モモンガさん、世界征服しないってよ   作:用具 操十雄

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いきなり殺戮から始まります。
殺戮部分は読み飛ばし可能です。半分くらいそんな感じです。




晴れときどき血の雨、所により闇と光と虹 ―後編―

 

 人を殺してはならんと思考することが全ての誤謬(ごびゅう)の始まりなのであった。

 

 世の中には殺されることをもって成就する生と、殺すことによって達成されるべき生があるのだ。

                ――――『メルキオールの善根』より抜粋

 

 

 

 大蛇は鉄火場の先頭で切り込み部隊の到着を待つ。闇を纏った大蛇は腕を組んで静かに、ただ静かに殺すべき知人の到来を待った。

 

 待機時間が彼の殺気を高めていく。

 

「崇拝者へ慈愛を、敵対者に命の冒涜を」

 

 蛇と人の二つに分かたれた魂。人間の残滓を人間化という宝箱に封じ込め、蛇神(アバター)に設定された邪悪な意思は本人の意思を無視して呟く。自覚なき呟きは誰にも聞こえなかった。迂闊に大蛇を刺激しまいと硬直する人間たちは、唾を呑む音が大蛇に聞こえないかを気にした。それだけ時間が濃縮されていた。

 

 程なくして敵部隊が見えてくる。

 

 隊を率いる未熟な戦士に顔見知った間柄ゆえの油断はない。彼はここで死ぬと理解している。死期を悟った者が持つ張りつめた表情で、大蛇の前に立った。

 

「大蛇さん、僕は引かない! 僕が殺した友達に恥じる戦いはできない!」

「本当にいいんだな?」

「覚悟はできてます!」

 

 戦場で敵対者を前に愚かな行為であったが、大蛇は目を閉じた。邪神は誰が相手であっても一度殺すと決めた相手に情けを懸けたりはしない。そう自身へ言い聞かせた。

 

「こいよ。一撃だけ食らってやる」

 

 立てた人差し指がピコピコと動いた。

 

 

 

◆◆ここから残酷描写の場所、閲覧注意、読み飛ばし可◆◆

 

 

 

 

「うああああ!」

 

 若き白虎の一撃は命中した。闇を纏っているので見た目に変化はないが、確かな手ごたえと切り傷を付けていた。ヤトは物理に関する一切の無効化を遮断していた。一方的(ワンサイドゲーム)ではいけないと、彼なりに獣に報いたつもりだった。こちらが命を差し出さずして何が戦いか。

 

 痛みへの感想はひどく薄められており、微小なダメージに何の感傷もない。蛇から立ち昇る闇にも変化はなかった。赤い瞳は幼い敵を捉え続け、追撃を仕掛けようとした戦士の剣は虚空を払った。

 

「お前は殺したくなかったよ」

 

 刹那、彼と過ごした僅かな時間が走馬灯のように大蛇の脳をよぎった。

 

 ヤトは知覚できない速さで動き、白い虎の背後を取る。

 

「若ぁっ!」

 

 同じ部隊の狼が叫ぶより早く、獣の本能が背後に立つ邪悪なるものの存在を察した。

 白虎の全身が総毛立ち、死神に背後を取られたと知る。どす黒く穢れた瘴気を吐く呼吸音が頭のすぐ後ろで聞こえた。

 

「っ、しまっ――」

 

 振り向く暇も与えられない。若き白虎は足と頭を掴まれ、頭上に掲げられた。それは生贄の祭壇に捧げられる贄に見えた。大蛇の逞しい腕は微かな時間だけ停止し、やがて小さな虎を雑巾のように(しぼ)った。

 

 犠牲者の叫びは声にならず、嘔吐するようなゴボゴボとした音が鳴った。おしぼりのように絞られた白い虎はすさまじい力で体をねじられて内部から圧迫され、口から砕けた骨の断片と内臓を、尻から糞便交じりの千切れた腸を吐きだした。

 

 「ブーッ!」と冗談じみた音が鳴り、彼の内臓、血液、排泄物が大蛇の頭から降り注ぐ。ビリリッと何かを千切る音が鳴って背骨が飛び出した。裂け目は頭頂部まで達し、体内に居場所がなくなった頭蓋骨は背骨だけを支えに繋がっている。重量感のある頭蓋が重力に従って力なく地面を向いた。

 

 無造作に掴まれた背骨を引き抜くと脳の詰まった頭蓋骨がついてきた。大蛇はそれを足元へ放り投げ、尾で粉砕する。脳漿が地面に広がり、破砕された骨の断片が付近の獣の体へ突き刺さった。

 

 内容物を吐き出した虎の体は縮こまり、毛皮製のねじられたモップに見えた。

 文字通りぼろ雑巾となって見るも無残な小さな白虎は、彼のお目付け役へ放り投げられた。

 

「ほらよ」

「……わ……か?」

 

 狼は放り投げられた雑巾を両手で受け取る。

 

 体が他の者より小さくても、誰よりも必死で剣を振っていた幼い戦士。狼は昔、彼の父親に世話になった経験も手伝い、彼の成長に期待していた。他の者とは違う感性を持ち、年の割に落ち着いて剣を振っていた虎の子。

 毛を生やしたねじり雑巾となった体はとても軽かった。両手で抱きしめると、体内に残っていた血が地面に滴る。

 

 狼は両手に感じる雑巾の軽さを嘆いた。

 そう遠くない未来、彼は強く偉大な戦士となって切り込み部隊を引率し、人間国家へ戦争を仕掛ける大戦争の要となった。遅かれ早かれ、未だ発展途上のとあるビーストマン国家の軍部で頭角を現し、将来を担う軍人として名を馳せただろう。

 

 未来は永遠に閉ざされた。

 

 戦士に相応しい死などではない。剣で斬られたのではなく、素手で無残なぼろ雑巾にされた若き戦士の無念を思い、狼の瞳は潤った。

 

「アオオオオオオオン!」

 

 やり場のない感情は遠吠えとなって響き渡る。狼の遠吠えは遥か遠方まで響き、ビーストマンの前途有望な将の死を本隊へ告げた。その場にいた獣人たちは剣を構え、牙を剥いて咆哮した。

 

《雄ォオオオオオオオオオ!》

 

 幾らでも彼らと戦わない選択肢はあった。しかし、自分の生きる理由に殉じて倫理という鎖を断ち切った邪神に、正義や倫理、損得勘定や感傷も意味をなさない。それら全ては敵対者への害意で塗りつぶされている。残酷に殺す必要はなく、自分でも不器用な生き方と自覚はあったが、要領の悪い蛇は他に選べなかった。

 

 所詮、現実世界では取るに足らない人間の(クズ)である。人間の悪感情全てを背負い込んだように、大蛇の口は酷く歪んだ。

 

「お前らの誇りは、俺が全部粉々にしてやるよ」

 

