モモンガさん、世界征服しないってよ   作:用具 操十雄

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Epilogue(エピローグ)です
時系列はかなり先に飛んでいきます。


Prologue ―決して会うことのないあなたへ―

 

 

 蛇に関する記憶の食い違いは集束を見せていた。

 

 

 街を闊歩する異形種へ、人間種の話に耳をそばだたせる指示をだしたところ、とある姉弟が帰還してから一週間、記憶と世界軸の収束は加速していき、今では蛇に対する違和感を覚える者はすっかりいなくなった。

 

「俺はあいつに近づいて見せるからな、ガゼフ」

「ブレイン、済まないが……あいつとは誰だ」

「決まってんだろ、王様だよ。魔法詠唱者のアインズさんには勝てないだろうが、漆黒の英雄モモンになら勝てる気がしてきたぜ」

「難しいだろうな……」

「ねぇん……ブレインさまぁ。お慈悲を――」

「うるせえなっ! 離れろよ、さっきから! 剣が振れねえだろ!」

「違う剣を振りましょうよー……ベッドの中で朝から晩までぇ……うふふ」

「……ブレイン、腑抜けてるな」

「俺は何も言ってねえぞ!」

 

 王宮で聞いたガゼフ、ブレインの立ち話だが、これ以後、蛇の記憶とおぼしき発言は出なかった。彼ら同様、国民たちは記憶に折り合いをつけ、会話は詰まらずに進んでいた。

 

 あれほど蛇に執着していた番外席次と、あれほど蛇に敵対していた第一席次は、憑き物が落ちたように大人しくなった。第一席次は顔から若さが消え、悟りを開いた無欲な顔で、日々の裏稼業を淡々とこなしている。それはそれで問題があるが、今のところ業務に支障が出た形跡はない。売り上げは順調に伸びている。

 

「以上が、八本指の売り上げ状況です」

「ご苦労、下がりなさい」

 

 国営の裏組織”八岐大蛇”はいつの間にか八本指に戻っていた。報告を聞き終えて立ち去る指示を出したが、彼は跪いて動かない。

 

「まだ何か?」

「あの……つかぬことをお伺いしますが……何か起きたのでしょうか」

「何の話かしら」

「具体的にはわからないのですが……何か、それなりに重要な……その……指針や宗教とでもいうべき何かを失ったような感覚に囚われているのですが」

「六大神への信仰は捨てたのでしょう?」

「いえ、そうではなく……何とも名状しがたいのですが……何らかの闘争心といいますか……対抗心と言いましょうか……。世界に何らかの異変はありませんでしたか?」

「何も起きていない。世界はずっと平和だったわよ」

「そうですか……」

 

 競い合い、対抗心を燃やすことで人は技術を上げていく。今の彼は階段を上りだしてから踏板を抜き取られた状況に近い。恐らく、蛇がここに座っていれば喧嘩し、いがみ合いながらも次こそは見返してやろうと新たな闘志を燃やしたに違いない。

 

 世界から消えた番外席次の見解通り、彼は蛇に認めてほしかったのではないのか。

 

「私は何を信じればいいのでしょうか……」

「誤解されがちだが、神の有無は宗教に何の関係もない。これまで通り、あなたの正義を貫けばいい」

「……正義……ですか。悪の組織の頭目となった今の私に、正義とは……何と皮肉なのでしょう。今の私は、正義からかけ離れた場所にいる」

「あなたの求めるものはすぐに現れる。それまで、守るべきものを守りなさい」

 

 年相応の頼りない少年は、私の言葉など聞こえていない素振りで立ち去った。何にせよ、彼が正義を渇望するか、あるいは悪の教典を渇求するのなら、導く者はじきに顕現する。それまで放っておけばいい。

 

 そちらより番外席次が重症だ。

 

 裏組織の売り上げを確認し終えてから王宮を訪れた私は、中庭で日向ぼっこをしている彼女を見つけた。

 

「番外席次」

「……」

「こちらを向きなさい。元漆黒聖典、番外席次」

「……何か用?」

 

 彼女は私を一瞥もせずに空を見上げていた。青すぎる空に千切れた雲が流れていた。表情はやる気を失い、生きる気力さえ消えかかっているように見える。今でも強者を探しているのかと彼女に聞いたが、ひどく反応が鈍い。結婚について聞くも、以前ほどの熱意は感じない。王宮で蛇と過ごした時間、そのものが記憶から消えているのだ。

 

「蛇……誰それ? 結婚? ……強そうな人が来たら戦って決めるわ……別に、どうでもいいけどね……」

「ヘロヘロ様に興味は沸かないの?」

「そこまで興味はないのよ……もっと……何ていうかなぁ、普段から戦っているような狂暴な人。女子供であろうと容赦しない凶悪な殺気に焦がされたいの」

「そう……彼は確かに温すぎるわね」

 

 確かに、ヘロヘロは番外席次と戦えば、必ず手加減をする。求める相手、求めた蛇とはほど遠い。

 

 彼女の記憶から蛇は消えている。それは間違いない。しかし、エルフ国を滅ぼしたあの日の暴力、大蛇の殺気というかがり火は、彼女の胸で燻っている。

 

「あなたの結婚相手の候補は、四名の女性を含めて40人もいる。ゆっくりと考えなさい」

「面倒くさいな……」

 

 表情が変わらない。まるで興味のないものを見るような目で、下から上へ流れる雲を見ながら言った。メイドによれば、日がな一日、所在なさげに王宮で日向ぼっこをしているという。引退したランポッサ三世は元気に王都を散策してラナーを少しだけ悩ませているというのに、隠居した老人よりも老人然としている。かつてスレイン法国最強の暴力として勇ましく戦いを仕掛けてきた彼女もまた、世界から消えてしまったのだ。

 

 大蛇は彼女も一緒に連れて行けばよかった。

 

