「ヘロヘロ様ぁっ!」
ソリュシャンは叫びながら目を覚ました。飛び起きてから周りを確認すると、ナザリック内第9階層、医務室の場所のベッドだ。傍ら、椅子に座って待機しているユリが元気な妹を見て微笑む。
「おはよう、ソリュシャン。元気な目覚めだったけど、気分はどう?」
「う、ん……あまり良くないわね」
ソリュシャンは額に手を当てた。頭が少しだけ重たい。脳の一部が鉄塊に変わったような気分だった。実際のところ、優秀な彼女の頭には何も入っていない。
「アインズ様とヤトノカミ様の随伴、お疲れ様」
「ユリ姉。私、どうしてここに?」
「ナーベラルと帰ってきてからいきなり倒れたのよ」
「うぅん……そっか……あまり覚えてないわ」
「よかった、意識を取り戻して。第六階層で連絡会の準備ができているわ。今回はアー……アウラ様も同席するの」
アーちゃんと言いかけた口を慌ててつぐむ。
アウラは農作業に従事する者、主にエルフを各地へ運ぶ役目があった。森で暮らしていた彼女らの知識は作物の収穫
彼女の魔獣たちは主に褒めてもらおうと全力疾走で馬車を引き、予想以上に早く任務を終えた。数件、張り切り過ぎた魔獣の負荷に耐え切れず、馬車が全壊するという痛ましい事故が起きたが、全体から見れば大した問題ではない。
アインズに褒められ待ちのところ、プレアデスが第六階層で連絡会をするというので暇潰しに参加する。どのみち、聖王国へ出かけたアインズとヤトはしばらく戻らない。
ユリとソリュシャンが第六階層に着くと皆は既に着席し、各々の好きなものを食べていた。中には人間の手らしきものもあったが、ナザリック内では何が起きても不思議ではない。
「………来た」
「お? ソーちゃん、お疲れっす。大丈夫っすか?」
「ええ、遅れてごめんなさい」
「疲れていたのよ。アインズ様とヤトノカミ様、二柱の御供だもの。私も疲れた」
「そうは見えないわぁ」
「エントマ、口の端に何かついてる」
ナーベラルはいつも通りの澄まし顔で紅茶を飲んでいる。その顔には疲労の断片さえ浮かんでいない。エントマの指摘はもっともであった。そのエントマもユリに指摘され、得体の知れない鉄さび色の付着物を慌てて拭った。
こうして全員が揃い、麗しい女子会が始まる。業務連絡はたかが知れており、無難な通常業務の話だ。一般メイドと仕事は変わらず、プレアデスらしき唯一の報告はユリの孤児院管理、孤児の躾であった。
「子供たちの躾は誰かがやらなければいけないから。誰か一緒に孤児院へ行って手伝ってくれない?」
孤児院とはいえ、エ・ランテルの孤児院と合併したので人数はそれなりに多い。一人で大人数を教育するのは骨が折れる。人選は好きに、人員は自由と、アインズの口添えもあってのことだ。
「ユリは誰がいいの?」
アウラがお茶菓子を齧りながら聞く。子供らしい友人の姿にユリの頬が緩んだ。
「人数は言われてません。もしかすると何人でもいいのかしら。全員で行こうかな……」
「ユリ姉、それはやり過ぎっす! 私が行けば万事オッケーっすよ!」
「……ごめんなさい、そうよね。全員はやり過ぎね。特にルプスレギナはだめよ」
「差別っす!」
「昔、アインズ様のお叱りを受けたのを忘れたの?」
人間相手の仕事で、プレアデスは弾かれる者の方が多い。ルプスレギナは生粋のサディスト、ナーベラルは人間嫌い、エントマは素顔が露見すれば子供たちへ消せない心の傷を刻む。残りは仕事に真面目なソリュシャンと余計なことを言わないシズだ。
「ソリュシャンとシズがいいと思うの」
「………遠慮する」
ユリの予想と違い、シズの反応は悪かった。先日、冒険者の助っ人として召喚されたシズ。周囲があたふたして
「どうしたの?」
「………時間……もったいない」
それに加えて、シズは冒険者達から入れ代わり立ち代わり口説かれ続け、うんざりしたのは記憶に新しい。冒険者とは、異性を口説く性質を持った生命体なのだと、彼女の中で結論が出ていた。気安く手を触れようものなら撃ち殺されていたが、そこまで大それた冒険者はいなかった。
表情のない彼女が口説かれて動揺する相手は、至高の41人に名を連ねる者だけだ。
「アウラさま、一緒に来る?」
「ううん、いかない。アインズ様に褒めてもらわないといけないからねー」
褒められ待ちの少女は健やかに笑った。ソリュシャンがここぞとばかりに、前々からの疑問を尋ねる。
「アウラ様、前々からお聞きしたかったんですが、アインズ様の気配はどのくらい遠くからわかるのですか?」
「この階層内に至高の御方がいらっしゃればすぐにわかるよ。別階層や下界にいるとわからないけどね」
「創造主様、たとえば、ぶくぶく茶釜様がお戻りになられたら、どこまでわかると思いますか?」
