モモンガさん、世界征服しないってよ   作:用具 操十雄

128 / 135
長い!
廓雀(くるわすずめ)(自由)



廓雀の空

 

 瓦礫の布団で眠ったのは生まれて初めてだが、あまり気持ちの良いものではない。重くて寒いし、体が痛いし、閉所に押し込まれたようで新たな恐怖症(フォビア)に目覚めてしまいそうだ。

 

 枕代わりに降り注いだ石くれ雨のおかげで、視界はぐにゃりと歪んでいる。石の山を突き破るように両手を突き上げ、覆いかぶさる瓦礫を丁寧にどかし、仰向けになった体を起こして頭に手を当てた。ふわふわした羽毛は乱れず、たん瘤の類は出来ていなかった。

 

「いったぁ……何で俺がこんな目に」

 

 全て彼自身が招いた所業である。

 

 頭を小さく振って視界を正し、周囲を見渡した。舞い上げられた土埃を切り裂き、こちらへゆっくりと近づいてくる人影は、ぶくぶく茶釜を小脇に抱えたアインズと、両眼をピカピカと光らせるヘロヘロだ。

 

 すぐ前まで近づいてきて、アインズは動きを止めた。

 

「あぁ……ずっと、ま………待ってましたよ」

 

 まるで、こみ上げる感情が収まるのを待っているような素振りだった。ややあって、骨の手が目前に差し出された。

 

「お帰りなさい、ペロロンチーノさん」

「あー……はは」

 

 久しぶりに会った気恥ずかしさを誤魔化し、無骨な手を掴んだ。少しだけ震えているように感じた。骨に見合わぬ筋力量で引き起こされ、至近距離で向かいあう。

 

「ただい――」

「ちょっと、モモさん! 降ろしてよ! セクハラー!」

 

 しっとりとした雰囲気に浸ることも許されない。小脇に抱えられたぶくぶく茶釜は、そこかしこから触手を生やし、上下にバタバタと振り回していた。さっきまで静かだったのだからそのまま黙っていればいいものをと、ペロロンチーノは不満に思った。

 

「エッチなのはいくない! 断固拒否!」

「ああ、ごめんなさい、茶釜さん」

 

 人外どもの王の仕草は大そう優しい。桃色の粘液体が傷つかぬよう、しゃがみ込んで両手でそっと地面に置いた。

 

「恥ずかしいなぁ、小脇に抱えられちったよ」

「女性の体に気安く触ってしまい、申し訳ありません。何しろ焦っていたもので」

「へぁ……うん」

「モモンガさん、甘やかすと癖になりますよ。放り投げちゃえばいいのに」

「あぁん!?」

「そんなことできませんよ。大切な仲間ですから。ずっと、待っていましたよ、帰って来てくれる日を」

「あ、うん……ゴメンネ」

 

 あのぶくぶく茶釜がもじもじと両手を擦り合わせている。噴飯もののらしくない姿に堪えきれず、ペロロンチーノは盛大に吹き出した。

 

「お帰りなさい、茶釜さん」

「……ただいま」

「喧嘩はやめてください、せっかく異世界に来たんですから」

「……はーい」

 

 桃色スライムの脳内で何が起きているのか理解できないが、空気を読んで姉弟喧嘩は矛を収めるべきだ。

 

 落ち着いてからようやく気付いたが、下腹部に違和感があった。

 

「ん……なんだこれ」

 

 腰あたりに纏わりつく何かを掴んで持ち上げると、彼の造り出した黒歴史の最高峰(クライマックス)、ゴシックロリータファッションに身を包んだ顔色の悪い少女の腕だった。

 

 片腕で持ち上げられた少女が、目尻に涙を溜めながら満面の笑みを浮かべていた。彼の人生において、およそこれよりも喜んでいる人間を見たことが無い。

 

 自然と口から名前が出てくる。

 

「シャルティア……」

「お帰りなさいまし、ペロロンチーノ様! お待ち申し上げておりました、でありんす!」

「あ……うん」

「あぁ、私はここで初めてを」

「……ぇ?」

 

 今度は彼がらしくない姿を晒した。

 

 腕を掴んで持ち上げたので、至近距離で顔面を突き合わせている。ふと、自分が黄金のマスクを着けておらず、酷い顔面を晒していると思い出した。しかし、彼女はそんな欠点に怯んだ様子はない。

 

「んー」

 

 上下の唇を尖らせて3の字を描き、顔を近づけようとする彼女の意図はわかる。

 

 どうせゲームだから最高のエロゲーキャラを作ってしまおうと、思いつく限りの変態的趣味嗜好を詰め込んだ過去は、消滅させたい暗黒の歴史だ。その態度や品性のない振る舞いは彼自身が設定したもので、見れば見るほど剥き出しのえげつない顔面が暑くなるのを感じる。

 

 恥ずかしい黒歴史は静かに地面へ降ろされた。

 

「あ……」

 

 終末を悲観して嘆くような、少女の視線から逃げるようにアインズとの距離を詰めたが、依然として彼女はペロロンチーノの隣に陣取っていた。

 

「さーて、モモンガさんと、ヘロヘロさんもただいま」

「おひさーです、ペロロンチーノさん。ぶくぶく茶釜さん。ボクのこと、覚えてました?」

「ええ……まぁ」

「あはは」

 

 ヘロヘロの笑いがバードマンの心に刺さった。

 

「当たり前っしょ!」

「……すみません」

「やっぱり」

 

 頭を下げた鳥人へ、ヘロヘロはぬるぬると近寄って鳥の足を撫でた。

 

「ぷにぷにしてますね」

「くすぐったいですよ」

「私は覚えてたかんね、ヘロヘロさん!」

「この世界にきて一番、嘘くさいわ」

「黙れ、ケダモノ」

 

 スライムには鼻という呼吸器官が存在しないはずだが、桃色スライムはどこからともなく鼻息を出した。未だ、異世界に来て感情が沈静化成される気配がない。シャルティアを作ったのは、実は彼女だったのではないかとまで思えた。

 

「久しぶりに見ましたよ、ペロロンチーノさんの素顔」

「モモンガさん、あまりそこには触れないで……黄金のマスク、売っちゃいました?」

「まだ宝物殿にありますよ」

「よか――」

「そうだ! モモンガさん! スライムに人間的視覚を与えるアイテムない!?」

 

 声優という職業が成せる業なのか、彼女は何かにつけて弟の発言を遮り、皆の鼓膜を貫こうとする。

 

「目が見えなくて最悪なんだけど、助けて! モモンガお兄ちゃん!」

「キショッ」

「……おい」

「はいはい、ナザリックにありますよ」

「やったー!」

 

 ぶくぶく茶釜はその場で飛び跳ねた。嬉しそうに笑うアインズとヘロヘロの傍ら、ペロロンチーノの視線は凍てついている。

 

「ぶりっこすんなよ、年甲斐もなく」

「うっせ、エロケモノ。ところで……弟、お前の隣にいるのは誰?」

「……」

「おい」

 

 ペロロンチーノを除く全員の視線がシャルティアに集まった。

 

 見ているこちらが眩しくなる天の川にも似た彼女の視点は、ペロロンチーノただ一点で固定されて動かない。肝心のペロロンチーノは目を合わせまいとそっぽを向いた。

 この場に誰もいなければ、有り余る恥ずかしさに悶絶して地面を転げ回っていた。

 

「シャルティア、よかったな」

「よかったね、本当に」

 

(ぎゃあああ! 声かけちゃ駄目だって!)

