モモンガさん、世界征服しないってよ   作:用具 操十雄

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狂気は山脈から

 

 

 戦場に気まずい沈黙が訪れた時刻より、遡ること数時間。

 

 大浴場にて性的な襲撃を仕掛けたシャルティアとアウラへの説教もそこそこに、アインズ一行は雪が積もる山脈の頂上にいた。これ以上の滞在はシャルティアを盛り上げるだけだと判断し、ドワーフ王国への対応を後回しにした。机上でいつまでも議論を練り上げるより、彼らへの交渉材料である首都を奪還する方が早いと判断したように見える。ルーン工匠たちは既に丸め込んでおり、ドワーフ国摂政会への対応は遺棄された首都奪還後、ヤトを連れて訪れればよい。

 

 そんな些事よりも重要なのが、熱視線でアインズを射抜く吸血鬼真祖を護衛から外すべきであった。これ以上の滞在日数の延期は彼女に夜這いの機会を与えるだけでしかない。依然として彼女の熱と艶は沈静化がなされなかった。

 

 言い訳がましい物思いに耽っていると、皺がれた声が聞こえた。

 

「どうなされた、魔導王」

 

 立派なひげを生やした霜の巨人族の長が、会談の最中に固まったアインズを心配して覗き込んでいた。巨人族はその名の通り体躯が大きい。年老いた長でさえ、顔の大きさはアインズの倍以上ありそうだ。

 雲海を一望できる山脈の頂上、雲より高い高地は温度が低く、酸素も少ない。ここは人間種族の住める場所ではない。霜の巨人(フロスト・ジャイアント)一族の体は極寒の地に適応すべき進化を遂げ、吹雪(ブリザード)をもろともしない青く強靭な肌で覆われていた。

 

「……いや、会談の最中に申し訳ない。いま話した通り、これからもよろしく頼む」

「うむ、フロスト・ドラゴンどもは任せたぞ」

 

 霜の巨人(フロスト・ジャイアント)はとても紳士的に対応してくれた。常闇の竜王を乗り物代わりに乗りつけた効果も影響し、彼らと険悪な空気になることはなかった。

 

 長は握手を求めて手を差し出したが、巨人族と骸骨は体格差が大き過ぎて握手は成立しなかった。機嫌の良い長は、歯をむき出して「カッカッカ」と豪快に笑った。

 

「これで巨人族の敵が大きく減った。個別にみれば敵はまだまだ多いのだが、少なくとも我ら霜の巨人(フロスト・ジャイアント)族は山脈の大部分を統べる種族となるだろう。心から感謝するぞ、アインズ・ウール・ゴウン殿」

「礼には及ばん。ドワーフを殺さぬ盟約に報いただけのことだ」

 

 主な交渉は支配下にしたドワーフ不殺(ころさず)の令である。代わりに巨人族が要求したのは、山の覇権を巡って縄張り(シマ)を争う霜の竜王(フロスト・ドラゴンロード)を山から退去させることだ。どのみちドワーフの首都奪還において竜族と交戦は避けられないのだが、アインズの物言いは実に恩着せがましかった。

 

 「わざわざ竜を倒しに出向くんだからそれくらいはいいでしょ?」という交渉に、巨人族は両手放しで飛びついてくれた。山の中腹に住む小さなおっさん種族を放置するだけで、敵対する霜の竜王一族が消えるのだから魅力的な交渉だ。通り道で彼らと友好関係を結んだアインズの機嫌は、沈静が成されない程度に良かった。

 

 乗り物代わりに使われた常闇の竜王の不満は積もっていたが、シャルティア(天敵)に睨まれる度に体がすくんでしまい、不満を口にすることはない。アインズは山の頂上部分と友好関係を結んで機嫌を良くし、そのまま降下して霜の竜王(フロスト・ドラゴンロード)に奪われたドワーフの王宮を目指した。

 

 刺すような冷気を帯びた風をもろともせず、アインズは巨人族の話を思い出していた。

 

(しかし、風に乗りて歩むもの(ブリーズ・ジャイアント)とは何なのだろうか。北欧神話にそんなものイタカ?)

 

 急降下する常闇の竜王(ディープダークネス・ドラゴンロード)の速度は速い。この分ならすぐに王宮が見えてくるだろう。

 

(ゴンドが書物をくすねてくれと言っていたな……探してみるか)

 

 

 同時刻、肝心のゴンドはゼンベルと酒を飲んでいた。赤くなった顔を見れば、アインズに頼んだ書物のことなど片隅にもないとわかる。

 

 ゼンベルはアインズ一行の御付きを拒否した。自分の足で山を下りると言い出したところ、アインズも手間が省けると喜んで承諾してくれた。転移ゲートを開いて蜥蜴人(リザードマン)の集落へ送る提案もしてくれたが、そちらは個人的な理由で拒否した。

 まだまだ観光し(遊び)足りなかった。

 

「婆さん! 魚がすっぺえよ!」

「うるしゃいわい! 煮物でも食ってろ!」

「ゼンベルよ、今ごろは王宮に着いたころじゃな」

「さあな、こっちで余計なことしなくてもよ、全部が都合よくなるってもんよ」

 

 ゼンベルは考えることを放棄し、グラスの酒を一気に飲み干した。

 

「お前さんはここに残ってよかったのか?」

「冗談じゃねえよ。もう俺は嫌だぜ、あの人たちの後をついていくのは。頭がおかしくなっちまうぜ」

「分かる気がするわい」

 

 同じ苦労を味わった彼らの共感(シンパシー)は強く、十年来の友人並みに話題は尽きなかった。

 

「竜王まで部下にしてしまうとは、恐ろしい御人じゃな。まさに魔導王の名に相応しいわい」

「そうか? いや、別に驚かねえけど」

「そこは驚いておけい。最強種族の竜王じゃぞ? 神話や伝承に登場するドラゴンが、なんとあの小さな少女にボッコボコにされたんじゃ。狂っとるわい」

「ゴンドのおっさんよう。俺はさ、ドワーフを皆殺しにする旅かもしれねえと思ってたぜ」

「……予想が外れてよかったわい」

 

 背筋にうすら寒いものが走った。アインズがその気になれば、歴史の表舞台からドワーフが消え失せるのに一時間とかからないだろう。

 

「魔導国に来いよ。あそこじゃ何が起きても驚かねえ。飯も美味いし酒も旨い、メスはいねえが色んな種族がいるぜ。あんたらの敵対してたクアグラってのも、アインズ様なら下僕にでもしちまうだろうな」

「クアゴアじゃ」

「クモグラ?」

「モグラじゃない、クアゴアじゃ」

「そっかぁ、モゲラかぁ」

 

 死の恐怖から解放され、度を越して酔っぱらった彼らの話は取り留めがない。この日もゼンベルは足がふらつくまで酒を飲み、もう一泊することになった。

 

 ゼンベルが蜥蜴人(リザードマン)の集落へ到着したのは、それから何週間も経ってからだった。

 

 

 山の頂上を発ってから一時間余りが経過したころ、アインズ一行は造形の美しい宮殿の前にいた。

 

「アウラ、シャルティア、休憩している時間はないが、体は大丈夫か?」

「か、体でありんすか!? 体の準備はいつでも大丈夫でありんすぅぅ!」

「この腐れ馬鹿! あんた、わかっててやってんでしょう!」

 

 これから竜王を含めた竜族と戦うとは思えない、緩んだ雰囲気であった。

 

「はぁー……アウラ、シャルティアをよく見ておけ。常闇、確認するが、フロスト・ドラゴンロードは弱いのか?」

「さきほどフロスト・ジャイアントの住処で見たじゃないか。飼われていた白いドラゴン、あれがフロスト・ドラゴンだ。竜王の名を名乗っていても、新参者の彼は君たちからすれば大した相手じゃない」

 

 巨人族は霜の竜(フロスト・ドラゴン)を飼っていた。淡白な鱗に全身を覆われた彼は、アインズ一行を見て諦めたような顔をしていた。牧場の家畜がよくする表情だった。

 

「弱肉強食だな」

「世界の原則だ」

「世知辛い世の中だ……」

「魔導王よ、彼らは僕でも殺せるよ。君たちなら生殺与奪は自由にできる」

「ふむ……ドラゴンか」

 

 竜族は美味しい魔物である。体の部位は装飾品、高位魔法を込めるスクロール、装備品などに加工が可能で、得られる経験値も高い。いっそ刃向かってくれれば、彼らを羊皮紙の供給源として飼い慣らす口実ができる。魔導国の王都限定商品として、高値で売り出すのも悪くない。むしろ進んで行うべきである。

 

 アインズの肋骨は期待で小躍りした。

 