「えぇ? うーん……」
難しい顔をして悩んでしまった。心情的に同じ世界にいればわかると言いたいが、精神論が全てではない。アウラは探知を目的として作られておらず、それは自身もよくわかっていた。
「どこにいても予感はするよ……と言いたいけど、あまり自信ないかなー。あたしもマーレも探知するために作られてないし」
「そうですか……」
「どしたの?」
「いえ、何でも有りません」
「普通じゃない状態だったらわかるんじゃない?」
「たとえば?」
たとえば、狂気から復帰した影響で直感が冴えている。
ソリュシャンはそう言って黙り込んだ。
ルプスレギナが嬉しそうに反応する。
「ソーちゃん、狂ってたっすか! 誰っすか! 誰のせいっすか! 許せないっすね!」
「ユリ姉のせいね」
「ルプスレギナ………覚えてなさい。ナーベラル、ソリュシャン、その節はごめんなさい」
「もう気にしてないから、謝らないで、お姉様」
「でもぉ、そうなるとおかしくなぁいぃ? ヘロヘロ様が近くにいるってことぉ?」
「……種族……のせい?」
「種族……なんだっけ?」
「でもさー、創造主様の居場所が分かる能力って欲しいよねえ。ぶくぶく茶釜様の居場所がわかるなんて」
アウラは目を細めた。それを否定するものはおらず、誰もが無言で肯定した。忠誠の全てをアインズに捧げるという方向性は決まっていても、自身の創造主は特別な存在だ。
「あのペンギンなら、そんな力ほしがらないでしょう」
「あはは、そう作られているからねえ」
「でも、アルベ――」
「しぃ! ユル姉、その話はまずいっす!」
「あ……ごめんなさい」
自身の創造主、至高の41人に敵対する可能性があるのは、ナザリック地下大墳墓において一人と一匹しか考えられない。
一匹は放っておいても問題ないが、一人は非常にまずい。どこで話を聞かれているか分からず、ユリは慌てて口を閉じた。
「ゴホン! ソリュシャン、無理しなくてもいいのよ。孤児の教育ならわたし一人だけでも」
「ユリ姉だけじゃ、孤児がみんな死んじゃうっすね!」
「……ルプス」
「うおわぁっと! ちょー! タンマっす!」
「ユリ姉、私も孤児院についていくことにするわ」
振りかざした拳はソリュシャンの言葉で止まった。
「下界に行けば何か分かるかもしれないし、ちょうどいい気分転換になるから」
「そう? それじゃあ、明日からよろしくね」
翌朝、ユリとソリュシャンは連れ立って王都の孤児院へ出かけた。
予測不能の眩暈に似た彼女の体調不良は、無垢な
彼女の胎内に存在しない心臓が、ひときわ強い鼓動を刻むのは数日後のことだ。
◆
徒歩で帰った番外席次は、王都へ帰るまで二日間を要した。その間、ノワールと偽名を使い、人に化けて容姿まで偽る少年は、最寄りの村で仕事を手伝っていた。
現実世界で営業職ではなく、人付き合いが上手いとは言い難いが、強者としての余裕が不足している自信を補ってくれた。薄汚い借り物のローブで浅黒い少年の容姿でも、レベルカンストの自信は偉大だった。相手が女性だろうと年配の男性だろうと
(今なら営業職もできる気がするよ)
笑顔の彼は心中で呟く。
レベル100プレイヤーの力を駆使して、自然と周りから頼られる存在になった。数十人で引く網を一人で引上げ、魚の仕分けは誰よりも早く、空いた時間で家屋の傾きを直した。
番外席次が隊長を相手取って絡み酒を飲んだ夜、作業を終えた彼は村長の家へ報告に行く。
「村長さん。今日の漁は終わりましたよ。魚の収穫量、減ってました」
「そうかい……困ったのぅ。ノワール、魚でよければ晩飯、食べていきなさい」
「ありがとうございます、いつも助かります」
辛うじて漁で生計を立てている小さな村なので、食事には期待できない。番外席次が持ってきてくれたハンバーガーに比べると、味も見栄えも酷く見劣りする。彼がそれに不満を言ったことはない。流れ者を迎え入れてくれただけでも感謝すべきだ。おかげで自分の正体を悟られず、周辺の情報も集まってきた。
魔導国とは、帝国、法国の大国を吸収した新興国家で、ここは領地の末端。聖王国との国境付近で、南下すれば聖王国の城壁が見えた。魔導国は国王が変わってから、他の追従を許さない強国へ変わったという。リ・エスティーゼ王国が歴史から消え、魔導国に変わったのは最近の話だ。
(結局、魔導国って、ナニ魔導国なんだろう)
リ・エスティーゼ王国と同様、魔導国の前に片仮名が付くはずだ。知るものは聖王国へ魚を売りに出かけてしまい、まだ帰っていない。貧しくて周辺と交易の少ない隔絶された村だからこそ、知るべき情報は
「家の傾きはどうかね」
