事をするために出ていった。

 

 

 

 

「これ、下さい」

 

 商品が雑多に並べてある商店で、山積みされた禁断の果実を指さした。アダムとイブも真っ青になるような、真っ赤で大きな林檎だった。袖で磨けば太陽光を浴びて輝き、臭いを嗅げば濃厚な果実の香りが鼻孔を蕩かす。

 

「はいよ、2個で銅貨1枚」

「銅貨ないから、銀貨1枚分で」

「お、おう? 毎度あり!」

 

 割と安い商店だった。たった銀貨一枚で、大きい紙袋に一杯の林檎が手渡された。片手が袋で埋まってしまったが、今さらいらないとは言えない。林檎など一つ食べれば十分だが、軽く10個以上は入っていた。

 

「後で誰かにあげよう……食べ物の物価が本当に安いな」

 

 着脱式の口元部分を外して、林檎を齧りつこうとしたところで、隣の魚屋に蛙のような足を生やした魚が置かれていた。腹部は脂が乗って金色に輝いて美味を予感させたが、蛙の脚が食欲を塵に変えた。

 

「げ、なんだこの魚。足が生えてるぞ」

「おう、兄ちゃん。朝方、獲れたばかりのショウカンだぜ、どうだ?」

「これ食べるんですか? 観賞用じゃなくて?」

「なに言ってんだ。こいつあ脂がのってて焼くと最高だぜ。滅多に取れねーんだからよ」

 

 いかにも魚屋らしく、鉢巻を巻いた中年男性が朗らかに笑った。脂が滴ると聞き、口の中に涎が溢れた。買ったところで料理する場所がなく、料理スキルも取っていない。魚を諦め、店主に道を聞いた。

 

「おっちゃん。この辺に珍しい武器屋はない?」

「武器屋? スラム街の辺りなら、盗品も混じった珍しい物が流通してるっていうぜ?」

「ありがとうおっちゃん。魚は買わないから銀貨を情報料で払うねー」

「お、おい」

 

 戸惑いながらも銀貨は受け取った。どうせ人から奪った金だと思い、金遣いも荒くなる。いざとなって資金不足に陥ったのなら、八本指を襲撃して財宝を奪えばいい。

 

 鼻歌交じりに林檎を齧り、仮面の男はスラム街へ向かった。

 

 

 

 

 教えて貰った武器屋は、八本指の窃盗部門が経営する筋の店で、窃盗で得た品を正規ルートではない店で売り捌いているのだが、魚を売りさばく情報源はそこまで知らなかった。

 

 当然、そんな店と知る由もないヤトは、スラム街の武器屋の前に立った。林檎の袋が邪魔だなと置く場所を探して周囲を探ると、細い路地に大きな何かが居た。

 

 巨大なドブネズミでもいたのかと仮面越しに目を凝らすと、小さい女の子が袋一杯に詰められた林檎を、口を開いて凝視していた。無言で見つめ合うと、少女の口から涎が垂れた。

 

「涎、垂れてんぞ」

「っぁ……ジュル」

「欲しいのか?」

「う、うん……お腹空いた」

「馬鹿! ごめんなさいごめんなさい、欲しくないです。許して下さい」

 

 背後から男の子が飛び出し、石畳に頭を強く打ち付けて土下座した。襤褸布を纏った身なりからするに、スラム街で暮らす兄妹のようだ。

 

 スラム街で暮らす孤児に、貴族や犯罪者たちの生ごみを漁る以外の自由はない。空腹であっても、食べ物を欲しいと言う自由さえ与えられない。相手が貴族や犯罪者、質の悪い冒険者であれば、それを口実に殴られ、蹴られ、運が悪いと武器の試し切りにされてしまう。

 

 スラム街とはその程度の場所だ。

 

「おいおい、お腹空いたんだろ?」

「空いてません! 声を掛けてすみませんでした!」

 

 妹の手を引いて逃げ去ろうとする兄の肩を掴んだ。殺されると思ったらしく、二人の顔はこの世の終わりを予期させる、実に終末的な顔だ。顔面蒼白となった兄妹を可哀想に思い、仮面を外してから優し気に問いかけた。

 

「何もしないから安心しろ。お腹が空いたんだろ?」

 

 声は出ないが、妹は控えめに頷いた。

 