「よし、行こう。シャルティア、武装しなさい。彼らを配下にする戦いだ。殺しても構わんが、すぐに蘇生するように」

「はい、アインズ様!」

 

 常闇の竜王を最後尾に、一行はドワーフ王宮を奪還すべく、城の形をしたダンジョンへ足を踏み入れた。

 

 

 

 

 引き籠っている竜は読んでいた本を閉じた。

 

「はぁ」

 

 ドワーフ王宮に残されていた書物に、自身の興味がある分野はない。

 美味い酒だの、造酒方法だの、デザイン・造形やルーン文字についてなど何の価値もない。諸国に関する情報は興味を惹かれたが、久しく他国と交易をしていない影響で内容が薄くて古い。知識欲を満たすにはほど遠い。

 

「こんなこと、父上には相談できないしなぁ」

 

 (おつむ)の沸点が低い父親の姿が浮かぶ。

 

 魔法書と戦士の指南書を読み進めるにも飽きてしまった。竜王の血を引く彼が人間種族の強くなる方法を読んだところで実践できず、大した興味もない。母が言うように、強さを求めて世界に羽ばたくのも悪くはないが、強くなれる自信がなかった。

 竜族としての強さであれば、日ごろの面倒を見てくれている弟や妹こそ見込みがある。

 事実、彼は異母兄弟と比較しても体が柔らかく、体型は丸い。

 

 およそ肥満と言って差し支えない(たる)んだ体は、歩けば腹の肉が揺れ、振動で本棚から本が落下する始末である。

 

七彩の竜王(ブライトネス・ドラゴンロード)かぁ」

 

 とある書物のさりげない一文に、高い知性を持つ竜王と書いてあった。書籍自体は眉唾ものの冒険譚であったが、本当に知性の高い竜王がいれば話をしてみたい。もし高い知性を持っているのなら、弟子入りでもして知識欲を満たしたかった。

 

 太ったデブゴンは、見た目のみならず欲求まで異端だった。

 

 

 ―――ぎゃあああああ。

 

 

 誰かの断末魔の残響が部屋に届いた。

 

 クアゴアが父親を下手に刺激して殺されたのだろうと、特別に興味も示すことなくふんぞり返って本のページを捲る。それが父親の声だと気付いても、彼の対応は変わらなかった。父親を苦しめる相手に眷属の中で一二を争う弱さの彼が立ち向かうこともできず、部屋に引き籠って震え、災いが去るのを待つしかない。

 

 しばらくして母親が呼びにきたが、彼は答えなかった。どうせろくでもない用事と決まっている。彼にとって本を読む以上に重要なことはない。

 

「ヘジンマール……部屋から出なさい。お客様が呼んでいるわよ。他の子供たちも全員揃っているわ」

 

 正直なところ、無視したほうが早いとわかっていた。それを悟ったのか、母親の声は続く。

 

「お願い、あなたが来ないと、私も殺されてしまう……」

「? すぐに行きますので、先に行ってください」

 

 扉の向こうの気配が遠ざかっていく。霜の竜王(フロスト・ドラゴンロード)の息子、百年以上を生きる霜の竜(フロスト・ドラゴン)のヘジンマールは、贅肉だらけの重たい体を揺らして玉座へ向かった。

 

 遠くに見える玉座の間で、何か黒くて大きなものが動いた。永続光(コンティニュアル・ライト)があるので暗闇にならないはずだ。抜き足差し足で恐る恐る玉座へ進み、奥を覗き込む。入口を見ていた黒い巨竜と目が合った。

 

「君が最後だ。さっさと列に並んでくれよ」

「あ、え、はい」

 

 誰かは聞けなかった。玉座の間には眷属一同が揃っていた。元より青白い顔を更に青くして、家族は一列に並んで何かを見ている。

 

「ぎゃあああああああ!」

 

 父親が惨殺されていた。

 

 普段は父親が陣取る玉座には、白骨のアンデッドが悠然と腰かけ、闇妖精(ダークエルフ)が付き従っている。そして、嬉々として父親を惨殺する小さな吸血鬼らしき顔色の悪い少女。

 

 父親が殺害されている場所よりも奥に、霜の竜の死体が積み重なっていた。それらの死体は全て頭部が無い。だが、それが父親のものだとわかった。理解が追い付かず、途方に暮れた。この山脈で父を子ども扱いできるのは存在しないはずだ。

 

 恐怖の前に好奇心が先走った。耐え切れずにしなやかな体をした隣の妹に話しかけた。

 

「あ、あのさ、どうなって――」

「しぃぃ! お兄ちゃん、黙ってて!」

 

 足を思い切り踏みつけられ、彼女の爪が足に食い込んだ。あまりの痛さに叫びかけた口を塞ぐ。よく見れば妹や弟だけではなく母親たちまで恐怖に震えている。

 

「ほうら、蘇生、蘇生。もっと死体を積み上げなんし。うふふふふ」

 

 シャルティアは体を細かく解体された竜王を蘇生する。切断された頭部から新たな体が生え、父親が蘇生された。切り分けられた体の部位はその場に残っていた。恐らく上位であろう蘇生魔法を初めて見た彼の胸に、恐怖ではなく知的好奇心が訪れた。元より竜族は、肉親への情が極端に薄い。

 

(へえ、こんな風になるんだな)

 

 やがて、玉座に座っていたアンデッドが立ち上がる。

 

「シャルティア、その辺で良い。発狂されてもつまらないからな」

「はい、アインズ様!」

 

 鼻がくすぐられ、彼らの装備している品々の価値を教えてくれた。油断するとくしゃみをしてしまいそうだった。日頃、あれだけ傲慢だった父親は、近寄る一匹のアンデッドに怯え、酷く取り乱していた。

 

「や、やめろ……近寄るなぁあぁあぁ!」

「そんなに怯えなくてもいいだろう、フロスト・ドラゴンロード。私は君にそこまで無茶なことを頼んだだろうか」

「……」

「少し暑いかもしれないが、魔導国で暮らしてほしいと頼んでいるだけだ。そこまで受け入れがたいことなのか。いったい、何が気に入らないのか、私に教えてくれないだろうか」

 

 父親は答えない。無言でいると、即座に吸血鬼の槍が体を貫通した。

 

「さっさと答えなんし!」

「ガッボボ……」

 

 彼らはどうやら即答を望んでいるらしい。一目で致死量とわかるどす黒い血を吐き、父親は絶命した。命の鼓動が停止しても少女は責める手を止めてくれず、父親の首が胴体と切り離された。

 

「シャルティア、もう一度、蘇生だ」

「はいっ!」

 

 不意に、アンデッドがこちらを見た。

 

 運が悪く赤い光点と目が合った気がした。瞬間、背筋から全身に広がる悪寒、それは死の恐怖に他ならない。死そのものが具現化したような悍ましいアンデッド、書物で呼んだエルダーリッチなど比較の対象にすらならない本物の恐怖。好奇心が先走って恐怖を忘れていたヘジンマールは、体の芯から震えが起こるのを防げなかった。奥歯がカタカタとぶつかり、股間の辺りが痺れ、自分が他の兄弟より目立たないように数歩下がった。

 

 妹と弟が横目でぶち切れていた。

 

「さあ、フロスト・ドラゴンロード。今度は話をしてくれるかな」

「……はい」

「それは良かった」

 

 幾度となく心をへし折られた父は、頭を起こす気力もないようだ。地に伏したまま、顔を横に向けて恐ろしいアンデッドを見ていた。

 アインズは地に伏す父親の前にしゃがみ込む。

 

「この城をドワーフたちへ明け渡してもらいたい。君たちは私の僕として魔導国近郊で暮らすといい。必要に応じて仕事もこなしてもらう」

「……はい」

「そちらの常闇の竜王も私の協力者だ。君よりも上位の竜王だ、後で話をするといいだろう」

「……はい」

「異論はないのか? 私も鬼ではない。まだ部下になっていない今なら、多少の要望にも応えよう」

 

 彼らの眷属で最も強いのは父親であった。本来であれば血の気の多い子供たちが立ち向かったはずである。しかし、シャルティアの武力、上位竜王の存在、そしてドラゴンのみならず竜王でさえ素材程度にしか見ていないアインズの存在が、彼らから牙を引き抜いた。できることと言えばせいぜい、忠誠を誓って痛い目を見ないことだ。

 

「……ありません」

「なんだと? 本当にないのか? 君たちを奴隷のように扱おうとしているのだぞ? 竜王たるものが簡単に服従してよいのか?」

 

 決して簡単に服従などしていない。

 

