モモンガさん、世界征服しないってよ   作:用具 操十雄

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長いんで半分に分けますね。


嘘つきハスターと夢見るイグ ―前編―

 

 Preces meae non sunt dignae(私の祈りは値打ちのある者ではないが)sed tu bonus fac benigne(汝は優しく好意を示したまえ)ne perenni cremer igne(私が永遠の炎に焼かれぬように)

 

 

 

 ―――俺の夢は唐突に終わった。

 

 

 目を開くと周りは霧で埋め尽くされ、周囲の景色は少し先も見通せない。頭を起こすと、周りの景色に反して脳が透き通っていた。俺の体から力が湧いてくる。カッツェ平野の霧の中に潜む大量のアンデッドの姿が見えないのが不思議だ。生き物(ナマモノ)の俺が寝そべっているのに、何の反応も起こさない。

 

 濃霧をかき分け、視界の上から黄色いのが落ちてきた。

 

「お? お疲れ……って、おい」

 

 ぐしゃっと音が鳴って顔面から着地した。トレードマークの黄色い外套(ローブ)はボロボロに破れ、あちこちに空いた穴から蠕動する触手が見えた。蛇になってから細長くてうにょうにょと動き回るものが苦手だ。グロテスクな画像を無理矢理に見せつけられたようで気分を害した。

 

「……なんだその格好は。誰にやられたんだ」

 

 奴は片手をあげ、何でもないという素振りをした。

 

 思い起こせば、俺がカッツェ平野に来てから5日目。奴は言伝をつたえるためだけに、眠り続ける俺の夢に接続してきた。

 

《改造は終わった。私は所用で席を外すが、力の行使は禁物だ。馴染む前に無茶をすれば、体が溶けてしまう》

 

 俺は指輪を外して眠り続けていたので関係ない。

 

 改めて黄色いのを眺めれば、白い仮面に大きな亀裂が入っていた。なるべくなら仮面の下の顔を見るのは御免被りたかった。

 

「これから魔王が来るんだろ? なに遊んでんだ、お前は」

 

《魔王の降臨はない。必要なアイテムは消えた》

 

「……あぁ?」

 

 頭の芯が怒りで固まったが、同じくらいに湧き上がる明るい未来。意見を180度も反転してきたことで、怒りと同じくらいに期待した。俺は何のために犠牲になる決意をしたんだという疑問と怒りはあるが、魔王がいないなら家に帰ればいい。過度に浮かれないように気を付けて話した。

 

「お前なにを……いや、なに言ってるか分かってんのか?」

 

《魔王が顕現するためには自動操縦の全身鎧を奪い、カルネ村のネムを昏睡状態に変えて攫い、幽霊船に装着すれば魔王の完成だが………私は、失敗した》

 

「……ネムに何をした」

 

 俺の声は自分で思う以上に(くら)く、冷たかった。

 

《魂を奪った》

 

 怒り過ぎた俺の口端から唾液が泡立った。ゆらりと立ち上がった俺は大鎌を振り上げ、奴の顔面へ叩き込む準備をした。

 

「おい、よく聞けよ、がらくた野郎。慎重に言葉を選べ。迂闊に言葉の選択を間違ってぶっ壊されても知らねえからな。ネムを殺したのか?」

 

《少し違う。彼女とは取引をした。私は恐怖におびえる彼女の魂を奪い、最後の願いも聞き届けた》

 

「だから、わかるように話せよ。お前は、俺に何をさせたいんだ」

 

《私はお前の決定に従う。今の私は耐久力が半分以下だ。その大鎌を頭部に叩き込むだけで破壊できる》

 

 相も変わらずこちらの疑問には答えない。神とは自己中心的にして、人間を対等な知性体だと見ない傲慢な存在だと、この一週間余りで思い知らされた。黄色いのは俺の前に跪き、頭を深く下げた。振り上げた大鎌は行き場を失ったので静かに降りた。

 

「……土下座でもしてるつもりか?」

 

《私の願いは門を開いて彼女と消えることのみ。今となっては遠すぎる。私のシナリオは破壊され、彼女と世界がどうなるのか予測できない。あるいは、これも副王の意志》

 

 俺はため息を吐いた。相変わらずこいつの話はわからないが、どうやら俺は一杯食わされたらしい。魔王がいないなら俺が犠牲になる意味はないので、家に帰ってレイナースを抱き、ラキュースのお腹に耳を当てればいい。

 

《魂を幻夢郷(ドリームランド)へ送る。夢を見終わってから未来を選べ》

 

「お前をぶっ壊してから家に帰るに決まってんだろ。これから子供が生まれるってのに」

 

《ならば私が消えるのみ。それもまた、因果より剥がれ落ちし一枚の鱗》

 

 こいつの態度は常に太々しい。偉そうな立ち位置は変わらず、上から目線で自分の死を受け入れている。壊れかけた自由意志の道具(NPC)のくせに。

 

「口の減らない奴だな。そんで、俺はどうすればいいんだ? もう一度寝ろって言われても眠くねえぞ。五日間も眠ったからな」

 

《全てに繋がり、どこにも繋がっていない場所の近くへ放り込む》

 

 黄色い布が俺に覆いかぶさり、俺は黄色を装備した。大蛇が黄色いマントを羽織った格好になり、俺の内側からMPが無限にわいてくるのを感じた。触手が銀色に光る鍵を取り出し、俺の胸に当てた。見えない鍵穴に差し込まれ、鍵を回せば俺の胸に空洞ができた。俺の意識は胸の風穴へ吸い込まれた。

 

 

 

 

 初めに見えたのは心臓だ。蛇の心臓は左右で分かれておらず、一つの脈打つ小さくて桃色の肉塊だった。視点はその中心に吸い込まれ、俺は自分の心臓を潜った。

 

 次に見えたのはレースのカーテンが幾つも重なって行く手を阻む暗い部屋。カーテンを退けて先に進むと、周囲は闇に包まれた。振り返っても何も見えず、後にも先にも闇が続く。方向感覚を失いながら前に進めば、上から徐々に光が差してくる。特別に明るい場所に出たので太陽でも上ったかと見上げたが、頭上にある巨大な光の玉はそんな生易しいものではなかった。

 

 周囲を飛び交う光の玉は、大きな光を出入りしていた。俺の横を通って吸い込まれるものもあれば、逆に吐き出されて闇へ進むものもある。

 

 背筋に鳥肌が立った。

 