「ええ、できるだけ直しましたが、それにしても随分と地盤がぬかるんでますね。村の場所を移すことも検討したほうがいいかもしれませんよ。ここではなく、少しだけ北へ移動するとか。このままだと底なし沼になってしまうかも」
「それは難しいのぅ。儂らはともかく、家は簡単に移動できん」
「それもそうですね……」
「お前さんの言うことも分かる。こんなにジメジメした場所ではな……」
「黴も凄いですからね」
「ここではならない理由もあるが……」
ルルイエ村では湿度が急上昇して地盤を緩め、家屋が倒壊の危機に晒されている。それに加え、魚の不漁にも頭を悩ませている。獲れる魚は奇形の魚が目立ち、それでも以前は何とか売れていたが、奇形も度を越したものは弾かれてしまう。
目玉が飛び出し、足が生え、たらこのような分厚い唇をパクパクし、人間の言葉で「ふんぐるい むぐるうなふ くとぅるう」と呟く魚など誰も買いはしない。味の問題ではなく、見た目があまりに気持ち悪い。もっとも、村人は躊躇いなくそれを調理して食卓へ並べており、彼らの豪傑振りもなかなかのものだった。
村長は頭を抱える。
「あの魚はいつから取れるように?」
「100日前あたりか……いや、もっと前だったかもしれん。海が大荒れしてからここずっと奇形が続いとる。一時は収まったんじゃがな、売れないから村に外貨が入ってこんわ」
「そうですか……時間があるときに調べておきますね」
夕食を終え、彼は貸し与えられた家屋へ移動する。この世界は美しく、夜は星の灯りだけで間に合う。今は月が細くなっているが、それでも現実と比べ物にならないほど明るい。
仮宿にしている村はずれの廃屋で横になり、穴の開いた天井を見上げた。
(ふー……もっと情報が必要だな……この村が、俺がいなくても何とかなるようになったら、見切りをつけて出て行かないと)
誰かが遠くで叫ぶ声がする。徐々にこちらへ近づいてきており、魔物が襲来したのかと外を覗けば少女が大剣を振り回していた。
「ノワール! 出てこい! この村にいるってわかってるわよ!」
「……なんで?」
少女と目が合った気がした。お目当ての標的が廃屋から頭を覗かせているのを発見し、彼女は即座に飛び掛かってきた。
滅多矢鱈に振り回された大剣で、まず入口の柱が砕け散った。猪のような
「ちょ、ちょっと! 家が! うっ……くさっ! お酒臭い!」
「死ねえええ!」
「バギッ」と特別に大きく、嫌な音がした。
「あ」
「あん?」
振り回された大剣で廃屋の最大の支柱、大黒柱が砕け散って屋根が頭上に迫った。
家屋倒壊の音と砂埃が周囲に充満する。酒臭い呼気を放つ少女と見すぼらしい身なりの少年は、崩れる家の下敷きにされた。隊長が駆けつけるころ、番外席次は武器を奪われて不貞腐れ、少年になった異形種は対応に困り果てていた。
◆
三名は岩場に腰かけ、星空の下で語り合う。語る内容が夢や未来についてだったなら、程よい青春だ。残念ながらそんなに充実したものではなく、第一席次は歪んだ番外席次の性格に関する説明を終えた。
「――なのです。どうか彼女のことは、それでご理解ください」
「うん……なんとなくわかった」
第一席次の少年は、二人の間に漂う奇妙な雰囲気の沈黙を払わねばならなかった。この廃屋は村の居住区から離れており、あれだけ騒いでも住民に邪魔されることはない。少年は自分が名乗るよりも先に、番外席次の性格の歪みについて説明をしなければならなかった。
最初こそ歯を剥いて威嚇していた番外席次も、今は頭をこっくりこっくりと揺らしている。飲酒で人知を超越した眠気が誘引され、彼女を
誘われるがまま籠絡され、座ったまま居眠りをしている。耳をすませば、可愛らしい寝息が聞こえてくる。第一席次が顔を歪めた。
「……くー」
「………話の途中で眠るとは。なんという自己中心的かつ傍若無人な酔っ払い。蛇を思い起こさせます。やはり彼女には戦い以外の教育を――」
「ヘビ?」
「失礼、私の仇敵です。お気になさらないでください」
「そ、そうなんだ……」
互いに名前さえ知らぬ間柄であったが、悪人でないことは話していればわかる。両者の個人領域は少しだけ狭まっていた。
「ええと、彼女のことはわかったけど、君は?」
「私はアインズ・ウール・ゴウン魔導国の者で、彼女の同僚です。あなたは、魔導王陛下や蛇と知り合いではありませんか?」
「ふっ……ふぅぅん……」
アインズ・ウール・ゴウンと聞き、少年は動揺する内心を必死で堪えている。自分の内々でなんとか情報を処理しようと思ったが、疑問の数が多すぎた。すぐに許容範囲を超え、息が荒くなる。
沈静化の一呼吸おいてから本格的に動揺し、糸を手繰り寄せようとする追及が口から出てきた。
「い、いま、アインズ・ウール・ゴウンって言わなかった!?」
