モモンガさん、世界征服しないってよ   作:用具 操十雄

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鈴川編
あの頃に戻りたくて


 

 

 

 とても静かだ。

 

 

 どれほど荒廃した世界であっても、死因が射殺とは珍しい。

 

 風穴のお陰で空気の通りが良くなった胸を見下ろせば激痛を思い出す。脳死までの短い時間は途轍もなく長く感じる。死が確定したのなら、さっさと意識を失いたいものだ。

 

 魂が静かに地球の核(マントル)まで沈んでいく。深海よりも深いところ、どこまでいっても底の見えない彼岸、明日を失ったものが行き着く黄泉の国は、どれほど落ちてもまだ辿り着けない。目を凝らしても、見える景色は闇ばかり。

 

 自分がこうなってから知った世界の真理の一つ、運命は最上位の皮肉屋らしい。

 

 ゲームで遊んでいた過去、ユグドラシルという仮想世界で、正義と悪漢は致命的な決別をしていた。とあるメンバーの退会までの経緯が、二人の仲にとどめを刺した。あの二人は永遠に和解などしないだろう。

 

 そして今、戦場を現実世界へ移し、二人は血みどろの諍いを始める。よりによって今度は、悪対悪として対峙しようとしている。俺の死を知ったら今度こそ彼は許さない。悪は、元正義を許さない。

 

 二人の間には取り返しのつかない断崖のような隔たりがある。

 

 彼に情報を渡したことを、少しだけ悔いている。この世界はそんなに狭くないはずだが、巡り合わせで旧知の二人が争っているのは三流の悲劇だ。あまりに陳腐で、逆に笑けてくる。

 

 確か、仮面ライダーは無自覚な悪であると言ったのは……あの蛸だ、そうに違いない。今回の顛末も、陳腐な喜劇も、蛸が全部仕込んだような気さえしてくる。

 

 笑ってやろうと思ったが、口からはゴボゴボと血が噴き出た。

 

 幾つもの黒い横線が入った掠れる視界をスクリーンに、寂れた美術館に並べられた絵画のような俺の記憶が映し出されては、片っ端から灰になっていく。

 

 走馬燈は想像したよりもずっと地味だ。

 

 家族もいない俺には失うものなど無いと思っていたが、肉体、未来、感情、記憶……こんなにたくさん失うものがあったのか。記憶が徐々に蝕まれていく様は、まさしく死期に相応しいもの悲しさだ。

 

 灰の花びらが舞う美術館へ最後に残された一枚の絵画、黒いローブを纏った骸骨、白銀の鎧の聖騎士、山羊頭にオペラグラスの悪魔が、三人で談笑していた。

 

 そう、きっとそうだ、そうするべきだった。

 

 誰もが一目置く彼がいれば、もしかすると二人は決別せずに済んだかもしれない。俺が死ななくても済む、そんな未来も可能性としてあったかもしれない。

 

 結論から言えば、俺は間違った。

 

 この情報はウルベルトさんではなく、モモンガさんに渡すべきだった。彼なら、俺の想像もしない珍妙な選択を見せてくれた可能性がある。彼に二人の間を取り持ってもらい、企業の暗部という情報を使って現実を変えることこそ、最善の未来だった。

 

 ああ、本当に、下らない。なんて下らない妄想の未来。たらればの妄想は考えるだけ時間の無駄だが、無駄を省いた人生ほどつまらないものはない。

 

 俺にはもう、宙に浮かぶ妄想に手を伸ばすことはできない。やり切れない心のままに、叫ぶこともできはしない。俺に許されているのは残された時間を目一杯、懺悔に捧げるだけだ。

 

 下らなかった日々はこんなにも遠く、懐かしい。

 

 世界一慈悲深く、宇宙一残酷なそれがいるのなら、時間をあの頃に戻してほしい。内心では致命的な決別をしていながら、互いに文句を垂れ流して同じ道を歩いていた日々。誰もが一目置く、温和な性格のギルド長の下、それなりに纏まっていた過去。

 

(ああ、あの頃に……戻り……たいな)

 

 今度はきっと、違う結末が迎えられる。

 

 次があれば、今度こそ上手くやってみせる。

 

 ゆっくりと、最後の絵が燃えていく。

 

 美術館が消えた闇の中、何かがこちらへやってくる。死神が迎えに来たのかと目を凝らすと、大人の男性を一飲みに出来そうな大蛇が這い寄ってくる。俺の前で鎌首をもたげてチロチロと舌を出入りさせていたが、やがて涎を引く大口をガパッと開けると、頭から俺を一飲みにした。

 

 窮屈でじめじめした場所は蛇の体内だ。

 

 そうか、人間が死ぬと28グラムの魂は肉体を離れ、イヴを誘惑した悪魔(サタン)に丸呑みに………は?