 

 ペロロンチーノの心の叫びは誰にも届かなかった。

 

「はい! ペロロンチーノ様ぁ、お帰りなさいまし」

「……ん」

「シャルティアって誰?」

 

 桃色スライムが首を傾げ、隣の漆黒スライムに聞いた。忘れられていた衝撃でシャルティアが泣きださないかと、アインズは心配して冷や汗をかいたが、彼女の自負が揺らいだ様子はない。依然、最高傑作は最高傑作としてそこにいる。

 

「やだなぁ、NPCですよ。忘れちゃいました?」

「あー……そうだね、そうだったね。最低、一人一体以上ってノルマがあったっけ」

「忘れてましたね? まぁ、俺も忘れてたんで気持ちはわかりますけど。あの子たち、なぜか僕らに忠誠を誓ってますよ?」

「そうなの?」

「それもただの忠誠じゃなくて、絶対の忠誠を。忘れてたなんて本人の前で言おうものなら、号泣していっそ殺して下さいとか言われますからね」

「重いなぁ……女王様とか引くわ」

「そこまで言ってないです」

「ヘロヘロさんのいけずぅ」

 

 鼻にかかったぶりっ子声を聞き、弟が反射的に叫んだ。

 

「キショッ! 更に言うならエグい!」

「……ぶっ殺すぞ」

 

 弟に対する当たりは強い。手慣れた怒りの波動が漏れ、ペロロンチーノも涼しい顔で眺めている。いつものこけおどしではあるが、NPCにしてみれば違う。

 

「ぶくぶく茶釜様ぁ、ペロロンチーノ様と喧嘩しないでくださいまし」

「え?」

「お二人が姉弟の御関係とは存じておりますが、どうかお許しを」

「……弟」

「……」

「無視するな。シャルティアちゃんにどんな設定をしたんだ」

「私に免じてとはおこがましいと思いんすが、どうかお許しくださいませ」

 

 ペロロンチーノの態度は素っ気ないものだ。茶釜の前に三つ指ついて土下座し、許しを請う彼女を省みず、えげつない顔面は明後日の方角を向いていた。傍らで見ているアインズはシャルティアがあらぬ暴走しないか気が気ではない。

 

「……ふぅ、わかったよ、シャルティアちゃん。この辺にしておくから」

「ありがとうございんす!」

 

(変な廓言葉だな!)

 

 自分で設定しておきながら心中で叫ぶと、アインズのため息が聞こえた。

 

「茶釜さんのNPC、覚えてないなら教えてあげましょうか?」

「ううん、へーきッス。ダークエルフの双子でしょ?」

「あそこでこっちを見てるんですが、見えないですよね、その視界じゃ」

 

 ヘロヘロの体から触手が伸び、回廊を指さした。柱の影から、耳の長い少年と少女が顔だけ覗かせてこちらを窺っている。シャルティアに倣ってこちらに駆けてきそうなものだが、健気にも声の聞こえる場所で呼ばれるのを待っている。

 

 人間的視覚がない彼女にとって、離れた場所は描写されない闇だ。そちらを確認するより以前に、ヘロヘロの指さす方向がどちらか分からず、茶釜は首らしき場所をきょろきょろと動かしていた。

 

「どこ?」

「そっちじゃなくてあっちです」

「こっちだな!」

「いえ、もうちょっと左」

「分からないってば! ほんと、このスライム的視覚って碌なもんじゃないよね。世のスライムさんに同情するわ」

「わかります。本当に何が何だかよくわからないですし。生き物も建物も区別がつかなくて困っちゃいますよね。よく壁にもぶつかるし」

「やっぱりー? 異世界に来て目が見えないとか絶望だよね」

「俺なんて来て早々、海の魔物に攻撃されちゃって、あまりに恐ろしいので洞窟に引き籠って昆布みたいなの食べてましたよ」

「うわぁ……」

「いや、引かないでくださいよ……そこで引きますか、普通」

「茶釜さん、相変わらずですね。御変わりなくてよかったです」

 

 アインズは嬉しそうに笑った。

 

 一旦、咳払いをしてから仕切り直し、声色を整えてシャルティアに指示を出す。

 

「シャルティア、一足先に帰還し、スライムに人間的視覚を与えるアイテムの用意を。場所は宝物殿にいるパンドラに聞きなさい。我々は法国への対応を優先しなければならない。アウラとマーレも連れて行き、ナザリックで歓迎の宴の支度を頼む」

「え? ……はぃ」

 

 短い返事だったが、彼女の声は暗い。よほど創造主と離れたくないようだ。彼女の気持ちを察し、命令を取り下げようと思ったが、茶釜の追撃が先に放たれた。

 

「なる早で頼むよ、シャルティアちゃん」

「俺の黄金マスクも……」

「だ、そうだ。だが、せっかく再会したのだから、お前が望むならもう少しこの場に残っても――」

「わかったでありんす! お任せくんなましぃぃ!」

 

 シャルティアにペロロンチーノという、食べ合わせの効果は絶大だ。これまで絶対の支配者として君臨していたアインズへの忠誠まで霞んでいる。返事を言い終える前に彼女は走り出し、柱の影に隠れていたアウラとマーレをとっ捕まえ、黒いゲートへ飛び込んでいった。

 

 双子の叫び声が余韻となって中庭へ響く中、黒歴史が消えたのでペロロンチーノはため息を吐いた。彼のため息はアインズがパンドラへ対して吐くものと酷似している。

 

 彼女が消えたと同時、武装したアルベドが長柄斧(バルデッシュ)を引き摺りながら現れた。

 

「皆さま、お帰りなさいませ」

「だれ?」

「アルベドですよ。ほら、玉座の隣で佇んでいた守護者の統括長」

「懐かしい! そうだったね!」

「タブラさんが作った三姉妹の次女で、モモンガさんの奥さんです」

「マジで!?」

「マジかよー……なんて羨ましいんだ。モモさんもやるじゃん」

「その話は後ほど……」

「親睦会はナザリックにて場を設けさせていただきます。今は、スレイン法国への対応をお願いします」

 

 頭を下げたアルベドは反転し、すぐに大神殿へ歩き出す。そうして彼らは会議室へ移動を始めた。

 

 異形種一行が大神殿を闊歩する姿を見た見習い神官が、この世のものと思えぬ悲鳴を上げて何処かへ逃げ出していった。

 

 両腕を頭の後ろで組み、ペロロンチーノが言った。

 

「しっかし、まさかナザリック丸ごと転移してるなんてね。凄いデータ量だな!」

「そうですよねー」

「モモンガさんも結婚してることだし、俺も結婚とかしてみたいなー。いや、その前に恋愛を」

「あんたじゃ、ケモノ娘がいいとこだね」

「異種婚は決まりですからね」

「この世界の人間は美男美女が多いらしいですよ。モモンガさんも、奥さんが二人いるとか」

「二人!? もう一人は誰!?」

「俺も聞きたい!」

「教えてモモンガさん!」

「紹介してくださいよ、モモンガさん!」

 

 姉と弟は珍しく意見を一致させて盛り上がった。

 

「まぁ……その話は後でゆっくり。ヘロヘロさん、私の個人情報をあけすけに暴露しないで欲しいんですが。自分だって、NPCの一般メイド達に手を付けてるじゃないですか。しかも、14人も。異種婚どころか、異種ハーレムですよ」

「あはは、まあね」

「ハーレムとか、引くんですけどー?」

 

 茶釜の声は好色なスライムを明確に咎めていた。直接的な批判を真正面から受け、ヘロヘロは心なしか小さくなり、アインズの肩身が狭まった。

 

「す、すみません……」

「すみません……」

「やーね、男って」

「いいじゃん、俺もやりたい! 英雄、色を好むって奴だろ!」

「もう死ね、死んでしまえ。シャルティアちゃんとくっついて爆発しろ」

「いや、それはどうかな……」

「じゃあ一人で爆ぜろ!」

 

 会話が弾み過ぎて進む速度が遅く、アルベドは全てを包み込む暗黒の甲冑内で密かに苛立った。

 

 

 

 

 一方通行で流れる時間の滝を遡ること数十分、アインズとヘロヘロはベレニスの話を遮って会議室から消えた。

 

 その直後、アルベドは呆けるシャルティアの頬を叩き、窓から彼女を投げ捨てた。剛腕に見合わず遠投の技術は恐ろしく正確で、シャルティアは一直線にペロロンチーノへ向かった。アウラとマーレもアルベドへ促され、裏庭へ走り去った。やがてアルベドが長柄斧(バルデッシュ)を引き摺って会議室を後にする。

 

 それっきり、会議室には重苦しい沈黙が居座っている。

 

 この後に訪れるのは、魔導王の友人を隠匿した罪による罰則(デスペナルティ)だ。誰がどのように斬首されるかわかったものではない。責任者のベレニスだけではなく、八つ当たりで皆殺しにされる可能性まである。一人たりとも例外はなく、魔導王は敵対者を許さない。

 

 彼らにとって永遠にも感じるほどの時間が経過した頃、廊下の奥から死刑執行を告げる談笑が聞こえてくる。それが実に楽しそうな声で、彼らの気分はいっそう沈んでいく。

 

 長柄斧(バルデッシュ)を持ったアルベドが一歩入室し、一礼をして扉の横で佇み、すぐにアインズ、ヘロヘロ、ペロロンチーノとぶくぶく茶釜の順で入室した。さも当然のようにアインズは椅子に腰かける。

 

「二人も無関係ではないので座ってください」

「あー……うん」

「いいの……かな」

 

 いきっていた茶釜はすっかり沈静化され、ペロロンチーノまで大人しくなっていた。

 

「まぁまぁ、いいからいいから。ここは僕らの王様に任せましょうよ」

「う? うん」

 

 ヘロヘロは手慣れたもので、椅子をよじ登ってちょこんと座った。

 

「お邪魔します……」

「します」

 

 所在なさげな姉弟も席に着く。全員揃っているのを確認し、大袈裟な咳払いをした。直後、優しかったアインズの声は迫力を取り戻す。

 

「会議の途中、済まなかった。改め、支配国の魔導王として君たちの会議に参加させていたくが、構わないな?」

 

(おぉ、ロールプレイが始まったぞ)

(静かに!)