 ヤトは迫る包囲網の幅を広げようと、最も近くにいた狼の腸を引き摺り出し、鎖に繋いだ鉄球のごとく振り回した。幸い、伸びた爪を食いこませれば面白いように肉へ食い込み、蜜柑の皮を剥くより容易く内臓を外気に晒せた。レベル100の力で振り回された狼は胃袋まで引き摺り出されてから臓器が千切れ、空中で絶命しながら遠方に落下した。

 大蛇の手に残った腸は切れ端から糞便を吐き出して萎れ、同胞を縛る縄としては不出来だった。

 

 包囲網は広がり、ヤトは切り込み部隊の殺害に入る。部下も背後で指示を待っている。ここで時間を掛ける必要はない。

 

「《超斬撃衝撃波(ギガスラッシュ)》」

 

 切り込み部隊はたった一発の衝撃波で体を上と下で永遠に分かたれた。大量の出血は草原の大地へ染み込み、先ほどまで踏ん張りの利く乾いた地面は、今や見る影もない血で塗れた湿地帯と化した。衝撃波は更に遠くまで走っていき、迫る本隊から悲鳴が聞こえた。

 

 地平線を黒く染めるビーストマンの本隊は、ほどなくしてこちらへやってくる。

 ヤトは背後の部下へ指示を出した。

 

「コキュートス、マーレ、左右に広がってこちらに攻めてくる獣を殺せ」

「わ、わかりました」

「死体ハドウナサイマスカ?」

「獣の代わりはいくらでもある。適当に残ったものだけ後で回収すればいい。幸い、この世界じゃ獣の数は人間より多いだろうからな」

「御意」

「あ、あの、ヤトノカミ様。用があれば呼んでください」

 

 二人は左右に分かれて敵部隊の到着を待った。

 

 地平線は順調へ接近している。観客は殺戮が自分たちに降りかからないよう、信じてもいない神に祈った。神の名前は浮かんでこなかった。

 

 中央のヤト、魚鱗の陣形で接近する先頭には見覚えのある獣がいた。直感で、ぼろ雑巾にした虎の親だと思った。勘は的中し、黄と白の大虎は舞台を引き連れて大蛇の前に立ち、槍を構えた。

 

「言葉は無粋!」

「押し通る!」

「お前さ、自分の子が殺されたのに何の感傷もないのか?」

「ない! 戦士は戦場で死ぬもの! 覚悟の上だ!」

「お前らのそういうとこ……嫌いだ」

 

 蛇の反応速度は人知を超越する。ヤトは武器を背中に背負ったままだが、移動速度が低下することはない。地面に倒れていく二匹の虎は、なぜ自分の体が急激に脱力したのか、首から流れる液体が何か把握できずに倒れた。素手で喉を剥ぎ取られた虎は電源が切れたロボットのようだ。

 

「脆い脆い」

 

 大蛇は獣を嘲る。虎の首は生温かく、そして柔らかかった。彼らの肉こそ、人間より美味しそうであった。

 

 彼らの部下が襲い掛かる前に、鱗に覆われた逞しい腕が急速に冷たくなっていく虎の足を掴んだ。手から外れないように鋭い爪を食いこませると、開けた穴から血が流れた。

 

 死体に対する慈悲や、命に対する敬意など微塵もない。肉塊となりつつある大柄な虎は全力で振り回され、同胞を打ち付けるこん棒に利用された。掴んで振り回しているだけだが、レベル100の剛力にものを言わせた振り下ろしは、対象の獣を一撃でハンバーグ状に広がるひき肉へ変えた。

 

 こん棒は獣を殺害するにつれて激しく消耗し、頭蓋骨は頸椎から続く背骨を引き抜き、死んだ虎の首はとても長くなった。

 

「これじゃあろくろ首だな」

 

 蛇の口は歪み、殺戮の愉悦を楽しんでいるように見える。ビーストマンは鼓舞して恐怖から目を逸らす。

 

「ひ、っひい、怯むなあ!」

「数で押し切れぇ!」

 

 後方の部隊は左右に広がっていたが、後援部隊は直に到着する。数だけでいえばビーストマンが勝っているのは一目瞭然である。使い古した虎の死体を敵へ放り投げ、突撃する歩を止めさせた。

 

 付近にいた一匹を無造作に選び、両手で頭を掴む。

 両手の親指を眼球に差し込むと、「ぐにゅぅ」といった感触と人肌の温かさを感じた。

 爆ぜた硝子体が飛び散り、更に奥へと指を進めると眼底に当たった。

 

「ぎゃあああああああ!」

 

 この世のものとは思えぬ絶叫が鱗を震わせ、殺戮の愉悦を与えた。眼底を指で擦って視神経を刺激してやると、激痛で体が跳ねあがった。強引に指を奥へ進めると脳まで達し、プリン状の脳へ指が埋め込まれた。掴んでいた頭蓋が砕けた感触が伝わる。空中で激しく痙攣する死体から指を引き抜くと、目から崩れた脳を垂らした。汚らしかったので死体を放って次の個体へ移る。

 

 右手で首を掴んで持ち上げ、左手で彼の体を値踏みした。哀れな生贄は若いコヨーテで、理想的な肉付きをしていた。付近の個体を尾で叩きつけながら手の空いた彼らの相手をして時間を稼ぐ。

 

「ぅぅぅうううがああ!」

 

 掴んでいるコヨーテは牙を剥いたが、首を掴まれては噛みつくこともできない。何より、闇で覆われた大蛇はどこが何の部分なのかわかりにくい。

 

「やっぱ、何事も経験だよな」

「があああ!」

「そうか、お前もそう思うか」

「ああああ!」

 

 会話になっていない。元より会話するつもりもない。大蛇は大きく口を開いた。闇に浮かんだ桃色の口内に、伸びた二本の牙が涎の糸を引いた。

 

 「シャアアア」という蛇が出す独特の乾いた音が聞こえた。開いた巨大な口は、コヨーテの喉笛に食らいつく。瞬間、飛び掛かろうと機を窺っていた獣たちの動きが止まった。

 

 鉄臭い血の味が蛇の口内を満たし、大量の出血が大蛇の口の端から零れた。牙を限界まで食い込ませ、大蛇の頭は大きく振られた。ベリッと癒着した皮膚を剥したような音が聞こえ、蛇の口には引き抜かれた脊椎とそれに繋がる頭蓋が残された。生肉に食らいつくのは初めての経験で加減が分からず、牙を深く食い込ませ過ぎたようだ。

 

 強く噛むと喉の肉と首の骨だけが口に残った。お世辞にも美味しいとは言えない。レイナースの愛妻料理に慣れてしまった大蛇に生肉と獣骨は合わなかった。

 

「不味い」

 