 

 なんだこりゃ。

 

 

 

 

 

「突然、思い出したんですが、どうしてアカウント削除したのにペロロンチーノさんや茶釜さんのアバターは残ってたんでしょうか。そもそも、アカウントがないのにどうやってログインしたんですかね?」

 

 眠らない二人の夜は長い。

 

 草木も眠る丑三つ時、要塞の中央に置かれた丸い机には、室内の香りづけだけのために最高級の紅茶が煎れられている。ヘロヘロは目を光らせて拳代わりの触手を伸ばし、声には随分と熱が込められている。

 

「うーん……復帰させた……とか?」

「誰がですか?」

「運営に……いや、あの運営はそんなことしませんよね」

「偽物でしょうか」

「そう思いますか?」

「……いいえ」

 

 ヘロヘロの考えていることはわかる。ペロロンチーノの言動、過去の記憶と差異があるのは確たる事実だが、引退してから復帰するまで経過した時間は一日二日ではない。荒廃した現実を生きる時間の長さに比例し、心も荒廃していく。それを考慮した上で言うならば、誤差の範疇だ。

 

「ちょっと飛躍してますけど、本物のペロロンチーノさんじゃないから、シャルティアに応じるのが嫌なのかなって」

「それはどうかと思いますよ……。ソリュシャンは黒歴史ですか?」

「まさか! 俺の嫁ですよ。アインズさんが欲しいって言ってもあげませんからね!」

「いりません」

「いらないとは何ですか! 失敬な!」

「どうしてほしいんですか……」

 

 激怒したやかんのようなヘロヘロの怒りは数秒しか持たない。やがて感情が抑制されて瞬間冷却された。

 

「ん、まあ、そういうわけです」

「はぁ……いえ、ですからね、この、黒歴史の恥ずかしさをどう理解してもらえばいいか……説明が難しいんですが、黒歴史を持たない人にはわからないと思うんですよ、ヘロヘロさん」

 

 そう言いながら、黒歴史が本質的に何を意味するのかまで考察していない。忠誠と愛情に蝕まれているシャルティアには早期対応が必要だが、肝心の絶対者が(かたく)なままだ。今日も鳥人(チキン)は及び腰で、食事を終えて明日の打ち合わせを済ませてからさっさと自室へ潜り込んでしまうので交渉の余地がない。制空の覇者、爆撃の翼王、青空の似合う自由の象徴の癖に、随分と閉鎖的な態度であった。

 

「何といえばいいのかなぁ……」

 

 悩める支配者の邪魔をすべく伝言(メッセージ)が入った。

 

 用件だけ聞き終えてから、真っ先にため息を吐いた。

 

「はぁ……」

「誰からですか?」

「アルベドが、ナザリックに戻ってきてほしいと」

「あ、いいですよ。法国で頑張ってくれた奥さんによろしく伝えてください。何かあれば手伝いますから、また連絡してくださいよ」

「……しかし」

「大丈夫、俺がしっかり見張っておきます。シャルティアに手を付ける前に、三姉妹を手籠めにしないように」

 

 出来の悪い椎茸のような触手がにゅーっと伸びた。「いいね!(サムズアップ)」をしているつもりらしい。

 

「よろしくお願いします」

「嫁への家族サービスで一緒に過ごすといいですよ」

「……はぁ」

 

 呼び出されたアインズはヘロヘロに詫びながら、肩を落として転移ゲートを潜った。

 

 ややあって執務室、入り口付近で佇むアルベドの機嫌は明らかに悪い。顔を見て足の動きが少しばかり止まった。スレイン法国の居残り(左遷)を終えたばかりで、機嫌の悪さを隠そうともしない。

 

 抱き着かれるのだと身構えていたが、アルベドは眉間に皺を寄せて黙り込み、その場を動かない。気まずい沈黙の中、アインズの衣擦れの音だけが聞こえる。まるで別れ話をする直前の夫婦だ。

 

(怖いよ……)

 

 執務室の椅子に腰かけてアルベドを見ても、物憂げな表情は変わらない。

 

「ゴホン……アルベド、スレイン法国の出張ご苦労だった。お前のお陰で――」

「アインズ様、急ぎ、報告したい件がございます」

 

 彼女の態度は前代未聞だ。

 

 自分で出張させておきながら取ってつけたような愛の囁きは拒絶されたが、省略するのは彼女らしくない。アインズの内心に滲んだ冷や汗は、愛想を尽かされたのではないかという心配だ。彼女の離反はナザリックの未来に不穏な影を落とす。

 

 そんな小心者臭さの漂う支配者を無下に、妃は書類を手渡した。

 

「こちらをお読みください」

 

 彼女の手渡した一枚の紙切れには、蜥蜴人(リザードマン)集落が何者かに落とされた顛末が書かれていた。

 

「リザードマン集落が陥落、略取……と書いてあるが」

「間違いございません」

「やはり隕石の影響か……そろそろとは思っていたが。知性を持った魔物が、彼らを侵略したのか?」

 

 アインズの心に小さなささくれが立った。

 

(せっかく、ペロロンチーノさんとぶくぶく茶釜さんが返ってきたのに……)

 

 シャルティアを無視するペロロンチーノの態度に不満はあるが、それは素晴らしいことなのだ。不満を感じることができるのは、彼が同じ世界で息づいている確固たる証であり、アインズの心はどれほど満たされているのだろうか。

 

「敵戦力は双子の魔女です」

「魔物ではないのか?」

「魔物の類は観測しておりません」

「ふむ……湖の対岸に住むという魔女だな。そこまで強かったのか?」

「いえ……双子の魔女は、自身の先遣隊でリザードマン集落を陥落しました」

「よくわからないが、部下が大量にいたのか?」

「数十体の部下を、たった2人で指揮したとか」

「は?」

「……」

「千にも及ぶリザードマンを?」

「はい……」

「たった2人で、部下は数十?」

「……はい」

「そうか……魔女など関わりないなら放っておけばいいと思っていたが、そこまで高レベル者の群れだったとは。この世界は狭いようで広いな。どこに未知なる戦力があるかわからん」

 

 双子の魔女の情報がないにせよ、指揮官級のレベルが漆黒聖典に肉迫しうるもので、第四、第五位階の魔法まで駆使できるとすれば侵略は容易い。蜥蜴人(リザードマン)のレベルは、最強の戦士のザリュースでさえ20前後だ。蜥蜴人集落というダンジョンの攻略に必要なレベルは50以上だろう。