 

 ひそひそと話しているつもりだろうが、至近距離のアインズには筒抜けだ。

 

「火の神官長、ベレニス・ナグア・サンティニ」

「はい」

 

 隣の黒いスライムは紹介してくれないらしい。異論を挟まず、呼ばれた彼女は立ち上がった。彼らを隠匿していた罪で首を刎ねられるのだと信じて疑わない。

 

「彼らとこの地で再び、会いまみえることとなった。これらは全て、お前の功績だ」

 

(年上にお前って言ったよ!)

(しぃぃ! 余計なこと言うな!)

 

 どれほど声を抑えようと、姉弟の席はアインズの隣だ。包み隠さず聞こえてくる囁きに心を乱されながら、アインズは精神の沈静化をもって彼らへ臨んだ。

 

「……欲しいものがあれば申し出るといい。私の友人が世話になったようだ。それについては感謝が尽きない。何か礼をせねばなるまい」

「い、いえ……しかし」

「反論は許さん。人は報われねばならない。罪には罰を、功には賞を。それほどまで、彼らと真っ先に遭遇し、この場にて逢瀬する機を設けた功績は大きい」

「はぁ……」

「どれほど無茶な内容であろうと構わん。好きに申して見よ」

 

(どうしたんだろうね、モモンガさん)

(なんか偉そうだね)

(二人とも、実はモモンガさんはね――)

 

 ここで、ヘロヘロの実況中継とこれまでの説明が入った。

 

 それとなくそちらを伺いながら、アインズはベレニスから目を離さない。髑髏の顔に表情は窺えず、まるで考えが読めない。ベレニスは不気味な寒気を感じ、鳥肌が足元から頭頂まで走った。

 

 これは何らかの試験なのだと考えれば、本音で話せば殺されるだろう。しかし、逆に試験でないのなら、本音を言わなければ機嫌を損ねるかもしれない。どちらなのか判断がつかず、彼女は未だ沈黙で応じている。

 

「どうした、望みを申せ。下手な謙遜は却って無礼となろう」

「……よろしいので?」

「いいんだってば、ベニー婆ちゃん! ご飯のお礼だと受け取っておきなよ! 私らのギルマスさんは伊達じゃないんだから」

「姉ちゃん、邪魔するなって!」

 

 全員、勝手な発言をした姉弟に畏怖し、アインズの顔色を窺った。いつ炸裂するとも分からぬ時限爆弾の上でコサックダンスをしているように見えるが、実際は違う。王の機嫌は鯉の滝登りだ。

 

「そうだ、彼女の言う通りだ。魔導王の名において、どんな無茶な望みであろうと、最大の尽力を約束しよう」

 

 ベレニスは覚悟を決めた。これ以上、先延ばしにすると、それこそ好機を逃してしまう。

 

「……それでは、いま一度、この国を立て直す許可を」

 

 彼女を除く全員は出し抜かれたと悟っており、「致し方なし」という顔をしていた。魂食い(ソウルイーター)はまとめて彼女へ譲渡され、この地は彼女の意のままに変わっていくだろうが、アインズの入室を許した今、反論などあろうはずもない。鳥籠に捕らわれたような未来になろうと、制限された中で自らの望みを叶えるだけだ。

 

「立て直すとは何だ? 具体的に希望はあるか?」

「冒険者組合を誘致し、我らに授けてくださったソウルイーターを冒険者、衛兵の育成に利用。諸外国との交易のために安全な道路を作り、法国の子供たちを魔導国の学校へ通わせたいと思っております。付け加えるなら、宗教の聖典を新たに書き直そうと思います」

「なんだと?」

 

 アインズからすれば、それこそ自分たちでできそうな内容ばかりだ。神官長なら、てっきり新たな国を建国し、魔導国の支配のない領地をくださいとでも言うのだと予想していた。思ったより前衛的な思考に、アインズは黙り込んだ。深読みする人間たちに、欲をかき過ぎたのではないかという心配が鎌首をもたげる。

 

「いけませんか……」

「構わないが……魔導国の手から逃れ、新たな地で国を作りたいとでも言うのかと思っていたぞ」

「魔導王陛下、お戯れを。陛下の手から逃れ、新たな宗教国家を建国するのは、最初こそ楽しいでしょう。なんとなく明るい未来が来るような気もします。しかし、ペロロンチーノとぶくぶく茶釜の両名は、魔導王陛下よりもお強いのでしょう? また、そんな二人でも叶わないような御方を含め、御盟友は41人もいらっしゃると」

「ふっ、ふふ……」

「わざわざ庇護下から抜けて、どんな得があるのでしょうか。我々はアインズ・ウール・ゴウン魔導王陛下と41人の神々に、人間を庇護して頂きとうございます」

「ふふ……ははは!」

 

 法国側は、アインズが本気で笑っているのを初めて見た。

 

「その通りだ。41人の中で、私の力など中の上がいいところだろう。本気でやり合ったらわからないが、誰にでも上には上がいる。私より強い者がいて当然だ」

 

 謙遜な物言いではあるが、とても誇らしげな声だった。

 

「人間の立場を確立するに、我らの力を利用しない手立てはない。よくぞ、そこへ思い至ったものだ。感心するぞ」

「そちらの姉弟の性格は過ごした一週間でよくわかっております。この先、法国が他国と比べて虐げられるような事態にはなりますまい」

「かつて敵対していた属国であろうと、本国と差をつけるつもりはない。魔導国と変わらぬ繁栄を授けるつもりだ。もっとも、それも各自の努力の成果として反映されるものだがな。山脈のドワーフは我らの庇護下に入った。もうじき、質の良いルーン武器が諸国へ出回るようになる。領地の拡大、開拓も今以上に進むだろう」

「ほう、ルーン武器を……」

 

 数名がざわつくのが聞こえた。

 

「お前の望み、確かに聞き入れた」

 

 アインズは立ちあがり、入口で静かに待機しているアルベドを見た。

 

「アルベド」

「はっ」

「お前はこれより一ヶ月、この地へ残れ」

「はっ…………はぁっ!?」

 

 ここでようやくアルベドは気付く。彼女に課せられた問題の解答は、ペロロンチーノとぶくぶく茶釜を後回しに、アインズの意向に沿ってナザリックへ帰還するべきだった。剛運を持つアインズの意向を捻じ曲げ、自らの意見を押し通した結果、彼女の未来は最悪と呼ぶに相応しい。

 

「なぜなのですか!」

 

 うっかり間違(ミス)った正妃が声を荒げた。

 

「冒険者組合の誘致、崩れた大神殿の修理、国内の不穏な動きの鎮圧など、お前でなければできまい」

「それこそ私でなくてもできます!」

「それだけではない。この国に深く根を張る、人外への差別思想もその中で排除しなければならない。統括しているお前であればこそ、支配下に入れた亜人、異形種を上手く配置、管理できるはずだ」

「そこまでしなければならないのですか……この地に、それほどの魅力があるとは思えないのですが」

「時間を掛ければ彼らにも可能だろう。しかし、それでは私が願いを叶えた事にはならない。違うか?」

「……」

 

 知恵者の彼女であれば、これまで得た資材、人材を上手く流用し、魔導国を主体とした国家開発、及び制定が可能だろう。

 

 しかし、それは建前に過ぎない。

 