 思えば、産み落とされた瞬間から普通に生きることを許されなかった少女は、蛇と王宮で過ごした数日間こそ、数百年に渡る長き生でもっとも幸せな時間だったのかもしれない。気が向いたらアインズ様と仲の良い弟に提案してみよう。

 

 今の彼女は何の使い道も、利用価値もない。

 

「アインズ様と仲の良い御方が帰還されたわ。後日、謁見しなさい」

「気が向いたらねー……」

 

 右手が蝶のようにひらひらと舞った。彼女の顔は最後まで私を見なかった。一人の女として愛が報われる前に記憶から奪われるということが、どれほど残酷なのか蛇は知らなかったのだ。少しだけだが、憐れな彼女に同情した。

 

 定刻となったので、私は王宮の応接間を訪れた。招集をかけた三名は先に集まって紅茶を飲んでいた。扉を開くと、内側から繊細で芳醇な香りが私の体を通り抜けていった。

 

「アルベド様、ご機嫌よう。こうしてお会いするのはお久しぶりですね。今日はどうして緊急招集をおかけになられたのですか」

「君がアルベド殿か。魔導王の妃にして、ラナーより知性の高い魔女と聞き及んでいるが、どうやら噂に違わぬようだな。叡智とは内側から染み出すもの、お会いできて光栄だ」

「……なぜ私までこちらに」

 

 ナザリックで内務をこなすラナー、七彩の竜王(ブライトネス・ドラゴンロード)の少年は応接間でくつろぎ、バハルス帝国皇帝の愛妾ロクシーは首を傾げた。私もソファーへ腰を下ろした。

 

「今日は集まってくれてありがとう。こうして話すのは初めてね。七彩の竜王(ブライトネス・ドラゴンロード)、そして帝国のロクシー。私はアインズ・ウール・ゴウンの妻、アルベドよ」

「お初にお目にかか――」

「申し訳ないが、話を先に進めよう」

 

 ロクシーの挨拶は虹色の少年に遮られたが、不満を口にする気配はない。

 

「考えられるのは、一か月ほど前からそこかしこで起きている違和感の説明といったところだな?」

「詳しい説明は後でする。失われた記憶の補填に、この物語を読みなさい」

 

 私は増刷した大蛇の物語を机に置いた。彼らが読み終えるまで時間がある。ナザリックから紅茶と茶菓子を取り寄せるには都合がいい。

 

 静寂の支配する応接間に、私の紅茶と茶菓子を食す音が流れた。要所だけを読み終えた虹色の少年が口を開いた。彼は物語に登場して日が浅く、読み終えるのも早かった。

 

「不細工な男だ……魔導王の爪の垢でも煎じていれば、魔導国の今日はまた変わったものになっていた……全く以て、愚か者とは度し難いものだな」

「本当に……仕方のない蛇様ですわね。ラキュースと帝国の奥様まで巻き込んで……いくらでも選択肢はありましたでしょうに……」

 

 二人はとても寂しそうな顔を張りつけて、神妙な表情(ロールプレイ)をしていた。私の目は欺けず、竜王と魔女の考えは透けて見えたが、ロクシーの目は欺けたようだ。

 

「そうです……。これを読む限り、皇帝陛下だって蛇様を嫌ってはいないはずです。それなのに、こんな選択肢しか選べないなんて……寂しいですわ」

 

 少し頭のいい人間の彼女は本気でそう思っているだろう。私はふざけて遊んでいる二人に顔を向け、完璧に作り上げた微笑みを向けた。

 

「七彩の竜王、ラナー、つまらない演技は止めなさい」

「……ぇ?」

「くくっ……く」

「ふふ……ふふふ」

「……ぁ」

 

 指摘された二人はきょとんとした顔をし、すぐに暗い笑い声をあげた。ロクシーは怪訝な顔で指摘された二人を見たが、ラナーの引き裂かれた口と少年の歪んだ笑みという、非人間的な顔を目撃したので真っ赤になって俯いた。この場では、彼女が一番、人間くさい。

 

「ナザリックの智将、アルベド卿。この物語は実によくできている。世界の真理を読み解くのに相応しい。この物語の著者、君の主観が真実である前提で話を進めよう。大蛇は果たすべき命題を見つけ、あるいは創造して実行し、限られたプレイヤーしか侵入ができぬように世界を封鎖したのだな。私も夢を見ていたのだろう……知性の低い大蛇を導かされる夢を。だが、それは同時に別の仮説を――」

 

「七彩の竜王、言葉は慎重に選びなさい。余計な言動は世界の消滅、過去の改変に繋がると知れ。我らはただ従えばいい。腹立たしいことに……ゲームマスターとなった大蛇の意向に」

 

 私の気迫に発言は押し戻された。これ以上、彼に探られて不必要な事実が晒され、それに合わせて過去改変が起きては困る。私の知る限り、修正は速やかに行われる。深淵を覗き込むには、守るべきものが多すぎる。

 

「あなたたちは知性が高い。程なくして大蛇の存在に行き当たるでしょう。そんなことはあってはならない。大蛇が命を懸けて世界から抹消した存在を、知性で大蛇を凌駕する我らが存在を浮き彫りにしてはいけない。悪魔は永遠に存在を立証されず、本の中だけで生きていればいい」

 

「悪魔の不在証明。存在の確認ができないからこそ存在を示唆する逆説。しかし……解せんな」

 

 少年は身を乗り出した。

 

「君の御想像通り、誰かが蛇に辿り着いた可能性は高い。しかし、仮に事実を知ったとして、それがどうだというのだね。我々が口外して歩くとでも思ったのか」

「私もそこが疑問でした」

 

 紅茶で口を潤したラナーが、口を引き裂いて虹色に続いた。

 

「今回の論点は、蛇様の存在は誰も知ることができないという点だと思っていました。もし仮に、私が誰かに蛇様の存在を知らせたとして、記憶を奪われたなどと荒唐無稽な話を信じるでしょうか。信じてもらえなかったとして、事実を追求しようとするものがいましょうか」