 詰み上がる竜王の死体が、惨殺された回数と盾突く愚かさを嘲笑っていた。生きながら解体される地獄の苦しみを味わったのは、数百年続く竜王の生で初めてだ。想定よりもあっさりと降伏した竜王に、より多くのドラゴンを殺して利用価値の高い死体を少しでも多く入手したかったアインズは露骨に残念がっていた。

 

 傲慢で強欲な彼らなら何度でも立ち向かってくる。それを利用して竜の羊皮紙牧場でも建設しようと思ったが、アインズの当ては外れていた。加虐嗜好の強いシャルティアに任せた人選ミスであったが、そこまで思い至ることはない。彼女は友人の最高傑作である。

 

「服従します……」

「そうか……仕方がないな」

 

 髑髏の眼窩に赤い光が宿り、居並ぶ竜王の妻と子を品定めした。

 

「ひっ」

 

 ヘジンマールの股間が恐怖で痺れた。

 

「君たちはどうだ? 何か文句があるのなら今のうちに聞かせてくれないか。後で聞かされては、他の部下の手前、殺さなくてはならないからな。どうだろう、気に入らないというものは私が直々に相手になろう。自分たちがこれから崇める王の力を知るのも重要なことだと思うのだが」

 

 アンデッドはこちらを最強種族の竜として見ていない。更に言うのであれば、一つの生命体としてさえも見ていなかった。竜をただの一資源として見る冷徹な瞳に怯え、ヘジンマールの震えが大きくなる。特別に大きく震えていたヘジンマールの膝が笑う。

 小さな笑いが大笑いに変わるのにそう時間はかからない。

 

 遂に耐え切れなくなり、彼は自発的に土下座した。

 

「すみませんでしたぁ!」

「……」

 

 沈黙。

 

 戦闘経験が眷属内で最も乏しい彼は失態を演じた。半ばやけくそに土下座したのがまずかった。股間の辺りが暖かくなり、自分が粗相をしたと気付く。

 

「この大馬鹿兄貴……」

 

 誰かが呟いた。横目で兄弟を盗み見ると、シベリアの永久凍土並みに瞳が凍てついた。

 霜の竜に相応しき氷の瞳はヘジンマールを軽蔑している。

 

 死にたくなった。

 

「……お前は誰だ」

「……はい?」

「お前だけ他の子供たちと違い、体型が丸いのはなぜだ。種族に竜以外のものも混じっているのか?」

「……いえ、太りました。引き籠って本を読んでいたら太りました」

 

 最悪のタイミングで内外へ恥を晒し、いっそ殺されても構わないと思っていた。

 

「竜は太れるのだな……お前の知識はどの程度か話せ」

「……来る日も来る日も本ばかり読んでいました。戦闘の役には立ちませんが、知識だけなら」

「そうか……」

 

(学校……か。全員、魔導国へ連れ帰って、役に立たなければ間引きするか。しかし……解体の甲斐がある体だ)

 

 ヘジンマールはアインズにジロジロと値踏みされ、嫌な汗と悪寒で体を震わせた。このまま恐怖の時間が続けば、もう一回くらい漏らしてしまいそうだ。

 

「まあいい、どんなものにも使い道はある」

 

 何かに納得したのか、アインズの瞳はヘジンマールから切られた。髑髏は振り向いて部下に指示を出す。

 

「アウラ。マーレに連絡して、ヤトが何をしているのか聞き出してくれ。シャルティアは竜王を放してやれ。彼らは今日から私の部下だ」

 

 部下の返事を終えたアインズは、ヘジンマールに戻る。安堵の息を吐き出そうとした肥満竜は体を跳ね上げた。

 

「さて、デブゴ……フロスト・ドラゴン。お前の名を申せ」

「ヘジンマールです」

「ヘジンマール。クアゴアの住処は知っているか? お前の父親は場所を知らなかったが」

「し、知っています! ここから10キロ南西へ山脈を降りれば彼らの住処があります! 私がご案内します!」

「道案内を頼む。全員を引率せよ。数十分後、この地を出発する」

「は、はいいい!」

 

 粗相をした絶望的な状況の中、取りあえずだが命は拾い上げた。不細工で気に入らないからやっぱ殺すと心変わりされる可能性はあったが、今は素材扱いでもペット扱いでも無残に殺される選択肢が破棄されただけでも良しとすべきだ。相変わらず親兄弟のヘジンマールを見る目は凍てついていたが、命拾いして安堵のため息を吐いた。

 

「アインズ様。マーレはコキュートス、デミウルゴス、それからプレアデスの二人を連れてヤトノカミ様の場所へいるそうです。これからビーストマンと戦争する予定らしいです」

「そうか、デミウルゴスがいるなら安心だな。あの野郎は何をしている」

「ヤトノカミ様は、お酒を飲みながら書類を読んでいるそうです」

「……お気楽な奴だ。クアゴアの支配が終わったらドラゴンを連れてあいつの場所に行く。座標を聞いておいてくれ」

「はい!」

 

(ああ、楽しみだ。コレクションの自慢はいつだって楽しい。これは魔導国の力を示すに必要なことだ。よし、クアゴアの支配が終わったらヤツのところへ行こう)

 

 アウラの二度目の連絡は繋がらなかった。ヤトは六腕と陽光聖典の胸倉を掴んで恫喝しており、手に汗握って見守るマーレは《伝言(メッセージ)》どころではなかった。

 座標位置がわからなくても竜王国の場所は知っている。既にコレクションの自慢しか眼中にないアインズは、実に上機嫌であった。

 

 家族全員の引越し準備を整え、怯えすぎて歩き方がモタつくヘジンマールが呼びにきた。

 

「あのぅ、魔導王陛下。ドラゴンは出立の準備を終えました」

「早かったな。しばらく待機してくれ。私は宝物庫を見てくる」

「はぁ、そうですか。しかし、ドワーフの財宝など我々は欲しいですが、陛下の身に付けている装備品から比べると……ゴミと変わらないのではありませんか?」

「ルーン工匠から頼まれた品を探すことが目的だが、珍しければそれだけでコレクションに加える価値がある。君たちも私のコレクションの一つだ」

「あ、はぁ……左様ですか」

「どんなものでも、何かの役に立つものだ。君たちが束になっても私に傷一つつけられないほど弱いからといって、価値がないと断ずるのはコレクター失格だ。わかるか?」

「わかりません」

 

 アインズに悪意はない。ありのままの事実を言っているだけだが、竜を十分に侮っていると教えただけだ。ヘジンマールは何を考えているのか不明なアインズが、ただただ不気味だった。髑髏が口角を歪めたような気がした。アインズは城の主が変わってから一度も開いたこと無い宝物庫の扉を造作もなく開き、護衛を連れて中に入っていった。

 ヘジンマール並びにその家族は安堵のため息を吐いた。

 

 常闇の竜王は絶望の崖っぷちに立たされている霜の竜王に話しかけた。

 

「君の息子はどうしてあんなに太っているのかな」

「……怠け者だからだ」

「竜にも色々いるから仕方がないけど、あれでは別種族だ」

「……一族の恥部だ。それ以上、言うな」

「君も大変なのだな」

 

 格は違えど同じ竜王である。自然と霜の竜王は常闇の竜王を下から見上げる形となった。

 使える魔法の位階、体の大きさ、全体の風格は常闇が上だ。霜の竜王はそれでもめげず、対等な関係と示すように会話を続けた。

 

「お前は、なぜ奴らの手先になっている」

「僕は、欲しいものがあるんだよ。それまで彼らに協力している」

「財宝か?」

「日の差さない永遠の闇だ」

「……理解に苦しむ。名誉ある竜王の名を冠しながら、何たる失態。私が強ければ――」

「君は勘違いをしている。竜王の名に名誉なんかない。特別な竜が周りから勝手にそう呼ばれるだけだ。それに固執するのは君が弱いからだろう。僕は暗黒の闇の方が重要だし、称号には興味がない」

「……チッ」

「君はプレイヤーを知らないようだ。君が彼らに立ち向かおうと思ったら、あと五百年は必要だよ。少しは傷を負わせることができると思うけど、それでも彼らには敵わない。竜の体に利用価値が無ければ、君は蘇生などされなかっただろうね」

 

 霜の竜王は改めて恐怖に震えた。

 交戦していない魔導王の力は不明だが、部下の小さな少女の暴力は忘れたくても忘れられない。いったい自分がどれほど死んだのかさえ覚えていない。

 

「竜族全員で力を合わせれば」

「悪くはないが、僕が困る。彼らは僕の欲しいものをくれるプレイヤーだ。君が刃向かうのなら僕がここで殺すけど?」

「……む」

「彼らは白金の竜王とも知り合いだそうだ。最強の竜王を敵に回してもいいのかな?」

 