 

「アインズ様、双子の魔女のレベルは30レベル以下です。部下のレベルは10から20です」

 

 アインズは自分の耳がおかしくなったのだと思った。耳のあるべき場所をほじくり、話の続きを促す。

 

「……支配された彼らは何と?」

「これまで通り魔導国の繁栄に協力する、と」

 

 再び、アインズは自分の耳がおかしくなったのだと思った。幻術の類を疑い、白磁の頭をぬるりと撫でた。

 

「あー……アルベド? つまり……双子がリザードマンへ喧嘩を吹っかけて、彼らの心をへし折ったとでも言うのか? レベルが10程度のモンスターを数十だけ使って?」

 

 自分で言いながら嘘くさかった。いっそ否定して欲しかったが、理想とは正反対の態度で答えてくれた。

 

「凄まじい戦略家です。敵に回れば、魔導国の王都は一日で陥落するでしょう」

「は……は……は……」

 

 乾いた愛想笑いが出た。

 

 単純な侵略で心は手に入らない。情報収集に時間をかけ、蛇のように虎視眈々と弱点をつけ狙い続けるような戦法。急襲・伏兵・陽動・押し込み、考えられ得る限りの戦略を駆使したに違いないが、こうも容易く事を運べるものだろうか。

 

 最も手っ取り早く思い当たるのは、アインズ自身だ。

 

「どうやったかは知らないが、手駒が双子の魔女しかいなければ、私も同じことをしたかもしれない。壊滅的打撃を受ける未来と、服従して得る利益を、その身をもって教えてやればいい。だがそれは……」

 

 それは自分が考えた戦略ではない。幾重にも枝分かれした系統樹を根元まで辿れば、そこに一人のプレイヤーが立っている。PVPの指南役として様々なことを教えてくれた、自分よりも博識で、誰よりもえげつない植物系モンスター。逆に言えば、彼でないのなら魔導国の脅威と成り得る。早急に滅ぼすべき存在だ。

 

「凄まじい戦略家……か」

 

 隣に佇むアルベドを見上げると、彼女は沈黙を保持して動かない。

 

「そんな馬鹿なことがあるのか? ペロロンチーノさんの帰還といい、現実で何が起きているんだ」

 

 アインズは立ちあがり、アルベドへ指示を出す。

 

「とにかく、相手をプレイヤーだと断定し、ナザリックの全員へ通――」

「話はまだ続きがあります」

 

 速やかにトブの大森林へ向かおうとしたアインズの言葉は遮られる。気持ちよくぶった切られたので、いっそ最後まで黙っていようかと思った。真っ先に行った行動は椅子に座り直すことで、どうも収まりが悪い。

 

「先日、王宮勤務の小娘、アルシェがこのような手紙を持ってきました。妹たちがこの手紙を残して消えたとか」

 

 アインズがその手紙を受け取ると、文面はすぐに読めた。

 

「一ヶ月ほどエ・ランテルに行く、と書いてあるが?」

 

 二人は冷ややかに見つめ合った。

 

「……だから、何だ?」

「お分かりになりませんか?」

「見ればわかる。クーデリカとウレイリカがエ・ランテルに行ったのなら、そちらへ出向けばいいだろう。誰が引率かは知らんが、この世界で旅に出るのは珍しいことじゃあるまい。この世界の人間の成長は早い。子供とはいえ、保護者の元を飛び出すのも珍しくないはずだ。あの二人はネムと仲が良かったな。もしかするとカルネ村へ――」

「手紙を……」

「今、読んだだろう」

「日本語で書かれております」

 

 アインズの眼窩に宿っていた赤い光が消えた。

 

「……はぁ?」

「はい」

 

 時間をかけてゆっくりと、下あごが落下していく。言われてみれば、解読できたので翻訳の眼鏡をかけていなかったと、それだけの事実を理解するのに数分も要した。

 

 手紙に目を戻せば、確かに見慣れた文字だ。筆跡に見覚えはないが、やたらに下手くそな辺り、現実世界の学歴まで見透かせる。十中八九、最終学歴は小学校だろう。

 

「かっ、あっ、はぁ!?」

 

 驚く行為には誰よりも慣れていると思ったが、世界はアインズに平穏を約束してくれそうにない。アルベドもまた驚愕に浸ることを許してくれず、矢継ぎ早に話を続ける。

 

「アインズ様。蜥蜴集落とエ・ランテル、どちらもナザリックから同じ距離です。まず、どちらへ向かうべきでしょうか。戦力はどの程度、割くべきでしょうか」

 

 夫人の笑みは引き攣っていた。

 

「ああ……そうだな……」

「私に一任して頂ければ、必ずやプレイヤーのそっ首を献上して御覧に入れます」

 

 またその話かとわざとらしいため息を吐いたが、精神的に疲れ果てている彼女の口は止まらなかった。思い詰めた顔で親指の爪を噛み、呟くような声で勝手に話を続けていく。

 

「タブラ・スマラグディナが帰還すれば、ナザリック最悪の厄災となるのです。既に、2名が降臨しただけでこのような騒動になっているのです。41人中、アインズ様より魔力が強く、悪い方向へ頭を働かせるのを好むあ奴が戻れば、栄光あるナザリックが崩壊するかもしれません。決して大げさではなく、これでも過小評価なほどです」

 

 病んでいるという表現が最も的確で、金色の両瞳から放射能のような殺気が飛び出していた。

 