「そうか。俺は武器屋を見てくるから、出てくるまでこれを持っててくれ。一個ずつ食べていいから」

 

 元より、買い過ぎた林檎だ。全部くれてやっても構わない。理由があった方が貰いやすいと思っただけだ。嬉しそうに笑う妹に反し、兄はまだ不安そうに見上げていた。事実、そのまま積み木崩し方式に犯罪組織に所属させられ、兄は構成員として働き、妹は娼婦にされたとしても特別な悲劇ではない。腐敗した王都ではよくある話で、兄の疑心暗鬼は王都で暮らすに相応しいと言えた。

 

「じゃ、よろしく」

 

(やまいこさんならお持ち帰り……いや、メンバーだったら全員が持ち帰るかもな……連れて帰るか、カルネ村に)

 

 心に残る後味の悪さは、思い出した仲間の顔と、背後から聞こえる林檎を齧る音で薄れた。

 

 

 

 

(なぜ、こんなにも見つめられているんだ……)

 

 武器屋に入ってからずっと、先客と店主の目が痛い。一回たりとも視線が外れた気配がなく、彼らはヤトを凝視していた。居心地の悪さを誤魔化すように並んでいる武器を物色するが、集中できる逸品もない。柄の悪い客と店主はヤトの腰の刀を凝視し、皮算用をしていた。

 

(武器はゴミの山だな……店長に聞いてみるか)

 

「店長さん、刀はありませんか?」

「お客さん。ウチにゃあんたが腰から下げてるものより強い物はないよ」

「じゃあ、何か珍しい武器を見せてください。集めるのが好きなもので」

「その武器はいくらで売る?」

「この刀は弱い奴には使えませんよ」

 

 望んだ返答ではなかったらしく、五分刈りの頭に青筋がいくつも浮き立っていた。店長は店の奥に入っていった。胸のカッパープレートで、新米冒険者なのは来店して早々に把握されていた。スラム街で荒っぽい犯罪に加担する者たちにとって、冒険者は殺しても後腐れのない(カモ)だ。

 

 低級の、それも最下級の銅であれば、より強くその目で見られる。金級に昇格したとはいえ、肝心のプレートはまだ手に入っていない。これから店で起きる惨劇も、回避する手段なき必然でしかない。

 

「やれっ!」

 

 怒号と共に店内の客、奥から出てきた男が数名、ヤトに襲い掛かった。

 

「あーと……君ら外の子供達殴った?」

「武器に傷はつけるな!」

「……はぁぁぁぁー」

 

 王都で何度目かわからない失望のため息を吐いた。

 

 

 一分間、店長はねぎを背負った鴨を馬鹿にしていた顔から、腰を抜かして顔から血の気を抜く顔に変わる芸当をやってのけた。ぶつ切りにされた部下は、赤い水を床にぶちまけ、腰を抜かした店長の尻を汚した。店内で心臓が動いているのは店長とヤトの二人。加虐嗜好と敵への害意が強化されている仮面の賊は、ただ殺したのでは飽き足らず、仮面の下で口を歪めて暴行を加えはじめた。

 

 動けない店長の腹部へ腰かけ、至近距離へ仮面を近づけた。哀れな生贄が息を呑むのが見えた。

 

「お前の情報に価値が無ければ、憎悪を込めて殺す」

 

 店長の口からヒューヒューと洞窟から出る空気の音がした。

 

「まず一つ、この店はなんだ?」

「た、た、助け」

 

 返事が気に入らなかったので顔面を殴った。手加減したつもりだが、首が一回転するところだった。力の加減が今ひとつわからない。

 

「質問の返事以外、聞く気はない。死ぬより辛いことなんて、方法はいくらでもある」

「ゴホッ! ゴホッ! は……はい。わかりました」

「この店はなんだ?」

「この店は八本指様の窃盗部門直営店です」

「八本指の盗品か。なぜ俺を襲った」

「武器が見たこともないくらい高そうだったからです。銅の冒険者なら殺せると思いました」

 

 必至で話す店長の唾が仮面にかかり、反射的にもう一発殴った。気に入らないという以外に理由はなかった。

 

「ゴボボ……」

「客層はどんな奴らだ」

「ごぼ、ご、冒険者やゴロツキ! 組織の人間です!」

 