 これ以後、彼は口を開かなくなった。微かな希望も絶たれ、彼に選択できる未来は一つしかない。

 

 永遠の従属であった。

 

 

 

 

「糞っ! くそくそくそ!」

 

 クアゴアの統合氏族王、ペ・リユロは自室で叫んだ。ドワーフのチビどもを皆殺しにしようと送った軍隊は全滅し、情報さえ持ち帰らなかった。今現在、見張りによれば霜の竜が徒党を組んでこちらに向かっているという。

 

 ドワーフが本気で竜と手を結び、技術を集結させた財宝を与えて同盟を組まれたらひっくり返すことはできない。複数の氏族から成り立つクアゴア国家は滅亡し、歴史の一文にも残らない。彼の苛立ちは自分の命だけではなく、種族全体が絶滅する危惧によるものだ。

 

「くそおおお!」

 

 自分の机を思い切り叩いた。机に傷がついたところで、血相を変えたヨオズが部屋へ飛び込んできた。

 

「しぃい! しっしっしっ氏族王! ドラゴンたちが!」

「わかっている!」

「ああアアアァアンデッドがあああ!」

 

 二言目の意味はわからなかった。時化っていた彼の頭は少しだけ冷めた。最後の黒蜥蜴を頭から齧り、深呼吸をして王に相応しき声を出す。

 

「落ち着け。ドラゴンは聞いていたが、アンデッドとはなんだ」

 

 ペ・リユロが説明を聞く前、扉が乱暴に開け放たれた。

 

「邪魔するぞ」

 

 言い終える前にアインズは手近な椅子に腰かけていた。ドラゴンがドワーフと手を組んでいるという話は自分の想像で、どうやらそれ以外の何かが起きているのだと知る。

 知ったところで、アインズを入室させてしまった今となっては手遅れである。

 

「お前がクアゴアの長だな? 私は魔導国の王、アインズ・ウール・ゴウン。単刀直入に言う、この都市をドワーフへ返還し、魔導国へ下れ」

 

 ペ・リユロは必死で頭を動かす。

 

 新たな支配者というのであれば素直に従えばいい。支配者など、クアゴアが繫栄して力をつけてから倒してしまえばいい。結論は決まっていたが、重要なのは偉そうに椅子に腰かけるアンデッドがどれほど強いのか、だ。魔導国の情報はクアゴアの誰も知らなかった。

 

「クアゴアが全部で八万程度だと聞いている。魔導国で暮らせば、鉱山を掘り進める仕事がある。まだ領内の貴族で鉱山を所有するものは多いが、彼らは農業で人手が足らん」

 

 どうしたものかと考えていると、太腿に激痛が走る。いつの間にそこにいたのか、小さな少女の投げた槍が膝を貫通していた。痛みに喘ぐなどクアゴアを統べる王に相応しくない。

 ペ・リユロは奥歯が埋没するほど歯を食いしばって堪えた。

 

「返事をしなんし!」

「シャルティア、ここは脅さなくていい。彼らはか弱き種族だ、あまり苛めるな」

「あぅぅ……はい、申し訳ありんせん……」

 

 こちらを睨んでいた彼女は、少女に相応しき涙目へ変わった。

 

「シャルティア、お前は既に、ドラゴン相手に十分な働きをした。報酬は改めてナザリックへ帰ってから与えよう」

「はうぅぅ、アインズ様ぁ、おじひ――」

「さて! クアゴアの王よ! 君の結論を聞かせてもらいたい! 生憎と私には時間がないので即決してもらいたい! できればドワーフに都市を無傷のまま返還したいのでな」

 

 シャルティアの慈悲(夜伽)を乞う声は遮られ、ペ・リユロは決断を迫られた。膝の痛みはまだ続いており、思考力は低下している。現状でまともな交渉などできそうになかった。部下の暴走まで加味した高圧外交の手腕に、ペ・リユロの中でアインズの評価が数段階上がった。

 

「しかし、我らもここで生活の周期を整えて――」

「議論の余地はない、時間の無駄だ。私はこの世界を破壊できる力を持っている。支配か、滅亡か選べ」

「……支配で」

「賢明な判断だ」

「……光栄です」

 

 余計な発言をすれば、太腿を貫いている槍が今度は頭に飛んでくるだろう。こちらを睨んでいる少女の瞳は紅に染まり、クアゴアの王の動向を窺っている。氏族王の名は伊達ではない。激痛で思考能力が下がろうとも頭の回転は依然として早く、知恵も回る。

 

 こちらを対等な生物として見ていない彼らに、下手な反抗は逆効果だ。特に傍らの少女は血の気が多い。

 

「座りたまえ、氏族王。君はクアゴアの王であろう」

「はい」

 

 椅子に座っていいものか少しだけ悩み、ペ・リユロはその場に跪いた。自分の行動如何により、クアゴアはこれから滅亡する。考えるべきことは大腿部に突き刺さった槍を、いつ引き抜いてくれるのかだ。

 

「シャルティア、彼の槍を抜いてあげなさい。回復薬も忘れるなよ」

「あ、忘れていたでありんす」

 

 やはりその程度の扱いなのかと、未来に暗雲が立ち込め始めた。どうやって表向きの支配を継続しながら、八万近くのクアゴアを亡命させるかと悩みはじめた。アインズは懐からインゴットを取り出し、テーブルの上に置いた。

 

「これを触ってみろ」

「?」

 

 金属のインゴットなのは見ればでわかる。触ってもどうということはない。それでは、何の金属なのだろうか。ペ・リユロは材質が分からず、しばらくインゴットを撫でていた。

 

「それはアダマンタイトよりも固い金属だ」

「……へー」

 

 思いのほか適当な返事だったが、彼の態度はそう言っていない。

 両手で大事そうに抱きしめ、光を当てたり、臭いを嗅いだり、少しだけ削って爪を舐めたりと、初めて黄金を見た子供のようだ。二日前にドワーフ国工房長の頭蓋を陥没させたインゴットは、原始人に没薬を与えたがごとき重宝たる扱いを受けていた。

 

「少し、削って食べてみるか?」

「なっよろしいのですか!?」

「やはり目の色が変わったな。早速、少し削ってみよう」

「い、いえ、その、成長した大人が希少金属を食べても意味がありません! ですが、この金属を私の子に与えれば、私を超える過去最高の王が誕生します! お願いです、この金属を少しで構いません! 分け与えてください!」

 

 未知の金属を前にして、自分でもここまで興奮すると思っていなかった。アインズはどうしたものかと腕を組んで王を眺める。ペ・リユロはそんな貴重品をクアゴア風情に与えるのが惜しいと悩んでいると思い、アインズの前に平伏した。

 

「お願いします! 永遠の忠誠を誓います! 種族の繁栄のため、私はどんなことでもさせていただきます!」

「王よ、顔を上げろ。王たるものが簡単に平伏すものではない」

「で、では、この私の命を差し上げます! 子供ができるまでお待ちくだされば」

「そんなもの欲しくはない」

 

 アインズは命を出さなくてもその程度なら分けてやるつもりだったが、ペ・リユロは下位種族のお前にはもったいないと言われた気分だった。空気を読みあって会話する二人の会話は、華麗にすれ違っていた。

 

「こ、ここ、殺します! 仲間の死体を捧げるべく、私が殺してきます! どれほどの死体が必要でしょうか!」

 

 クアゴアの王は恐慌状態に陥った。

 

「落ち着け! 冷静になれ、クアゴアの王!」

「殺す! 殺してきます! 皆殺しにしてやる!」

 

 アインズはなぜ発狂したのか理解ができない。世界の常識によれば、アダマンタイトが最も固い鉱石というのが通説で、クアゴアはより強い子を産むためにそれを求めて鉱山を掘り進める。

 それでもアダマンタイトさえ手に入らず、金銀が採れれば重畳、オリハルコンが少量でも採れたのなら大宴会である。ペ・リユロの母は、蓄えられた希少な鉱石を強い子を産むためにまとめて食べたと聞く。

 

 クアゴアは一枚岩の種族ではない。

 

 ペ・リユロが八つの氏族をまとめ、ドワーフを滅ぼすべく集まっている。元より彼らの天敵は同族であり、鉱石採掘場を巡る血なまぐさい争いの歴史は長い。ドワーフを皆殺しにしてしまえば、次の敵は縄張りを争う別の氏族だ。

 そこに降って湧いたこの世ならざる力を持つアインズ。何気なく手渡した純度の高い正体不明な希少金属のインゴット。彼らが示した圧倒的な暴力。

 