「私がこうして歪んでいるのもぉ! アインズ様が私の愛に答えてくれないのも! 偏にあの下衆野郎が、歪んだ女神として創造したからです。その恨みたるや、どれほどのものでございましょうか。私を歪んだ世界から救ってくださったのはアインズ様です。愛せよと命じられた記憶は、他の何にも代えがたい至宝でございます。あの瞬間より、鈍色だった世界が極彩色になったのです。愛情に束縛されるということが、どれほど幸福なことか。いっそ、この体がへし折れるまで束縛していただきたいと願ったほどです。今一度、あの恍惚とした愉悦を全身で味わいとうございます。アインズ様の愛をこの――」

「もういい!」

 

 声を荒げて立ち上がったアインズに対し、アルベドはいつ取り出したか不明な長柄斧を掲げて叫んだ。

 

「奴だけは! 大墳墓に戻って来てはならないのです!」

タブラさん(父親)が嫌いなのは分かったから落ち着け!」

 

 1ヶ月の出張という名目で左遷された鬱憤も加わっているようだ。

 

 至高の41人ではなく、タブラ・スマラグディナ単身の暗殺計画を公言して(はばか)らない彼女の唇が暴れ馬のように突き進む。結論は出ず、アインズの疲労だけが溜め込まれていく。

 

「そのバルディッシュを下ろせ!」

「あの蛸野郎は私が殺します! ぶっ殺して見せます!」

「法国へ置き去りにした俺が悪かった! 機嫌を治してくれぇ!」

 

 小気味よいノックの音が聞こえるまで、アルベドとアインズは長柄斧の奪い合いを続けていた。

 

 夫婦、仲睦まじく取っ組み合う、ナザリックのいつもの平和な景色ともいえた。

 

 

 

 

 既に、彼が異世界に来て一週間が経過していた。

 

 最初に立ち寄った要塞都市エ・ランテルで、真っ先にギルドメンバーと出会えたのは運が良かった。おかげでナザリック地下大墳墓の場所は把握できたが、気分は決して良くない。先に彼の抱えている問題を解決したかったが、それは拒否されてしまった。

 

 エ・ランテルで頼まれたお使いは王都でしかできず、先に近郊のナザリックへ向かった。自分の帰還を先に教えておけば、行き違いの揉め事も回避できる。

 

 深夜になってようやく教えられた場所へ着いた。

 

 小高い丘に登ってログハウスを探すも、《アインズ・ウール・ゴウンに栄光あれ》と書かれた小さな墓碑がぽつんと置いてある。上空を見上げれば、夜鷹の群れが鳴いていた。

 

 どうしたものかと座り込んで空を見上げると、満点の星空が眩しい。星の配置が不思議な見知らぬ夜空は何時間でも時間を浪費してくれる。背後から誰かの息遣いが聞こえたので、立ち上がって振り返った。

 

 何も見えないが、何かがいる。徐々に思い出してくるのは、隠密行動に長けたNPCだ。飢えた狼並みの息遣いで、それは言った。

 

「……お、おお、恐れながら申し……ガガ」

「落ち着きなさい」

 

 幾重にも重なる自分の声は暗く、澄んでいた。余計な圧迫感(プレッシャー)を与えたらしく、臨終直前の老人の心電図並みに声が震えだす。

 

「も、ももも、申し訳ございません! あなた様はぁ! ベルリバー様でいらっしゃいますか」

「ああ、そうだよ。君は確か……エイトエッジ・アサシンだね。ナザリックはどこですか? ログハウスも見当たらないから困っていたんだ」

「ひぃっ、少々お待ちください! すぐに帰還の通達をぉぉ!」

 

 叫びながら気配が消えた。

 

「そんなに怯えなくてもいいじゃないか……見た目が気持ち悪いのか?」

 

 容姿という点は塩梅が悪い。この手の異形(フリーク)に不慣れなものは、見ただけで正気を削られるかもしれない。

 

「……俺もハーフ・ゴーレムにすればよかったな」

 

 二足歩行でそれなりにすらっとした細見のアバターであれば、全身をローブで覆い隠すのも容易だ。怪人物というレッテルはやむを得ないが、少なくとも人間の中に紛れることができる。エ・ランテルで可愛らしい双子の面倒を見ている彼のように。

 

 待つこと数分、今度は人間らしき女性が現れた。シルクのドレスを纏っている彼女に見覚えはない。現れて早々、彼女は目上のものにするように跪いた。

 

「お初にお目にかかります。至高の41人の1人、ベルリバー様とお聞きし、御挨拶へ伺いました」

「え……と、どなたですか?」

「申し遅れました、私はこちらの世界よりナザリックへ登用されたラナーと申します」

「あ、はぁ……初めまして、ベルリバーです」

 

 手を差し出すべきか迷い、異形の手は少女に厳しいだろうと会釈で済ませた。

 

「よろしくお願いします。現在、アルベド様はアインズ様と執務室で打ち合わせ中です。他の皆様を差し置いて分不相応な申し出ですが、何分、皆さまのお手が空きません。よろしければ私がご案内いたしますが、いかがございましょうか」

「そうですか、それではお言葉に甘えてお願いします。久しぶりなので、道に迷ってはいけませんからね」

 

 そして彼は、何事もなく帰還した。

 

 

 

 

 執務室はそれどころではない。

 

 ラナーがノックして扉を開くも、部屋の中から漏れているのは必殺の空気。思わず彼は扉の影に身を隠した。

 

「誰が入室していいと言ったぁ!」

「アルベド! いい加減にしろ!」

 

 叫び声の片割れは髑髏の王だろう。もう片方は雄々しい女性のようだが心当たりはない。

 