 

 ロクシーは彼らの表情で目を見開いたり、白黒と点滅させたりと忙しそうだった。

 

「ですが、先ほどの発言でようやくわかりましたわ。管理者となった蛇様により、世界は新たな災禍に巻き込まれるのですね」

 

 私から微笑みが消え失せ、彼らが息を呑んだ。

 

「まさに、私たちが話し合うべき点はそこよ。私たちは各国に散り、何らかの異変に対して迅速に対応しなければならない。普段なら疑問に思わないような綻び、異変の断片さえ見逃さないように」

 

 ちょうど私の背後から逆光が差したので、彼らはぞっとする黒塗りの顔を見ていることだろう。

 

「これより世界に顕現する至高の41人。彼らは自分が面白いと思った行動をすると、大蛇が身をもって立証している。蛇は自分が面白そうだと思ったから消えたといっても過言ではない。もっとも厄介なのは、損得勘定を抜きにして限界まで楽しみたいと思う敵対者。そこには倫理も気遣いも存在しない。享楽への渇欲は周りを巻き込んでいき、やがて世界へ多大な影響を及ぼす」

 

「困った大蛇様です。まるで記憶にございませんが、この物語が事実だとすれば、大蛇様はこちらの事情など素知らぬ顔で、面白そうな選択や舞台設定をなさるに違いありませんわ」

 

「そう……それは他の至高の41人も同様に」

 

「周辺国まで巻き込んだ騒動が起きますわね……いえ、下手をすれば戦争に……」

 

「ビーストマン国やトロール国との戦争もありえる。竜王はすぐに竜王国へ帰国しなさい。次、獣たちが猛攻をかけてきたら、間違いなく41人の誰かが絡んでいる」

 

「……済まないが、もう少しゆっくりと話を進めてもらいたい。ここに来てようやく、君の言いたいことを把握してきたのでね」

 

 少年の頭蓋内にある脳が、回転を急加速しているのが見えた。

 

「魔導王の妃殿は、騒乱を必然とする根拠がおありのようだ。よろしければお聞かせ願いたい。帰還する41人の全てが異形種で、大蛇と同様に好き勝手にするプレイヤーとしてもだ、なぜ戦争の可能性を示唆するのかね。ここを治めているのは君たちの王、友好ギルドの最高責任者である魔導王なのだろう」

 

 私は一呼吸明けてから、相手が聞き逃さないように口調を落ち着けて話し始めた。

 

「私の記憶が確かだとして、皆がアインズ様を頂点だと認めている。だが、それは重要な問題ではない。41人のうち、魔導国に戦争を仕掛けそうな者は15人、自分の国を建国して大戦争を巻き起こしそうなものは10人以下、魔導国の平和を掻き乱す者は15人弱、世界最強の魔力を持つアインズ様より強い者は10名強。これを聞いても同じことが言える?」

 

 話が進むにつれ、少年は眉をひそめ、ロクシーが口を開いて硬直した。取り繕っているラナーでさえ、一筋の冷や汗を流していた。アインズ様がいれば丸く収まるという理論は、あくまでナザリック側の視点においてであり、現地生物である人間や異形種の安全の一切が保証されていない。

 

「もうわかったでしょう。この世界を箱庭に例えれば、魔導国は楽しそうな舞台。誰かが世界征服に手を出そうとする可能性は狂っているほど高い。彼らがその気になれば、我々でさえ束になっても敵わない。最強の竜王、白金を以てしてもあまりに頼りない。かくて世界の均衡は崩れ去り、41人がひとしきり楽しんだ後には荒れ果てた土地と絶滅した種族の亡骸が遺され、新時代の幕開けとなる」

 

「魔導王はそれを黙って見過ごすような性格では――」

「そうです! 何の得があるのですか!? せ、せっかくアインズ様と皇帝が友好関係を結び、相互利益のために協力する関係を構築したというのに!」

 

 ロクシーが竜王に割り込んで語尾を強めた。帝国の危機とあれば、冷静でいられまい。

 

「これから話す内容は他言無用。外部へ漏れたら命が無いと知りなさい」

 

 三名が頷いたのを確認し、私は話を続けた。話し過ぎだと脳で警報が鳴ったが、なりふり構っていられる状況ではない。私だけが、既に十分な苦労を味わっているのだ。

 

「アインズ様が優先するのは41人の仲間のみ。天秤の片方に41人の1人でも乗せてしまえば、もう片方へこの星を乗せても釣り合わない。己の全てだけでなく、世界の全て、宇宙の全てを犠牲にしても、41人の対価には軽すぎる」

「く……くく、狂ってます! 世界が滅びてしまう! 帝国が……バハルス帝国が!」

 

 ロクシーの理解は取り乱せるほど追いついた。

 

「あら……まぁ。大蛇様にここまで掻き乱される私たちには、抗う術がありませんわねぇ」

「ら、ラナー王女様! 笑い事ではありません!」

「落ち着いてください、ロクシー。あなたが取り乱して帝都へ帰れば、思い込みの激しい皇帝陛下は私に何かされたと思われますわよ」

「うぅ……うぅぅ」

 

 安全圏にいるラナーは、世界の破滅さえも他人事だ。いなされたロクシーは力を失ってソファーへ腰を下ろした。座ったというより、力を失ったという方が相応しい。

 

「それに、重要なのは41人が戻ってくるという点ではないのですよ、ロクシー」

「……はい?」

 

 ラナーのいう通りだ。私も唇とのどを潤し、虹色の少年へ問いかけた。

 

「七彩の竜王、大蛇はナザリック内における武力の序列、何番目だと思う?」

「ふむ……考察する情報が少ないが、戦士系の職業だと考えれば、純粋な闘争のみで素早さは上位に入るだろう。悪くて中の下、良くて中の上……20番前後か」

「36番」

「……低すぎる」

 