 何か見てはいけないものを見たような得も言われぬ背徳感と危機感、世界の真実を知ってしまった高揚感があった。俺の魂は大きな光の玉へ吸い込まれていった。

 

 突然、光が遮断され、テレビの砂嵐のような異次元を漂った。上下左右という概念さえも存在しない、人間の意識が存在してはならない空間だと、それだけはわかった。体も動かなくなったので砂嵐をぼんやり眺めていると、穏やかな声で誰かが呼びかけた。

 

《問う。友、夫、父、どれを望む》

 

「誰だ?」

 

 一向に返事はない。質問に質問で返したのがまずかったか。俺は取り繕うつもりで言葉を続けた。

 

「名乗る気はないんだな。あんたが深淵の神ってやつか。それとも副王か?」

 

 やはり返事はない。何の根拠もないが、俺が答えるのを待っているような、扉の隅からこちらを窺っている気配を感じた。

 

「決まってんだろ。父だよ。子供が生まれんのに、死んでられるか。まだ子供も抱いてないん――」

 

《アクセス承認》

 

 俺の言葉は遮られ、意識はどこかへ飛んでいく。

 

 今度は目的地へ急ぐように、一直線かつ超特急で進んだ。砂嵐の中、視界の中心に何処かの景色が湧き水のように広がっていく。砂嵐は形と名前のある何かに塗り替えられ、見慣れたナザリックの自室が見えた。

 

 そこに俺がいた。

 

「魔王……か。できれば倒して帰りたいんだけどな」

 

 アイテムボックスへ次々と物資を放り込みながら、大蛇の俺がぼやいた。どうやらこれは、別の世界の俺らしい。少なくともそこにいる俺は、俺の記憶の中の自分自身と何も変わらない。俺を上から眺めるのは妙な感覚だったが、俺には見ること以外、何もできなかった。腕を動かそうとしても、腕が存在しない。視点の回転だけは少しだけできた。

 

 扉が乱暴に開かれ、汗だくのセバスが飛び込んできた。彼にしては珍しく、額から大量の汗を流していた。近寄ると汗臭そうだと思ってしまい、申し訳なく感じた。

 

「ヤトノカミ様! 御子が! 急ぎ、ナザリックの自室へお戻りください!」

「生まれたぁ?」

 

 セバスは別の俺を促して飛び出していった。俺の視点は別の俺の背後からついていく。そうして俺と俺は、憔悴したラキュースのもとへ駆けつけた。子供が寝てると考えず乱暴に扉を開く俺に文句を言ってやりたかった。セバスは気を利かせて扉の外で待った。案の定、レイナースが怒っていた。

 

「しぃ! 馬鹿蛇め、静かにしないと起きちゃうだろう」

「あ、レイナだ。子供は?」

「そこ」

 

 指さした方向、数メートル先。豪華な装飾が施された特注のベビーベッド上に、白いタオルに包まれた小さな赤子が、眉間に皺を寄せて鬱陶しそうに口をもごもごと動かしていた。産毛にも似た柔い髪は真っ黒だ。無垢で清潔感のある子供はとても良い匂いがしそうだ。ラキュースはベッドの上で横たわり、表情はげっそりとしてこれまで見たことない憔悴していた。俺はラキュースの頭を撫でた。

 

「よく頑張ったな」

「あなたにそっくりね」

「髪が黒いな……起こしていい?」

「だめ」

「いいじゃんよ、ほらほら」

 

(てめえ! 蛇の姿でつっつくんじゃない!)

 

 俺の怒鳴り声は声として認識されなかった。蛇の姿で子供の頬を突いたこの馬鹿()のせいで、子供の頬に小さな跡が残ってしまった。蛇の爪は常に伸びている。当然ながら、痛みで子供が泣き始めた。

 

「ふにゃあふにゃあ」

 

 よくわからない怪しげな声を出した。目から流れる涙がなかったら、泣いているとわからなかった。

 

「この馬鹿蛇が……せっかく寝てたのに。おーよしよし、嫌なお父様でちゅねぇ」

 

 ラキュースは産後の肥立ちで憔悴しきっているが、我が子を泣かした夫を目で責めていた。立ち上がれない正妻の代わりに、レイナースは自分の子でもないのに、自分の子であるかのように優しく抱き上げてあやした。子どもはすぐに泣き止んだ。

 

「よかったよかった、泣き止んだな」

「いいから、もう黙っててよ! 近寄るなっ! 馬鹿親父!」

「あ、うん……ごめん」

 

 いつもの俺らしさが無く、塩をぶっかけられたなめくじ並みに素直だ。懲りずに伸ばそうとした指は、レイナースに叩かれて引っ込んだ。こいつは馬鹿なのか。

 

「ほら、お父様でちゅよー」

 

 蛇に肩はないが、肩身が狭そうに突っ立っている俺に、ラキュースが苦笑いをしていた。レイナースは泣き止んだ赤子を近づけてくれた。猿に似た赤子はつぶらな瞳で俺を見ていた。大蛇の姿なので泣き出さないかとひやひやしたが、赤子はにへらと笑った。俺が指を差し出すと、生後0か月の小さな手を伸ばし、俺の指を掴んだ。俺は、俺と赤子が見つめ合っているのを俺の隣で眺めた。

 

 子供の頬に水滴が落ちた。

 

「あっ」

 

 大蛇の両目から涙が流れていた。俺は鱗のついた手の甲で涙を拭き、誤魔化すように口角を歪めた。しかし、涙は出の悪いスプリンクラーのように流れ続けている。

 

「海亀は産卵で泣くって言うから。まぁ、こんなこともあるだろ」

「無いと思う」

 

 レイナースはこれまで見たどの笑みよりも優しく微笑んだ。俺だって見たことない笑顔で。

 

「あなたも、やっぱり人の子なのね」

 

 ラキュースも優しく微笑んでいた。俺からの返事はない。想像だが、俺は自分が何を考えているのかわかった。僅かに震えている俺は、自分の子供と話していた。

 

(生きていていいよ)

「そうか……ありがとう」

 

 俺は返事をしたが、二人には何のことかわからなかったので顔を見合わせていた。

 

「失礼いたします!」

 

 先ほどの俺よろしく、扉が豪快に開け放たれてパンドラが入ってきた。ご丁寧に赤い薔薇の花束を持っていた。俺は慌てて涙を拭いた。

 

「至高の御方の御子、ナザリックの正当なる後継者様にお会いしたく――」

「しぃぃ!」

「ふにゃあふにゃあ」

 

 まるで既視感(デジャヴ)だ。

 