 ペ・リユロの常識は破壊され、自らの氏族を繁栄させる道が真っすぐに示された。

 ここでアインズからインゴットを受け取り、子を成して次の王にすべく教育すれば、他の氏族を滅ぼしてもお釣りがくる。私情と私欲を出した彼は発狂し、王の格を失いつつあった。

 

「おお願しますぅぅ! このインゴットを頂けるのなら、いや、半分、それ以下でも構いません! 頂けるのならどんなことでも致します!」

 

 ゴリゴリと頭を擦りつける音がした。同席してしまった部下のクアゴアは、見るも無残な王の姿に絶望し、膝から崩れ落ちた。

 

「氏族王……」

「シャルティア、彼の首を刎ね、すぐに蘇生してやりなさい。少しはマシになるだろう」

「はい、アインズ様」

 

 氏族王の記憶は口角を歪める少女の記憶で一旦途切れた。彼が正気を取り戻したのは、シャルティアに首を刎ねられ、蘇生の後遺症が落ち着いてからある。

 

 表に出て同族を皆殺しにしかねなかった狂王は死に、冷静沈着で頭の回転が早い氏族王が冥界より帰還した。

 

 今は正座して首を垂れ、斬首を待つ罪人に見える。

 

「氏族王、ペ・リユロよ。面を上げよ」

 

 彼は静かに顔を上げた。

 

「クアゴアの移住先を用意する関係で、すぐにこの地を引き払えとは言わん。移動する準備を整え、私がこの地を再び訪れるのを待つといい。それまで、ドワーフに手出しすることは許さん」

「仰せのままに致します。全てはアインズ・ウール・ゴウン様の意のままに」

「私が与えた金属や鉱石でどれほど強くなるのか興味がある。君にインゴットを一部だけ分け与えよう。子作りに専念するといい。魔導国の王都で出産し、私にその成果を見せるのだ。魔導王の祝福を授けよう」

「ははぁ! ありがたき幸せ!」

 

 平伏すクアゴアの氏族王は、命じれば靴でも舐めてくれそうだ。

 

「うむ。私もそこまで喜ばれると、ここへ出向いた甲斐があったというものだ。氏族王ペ・リユロ、また会おう」

「はいぃ! またのお越しをお待ちしております!」

 

 客を見送る旅館の仲居がごとく、王は折り目よく45度のお辞儀をしていた。

 

 姿が見えなくなってから、部下のクアゴアが話しかけてくる。

 

「氏族王……どうなさるおつもりですか」

「至急、氏族の長、あるいはそれに準ずる指揮官を集めろ。我らはこの地を引き払い、ドワーフとの戦争は今日を以て終戦とする。今後の対応を話し合おう」

「……そんなぁ」

「早くしろ! 次世代の王は、過去最高の王となるのだ。それを全氏族へ伝えなければ」

 

 強引に支配されたとはいえ、ペ・リユロの表情は明るかった。

 

 それに対し、アインズはクアゴアにそこまで興味が無い。刃向かうのならデスナイトを召喚しておけば、この地の制圧はわけもない。彼の脳内はコレクションの自慢、コレクターに許された悦楽に支配されている。そのコレクションもただの竜ではない。竜王の名を冠する二竜を含めたものだ。

 

 竜に怯えるクアゴアの衆人環視の中、アインズとシャルティア、それを出迎えたアウラは常闇の竜王の背に乗り込んだ。

 

「ああ、そんな当たり前のように、僕を乗り物代わりに使わないでほしいな……竜は他にもたくさんいるじゃないか」

「信頼の証だと思ってくれ」

 

 ありがた迷惑であった。

 

 転移した方が早いのは誰もが思っていた。アインズは妙な場面で自己主張が強い。

 

 彼の中で竜王の登場方法は決まっていた。

 

「さあ、行くぞ! 大蛇のもとへ!」

 

 太陽は天頂に差し掛かっていた。

 

 

 

 

 雲海を一望できる超高高度。並みの種族では存在することさえ許されない、大地から数えて上空一万メートル。そこへ存在することを許された特別な者たちは、竜王国の領地を目指して優雅に雲海を泳いでいた。酸素が薄く、気温も低く、凍てつく風が彼らの体を切り裂こうとしたが、アインズ、シャルティア、アウラ、常闇の竜王の空気は弛緩していた。

 

「もう少し速く飛べないか、常闇」

「勘弁してほしい。これでも急いでるんだよ。僕は移動系の魔法を取得していないからね」

 

 王の機嫌は決して良くない。

 

 早く戦地へ到着しなければ、新たな配下の自慢に最適な舞台が幕を閉じてしまう。コレクターの欲を剥き出しにしたアインズは焦っていた。流せるものなら冷や汗を流しただろう。ヤトがその気になれば、ビーストマン風情が何万匹いようと一人で壊滅できる。

 

「アウラ、マーレと連絡はまだ繋がらないか?」

「駄目みたいです。まったく、あの子ったらアインズ様がお急ぎだというのに……ブツブツ」

 

 場所がわからないのなら雲の下へ潜って地上を確認するか、その場で探索系のアイテムか魔法を行使すればよかった。アインズの心が眼下に広がる雲海よりも壮大だと思っている守護者は、何か深い考えがあるのだと思い進言しない。

 

 突然、シャルティアが叫ぶ。彼女の奇声で常闇の鱗が、鳥肌代わりに一枚だけ逆立った。彼の逆鱗は尾の付け根にあった。

 

「アインズ様ぁ! あそこに何かありんす!」

「うん?」

 

 ヤトとツアーが放つ闘争の狼煙は溶けあうことなく絡み合い、太陽へ昇っていた。ここが戦場だと雲海を泳ぐアインズは悟る。

 

「あそこだ! 急げ、常闇!」

「人使いが荒いなぁ……」

「あん? 何か言ったでありんす?」

「……何でもありんせんよ」

「竜種族は急降下してビーストマンを駆逐せよ! 遠慮はいらん、人間に仇なす獣を皆殺しにしろ!」

 

 霜の竜(フロスト・ドラゴン)一家は諦めたような目で会話をしていたが、アインズの知ったことではない。これ以上、シャルティアを背中に乗せていられるかとばかりに、指示を受けた常闇は頭から大地へ落ちていった。

 

 雲海を潜れば、やはり階下に戦場が見える。彼らへの配慮が皆無なアインズは、《飛行(フライ)》を使って大蛇へ会いに行く。

 

 沈静化のされない機嫌の良さで、竜の自慢をすることしか頭にない。また、新たな配下の初陣にこれ以上ない最適な舞台であった。

 

 そして空気の読めない王は戦場に舞い降りる。

 

 ヤトはツアーと向かい合って何か話している。恐らく敵の数が多いので共闘するのだろう。既に大蛇の体は鮮血に塗れ、十分な殺戮を行なったとわかる。幸いにも敵の数は十分に残されており、襲撃しやすく一塊になっていた。

 ツアーが始原の魔法(ワイルド・マジック)で敵を一掃する前にと、アインズは大声で声をかけた。

 

「ヤト! 常闇の竜王と霜の竜王一家を僕にしたぞ、凄いだろう!」

 

 居合わせたものの視線が集約されるのがわかる。多くの部下を統べる者だけが味わえる、ある種の快感であった。

 

「彼らの初陣にちょうどいいので、勝手に加勢させてもらったぞ」

 

 なかなか返事が返ってこない。少し驚かせ過ぎたのかもしれないと、アインズは言葉を続けた。

 

「どうした? ツアーに助けてもらいながらビーストマンを滅ぼしていたのではないのか?」

 

 沈黙。

 

 晴れない沈黙が続いた。

 

 ツアーとヤトの目は細められ、「この人なに言ってんの」と言わんばかりであった。

 

 全ての視線は徐々にアインズへ集約され、沈黙はアインズを串刺しにする。あのデミウルゴスでさえ、口を開いて固まっている。アインズはようやく慌て始めた。

 

(何かまずかったのだろうか……)

 

 今以って誰の反応もない。

 

(どうしよう……)

 

 気まずい沈黙の中、アインズはこの状況を打破すべき何らかの演説を即興で考えた。

 

(……落ち着け、彼らが黙っている理由を考えるのだ。私の出現で何らかの策が潰れ、彼らはどうすればいいのか困っているに違いない。ヤトとツアーが喧嘩する可能性もあるが、気の抜けた彼らの顔を見ればそんなことはない。作戦開始直後に出鼻をくじかれたと判断するのが自然だ。それでは……うむ! いつも通りだな!)