「その下にいる5名は生産系の職業を取っているだけのこと。しかし、場合によってはいともたやすく覆せる知能がある。大蛇の知能は下の下。41人中、41番目といっても過言ではないが、実年齢の若さという要素も大きい。若さは考えなしに突っ走ってしまう」

 

 ラナーが咳払いをして私の視線を呼び寄せた。

 

「アルベド様。もっとも不安なのは、これより戻られる41人の方々ではなく、大蛇様が管理者であるという点ですね。世界への御配慮や、こちらへの気遣いなどはしていただけそうにありませんもの」

「私も同感だ。世界に煉獄が頻発するようなことがあってはならない」

 

 ロクシーはここで論点に気が付いたようで、顎に指をあてて考えていたが、遅すぎる。

 

「蛇が世界へ本格的にアプローチを開始してしまえば、誰にも止められない。古代バビロニアですら、ヒッタイトの猛攻を防ぐことはできなかった。次元を超越した大蛇に干渉する術はなく、彼が紡いでいく運命に対して覚悟を決めるしかない」

「死してなお恐ろしい厄介者(トリックスター)だ。こちらを眺めている大蛇に、欠片でも善意が残っているとありがたいのだが」

「先日、41人の2名が帰還したのだけど、危なくスレイン法国は歴史から消えるところだったわ」

「ラキュースでも止められないのでしょうか。連れて行ったのはそういう理由ではないのですか」

「あまり関係ないみたいね。今の私は、大蛇に再戦を申し出てやりたい。後始末は全て私がやる羽目になったのだから」

 

 思い出しても腹が立つ。アインズ様が全てを丸く収めたからいいものを、あと僅かでも誤差が生じていれば法国は滅び、余波は世界中に広がっていた。そうなれば白金の竜王も動き、八欲王を越える血みどろの紛争劇に発展した可能性だってあった。私はアインズ様と過ごす貴重な時間を犠牲にしたばかりか、御方としばらく離れ離れになる羽目になったのだ。

 

 出会い頭に蛇の頭部を全力でぶん殴ってやりたいのは、混じりっ気のない本心だ。

 

「至高の41人の帰還とは、世界最強のアインズ様と互角以上に渡り合える41人の化け物が、大蛇が面白そうだと判断した舞台で世界に顕現し、世界を暴れまわるということ……これを最悪と言わずに何とする」

 

「まぁ……それでは、魔導国と交易のない聖王国、帝国の北方に位置するカルサナス都市国家連合は最高の舞台ですわね」

 

「特に聖王国はスレイン法国と宗派の違う宗教国家だ。宗教の嫌いな蛇は、彼の国が滅んでも構わないくらいの舞台を作るに違いない。それはそれで面白そうではあるのだが、演壇に登ろうとは思えんな」

 

「生贄には最適とも言える。最強最悪の四人が顕現するに、これ以上、相応しい舞台はない。世界最強の戦士職と世界最強も魔法職は、顕現する舞台を誤ればこちらにまで被害が及ぶ」

 

「聖王国は歴史から消えてしまうのですね。……悲しいですわ」

 

「赤の女王説が唱えるように、進化し続けなければ淘汰されるは無上の(ことわり)、宇宙の絶対真理だ。演者からすれば耐えがたい生き地獄だが、全力で生き抜いてこそ進化がもたらされよう。閉鎖的な宗教国家である彼の国には相応しき、蛇の試練ともいえる」

 

「地獄すら生温く感じるに違いないわね。さぞや、生きながら肝臓を禿鷲(はげわし)(ついば)まれたコーカサス山のプロメテウスが羨ましく思えるでしょう」

 

 虹色はプレイヤーの厄介さを改めて痛感し、ラナーは犠牲者の苦労を憂いて嘆き、ロクシーは至高の41人を皇帝の妃にと申し出たことを後悔していた。心なしか、体が芯から震えているように見える。私は白々しい演技(ロールプレイ)を行う二人を無視し、改めてロクシーを眺めた。

 

「ロクシー……だったわね? あなたは以前、アインズ様の盟友を皇帝の妃にどうかと申し出たと聞いているわ」

「い、いえ、滅相もございません! 私はただ帝国の繁栄を――」

「そちらは迅速かつ短期間で進めなさい。もはや時間に猶予はない。女性三名の人相書きを優先して送るわ」

 

 彼女は口を開いて固まった。本日二度目の硬直で、理解が追い付くには他者の手助けが必要だ。ラナーへ目配せをすると、彼女が口を開いた。

 

「素晴らしいですわ、アルベド様! 愛が世界を救うのですね!」

「愛とは相手の行動に制限を与えるもの。私がそうであったように、至高の41人も愛で束縛すればいい」

「ぇ……えぇー……?」

「41人は圧倒的に男性が多いけど、女性も三名……いえ、四名もいる。特別な美男美女を見繕っておきなさい。先に言っておくけど、女性を一人の男性が娶るのは不可能よ。彼らの世界では一夫一妻が基本なの」

「あ……はぁ……」

 

 事態の好転を悟ったのか、彼女は自分の内側と相談を始めた。これで少しは気分も上を向くだろう。ラナーは楽しそうに話しを続けた。

 

「王都の戦士長様や、ブレイン・アングラウス様はいかがでしょうか」

「あれは駄目ね。ガゼフは奥手すぎて期待できず、見た目も美男子とは呼べない。ブレインは決まった相手がいる。皇帝という線が固いのだけど、誰にあてがうべきかしら」

「あぁ……いえ、そんな……」

「41人の皆様は互いに恋仲にはならないのですか?」

「それは難しいわね。種族も多種多様だし、容姿も差があり過ぎる。人間化して誤魔化したとしても、異形種は辞められない。エルフやダークエルフなら可能性が高いわ。美的嗜好が人間に近く、総じて美形が多い」

「もしかすると……人間化させたドラゴンというのも……」

「それは面白そうねぇ……」

 

 私たちの輝く視線は虹色の少年に向けられた。口を引き裂いた笑顔で、四つ並んだ黄金の視線に全身をくまなく値踏され、居心地が悪くなった竜王は腰をもぞもぞと動かしていた。