「おぉ、ご機嫌麗しゅう存じます! 薔薇と蛇の御子様! 魔導国、及びナザリック地下大墳墓の次期女王陛下!」

「あーあ、泣いてる」

「パンドラ様、もう少し静かに」

「申し訳ありません。そのように作られているもので」

「パンドラ、反省!」

 

 俺が壁を指さすと、彼は片手をついて猿のように数秒だけ反省してくれた。反省を終えたパンドラはいつもの口調に戻った。

 

「名前はお決まりでございますか」

「自由、という意味の名で何か候補を探しているのですが」

「素晴らしい。まさにヤトノカミ様のご息女に相応しき意味。Lotti(ロッティ)などはいかがでしょう」

「ロッティ・アインドラ?」

「名前には語呂というものがございます。それでは些か、短くも風格が足りなませんね。いかがでしょうか。ミドルネームをアインズ様にお付けいただくというのは。ナザリックと魔導国を背負って立つ御子なのです。ご両名から祝福を授けていただきましょう!」

 

 俺はアインズさんが来て騒々しくなる未来が見えた。

 

「あ、呼ばなくていいからな」

「もうこちらへ向かっていま――」

「ヤト! 名前はラヴクラフトとつけるのがいいぞ!」

 

 扉は再び派手に開かれ、反対側の壁にぶち当たって大きな音を立てた。俺の部屋の扉の扱いの悪さに同情を禁じ得ず、そろそろ壊れるんじゃないかと思われた。子どもの泣き声の音量が最大まで上がった。生後0ヵ月なのに、全力で泣くとそれなりに五月蠅い。獣人(ビーストマン)の牧舎で泣いていた赤子はここまで騒々しくなかったので、血筋の可能性もある。

 

 怨念の塊のようにこちらを睨むレイナースに、全員が肩を竦めた。

 

 やむを得ず、全員が声のトーンを下げて顔を突き合わせ、至近距離でヒソヒソと会話した。

 

「リアルの話だが、1世紀前の女王にシャルロットというのがいたからな。そちらから取るのもいいかもしれん」

「フランスの貴婦人らしさを出すシャルという言葉ですね。ならば、ドイツ語のロッティと合わせて、ファーストネームはシャルロッティがよろしいかと」

「シャルロットでいいじゃん。ロッティって呼びにくい」

「ミドルネームはラヴクラフトでどうだろうか。意味合いとしても、love craft(愛の創造)ならば、魔導国の次期女王に相応しい名前だ」

「いや、次期女王って、甘やかしちゃいけませんぜ」

 

 俺が振り返ると、ラキュースはいつの間にか目を閉じて眠っていた。プレイヤーの子どもを産んだ消耗が激しいようだ。代わりに子供はまだ泣いている。

 

「ラキュース寝ちゃった。名前、それで大丈夫かな」

「産後の肥立ちだ。ヤト、長居は禁物だぞ」

「あんたが名前の話を始めたんでしょうが!」

「シャルロッティ・ラヴクラフト・アインドラ! 自由と愛、まさに魔導国を象徴するに相応しきお言葉です。おぉ御子よ! 我等、ナザリック地下大墳墓の希望! 副神ヤトノカミ様の第一子、慈悲深きアインズ様の加護を受けた選ばれし神の子よ!」

「うるさいって!」

 

 もう誰も遠慮していない。赤子を必死であやしていたレイナースが激怒したのは、至極必然だった。子どもとラキュースのストレスを慮り、レイナースが血管に穴を空けんばかりに激怒した。

 

「全員出て行けえええ!」

 

微小斬撃波(プチスラッシュ)

 

 怒鳴られて三名の体が跳ねあがった直後、誰かの技詠唱が聞こえた。ゴギッと骨でも砕くような音がして、天井へ向けて小さな衝撃波が飛んでいった。衝撃波は天井に届く前に失速し、宙に消えたのを見た。

 

「っ! 痛い……ヤト、助けて……」

「おい! なんだなんだ!」

「なっ、何事だっ!」

 

 レイナースの右腕がへし折れていた。片手だけになっても必死で子供を守り、落とすことはなかった。痛ましいレイナースの右腕は、関節の存在しない場所で曲がっていた。慌てた蛇が回復薬を振りかけ、すぐに彼女の腕は治った。レイナースは困った目で赤子を見た。

 

「……この子が撃ったと思う」

「マジすか」

 

 全員から注目され、赤子はにまーと笑った。赤子だから切れ味が悪かったのか、それとも打撃系に変化したのか不明だが、見ている俺も子供が撃ったと思った。綻ぶ顔が俺の人間形態に似ていた。

 

「末恐ろしいガキだ」

「セバス殿の情報によると既にレベルが1ではないと聞き及んでいます」

「やれやれ……ちゃんと教育しないと大変だな」

「ヤト」

「あいあい?」

「言いにくいのだが…………そろそろ時間だ。出掛けよう」

「ああ、そうッスね……魔王とやらをぶちのめしに行きますか」

 

 俺は赤子の頭を数回だけ撫でて、アインズさんと一緒に部屋を出た。

 

 室外に出てから気付いたが、子どもに一目でも会おうと、ナザリックの僕たちが長蛇の列をなしていた。列の最後尾が見えないほどの長さに、骨と蛇は苦笑いした。「何日だろうと待つ」と、さも当然とばかりに言い放つ部下の根性も筋金入りだ。

 

「必ず帰ってこよう。この子のためにも」

「当たり前でしょ」

 

 俺は、このときの俺がどこまで真剣に帰ろうとしていたのか測れなかった。

 

 

 

 

ロンドンブリッジの君(フォールン・ダウン)

 

 いきなり呪文詠唱と、直後の大爆発から始まった。離れた場所に王都が見え、ここは王都とカルネ村の境目だが、草原は魔法で荒野になっていた。宙に浮いたそれは、とても醜く、おぞましく、気色悪かった。赤い血・黄色い膿・緑の痰など、体液をあちこちから垂れ流して膨張し、大量の触手を蠢かして宙に浮かぶ肉塊。それが俺の戦っている敵だ。

 

 蛇の俺は単身で草原に立ち、それと対峙していた。生々しい傷があちこちに付き、俺の左角はへし折れ、縦に走る特大の裂傷で左目が潰れていた。体中に火傷、切り傷、抉られた鱗の生傷を負い、出血が緑の鱗を赤に変えた。装備している黄色いマントは、あの黄色いのを装備しているのか。

 