 痰でも吐く気軽さで肉片と砕けた骨が吐き出された。脳の詰まった頭蓋は重量感のある音で地に落ちた。人間を脅かすビーストマンにも敵がいないわけではない。生者を憎むアンデッド、この世界を統べる竜王、または配下の竜族、近隣に国を構えるトロール、時おり水辺に現れる半魚人、蓮の田んぼを求めて夜を舞う蟻に似た魔獣。他にも、伝承のみが残されている双子の邪神など、上を見ればきりがない。神話級、伝説級の存在はさておき、近隣の敵対勢力で人間より不味いビーストマンを食らう種族はいない。彼らは食うことはあっても食われることはなかった。

 

 目の前で佇む大蛇は同胞を食らい、生ごみのように吐き捨てた。戦争で高められた闘争本能も、死の恐怖と尊厳の侮辱という根源的な感情に支配されて動きが鈍った。ここで死ねば戦士としての誇りある死ではなく、無残な死が与えられると容易に想像できる。

 

 大蛇は更に歩を進め、絶望に暮れる目の前の山猫から心臓を素手で抉り出し、彼から後悔する時間を奪った。手の中で握る心臓は脈打ち、瑞々しい鮮血を吐き出した。

 

 状況を遠くで見ていたデミウルゴスから《伝言(メッセージ)》が入った。

 

《ヤトノカミ様、差し出がましいようですが、それをお召し上がりに?》

《ん、ちょっと食べてみようかと思ってな。こいつらも家畜の肉と同じくらいの味だったら、人間国家で肉の供給源に使えるし》

《お止めください。下賤な獣の心臓など、御身のお口に合いません》

《そ、そうかな》

《はい》

 

 デミウルゴスの声は頑として引きそうにない。それを人間に食わせるのならまだしも、41人の一柱が食べるはある種の冒涜であった。炎を吐いて燃やそうとした瑞々しい心臓(ハツ)は、捨てるのも勿体ないと思われた。付近で立ち尽くす獣に赤い瞳が向き、対象の体毛が逆立った。

 

「おまえ、ちょっと食ってみろ」

「は、はひ」

「ほら、食えよ」

「ひ」

「食えって言ってんだろうが」

 

 大蛇は手近なチーターの顎を掴み、口をこじ開けようと力を込めた。力任せに開いたので顎が外れ、力加減を間違ったので口が裂けていた。獣は外れた顎を嵌めようと両手で持って絶叫した。

 

「あああああ! あああああ!」

 

 彼の苦痛は知ったことではない。無理矢理に口へ突っ込まれた心臓は気管を塞ぎ、掃除機にゴミを詰まらせたときに鳴る音がした。酸素供給手段を断たれたチーターは、極度の酸欠でそのまま倒れた。

 

「駄目だ、失敗だな。感想が聞けない。肉が大量に必要だな……」

「ひ……ひるむなぁ……や、やや、やれ!」

 

 大蛇は体を纏う闇を払い、深呼吸を行なった。隙ありとばかりに煽られたビーストマンたちは足を前に動かしたが、最低の悪手であった。

 

「火遁の術」

 

 蛇の口から炎が吐き出され、進軍した獣は自ら炎に飛び込んでしまった。炎は穴という穴から体内へ侵入し、前に出た獣は一匹残らず香ばしいバーベキューにされた。肉がこんがりと焼ける匂いが最前線に満ちる。

 

「馬鹿だなぁ。お前ら、肉が焼けたぞ。食えよ」

「……鬼だ」

「遠慮するなって、ほら」

 

 黒焦げにした体に腕を突き込み、蒸し焼きにした臓物を引き摺り出す。ブチッと器官を引きちぎり、変色した臓物が大蛇の手に握られていた。

 

「ひ、わああああ!」

 

 叫んでいる口に程よく焼けた肉を突っ込む。蛇の赤目は咀嚼されるのを待っていた。

 

「噛まないと殺すぞ」

 

 どっちにしても殺されるのだが、已む無く歯を噛み合わせて咀嚼する。ビーストマンは筋肉質で固い。焼かれたことでより固さを増し、顎がくたびれていた。

 

「仲間の味は? 人間とどっちが旨い?」

「ふ……げえええええ!」

 

 同胞の焼肉を食わされている獣は胃の内容物を全て吐き戻した。嘔吐物は大蛇の鱗を汚していく。自分の鱗に酸っぱい臭いのする液体が付着したのを観察したのが嗅覚に突き刺さる刺激臭でわかる。ヤトは吐き捨てるように呟いた。

 

「あーあ……きったねえなぁ……」

 

 大蛇は嘔吐した獣の顎を掴む。体を汚してくれたお礼とばかりに、彼を二人にしようと力を込めた。紙を千切るよりも派手な音が鳴り、彼は上あごと下あごの二つに分かたれた。重要器官は全て上あごに残され、下あごはとても薄っぺらかった。

 

 素手で二枚に下ろされた彼を捨て、次の獣に刀を突き込む。もう心臓を食わせて感想を言わせることに興味を失っていた。生き残った獣でゆっくり試せばよい。今は敵の数を減らすべきだ。

 

 そう考えたのも束の間、すぐに考えは悪辣非道な殺害方法へ戻った。手近な場所にいた獣が雌でなければ事務的な殺戮へ移行したはずだった。これはビーストマンにとって不運としか言いようがない。

 

「あ、おっぱいがたくさんある」

「ひ」

「ちょっとごめんよ」

 

 血で汚れた蛇の掌が獣の肩を掴む。動作は緩慢であったが、失禁する獣は身動きが取れない。大蛇は爪をゆっくりと食い込ませ、体の前半分の肉を引き剥がした。

 幾度となく鳴ったベリッという音がして、乳房が剥ぎ取られた。

 

「あ、あ、ぎゃあああああ!」

「ふーん……」

 

 絶叫に反応する素振りさえ見せない。彼の興味はどんな味がするのかだけだ。

 大蛇はデミウルゴスの視線を意識してそちらへ背を向け、涎で糸を引く口を開いて生肉を口にした。

 

 少しでも冷静になればわかることだが、蛇は咀嚼ができない。自然と肉は体の奥底へ飲み込まれ、ヤトは忌々しそうに唾を吐いた。

 

「味が良ければ王都で売ろうと思ったんだがな……」

 

 メトロノームのように振られていた蛇の頭は標的を発見し、体の前半分が剥ぎ取られてのたうつ獣を踏み台に飛んだ。踏み台にされた彼女の体は潰れ、口から血を吐いていた。

 

 頭から飛んだヤトは標的の前にいた獣の頭に手を置き、着地の衝撃を緩和した。チーターのメスは前にいた二匹の獣が蛇の腕で潰され、草原を汚すひき肉になる場面を見たのが最後だった。

 彼女は先ほどの犠牲者と同様に乳房の肉を剥ぎ取られ、そのまま野ざらしにされた。放っておけば野垂れ死にする彼女に、止めを刺す必要も興味もない。大蛇の興味はこの肉が王都で売れる味かどうかだった。

 

「か、はぁあああ」

 

 口から豪炎を吐き出し、手に掴んだ肉を火あぶりにした。獣の乳房も脂肪が占める割合が多く、大量の油が草原の栄養となるために地に落ちた。

 