「アルベド様、お帰りなさいませ。法国の出張、アインズ様と離れ離れになっていた心中、お察しいたします。申し訳ありませんが、緊急事態でございます。ベルリバーと名乗る御方が、ナザリック跡地にて観測されたのでお連れ致しました」

 

 瞬間凍結と言って差し支えないほど場が停止した。

 

(アルベドって誰だったかな……)

 

 記憶が蠢くも、閃きまでは至らない。ラナーの後ろから側を通り抜け、ようやく重い扉を開いて前に出た。

 

「どうもお久しぶりです、モモンガさん」

「くぁせつとぅぐぅふじ!」

 

 髑髏は激しく動揺し、この世ならざる言葉を吐いていた。

 

 沈黙は苦手だ。黙っていると、体にくっついている大量の口が自分勝手な開閉を繰り返し、粘度の高い唾液がシャボン玉のように飛んでいくのだ。

 

「ベルリバーです。忘れちゃいましたか?」

「まが、まさか! 片時も忘れるはずがな――」

「出たな偽物がぁぁ!」

 

 全力で振り下ろされた長柄斧に躊躇いは見られない。正確に体を分断しようとするそれを躱し、ベルリバーはラナーを庇って飛んだ。そこでようやく、凄まじい殺気を放つ彼女の記憶が、ヘドロのような奥底から表面まで浮き上がってくる。

 

 彼女の父親から、十分な自慢話を聞かされている。

 

「思い出した! 君はタブラ・スマラグディナさんの次女だな」

「がああ! 奴の名を口にするなぁ!」

「なぜ理性を失ってるのかな」

「プレイヤーは皆殺しにしてやる!」

「《心臓・掌握(グラスプ・ハート)!》」

 

 発狂して自らの愛にさえ矛盾する王妃は、横から飛んできたアインズの魔法で行動不能にされた。彼女の目の前ではヒヨコたちが円を描いて回っていることだろう。

 

「エイトエッジ・アサシンたちは集まり、彼女を部屋へ放り込め」

「アインズ様……アルベド様は」

「心配するな。少しだけ意識が不明瞭なだけだ、すぐに気が付くだろう」

 

 心配して目を向けるラナーをよそに、彼女はエイトエッジ・アサシンを総動員して自室へ放り込まれた。ラナーは何か話があるらしく、アルベドの自室前で待機していた。

 

 ラナーに簡素な礼を述べてから移動した円卓の間、緊急招集を掛けられた全員、深夜にもかかわらず飛び起きて集まってくれた。

 

「というわけなんですよ。まったく酷いですよね、たっちさんも。いくら何でも口封じに殺さなくてもいいと思いません? 撃ったのはたっちさんじゃありませんし、もしかしたら俺の存在に気付いていなかったのかもしれませんが」

 

 ベルリバーがここに至る経緯を話している間、各人は沈黙を貫いた。軽口を挟むには内容が重すぎる。

 

「信じてもいない神様ってのにも、たまには祈ってみるもんですね。まさかユグドラシルを元にした異世界があるなんて。そうと知ってたら無駄に死なずに済んだかもしれないのに」

「ちょ、ちょっと、ベルリバーさん、いくつか質問したいんですが」

「はいはい? どうぞ」

 

 彼の話をまとめると、どうやら現実では抜き差しならぬ状況が起きている。悪寄りの異形種ギルドで正義の象徴だった彼が、現実で悪に堕ちている事実は消化が悪い。

 

「あのたっちさんと、ウルベルトさんが敵対? 互いに悪として現実で?」

「いや、先にそれですか? それよりどうやってログインしたんですか? 死んだんでしょう? ここは死後の世界ですか?」

「嘘ぉぉ!? わたしたち、死んじゃったの!?」

 

 PCでユグドラシルアイコンをきっちりクリックした姉弟とも違い、彼は死後、この世界へ飛ばされたことになる。これは、世界の秘密を探る重大な手がかりと成り得る。みながそれとなく意見を求めた視線の先で、肝心のアインズは矛先を別の場所へ向けていた。

 

「糞がぁ……糞どもがぁ……どこまでも腐った企業どもがぁぁ!」

「モモさん?」

「アインズさん、キレちゃった」

「よくもベルリバーさんを殺したなぁぁ!」

「はーい、みなさーん、すぐに感情が抑制されますからこのまましばらくお待ちください」

「絶対にぃぃ! 許せるものかぁあああ!」

 

 ヘロヘロ言葉通りに数秒後、糸が切れたような絶望のオーラが収束していく。収束しては噴出し、それもまた集束し、何度か繰り返してようやく収まった。繰り返した数だけ怒り度合いを表している。

 

 腰を下ろしたアインズは何事もなかったかのように冷静な声で言った。

 

「――と、怒っても仕方ありませんよね。でも、おかげでこうして再会できたわけですから、あながち責める必要もないのかもしれません。たっちさんには言いたいこともありますが、彼はいないので仕方ありません。つまり、死んだ人でもこの世界へ来られるなら、これは重要なヒントとなり――」

「そのテンションの乱高下についていけないよ! つい今までぶっち切れてたじゃん!」

「……すみません」

 

 申し訳なさそうに髑髏が下がった。

 

「でも、あんちゃんややまちゃんもこの世界に来るかもしれないよね! よかったよかった、これなら安心してだらだら過ごせる」

「いや、冒険の途中だろ」

「もう飽きたわ! あんなん作業じゃんよ、作業」

「働くってのはそういうことだろ!」

「後はあんた一人でやれ! この世界は恋愛ゲームじゃねえよ。いい年した弟の下半身事情なんざぁ、この私が知るかってんだ」

「そんなご無体な。頼むよ、姉ちゃん。女性っぽい意見もたまにはひつよ―」

「ところで、どうしてナザリックの場所がわかったんですか」

 