目を見開き、口を開いてこちらを身を乗り出した。十分な手ごたえを感じ、隊長は続けた。
「アインズ様、大蛇のヤトノカミ、どちらかを御存じありませんか?」
「……アインズ様? ……どんな人?」
「種族はオーバーロードと聞いています」
「角の生えた黒いローブ着た?」
「ええ」
「お腹の辺りに赤い玉がある?」
「あります」
この時点で、アインズが誰かほぼ決まる。オーバーロードの種族は他にもいるだろうが、腹部に
(モモンガ玉ってそんなにたくさんないよね……ワールド・アイテムだし。一応、ヤトくんのことも聞いておこうかな)
「ヤトは……角が生えた蛇かな? 武器はなんだったかな……大鎌?」
「はい。赤い角が生え、人間には持てない大鎌を所持しています。馬鹿で人を苛立たせる稀代の愚者です。先ほどの話に出た、私の仇敵です」
「そ、そうなの?」
「はい」
そこの意見は頑なに譲らないという顔をしていた。
アインズと大蛇は、ログインしてすぐに別れた二人しか考えられない。再ログインに失敗した自分だけでなく、最後まで残った彼らも転移していたのだ。サービス終了間際にゲームのロード99%が転移条件ではなかった。自分が一人ではなかったと知り、心から安堵して「ほーっ」と呼気が口から勝手に抜けていった。
「よかったぁ……俺、一人じゃなかったんだ」
「お名前をお聞きしても?」
「ノ……ヘロヘロ」
「ヘロヘロ? ノワールというのは」
「偽名だよ。俺、本当に嫌われているからね」
サラリーマンのビジネス口調を止め、一人称も彼本来の“俺”に戻った。
異形種ギルド、アインズ・ウール・ゴウンのヘロヘロ。
複数対複数の
「異形種ですか?」
「そうだよ。彼らはいつここに来たのか知ってる?」
ヘロヘロが聞いた話によれば、モモンガとヤトは自分よりも早くこの世界へ来たようだ。転移日数に差がある理由は不明だが、ヘロヘロの雰囲気が緩んでいく。本来の体なら足元一杯に広がっていたかもしれない。
「そっかぁ…………よかったぁ、このまま一人で死ぬのかと思ったよ……あれ………でも、牧場は……人間牧場ってなに?」
「罪人の皮を剥ぎ、羊皮紙にするのです」
「……だ、誰がそんな」
「蛇です」
「……」
(そんな残酷な奴だったかなぁ……? ウルベルトさんやタブラさんじゃあるまいし)
ヘロヘロが記憶を漁っていると、隊長はさも当然とばかりに大蛇への恨み辛みを零し始める。
「あの蛇野郎、私の金貨を湯水のように使い、しかもまだ返却していないのです。思い起こせば、出会って早々に奴は無礼者でした。いくら敵対国とはいえ、面白いからという理由で宗教家の私を娼館に連れて行き、法国のローブを売り払ってこの服を買い込み、私の財布で飲み食いし、酔い潰して情報を好きなだけ引き出したのです。最近では、私と部下が必死になって再興した仕事にケチをつけ、酒の値段を吊り上げて私の――」
「も、もういいよ。だいたいわかったから……」
話は自然に終わらず、ヘロヘロは強引に打ち切った。言い足りなかったようで、少年は残念そうだ。
(異世界転移ものだと一般人が横暴になったりするから、彼もそのクチだったのかな……)
「あのさ………ごめんね。あれでも根は悪い奴じゃないんだよ、多分。いや、そこまで深い仲じゃないんだけどね。所詮はゲーム仲間だし。彼も異世界に来てちょっと調子に乗っているだけだと思う。本当、ごめんなさい」
岩に腰かけているヘロへロは深々と頭を下げた。自分の知るヤトと彼の知る大蛇が同一人物か自信がなくなってきた。真摯に謝るヘロヘロの態度に、これまでの二人とはまた違う性格なのだと知り、隊長も慌てて頭を下げた。
「あ……いえ、こちらこそ、口が過ぎました。申し訳ありません」
「彼と再会したらこれまでの非礼を詫びさせるから。本当、ごめんね?」
礼儀を弁えた少年二人は、サラリーマンのように頭を下げ合った。
「……いえ、本当に申し訳ありません。忘れてください。それでは明朝、聖王国へ向かいましょう。魔導王陛下と大蛇は聖王国へ出かけましたので、我々もそちらへ。私はメッセージの魔法を使えませんので、直接に出向けばよろしいでしょう」
「メッセージって魔法だったんだ……まだまだ知らないことが多いなぁ。悪いけど、その前にやることがあるんだ。この村が不漁に悩んでいるんだけど、調査を手伝ってくれないかな? 短い間だけど、世話になったお礼に」
「……」
隊長の嫌な記憶が浮かび上がった。
アインズの指示通り、海を周回する蛆とも蛇ともとれる何かを漆黒聖典で討伐した直後、下から突き上げるような砲撃を食らい、半数が瀕死、あるいは死亡の事態に陥った。なおも追撃しようとするなにかから、半壊した船と犠牲者の亡骸を引いて命からがら逃げだしたのは記憶に新しい。