 さらに肉の香ばしい臭いが周囲に立ち込める。

 

「おい、お前。これ、ちょっと食え」

「ひ、う、う、うわああああ!」

「食わなきゃ殺すぞ」

 

 彼の意見など問題ではない。僅かに開いた口に乳臭い焼き肉を放り込み、顎を無理矢理に上下させて噛み合わせた。嘔吐することなく、同胞の乳臭く油分の多い焼肉(バーベキュー)は嚥下されて胃袋に落下する。喉が大きなものが通過したように蠕動した。

 

「味を言え」

「あ、う、うあ」

「仲間のおっぱいの焼肉は旨かったか?」

「う……げええええ!」

「人間は生食できんのに仲間の肉は駄目なのか……役立たずが」

 

 彼は両腕を掴んで体を真っ二つに引き裂かれた。

 

「つまんねえなあ。お前らさっさとかかってこいよ。仲間が惨殺されるのを見ているだけなのか、獣の戦士ってのは。クズ共が……何もしないならこちらから行くぞ」

 

 獣の一人が聞こえるように呟いた。

 

「鬼だ……」

「何か言ったか?」

「お前は、この世界にいてはならない」

「そうだよ。俺は人間の醜悪さと異形の邪悪さを持った邪神だからな」

「……」

「言いたいことはそれだけか」

 

 大蛇は余計なことを言った彼を持ち上げ、肛門へ拳を突き込んだ。蛇の腕は関節まで体内へ埋め込まれ、直腸をズタズタに破壊した。腕を垂直に立てると、あまりの激痛に白目を剥いて脱力する獣の四肢がダランと揺れた。

 

「見ろ、肉の盾だ。指人形みたいで面白いだろ」

 

 大蛇の口が歪む。ビーストマンは悍ましい殺戮の宴に、自分のしてきたことを棚に上げて叫んだ。

 

「貴様は何なのだ!」

「プレイヤーだ」

 

 気が付けば、大蛇が目の前に立っている。白目を剥いて口端から泡を吹く、同胞の顔が人生の最後に見た映像だった。

 

 肉人形はヤトの拳で体を引き裂かれ、口から拳が出ていた。盾として使おうとしたが、耐久力が低すぎた。拳は肉の盾の口から飛び出して相手の顔を打ち抜き、頭部と体を繋ぐ頸椎が砕けた。

 支えを失った頭はだらんと後ろに落ち、彼は立ちながら絶命した。

 

「あーあ……お前ら弱すぎ。もういいや」

 

 邪神は殺戮を本格的に開始する。

 手前の獣の腕を掴んで別の獣へ叩きつけ、二つの血塗れハンバーグを拵えた。

 次の個体の顔を鷲掴みにして、思い切り引いた。顔の皮膚が根こそぎ剥がれ、筋張った赤い肉が露出する。

 ボーリングの玉よろしく両目と口に指を入れ、立ち尽くす案山子をピンに見立てて投げた。「ブウウウン」と空気を切り裂く音を上げ、ボールはピンに激突してぶちまけられた。衝撃で空中分解する彼の骨はバラバラに散らばって空中を走り、弾丸のように同胞の体を打ち抜いていく。

 

「下らないブラックユーモアだな」

 

 口に拳を突き込めば頭部に大穴が空き、手加減すれば歯が全て抜けた。引きちぎろうと思えば掴んで引けばいい。腕、足、頭、骨は投てき武器として使用ができた。

 潰そうと思えば掴んで握ればいい。肉片と出血を残し、紙でも握り潰す気楽さで獣の腕が潰れた。

 

 とにかく面白いように殺せた。

 

 ヤトも窮鼠猫を噛むがごとき反撃のダメージを負っていたが、プレイヤー勢対ビーストマン軍の戦いに獣側の勝算は無い。敵とのレベル差は90以上、このまま大蛇が数日間の居眠りをしたとしてもビーストマンに蛇は殺せない。事実、彼らの攻撃は大半がミスだった。

 

 人間側の圧勝をもたらすヤトは、自身が酷く邪悪で汚いものになった気分がしていた。

 それでも大蛇は後には引けない。獣相手に武器も取らず、ヤトは素手で敵を千切り、払い、潰した。

 

「敵は全て殺してやる。次、かかってこい!」

 

 生肉のジャムを大量に拵え、絨毯代わりに草原へ敷き詰めていった。

 炎を吐いて敵をまとめて燃やすころ、大蛇の体は赤く染まっていた。炎は草原に燃え移り、乾いた風に煽られて燃え広がっていく。ヤトを中心とする演習場に炎は広がり、闘技場のような円周地帯で大蛇と敵は分断された。蛇蝎のごときヤトは返り血と炎で紅に照らされた。自分がなぜ叫んでいるのかさえわからなかった。

 

「あああああ! 全部、俺が殺してやる!」

 

 

 闘争の熱に炎の熱が加わり、彼の破壊衝動は臨界に達した。

 

 

 

◆◆ここまで残酷描写の場所、閲覧注意、読み飛ばし可◆◆

 

 

 

 

 竜王国の女王はヤトの戦いを見ていた。悪逆極まる彼に対する嫌悪はない。女の勘は彼の脆弱さを知らせた。

 

 ともかく女王はヤトから目を逸らせなかった。

 

「宰相、奴はなぜ泣いているように戦うのだ」

「……」

 

 返事はない。彼は両手で口元を押さえている。何らかの意見は期待できそうにない。下手に手を除ければ嘔吐しかねないと、蒼白な顔色が教えてくれた。

 

「私には、幼子が泣いて暴れているように見える」

「陛下、奴は邪悪でおぞましきもの。陛下の御身はこのセレブライトがお守りを」

「む、そうか? 奴のところへ連れて行ってくれないか?」

「……」

「おい」

 

 こちらも期待できそうになかった。御付きのメイドに押し込められた事実は彼のプライドを著しく損傷させたようだ。ソリュシャンとナーベラルが女王の不穏な動きに気付く。

 人間への差別発言をしようと口を開いたが、デミウルゴスの腕がそれを制した。

 

(面白い……ここで御方が女王を殺すのか、それとも生かすのか、大変不敬なのだと知りながら見てみたい)

 

 デミウルゴスには他の人間が話す声も聞こえていた。

 

「ざまあみやがれ、獣どもが」

「ああ、すかっとしたぜ」

「おい、あの人は、俺たちのために残酷に殺してるんじゃないのか?」

「俺の子は奴らに攫われた……この手で獣の首を刎ねてやりてえんだよ」

 

 我が子を、妻を、夫を、親を、友人を、親戚を、隣人を、あらゆる大切な人を獣に殺された彼らの口は勝手に動いていた。地の底へ押し込められた狂気にも似た獣への憎悪は、代理人の大蛇が大殺戮を行なったことで多少の溜飲を下げる。だが、空腹時に半端な食べ方をするとかえって空腹が際立つ。彼らは安全地帯を放棄しようと立ち上がった。ビーストマンを自らの手で殺したいと渇望している。