 

 あの明晰な頭脳を持つデミウルゴスまで固まっているのは気になったが、待っていても彼の口は動かなそうだ。やけっぱちになったアインズは作戦進行状況を想像力で補完し、右手を差し出して演説を始めた。

 

「我が名はアインズ・ウール・ゴウン。アインズ・ウール・ゴウン魔導国の王である。私は人間を憎んで永久に彷徨う死者(アンデッド)にあらず、測り知れぬ永劫のもとに死を超えた人間だ!」

 

 遠くで群衆のどよめく声が聞こえた。

 

「戦争は終わった。竜王国を脅かす外敵は常闇の竜王(ディープダークネス・ドラゴンロード)が片づけてくれるだろう。君たちは神に等しき力を持つ私の下、全力で生を謳歌するといい。それ以上、何の要求もしない」

 

 口を開けてこちらを見るデミウルゴスの体が震えているように見えた。

 

「人間は弱くて脆い、敵の多い種族だが、同時に世界を形作る人間という名の異形種に過ぎん。自らの意思で立ち上がり、その手で理想郷を掴み取れ! 外敵に震えて眠る夜は終わった! そのために私はここにいるのだ!」

 

 両手を広げたアインズは、見た目がアンデッドであったが人間には世界の主神に見えた。

 

 デミウルゴスを見て間違っていないか確認したが、呆けている彼の表情からは何もうかがえない。

 

「魔導国に恭順せよ! 神に等しき私に従え! 我が名はアインズ・ウール・ゴウン、人間という名の異形種を守る絶対の支配者だ!」

 

 静寂。

 

 再び、静かな静寂。

 

 だが、今度は先ほどの気まずい沈黙ではない。

 

 真っ先に跪いたのは陽光聖典のニグンだった。かつて彼らに拷問の末、無残に殺害された。それは法国の神官長に命じられた戦士長暗殺、大義のための尊い犠牲と割り切って罪もない村人を殺害するという、盲目の信仰が間違っていた。人間を守るために人間を殺した愚かな信徒の自分は、そのとき既に死んでいる。

 今、天空から人間への慈愛を注ぐアインズこそ、ニグンが降臨を待ちわびた人類の守護者たる神であった。

 

 神を目の当たりにした感動と新たに築き上げられた信仰で激情がこみ上げる。激情は涙腺を破壊し、無限に涙が溢れた。涙も拭わず、ニグンは跪いて首を垂れる。過去の罪状を上げ連ねられ、首が刎ねられても何の後悔もない。彼はようやく神に従う使徒となった。部下も同様に跪き、引率していた彼らが跪く姿は竜王国の国民に伝染していく。

 

 竜王国の国民の全員が跪くまで、そう時間はかからなかった。

 

 デミウルゴスは冷静さを失った。

 

「く、狂っている。こんな馬鹿なことが……」

 

 およそ普段の彼からは想像ができない、不敬な物言いだ。デミウルゴスは体を強張らせ、涎の溜まった口を閉じるのも忘れて震えた。アインズ・ウール・ゴウンの恐ろしさとは、その武力、知性、魅力のどれでもない。儚く浮かんでは消える刹那の好機、瞬きする間に消え失せるそれを確実に掴む剛腕だと知った。

 

 仮にアインズがここまで予測できたとして、デミウルゴスは自分にそこまで予測できただろうかと考える。ヤトが竜王と交戦するであろうと予測し、先んじて山脈に住む竜王を支配下に加える。二人を止めるには戦いが始まる前後、竜王を使って止めるのが最も効率が良く、犠牲も少ない。結局のところ、犠牲になるのは滅ぼす予定のビーストマンだ。

 

 事実、遠方で獣を一方的に蹂躙する常闇の竜王がいなければ、ヤトとツアーは戦闘を止めなかった。竜王と戦闘するヤトを別の竜王を使って止めるのは、この展開をかなり以前から予測していなければできない。

 

 だが、それにはいくつもの針の穴を同時に通すような、舞台の演者全員の緻密な行動予測が絶対条件となる。僅かでも現実と逸れてしまえばヤトとツアーは流血の沙汰で、下手をすればヤトは重傷、守護者の数名は死亡していた。

 

 ツアーと虹色の出現は完全なる不測の事態(イレギュラー)で、またヤトが獣への敵意に染められて殺戮を行なっていなければ成り立たない。何より、虹色の竜王と出会っているのはヤトのみで、また山脈に常闇の竜王が住んでいるなど誰も知らない。

 

 ここまで全てを知っていてやっていたとすれば、この世界の全てはアインズの予想通りに進められていることになる。自分で考えておきながら、正気の沙汰とは思えなかった。

 

 それでは、アインズは何も知らずにこの地を訪れ、ヤトの結果と全くの偶然に結実したのだろうか。それこそ狂気の沙汰であった。

 

 「流石はアインズ様」「改めて忠誠を捧げます」「世界は御身へ平伏すでしょう」といった褒め言葉は出てこない。デミウルゴスは常軌を逸した因果の集束に恐怖した。

 

 真に出鱈目なのはヤトではない、アインズこそが出鱈目に都合の良い賽の目を出すのだ。デミウルゴスは自信の正気度(SAN値)が下がるのを感じた。

 

 アインズがなぜ至高の41人の頂点なのかと、頭の理解ではなく常軌を逸脱した狂気の中で記憶に深く刻み込まれた。ヤトが獣を殺戮して人間が立ちあがったのは、ヤトがもたらした結果ではなく、今この瞬間へ向けられた過程に過ぎなかったのだ。

 

 そして、デミウルゴスにはアインズが王都でパンドラと繰り広げた立ち回りを見越しているようにも思える。先ほどデミウルゴスだけを一瞥し、「私に従え!」と言い放ったのはもしかするとそういう意味ではないのか。

 

 アインズは守護者の葛藤まで見越し、この場に降り立ったのかもしれない。それでは、彼はどうやってそれを知った。知ったとして、こんな都合よくことを運べるものだろうか。

 デミウルゴスが取った手段はヤトに会いに行くという手立てであった。もしかすると、そう動くと知ってヤトに護衛を付けなかったのか。

 

「狂ってる……くる、狂っている……!」

 

 思考が堂々巡りの周回数を増やすたび、デミウルゴスの正気が下がり、恐怖値が上がっていった。

 

「こんな……なぜアインズ様はこんな……狂気の沙汰じゃないか」

 

 デミウルゴスが恐慌状態に入り、左耳のピアスを引きちぎろうとした直前、ヤトの諭すような声が聞こえた。

 

「デミウルゴス」

「ヤ、ヤトノ……カミサマ?」

「あの人はそういう人なんだよ。人の策略は全部ご破算。ご都合主義のいいとこどりで、しかも結局それが一番上手くいく」

 

 大蛇は首を振り、深い溜息を吐いた。

 

「これで同じプレイヤーだっつうんだから、比べられちゃ堪ったもんじゃねえよ。俺はそんなのをずっと間近で見てきたんだぞ」

「……そうすか」

「そうスね」

「……はっ、し、失礼いたしました。私としたことが、取り乱して変な言葉を」

「いいよ、別に。それよりそろそろ降りてくるぞ。跪いておけ」

「はっ!」

 

 事態の急転に硬直していたナザリック勢は、足並みを揃えて跪いた。シャルティアとアウラを伴い、アインズがヤトとツアーの近くへ降り立つ。

 

「ふーっ……こんなに大勢の前で叫んだのは久しぶりだ。ヤト、ビーストマン攻略、お疲れ様。ツアーも、この野郎を助けてくれてありがとう。感謝するぞ」

 

 アインズが降臨してからさほどの時間が経過していない。ツアーはうやむやのうちにヤトの助っ人にされ、今さらビーストマン側について大蛇と殺し合おうと思っていましたとは言えない。また、見た目ではわからないが、珍しく声色の嬉しそうなアインズに水を差すのも悪いと思った。

 

 大蛇は武器を仕舞い、呆れた声で言った。

 

「あーあ…………脇役は主役に敵わねえよな。全部、台無しだよ」

「……大した男だよ、二人とも。世界の形が変わってしまうじゃないか」

「白金、世界は常に変動しなければならない。変わらないものはいつか必ず滅びるだろう。清濁ともに受け入れる大らかさを持ち給え、自称世界の守護神よ」

 

 虹色が会話に混ざってきた。アインズが七色に輝く竜王を興味深そうに値踏みした。

 

「ヤト、こちらの竜はどなたかな」

「七彩の竜王だそうで」

「そうか、よろしく頼む。奇跡的に、この場に竜王が四体も揃った。圧巻だな」

「奇跡的ねえ……」

 

 ヤトは再び首を振り、深い溜息を吐き出した。

 

「君の噂は彼から聞いていたが、予想を上回る面白い男だ。君たちへの積もる話は後に回そう。私の曾孫が挨拶をしたいそうだ」

 