「モモンガさんとヤトくんも聖王国にいるんでしょ? 同じ世界にいるなら急ぐ必要もないからね。明日は海底を調べに行くよ」
「……潜るのですか?」
「確認だけ、ね。俺も本来の装備じゃないから、交戦は避けたいし。ところで、話が変わるけど番外さんはいつもこんな感じなの?」
「いえ、もう少し落ち着いているのですが……蛇の妾を希望して落ち着きがなく……いえ、話すと長くなるのですが」
「妾ねぇ……異世界ハーレムを満喫しているのかな。詳しく教えてくれる? あ、その前に君は何歳?」
「15才です」
「よかった、人間だったか」
そこから隊長の独白に似た番外席次の説明が入った。全てを聞き終えたヘロヘロは、この世界の人間が置かれる立場の弱さと、彼女をそこまでしなければいけなかった法国の残酷さと弱さに同情した。
他にも魔導国の情報、戦力、移動手段など様々な説明をされたが、ただ一つ、封鎖されたナザリック地下大墳墓の情報だけは、事情に疎い隊長から話されることはなかった。ヘロヘロは、NPCやメイドが意思を持っていると知らずにいる。
「国を作っちゃったんだ。モモンガさん、ギルマスから国王になっちゃったよ」
「彼らの話を信じるなら、この地へ転移してから150日足らず。争っていた三国を簡単に統一してしまうなど狂気の沙汰です」
「やっぱりギルドマスターってのは凄いなぁ。奥さんもいるんでしょ? モモンガさんは優しいから、ハーレムなんか簡単に作れるんだろうね……アンデッドだけど」
口の端から含み笑いが漏れた。
「それ以上の話は、アインズ様よりお聞きした方がよろしいのではないでしょうか」
「それもそうだね。それじゃあ、眠ろうか」
雨風を凌げる廃屋を壊されたヘロヘロは、少年少女と砂浜で野宿した。
(楽しみだなー……二人とも、異世界を楽しんでるんだ……俺も結婚して子供産んで普通に暮らせるのかな……子供? この体で作れるのか……分裂? いや、子供は別にどうでもいいや)
村の懸案事項を片付け、聖王国から帰った彼らと合流し、異世界を楽しめるとわかって胸が昂る。強さはレベル100で、自分はこの世界で強者だ。強者となって異世界転移する主役に自分がなれたことを、今は素直に喜んだ。
アインズとヤトが驚いて騒ぐ姿を想像しながら、夢の世界へ入っていく。
心地よい微睡の中、ヘロヘロを必死に探す金髪の女性が浮かんだが、名前を思い出せなかった。
NPCなど所詮はゲームのキャラクターで、それ以上でもそれ以下でもない。ナザリックが無いと思っている彼が、手塩にかけて作成したNPCを思い出すことはない。
ただ、悪い気分はしなかった。
◆
「……ちょっと、あんたたち………舐めてんの?」
翌日、船を貸してくれと言ったヘロヘロに対し、村長の返答はよろしくない。
一艘しかない船は木でできた簡素な船だ。万が一、それが壊れると漁に出られず、彼らは飢え死にしてしまう。交換条件として、新しい船を用意するので五日ばかり待ってほしい。それが村長の提案だった。
「助けてやるって言ってんのに、出し惜しみするかな、普通」
「仕方ありませんよ。農業に力を入れていますが、漁業には手を付けていません。税金こそありませんが、末端の暮らしはまだまだ大変です」
「船が少なすぎるわよ。漁村なのに船が一つしかないのは何?」
「ご、ごめんね、番外ちゃん」
「気安くちゃん付けで呼ぶな! 理不尽に説教を垂れた恨み、まだ晴らしてないからね」
「その節はどうも……」
番外席次は目くじらを立ててヘロヘロの擬態に詰め寄る。突き立てた人差し指が何度もヘロヘロの胸を突いた。可憐な顔が至近距離に近づき、思わずヘロヘロも後ずさる。
「勘違いしないでほしいんだけどさ。私は蛇の妾になるからね。あんたが蛇と骨の仲間だか何だか知らないけど、私からすれば最初に私を倒した蛇が好きなの。わかった?」
「は、はぁ……ごめんなさい」
「仮にあんたが私を倒しても、《まぁ、お強いのね》ってことにはならないからね。そこのところ、勘違いしないように」
「蛇が好きなんだね」
「そうよ!」
自分のことを話しているわけではないが、彼女の鼻は空を向いた。心なしか鼻が高くなっているように見える。胸に手を当て、誇らしげに蛇の恐ろしさを自慢し始めた。
「法国との戦争で奇襲を仕掛けた私の腕を切断して、躊躇いなくもう片方の腕を叩き切ろうとする残酷さと無慈悲さ……あれこそ強者よね! 暗黒の波動が体を覆って、目だけが赤く光るなんてもう最ッ高ッ!」
「そ、そうなんだ……」
(ちょっと中二病なのかな……っていうか、ヤトはそんなに強かったっけ……しょっちゅう死んでた覚えがあるけど。もしかしてこの娘、弱い?)