《今だ。奴はランダム行動選択を誤った。数秒、奴は硬直する》

 

 黄色いマントを風になびかせ、蛇は草原を走った。

 

「消え失せろ! この化け物がぁああ!」

 

銀の鍵の門を越えて(イア・ヨグ=ソトース)

 

 怒号を放った俺は魔王の下へ飛び込み、魔法を唱えた。地面から突き出た背の高い銀の門。両の柱には大量の球体が彫刻され、精製したばかりの銀と同じくらい白く輝いた。扉が開かれ、果てしなく広がる異次元の空間が見えた。門は空気を吸い込み、満身創痍の蛇はすぐにその場を離れた。宙に浮かぶ肉の塊が、耳を塞ぎたくなる絶叫を放ちながら吸い込まれていく。

 

《眷属召喚》

 

 変声された気色悪い声で呪文詠唱が聞こえた。魔王の断末魔の魔法は、訪れるはずだった静寂を消し飛ばす。喇叭、フルート、オカリナ、木琴と鉄筋、太鼓、シンバルなどを出鱈目に鳴らした騒音を奏でながら、気色の悪い眷属が異次元の果てから黒い波となってこちらに迫っている。連中の体に目、鼻、口が存在したが、個数は出鱈目、付いている場所も無秩序と、まるで子供が作った粘土細工だ。

 

「黄色、あれ何匹いんだよ」

 

《数億、あるいは兆に届くかもしれん。強さは一定ではない。10から30だが、五体に一体、レベル90、ニ十体に一体、レベル100が混じっている》

 

「マジかよ。もう疲れたわ」

 

 かつて竜王国の国民たち100万強、黒い地平線となって迫る彼らは、目の前に広がる異形の眷属に比べれば、数で足元にも及ばない。俺は銀の門の内側へ入り、大鎌を掲げた。

 

「《極大致死斬裂砲撃(マスターデススラッシュ)》」

 

 視界を覆うほど特大な一本の衝撃波が、敵の中心部へぶち当たって爆ぜた。連鎖爆発し、遠くの黒い闇が一部だけ爆発に包まれる。

 

「あと何分だ?」

 

《門が活性化し、次元を隔絶するまで60分》

 

「おら、かかってこい、クズ共がぁ!」

 

 黄色いマントを装備した赤蛇の背中が大きく見えた。

 

 肉塊が束になって襲ってきても、俺は怯まずに撃退した。まとまって団子状態になった肉塊が複数、迫ってくるのが見えた。俺は造作もなく大鎌を振って切り捨てたが、高レベルの敵が仲間の肉の盾に隠れていた、他と比べて大きく、先の鋭い触手を持った敵が仲間の死骸の影から襲った。触手は俺の体を貫通し、左右から串刺しにされた。蛇の口から致死量の血が吐き出された。

 

「いっ……てええなこの野郎!」

 

 敵はすぐに離れていった。直後、数千、数万、数億の嘲笑が異次元に響く。共鳴し、蛇の尊厳を冒涜しながら体を震わせた。俺には、さっさと死ねよと聞こえた。地面も無い異次元に俺の体は崩れ落ちた。頭が落ち、「ガシャ!」とがらくたをばら撒いたように派手な音が鳴った。

 

「あ……やっべー……体に……力がはいらねえ」

 

 開いている俺の片目から光が失われていく。

 

「終わりだ……ごめん……アインズさん」

「終わらせないさ」

 

 蛇の体に回復薬が放り投げられ、虚ろな瞳は光を取り戻した。左目の裂傷は残り、赤みを帯びた傷痕になった。早々に諦めて傷が回復しなかったのかもしれない。夢では心の声が聞けず、自分の心情もわからない。蛇は大鎌を杖代わりに立ち上がり、増援に駆け付けたアインズさんを眺めた。

 

「なにしてんだよ。あんたは王都を守れって――」

「お前はこうなると知っていたな、だから一人で犠牲になろうとしたんだ」

 

 アインズさんは俺の言葉を片手で制した。

 

「ヤト、前に言ったよな。一人で死ぬことは許さないと。我々の呪われた生、その終着点が破滅であっても、俺は最後までお前の仲間でいる」

「アインズさんは死ぬなよ! 残された人間やNPCはどうなるんだ!」

「いいじゃないか。二人、ここで死ぬとしても。だから、一人で犠牲になんてなるなよ。それ、すごく格好悪いぞ、馬鹿蛇」

「……チッ」

 

 蛇が喜んでいると、見ている俺は知っている。

 

「それに、俺だけじゃないさ。世界はお前の死を望まない」

 

 アインズさんが指さした方角、見知った顔が臨戦態勢で張りつめた顔をしていた。最前列にナザリックのレベル100NPC。後ろにガゼフを先頭にした王国騎士団。ブレイン、クレマンティーヌを先頭にした傭兵団。ドワーフ、ゴブリン、ドラゴン、クアゴア、ありとあらゆる種族が剣を取って戦闘に備えていた。遥か後方で、竜族が牙を研いで臨戦態勢になっていた。

 

 法国出身者の姿は見えなかった。

 

「法国の奴らは流石に来なかったか」

「連中は王都を守っている」

「約束、守ってよ」

「あ、番外だ」

 

 大蛇の隣で番外席次が立っていた。眉間に深い皺が刻まれ、目は本気で怒っていた。

 

「一人で犠牲になろうなんて馬っ鹿じゃないの! 私との約束はどうしてくれるのよ!」

「ああ、そうだよな。約束は必ず守るよ。お前は俺の後妻候補な」

「……ずっと覚えてるから」

 

 彼女は逃げるように立ち去ったが、俺は呟きを聞き逃さなかった。

 

(嘘吐き)

 

 考えてみれば、彼女こそ一番報われない女だった。もう少し優しくしてやってもよかった。

 

「全員! 交戦に備えろぉぉ!」

 

 先陣を切ろうとするガゼフが馬上から号令を発し、全員が武器を構えた。

 

「どいつもこいつも馬鹿だな」

「さあ、お前が馬鹿だから伝染したのかもしれんな」

「アインズさん、あと一時間以内に門が閉まる。そうすれば、俺たちの勝ちだ」

「よし、門の外へ出よう。ここからは世界戦争だ。ツアーの一撃が飛んでくるぞ」

 

 俺たちが門を飛び出してから入れ違いでツアーが門の前に降り立ち、《始原の魔法(ワイルド・マジック)》が撃ち込まれ、門の外まで飛び出す大爆発が起きた。数分だけ時間が稼げた。