 無下にされたペロロンチーノを誰も省みなかった。ぶつぶつと文句を言う彼を黙殺して話が続けられる。

 

「ああ、エ・ランテルで出会った彼に聞いたんです」

「彼……ですか。どこのプレイヤーですか? まさかメンバーですか?」

「何の話?」

「あー……」

 

 ベルリバーのどこにあるか分からない脳が動き出す。電気信号を矢鱈滅多羅に発し、最適な解答を導くために。

 

「双子の面倒を見ていましたか?」

「あ、よく知ってますね。もしかして会いましたか?」

「いえ、ついさっきまでその件で話していましたから……彼は知り合いですか?」

「アレですよ、オニですね。隠れ忍ぶ方の隠忍(オニ)。身を隠すのが得意な彼です」

「うーん……?」

 

 2体のスライムは何かを閃いたらしく、互いにヒソヒソと囁いていた。アインズもそれとなく察するが、情報が少なすぎて確信が持てない。

 

「そっちは私に任せてください。俺が責任をもって連れて帰りますから」

「はぁ……しかし」

「今は詮索しないでください。後で全部話します」

 

 何となく、アインズの不満はわかる。せっかくギルドのメンバーが帰還したというのに、自分が蚊帳の外に置かれているからだ。それでも、この役目は誰かに譲るつもりはない。最初に彼と出会った者の務めとして、ベルリバーは彼を殴らなければならない。

 

「……約束ですよ」

 

 アインズの声はこれまでのどれよりも低く、申し訳なく思えた。

 

「ところで、アルシェという少女は知り合いですか?」

「なぜ……? アルシェなんですか? ああ、もしかして双子の妹繋がりですか?」

「詳しくは後で話します」

「アルシェって誰ですか?」

「俺らの会ってない人?」

「アルシェは王宮勤めの少女です。行けばすぐに会えますよ」

「それはよかった。探す手間が省けた」

「勝手に出歩く前に、この世界の情勢から話しましょうか」

 

 誰かが「出たよ」と言った。それに同調し、鳥人と二体のスライムはやれやれと言った空気を流す。

 

「あーあ、ベルリバーさんも可哀想に」

「次の犠牲者だな」

「マジ、半端なく苦痛ですからね」

「うるさいですよ」

 

 このままだと彼らの二の舞、アインズの勉強会という名目のふれあい生活、一週間に及ぶ軟禁が待ち構えている。どうしたものかと両目を点滅させて考えるヘロヘロに、閃きが舞い降りた。

 

「ベルリバーさん。黒歴史ってなんですか?」

 

 ヘロヘロの言葉で、茶釜の両眼も点滅を始めた。

 

「唐突に何ですか?」

「げ……ヘロヘロさん、今はその話は――」

「お黙りっ! ベルリバーさん、聞いてよー! この馬鹿弟がさー、自分の作ったNPCのシャルティアが黒歴史だからって、嫁にしないとか言うんだよ! 童貞の癖に据え膳食わぬなんてそれでも男か!」

「女がいう台詞かよ……」

「茶釜さん、ヘロヘロさん……だから黒歴史は、持たない人にはわからないと何度も」

「ほう、詳しく聞きたいですね」

 

 自然と、アインズの軟禁生活は回避されたように思える。アインズを警戒するあまり、黒歴史を畏怖するペロロンチーノの態度は在ること無いこと暴露された。

 

「あたしゃあね、シャルティアちゃんが可哀想で、可哀想で。だって、この馬鹿のことを好き好き大好き結婚してー! ってのに、肝心のこいつがこんなヘタレてんだよぉ?」

「黒歴史ねぇ……」

「自分で作っておいて酷いと思いません?」

「それは仕方ないんじゃないですか」

「……ぇ?」

 

 黒歴史を持つ2名が心の中で「勝った!」と叫び、二体のスライムは失望らしき感情を露わにする。

 

「NPCはユグドラシルを遊んでいた過去の心や感情そのものです。恥ずかしいと思うか、懐かしいと思うかは自由ではありませんか」

 

 思った解答と違ったのか、鳥と(がら)は顔を見合わせた。

 

「いや、でも、大人になるってのは色んなものを捨てるもんでしょ? 忘れるとも言いますけど。未熟な過去を恥ずかしいと思うのは仕方ないと思うんですよ。エロゲも引退しちゃいましたし」

 

 ベルリバーはナザリック41人の中でも智者だ。ペロロンチーノは自らの知性が彼に劣っていると知りながら、反論をせずにいられない。それが少女を無下にしている自らの振る舞いを正当化する行為なのだ。

 

「俺はね……異世界なんて来たくなかったですよ」

「ベルリバーさん?」

「ユグドラシル時代に……あの頃に戻りたかった」

 

 紡ぐ言葉にはもの悲しい響きが込められていた。

 

「ウルベルトさんじゃなくてモモンガさんに相談すれば、たっちさんとウルベルトさんが憎み合わず、殺し合わず……穏やかな未来も選べたんじゃないでしょうか。正義と悪が和解し、アインズ・ウール・ゴウン41人で悪徳企業を倒し、現実世界を統治するような未来が……馬鹿馬鹿しい妄想ですね……はは」

 

 寂しそうに笑う彼の妄想を否定できない。自分の死を受け入れながら、現実の彼らの心配をしているベルリバーは、とても大人びていた。

 

「俺たちにはモモンガさんが必要だったんです」

 