「なに? 文句あるの?」
「い、いやぁ。頑張ってね、応援するよ」
異世界に来たことで能力に何らかの変化が生じた可能性を考慮し、機会があればスキルや技を試すべきかと脳内のメモ用紙に記入した。ゲームを始めたばかりはやるべきことが多く、内心はわくわくと期待で昂った。
「もう私、帰ってもいいかな」
「あ、ちょっと待って。ここへはどうやって来たの?」
「王宮で転移魔法が使えるので、私もこちらへ飛ばしていただきました」
「モモンガさんのマジック・アイテムか何かなのかな……ここから魔導国の王都までどのくらいかかる?」
「二日あれば帰れます」
「そっか」
異世界を現地住民と放浪すれば、お試しプレイや情報収集にうってつけだ。解説は理知的な第一席次がしてくれるだろう。ヘロヘロは彼らを伴い、五日後に出直すと村長に伝えて村を去った。
彼らの背中に見送る村長が呟く。
「これで村も安泰じゃな」
◆
魔導国の領内は概ね平和とはいえ、盗賊の類が消えたわけではない。むしろ、王都から離れるにつれて襲撃の可能性は増える。滅多にないが、冒険者を護衛につけていない不用心な貴族が歯牙にかけられた。平和に暮らせる国家であろうと、楽して金を稼ごうとするものが消えることはない。
「あの、どこのどなたか存じませんが、なんとお礼を申し上げて良いか」
旅の道中、襲撃されていた貴族の令嬢と執事は、ヘロヘロの前に跪く。金髪が美しいお嬢様は安堵の涙を流した。周辺に散らばる盗賊は生きている。蚊を撫でるような優しさで叩けば、生かして失神できた。
「あの、盗賊は倒したから大丈夫ですけど、歩いて帰れますか?」
「ええ……はい。あ、頑張ってみます」
「放っておけばいいじゃない。冒険者も雇わない貧乏貴族なんか」
「それならますます放っておけないよ。まだ若いお嬢さんなのに」
「私もそう思いますが」
「あなたは黙ってて。次、許可なく発言したらぶっ殺すよ」
「……」
第一席次は口を開いた状態で固まった。時間が経つにつれて番外席次の表情は不機嫌さを増し、発言の切れ味も鋭くなっていた。
「あっ……」
「ああ、危ない」
立ち上がろうとした令嬢は、立ち眩みを起こして座り込む。老年の執事が慌てて駆け寄り、彼女の体を支えた。
「お嬢様、御無理をなさらないでください。私で良ければ背中に」
「……」
「……」
ヘロヘロが番外席次の顔色を窺えば、「余計な時間をかけるな」と睨んでいた。ヘロヘロは面倒なことから目をそらし、うら若き女性に笑顔で話しかけた。
「よろしければ、近くの都市まで一緒にいきませんか?」
「はぁ!?」
「よろしいのでしょうか。お連れの方が……」
「気にしないでください。少し北へ進めば都市があります。王都へ向かう通り道ですから。そこで馬車を拾えばいいですよ」
「ざっけんなよ」
「まぁまぁ」
「あ?」
「……」
番外席次からすればさっさと帰りたい。ヘロヘロからすれば、時間が余っている現状こそ寄り道のイベントをこなすのに最適だ。どういうわけか互いに別行動をするという概念がないらしい。行動こそ慈善事業だったが、番外席次が口から撒き散らす棘のある空気で雰囲気は最悪だ。
「あっ」
「さあ、行きましょう」
ヘロヘロは令嬢を軽々と背負い、負担にならない程度の速度で歩き出す。
「あの、ヘロヘロ様、何を」
「貴族のお嬢さんを歩かせるわけにいかないでしょう」
「恥ずかしいです……」
助けられた高揚感から、彼女は様々なことを話してくれた。立ち込める悪い空気が少しだけ緩和された。
「まぁ、お強いはずですわ。ヘロヘロ様は魔導王陛下のご盟友でしたの」
「まあ、それなりに」
手から伝わるすべやかな太腿と、押し当てられる胸の感触に心臓の鼓動が早まった。だらしなく緩む顔が番外席次を苛立たせる。
「なぁにが、まあ、それなりに、だ! デレデレするな!」
「痛っ、私に当たらないでください」
離れて歩くそちらの騒動はヘロヘロにも聞こえていたが、今は美人のお嬢様と話していたかった。30を越えているヘロヘロからすれば、番外席次は子供という印象でしかない。
「まだお若いのに、素晴らしい腕ですわ。屈強な盗賊を一撃で叩き伏せるなんて、憧れてしまいます。もしよろしければ邸宅で私の父に――」
「いえ、今日中に一つ先の都市へ行きたいので」
「そう……ですか? お食事だけでも」
「いえ、食事は簡単に済ませましたので」
「夜になると魔獣が凶暴化します。どうか、お泊りになって」
「いえ、それこそ望むところです。これでもそれなりに強いので」
「お願いです。またお越しになってくださいませ。家を挙げて歓迎を致しますわ」
「そこまでご迷惑はかけられませんよ」