 

「俺も戦うぞ!」

「わ、私も戦う!」

「身を寄せ合ってガタガタ震えるために、剣を取ったわけじゃねえよなぁ!」

「戦うんだ! 蛇様にだけ任せておけるか!」

「獣どもに人間様の意地ってやつを見せてやれ!」

 

 それぞれが誰かに同意を得るでもなく、心の内を叫んだ。口にしたことで憎悪ははっきりとした形を取り、人間の心の中で黒く燃え上がる。

 

 デミウルゴスは観覧席で身を乗り出す女王に声をかけた。

 

「女王陛下、我々は御方の下へ参ります。転移ゲートを開きますので、ヤトノカミ様にお会いしたいのなら潜りなさい。ナーベラル、ソリュシャン、恐怖公、我らは御方の下へ行こう」

「デミウルゴス様、よろしいのでしょうか」

「構わないとも。元よりこの戦いは獣と人間のどちらが勝つのかという戦いではないのだよ。竜王国の行く末を御方に委ねる戦いだ。彼らの動向を御方に報告すべきだろう?」

 

 ナーベラルが小首をかしげ、ソリュシャンが口を曲げてため息を吐いた。恐怖公はデミウルゴスの後に続いて転移ゲートへ歩いていく。身長30cm程度のトコトコと歩く姿は愛嬌の欠片も感じさせなかった。

 

「ソリュシャン、どういう意味? 人間なんて脅せば黙――」

「んもうっ。ポンコツお姉様は退場よ、行きましょっ!」

 

 ナザリック勢は全て転移ゲートに入り、残された女王は立ち上がる。

 

「私は蛇に会いに行く。宰相……は駄目だな。セレブライト、立ち上がる民を引率しろ。先に行くからなっ!」

 

 女王はデミウルゴスの後に続いた。

 

 陽光聖典、六腕へ何の指示もなく、立ち上がる竜王国の国民を見ながらどうすれば最善なのか判断に迷う。

 

「ゼロ、どうする?」

「ねえ、あたしたちって見てるだけでいいの?」

「……わからん」

「私は人間を引率する」

 

 陽光聖典は進軍する準備を始めた。

 

「お、おい。生き残れば勝ちなら、ここにいればいいんでねえの?」

「私たちは宗教家だ。信仰とは人心を正しい方向へ導くものでなければならない。陽光聖典がここで見ていては神に顔向けができん」

「六腕も行くぞ」

「ゼロ?」

「考えてもみろ。奴らは俺たちがここで見ていただけと知ったら、どんな難癖をつけて報酬を値切るかもわからん。幸い、獣が何匹居ようと俺たちが死ぬことはない。奴らは思ったよりも弱い」

「ボス……はぁ、行くしかねえのか」

「ほら、しゃんとしなっ!」

 

 六腕、陽光聖典、セレブライトは民間兵の突撃を引率する運びとなった。

 

 遠くで血のにわか雨が降るのが見えた。

 

 

 

 

 ヤトの両隣で交戦する異形種は単身であったが、その武力は並大抵ではない。コキュートスは至高の41人を除き、攻撃力最強、マーレは魔法最強である。レベルが一桁の獣など幾千幾万幾億だろうと物の数ではない。

 

「《不動明王撃(アチャラナータ)》!」

 

 青銅の蟲人に一撃で切分され、赤き血潮は草原に満ちる。コキュートスの冷気は赤い地面を作り、獣の足は冷気で固まった。彼の前に立ったビーストマンは一匹の例外もなく肉塊となって草原に散った。

 

「アレハ……」

 

 隣で炎が燃え上がり、ヤトが何らかのトラブルに見舞われたと気付く。

 一足先にマーレはヤトの隣にいた。彼が担当したビーストマンは大地の裂け目に落とされ、閉じる大地の口にすり潰された。死体を残した方がいいのだろうと判断した彼は、大半の時間を泥団子と化した獣の死骸を掘り起こすことに費やす。大地を操作しても泥団子を掘り起こすのは難しかったのだと、掘り起こされた泥団子の総数が物語った。

 

 ともあれ彼はヤトを心配して駆けつけた。

 

「ヤトノカミ様!」

「マーレ、ちょうどよかった。草木を操作して獣たちを高く上げてくれ。奴らの血で火を消そう」

「は、はい!」

「雨が降るから傘を差しておけよ」

「はい!」

 

 指示を聞くが早く、ただの草原に生えた雑草は巨大化して獣に巻き付き、空中へと高く伸びていく。ヤトは一撃で済まそうとスキルを使い、衝撃波の長さを伸ばした。

 

「《超斬撃衝撃波(ギガスラッシュ)》」

 

 横に広がった衝撃波は斜め45度から空へ走っていった。横一列に上げられた獣の群れは多少の高低差があり、美しく腹部で寸断とはいかなかった。しかし、血の雨を降らすのには十分だ。晴天の下、大地を凌辱せんとする血の雨が戦場に降り注いだ。異常な数の獣が殺され、降り注ぐ血は草原に燃え広がる炎を鎮火していく。

 

 マーレはどこから取り出したのか巨大な蓮の葉を傘にしていた。ヤトの頭にコロボックルという言葉が浮かんで消えた。

 

 大蛇は両手を広げて血の雨を浴びた。

 

 赤い雨は立ち尽くす大蛇に降り注ぎ、返り血で染まる鱗はより鮮やかな紅に塗り替えられていく。大粒の雫が彼の目に入ったが、瞼のない蛇は瞬きすることができない。雫は目の下を涙のように流れた。

 

「ああ、気持ちがいい」

 

 自己の存在価値を高めようとする渇欲。矮小で哀れな自分への嫌悪。人間的で卑屈な劣等感。赤い雨は全てを洗い流してくれた。鮮血で汚れながらも視界は澄み渡り、自分が人間を守るためにビーストマンの軍隊を皆殺しにすることこそが、この世界に転移した理由であってもいい。そんな気がしていた。

 

「不思議だな、いま俺はとても生きている気がする」

 

 誰の返事もない。また彼の問いかけは答えを求めていない。雨は上がって太陽の光が血で穢れた大地を照らした。

 

 眼鏡をかけた悪魔の声が背後から聞こえた。

 

「ふふっ……流石はヤトノカミ様。臨機応変な対応、感服いたします。ご覧ください、ビーストマンは数を大きく減らされた恐怖で進軍が鈍り、人間は武器を取ってこちらに走ってきます」

「なぜそうなるんだ」

「御身が虐殺という斬新な手段で彼らの心に火をつけたのです。家族や同胞を殺された怒りや憎しみを解消するための武器は既に与えたのです。一念発起した彼らは、ヤトノカミ様と肩を並べて戦場に立つべくこちらに現れるでしょう」