 

「ナザリックのものは最前列に出ろ! 高レベルの敵を後ろに通すな! 一匹残らず叩き潰せ!」

 

 そうして大乱戦が始まった。

 

 見せ場だというのに、俺の意識は飛ばされた。

 

 

 

 

 一瞬だけ暗転した視界が開くと、戦いは終わっていた。周辺で戦う肉塊を残し、銀の門は閉じていく。中から声が聞こえたが、蛇の俺にしか聞こえていないようだ。

 

《問う。代償に何を差し出す》

 

「この身を……」

 

 俺が唱えると、蛇の体は巨大な黒い手に掴まれ、閉じていく銀の門の隙間へ消えた。

 

「ヤト!」

 

 アインズさんが咄嗟に手を伸ばしたが間に合わず、俺の尾を掴み損ねた。蛇の姿が見えなくなってから間を置くことなく銀の門は閉じた。無情な金属音が周囲に響き渡った。

 

「返せ! 私の友を返せ! 返せええええ!」

 

 開く気配のない銀の門を、アインズさんは殴り続けた。何度も何度も、何度も繰り返し殴りつけた。精神の沈静化を無視する激しい憤怒は、鎮まる気配を見せない。その度に銀の門が大きな音を立てていたが、開く気配はなかった。

 

「鍵はどこだ! 鍵を探せ!」

「どいてくれ!」

 

 ツアーは天高く舞い上がり、自らが傷を負う事も気にせず、門に体当たりをした。二回目で鱗が剥がれ、三回目で血が噴き出していたが、それでも止めなかった。

 

「白金! 魔法を使え!」

 

 虹色の声に応じ、ツアーは魔法を打ち込んだ。周囲は爆風に覆われたが、草原の一部が荒野になっても門は変わらずにそこにあった。

 

「ふざけるなぁ! 私の友を返せ!」

 

 アインズさんの叫びも虚しく、門はゆっくりと光の粒子になっていった。

 

「ヤトォ!」

 

 そんなに悲しまなくてもいいのにと言ってあげたかった。アインズさんは門が全て消えるまで、諦めずに扉を殴り続けた。最初で最後の、世界の命運をかけた戦いは勝利で終わった。誰も勝利の笑顔を見せてくれなかった。

 

 

 

 

 アインズさんはナザリックの応接間で、レイナースに報告していた。別室へ呼び出されたレイナースは、話を聞いてすぐに涙を浮かべた。

 

「嘘、ですよね? またあの馬鹿蛇が、私たちを驚かせようとしてるのでしょう?」

「……」

 

 アインズさんは何も言わない。真実がどれほど残酷なのか、レイナースの顔を見ればわかる。彼女はアインズさんに詰め寄り、腕を掴んで揺さぶった。片隅で佇むアルベドとイビルアイはそれを咎めず、アインズさんもされるがままだった。

 

「嘘よ……嘘だと言ってよ! アインズ様が付いていながらどうして!? ねぇ! 返して! あの人を返してよ! 返して……うぐっ…うわああああ!」

 

 泣き喚く女性に、何の言葉もかけられない。声をかけて場を治められるのは蛇だけだ。アインズさんはこの場をアルベドに託し、部屋を出ていった。俺の意識も彼についていく。

 

「私は諦めない。何百年かかろうとな」

 

 それから彼は図書館に向かった。

 

 それからしばらく、俺の意識は図書館に引き籠って本を漁るアインズさんを眺め続けた。いつまでも俺に執着してほしくなかった。仲間に執着していた彼は、今度は失った仲間に執着している。こんな場面は見たくなかったのに、夢は苦しむアインズさんをしばらく見せつけた。

 

 時には本を引き千切り、頭を抱えてうわ言のように俺の名を呼び、アルベドやイビルアイに八つ当たりするアインズさんを、閉じることのできない両目に見せられ続けた。

 

(アインズさん、もういいよ。もう止めてくれよ……)

 

 そう声をかけても、彼には届かない。本当に、二度と見たくないほど悲しかった。やはり、俺は彼のもとへ帰らなければならない。彼は仲間以外の言葉に耳を傾けず、図書館で俺を召喚する手段を永遠に探し続ける。俺が帰らなかったとしても、永遠に図書館に籠り続ける。

 

 やっと俺の意識が飛んだ。

 

 

 

 

 夢から覚めると思ったが、まだ俺の意識は夢を見ていた。

 

 周囲に何もない草原に転移ゲートが開いた。転がり出た黒髪黒目の男は、顔面の左目あたりから額の上まで、赤く変色した大きな傷痕(ケロイド)が張り付いていた。左目は開いていたが、白く濁っていた。装備している刀には見覚えがある。

 

 これは俺だ。

 

「はぁ……疲れた……」

 

 俺は草原に仰向けに倒れた。目を閉じて胸を規則的に上下させ、そのまま寝てしまった。馬車が通りかかり、二人の従者が丁重に俺を拾った。紋章には見覚えがあったが、思い出せなかった。そのまま馬車についていくと、竜王国の王都が見えた。馬車は都市を突き抜けて宮廷に入り、俺は城内の客間ベッドへ寝かされた。

 

 女王が大人の姿で夜の客間へ訪れた。ベッドに腰かけてドラ公が俺の手を握ったところで、俺は目を覚ました。

 

「目が覚めたか」

「……俺たちは知り合いでしたか?」

「竜王国の女王を覚えていないのか。私はドラウディロンだ。本当に覚えてくれていないのか……? 私たちは恋人だったこともあるのだぞ」

 

 すぐに大人の女王だと思い出して毒を吐いた。両眼で女王を見つめていた。白濁した瞳が、本物の蛇に見えた。

 

「なんだよ、ドラ公じゃないか。相変わらず胸がでかいな。恋人とか嘘ついてもバレるぞ」

「チッ……無礼者め。その調子なら大丈夫だな」

 

 俺は上半身を起こし、欠伸をして頭をかいた。

 

「俺が消えてから、どんくらい経った」

「12年……13年か。お前さんの娘、有名人だぞ。良くも悪くも、うわさ話は竜王国まで届いている」

 

 返事はなく、少しも嬉しそうに見えなかった。十年ぶりに自分の望む世界へ帰ってきた男の顔というよりは、何かの大失態を演じて放り出された者に見えた。真っ先に連絡する相手は何人もいたはずだが、連絡したいと言わなかった。同じ俺なのに、考えていることがわからない。

 