「ご迷惑では……ありませんの」
フラグをへし折られた貴族の令嬢は寂しそうな顔をしていたが、ヘロヘロからは見えない。
首に巻き付く腕に力が入ったのを移動速度が速すぎたと勘違いし、更に進行速度が緩む。
それからも飴玉を噛み砕く気楽さで仕掛けられるフラグを打ち砕き、へし折り、踏み潰した。貴族の令嬢を最寄り都市近郊へ降ろし、黒衣の一行は次の都市へ向かった。
「それでは良い旅を」
「ヘロヘロ……さま……」
強くて紳士的な魔導王の若き友人ヘロヘロという、素晴らしい称号を都市と令嬢の心に残して。
彼女を助けた影響で、中途半端な場所で夜になってしまう。都市まではそう遠くないので強行する手段もあったが、ヘロヘロは金貨の類を持っていない。何よりも、
小さな森の中、三人は焚火を囲む。携帯食料は昼に食べてしまい、夕食は抜きだった。退屈しのぎに、二人はスレイン法国について詳しく教えてくれた。
「だから、法国と聖王国は宗派が違うのよ。元は同じ宗教でもね」
「十字軍みたいなものかな……宗教戦争も起きたの?」
「それはないわね。法国と聖王国は遠すぎるし、亜人の敵がいるもの」
「元を正せばプレイヤー信仰に何の意味も価値もありません。下らない自己満足です」
「あなた、本当に変わったわね」
「考えてみれば、六大神を崇めるということは、同じプレイヤーの大蛇を崇めることでもあります。私は御免被りたいですね」
「宗教かぁ……なんかいいイメージないなぁ」
「ねえ、あなたは彼らの仲間なんでしょ? 戦うとき、体から放つ黒いものは何なの?」
「黒い……ああ、これ?」
ヘロヘロは絶望のオーラを解放した。体から黒い波動が立ち上り、ゆっくりと空へ昇っていく。呑気な少年は、途端に化物の風格を持った。番外席次と第一席次に冷や汗が流れた。
「これは《絶望のオーラ》っていうんだよ。レベルが5まであって、極めるには特定の種族や職業を取ってないと駄目なんだ」
「あなたはいくつまで使えるの?」
「3までだよ。相手とのレベル差が激しければ混乱付与だね。雑魚が多いと便利なんだよ」
「それ、どうやって使うの?」
「え? う、うーん……」
ユグドラシルのスキルを現地人の彼らが使えるのかとは、非常に難しい。勘で答えるなら「無理」であった。彼女は大そう残念がっていた。ブツブツと文句を言う番外席次は、猿のように木の上へ登って大きな枝に横たわった。
「そっか、木の上で寝れば見張りは必要ないのか」
「……私にはできません」
「それにしてもお腹空いたね……」
「仕方ありません。次の都市まで遠すぎます」
「なんか、ごめんね。やっぱり食事、御馳走になっておけばよかった」
「それはお止めになって正解だったかと……」
「そう?」
少し鈍感なのかもしれないと、第一席次はヘロヘロの評価を蛇より上、骨より下へ書き換えた。あのまま貴族の令嬢の邸宅へ招かれていれば、魔導王の友人という立場に魅かれた貴族に付け込まれ、養子縁組、あるいは婚姻の話が持ち上がっただろう。穏やかなヘロヘロは強引に跳ね飛ばすこともできず、ずるずると時間を浪費した公算が高い。
第一席次とヘロヘロは、交代で見張りをしながら夜を越えた。
翌日、今日こそは先を急ごうと番外席次は息巻いていた。王都の南西の都市近郊は貴族の領地であり、人間都市近郊は広大な農場とそれに従事するスケルトンで溢れていた。番外席次の思惑から外れ、ヘロヘロは景色に見惚れて足を止めた。
「うわあ、凄いなぁ。スケルトンが農業しているよ……稲が綺麗だなー」
「魔導国領内ではよくある風景のようです。私も初めて見たときは驚きましたが」
「早く行こう」
「もう少しだけ見せて」
「チッ……」
「平和っていいなぁ……」
遠い目で平和を有難がるヘロヘロは、番外席次から見れば狂っているようにしか見えない。背後で大剣を叩き込もうとする彼女を、第一席次が必死に抑えるという
「あぁ! オーガが農場を襲撃してる!」
遠くで農作業をする真面目な骸骨が、棍棒で粉砕されていた。見つけると同時にヘロヘロは駆け出した。
「私たちも行きましょう。見過ごしてはおけません」
「あなたはどっちの味方?」
「私は正義のみか――」
美しいアッパーカットを顎へ突き上げられ、食らった少年は昏倒した。
力関係はまだまだ入れ替わることはない。
ヘロヘロは腕試しの機会を得て草原を駆ける。主に優先すべきは自分の中に存在するスキル、技の確認と、酸の強弱の検証だ。酸を付与した拳で殴ったらどうなるのか。人間の体で酸のみの攻撃が可能なのか。体捌きはどれほどなのか。ドロップアイテムはどうなのか。
集団の前方へ飛び込んだヘロヘロは、すぐに取り囲まれた。
「ごめんね」