 

「生憎だが、私には興味がない」

「後妻を取ることを考えなさい」

「そうですわ。竜王様ともあろう御方が、数百年前に先立たれた奥方に執着しているなど、他の種族に顔向けできませんもの」

「他の竜王と同様に、私を放っておいていただきたい……」

 

 視界の端で、ロクシーが青い顔をして帝国の未来と皇帝の貞操を心配していた。種族の相性が悪く、皇帝のお世継ぎが産めなくなる最悪の悲劇だけはどうしても避けなければならないと考えているのだろう。立ち去ろうにも、二人の魔女が相手では簡単に立ち去ることもできずに困り果てている。

 

 この場は二人の魔女が支配しているのだ。

 

「どうしよう……」

 

 創造主(ゲームマスター)をヤトノカミとする物語は、始まったばかりだ。

 

 

 

 

 どこの誰であっても知ることのできない事象が存在する。それは神の意志あり、あるいは運命の予定表から僅かに逸れる未来かもしれないし、案外と凡人の失敗の可能性もある。

 

 今日も図書館の形をした異次元で馬鹿が叫んだ。

 

「あああああ! 弐式炎雷さんの転移先が地獄だ! うわああ、やっちまったよ!」

 

 二人の女性はため息を吐いた。今日も彼は元気なのだと、それだけわかれば問題ない。女性は女性で大事な話がある。

 

「はぁ……」

「はぁー……放っておきましょう。いつものことよ」

「お前らもっと心配しろよ! ナーベラルの創造主だぞ! もうきっとタブン、人間嫌いが行き過ぎて世界を暴れまわるって!」

「レイナはどこがいいの?」

「私はこれがいいかな」

「あら……そうなの。てっきり、次は第一夫人かと思ったのだけど」

「試練は多い方が面白い」

「そういう気があるのかしら……」

 

 二人の婦人にヤトの失敗を慰める気配はない。それどころか、まともに相手をしてくれる気配すら見られない。

 

「お前らもっと心配しろよ! 魔導国崩壊の危機だぞ!」

「あなたのせいでいつも滅亡の危機よ。アルベド様がどれほど怒っていたか忘れたの?」

「ん……いや、知っててやるのと、知らずにやるのじゃ意味が――」

「定例通りにアインズ様が何とかするから」

「そうだな、アインズ様ならどうにでもする」

「またアルベドに怒られるな……」

「本気で心配なら、もう少しどの順番で呼ぶかを真剣に考えなさい。それより、私たちの未来が決まったのよ」

「……なに言ってんだ、こいつは」

「つまり、魂には耐久年数があって、私たちはこのままだと消滅を――」

「妄想、お疲れ」

「……」

 

 頭にたん瘤を作り上げ、足が痺れるほど正座して聞かされた中二病の御高説に依れば、魂だけとなった彼らの行き先は、消滅と転生の二択しかない。人間一人の魂には耐久年数が存在し、時間の経過につれてレコードのように擦り切れていき、徐々に記憶と自我を失ってから消滅し、最後は永遠の闇が訪れるのだと、独裁者(ラキュース)が片手に持った分厚い書物に書いてあった。

 

「つまり、新たな物語の世界へ生まれ変わればいいのよ」

「う……ああーと……いや、二人は何とか元の世界で転生をしてくれ。俺は疲れたわ……」

「失敗でしょげてるわね……。転生がしたいんじゃないの。あなたと一緒にいたいだけなの。わかる?」

「もういいよ。飽きるほど抱いたし。ちょっと他のエロ本も読みた――」

「ちょっとそこに正座しろ、こら」

 

 ヤトの失言癖は死んでも治らなかった。懇々と正妻から説教をされた結果、生まれ変わってまた出会うという一択を選ばされた。そもそも他に選択権がない。他の女に目移りする猶予は与えられない。

 

「私たちは何度でも違う世界に転生して、何度でも出会い、愛し合えばいい。愛こそ世界の全て……愛が世界を救う」

 

(もうこれは宗教だな……中学二年生教だ、やっべー奴だ)

 

 両手を組み合わせ、恍惚とした表情で天井を見上げるラキュースに、さすがのヤトも黙っていた。彼女は自分の言葉に酔いしれている。全身から妖しい光を放っている薔薇の妃を無視して、レイナースがいくつかの本を並べた。

 

「私が二周目の人生に相応しい舞台を見繕っておいた。後で目を通すように」

 

 すかさずラキュースが赤い本を取り出す。

 

「私の希望はこれよ」

「《毒牙の夜鏡戦記》? ……内容は?」

「ええと、ちょっと待ってね……人類が増え過ぎた人口を鏡へ移動させてから十余年、”猟犬”と呼ばれる異形が鏡面世界と現実世界の境界に潜み、人間たちは安住の地を求めて異形たちと戦争を――」

「パス」

「最後まで聞きなさい」

「パス! パス! パァァァス! 頼むから、次は平和な世界にしてくれよ……もう虐殺ばかりで疲れたんだって……」

「そう? 面白いのに………ねぇ、本当に面白いのよ? ……うぅん……面白いんだってば」

「うるせえな!」

 

 産業廃棄物のような不満を、薄めの唇を排水溝の土管代わりにして垂れ流していた。今度は自分の番だとばかりに、レイナースが顔を上げて嬉しそうに本を放り投げた。受け取った本は妙に分厚かったが、それよりも背筋に怖気が走った。

 

「ぅうっ、何だこの本は、手に持っただけで寒気が…………《魔物創世記(ジェネシス)》?」

「私が異形種になれるから、この世界がいいな。あなたの種族、モルボル・ワーストって何だろう……知ってる?」

「いや、先に内容はよ」

「ええと、ちょっと待って、ノートにまとめてあるから」

「……変な奴だな」

 

 レイナースはごそごそとノートを弄り、演説よろしくあらすじを語った。

 