「私も隣で寝ていいか?」

「……勝手にしろ。寝るってのは本当に寝るって意味だからな」

「ふふん、お前もとうとうその気になったか」

 

 豊満な胸を強調する淑女に力のない拳骨が落ちた。俺は本当に手を出さなかった。調子に乗った淑女ドラ公がどれほど密着しようと、難しい顔で天井を見上げていた。結局、ドラ公の方が先に寝た。集中力のない女だ。

 

(調子乗りやがって。いっそ手を付ちまえば収まるのに。俺は何やってんだ……)

 

 俺の真顔には性欲のせの字も浮かんでいなかった。仮に自分だったらどうするだろうかと考えたが、手を出す想像は浮かばなかった。

 

 

 それから怒涛の数日が過ぎた。

 

 

 どういうわけか、何日が経過しようと俺は連絡をしようとせず、竜王国から動く気配も見られない。アインズさんの飛び蹴りが飛んできたのは、帰還してから2日後だ。抱擁から始めるものだと思っていた俺は扱いの悪さに不満だった。もう少し、優しくしてくれてもいい。

 

「お前ぇ! 帰ってきたなら真っ先に連絡しろぉぉぉ!」

「いってえええ!」

 

 アインズさんの飛び蹴りは顔面に炸裂し、俺の体は壁まで飛んだ。竜王国の客間はアインズさんと謁見を求めるNPCで埋め尽くされた。それでも空間が足りずに部屋の外まで溢れかえる大騒ぎだ。これでハッピーエンドだと思い、俺は安堵した。

 

「ラキュース、レイナースも後で来る」

「シャルロットは」

「違う、シャルロッティ。愛称はシャルかロッティだ。シャルロットと呼ぶと怒るぞ。学校校舎が損壊した原因の3割以上はそれが原因だ。アルシェとジエットの胃に何度も穴が空きそうになっていた」

「面倒くさい奴になったなー……なんだその設定は」

「父親がいないから寂しがっているに決まっているだろう。シャルロットはもう12才だ。アウラやマーレと席を並べて勉強してるよ。日頃の行いが悪く、フールーダは怒りで数百歳は老けたと話していたな。お前に似ているのが玉に(きず)だが、可愛い娘だよ」

「どうせ俺がいない穴を埋めようと、仲間への執着が娘に移って溺愛したんでしょう」

「……よくわかったな」

 

 俺は映像の中の俺と同時にため息を吐いた。アインズさんの仲間好き好きにも困ったものだ。時系列を追えば、引きこもったアインズさんが図書館を出たのは、場面が飛んでからかなり経っている。何とか俺を諦めて、娘をストーカー並みに見守ってくれていたのが嬉しかった。

 

「いつ、ナザリックへ戻る?」

「あー、そッスね。しばらく竜王国で療養しますわ。何にせよ……疲れた」

「そうだな。お前は休息を取るべきだ。だが、なるべく早く帰ってこい。お前が飛び上がって驚くことがたくさんあるぞ」

 

 含みのある言い方が気になった。

 

 ご丁寧にアインズさんはナザリックの部下たちを引き連れて竜王国を訪れたらしく、その日は俺が眠気でぶっ倒れるまで、謁見を求める部下の相手をさせられた。

 

 俺の家族が訪れたのは翌日の昼だ。気を利かせたアインズさんが不在の客間に、ラキュースでもレイナースでもなく、最初に番外席次の襲撃が入った。

 

「この馬鹿ぁ!」

「ぐわあああ!」

 

 前日と同じ光景だ。番外席次の飛び蹴りはやはり顔面に命中し、アインズさんがつけた顔面の足形を踏み抜いた。二度も壁まで飛ばされ、口の端から血を吐いて床を転がり、俺は死にかけていた。

 

「寂しかった……」

 

 すぐに抱き着いてきたが、目を閉じている俺の息はか細い。霊能力でもあれば、口の端から逃げていく魂が見えたに違いない。番外席次に首を前後に激しく揺らされ、吐血量が増した。

 

「起きて起きて!」

「ぶはっ!……うへあ」

 

 俺は目を開くことなく、永眠に片足突っ込んで眠ってしまった。番外席次の小娘は手を変え品を変えて俺を苦しめ続けた。不意打ちがもたらした瀕死に喘ぐ俺が意識を取り戻したのは、番外席次が俺の口を力任せに開き、赤いポーションを流し込んでからだった。

 

「はっ、お前は、番外か?」

「どうして連絡くれなかったのよ! 私がどれほど……どれだけ待ったと思ってるのよぅ……」

「……さっき、殺されかけたんですが」

「ああああああん!」

「ぐぇぇ、苦しいぃ。ギブ! ギブアップ! また死ぬ!」

 

 首が決められた俺がそいつの腕を必死で叩いていた。その甲斐あって、拘束は少しだけ緩んだ。番外席次はしばらく抱き着いてめそめそしていた。俺の手は彼女の背中に回らなかった。

 

「帰ろうよ」

「いや、しばらく竜王国にいるわ。王都に帰ると騒々しくなるから」

「私が面倒見てあげる」

「それは助かる」

 

 断られると想定していたのか、鳩が豆鉄砲を食った、間の抜けた可愛げのある馬鹿面を晒していた。俺の態度は正妻が御存命なのに不自然だ。

 

「もういいから席を外せよ。ラキュースたちが来るんだろ」

「私は先に飛んできたの。女王に挨拶してると思うわ」

 

 番外席次が家に入り浸っている情景が浮かんだ。相変わらず仲良しのようだ。どうにも引っかかるのは、正妻たちと再会だというのに俺が全然嬉しそうにしていない。口は半開きで窓の外を見ていた。嫁でもない女に抱き着かれて平然としている俺に、鼻の穴に割りばしでも突っ込んでやりたくなった。

 

(番外、やれ! リア充の鼻の穴に指突っ込んで放り投げろ!)