呟いた彼の声は誰にも聞こえていないだろう。襲い掛かる
数分で彼らの命を奪い終えた。
屍に染められた赤い草原で、浅黒い少年が暗く嗤う。
(人間の姿じゃ、酸は飛ばせないみたいだな。それにしても……ふふ……ははっ……溶かすのって楽しーい)
現実社会で積もり積もった鬱憤が噴き出したような絶望のオーラを垂れ流す、少年の姿に擬態した恐ろしい異形種。自身が作ったNPCと同様、口が裂けそうだった。笑い声こそ抑えたが、気分が高揚していた。
腹の底からこみ上げる歓喜は、すぐに沈静化された。
(あれ? 感情が収まった。
小さな咳払いをして気持ちを切り替え、彼はトロールの死体を観察する。酸を付与して殴った影響か、打撃した点を中心に周辺が溶けていた。酸の強弱も手慣れたもので、一撃で体に風穴を空けられたトロールの溶解状況に、顕著な差が出ていた。腕を組んで満足げに死体を眺める。
「まあ、魔物とはいえ、グロい死体を見ても何とも思わないのは好都合かな」
「あーあ、全部、倒しちゃったのね。私の分も残してほしかったのに」
興ざめした番外席次の声がした。振り返れば、彼女は道端の小石を拾い上げ、
「つまんないの……」
「あ、ごめんね。次はとっておくから」
「それよりもこの死体、どうするの? 冒険者だったら体の部位を持ち帰るんだろうけど、私はそんな登録してないよ」
「そうなんだ……魔物を倒せばお金になるのか。死体を放っておくのも不衛生だから、これは溶かしちゃうよ。離れて待ってて。慣れてないと臭いから」
「ふーん……」
不敵な笑みを浮かべる番外席次に、また不意打ちを食らうのではないかと冷や汗が出た。
幸い、ぶちのめした第一席次を起こしに行ったので、不意打ちは避けられた。誰にも邪魔されずに思う存分、溶かす行為を楽しめた。ドロドロになったトロールと配下のゴブリンの死体が大地へ染み込んでいく。少しだけ地面も溶けた。
それ以上、道中に何かと遭遇することはなく、彼らは王都の見える場所まで到着する。頭上に緩い光を放つ月が出ていた。このまま野営かと思われたが、番外席次と第一席次は早急な帰還を要求した。
「野宿はごめんだわ」
「同意します。ここは少しでも早く、王都へ向かうべきです」
「でも、お金が……」
「魔導王様の御友人がいつまでも野宿してはいけません。私がアインズ様に怒られてしまいます。何よりも……あの蛇野郎に後で何を言われるかわかったものではありません」
「恨みは深いんだね……」
「プレイヤーが文無しじゃ、ださいよね。早くお金稼いで返してね」
「……頑張って働きます」
王都の夜は長く、街はまだまだ眠る気配がない。通行人も多く、ヘロヘロは自身の見すぼらしい服装が恥ずかしくなった。
彼らに言われるがまま、王宮付近の宿屋へ案内される。第一席次が所属する“組織”の付けで支払いを済ませ、簡単な夕食を済ませて部屋にいった。それなりに高級な宿のベッドはふかふかで柔らかかった。
「うわぁ……凄いなぁ。こんなに柔らかいベッドなんて初めてだよ」
「ヘロヘロ様、明朝、私がお迎えに参ります」
「私は来ないからね」
「あ、うん。番外ちゃ……番外席次さん、ありがとうございました」
「ふん」
礼儀正しくお辞儀をしたが、彼女の顔はそっぽを向いている。
「それではまた明日」
「君もありがとう。助かったよ」
扉が閉まり、ヘロヘロは一息ついた。
ベッドへ飛び込めば、柔らかい布団が優しく受け入れてくれた。現実世界ではこんなにのんびりと眠ることは許されず、健康診断はいつ死んでもおかしくない数値だった。実際にそうなっても仕方ないと考えていた。
簡単に済ませた宿の食事も美味しく、現実世界では味わえない。経口摂取でお腹と食欲が満たされ、ベッドに横になれば心地よい眠気が襲ってくる。
「仕事、探さないとなぁ……モモンガさんとヤトくん、俺に仕事紹介してくれるかな……帰れって言われたらどうしよう……浮浪者になっちゃうよ」
ナザリックがこの地へ転移している可能性が頭をかすめたが、すぐに否定された。異世界転移ものはいくつか読んだことがあるが、拠点まで転移したなど聞いたことがない。今でこそ人間の姿をしているが、本来、異形種で転移も珍しい。
転移していれば働く必要はないかもしれない。そうかといって自由な異世界で自堕落に暮らすのもどうかと思われた。ブラック企業に飼い慣らされ、染め上げられた性質は異世界転移しても抜けなかった。
(次の仕事はホワイトがいいな……俺も誰かと結婚しよう……かな……)
取り留めのない夢を見ながら、本物の夢へ落ちていった。
ブラック企業ですっかり錆びついた頭と体が、本調子になるまでしばらくの猶予があった。