 店長の血反吐を避け、「汚ねぇな」と少し体を引いた。

 

「外のガキ共を殴ったのは誰だ?」

「そ、そんなことはしら――」

 

 先ほどよりやや強めに殴った。

 

「俺じゃない! 出入りしている奴らだ! 気分転換に殴っているのを見たことがあります! 俺じゃありません!」

 

 予想通りの返答に苛立ち、舌打ちをして不快気に唾を吐いた。殴られ過ぎた店長は言葉の発音が歪み始めた。

 

「おまえは八本指でどの程度の地位だ?」

「窃盗部門の末端でずぅぅ……盗品を売ることしかじでいまぜん」

「六腕とは何者だ?」

「警備部門の精鋭六人でず。彼らの通称が六腕でぃず」

「最後の質問だ。八本指の部署を全部言え」

「え、と、窃盗、麻薬、警備……奴隷、暗殺、密輸、金融、賭博です!」

 

 指折り数え、全てを言いきった彼は上下の歯をカチカチと鳴らして震えていた。八本指と同様、約束を守って指示に従ったからと言って助かる保証はない。店長は死に直面して親の顔を思い出した。

 

「賭博? そうか、賭博があるのか。これは思いつかなかったな」

 

 仮面の悪魔は立ち上がり、腕組みをして悩んでいた。冷徹な気配が消え、途端に緩んだ雰囲気が溢れた。店長は命拾いをしたことで、裏稼業から足を洗って逃げ出したいと考えた。

 

「お前は賭博に出入りをしているのか?」

「はい……たまに、遊びに」

「じゃあ、交換条件と行こう。殺さないから俺を賭場へ連れていけ、今夜」

「新顔をそんな簡単に――」

 

 起き上がりかけた店長の顔面は、サッカーボールのように蹴られた。本当に首が一回転してしまうというほど強い遠心力が加えられ、体をぐるぐると回しながらこれまでの人生の走馬燈を見た。あまりに無意味で下らない人生だったと、涙が出てきた。短い時間の走馬燈は消え、涙を撒き散らす頭部は床にぶつかって意識が戻された。いっそ気絶してしまいたかった。

 

「なに? なんつった?」

「ひっわ、わ、わ、わ、わかりましたぁぁぁ! ずぐに話を通じばずぅぅぅ!」

「じゃあ、また後で来ますね、店長さん。あ、店汚しちゃってすみませんね。掃除、頑張ってくださいよ、自分がゴミにならないようにね」

 

 仮面越しだが、笑いかけられたのが分かった。賊は店を出て行き、店長は命拾いした安堵で、妙に泣けてきた。

 

「母ちゃん……ごめんよぅ……うぅぅ……ぐずっ……うえぇ」

 

 しばらく床に座ってめそめそと泣いていたが、いつまでもそうしてはいられない。夜には先ほどの悪魔が賭場へ行くために店を訪れる。忙しくなった武器屋は、自ら率先して血反吐を吐いて床を汚しながら、必死で店内の掃除を始めた。

 

 この日以降、スラム街の武器屋は店じまいとなった。

 

 

 

 

「よう、ご苦労さん」

 

 林檎を預けた兄妹は、店前の路地に隠れ、林檎の袋を大切に抱えていた。

 

「おまえら親はどうした?」

「居ません」

「お腹はまだ減ったか?」

「はい、空いています」

「腹を減らした子供はまだたくさん居るのか?」

「……たくさん居ます」

 

 身寄りのない孤児と相対し、ヤトが思い出したのは一緒に異世界へ飛んだ友人だ。治安の悪い王都ではさして珍しくはないが、友人と彼らは違う。将来は大人の玩具か犯罪者、良くて愛玩具が精々だ。

 

「おまえら、同じような子供達を集めろ。林檎だけじゃ腹減ってんだろ。メシ食わせてやるから」

 

 怪訝な顔をする兄と妹を説得し、スラム中を走り回らせて孤児を集めさせた。同じような襤褸を着て、体も洗ったことのないような子供が17人も集まった。思った以上に多く、林檎の数は足りなかったので、刀で半分に切った。年齢、性別、怪我や病気の程度も様々だった。余った林檎を齧り、ヤトは子供たちへ言った。