 

 俺の願いは番外席次に届かなかった。

 

「どこに行ってたの、十年以上も」

「なんか異次元で腕をたくさん生やして、剣をたくさん持った奴と戦ってたような気がする」

「ふーん……どこで?」

「どこにあるやら次元の狭間」

 

 番外席次は顔面の左上に走る傷跡を撫でた。

 

「左目、見えないの?」

「ああ、まあ、スキルがあるから、あんまり問題ないかな」

「十年も経ったのに、年を取っていないのね」

「異形種だからかね」

「ねえ、シャルが色々とやばいよ。クーデターとか企んでいそう。国家転覆して笑い転げたいだけとか、そういうのに成長しちゃったみたい」

「何だそれは……昔の仲間を思い出すわ」

 

 るし★ふぁーさんのことか。

 

「私もそうだったけど、お父さんがいないと大変よ。法国の神官とか帝国の官僚とか、ラキュースの親と漆黒の英雄たちまで溺愛しちゃって。あれはかなりのわがまま娘ね」

「お前が言えたことか」

「私はあそこまで酷くないよ」

 

 何かの気配を悟ったのか、番外席次がベッドを降りてソファーに腰かけた。直後、扉が乱暴に開かれ、ラキュースとレイナースがベッドへ飛び込んだ。見慣れた二人の顔は記憶の顔から比べると年を取っていたが、異世界特有の美貌は健在だった。むしろ顔立ちがこなれて綺麗になった気さえする。二人の涙腺はすぐに壊れた。

 

「うええええん」

「……」

 

 ラキュースの号泣に遠慮して、レイナースは嗚咽を堪えた。両側に女性をはべらせ、俺は二人を抱きしめていた。ここから二人はしばらく泣いたが、一向に娘の姿は見えなかった。

 

 涙が枯れるまで泣いた二人の化粧が崩れていた。ベッドに転がって両側に女性をはべらせる姿が、異世界転移者のハーレムそのもので、馬鹿馬鹿しくなった。ラキュースは俺の左目の傷痕に触れた。

 

「あなたは、傷以外は変わらないわね。私の英雄さん」

「ラキ、子供に帰りは教えたか?」

「まだよ。飛んで来たから」

「じゃあ、教えないでくれ」

「どうしてだ? あいつが我儘なのは父親がいないからだ。そろそろラキュースの血管が切れる」

「そんなに我儘なのか……」

「我儘というより……ちょっと……ねえ?」

「お前によく似ている」

「それは困るな」

 

 俺は口を歪めて笑った。

 

「ちょっと、考えがある。俺はこの国で暮らし、あいつが冒険に出てからお前たちの家に帰る」

 

(……はぁ? こいつ、なに言ってんの)

 

「寂しいじゃない……」

「たまに連絡する。あいつがいないなら帰る。俺がいるとあいつの為にならないからな」

「何か、変わったな。見た目じゃない何か……」

 

 レイナースは俺の顔を至近距離で覗き込んだ。

 

「左目、治らないのか?」

「無理みたいだ」

「ちゃんと、私たちに会いに帰ってきなさいね……十年も放っておいたんだから」

 

 ラキュースが納得していない顔で文句を言った。十年の時を経て、少しだけ暗くなった俺の答えは変わらなかった。

 

「ドラ公の国も手伝ってやらないといけないからな。冒険者が弱すぎるし、国は発展速度が遅いし、食料自給率も他の属国と比べて低いらしい」

「くっ……なにそれ、面白そう。私もやりたい」

「ラキュース……」

 

 レイナースがご健在の中二病に呆れていた。

 

「子育てがあるだろ、ママさん」

「あなたもパパじゃないの」

「二人目でも作るか?」

 

 視線を向けられたレイナースが赤くなった。二人が納得したことで、正妻に遠慮していた番外席次が元気になった。ここからは私のシナリオだと言いたげだ。

 

「それじゃあ、私がここに泊まっても問題ないわね」

「好きにしな。二人も今日は泊っていけ」

 

 俺は自分の濡れ場を録画したビデオなど見る趣味はない。場面転換してくれと必死で願っていると、俺とラキュースがベッドにもぐりこんだところで場面が変わった。

 

 だが、さほど飛ばなかった。

 

 室内に、月の光で白く輝くラキュースの体と半裸の俺。起こさないよう、俺はソファーに腰かけて酒瓶を口にした。零れた水滴が喉を濡らし、手の甲で拭った。窓から差し込む月光が、俺の物思いに耽る表情を照らしている。口をへの字にして、難しいことを考えていた。

 

「入れ墨でも彫るか……」

 

(え、なに言ってんのこいつ)

 

 さっぱりわからない。

 

 

 

 

 俺は竜王国の会議室を見ていた。黒シャツの第二ボタンまで外した裏社会の人間みたいな俺と、色っぽいドレスを着た大人のドラ公が会議室で意見をぶつけ合っていた。室内には他に宰相と番外席次しかいなかった。いきなりドラ公が怒鳴った。

 

「こぉのぉ、腐れ外道がぁ!」

「何だよ。そんなに怒るなよ。これもお前たちのためだぞ」

「人間牧場など作れるわけがなかろう!」

「抑止力だよ、ドラちゃん」

 

 その短い会話だけでこれまでのやり取りが理解できた。番外席次は俺の隣でおやつを齧っていた。議論の白熱などどこ吹く風だ。

 

「だいたい、その娘は誰じゃい!」

「妾候補生」

「学校があるのか!?」

「いや、無い」

「わ、私も立候補をしてよいか? 色気なら決して負けては――」

「順番、守らないと殺しちゃうよ?」

 

 番外席次が感情の籠らぬ瞳でドラ公を見た。発言を間違えれば隣に立て掛けてある十字槍が首に飛ぶ。大人のドラ公は途端にしおらしくなって、今度は挙手にて発言を求めた。

 

「割り込みは可能でしょうか」

「女王陛下、その話は後にして頂けませんか。私は蛇様の深いお考えを聞きたいのですが……」

「最後まで話を聞けってよ、ドラ公」

 

 俺はそれから、人間牧場の存在が魔導国でどれほど有意義に犯罪の抑止力になっているかを説明した。そこまで俺が考えていたとは驚きだ。映像の俺が言う通り、皮を剥ぐ側は心を病み、剥がれる側は発狂するしか楽になる道はない。罪人の行く末なんて悲惨なものだ。剥ぐ側も仕事がやめられず、発狂したら剥がれる側に回される。その噂だけで抑止力には十分だが、実際には羊皮紙で国が潤う。

 

「しかもだな、犯罪者の投棄場所の候補地として、ビーストマン国家と人間を商材とした交渉までできるんだぞ。かつての敵は新たな顧客だ」

「なるほど」

 

 宰相が頷き、女王が怒った。

 

「なぁにが、なるほど、だ! どの面下げて獣どもと友好関係を結べと言うんじゃい!」

「人類、皆兄弟だぞ」

「奴らは獣だ!」

「怒りっぽいなぁ、女の子の日か?」

 

 ドラウディロンが切れた。お茶の入っている湯呑を放り投げ、それだけでは足りずに椅子まで放り投げた。俺は投げられた椅子を掴み、後ろへそっと置いた。

 

