モモンガさん、世界征服しないってよ   作:用具 操十雄

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最高傑作にハムレットというルビを振らないように
話の意味がまるで変ってしまいますからね


液垂れする出来損なった最高傑作

 

 ドワーフのルーン工匠、ゴンド・ファイアビアトは、どこかの湖を水底(みなぞこ)へ向かって沈んでいく感覚を味わっていた。深度を増すに従って水は黒く冷たさを増し、光は徐々に途切れていく。母親の胎内にいるようで心地よかった。

 

「ドワーフよ、目を覚ませ」

 

 悠然とした何者かの声で体は反転する。水面に揺らめく太陽を求め、体はゆっくりと浮き上がっていった。水底から大きな泡が一つ、自分の体に向けて噴き上がった。

 瞳を開くと光に目が眩む。ゆっくりと時間を掛けて目をならし、目の前に座る人物を改めて眺めた。

 

 化け物がいた。

 

 一目でアンデッドとわかる白骨化した風貌に、その価値も測れない武器・防具・装飾品。闇妖精(ダークエルフ)の少年を付き従え、足を組んで低めの椅子に座っていた。簡易玉座は妙に柔らかそうだ。

 奥には見たこともない屈強な魔獣、片隅でだらしなく眠る蜥蜴人(リザードマン)が一匹。状況が把握できず、また声帯が枯渇して叫びさえ上げられない。アンデッドの化け物は威厳ある声色で話しかけた。一挙手一投足が死を予感させる。

 

「此度は部下が失礼をした。彼らの王として詫びさせていただく」

「っ……あ……」

 

 言葉は出なかった。喉は水源の存在を認めぬ砂漠のように渇き、言葉にもならない短い叫びがでた。

 

「アウラ、彼に飲み物を」

「はい」

 

 与えられた飲み物は、この世のものとは思えぬほど美味かった。ひび割れた声帯は潤い、命の水は魂へ浸透して活力が湧いてくる。酒の旨さがわからなかったゴンドは、初めて美酒に酔った。

 

「改めて謝罪を述べよう。我が部下の非礼、許してくれ」

「は、ははあ! 滅相もございません」

「感謝する」

 

 忠誠を誓う部下のようにゴンドは平伏した。アインズがどうしたものかと思いながら姿勢を正すと、座っている椅子が身悶えた。

 

 両者、玉座を無視して話を続ける。

 

「名前を教えてくれないか」

「わし……私はドワーフのルーン工匠、ゴンド・ファイアビアトじゃ……です」

「そなたは私の部下ではない。砕けた口調で構わん」

「そ、そうかね、それじゃ遠慮なく……」

 

 降り注いだ絶望の闇が濃ければ、希望の光は視界を眩ませる。魔物に遭遇して手傷を負った自分は命を救われたのだと勝手な解釈をし、ゴンドは聞いてもいないのにドワーフ王国とルーン文字の入った武器について話してくれた。

 アインズが期待した独自に進化を遂げたルーン文字は存在せず、原価は高いが生産効率の良い魔化武器に淘汰されつつある技術、つまり失われる技術のようだ。ルーン技術の継承、新たな文字の開発に燃える彼も才能が足りずルーン工匠になり損ねたドワーフであり、髑髏に浮かぶ失望を隠せない。

 

(外れ……か……)

 

 表情の分からぬ骸骨であったが、ゴンドは失望を感じ取った。

 

「失望するのも分かる。ルーン職人など廃れる技術と知り、皆がやけっぱちじゃからな」

「弱者必滅のルールか……強者が弱者を食らう世界において、技術や魔法も安全を保障されない。煽りを受けて淘汰されるものは常に存在しよう」

「……陛下の言う通りじゃ。それでもわしは諦めん。わしが守らなければ、祖先が残した技術……いや、違う。輝かしい父の名は歴史に淘汰されてしまう! 一人でもやると決めたんじゃ!」

 

 「そうか……」アインズの寂しそうな声色の理由は誰にも分らなかった。ギルドを一人で守り続けた自分だからこそ、彼の気持ちは痛いほどわかった。

 

「一つ聞きたい。お前が望むもの、全てを与えることを条件に、魔導国でルーン文字の開発のため、身を粉にして尽くすと誓うか?」

「……? 望むものとは?」

「資金・場所・設備・時間、大よそ開発に必要な全てだ。他のルーン工匠を全て説得できればの話だがな」

「……拒否すればどうなる」

「どうもしない。我らはこの地を去るが、本当にそれでよいのか?」

 

 返事を待たずに話を続けた。

 

「見たところ敵対勢力に脅かされているようだが、そちらの問題まで解決してやろう。もちろん、ドワーフ全員で魔導国に移住しても構わん。ドワーフだけが住む炭鉱と鍛冶の都市を造るのも悪くない。ここの炭鉱に採掘するのであれば護衛を雇え。ルーン武器で得た報酬で雇える金額に設定してやろう。悪くない条件だと思うが?」

 

 破格の条件であった。

 ゴンドからすればそれ以上に望むことはない。やさぐれてる他のルーン工匠も全員が口を揃えてそう言うだろう。夢も希望も未来も与える条件に、この光景自体が夢じゃないかと足踏みしていた。