 

「これから食い物に困らない場所に連れていく。ここに住みたい奴は残れ」

 

 林檎を皆で分け合いながら、夢中で食べている彼らからの返事はなかった。打ち捨てられた野良犬の顔から、子供らしい笑顔がこぼれた。

 

「うし、宿に戻ってシャルティアに連絡しよう」

 

 ヤトの後ろを浮浪児たちが一列に並んで付き従う様は、通行人の冷笑を買った。

 

 当のヤトは、宿に入りきるかどうかを心配していた。

 

(まぁ、人数多いけど、宿で大丈夫だろ)

 

 

 それが全然、大丈夫ではなかった。

 

 

 

 

「お客さん! 困りますよ」

「だからぁ……なんでですかねぇ?」

「だってこんな……わかるでしょう」

 

 汚いとでも言いたげに子供達を見た。スラム街を這いつくばって生きている孤児の身なりが綺麗なわけがない。ヤトの宿泊している宿は、王都で最高級だ。一度でもシラミが出ると噂が立てば、客足は引き潮のように離れ、二度と満ち潮を迎えない。

 

「部屋にマジックアイテムがあるので、知り合いの家に連れていくだけですよ。特に迷惑も掛からないと思いますが」

「ですがシラミとかがいたら宿の評判が。客入りが遠のいたら困るんですよ」

「うーん、じゃあ入口でこのまま待たせてください。アイテム取ってくるんで」

「離れた所で待機させておけばいいじゃないですか。すぐ行けばそちらこそ問題ないでしょうに」

「あ、そ。じゃあそれで勘弁してやるよ」

 

 相手の品格(ランク)を二つほど下げ、見下した態度に変えた。自室でシャルティアを呼び出してから急いで戻ったが、ヤトでも予想した通りに子供達はごろつきらしき連中に絡まれていた。

 

「てめえらみたいなゴミが、綺麗な街をうろつくんじゃねえよ。それともあれか、蹴り一発で半銅貨一枚ってか!?」

 

 可哀想な子供たちは何も言い返せずに身を寄せ合い、震えて俯いていた。

 

 瞬時に頭が真っ白になっ(ホワイトアウトし)たヤトは、物音を立てずに背後から忍び寄り、ごろつきの頭を刀の鞘で力一杯に叩いた。男は激しく脳を揺さぶられて意識を失い、顔面から地面に崩れ落ちた。彼の鼻血が石畳にぬるりと広がっていく。人目が多い中で殺しはどうかと考えたが、憎悪で頭が黒くなりかけた現状、我慢が出来そうにない。

 

「いちいち不愉快な街だな、この街は。王都じゃなくゴミ都に改名しろ。お前らも死にたくなければ消えろ」

 

 そういっても聞くはずもなく、仲間を倒された男達は襲い掛かってくる。

 

「シャルティア、面倒だから全員、ナザリックへ送れ。後でデミウルゴスに使い潰すように伝えておけ。絶対に生かすな」

「畏まりました、でありんす!」

 

 シャルティアは服が汚れるのが嫌だったので、新たに開いた別のゲートに彼らを放り込んだ。真っ先に叩きのめした男まで片付け、カルネ村へ通じる転移ゲートが開かれた。

 

「ふぅー……」

 

 目を閉じて深呼吸をし、心を落ち着けた。そうしないと子供達に八つ当たりをしそうだった。本気で脳の配線が切れたらどうなるのか不安になった。文字通りに怒り狂う(・・)のは御免だ。

 

「次はカルネ村に」

 

 転移魔法など見たこともない王都の国民が集まり始めている。さっさと入ろうにも、子供たちは見たことない闇に怯えきっている。人の目が気になるというより、野次馬の好奇の目が気に入らなかった。

 

「ほら、行くぞ。安心しろ、飯を食いに行くだけだ。この先ずっとな」

 

 怯えている子供達を押し込むように促し、一人ずつゲートに入れていく。

 

 後に残ったのは倒れた男が出した鼻血と、野次馬だけだった。

 

 

 

 

 カルネ村に到着した彼は、首を傾げてしまった。

 

「あんな城壁あったかな……? ここは本当にカルネ村か?」

 