「アルベド。お前は何かを知っていたのだろう?」

「何かを……と、仰いますと?」

「彼らの帰還に関する何かを、だ」

「私が何をどうやって知りえるのですか!」

 

 そんなこと、知る由もない。

 

 彼女がこの辺りへ啓示をうけたのは事実だが、具体的には何も聞いていない。何より、そんな啓示を受けた証拠は完璧に隠滅してしまい、説明のしようがない。

 

「私は、黙って事を運ぼうとしていたことを悲しく思う。無論、それはお前の功績だと考えているが、事前に知っておけばもっと上手く事を運べたのではないか? 私はそんなに頼りないのだろうか。妻ならば、私を信用し、相談してほしかったぞ」

「申し訳……ございません」

 

 そこまで言い切られてしまうと返す言葉が無い。

 

「現在、この場へお前だけ残ったのも何かの縁なのだろう」

「……」

 

 そんな縁など知ったことではないが、反論は封じられていた。

 

「思えばアルベドはずっと働き通しだったな。しばしの休暇にはちょうど良かろう。私が最も信頼している部下、そして妻であるお前が、私の意向に逆らうような真似をするのは見たくないのだ。私の頼みを聞いてもらえないだろうか、アルベド」

「ぐぅぅぅっ!」

 

 兜の内側から妙な音がして口が閉じられたように見えた。実際のところ、甲冑で彼女の顔は窺えない。

 

「どうしてもというのであれば止むを得まい、パンドラとデミウルゴスをこの地を向かわせよう」

「あぁ、アインズ様ぁ、ありがとうござ――」

「まさか私と離れたくないからなどと、公私混同な理由ではないだろうな?」

「……」

 

 アインズは赤い光点で反応を窺っている。既にアルベドは打ち切り試合(コールドゲーム)裁定(ジャッジ)を受けた。釘を刺された思惑以外に理由などありはしない。愛するアインズと離れ離れになりたくないから、駄々をこねているだけだ。

 

 あの時、ナザリックへ帰っていればと、彼女の兜の内側から歯ぎしりの音がした。

 

(アルベドちゃん、可哀想。なんか、冷たくない? 自分の奥さんなのにさぁ)

(それはほら、淫魔だからしつこいんじゃないですか? なんか、設定も変更したらしいですし)

(好きだからってそこまでするか! やりたい放題だな、モモンガさん!)

 

 アインズは精神の沈静化が成されるまで待ち、声の大きい囁きへ苦言を呈した。

 

「聞こえていますよ、そこ」

「はい」

「えへへ」

「すんません」

 

 アインズはベレニスへ顔を戻した。

 

「ベレニス、我らナザリックが誇る最高叡智の統括長、アルベドをこの地へ残す。彼女の支援を受け、お前の望みをその中で叶えるがいい」

「寛大なる対応、感謝いたします」

「結果はアルベドから事後報告を受けるとしよう。それでは諸君、我らはこれで失礼する」

 

 骸骨が一声上げれば、大墳墓へ通じる転移ゲートが開かれた。異形種たちは椅子から立ち上がり、ゲートの前で振り返る。

 

「さらばだ」

「皆さん、失礼します」

 

 真っ先に潜ったアインズに続き、ヘロヘロが一礼してからゲートへ吸い込まれた。ペロロンチーノとぶくぶく茶釜へ、ベレニスが握手を交わしに行った。

 

「またいつでも遊びに来なさいね」

「ベニー婆ちゃん、また遊びにくるね」

「御飯、ありがとね、婆ちゃん」

「今度は孫を紹介するわね」

「マジですか? じゃあ、残ろうかな……」

「さっさと入れ!」

 

 お尻の辺りを蹴飛ばされ、ペロロンチーノはゲートへ放り込まれた。次いでぶくぶく茶釜が手を振りながら飲み込まれ、後には静寂だけが残された。

 

 その場に残されたアルベドは廊下へ出て行く。

 

「ふぅー……」

 

 誰ともなく深呼吸をする。アルベドが残っているので不要な発言はできないが、命拾いをした溜め息くらいは吐いても問題ないはずだ。

 

 数秒後、建物中に響き渡る怒号が聞こえた。

 

「どりゃぁあああ! あの! 頭の悪い! 大馬鹿野郎があああ!」

 

 何度も何度も、凄まじい威力の何かが壁にぶつかっているようだ。大神殿のみならず、近隣の建物まで震度3の地震が襲った。誰に対して怒っているのか不明だが、激怒しているのは明白だった。

 

 それから、番外席次の私室だった塔の最上階はアルベドに占拠される。精神の沈静化を持たぬ彼女の怒りが破裂すれば、誰に向けられるかわからない。彼女の憤怒は燻り続け、人間たちは常に彼女の顔色を窺いながら、激怒する歪んだ女神へ協力を仰ぐ羽目になる。

 

 徹底して人間を見下し、高圧的な彼女に反し、ベレニスの望みは全て叶い、法国は領内の開発で大忙しだった。

 

 宗派の違う聖王国で何が起きようと、気付くことができないほどに。

 

 

 

 

 アインズからすれば吉報を持ち帰れた吉日であったが、終わってから改めて考えると帰還後こそ大変だった。

 

 ヘロヘロの帰還時と同様、NPCを集めて周知徹底をするべく玉座を目指す。アインズの目的は周知させた後に行う、世間話や昔話だ。しかし、彼らが練り歩く先々で悲鳴が上がり、帰還を祝うNPCの過剰演出で何度も時間を食いつぶした。

 

 玉座の間へ向かうのを諦め、止む無く彼らは円卓の間へ避難した。

 

 呼び出された料理長は体と声を震わせ、入口付近で跪いている。

 

「お、おおお……ペロロンチーノ様、ぶくぶく茶釜様。私は、夢でも見ているのでしょうか。よもや、お隠れになられた至高なる41人の、4名もこの場に揃い踏みなさるとは」

「ん、ただいま」

「ただいまー……」

 

 喜び余って半泣きの料理長と違い、両名、度重なるやり取りでくたびれていた。

 

「料理長、食事の支度を頼みたいのだが、大広間で立食形式にしたい。夕食が必要な者は、彼らと一緒に済ませればよい。必要でない者も、挨拶がしたいのならその場ですればよかろう」

「すぐに支度を致します。調理担当者を全員招集し、大急ぎで取り掛かりましょう」

 

 茸頭のコックは立ち上がった。

 

「ときに、女性であるぶくぶく茶釜様。甘いものはお好きでございますか? お好みであれば、ケーキを一式、ご用意いたしますが」

「うーん……そう、だねぇ。お任せするよ、料理長さん」

「お疲れの時こそ、甘いものが体に染み渡ります。パティシエには少々、気合を入れていただくとしましょう」

 

 扉に向かった料理長は思い出したように振り返った。

 

「アインズ様」

「うん?」

「シャルティア様が、ペロロンチーノ様を探してあちこちを駆け巡っておりますが、こちらで待機していらっしゃるとお伝えした方がよろしいのでしょうか」

「……こちらで対応する」

「畏まりました、よろしくお願いします」

 

 料理長が去った後、アインズが深呼吸したのを見計らい、ぶくぶく茶釜が呟いた。

 

「みんな……マジじゃん」

「ええ、ギルドメンバー41人を神か何かだと思っていますからね」

「勘弁してよ……」

「大変だったねー、モモンガさん」

「モモンガさんの苦労は後ほど、僕がたっぷりと説明してあげますよ」

「でも、二人が戻られたので、少しは楽になります。俺一人で国務をこなす必要がなくなりますので。NPCたちの忠誠もボク一人に集約されることもないでしょう」

「……ぇ?」

「え?」

 

 会話に間ができた。

 

「さては姉ちゃん、モモンガさんに甘えてニートをやろうって考えてたんじゃないだろうな?」

「違う違う。少しだけ休日を貰って部屋でゴロゴロしようかなって」

「甘いもんでも食って満足しとけ」

「あんちゃんが食べたがってたなぁ……」

「食べられもしないのに、よく話してたよな」

「ん、まあね……って、そういえばモモンガさん、招待状はメンバー全員に送ったの? あんちゃん、やまちゃんはいつ、こっちに来るのかな? 明美ちゃんにも送ってあげたの?」

「……?」

 

 髑髏が首を傾げ、茶釜の先っぽが同調する。相手の言葉を待っている二人に変わり、鳥人とヘロヘロが会話を押し進めた。

 