 

「……陛下に何の得があるんじゃ?」

「ルーン技術が手に入る。魔導国内に低価格で質の良い武器が流通し、周辺地域を脅かす魔物の数も減る。どこまで技術を開発できるのか興味もある。もっとも、これは個人的な好奇心という方がつよ――」

「乗ったぁ!」

 

 液状化して地面と一体化せんと平伏していた山小人(ドワーフ)は、大声を上げて立ち上がる。白骨の体がビクッと強張り、玉座が身悶えした。

 

「この身、全てルーン技術開発に注がせていただく! わしにできることは何なりと命じてくれい!」

 

 布製の手袋を外し、腹部で汚れを払ってから手を差し出した。アインズも立ち上がり、彼の握手に応じた。アインズの座っていた椅子の全貌が明らかとなる。ゴンドの手から力が抜けていくのを感じた。

 

「うわ……ぁ……陛下、少女に座っておったんか……?」

「ち、違うぞ、決して趣味ではない。これは吸血鬼の部下だ! ……勝手な判断でゴンドの腕を捥いでしまったので罰を与えたまでのこと」

 

 言葉の途中だったが、振れた感情は抑制された。

 改めて急襲した魔物から救ってくれたわけではないと知らされ、魔導王の人間椅子に座る特殊な性的嗜好も教えられた。ゴンドの目は非難がましく、拒絶的な色が宿っている。倒錯的な趣味を前に距離が開いていく。

 

「儂はこの子に腕を捥がれたのか……」

「う、うむ、申し訳ないことをした。だからこそ、破格の条件で受け入れさせてほしい」

 

 形成は逆転し、受け入れざるを得ない雰囲気が周囲に立ち込める。

 シャルティアの恍惚とした表情が更に誤解を生む。

 

「あ……アインズさまぁ……」

 

 「静かにせよ」アインズが座り直し、人間椅子のシャルティアが身悶える。

 

「ぁふぅ……っく……」

「シャルティア? しっかりしなさい、どうしたのだ」

「いま触らな――」

 

 アインズが彼女の苦痛を心配して腕を取り、立ち上がらせようとした。掌から彼女の痙攣が伝わってくる。彼女はその場にヘロヘロとへたり込んだ。両手で顔を覆い、事態の羞恥に身悶えていたが、指の隙間から覗く表情は恍惚としていた。

 

「あ……ああぁ……はぁぁぁぁん……」

 

 経験豊富なアインズは彼女の異常事態を把握した。涎と涙を流し、他の場所からも何かを流していた。可憐な少女のみだらな姿に思わず目を背け、顔を歪めているアウラに指示を出した。

 

「……アウラ、彼女の後始末を」

「えぇー……」

 

 アウラは限界まで顔をしかめ、ピカソも驚く抽象画に見えた。快楽の形には男女で差がある。事後の余韻はシャルティアを暴走させた。

 

「あああああいんずさまあああああわたっわたたたしはぁあああ」

「…………アウラ、シャルティアが変なのだが」

「……ばか」

 

 アウラは無言で友人の頭を叩く。

 

「いたっ……うぅ、なにす……いやしょれよりも、もう我慢できないでありんすぅ! アインズ様、私の初めてを奪ってくんなまし!」

「はぁぁぁぁぁー………」

 

 アウラのため息は空っ風となって全員のあいだに吹いた。吸血鬼真祖(トゥルーヴァンパイア)は鼻息荒くアインズに詰め寄る。

 

 アインズは仲間が手塩にかけて育てた部下を、初めて至近距離で眺めた。体の発育こそ未成熟で固定されているが、ぞっとするほど透き通る素肌と犬歯が覗く小悪魔のように可憐な美しさ。彼女の背後に、完成したシャルティアの出来の良さを自慢するペロロンチーノの記憶がちらついた。

 

 主の懐古を知らず、シャルティアはドレスを脱ごうと背中のジッパーを下ろした。瞬時にアウラから突っ込まれる。

 

「ちょっ、あんた何してんの!」

「服を脱げばアインズ様もその気になっていただけるでありんす!」

「下品なことするなってば!」

「もう無理ぃ! 身も心も火がついてんのよ! アインズ様、アルベドにだけニャンニャンしてずるいでありんす!」

 

 どうやら女性問題とは切っても切れない性分らしい。ハーレムを作るために自分がこの世界へ転生したわけではないと、アインズは太陽に願った。

 

(それにしても、シャルティアは感情の抑制がされないのか?)