 シャルティアが転移先を間違えたとは考えられず、正門前で頭を抱えて悩んだ。頭を抱える仮面の男は、監視塔から頭を付き出した娘に発見された。

 

「あのー、ヤトノカミ様ー?」

「んん?」

「お久しぶりです! 私です。エンリ・エモットです。門を開けてー!」

 

 エンリがぶら下がった鐘を鳴らすと、デスナイトが巨大な城門を開いていく。生まれて初めて不死者を見た子供達は泣き喚いた。まさに阿鼻叫喚の地獄絵図だ。

 

 シャルティアは泣き喚く子供達を物色する目つきで見ていた。彼らを慰めるより、シャルティアに釘を刺す方が重要だ。

 

「シャルティア、手を出したら駄目だぞ。欲しければ今度アインズ様におねだりしなさい」

「はっ……わたしとしたことが、申し訳ないでありんす。以後気を付けますぇ」

「おーい、お前らも少しは落ち着けって……襲わないから」

 

 走ってくるエンリの姿が見えた。

 

「よくわかったな、俺だと」

「はい、顔は見えなくても髪や背格好が同じだったので。お帰りなさいませ、ヤトノカミ様」

「お帰りって……」

「あ、ごめんなさい、間違えました」

 

 エンリは自分の頭を拳骨で小突いていた。

 

「いらっしゃいませ、ヤトノカミ様」

「あ、うん……ちょっとうるさいけど、この子供達を引き取ってくれ。食事を食わせて、働かせて、色々と教えてあげてくれ」

 

 開門を聞きつけ、他の村人も少しずつ集まってきた。

 

「はい、ヤト様の頼みとあれば、喜んで。人手不足だったので助かります。みんな、よろしくね」

 

 阿鼻叫喚はエンリの笑顔一発で収まった。子供達は纏めてエンリに連れられていった。引き渡された孤児を見て、村人達は口々に囁いていた。

 

「王国の犠牲者達だぞ、きっと」

「あの時の我々と何も変わらないではないか」

「なんと腐敗した国家には棄民が多いことか」

「ナザリックの皆様方の力で、王国など無くなってしまえばいいのです」

 

 王国の陰口は少しずつ大きくなり、囁きでなくなっていた。ヤトは余すとこなく聞こえる声の一切を無視した。

 

「押し付けてしまうようで、悪いんだけど」

「お止めください!」

 

 ヤトが頭を下げようとしたが、誰かがヤトを怒鳴った。中年男性が前に出て、跪いてヤトを見上げた。

 

「我らカルネ村一同、恩返しを望んでいます。アインズ・ウール・ゴウン様、ヤトノカミ様、並びにナザリックの皆様に貢献さえできれば、それだけでいいのです。頭を下げずに命令して下されば喜んで致しましょう」

 

 集まった村人も、彼の言う通りだと頷いていた。どんな顔をすればいいのか分からず、仮面を外したことを後悔し、口をへの字にして誤魔化すように黒髪をくしゃくしゃと掻きまわした。

 

「そうか……そうか? そんじゃ、彼らを頼む。カルネ村の発展、並びにここに住む全ての人が満ち足りて暮らせるように」

 

 後ろでシャルティアが胸を張って鼻を鳴らした。どうだ、至高の41人は凄いだろうと言いたげだ。

 

「よろしく。さあ、シャルティア、帰るぞ」

「よろしいのでありんすか?」

「ああ、後は彼らの人生だ、勝手にすりゃあいい」

 

 引き留める村人たちを無下に断り、養育費に金貨を押し付けてから王都へ戻った。

 

 

 

 

 宿でぼんやりと待っていると、夕方になってセバスが戻ってきた。事情を説明すると、自然にセバスは護衛として付き従った。生まれて初めての賭博に過度に興奮と期待してしまい、仮面をつけ忘れていた。

 

 武器屋を訪れると、店長は正座して待っていた。暴行の生傷も痛々しい彼だが、ヤトは容赦しない。悪魔は一人で現れると思いきや、執事の鋭い目つきに睨まれ、彼はますます萎縮した。

 

「ほら店長、さっさと歩け」

「は、はい。こちらです」

 

 店長に先導され、路地の奥にある二階建ての建物に着いた。入口の見張りと店長が何やら話していた。

 