「冗談だって、そんなに怒るなよ。後で優しくしてやるから」

 

 それ以上、議論の余地がなかったらしく、女王は出ていった。鼻息も荒く怒り心頭で、駄目押しにいかり肩で出ていった。会話の運び方が性急すぎないかと疑問に思ったのは、見ている俺だけではなかった。

 

「話が飛び過ぎたんじゃないの?」

「そうか? しかし、ここで悠長にしてる時間は無いんだよな。この国を強化するには、強くなれる条件を整えないと。近くにビーストマンがいるなら最高の環境だけどな。和平条約なんて、こっちが強くなってから破棄しちまえばいい」

「蛇様、私は話の続きを聞きたいのです。怒りっぽい女王陛下には後ほどこちらで埋め合わせを致します。あれでも、蛇様には好意的なのですよ?」

 

 宰相はその場に残っていた。

 

「そうなの?」

「お戻りになられる前、何かにつけては蛇様のことばかりで。いつ戻ってくるのかと、うんざりして胃に穴が空くほど聞きましたので」

「穴が空いたのか?」

「いえ、無事でした。時間のあるときに尻でも触ってみてはいかがでしょう」

「ひでえ総理大臣だな……」

「私が守るべきは女王陛下ではなく、か弱き国民でございます。女王のご機嫌取りは蛇様の担当かと」

 

 冷ややかなすまし顔が、どことなくデミウルゴスに似ていた。

 

「そっか……じゃあ、後でお尻でも撫でておく」

「ちょっと! 私が先でしょ!」

「それはパス」

「死ね!」

「わ、わかった。考えておくから槍をひっこめろ」

「本当に……?」

「蛇様、話の続きを」

 

 会議室が騒々しくなってきたあたりで、俺の意識は跳んだ。

 

 

 

 

 大人のドラ公が、夜のテラスに腕を組んで星を見ていた。

 

「ああ、ここにいたのか」

 

 ガラスの扉を開いた俺は、半裸にジャケットだけ羽織った姿だ。夜の俺は常に酒瓶を携帯している。いつから酒瓶が俺の基本付属アイテムになった。

 

「お前も飲むか?」

「……ふん」

 

 ドラウディロンは差し出された飲みかけの瓶を見ず、顔は星空に向けられていた。綺麗な満月だった。

 

「そんなに怒るなよ。この国を壊したいなんて思ってないんだぞ。本気で竜王国の武力強化に一役買おうと」

「わかってるわい、あほんだら」

「口の悪い女王様だな。鞭で打っても俺は言うこと聞かないぞ」

 

 俺は柵に寄りかかった。互いに正反対の方向へ体を向けながら、顔は同じ星空を見ていた。星の明かりだけでも十分に明るい夜だった。

 

「……理屈じゃないのだ。私だって、二度と獣に脅かされない国にしたい。しかし、だからといって獣相手に友好関係は」

「罪人の捨て場所だよ。そんなに難しく考えるな。……って言っても難しいよな」

「難しいわい……」

 

 ドラ公は見上げていた顔を下ろした。歯を食いしばって苦悩している姿が、かえって色気を際立たせた。この世界の俺と、それを見ている俺は思わず見惚れた。

 

「尻でも撫でてやろうか?」

「ばっ、無礼者!」

 

 顔を赤くした女王は、白い手袋で平手打ちを見舞った。俺は手を受け止めた。結果、至近距離で見つめ合っていた。

 

「お前がこんな腐れ外道と分かってたら……」

「俺なんか選ばない方がいい」

 

 言い終えた直後、機能している俺の右目から光が失われた。右目に奥行きの見えない暗黒があった。

 

「なんだ、お前は、何を……」

「……まぁ、さっきの話、抑止力としてはいいと思うがね、俺は。魔導国でも十分な実績が出てる」

 

 いつもの偉そうな俺に戻った。ドラウディロンから返事はなく、唇を噛んで思い詰めていた。俺はテラスを出ようと動き出し、去り際に振り向いた。

 

「あ、そうそう。夜這いなら明日にしてくれよ。明日は番外が王都に帰って野暮用をするから」

「……」

「なあ、何かを得ようと思ったら、何かを捨てないと駄目なんだよ。俺だって、色んなものを捨ててここにいるんだからな」

 

 ドラウディロンは俺の顔を見ていた。振りむいた俺の顔は白く濁った瞳しか見えない。見ている俺と同様に、俺の考えはドラウディロンにわからない。

 

「外道と思っててもいい。さっきの政策は真剣に考えてみろ」

「待て」

 

 ヒールのコツコツとした音が静かなテラスに鳴り、色っぽい淑女が俺と距離を詰めた。俺は平手打ちでもされるのかと身構えている。敵意のない所作で俺の警戒心を掻い潜り、唇と唇が重なった。不意打ちを食らった俺は目を見開いて固まった。見ている俺も恥ずかしさで固まった。長い口づけの後、王女は唇を離して笑った。

 

「光栄に思え。竜王の血を引く女王の初の口づけだ」

「月のせいだな……」

「私だって人恋しくなることもある」

「……はっきりさせておくがな、お前は別に俺に惚れちゃいねえよ。番外も、お前も、プレイヤーなら誰でも落とせる女だ」

 

 動揺を隠そうと饒舌になっていた。

 

「安い女みたいに言うな。これでもお前の不器用な真面目さは評価しているんだ。伊達に長生きしてないわ」

「感謝が興味に変わっただけだろ。そんなことで俺は――」

「ああ、もうっ、いちいちうるさいわっ!  したいからしただけじゃい! 文句あんのか!」

「……イイエ」

 

(素直だなおい!)

 

「私は寝る!」

 

 女王が振り返らなかったのは顔が赤いのを隠すためだと思われた。そのまま押し倒せば既成事実ができたのに、勿体ないことだ。と、自分のことでありながらも他人事だから言えるが、俺だったらそんなことはしない。その場に残った俺は唇に指をあてていた。大人の女王は確かに美人だった。

 

「余計な真似を……」

 

 あんな美女に迫られたら誰だって性欲が刺激される。今なら番外席次が夜這いを仕掛けたら陥落しそうだ。客間ベッドの上でゴソゴソと動き回る俺に見飽きても、場面は一向に変わらなかった。

 

 

 景色が切り替わるまで時間がかかった。

 






このまま夢は続きますが、長すぎるのでぶった切ります。
後編は明日にはなんとか

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