《零細企業の役員である《永井 夜》、彼の子供は生まれてから二年で物言わぬ肉塊となった。酒と絶望に浸かる日々を過ごす彼に仮面の男が取引を申し出る。ナイトヘッドと名乗った男は、異世界で九尾の狐を捕まえてくれれば、植物娘を人間に戻してやると言った。夜が子どものために異世界に飛んだとき、臓物の憎悪が増殖する悪夢のスーパーセルが人間たちへ降り注ぐ。2度と読み返したくないこと受け合い、胸糞の悪さに気分を害すこと必至、異世界に明けることなき夜が訪れる》

 

 内容の酷さに物を言う気になれず、ヤトはレイナースの顔色を窺っていた。目が合うと、嬉しそうに笑ったので無言の抗議を諦め、話を先に進めた。

 

「………逆に聞くが、なぜ俺がそれを選ぶと思ったんだ。お前はアホなのか?」

「二人を娶るにはやはりファンタジー系しかない。私の配役は現地妻なんだぞ。この内容もお前にぴったりだろう。興味が湧いてきたか?」

「お前の役名、オークの姫と書いてあるが……あ、わかった! メス豚と言いたいんだな!」

 

 ヤトの意識は本気で怒ったレイナースの拳骨で途切れた。

 

 

 一時間後、頭部に巨大なたん瘤を作って不貞腐れたヤトと、ラキュースが平行線の議論を交わしていた。

 

「さあ、どちらを選ぶの? やっぱり、鏡でしょ!?」

「平和な世界は無いのかよ……どっちを選んでも結局、またクトゥルフ神話絡んでるじゃんよ。立ち食い蕎麦屋で猫型ロボットが店番するみたいな話は無いのか」

「あるわよ」

「あんのかよ……」

 

 レイナースが丸い狸の描かれた本を投げ寄越した。存在しない前提で言ったヤトは、本を見ずに机に置いた。

 

「読まないのか?」

「いや、つまり、俺が言いたいのはそういうことじゃなくて。もういいじゃん。生まれ変わらなくても」

「じゃ、死ぬの? あと三百年で永遠の闇が来るわよ」

「……うぅん……生まれ変わるのはわかったからさ、普通に結婚して子供産んで死ぬだけの物語はないのか」

「冒険しない物語は物語にあらず!」

「うっせー、中二病が」

 

 ラキュースは筆箱を電話に見立てて耳に押し当てた。小声で呟いたが、至近距離では内容がまるまると聞こえた。

 

「私よ、蛇は因果律の収束に背こうとしている。……大丈夫だ、問題ない。それはこちらでどうにでもする。そちらも健闘を祈る。ラ・ヨダソウ・スティアーナ」

「そこの中二病! 見てて痛々しいから止めろよ馬鹿女!」

「やっぱり、種族に関係なく、現地で一緒にいられる時間が長い方がいいと思うのだ。最初は地獄のようだけど、結局は今と変わらないイチャイチャと――」

「初めから平和な世界を選べよ!」

「起承転結がないとつまらないぞ」

「断固拒否! このマゾ女めが!」

「失礼な!」

「し……しつレイナ?」

 

 二周目をどこにするかという議論は、数10年以上も平行線を巡り続けた。

 

「あなたの種族はイソギンチャクらしいわよ」

「やっぱやめようか……」

「あなたじゃなきゃ、救えない人がいるから……お願い」

「……じゃ、いいよ、それで」

 

 結局、レイナースの懇願が採用され、ヤトは地獄を選ばされた。

 

 

 

 

 まだ夏の暑さがほのかに残る初秋、魔導国王都の4番街にある喫茶店にいた。大蛇が世界から消えて、12回目の秋が来る。

 

 昨晩、手紙を受け取った私は、大蛇の意向通りに動いていた。散々、辛酸を舐めさせられたので素直に従うのは腹立たしいが、これは魔導国の未来にも関係することだと自分に言い訳を続けた。蛇の娘は魔導国の次期女王なのだ。

 

 純白のドレスの私を、若いウェイトレスはテラスに通してくれた。見栄えが良いから客寄せパンダに使われているようで、少しだけ腹が立った。私の美貌はアインズ様だけのもの。卑しく下賤な人間どもに見せてやる必要はないのだ。

 

「ご注文は何になさいますか」

「キャラメル・ラキヤト」

「はい、畏まりました。少々お待ちくださいませ」

 

 コーヒーに似た飲み物は想定以上に甘く、舌が灼けつきそうだった。私は学校の校長をしている帝国の主席魔法詠唱者、フールーダから上げられた報告書に目を通した。どうやら、薔薇と蛇の落とし子はどこかの貴族の跡取り息子を袋叩きにしたらしい。今の彼女の実力は低く見積もってもアダマンタイト級で、平和ぼけした貴族の子供など物の数ではない。

 

「……そっくりですよ、蛇さん」

 

 報告書はさっさと丸めてしまった。自室から持ち出した本を広げ、適当に流し読みを始めた。こうして過去を振り返って痛感するが、アインズ様はいつもつれない。だからこそ、追いかける方も過剰な力が入る。今度は待ち伏せをして落とし穴でも――

 

「あのー……校長から言われて来たんすけどぉ」

 

 金髪ボブカットの少女が、辛気臭い顔でテーブルの傍らに立っていた。どうにもアインズ様のことになると周りが見えなくなる。私は読んでいた本を閉じ、彼女を眺めた。

 

「シャルロッティ・ラヴクラフト・アインドラで間違いないわね? そちらへ座りなさい」

「はぁ……何でしょーか。お説教スか?」

 

 少女は面倒くさそうに腰かけた。容姿は端麗でありながら、所作が中年男性のようで若さを感じない。首の辺りで外はねしている金髪も、頭頂部は寝癖が立っている。身なりを整え、貴族らしく振る舞えば美人だろうに。

 