「すっかり忘れてた。封蝋した古風な招待状、一枚目に蛇の絵が書いてあったのはなんでなんですか?」

「……?」

 

 アインズとヘロヘロの反応は鈍い。顔を見合わせ、二人で首を傾げている。

 

「何のこと? 俺はゲームのログインにミスってモモンガさんより遅れてきたんですけど。二人もログインしようとして失敗したんじゃないんですか?」

「いや、だから、ほら、招――」

 

 なおも話を続けようとした茶釜を遮り、ノックの音が室内に響く。

 

「もしかして、シャルティアじゃないですか」

 

 ヘロヘロの茶化すような言葉で、ペロロンチーノの羽毛が逆立った。件のエロゲー少女(ヒロイン)は入室の許可を待ちきれずに扉を蹴飛ばした。両手に持ちきれない装備品の山を持ち、アウラとマーレを従わせていた。

 

「げぇ」

 

 どこから出したのかと反射的に聞きたくなるような声が鳥から漏れた。

 

「アインズ様、ペロロンチーノ様とぶくぶく茶釜様、ヘロヘロ様、ご機嫌麗しゅう!」

「先ほど、一緒にいただろう」

 

 入り口付近で跪いている双子と違い、シャルティアはおぼつかない足取りでペロロンチーノの隣へ荷物を広げた。

 

「ぶくぶく茶釜さんにスライム用アイテムを渡せ」

「はいんす」

「やったー!」

 

 これまで話していた内容などどこ吹く風で、茶釜は椅子から飛び降りた。

 

「黄金のマスクは俺」

「ペロロンチーノ様、お付けいたしますぇ」

「いいぇ、結構です」

「でもぉ……」

「ごめん、モモンガさんと話があるから下がってて」

「あん……畏まりんした」

 

 鳥の顔を模した黄金のマスクを手渡し、早回しの引き潮のごとく下がっていった。

 

(勘弁してくれよ……)

 

 横目で十分な距離が離れていることを確認し、歪みつつある顔にマスクをつけた。ようやく、顔面を晒している羞恥心が収まる。他の装備品をアイテムボックスへ放り込んだ直後、耳をつんざく淑女の悲鳴が鼓膜を揺さぶる。

 

「うきゃあああ! 見える! 私にも敵が見えるぞ!」

「また小ネタが始まったよ……」

「何だこの豪勢な部屋は! 円卓の間だよね、ここ。アニメなんかで出てくる高級ホテル並みじゃん!」

 

 物珍しそうに周囲を見渡す。落ち着かない視界は、跪く三名の守護者で止まった。

 

「おお! アウラとマーレだ! 可愛いぃ!」

 

 視界を取り戻して真なるハイとなった彼女は飛び跳ね、三段ステップで双子へ飛び込んだ。一瞬だけ地面に広がってぺったんこになった彼女はすぐに浮き上がり、双子の狭間で鎮座する。桃色の触手が彼らを愛でた。

 

「あ、あぅ」

「茶釜様ぁ」

「うーん、このぬこ毛のサラサラ金髪ぅ、ずっと触っていられそう! それに子ども特有の良い匂ーい。やっぱ生きてるっていいねぇ」

「……ぐす」

「ふぇぇ」

 

 捨てられたのではと疑問視していたマーレが泣き崩れた。隣のアウラは姉としての矜持が故、決壊しそうな涙腺を力押しで留めている。それもいつ壊れるか分かったものではない。

 異世界にきて浮き上がった感情が瞬時に消し飛ばされ、桃色のスライムは泣いている双子の間でオロオロと困惑している。

 

「ど、どうしたの」

「茶釜さん……だから言ったじゃないですか。絶対の忠誠を誓ってるって」

 

 ヘロヘロがため息交じりに抗議した。事前に気を付けるように釘を刺したつもりだったが、意味が無かったようだ。

 

「どして泣くのよ」

「ダークエルフとはいえ子供だから、母親にやっと再会した気分なんじゃないですか?」

「お母さんになっちゃったよ! 結婚もしてないのに!」

「僕もソリュシャンの時に――」

 

 黒と桃色が状況を説明する傍ら、シャルティアはいつ自分の番が来るのかと上目遣いでペロロンチーノを窺っている。冗談じゃないとでも言わんばかり、彼は徹底してそちらへ目線を向けなかった。

 

「茶釜さん、アウラとマーレは親子水入らずで過ごしたがって――」

「やめて! 母親扱いしないで! まだ未婚なの!」

「それでは、創造主として二人を宥めるお仕事を」

「それならいいかな」

 

 涙こそ少しは緩んでいるが、まだ双子はぐずぐずしている。茶釜の両手が頭に置かれたことで顔を赤くし、甘んじてされたいようになされていた。ぐしゃぐしゃと触手が金髪をかき回し、両名は恍惚としている。

 

「ほら、もう泣かないの。男の娘でしょ」

「はい……男の娘です……」

「アウラはお姉ちゃんね」

「……はい」

「うむ、よしよし」

 

 シャルティアは指をくわえて羨ましそうに隣を見ている。次は自分もとばかりにペロロンチーノへ視線を向けるも、彼の視線はどこぞの空を見ていた。

 

「守護者三名とも、今はまだ話が終わっていない。先に大広間で待っていなさい」

「えぇ……ペロロンチーノ様ぁ……」

「アウラはともかく、マーレは本当に男の子かな。ちょっと確かめてみ――」

「茶釜さん!」

「姉ちゃん、いくらなんでもないわ……」

 

 スカートの中へ伸ばそうとした彼女の触手は、アインズとペロロンチーノのきつい目線で引っ込んだ。

 

「じょ、冗談だってば。アウラ、マーレ、また後でね」

「はぁい……」

「はい! 待ってます!」

「わたくしも待ってるでありんす! ペロロンチーノ様!」

「……」

 

 小さい守護者たちは、その小さい体格に相応しい動作でバタバタと出て行った。アインズは情緒不安定な三名を追い出してから一息ついた。

 

「はあぁぁぁ……ペロロンチーノさん、シャルティアに冷たくありませんか? 戻ってくるのを今か今かと待っていましたよ。彼女にしてみたら、やっと再会できたというのに」

「いや、シャルティアは黒歴史だって。恥ずかしいですよ」

「あんなに自慢してたじゃないですか」

「そうなんですけどー……実際に動いてるのを見たら……ねぇ?」

「そう? ボクはそう思いませんけど」

 

 可愛いメイド達に囲まれ、夢のような15日間を過ごした彼は事も無げに言った。その気持ちは他の誰にも分らない。

 

「嫁にするなら腹をくくった方がいいんじゃないですか?」

「設定を考えると、とてもそんな気になれませんよ」

「でも、遅かれ早かれ応えるんでしょう? ほら、ペロロンチーノさんも適齢期だし。なら、早い方がいいと思いますけどねぇ」

「あたしにもそんな未来が見えるわ」

「シャルティアは設定が詰め込まれ過ぎて、暴走する可能性もありますね」

「なんか暴走したんでしたっけ?」

「そうですね……例えば、他種族との会談で反抗的な相手を串刺しにしたり、叱ったら号泣して逃走し、ドラゴンと戦ったりとか、罰を与えてくださいというので椅子代わりに腰かけたら興奮して色々と垂れ流しちゃって……」

「弟……」

「いや、知らんし」

「アウラと連れ立って風呂場へ侵入してきたときは焦りましたよ」

「うわあ……って、モモンガさん、二人の裸を見たんだね?」

「……」

 

 不可抗力とはいえ、ヘロヘロは痛いところを突いてくる。

 

「まぁ……相手は全裸でしたし」

「ん? その前、シャルティアを椅子にしたってのは」

「いえ、本人がどうしてもというので仕方なく、四つん這いの彼女に」

「危ないねぇ、モモンガさん。一人にしておくとハーレムを幾つも拵えそうじゃない」

「……それは酷いですよ。でも、NPCには手を付ける気にはなれませんね」

「アルベドと結婚したのに?」

「逆に、NPC以外だったら手を出すんですか」

「うわぁ……モモさんはそんな人じゃないと思ったのに」

 

 好色な骸骨(スケルトン)という世にも珍なる生物を目の当たりに、茶釜は露骨に引いていた。

 