「おい、いいカモを連れてきたな」

「ああ、うん、そうだな……そうかもしれない……」

「それより何だ、その傷は」

「店の掃除を頑張った」

「はぁ?」

 

 彼らに構わず、横からすり抜けて二階へ直通の階段を上った。意気揚々と階段を上る足取りも軽い。空気の悪い室内は熱気で暖かかった。賭場には複数のテーブルが設置され、それぞれが違う種類の賭博に興じていた。

 

 三ヵ所のテーブルにはそれぞれ違う種類の博打を開帳していた。

 

 サイコロを三つ振って、出た目の強さを競うもの。

 小さな絵札に書いてある数字を競うもの。

 振ったサイの目を予想して掛けるもの。

 

 猪鹿蝶しかしらない彼だが、絵札には見覚えがあった。

 

「なんだあれ? 花札か? なんでこの世界にあるんだ?」

「……それじゃ、私はこれで」

 

 案内を頼んだ武器屋の店主は足早に帰っていった。それ以後、彼を王都で見た者はいないが、ヤトの記憶からはとっくに消えていた。

 

「さて、遊ぶか」

 

 選んだのは、サイコロを二つ振って、出目が偶数か奇数かを賭けるものだ。職業賭博師(ギャンブラー)のスキルを試すに、ルールが複雑なものは避けた。

 

(これって丁半博打……だよな? 偶奇のサイって何?)

 

 現実世界でも見覚えのある、6面のサイコロが二つ転がっていた。テーブルの左右に、文字は読めないが丁と半に該当すると思わしき札が二つ。博徒は掛け金をそこへ置き、勝者は勝ち分を均等に折半する。

 

(中世じゃサイコロを使って賭け事をしてたって、本当なんだな)

 

 丁半博打でいうところの壺振り師に促され、空いている椅子に腰かけた。

 

「よろしく」

「お手柔らかに、兄さん」

「最初は金貨一枚で」

「いいねぇ、その賭けっぷり」

 

 壺振りは、妙な小さい入れ物の中に二個のサイを投げ込んでテーブルに強く押し当てた。

 

「スキル発動《必勝法》」

「さあ、張った張った! タダ見はご法度だよ!」

 

 隠されたサイコロの目が見えたわけではない。テーブルの左右に並んでいる札の片方が光って見えた。

 

「奇!」

「偶!」

「奇!」

「奇!」

「偶!」

 

 同席した男たちは思い思いに賭けていく。結果は知っているのでわざとらしいが、同様の声量で賭けた。

 

「丁! じゃなかった、偶!」

 

 当然だが、当たる。単純な倍賭けではないので、金貨一枚に対し、上がりは銀貨三枚だった。掛け金の金貨は帰ってきたが、累積の勝ち分から15%の手数料を取られるのでは、大勝は難しい。他の賭博も試してみるかと悩んでいると、壺振りが話しかけてきた。

 

「おめでとう兄さん。倍掛けやるかい?」

「なんですか、それ?」

「今の賭け金と勝った金を全部、賭けてもう一勝負だよ」

「やる」

「はいよ。さあ、掛けな」

「奇!」

 

 壺振りは、新顔の資金力を調べようとした。思惑は見事に外れ、悪魔にそっと優しく鬼札(ジョーカー)を手渡した。進んで命を差し出してしまったと、彼が悟るのはヤトが五連勝してからだ。

 

 結果が見えるヤトは順当に勝ち続け、5回勝ったあたりでどちらに賭けるべきか分からなくなった。スキル効果が切れたことを悟らせたくなかったので、同じ要領で適当に掛けた。彼の顔色を窺うどころではなく、壺振りは冷静さを失っていた。

 

「遇!」

「……おめでとう兄さん」

「もういいや、一旦止めるよ」

 

(おぉ! あたったよ、適当でも)

 

 同席した者たちは彼の勝ち続ける様子を黙って見ていた。元手が金貨1枚なのに、的中を続けて払戻額は金貨64枚だ。そこから場代15%の9枚が引かれ、金貨55枚が積み上げられた。

 

 元手が金貨一枚では配当が上がるペースが遅すぎた。手持ち金貨は200枚だが、これを全賭け(オールイン)した。当然、壺振りの顔は見る見るうちに青くなった。

 

「持ち金、全部」

「は、はいよ! 行くぜ!」

 