「だから、どうすればそうぶっ飛んだ流れになるんだ」

「活殺自在は弱肉強食の支配する世界では取り立てて珍しい出来事ではございません。しかし、人間を鼓舞して武器を与え、彼らに見せつけるかのような大殺戮。狷介孤高の無頼漢と呼ぶに相応しき御方であればこそ、彼らは目を覚まして我らの闘争に加わるのです。その手で同胞(はらから)の無念を晴らすために」

 

 デミウルゴスは話の途中で「くっくっく」と嗤った。愚かな人間をせせら嗤う意味もあったが、今は殺戮という嵐の後で固まり始めた地面を褒め称えた。大きな勘違いをしているとすぐに気付かされるが、今は彼の中で一つの結論が出ていた。

 

 彼の一説を立証するように、遠くで幾千幾万の叫びが聞こえた。竜王国側へ視線を向ければ、黒い地平線がこちらに迫っている。

 

「そうみたいだな」

「これならば、竜王国は二度と魔導国に刃向かわない、操り人形の如き属国となるでしょう。女王はさておき、国民が言いなりになるのであれば重畳。周辺で放置されている人間国家への良き見本となります」

 

 デミウルゴスの都合の良すぎる物言いに、ヤトはかえって不安になる。自分はどこぞの魔導王と違い、全てが都合よく働いたりはしない。どこにでもいる並みの人間程度の結果がいいところだ。

 

 だが、悪い予感を心配する暇は与えられない。

 

 眉をひそめた小さな女王が転移ゲートから飛び出してくる。小生意気な顔つきの少女は蛇に歩み寄る。血塗られた大蛇に怯むことなく、少女は蛇を睨む。

 

「もうよせ、蛇」

「はぁ? つーかお前、なにここに来てんだよ。失せろ、ガキの来る場所じゃない」

「もういいだろ。お前は十分やった」

「何がだよ、敵はまだ生きてるんだぞ。敵対者を生かしておくわけがないだろ。俺は邪神だ」

「……なら、なぜお前は泣いているのだ」

 

 彼女の言葉は理解できなかった。血が目の下を伝って流れ、そう見えただけだろう。高を括ったヤトは口を歪め、頭を少女に近づけた。

 

「よく見ろよ馬鹿。蛇は泣かない。血が流れてそう見えるだけだ」

「涙を流さずに泣いていたじゃないか。お前は自分がなぜここにいるのかわからず、生きる目的に迷った迷子のように泣いている」

「妄想もほどほどにしておけよ、クソガキ。口が過ぎると残酷なお仕置きが待ってるぞ。ガキは殺せないとでも思ってんのか?」

「本当に邪神などがいれば、人間を助けはしない」

 

 ヤトの思考は他者と比べてひどく遅い。稀に上手く会話が成立することもあるが、会話のキャッチボールは大抵がヤトで詰まる。ご多分に漏れず、大蛇は言葉に詰まった。また、女王の言葉にも一理あると思った。

 

「お前は馬鹿だ」

 

 該当人物はさておき、彼の部下の前で自殺行為に等しい発言であった。自然な流れで異形種の殺気が女王を射抜く。少女は冷や汗を流し、大蛇から視線を動かさない。

 

「人間から異形種になって歪んでしまった心は、初めから人間の私にはわからん」

「……何のことだ?」

「私たちを脅したいのならその姿で会いに来ればいいだろう。怯えた竜王国が素直に従ったかもしれん。見捨てるのなら子供だけ助ける意味が分からん。今回の戦争も、私たちに武器を与えてご丁寧に戦力まで貸してくれる。お前たちは何がしたいのだ」

「いや、それは竜王国を知らなかったからで、都合よく属国にするにはちょうど良か――」

「まだある。お前が先ほど言ったこと、生きるために戦えとは自分に言い聞かせた言葉だろ。お前の戦いは自分がここにいるんだと知らしめるようだ。はぐれた親を探して荒れる幼子に見える」

 

 大蛇の返答はない。

 

「私には見えない涙でも流しているように見えたぞ」

「……」

「自分が生きる理由がわからないとでも考えているのか」

「黙れ!」

 

 大蛇は女王の胸倉を掴んで高く持ち上げた。手を掴む小さな両手がこびりついた血で汚れた。

 

「俺はプレイヤーなんだよ。邪悪で愚かで醜い奴で、リアルでは取るに足らないただのクズだ。その俺が何かを殺したり生かしたりするのに特別な理由がいるのか。必要なら牧場代わりに生かしておき、いらなければ踏み潰すだけだ」

「人間になりたいのなら自分は人間だと言い張れ、愚か者! お前が欲しがっているのは竜王国ではない! 自分の失った心の弱さを補いたいだけだ!」

「……」

「苦しみ悶え、それでも生きることこそが人間なのではないのか。人間と異形種の心に大した違いはないのだ、この馬鹿!」

「………元人間の俺は醜い悪の怪物でなければならない」

「私はお前が嫌いじゃない」

 

 少女は聖母のように笑った。大蛇に胸倉を掴まれ、空中高く持ち上げられて呼吸もまともにできないはずだが、全てを受け容れるように笑った。

 

「偽悪も偽善ももう止めろ。竜王国は属国になってやる。だから、宮廷に来い。また一緒に菓子を食おう」

「今さらおせえんだよ、ボケ。アインズさんの相方が平和主義じゃ駄目なんだよ」

「アインズサン?」

 

 説明はされなかったが、少女は地に足を付けた。

 

「この世界の唯一神に友達がなろうとしてんのに、俺がそれに乗っかるだけのクズじゃ駄目だろ。もう後には引けねえんだよ」

「そうか……やはりお前は馬鹿だ」

「……お前なぁ」

「感謝するぞ、馬鹿。私では彼らを決起させることはできなかった。終わったら竜王国の宮廷に来い。私の寝室へ入室を許そう」

「……はぁー、さいですか」

 

 大蛇の纏う空気は途端に緩む。部下の殺気もいつの間にか消えていた。

 

「む、失礼な奴だな。お前の部下ほど美女ではないが、これでも本来の体には自信があるんだぞ」

「マジ……メンドクセエ」

 

 デミウルゴスは耳をそばだてていた。ヤトから殺戮の熱気が離れていくのを感じたが、結果として戦争途中で彼らは白旗を揚げ、竜王国は魔導国の属国となった。未だ国交のない諸国への対応としてこれ以上の好例はない。

 

「戦争中に緊張感のないこというんじゃないぞ、クソガキ」

「お前より年上じゃい。淑女舐めんなよ」

 

 蛇は女王を鼻で笑い、女王も阿呆を小馬鹿にした。纏う雰囲気は竜王国宮廷で会った気さくな蛇その人だ。

 

「デミウルゴス、六腕と陽光聖典を呼べ。全軍を上げて残った獣を掃討する。お前たちも人間と肩を並べて……」

 