「貴族の子供たちを袋叩きにしたそうね。弁明をしなさい」

「えー……やっぱりお説教じゃん……メンドクセ」

「なぜ生かして帰したの?」

「はぁ?」

 

 理由は聞いている。

 

 フールーダの報告書は裏付け調査がなされていた。彼女は孤児院出身の友達を、貴族という権力を笠に着せて苛める少年が我慢ならなかったのだ。邪神の落とし子は容赦なく彼らへ暴行を加え、全治数か月の手傷を負わせた。その傷も回復薬があれば一日で治る。大蛇なら直情的にその場で頭を吹っ飛ばしていたはずだ。

 

「もう一度、聞くわね。なぜ生かして帰したの?」

「……だって、殺す意味ないし」

「あなたのお父様なら、きっとその場で殺したわ」

 

 今年で12歳になる少女は目を見開いた。立ち上がって身を乗り出し、テーブルを叩いて私を問い詰めようとする。会ったこともないのに、所作の細かいところまで親によく似るものだと感心した。

 

「お父様のこと知ってるの!?」

「ええ、恐らく他の誰よりも」

「まさかおばさんが私の――」

 

 私は椅子に座ったまま、長柄斧(バルディッシュ)を地面に振り下ろした。石が砕け散る音が響き、石畳の地面に刃が埋まった。周囲の視線を独占し、私は美しさを保ちながら微笑んだが、こめかみがぴくぴくと痙攣するのが分かった。

 

「お姉さんは許してあげる」

「おば――」

 

 確信犯で2回目を呼ぼうとしたのを制するべく、私は全身から殺気を放った。

 

「蛇のクソガキが……2度は無いぞ」

「はい……すんません」

 

 アダマンタイト級程度の子供(ガキ)の躾など造作もない。紫色の殺気で彼女は大人しくなった。普段からそうしていれば、容姿相応の評価を貰えるだろうに。

 

「私はあなたの母ではない。あなたの両親は異次元からこちらを見ているわよ、シャルロッティ」

「……どこに行けば会えますか」

「それはできない。異次元に行くことは、あなたが世界から消滅することを意味する。それはご両親も望まないでしょう」

 

 私は自室から持ち出した本を取り出し、机を滑らせた。

 

「なんでしょうか」

「あなたの両親の物語。家に帰ってゆっくり読みなさい」

「……読書っすか。正直、メンドク――」

 

 私は微笑んだまま、殺気で彼女の文句を押し戻した。超特急で言葉が胃の臓腑へ帰っていくのが見えた。

 

「黙って言うことを聞きなさい。私も彼らの可愛い落とし子を殺したくはないし、あなたもその年で涅槃(ニルヴァーナ)に至るのは御免でしょう。あなたは我らナザリック地下大墳墓の子も同然なのだから」

「……」

「その本はあなたにあげるわ。活字を読まないと、知性は上がらないわよ、馬鹿娘さん。たまには読書も悪くない。それが自分に関係する物語ならなおさらよ。あなたの御父様はたいそう知性が低くて苦労されたのだから」

「……はぁい」

 

 私がカップに口を付けたとき、背中から声が掛けられた。

 

「アルベド?」

 

 危なく飲み物を吐き出すところだった。アインズ様が扮する漆黒の全身鎧のモモンが、首を傾げて私を見ていた。子供たちや暇な女性たちが嬉しそうに英雄の後を追いかけ、長蛇の列ができていた。理由は不明だが、犬や猫、蛇まで付き従えているのはどういうわけだ。

 

 私は身分を隠しているアインズ様へ跪くべきか迷った。

 

「モ……」

「ああ、そうか……この姿だとややこしいな。モモンと呼んでくれ」

「モモン様、今日はどうしてこちらへ」

「冒険者を正式に引退する。いつまでも私を頼られても困る。冒険者組合の仕事に時間を取られてはいられない」

「左様でございますか」

「モモさーん! 早く行きましょうよー!」

 

 アインズ様の遠方で、帰還した盟友が呼んでいる。彼はそちらへ答えず、退屈そうに本のページをめくる少女を凝視していた。鎧頭部に入ったスリットから赤い光が漏れているので、注目しているのがわかった。

 

「そちらは?」

「魔導国の学校に通う貴族の娘で、素行不良ですが実力のある少女です」

「……ほう」

「シャル、挨拶を」

「んあ?」

「魔導国の冒険者、漆黒の英雄、モモン様よ」

 

 それ以上の言葉は必要なかった。アインズ様は気怠そうな少女を凝視し続け、彼女は突き刺さる沈黙の視線に、居心地悪そうに腰をもぞもぞと動かした。

 

「シャル……?」

「シャル、挨拶なさい」

「あーと……あの、初めまして。アインドラ家のシャルロッティです」

 

 上目遣いでお辞儀をした。

 

「シャル……か」

「……あ、はい。初めましてッスよね?」

「……いや……気のせいだ。以前に会ったような気がしたのだが、私の勘違いだ。アルベド、私はこれで」

「はい、ごきげんよう」

 

 彼が蛇の記憶を取り戻したのか定かではない。41人が帰還してからというもの、彼は人目の多い場所で自分のことを話さなくなった。回りに性格の濃いものが集まれば当然で、いかにも彼らしいが、それは寂しくもある。妻の私には話してくれてもいいのに。

 

 マントをたなびかせ、一般市民や犬猫、蛇の従者を引き連れ、アインズ様は去っていった。私も後を追わなくてはならない。

 

「ふわー……あれが英雄かぁ。初めて見た」

「あなたの御父上も英雄よ。誰も覚えていない、限られた者だけが知っている、世界に平和をもたらした功労者。誇りに思いなさい」

「……そんなの……親じゃないもん」

 

 彼女の瞳が急激に潤った。

 

「その本を読み終えてから、両親を大声で呼びなさい。彼らはきっと、あなたを異次元から見ている」

「……本当?」

「手紙くらいは送ってくれるわ。あなたの両親と叔母の魂はまだ生きているのだから。今日だって、彼らから頼まれてここにいるのよ」

 