 竜王の隣、両手を合わせて恥ずかしそうにもじもじする幼い女王。誰よりも出遅れた小さな女王は気まずかった。

 

「あの、アインズ・ウール・ゴウン様。私はドラウディロン・オーリウクルス、竜王国の女王でございます。竜王国の属国化、ありがとうございます。私たちはビーストマンに怯えずに暮らせるでしょう。何とお礼を申し上げて良いか」

「それはヤトがやったことだ。私に礼を言う必要はない」

「はい、私はこの御方の妻になり、昼も夜も尽くさせていただk――」

「黙れクソガキ! お前は虹色の後ろにすっ込んでろ」

「蛇様もこの通り照れていらっしゃるのでございます」

「おい、いつまでも猫被ってるんじゃない。さっさと引っ込め、クソビッチ。国民に本性をばらすぞ」

「るっさいわ! 靴投げんぞこの野郎!」

 

 突然、目くじらを立てて豹変した幼女に、アインズは面食らった。以前に番外席次を相手取って同じことをやっていたような既視感(デジャヴ)があった。

 

「番外のときも似たようなことやってなかったか?」

「ふん、知るかってんだ」

「私のこと、抱きたいって言ったくせに。女泣かせめ、本当に泣いちゃうぞ」

「言っ…………たかな、そんなこと。あまり覚えてないが」

「蛇神よ、私にもドラウディロンを抱きたいと言っていただろう」

「虹色……お前まで何を言ってんだ」

 

 いつまでも同じことを繰り返している間の抜けた友人に、アインズの脳裏でウロボロスという単語が浮かんで消えた。

 

「女王陛下、お会いできて光栄だが、詳しい話は後にしてもらいたい。ヤト、ちょっとこっちに来い」

「……メンドクセ」

「心臓握り潰すぞ」

「あーあ、やんなっちゃうなぁ」

 

 二人のプレイヤーは状況把握に時間を取るべく、離れた場所へ移動した。彼らと入れ替わり、ビーストマンを皆殺しにした常闇の竜王と霜の竜王一家が現れる。

 

「見覚えのある顔だ……君は、確か……白金と七彩だったかな?」

「常闇の、久しぶりだね。古参の竜王が出会うのは珍しいよ」

「そうだよね」

 

 三匹の巨大な竜王の口は歪んだが、表情は似たようなものだった。

 

「常闇、君は魔導王の配下に下ったのかね」

「まさか。僕は太陽の当たらない場所を住処として提供してくれることを条件に協力しているだけだ。竜王が忠誠を誓うのは己の力のみ、白金は前にそう言ったよ」

「それはそちらにおわす白金の竜王猊下の持論だ。私は知識欲を満たす以外に興味はない。それにしても、君らしい珍なる道理だな。太陽は恵みの象徴、太陽無くして我らの食料は存在しない」

「その手の理屈は聞き飽きているんだ。太陽は破壊できない。だから僕は、陽の当たらない自分だけの永遠の闇が欲しいだけなんだ。それに、知識欲に支配されている七彩、君も相当だと思うけどね……」

 

 哀れ、新参者である霜の竜王は、片隅で小さくなっていた。力の差でいえば白金と常闇に軍配が上がり、実力は不明だが虹色(変態)相手に話すことはない。

 

 だが、彼の息子は違った。

 

「お、おお、お話し中、もうすぃわけございませぬ! 七彩の竜王(ブライトネス・ドラゴンロード)様でいらっさいますか!?」

 

 ヘジンマールは一人で盛り上がっていた。

 

「あ、ぼぼ、僕は、いえ、私は! 霜の竜王の息子で、ヘジンマールといいます! 知性溢れる竜王というのはあなたのことでしょうか!?」

「………竜は豚とも交配できるのだな。これは新たな発見と言える」

「虹色……多分、違うと思う」

「彼はれっきとしたドラゴンだよ。アゼルリシア山脈から同行したが、空を一端(いっぱし)に飛んでいたからね」

 

 彼らの心境は、キャラクター性がやたらに濃いアニメオタクを、生まれて初めて見た無骨な老人に似ていた。同じ種族の異質な存在を見た白金と虹色の瞳は、不細工な猫でも見たように生暖かかった。

 

 ちょうどよくヤトとアインズが戻る。

 

 状況を把握し、非常に気まずい危機的状況を奇跡的に乗り越えたと知ったアインズは、借りてきた猫のように大人しくなっていた。

 

 ヤトがヘジンマールを見て反射的に声をあげた。

 

「すげえ珍しいな、オイ。豚と竜のハーフなんて」

「え? あ……これは運動不足で太ってしまい」

「おいおい、ドラゴンも太れんのかよ」

 

 天高く豚肥える秋とでも言いたげに、太ったヘジンマールはこれは酷いという射抜く視線で犯された。せり出た腹部の贅肉がとても恥ずかしいものに思え、彼は初めて羞恥心を知った。

 

「チッ……愚息め。恥を知れ」

 

 成り行きを見守っていた父親は密かに呟いた。

 

「ヤト、帰るぞ……」

「もうちょっと談笑してもいいんじゃないスか? 属国にするんでしょ?」

「もういい、帰る。早くしろ」

「あ、そうスか?」

「女王、ドラウディロン・オーリウクルス。魔導国の王都で待っている。急ぎはせん、気楽な観光のつもりで訪れるといいだろう」

「はい、ありがとうございます。アインズ・ウール・ゴウン様」

 

 暗についてこないような意味を含ませており、ドラウディロンもそれを察してこの場をお辞儀だけで済ませた。

 

「蛇神、私もドラウディロンと共に王都へ行こう」

 

 虹色は翼を揺らして挨拶していた。

 

「虹色は自分のシマに帰れよ」

「竜王国は魔導国の属国だ。私は人間の姿で曾孫と観光しよう」

「私も付き合います!」

 

 ヘジンマールは一人で必死に食い下がる。

 

「豚に用はないのだが……」

「面倒だなぁ」

 

 会話はいまひとつまとまりがない。離れた場所へ目を向けると、再会した守護者達が談笑していた。女性陣と恐怖公を含めた男性陣の距離は酷く離れていた。

 ぼけっと眺めているとツアーが話しかけてきた。

 

「アインズ、ヤト、私も後日、王都を訪ねよう」

「何だよ、ツアーまで」

「放っておくと、君たちは何をしでかすかわからないと学ばせてもらった。拠点を北の山から魔導国王都へ移すことも検討しなければならない。それから、ヤト。約束、守ってくれよ」

「あ、そうか。そうだったな」

「ツアー、その姿では大きすぎる。今は常闇のねぐらも用意しなければならないからな。王宮に客間を用意するので、人間の大きさで訪れるといい」

「わかった、必ず行くよ。ありがとう、アインズ」

 

 これ以上、この場にいられるかとばかりに、アインズは転移ゲートを開いた。

 

「デミウルゴス」

「はっ! 何なりとお申し付けください! 世界の主神、アインズ・ウール・ゴウン様!」

 

《世界の主神、アインズ・ウール・ゴウン様!》

 

 なぜかナザリック勢の声は揃っていた。コキュートス、マーレ、ナーベラルとソリュシャンの顔は晴れやかで、纏わりついていた狂気が何処かへ去ったように思える。

 

「う、うむ。霜の竜たちを使役し、竜王国の国民を王都へ帰せ。ビーストマンの死体回収も忘れるな。終わったら今回の作戦進行状況を報告をせよ。何時になっても構わん」

「畏まりました」

 

 返事を聞くが早いか、アインズは逃げ出した。

 

「それじゃあ、みんなまたな」

 

 転移ゲートは大きさを広げ、ヤト、常闇を呑み込んで閉じた。

 

 残された守護者は竜王国の国民を彼らの首都へ転移、ビーストマンの死体回収、余った人食いゴキブリをビーストマン国家へ転移、獣の死体発掘の対応に追われ、しばらくナザリックに戻らなかった。

 

 デミウルゴスは、晴れやかな顔をしながらアインズとヤトをしばらく外出禁止にすべき政策を練り始めた。彼らを野放しにしてはどんな騒動をしでかすかもわからない。ナザリックの僕としてあるべき存在理由(アインデンティティー)を守るため、活躍の場を奪われないような一手が必要だった。

 

 

 

 

 その日の夕暮れ、王宮の執務室でソファーに寝転がる大蛇を見ながら、アインズは深い溜息を吐いた。

 

「……もうやだ。魔導王辞めたい」

「知らね」

「おい。私は本気だ」

「だって、自分で勝手にやったんでしょ? 俺は知りませんぜ、兄者」

「私はお前の兄ではない」

「知ってますが」

 