 壺振りの体が光り、ヤトはそれを見逃さない。どうやらイカサマをされる時には相手が光るらしい。壺が叩きつけられる直前、ヤトは壺振りの腕を掴んだ。

 

「待て、イカサマしたな?」

「な、なんだ。言いがかりだ!」

 

 いつの間にか他のテーブルの人間も賭けを止めて集まっていた。ギャラリーの視線が壺振りに集まる。

 

「セバス、奴の背後につけ。俺が命じたら殺せ。こいつが死んでも代わりの奴がくるだろう」

「畏まりました」

「仕切り直しだ」

「ふ、ふざけ――」

「あぁ?」

「……仕切り直します」

 

 殺気を放ちながら、セバスは壺振りの背後に立つ。背後からの威圧感と、口を歪めて笑う男に挟まれ、壺振りの手が震えた。この手のギャンブルは親である壺振りと、子である博徒の駆け引き要素が大きい。イカサマをされても結果が透けて見える彼には、駆け引きなど関係ない。

 

「ほら、どうした? 振れよ、震えてるぞ」

 

 壺振りは脅しに飲まれ、蛇に睨まれた蛙に等しい。手が震え、まともに賽も持てなくなっていた。

 

「振らないなら殺して人を変えるか?」

「ひっ、振ります! 振ります!」

 

 邪魔されて興ざめするのは避けたかったので、過剰に脅した。荒っぽく精密さに欠ける動作で、壺振りは乱暴に賽を振った。

 

「ふむ、これは奇だな」

 

 当然、的中する。場はすっかり見物客で囲まれ、ヤト以外に賭けるものはいない。賭け手が少ない場合、胴元からの保証が出る。しかし、問題は一回の上がりではない。

 

「倍賭け」

「……さ……さぁ、張った張った!」

「奇」

「……」

 

 壺振りの空元気は、的中されるまでしか持たない。一度でも当てられれば、払いは金貨400枚。手数料が60枚引かれたとしても、胴元の損害は金貨140枚だ。ただし、一回で終われば、の話だが。

 

「どうも、ありがとうござ――」

「倍掛け」

 

 壺振りは大きく勝ったからこれで帰ると安心していた。彼は全然、遊び足りなかった。壺振りには、黒髪黒目の男が獲物に狙いを定めた大蛇に見えた。

 

「どうも、ありがとうござ――」

「倍掛けだ、早くしろ」

 

 口を歪めて笑う彼に、刃向かうことなど考えられない。後ろでは執事が強い殺気を放っている。蛇と龍に挟まれ、逃げる手段はとうに絶たれている。せめて予想を外してくれと願った。

 

「遇!」

 

 壺振りは思考能力を奪われた。

 

 結果の見えている勝利を繰り返し、勝ち金は金貨1,600枚を超えた。周囲で楽しそうに見ていた外野も、壺振りが可哀想に思えてきたので、煽ることなくだんまりを決め込んだ。それでも場を離れようとする者はいない。ヤトは周囲が引いている空気に気付かず、ギャンブルの続行を叫んだ。

 

「ほら、早く。次、勝てば3,200枚超えだぞ」

 

 金貨数枚で雇われている彼は、おぞましい金額に発狂しそうだった。

 

「早くしろ!」

「お客様、この辺でご勘弁、願えないでしょうか? 金貨をご用意しますんで、別室へどうぞ」

 

 身なりのいい商人のような男が人込みをかき分けて現れた。壺振りは安心したのか、意識を失ってそのまま横に倒れていった。セバスの殺気とヤトの飢えた目に挟まれ、心身を消耗しきっていた。ギャンブルの業火に焼き尽くされて消耗した彼に、続行はできなそうだ。

 

「ちっ……案内しろ」

 

 飢えた獣の目で、商人を睨みながらついていった。

 

 

 

 

 応接室に入った途端、ソファーに腰を下ろした商人は威圧的な態度に変わった。

 

「おまえ、何者だ? 蒼か朱の関係者か?」

「早くギャンブルの続行だ。賭けさせてくれ」

 

 ヤトは淡々とした声で答えた。

 

「え?」

「だから、ギャンブルやらせろ。まだまだ足りない、もっと遊びたい」

「は?」

「ギャンブル。早く続きをさせてくれ」

 

 八本指幹部の賭博部門の責任者は、運がいいだけの阿呆かもしれないと思いはじめた。

 

(なぜ後ろの執事も止めないんだ。主人の暴挙を温かい目で見守るなっ!)