 ヤトの言葉は止まった。この世の全てを冒涜するかのような視線に、存在しない鳥肌が立った。何かが起ころうとしているのはわかったが、それが何かはわからない。

 大蛇は素早く振り返り、視線の下を探った。

 射抜かれた視線は消えたが、上空から飛来する巨大なものが二つ。隕石のように飛来した巨大な何かは大地を揺るがし、その咆哮を戦場に轟かせた。

 至近距離の轟音に大半が耳を塞ぐ。

 

「ツアーか」

「そっ曾祖父様!?」

 

 白金の竜王(プラチナム・ドラゴンロード)七彩の竜王(ブライトネス・ドラゴンロード)は、向かい合って咆哮を上げている。それは敵対の証明、虹色と白金は完全に袂を分かったと物語っていた。太陽の光は二体の竜王に降り注ぎ、その鱗を輝かせた。七色と白銀の輝きに目が眩む。

 

「これ以上は見過ごせない! ヤト、世界を汚す君を許すわけにはいかない!」

 

 ツアーの瞳は怒りで燃えており、デミウルゴスだけが切迫した状況だと把握していた。

 彼が最強の竜王だと知り、不意打ちでヤトが手傷を負うことを恐れた。しかし、余計な動きは命取りになりかねず、今はヤトに任せるしかなかった。

 

「お前がこの戦いのラスボスってわけだな」

「白金、彼の戦いを止めるべきではない」

 

 七彩の竜王が応じる。最強の竜王である白金の竜王は、虹色の竜王を冷めた目で眺めた。頭を上げて見下ろすツアーに対し、虹色は下からツアーを見上げていた。頭の位置を見れば武力の力関係は明らかだ。

 

「七彩の、邪魔をしないでほしい。これ以上、プレイヤーの手で世界が汚れるのを見過ごせはしない」

「白金、我々はなぜ生まれた。繁殖の欲求は薄く、家族への情愛もない。財宝の収集と縄張りの監視を行うためだけに無為に続く生を与えられた我々は、何のために世界に産み落とされたのだ。遍く(あまねく)命の螺旋階段、与えられた生の命題、一見して無為な生と死も世界を形作るもの。彼の体をそう創ったものの影が、それを探る手掛かりとなろう」

 

 白金は小難しい理屈を並べる虹色を鼻で笑った。たとえ竜王の生に何らかの意味があったとしても、それは自然と全うされるものである。何より、ツアーは神だか何だかとやらを信じていない。

 

「生まれた理由は考える必要ないよ。死にたくなければ生きればいい。生きる理由なんてそんな程度じゃないかな」

「思考停止した者の解答でしかない。悲しいかな、君の行動は自身の優位性を保とうと他者へ暴力を振るう愚かな人間と何ら変わりはない。世界の理は弱肉強食、ならば強者であるプレイヤーも世界の強者なのだ」

「私がここで止めるのも強者としての理念だよ。プレイヤーが好き勝手に暴れ、世界の調和が崩れるのは我慢ならないんだ」

「私は蛇の側につかせてもらおう。ここで蛇神が暴れるのも世界の因果に組み込まれている可能性がある。彼らがこの世界に飛ばされた理由、組み替えられた魂に与えられた命題を考えたことはあるかね」

「君がそういうだろうとわかっていたさ。私はビーストマン側につかせてもらう」

 

 「コォォォ」と深呼吸する音がする。二体の竜王が互いの意地を懸けた頂上決戦を行なおうとしていた。ヤトの蛇眼は冷めていた。

 

「曾祖父様……」

 

 竜王国女王の呟きは掻き消えた。まだ互いの議論は終わっていない。

 

「プレイヤーも同じ大地の命だと、なぜ考えられないのだ」

「違う。彼らが手を貸すのなら、貸した側が必ず勝利する。しかし、それは世界の正しい変革ではないんだ。彼らに都合のいい歴史の改変だ」

「それこそがプレイヤーだ。白金、世界の変革はいつだって無情なもの。大地は破壊を怖れはしない。あるがままの姿が正しい姿と知っている。プレイヤーが世界に存在する意義を考えたまえ」

 

 交戦間近で議論は白熱していた。面白くないのはヤトである。奇跡的にここまで都合よく進んだ計画が、ツアーと虹色の出現で全て台無しになろうとしていた。

 

「お前らうるっせえよ」

 

 ヤトは地面に尾を叩きつけ、竜王の注意を自分へ向けた。

 

「虹色、弱肉強食の真理ってんならツアーと俺が戦うのは正しいだろ。ツアーも喧嘩は買ってやるからかかってこいよ。ラスボス倒してエンディングでも見てやるよ」

 

 大蛇の口は歪んで吊り上がる。その表情は邪神と呼ぶに相応しく、とても元人間とは思わせない邪悪さがあった。ツアーは汚物を見る目で、虹色は馬鹿を見る目で大蛇を眺めた。

 

「敵が弱くて物足りないと思ってたんだよ。やっぱり、殴り合いは強い奴とやらなきゃな」

 

 竜王の視線を無視し、ヤトは大鎌と長太刀を取り出した。虹色の呆れた声がする。

 

「蛇神……自殺は最も愚かで無価値なる死亡事由だ。家族と仲間が帰りを待っているのだろう。生きる意味、魂の命題を見つけぬままに無為な死を選ぶべきではない。君の旅はまだ途中だ」

「お前なぁ……俺が負けると信じて疑ってないんだな」

「然り。君の魔法抵抗力は低すぎる。ワイルドマジックは極めれば君らの最高位魔法を凌駕する。小蠅が太陽へ飛び込むが如く、だ。君は一撃で焼き尽くされるだろう」

「だとしても、俺は引けない。ここまで積み上げた全てが無駄になる気がする。アインズさんと対等になるために、俺はどんな無茶でもしなければならない。それがあの人の望んだ未来だからだ」

「望んで茨に飛び込む必要はなく、回避する道筋は存在しよう。器量よく立ち回れば無駄な争いも避けられる。君の友人はそう望むのではないかね」

「わかってるけどよ、邪神がみんなで仲良く手を繋いで、ほのぼのした和解するなんておかしいだろ」

「邪神が進むは邪道のみといいたいのかね。実に短絡的だが、君らしいと言えよう。好ましいとは思えんがね」

 

 虹色の目が細められた。その目に宿った感情が悲哀だと曾孫だけが悟った。

 

「しかし……愚かな男だ」

「知ってる」

「そして不細工だ」

「おい」

「蛇の脳みそは私の想定以上に小さい」

「おい!」

「品性の俗悪と知性の粗末さは疑うべくもない」

「てめえこの野郎! 喧嘩売ってんならまとめて相手になるぞ! おら、かかってこい!」

 

 ツアーは呆れたようにため息を吐いた。

 

「……ヤト、君には緊張感というものがないのかい?」

 

 戦闘態勢を整えた影響で、呼気に青い炎が混じっていた。

 