「ちょっ、やめて! みんな引かないでくださいよ!」

「だって、ねぇ?」

「ですよねぇ?」

「ま、全てモモンガさんの仕業ってことで」

「違いますって! 俺だって結婚適齢期ですし、アルベドを嫁にしておくと対外的にも役に立つから」

「政略結婚?」

「恋愛結婚じゃないんですか?」

「仕方なくとか、ちょっとムカつく」

「それは……まぁ、嫌いじゃないですけど。NPCたちはもうゲームキャラじゃないですし、自由意志の彼女に本気で、昔からずっと愛していますとかって言われるとその……俺も心が揺らぐというか、そのままつい」

「手を付けてしまったと?」

「あ……はい……」

「やりたい放題ですな、モモンガさん」

 

 アインズを一人にしておくとNPCの影響を受けて碌な事をしないと、不名誉この上ない結論が出ていた。ちょっとやそっとで揺らぎそうもないほど固定されているのは、これまでの事実が物語っている。

 

「現地妻はどこですか?」

「早く紹介してくださいよ」

「俺も見たことないんですよねー。いつお会いできるんでしょうか」

「どんな娘ですか?」

「なんか吸血鬼らしいですよ」

「ぶっ、自分がそうだからってアンデッドと結婚しなくても」

「しかも見た目は少女とか」

「うわぁ……」

 

 茶釜が椅子の上で後ずさった。

 

「ヘロヘロさん! 勝手にバラさないでくださいよ!」

「モモンガさんも少女趣味ですか? シャルティアに手を付けてもらっても構いませんけどね。俺は別で探してもいいんですよ?」

「そうじゃありませんよ!」

「それで、小さな奥様は今どこに?」

「……冒険者として活動中です」

「冒険者ってなに? 面白そう!」

「あとで説明しますよ。それにぃ……シャルティアの暴走に関してですが、誰が設定を詰め込んだからでしょうか」

「はい、僕です」

 

 髑髏の眼窩にジロリと睨まれ、申し訳なさそうに挙手をしたのはペロロンチーノだ。両隣に座っているスライムの、ピカピカと点滅する四つの目が彼を見ている。

 

「まぁ、昔っから碌でもないことは大体、コイツの仕業だわ」

「ユグドラシル時代から色々とやらかしていたような気が」

「……設定を無茶苦茶に詰め込んだのが良くなかったス」

「……気持ちはわかりますけど」

 

 アインズの声まで暗い。黒歴史で言えば、アインズにも同様に心当たりがある。

 

 シャルティアはその性格や性癖嗜好が全体的に浸透しているので、今さら誰も苦言を呈さない。彼女の強さなくして第一から第三階層までの防衛システムは成り立たず、そこはNPCが憧れる長所だ。しかし、パンドラズ・アクターに関しては違う。

 

 宝物殿に引き籠っている設定で他の僕と交流の無かった彼は、未だに「うわぁ……」と言われることも多い。高い潜在能力(ポテンシャル)があろうと、彼の動きは派手すぎる。それを目撃したアインズは、自らのことのように恥ずかしくなって精神の沈静化を必要とする。

 

「いや、モモンガさんだって冷たいじゃないですか。彼は強いでしょう。41人の仲間に変身して能力80%使えるとかチート級ですよ。うまく使い分ければナザリック最強なんじゃないですか?」

「いやいや、シャルティアだって強いですよ。俺とは相性が悪いから、戦ったら負けるかもしれません。それに、あの子のお陰で常闇の竜王を配下に加えられましたし、そいつが所持していたワールドアイテムまで手に入れたんです。創造主のペロロンチーノさんが褒めてあげれば喜びますよ。部下の教育は直属の上司の役目じゃないでしょうか。もしかすると、頑張って新しい功績を上げてくるかも」

「いえいえ、モモンガさんの目の付け所には勝てませんよ。まさかドッペルゲンガーにそんな能力を付与しておくとは、運営の裏を突きましたね。シャルティアと相性が悪いっていっても勝てないわけじゃないですよ。使い勝手で言えばパンドラズ・アクターの方がよっぽどいいでしょう」

「とんでもない。シャルティアは第一から第三階層まで守る守護者ですよ。部下も多いですし、今ではワールドアイテムまで所持しています。彼女に太刀打ちできる者はギルドのメンバーを除いてそうはいないでしょう。洗脳される可能性もありませんから、彼女こそナザリックの先陣を切るに相応し――」

 

「お前らゲイみたいに褒め合うんじゃない。BL? BLなの?」

「二人とも冷たいなぁ……」

 

 ソリュシャンを泣かせてしまった経緯のあるヘロヘロは、過去を悔やむ彼らが同様の失敗をしでかさないか不安に思った。骨と鳥は当たりの強い茶釜をそれとなく伺いつつ、盛り上がってきた感情を抑え込む。

 

「と、とにかく、部下の性教育はお願いしますよ、ペロロンチーノさん、ぶくぶく茶釜さん」

「アウラとマーレは大丈夫だもん。あたしはこの馬鹿みたいに設定をごちゃごちゃ詰め込んでないかんね」

 

 マーレがアインズからのご寵愛を授かろうと目論んでいることは、現時点で一部の守護者しか知らない。

 

「悪かったな……はぁ、憂鬱」

「でも、どうせ嫁にするんですよね? 彼女が暴走する前に手を打つべきだと思いますよ、ペロロンチーノさん」

「まぁ……その内」

 

 この日、ヘロヘロは人の痛いところを的確に突いてくる。

 

「処女らしいですよ?」

「へえ」

「ペロロンチーノさんのお嫁になるべく、日夜勉学に励んでいるとか」

「うわ」

「声がぶくぶく茶釜さんじゃなくてよかったですね」

「ええ」

「ロリコンを自称してましたよね?」

「まあ」

「このペド野郎! 死ね!」

「もう止めてくれよ! 黒歴史談義は!」

 

 不毛な会話はペロロンチーノの雄叫びで途切れた。

 

「はぁ、今日は食事をしながらNPCたちに挨拶をして、部屋で休んでください。明日から、話すことが山のようにあるんですから」

「僕とモモンガさんは睡眠と飲食の必要がないから、何を話そうか夜通し考えておきます。二人はゆっくりしてくださいよ」

 

 建国までの経緯、同盟国、諸国の情報など序の口だ。国内の組織図、挨拶すべき人々、国家情勢、戦闘訓練、乗馬の仕方、外出時に同行させるべき僕、NPCの名前や関係性、スキルなど。

 

 丸一日かけたとして全てを理解させる自信がないほど、天まで届く情報量がある。

 

「外へ散策は話が終わってからお願いします。しばらくはナザリックにいてください」

「はーい……」

「えぇー……せっかく目が見えるようになったのに」

「駄目です、そこは絶対に譲れません」

「……うん、わかったよ」

「素直だな、姉ちゃん」

「ところでモモさん、さっきは会話が途切れたけど、他のメンバーはいつ戻ってくるのかな。あんちゃんは早めに呼んだ方がいいと思うな」

「うーん……?」

 

 蒸し返された招集に再び会話の触手が伸びたとき、小気味よいノックの音が話を遮った。

 

「ゴホン、入れ」

「失礼します、ラナーでございます」

 

 好奇な視線を簡単にいなし、ラナー王女はアインズの前に跪く。アインズを除いた全員が彼女と初見だ。三名は黙り込んで彼女の動向に見入っている。

 

「お帰りなさいませ。アルベド様がご不在とお聞きしましたので、御挨拶も兼ねて報告に伺いました」

 

(誰?)

(僕も初見ですね)

(NPCですか?)

(明らかに人間に見えますよ。人間のNPCなんていましたっけ?)

(まさかこれが噂の嫁!?)

(うっそ、超美人じゃん! 少女じゃないし!)