 

 敵対している上位冒険者が、八本指の拠点を潰しに来たと思い込んでいた彼は拍子抜けした。

 

「早くしろ!」

「わかった! わかった! ちょっと待ってくれ! あんた、名前は?」

「ヤト。ギャンブル」

「ヤト・ギャンブル?」

「違う、ヤトだ。早く続きをさせろ」

「なぁ、ヤト。胴元やらねえか? 安定して儲かるぜ?」

「やらねえよ、さっさとギャンブルさせろ!」

「……」

 

(なにこの人、話通じない)

 

 賭場という鉄火場には厄介事がつきものだ。八本指幹部として大抵の案件を処理してきた彼も、これには困り果ててしまった。必ず勝つギャンブルに嵌ってしまったヤトに、敬語を使って取り繕う余裕はない。しばらく大騒ぎをした彼も、疲れて少しだけ大人しくなった。

 

「はー……わかった。じゃあ八本指に会わせてくれ」

「なに言ってんだ。おまえやはり我々を潰そうと――」

「八本指を貰おうか。そうすれば軍資金が増えるだろ? その金持って帝国へ稼ぎに行こうぜ。経済侵略、倍賭けで帝国の国家予算を根こそぎ俺の物にしようと思うんだけど、どうだ?」

 

 ギャンブルの業火は、全然鎮火していなかった。彼の黒い両目の中は、天を突くほど積み上げられた金貨で埋もれている。人間を辞めていなければ大声で叫んで暴れ出していた。

 

 突拍子もない提案に、困惑して何も言い返せなかった。

 

「とりあえず、金貨1,600枚を払えよ」

「いや……ここに全ての金があるわけじゃない。それよりさっきの話は本気か? 帝国に博打しに行くのか?」

「本気だ。必ず勝つ」

「我々を潰しに来たのではないのか?」

「潰そうと思えばすぐに潰せる。それより早く遊びに行こうぜ!」

 

 アズスの依頼など今は後回しだ。ナザリックに六腕の調査を依頼してあり、待っていれば彼の依頼は満たせるのであれば、優先す(追いかける)べきは目の前にぶら下がっている楽しそうな遊び(美味しそうなにんじん)だ。

 

「……わかった。ボスに話しておく。取りあえず手付金を渡しておこう」

 

 白金貨を100枚、手渡した。金貨に換算すると1,000枚に該当する。ヤトは初めて見る白金貨を、物珍しそうに光に当てて眺めた。猿が初めて貨幣を手にした瞬間に見えた。

 

「なにこれ? せんべい?」

「白金貨だ。金貨の10倍の価値があるが、知らないのか? 交金貨の流通は南方まで届いていないのか?」

「ふーん、じゃ明日来る」

 

 手提げ袋に無造作に投げ入れ、興味が無くなった彼は足早に去った。応接間には静寂だけが残された。

 

(……まるで嵐だ)

 

 今日の損害額は、金貨換算で1,000枚を超えていた。狂っているとしか思えない。賭場の責任者は、いっそ狂ってしまいたかった。

 

「明日からどうやって営業するんだ……。今日は定例会議が入ってるのに」

 

 彼がここまで暴れて勝ち続けてしまうと、しばらく客入りは悪い。大勝ちした者が出れば、胴元はそれを補填すべく博打を辛口にするのは周知の事実だ。ちょっとしたついでに、衆人環視の中でイカサマにまで言及され、事実上の公言と同じだ。

 

「会議で失言したら、俺の首が飛ぶか……」

 

 

 肩を落とした八本指幹部は、会議が行われる屋敷へ向かった。

 

 

 

 





ハートに火をつけて

スキル《必勝法》:ユグドラシルの上位カジノに出入り可能。コイン獲得枚数がちょっとだけ上がる。運も気持ち程度は上がる。戦闘で使っても何の効果もない。


ラキュースと遭遇再抽選→成功
六腕・八本指の調査進展具合→20%
孤児の数→1d20 《15以上》 → 17
最初に向かう場所→1宿

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