 大蛇の態度はふてぶてしい。あれから王宮に入る前にこびりついた返り血を落とされたが、バケツで水をぶっかけるという荒々しい手段であった。竜王国に関する功労者でありながら粗雑な扱いにへそを曲げ、彼は偉そうにソファーへ寝そべっていた。アインズの隣ではニコニコと微笑むアルベドが佇んでいる。

 

 アインズは彼女を一瞥した。

 

「なぜアルベドがここにいる。お前か? お前が呼んだのか?」

「ちょっとー、八つ当たりはやめてくださいよー。嫁なんだからいつの間にか側に居るでしょうよ。な、アルベド」

「はい、その通りでございます」

 

 彼女は歪みない。これからもイビルアイの第一夫人の立場を乗っ取ろうと、あれこれ画策するに違いなかった。アインズとヤトは同じことを考えながら口には出さなかった。

 

「うむ、そうか……」

「うむ、そうか……じゃないでしょう。急に素直になっちゃって、俺と態度が違い過ぎい。さっきまで俺に八つ当たりをしてたくせに」

「うるさい黙れ」

「この暴君が」

「……知っている」

 

 地雷だったらしく、アインズは頭を抱えて机に突っ伏した。

 

「……私が一番わかっているんだよ。何だよ、人間という異形種って……法国の人間が聞いたら真っ赤になって激怒するぞ。コレクションの自慢をしたかっただけなのだ。ただそれだけだったというのに」

「悪くないと思いますけどね、俺は。陽光聖典、涙を流して跪いてましたし、竜王国も属国化。竜王までこちらに引き入れて、みんな万々歳のご都合主義で」

「はぁ……もう魔導王辞めたい」

「重症だな、こりゃ。アルベド、イビルアイは?」

「冒険に出掛けています。近郊を荒らすトロールの間引きと聞いておりますわ」

「呼び戻して二人で添い寝でもしてやれよ」

 

 いつもならこのやり取りにアインズのツッコミが入るが、今日は何もなかった。

 顔を上げたアインズは、別のことを聞いた。

 

「アルベド、いつまでも私がやりたい放題するのは困る。人間に任せる手段は何かないか?」

「一つだけございますが、あまり褒められた政策とは……」

「構わん、申せ」

 

 アルベドは深呼吸した。豊穣な胸が呼吸で膨らむ。

 

「ナザリック地下大墳墓を永久に封鎖することです。封印ではなく、入口を埋め立て、私たちは歴史の表舞台から姿を消すのです。自然と人間は自分たちで政治や治安の維持に乗り出さずを得ません。それまでのお膳立ては必要ですが」

「封鎖……かぁ……」

「なるほどね、そうすれば俺たちもこの地にいなくても問題ないわけだ。守護者を連れて旅に出てもいいんだな」

 

「仰る通りです。この地へ飛ばされてから今日まで120日が経とうとしています。アインズ様の悲願は皆様の御帰還。未だ御二方は魔導国の王都からそう遠くへ足を向けておりません。もし、既に誰かが別の場所へ転移していたと仮定しましょう。その圧倒的な実力は、良くも悪くも周囲のものが放っておきません。万が一、別の地で異形種の国家を建国し、魔導国の領地へ戦争を仕掛けなどしたら……これでは先が思いやられます」

 

「うぅ……」

「そうだよなぁ……」

 

 ただでさえ、ユグドラシルプレイヤーの中であくの強い41人を選りすぐってまとめたようなギルド、アインズ・ウール・ゴウンである。るし★ふぁー、タブラ・スマラグディナあたりは、喜々として魔導国を打倒すべき国を建国しそうである。

 

「ところでアルベドはタブラさんに会いたいのか?」

「いえ、特には」

「……」

 

 アインズは複雑な目で遠くを見ていた。

 

「冷たいな」

「はい、私は主神、アインズ・ウール・ゴウン様のせ・い・さ・いでございます。他の御方へお会いしたいなど、浮気に当たります」

「そうか?」

「そうなのか?」

「そうです」

「そうかぁ」

「そうなのかぁ……」

「そうなのです」

 

 これ以上、アルベドへ言及しても彼女が盛り上がるだけだと二人は体で知っていた。 

 失言を抑えるには沈黙しかない。失敗したくないのなら何もしなければいいのだ。

 

 自然と気まずい沈黙が訪れた。

 

 破るのは空気を読まない者だけである。

 

「じゃ、俺は帰る」

「おい待て、まだ話は終わってない。見てみろ、この書類の山。しばらく外出禁止と言わんばかりじゃないか。法国への対応もまだ済んでいないというのに」

「そっちはデミえもんにでも聞いてください」

「誰だよ……」

「だからデミグラスにでも聞いてください。俺は愛妻が待つ家に帰ります」

「くそう、どうして私の住まいは王宮なんだ。私にも逃げ込む別宅が欲しい。職場で寝泊まりなど、リアルを超えるブラック企業だぞ」

「アインズ様、別宅ならいくつでも設けましょう。その気になれば愛の巣1号2号V3号……」

 

 アルベドに詰め寄られた。

 

「それじゃ、また明日ー。落ち着いたら打ち上げでもしましょーねー」

 

 鱗だらけの手をひらひらさせて大蛇は王宮を出ていった。急いで占めた扉の向こうでアインズの叫びが聞こえたが、そちらは気にしない。

 

 ヤトはここまで暴れておきながら、これからどうすべきかという結論は出ていなかった。

 確実にわかったことは、王宮で頭を抱え、美女をはべらせ、狂気の沙汰と言われる自らの行いに苦悩するアインズは、やはりこの世界にとって重要な人物なのだ。

 

 そして自分は家族のため、アインズのため、捨てておきながらしれっと戻った自分を崇めてくれる部下のために、できることだけやればいい。たとえそれが悪行であっても。

 

 明日から罪人専用の人間牧場建設に取り掛からなければならない。手始めに何から取り掛かろうかと、帰路で考えた。真剣に思考を巡らせていると時間の経過が早く、いつの間にか自宅の玄関前にいた。音に気を付けながら、恐る恐る扉を開く。

 

「……」

 

 灯りはついているのでまだ起きているのだろう。体感的には三ヶ月(1クール)以上、家を空けていたような気分だった。自然と動きはおっかなびっくりとなり、放っておかれて怒るラキュースとレイナースの般若風にアレンジされた顔が浮かぶ。

 

 ドアの開いた音を聞きつけ、レイナースがエプロンで手を拭きながら走ってきた。予想に反し、彼女の表情は柔らかかった。

 

「なんだ、帰ってきたのか」

「ああ……はー、疲れた」

「疲れたじゃないだろう」

「……ただいま」

「よろしい。それにしても帰りが遅すぎる。ラキュースが体調を崩しているからそちらへ顔を出せ。神官様を呼んでも原因不明だそうだ。お前が何かしたんじゃないのか?」

「……そっか、今は?」

「たくさん食べて眠っている。食欲はあるようだ。覚悟しろよ、お前がいない間にいろんなことがあったんだ。竜王国の女王に手を出していないだろうな? 詳しい話を根掘り葉掘り聞かせてもらうぞ。今日は寝かせないからな」

「うへぁ……」

 

 ばつの悪さを誤魔化すよう、大蛇は振り向かずリビングへ向かった。

 

「あ……あの……あなた」

 

 彼女からそう呼ばれたのは初めてだったかもしれない。ヤトは足を止めて振り返った。

 

「なにか言った?」

 

 レイナースはしばらくの間を空けてから破顔一笑した。

 

「おかえりなさい」

 

 呆けた顔で黙って眺めていると、時間経過で彼女の顔色が赤くなっていった。

 

「ふ……ふんっ、ほら早く来い! お行儀悪いが寝室で夕食を食べろ。その前に人間に戻れ。服も洗濯するからなっ」

 

 照れを隠す彼女は足早に廊下を駆け抜けた。

 その場に残った大蛇は胸に手を当てる。

 

 心臓の鼓動は生きたいと叫んでいた。

 

 

 レイナースはヤトの出張を本当に根掘り葉掘り聞き出し、竜王国の女王への警戒心を強めた。体調不良のラキュースを見舞ってから、ヤトは居間のソファーで眠った。十分に疲れていたヤトは、横になってすぐ微睡へ墜落した。

 

 ヤトの夢見は酷く悪かった。女の哄笑が幾重にも響き合う闇の中、取り返しのつかないことをした自分の体が別のものに変容する夢を見た。翌朝、目を覚ますと体中が重く、起き上がれないほど怠かった。彼は翌日、原因不明の体調不良で寝込むこととなり、政務はアインズ一人に丸投げされた。

 

 

 アインズの不満はいっそう溜め込まれた。

 

 






まだこの章は終わってない
あと2話予定

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