 

 

 囁きはもっと隠す意思を見せてもらいたいものだと、アインズは不満に感じる。

 

「そこ、聞こえてますよ、一から十まで」

「皆さま、ご機嫌よう。初めてお会い致しますわ。アインズ様、ご紹介いただけますでしょうか。是非、ご挨拶を」

 

 ナザリックに所属する者の最下層だと自称するラナーの立場は、説明が難しい。法国にて神官長に囲われ、ニートをやっていたペロロンチーノとぶくぶく茶釜よろしく、現地登用した彼女の立ち位置はアインズからすれば難解だ。

 

「と、いうわけで、アルベドとデミウルゴスの進言もあり、彼女は現地登用してナザリックで公務をしているラナー第三王女です」

「元、でございますわ、アインズ様。今の私はただのラナーです」

「ああ、そうだったな」

「アインズ・ウール・ゴウン様の御盟友の方々でしたか。お噂はかねがね伺っております。アインズ様、アルベド様のご負担を少しでも軽減すべく、補佐として登用に預かりました、ラナーでございます」

 

 彼女はドレスの裾を摘んで体を沈めた。目上の者へ対するものだが、彼らがそこまで察した様子はない。

 

「あ、初めまして、ペロロンチーノです」

「モモンガさんも真面目に仕事してんのね。私はぶくぶく茶釜だよ、よろしくね」

「ヘロヘロですー」

 

 ラナーの瞳は光を宿しつつ、裏側で彼らの立ち位置を探った。望む場所を手に入れたからと言って油断はできない。重要人物の機嫌を損ね、クライムともども下界へ追放される事態だけは避けなければならない。

 

 彼女の澄んだ瞳は異形種の外見を無視して彼らの本質を捉える。圧倒的武力を持つ4名の異形種が、普通の人間に見えていた。少なくとも、アインズやアルベドと比較して人間への侮蔑、無関心は見受けられない。特に、鳥を模した黄金のマスクをした彼は、特別に取り入りやすそうだ。

 

「先に言っておきますが、彼女の護衛兼恋人の少年も一緒にナザリックにいます。特に、ペロロンチーノさんには先に釘を刺しておきます。シャルティアに手を出す前に彼女を口説こうものなら、とんでもないことになりますからね?」

「……そーですか」

「そうですよ。最悪、ナザリックの一部が倒壊して、せっかく溜め込んだユグドラシル金貨が補修工事に消えるかもしれませんよ。維持費だってばかにならないんですから」

 

 出鼻をひん曲げられたペロロンチーノはそのまま押し黙った。

 

「さっき、元第三王女とか言ってました?」

「王族なの?」

「はい、魔導国の前身、リ・エスティーゼ王国、ヴァイセルフ王家でございました。今となっては無意味でございます」

「彼女は外出とかは許されてるんですか?」

「特に制限はしてませんが」

「でも自力じゃ出られないよね?」

「そうですね。誰かを使えば出られますけど」

 

 それ即ち、籠の鳥ということだ。

 

 ナザリックの役に立つべく、身分をはく奪されて攫われたに等しい。と、ヘロヘロが解釈するに十分な情報不足だ。

 

「モモンガさん、今日、お付き合いして思ったんですが、ちょっと現地の人たちに冷たくないですか?」

「そうでしょうか」

「前のモモンガさんならそんなことしなかったんじゃないでしょうかね。いくらアンデッドだからって、態度までそれっぽくしなくてもいいんですよ?」

「いや、実は彼女は魔――」

 

 肝心にして唯一の結論を言おうとしたところで、茶釜が突如、大声を張り上げた。

 

「モモさん!」

「は、はい。何でしょうか」

「私の知ってるモモンガさんはもっと優しかったはずなのにぃぃ! うえーん!」

「これは酷い……」

 

 涙一滴零すことなく、彼女は両手の触手を頭部へ当てていた。声優なのに演技性の欠片も見受けられない。

 

(アンデッドになってから人間性は消えたとか思ってたけど、実は俺が冷たいだけなのかなぁ……)

 

「違いますかね、モモンガさん。別にハーレム作ってもいいんですよ、男の子でしょうに」

 

 人間を辞めたのは彼一人ではないが、他の三名に特異な変化は見受けられない。仮に何らかの変化があったとしても、自覚するまでには今しばらく時間がある。つまるところ、この場で唯一、結果が出ているのはアインズだけだ。

 

「……すみません、自覚が無いのでわかりませんでした。態度や応対に以前と変化があれば教えてください」

「偉そうなこと言ってすみません。僕も、何かを溶かすのが楽しくて楽しくて。今は必要もないのに食事をして誤魔化していますが、そのうち人間を溶かしてみたくなりそうでちょっと怖いんです」

「ただの殺人鬼じゃん」

 

 この茶釜の発言で、アインズは過去に行った殺人・人体実験に関する話を、永久に隠蔽してしまおうと心に決めた。人間牧場の解説は、彼女が落ち着いてから機を見て話そうと、遠く先延ばしにしてしまった。

 

「同じスライム系の茶釜さんはどうですか?」

「私? 酸性の攻撃は持ってないよ。前衛のタンク役だからね。溶かしたい欲求もない。あんたは?」

「んー……確かに人間は止めちゃったけど、だからって簡単に人を殺そうとは思わないけどなぁ。でも、物語とかだと異世界転移者って簡単に人を殺すよね。まぁ、頭に来たらちょっとヤっちゃうかもしれないけど。そういう世界だし」

「危ない奴」

「正直さ、俺なんかより、タブラさんとか絶対ヤバいよ」

「あー……同感ですね」

「あたしもそう思う。むしろ嬉々として人の脳みそ食べそう」

 

 あながち間違いではないと思えた。タブラ・スマラグディナはあのアルベドの創造主(父親)だ。創造した三姉妹のNPC、アルベドの上も下も癖が強い。

 

「彼が戻ったら教育指導が必要ですね。茶釜さん、話は変わりますが、大神殿の会議室で暴れようとしていましたけど、この世界のレベルは低いです。茶釜さんが軽く叩いただけで簡単に人を殺せます。殺す気がないなら力加減を間違えないでください。戦闘訓練も必要でしょうね」

「マジか……やっぱり暴力はよくないね」

 

 茶釜の背筋にぷつぷつした鳥肌が発生する。

 

 感情に任せていきっていたが、あの場で暴れていたら法国の首脳を殺した殺人鬼になるところだった。同じく感情に身を任せて自分の邪魔をしてくれた弟に少しだけ感謝したが、敢えて何も言わなかった。

 

「タブラさん以外にも、平気で人を殺しそうなメンバーは誰でしょうね」

「弐式炎雷さんとか?」

「いや、違うでしょ。印を結んでニンニンとか言ってるよ」

「武人建御雷さんとか?」

「それも違うなぁ。武人は殺人鬼じゃないでしょ」

「あの堕天使とか……」

「……考えないでおこ」

 

 ラナーはそこで立ち上がる。

 

 そこかしこで起きている記憶障害について、報告を急ぐ必要はない。事態が小さなうちにアインズへ報告するのは重要だが、珍しく楽しそうな彼に水を差すのは気が引ける。外見からはわかりにくいが、声のトーンや調子が部下に見せる威厳のあるものではない。偉大なる支配者の精神負荷(ストレス)は、少しでも軽減されなければならない。

 

「御報告はまたの機会に致しますわ。幸い、現状で把握できている確かな情報はございません。こちらで情報を集め、精査してからお届けいたします」

「すまないな、ラナー王女」

「ラナーさん。外に出たくなったら何時でも言ってね」

「お、俺が背中に乗せて連れて行っ――」

「助平、変態、ロリペド公。今日からお前のことを青髭バードマンと呼ぼう」

「シャルティアが可哀想なんですが?」

「本妻を無視して妾を作りたいんですか?」

「……」

 

 最後の悪あがきも無駄な抵抗に終わった。

 

「ラナー、私はお前を拘束しない。心変わりをして自由になりたいと思ったのなら、すぐに申し出るといい」

「私のような者にまでお気遣いありがとうございます、アインズ様。その慈悲深き御心、魔導国に生きとし生けるもの全てに慈愛となって降り注ぐ王の風格でございますわ。それでは、みなさま失礼いたします」

 

 造花のような笑顔を張りつけ、深いお辞儀のあと彼女は出て行った。それから食事の支度が終わるまで、彼らは取り留めのない話で盛り上がるだろう。過去・現在・未来、どの話をするにせよ、時間は際限なく浪費され続ける。

 

 閉じられた扉を挟み、ラナーは顔に張り付いた微笑みを引き剥がした。

 

「馬鹿馬鹿しい」

 

 急速に色あせた顔面には、何の表情も張り付いていない。聞き耳を立てると、アインズは自分について正確に説明してくれている。

 

(実は彼女は魔女なんですよ。種族は人間だけど、中身が――)

 

 これならば、嫉妬に狂ったシャルティアに殺されることはないだろう。人目につく前に耳を離し、自室へ足を向けた。

 

 ラナーが自由を求め、クライムと二人の生活を農村で送ったとしてどうなるというのか。

 