 僅かに眼球を潤した水分を拭い、彼女は本を大事に抱えた。これで私に任された仕事は終わった。親がいなくて性格がねじくれるのは仕方がないが、修正を私に頼むのは金輪際、止めてもらいたい。

 

「それじゃあね、薔薇と蛇の御子さん」

「あ、ありがとう……アルベド……さん」

 

 地面に突き立ったままで待機している長柄斧(バルディッシュ)を引っこ抜き、石畳を引き摺りながら待機させていた馬車に乗り込んだ。

 

「冒険者組合へ急いで」

「畏まりました、アルベド様」

 

 8本脚の軍馬(スレイプニル)はすぐに走り出した。私も身分を隠すために馬車の中で黒い全身鎧に着替え、アインズ様の後を追った。

 

「蛇様……子煩悩も大概になさってください。あとはご自分でなさってくださいな」

 

 今回の任務を異次元から頼んできた大蛇へ文句を言うのを忘れなかった。彼女に両親からの手紙が届いたか私の知るところではないが、フールーダから上がってくる彼女の素行不良は少しだけ緩和された。

 

 

 

 

 アルベドは怒っていたが、ヤトはヤトなりに全力を尽くしていた。振り回され、掻き乱され、アインズと夫婦の絆を深める猶予も与えられないアルベドの怒りは、それでも劇中からひしひしと感じた。

 

 41人が帰還し、娘が子を産み、その子が成長して魔導国を継ぎ、命のたすきを渡して役目を終えたヤトの娘は大往生して息を引き取った。ここまでおよそ100年強。アインズの物語も結末が見えてきた。異次元では、見た目が20歳前後の青年と二人の妻たちが、部屋を片付けて立ち去る準備をしていた。彼らもまた、自分に課した役目を終えた。

 

「つかれたぁー……別に掃除しなくてもいいじゃん」

「だめ。あなたのために作られた部屋なんだから」

 

 元いた世界への干渉は、随分と前にやめていた。

 

「生まれ変わる前に、もう一度だけ羽毛布団で寝てもいい?」

「はい、どうぞ」

「わー……はぁー……気持ちいいぃ」

 

 高級羽毛布団の感触に包まれ、必要もないのにヤトは快眠へ()ちた。その隙を見てラキュースは机に向かい、デバッグモードを立ち上げる。

 

「ラキュース?」

「ちょっと、手紙でも書こうかと思って」

「シャルはもう死んじゃってるけど……」

「会ったことのない、これからも会わない、決して会うことのない人に」

「そう……? 奴が起きたら行こう、次の人生へ。私も支度をしておく」

 

 立ち上げられたデバッグモードはマスターコードを変更し、干渉する世界を変更された。打ち込まれた数式はすぐに世界へ干渉を始める。数式は原子構造を造り替えて手紙となり、うら若き女性の私室へ顕現した。

 

 美しい女性は急に出現した手紙を不審に思い周囲を見渡すが、誰もいないのを確認して封を開いた。

 

 

《拝啓、決して会うことのない、親愛なるあなたへ》

 

《あなたはもうすぐ恋仲になる相手と結婚し、玉のように可愛い子を産みます》

 

《望んでいたあなたの大冒険は、子供が病気になってから始まります》

 

《どんなに辛い出来事が待っていようと、諦めてはいけません。あなたの未来の夫は、家族のために命を平気で捨てるような男です》

 

《それは幸せなことでありながら、不幸なことでもあります。愛する人が自分の命を大事にしないというのは、家族のためであっても悲しいことです》

 

《あなたなら、彼を助けられます。きっと、終わることのない”夜”に薔薇の芳香となって道を指し示すでしょう》

 

《あなたの人生が幸せで溢れるように祈っています》

 

《ラキュース・アルベイン・アインドラより》

 

 

                     《――決して会うことのない(あなた)へ》

 

 

 若く美しい女性は、手紙を宝箱へしまい込んだ。

 

 異次元の図書館に、誰にも読まれることない一冊の物語が生まれるのは、今しばらく先のこと。

 

 全力で己が生を全うしようとする彼らは、自ら進んで異世界に足を踏み入れる。

 

 そこが地獄であると知りながら。

 

 彼らが立ち去った部屋は空間が歪み、知識の塊というあるべき概念の姿に戻った。彼らがそこにいた痕跡は何一つとして残されていない。それから数十年の月日が過ぎ、新たに生を受けたラキュースとヤトは至極当然に出会った。

 

 

「初めまして、永井 夜さ、さ、夜くん。園芸部に入りませんか?」

「ヒロインがいる……」

 

 

 彼らの舞台は、新しく一からはじまる。

 

 

 

 




 これ以降の話は、オリ主タグの必要なし。オリキャラは即退場の原則。

 この物語は、122話目から読んでも話が通じる物語。



蛇足
1話~121話まで通しての設定です。

・この物語は、書籍《オーバーロード》と《メルキオールの惨劇》を元に作られています。
・作者は善人の皮を被った邪悪です(という悪寄り中二病です)
・これまで引いたダイス結果が、大小に関係なく一つでも違っていればこの結末にはなりません。作者は文章全体を覆う雰囲気も、ヤトの生死も、世界の未来さえもまったく違う結末を二つほど用意していましたが、全部、蛇骨に踏み潰されましたヨ。

その他もろもろ
・魔導国編でイビルアイが立てたフラグ、真実が常に正しいとは限らないは、ヤトの死で回収。アルベド、パンドラの反乱フラグも回収し消滅。最初に帰還するのは姉と弟固定。人間化アイテムは未開発。試作品はヘロヘロが使い切った。ヤトの娘の婚約者はビーストマン編でヤトの代わりに泣いていた赤子。ラヴクラフト×ラヴレスでラブ×ラブ=クラフト×レス



 次章、仕業編

「世界が終わるまで」



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