 二度と戻れない過去、幾度となく戻りたいと過去は、他の誰よりもアインズに心当たりがある。ベルリバーの言葉は重く、アインズの胃袋へ鉄のように収まった。

 

「ベルリバーさん……かっ……過去には……っ」

 

 アインズの声帯が話しを拒否している。こみ上げてくる得体の知れない感情を押し殺しても、胸の中から何かが止めどなく溢れて言葉を押し戻す。口に手を当てて感情の抑制を待つも、続く言葉はついに出なかった

 

「でも、ユグドラシルっぽいですよね! こうしてイベントが重複し、幾つもの作業をこなさないといけないなんて。エ・ランテルではにし……彼の心の問題で、ナザリックでは黒歴史への対応でしたか」

 

 口を生やした肉塊の沈黙後、これまで個別にあちらこちらを向いていた彼の口が、一斉にペロロンチーノへ向き直った。

 

「他に黒歴史を持つ人、挙手してくださーい」

「……はい」

 

 おずおずと白骨化した手が上がった。

 

「やっぱり、この2人か……」

「んもう、仕方ないなぁ、世話が焼けるぅ」

「殴りてぇ!」

「やれるもんならやってみろ、弟の癖に!」

 

 ベルリバーの複数ある口が一斉に笑った。

 

「あまり深く考えると泥沼にはまりますよ、ペロロンチーノさん。所詮、NPCなんてゲーム内の道具ですから、邪魔なら殺しちゃえばいいじゃないですか」

「いや、そんな物騒な……」

「それが彼女のためですよ。モモンガさんも、軍服の彼を殺してしまえば何も恥じることがなくなります」

「いえ……そこまでしなくても」

「煮え切らないなぁ……パンドラもシャルティアも可哀想ですよ」

「このチキンどもめ!」

 

 ベルリバーを引き入れた茶釜とヘロヘロの横やりが激しい。4人のプレイヤーで多数決も同票だったこれまでと違い、ベルリバーがあちらに加わったことで圧倒的不利に陥っている。

 

「俺は姉ちゃんとは違うよ……」

「それは諦めでしょう」

「っ……」

 

 事も無げに言い放った肉塊の言葉は、一本の矢となって鳥の心臓を射抜いた。

 

「ほんと、運命ってのは皮肉ですよね。エ・ランテルでもそうでしたけど……彼は過去に縛られ、自分の行動を制限している。モモンガさんは……あ、アインズさんでしたっけ?」

「モモンガでいいです」

「あたしらアインズさんて呼んでるよ!」

「そうそう、軟禁された恨みを込めまして」

「いい加減にしてくださいよ! あれは必要な過程だったって何度も言ったじゃないですか」

 

 やや本気で怒っていた。それもすぐに抑制されるので深刻化せず、元通りに居心地悪く俯いた。

 

「不自由な支配者とイカロスの翼ですね」

「イカロス?」

「古代ギリシャのイカロスが自由を求めた末、彼の命を奪うことになった蝋の翼。ナザリックの支配者とバードマンが自分の行動に制限を持たせ、自由奔放な行動から遠ざかるなんて、実に運命らしい皮肉だと思いませんか?」

「確かに! 飛べない鳥だね!」

「頼む、少しでいいから、姉ちゃんは黙ってくれ……」

 

 まるで説教をされているような居心地の悪さだ。

 

「アインズさんは変わりませんが、ペロロンチーノさんは昔と違って態度が随分と落ち着きましたねぇ」

 

 机に置かれているベルリバーの手が拳を握った。

 

「そうですか? やっぱり、姉ちゃんと違って大人に――」

「過去を拒絶して大人になった気でいるなら間違いですよ。荒廃したリアルを生きるための処世術でしかない。俺は、大人になってない方が好きでしたよ」

「もう勘弁してくださいよ! 俺がそんなに悪いことしたんですか?」

 

 思わず立ち上がって叫ぶ鳥人に対し、ベルリバーは冷ややかに言った。

 

「ああ、別に責めてるわけじゃないんですよ。ただ、異世界に来たのに現実の歯車らしき性質を引き摺るのは勿体ないなあって」

「歯車……ですか」

「異世界に降り立った今こそ改めて、ペロロンチーノさんの好きにすればいいんじゃないですかね。たとえ彼女を殺そうと、俺は咎めませんよ。恥ずかしいと思うのは、一緒に織り交ぜた感情が多すぎて許容範囲を超えているから拒否するんでしょう」

「そうでしょうか……」

 

 アインズは薄い相槌を打ちながら、パンドラズ・アクターに関しては納得ができた。中二病気味だった過去を思い起こすと、今でも恥ずかしくなる。それはパンドラの立ち振る舞いに過去の自分の幼さが見て取れるからだ。

 

「NPCに込められた自分の過去の感情――自分から離れていった童心を、殺すのか、受け入れるのか、好きに選ぶべきだと思いますよ」

「で、でも、大人になるってのは色んなものを捨てることで――」

「荒廃した現実を歯車として生きるのは処世術でしょう。異世界でそれは必要ない。いつまでも仮面越しに見ていると、蝋の翼が溶けて地面に堕ちますよ? 空を自由に舞うことができるような本物の翼が生えるといいですね、NPCのシャルティアが自殺する前に」

 

 出会い頭に勝敗は決した。尚もベルリバーの追い打ちが続く。

 

「俺も彼の一件で気分がささくれ立ってますね……。彼のように前へ進むことを拒否したり、俺のように後悔して死なないようにしてくださいよ。何らかの不満を抱いたなら、俺の言い分に身に覚えがある証拠ですよ」