 クライムは農作業に従事し、夜になってラナーが待つ家に帰る。時を経て、ラナーはクライムの子を産み、子孫を増やして家族となる。やがて年老いて子供たちや孫に看取られ、二人は仲睦まじく、短く儚き生を終えるのだ。

 

 

 冗談ではない。

 

 

 子犬のようなクライムの子に興味が無いわけではないが、子育てに縛られるのは真っ平だ。仮に価値観がそれを受け入れて変わろうと、盗賊、魔獣達から狙われる下界で命の保証はされていない。命などくれてやっても構わないが、最も恐れるべきは、クライムから子犬らしさが失われること。それだけは回避しなければならない。

 

 優秀にして強大な力を持つ者に支配されてこそ、本物の自由が手に入る。籠の鳥こそ本物の空を知るのだ。決して羽ばたけぬ空だからこそ、夢は夢のまま崩れることなくそこにある。

 

 上っ面だけ取り繕った自由は、真の自由を破壊する。

 

 籠の鳥を逃がし、厳しい生存競争の世界に放り出された彼らはやがて、空を味わう楽しみまでいつしか失ってしまうだろう。自らの生殺与奪が自由にできると言えないこともないが、何者にも支配されない自由は制限下で味わえる自由に劣る。

 

 クライムを愛するまま、生を終わらせる。それ以外の天国がどこにあると言うのか。

 

(本当に馬鹿馬鹿しい。どれほどの剛運と武力を持とうと、所詮は一般人だ)

 

 黄金の魔女は無表情で嗤った。

 

 長い回廊の先、薄暗がりでシャルティアとアウラ、マーレが何かを話し合っている。

 

「上手くいかないでありんすぅ。ところでいつまで泣いてんのよ」

「茶釜様が撫でてくれたよぅ……」

「うん……」

「今日は一緒に寝てくれるかなぁ」

「うん……」

「マーレと比べて駄目でありんすねぇ、このチビは」

「うん……ごめんね、シャルティア。あんたの言う通りだよ……ぐす」

 

 男装少女は白い手袋で乱暴に涙を拭った。

 

「……調子が狂うでありんす。はぁん……それにしても、ペロロンチーノ様はいつになったら私の初めてを」

 

 何も存在しない天井の辺りを見ていたシャルティアがラナーに気付いた。

 

「……あら? アルベドの使いパシリの人間でありんせん?」

「ご機嫌麗しゅう、シャルティア様、アウラ様、マーレ様。造物主様との再会、おめでとうございます。心より祝福いたしますわ」

「人間の癖に御方の至高なる御力がわかって? 下手なことを言うと、ぶっ殺しちゃうわよ」

「勿論ですわ。お会いしただけで感じるその絶大なる存在感。まさしく、41人の神々と呼ぶに相応しき方々です。いかに人間という種族が矮小なのかと実感させられましたわ。長時間の謁見をすれば私の精神が持たないほど、それはそれは素晴らしい貫禄、威厳、濃密な存在感でございました」

 

 その言葉を素直に受け取り、シャルティアの機嫌はすこぶる良い。

 

「わかってるならいいわ。それにしても、御方のご寵愛を授かるにはどうすればよいのかしら」

 

 人間蔑視の性癖をどこかへ置き忘れ、お悩み相談が始まった。

 

「どうもペロロンチーノ様は、御帰還してから釣れないの。この二人はすっかり骨抜きになってるし。アルベドに知性を買われたヌシに、何かいい案はなぁい?」

「そうですね……」

 

 ラナーは質問内容とは全く別のことで悩んだ。

 

「勿論、アインズ様はアインズ様として美しく尊くあるにせよ、わた……(わらわ)は、今は亡きあの御方より、ペロロンチーノ様と結婚すべく命じられた経緯がありんす。同性相手に積んできた花嫁修業の成果を、今この時こそ発揮すべきではないかしら」

「それは素晴らしいお考えです。シャルティア様の真面目で一途な勉学欲は、愛しの造物主様を納得させるに足る経験をお与えになるでしょう。それならば、次は待つべきではありませんか?」

「松?」

「はい。殿方の心とは難しいものですが、それは相手からしても女心は変わりやすいと同じことです。ことシャルティア様に限っては、唯一無二の一途な愛だと思いますが」

 

 顔色の悪い少女は”ふんすっ”と鼻息を出し、大量のパットが埋め込まれた胸を張った。

 

「過剰に追いかけるような真似は逆効果でございます。かつてアルベド様は、アインズ様を追いかけ回し、あわや全てを無に帰すところでした。ご同郷のペロロンチーノ様に同じ手段をとれば、やはり同じ結果を招くことになるのではないでしょうか」

「ふーん……待ってればいいの?」

「シャルティア様が信じているペロロンチーノ様は、鳥籠へ籠った愛を歌う小鳥を広い世界へ連れ出してくれるでしょう。一途な愛情を謳うカナリアを見て、心を揺らさない殿方はいませんもの」

「そう……?」

「追いかけ回すのは逆効果という点は間違いないかと」

「うぅぅぅむ」

「どれほど辛くとも、耐えるのです。耐えて、耐えて、耐えた先にこそ、ペロロンチーノ様の胸をシャルティア様が独占できるのです!」

 

 拳を振るって熱弁するラナーの案は、時間をかけてシャルティアに飲み込まれていく。体内で消化されるまで時間がかかるだろうが、ここまで指示を出しておけばナザリックを揺るがすような事態は起きまい。彼女の精神が揺らぐかもしれないが、全体から見れば些事でしかない。

 

「カゴノトリ……籠の鳥……」

 

 ラナーの案を必死で飲み込もうとする彼女は受け答えが困難になってしまった。

 

「これより、皆様の御帰還を祝う晩餐会が催されるようです。その場で過剰な追いかけを自重しつつ、常に御方の側にいるべきではないでしょうか。付かず離れず、さながら月と太陽のごとく、自分は浮気もせず一途に、いつまでもお待ちしていますと態度で示すのです。私は執務がありますので参加できませんが、御健闘をお祈りしておりますわ」

「追いかけ過ぎず、側も離れず……うぅぅぅ! 我慢できないでありんすぅぅ!」

「うふふ、それではご機嫌よう」

 

 簡素な挨拶をしてその場を離れた。

 

 怪物少女の敬愛するペロロンチーノは、彼女の純心を(さいな)むだろう。全てを丸く収めるアインズの剛運も、彼らの仲を取り持ってくれるとは限らない。肉体のある鳥人が朴念仁とは思えないが、そうかといってシャルティアを真っ先に優先するとも到底、思えない。現に彼は、シャルティアに応じるより前にラナーへ興味のある素振りを見せた。

 

 吸血姫真祖の未来は薄暗く、足元は血と臓物で彩られている。

 

 自室へ到着し、子犬へ挨拶をしてから椅子に腰かけた。隣で待機する彼を一瞥する。手袋を脱ぎ、絹のような肌としなやかな指を子犬へ差し出した。愛してやまない彼女の子犬は、差し出された指に舌を這わせた。

 

(今しばらくの苦しみに、彼女の精神は耐えられるだろうか)

 

 最も信頼と感謝に足る人物、アルベドの負担を少しでも軽減するには、両者の仲を取り持つ必要がある。箸休めに異形種恋愛の指針がいくつも浮かんでは消えていく。しかし、無数に枝分かれする未来を幾つも予想(シミュレート)してみたが、シャルティアが苦しまない未来は浮かばなかった。

 

 それもまた一興である。

 

 

 心を打ち据える鞭が痛ければ痛いほど、最後にしゃぶりつく飴は甘くなるのだ。

 

 

 





※3の字の唇→(*ー3ー)んー




次回、閲覧注意 小


物語の舞台裏で

「先生ー。いつになったら森を支配するんですかー?」
「森を支配したいならまずは兵法を学ぶべし。一に勉強、二に勉強、三四が情報、五に実践」
「勉強ばかりで飽きちゃいましたー。魔法研究がしたいですー」
「勉学を厳かにすると足元を掬われる。卒業試験にカルネ村を落として来ようか、君たち二人で」

「「はーい。ぶっ殺して来まーす」」


 妹を亡くして元気のないエンリに、陰森(いんしん)に坐す皇帝(カイザー)の先遣隊が迫る。


次回、「梟の首と鉄鎖」



▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。