「最強の竜王を倒せば、この世界に敵はいなくなる。俺にとっては都合がいい」

「殺すつもりはないよ。痛めつける程度で済ませたい」

「プレイヤー相手にいい度胸だな」

「世界の調和を乱す君を見過ごすわけにはいかない。君の言う通り、プレイヤー相手に手加減はできないからね。私が言うのも何なのだが……死なないでくれよ」

「さあな。俺もアインズさんと相対する存在にならなきゃいけないからな。命の一つくらい簡単に捨てるぞ」

「君も強情だな。アインズとムキになって対等になる必要はないだろう? 戦士と魔法詠唱者は互いに得意分野が違うじゃないか」

「……お前もあの人と一緒にいればわかるよ」

 

 ツアーは魔導国に滞在した日数が少ない。アインズが常にトラブルの中心となることは知っていたが、何がヤトをそうさせるのか理解できなかった。アインズは良き友人で、世界を邪魔しないひっそりとした性格であると思っていた。

 

「ヤト、財宝の約束、守ってほしかったよ」

「……悪い」

 

 その気になったヤトに、やはり交戦は避けれられないようだとツアーは知る。デミウルゴス、並びに他の将はヤトの背後へついた。

 

「ヤトノカミ様。ナザリックから応援を――」

「手を出すな。最後まで俺にやらせろ」

「いけません! よもや負けはないでしょうが、敵は最強の竜王と名高い白金の竜王です! 御身が手傷を負うなど見過ごせはしな――」

「ならお前から殺すぞ」

「……」

 

 ヤトの目は冗談を言っていない。デミウルゴスは吐いた言葉を引っ込めるしかなかった。

 

「……畏まりました、くれぐれもご無事で」

 

 返答はない。おめおめと引き下がったデミウルゴスに、マーレとコキュートスの小声が突き刺さる。

 

「デミウルゴス、コノママ見テイルダケナドデキン」

「そ、そうですよ。ヤトノカミ様に何かあったら僕は、僕は」

「誤解しないでくれよ。全員、臨戦態勢で待機、何かあればすぐに飛び掛かるんだ。弾除けくらいにはならなければ、アインズ様に顔向けできないだろう?」

「ソウカ……」

 

 (しもべ)は命を捨てる覚悟を決めた。

 

 そのすぐ隣、曾祖父と曾孫もまた小声で状況を確認していた。

 

「ドラウディロン。その容姿以上に女王として成長していたのだな。先ほどの蛇への説教、称賛に値する」

「あ、はい、ありがとうございます……い、いや、それよりも、白金の竜王様はなぜあ奴と戦うのですか」

「愚者には愚者なりに受け入れられないこともある。それが彼らの矜持だ。縄張りを争う獣は、割って入った邪魔者を協力して排除するという。宗教の域にまで昇華された彼らの矜持を邪魔することはできん。恐らく彼らは、邪魔者から先に排除するだろう」

「そんな……でも……」

「巻き添えを喰わぬよう、私の翼の内側で身を小さくするといい。全力で戦う彼らは私にも止められん」

 

 ヤトとツアーの殺伐としたオーラは空中で合流し、溶けあうことなく捻じれて昇った。のたうちながら天に昇る二匹の昇り竜は、まるで自分たちの居場所を告げる狼煙のように、天高く馬肥える秋の太陽に立ち昇る。

 雲の上に到達してもまだ伸びていく波動は、ここが戦場だと雲海を泳ぐものに告げた。

 

「行くぞ、ツアー!」

「ヤト、手加減はできないからな!」

 

 互いの主義が衝突し、命を懸けた戦いに発展した。果し合いが始まるまで数秒とかからない。

 

 真の王は戦場に立たない。相手の立場を尊重し、争うことなく全てを受け容れる。自然とその手中には都合のいい結果だけが収められる。

 

 そして王は舞い降りる。

 

 

 隕石でも落下したのかと聞きたくなる轟音が果し合いに水を差した。生きとし生けるもの全て、何事が起きたのかと音がした方角へ顔を向ける。ビーストマンの大軍は、巨大な黒い闇に踏み潰され、歯で食い千切られ、爪で八つ裂きにされ、尾で薙ぎ払われ、思うままに蹂躙されていた。

 獣の絶叫が草原に木霊した。顔見知りにツアーは驚愕の声を上げる。衝撃の事実に、ヤトと戦闘していたことなど頭の片隅にもない。

 

「と、常闇!?」

「? だれ?」

 

 常闇の竜王(ディープダークネス・ドラゴンロード)はアインズの指示によってビーストマンを蹂躙する。その場で待機していた彼らは踏み潰されて草原に赤い水溜りを作った。

 獣人の数は未だ大量に残されており、それらの死体が作る水溜りはついに氾濫し、赤い川となってどこかに流れていった。

 

 次いでとても大きなものが上空から幾つも飛来し、暗黒の体を持つ竜王に加勢してビーストマンの軍勢を殺していく。蟻でも踏みつぶす気軽さで、常闇の竜王、霜の竜王とその眷属は劣等種たるビーストマンを殺していった。竜王が下等種族を殺すのに躊躇いはない。

 

「馬鹿な……これはなんだ、何が起きているんだ」

「え……なにこれ」

 

 困り果てた二名の頭上から、底抜けに明るく場に少しもそぐわない声が聞こえた。

 

「ヤト! 常闇の竜王と霜の竜王一家を僕にしたぞ、凄いだろう!」

 

 大蛇と光り輝く竜王は、誰なのか知りながら確認で一応は空を見上げた。見覚えのある白骨体が黒いローブを纏って宙に浮いている。若い闇妖精(ダークエルフ)と色白の少女を付き従え、骸骨は手を振っている。絶対の支配者とは思えない気安さだった。

 

「彼らの初陣にちょうどいいので、勝手に加勢させてもらったぞ」

 

 あまりに空気の読めない機会(タイミング)と手法だ。空を漂うアインズを、ヤトとツアーは無言で見上げ続けた。

 

「どうした? ツアーに助けてもらいながらビーストマンを滅ぼしていたのではないのか?」

 

 蛇と竜の目は細められた。今さら殺し合いが始まる寸前でしたとは言えない空気だ。

 もはや何と言っていいのかもわからず、無為な沈黙だけが続いた。

 

 全ての視線は徐々にアインズへ集約され、沈黙はアインズを串刺しにする。

 

(何かまずかったのだろうか……)

 

 蹂躙されているビーストマンを除き、生命体の視線はアインズの言葉を待った。だが、当の本人は何ゆえ沈黙のままに注目されなければならないのか理解に苦しんでいる。新たな配下(コレクション)を喜んでくれると思われた肝心の大蛇でさえ、目を細めて阿呆でも見る目をしている。

 

(どうしよう……)

 

 アインズは何かを間違ったと気付き、対応策を練り始めた。

 

 

 

 戦場に気まずい沈黙が訪れた。

 

 

 


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