「……はい」

「できればこれでイベントクリアだと嬉しいんですけどね」

 

 鳥人に向いていた口が全て隣のアインズに向き直った。それぞれが手前勝手に開閉を繰り返す様は、人間が見たら発狂しそうな光景だった。

 

「後は二人にお任せしますよ。面倒なことは何も考えず、好きにすればいいと思います」

 

 ベルリバーは立ち上がった。やや感情的になって空気を重くした感は否めない。場の雰囲気を入れ替えるため、腕を大きく上げて体を引き延ばし、ベルリバーは円卓の間を出て行く。気遣いを無下にせず、ヘロヘロは椅子から飛び降りてついていった。

 

「ヘロヘロさん、何か食べたいんですがどうすればいいですか」

「食堂へ案内しましょうか。料理長は睡眠・飲食の必要がないから、言えば何でも作ってくれます。その前に装備品を取りに宝物殿へ行きませんか? 指輪がないと転移も大変でしょう」

 

 ぶくぶく茶釜は俯いて黙り込むペロロンチーノをひとしきり凝視してから、談笑する彼らに続いた。

 

「待って待って! あたしも行きたい。寝てる途中で起きちゃったから小腹が空いたしー」

「太りますよ?」

「むっ、久しぶりに返ってきたと思いきや、デリカシーが無くない?」

「冗談ですよ。異形種が太るって聞いたことありませんし、スライムだからプルプル具合が増すかもしれません」

「どっちにしろ失礼だな!」

「まあまあ、料理長がこれまた優秀で、食事は神がかった美味しさですよ」

「それは楽しみです」

「でもさー! それぞれの好みに合わせて個別に作ってくれるから、それはそれで気持ちが重くない? まとめてビュッフェ形式でいいのにね」

「でも、それが彼らの喜びなんでしょう?」

「もっと気楽に過ごしたいのよ」

 

 やがて談笑する声が遠ざかり、円卓の間へ沈黙が現れる。一般メイドが新しい紅茶を煎れ、退室してもなお、アインズとペロロンチーノは動けずにいた。

 

 重たい口を先に開いたのはアインズだ。

 

「言われちゃいましたね……」

「いきなり説教喰らうとは思いませんでしたよ。流石は大食らいですね」

「シャルティアを殺すんですか?」

「……」

「ペロロンチーノさん?」

「殺しても仕方ないデス」

 

 一呼吸おいて、生温かい息を吐いた。

 

「正直なところ、ペロロンチーノさんはシャルティアを見て喜ぶんじゃないかと思ってました」

「あはは……はぁ。まぁ、昔ならそう思ったんでしょうけど」

「ぶくぶく茶釜さんは会いたくないんじゃないかと思ってましたから、そちらは意外でしたけどね」

 

 黒歴史を持つ共鳴として気持ちはわかるが、これはアインズの許容範囲は超えている。アインズが最も納得したのは、ペロロンチーノは未だ異世界に降り立っていないという意見だ。ペロロンチーノ言動に記憶と差異が見られるのは、彼が真の意味で帰還していないという証明だった。

 

「ベルリバーさんの言う通り、少し落ち着いたとは思ってましたよ。ペロロンチーノさんであることに変わらないと思いますけど」

「シャルティアも……そう思ってるんだろうな」

「そうでしょうね。彼女にとっては最も大切な人ですから」

「姉ちゃんみたいに馬鹿になれば良かったんだな、きっと。確かに最近、あの三姉妹との話も事務的というか、作業みたいにこなしていましたよ……。不慣れなもんで会話もそんなに弾まなくて」

 

 過去のペロロンチーノであればきっと、ベルリバーの説教を勢いで突破した。今は翼を閉じて項垂れている。くよくよして落ち込むのは彼らしくない。まるで翼を折られ、歌うことも忘れた金糸雀だ。見かけだけ鳥を模しているが、心と体が追い付いていないように見える。

 

(これは重症だな……)

 

 パンドラの件も重なり、時間をかけて彼と向き合いたいところだが、最適な解答を考える時間は与えられない。

 

 追い打ちをかけるように王宮で待機している影の悪魔(シャドウ・デーモン)から伝言(メッセージ)が入った。

 

《なんだ? こちらはベルリバーさんが帰還して忙し――》

《アインズ様ぁ! ねね、ねああ、音改様がここに音改様が! きき、いき、いらっしゃいましたぁぁ!》

《……そうか》

 

 悪魔の絶叫は頭蓋で反響する。内容は非常にわかりやすかったが、付帯する疑問が多すぎた。数回ほど感情を抑制してから、アインズは考えることを放棄した。

 

「ペロロンチーノさん、俺はちょっと、音改さんを迎えに行ってきますネー」

 

 返事を待たずに消えたアインズの言葉は、鳥の頭を通り抜けていった。しばらく、ペロロンチーノは下を見て動かなかった。背中に生えた四枚羽が急に重たく感じる。

 

「だって、もうガキじゃないし」

 

 あの頃は本当に、何にも考えていなかった。今では考えられないような行動・言動も多々見られたし、一切の躊躇いも無かった。言い換えれば、過去の自分は今では出来ないことをいくらでもやってのけるのだ。

 

 

「なんか……昔に戻りたいな」

 

 

 背中の肩甲骨付近がむず痒くなった。

 

 立ち上がった鳥の行き先は決まっている。

 

 

 






ベルリバー

知性数値がかなり高い。オツムで張り合えるのは軍師、虹色
見た目がヤバい。色々ヤバい。よく食べる


※作者は特典小説未読


引っ越しのドタバタでオバロ13巻が消えた……

チラ裏難しス

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