 

 この騒乱に乗じ、ゴンドは物理と精神の両方で大きく距離を空けた。アウラは暴走する彼女をぽかぽかと叩いている。

 

「この馬鹿ぁ! 創造してくださったペロロンチーノ様の評価も下がるのよ! あたしの気も知らないでぇぇぇ!」

「痛い痛い! あ、あんたもお慈悲を貰えばいいじゃない!」

「う、うるさいうるさいうるさ……ぁ……」

「あぇ?」

 

 アウラは事切れたように止まり、頭を押さえていたシャルティアは友人を窺った。言葉を切って凍結した彼女に、皆が不思議そうに近寄った。

 

「アウラ、どうしたのだ?」

「い! うるさいうるさいうるさい!」

 

 突然に再開され、アインズは一歩退く。

 彼女の中で“うるさい”の回数は決まっていた。最後まで言い切ってから報告しようとアウラは最後まで言い切り、行きがけの駄賃とばかりにシャルティアの頭部へ拳骨を落とすのも規定回数をやり切った。

 一仕事終えたアウラは額の汗を拭い、神妙な顔に改める。

 たん瘤をしこたま作られたシャルティアは、涙目で体育座りをしていた。

 

「しゃ……シャルティ……いや、アウラ、何かあったのか?」

「はい! 侵入者です! 包囲網に引っかかりました! すぐそこまで来ています!」

 

 アインズはエイトエッジ・アサシンに見張りを頼んでいなかった。騒乱の影響もあり、一同は後手に回っていた。

 

「話の途中だ。シャルティア、情報収集も兼ねて一匹捕まえてきなさい。残りは殺せそうだったら殺して構わん。敵のレベルが60以上であれば撤退だ。アウラ、シャルティアに場所を指示して撤退準備を始めよ」

 

 威勢の良い返事の二人は、その場から風とともに消えた。ゴンドは純真無垢な少年少女に獣人の討伐を頼むという、魔導王の鬼畜さに不快感を覚えて苦言を呈す。

 

「魔導王よい、幾らなんでもそりゃないじゃろ。あの子らの種族はよくわからんが、まだ子供じゃ」

「ふっ……いや、失礼、彼女たちは強い。敵意を以て単身で君たちの国に乗り込めば、ドワーフは滅亡するだろうな」

 

「は、はぁ……?」アンデッド相手におかしな話だが、気でも違ったのかと思った。

 

「いずれにせよ、後でわかることだ。さあ、我々は話の続きをしよう」

「はぁ……」

 

 ゴンドは先ほどと態度を一転させ、生返事で応対した。シャルティアの痴態によって、補填(フォロー)なくしてルーン技術の入手は困難な状況だとアインズにもわかっていた。

 獣人(モグラ)相手に守護者最強のシャルティアが後れを取るとは思えず、ゴンドを懐柔するための交渉を始めた。

 

 勇み足のシャルティアが敵を一匹残らず惨殺したと通知が入ったのは、それから一時間後、ゴンドの懐疑的な視線がようやっと柔らかくなってからだった。

 

 

 

 

 シャルティアの大活躍により、大量の死体をナザリックへ運ぶ羽目になった一行は、行動の時間を大きく遅らせた。アインズは右から左へライン作業で運ばれるクアゴアの死体を眺めていた。

 

(モグラだ……どうでもいいけどハナモゲラってなんだっけ……)

 

 如何にして自らが死んだのかを知らずに冥府へ旅立った哀れなクアゴアの死体は、呼び出されたスケルトンによってナザリックへ運ばれた。中位から上位アンデッドの素材に運用を期待しているアインズからすれば、悲観するほど悪い結果ではなかったが、シャルティアは命じられた成果を残せずしょげていた。

 

 頭上には死神でも漂っているのかと聞きたいほど、物陰で座り込む彼女は暗い。手柄を立てて褒めてもらいたい彼女は焦っていたが、アインズはそこまで考えを巡らせなかった。一同はドワーフの都市へ足を向けた。

 馬代わりの魔獣を帰還させ、ゴンドの案内で地下坑道を進んでいく。案内を終えたゼンベルも帰還させるべきかと思ったが、顔見知りと遭遇した場合を考慮して帰還させなかった。

 

 とにかく無駄な時間が経過していた。

 

 ドワーフ国の首都、フェオ・ジュラの西側は修羅場と化していた。

 薄暗い地下を警戒しながら歩く一行の進みは鈍く、厳めしい堅牢な城門に頼って籠城するドワーフと、今にも扉を引き裂いて中へ突入せんとするクアゴアの軍勢が、やがて訪れる地獄絵図を予感させた。差し迫った事態にゆっくりと策を練っている時間もない。

 クアゴアの鋭い爪で城門の摩耗は進んでいた。

 

「シャルティア」視線を感じてシャルティアは顔を上げた。

 

「よ、よろしいのでありんしょうか……」

「名誉を挽回してきなさい。ペロロンチーノさんが作った最高傑作の実力を、ドワーフとモグラに知らしめてこい」

「陛下、もぐらじゃなくクアゴアじゃ」

「そうだったな……」

 

 魔導国がドワーフ国へ恩を売るのに、これ以上ない垂涎ものの舞台だった。

 我儘を言えばドワーフの門番が血祭りにあげられ、彼らが侵入する寸前ならばなおよし、そうでなくても攻めるクアゴアの軍隊を見せしめに殺害すればこの後の交渉も捗る。積み上げられた死体の山は、こちらの実力を言葉よりも雄弁に語ってくれる。

 

 彼女はすぐに飛び立った。

 

 全身鎧を装備してそのまま修羅場に突っ込んでいったが、勢いが強すぎた。堅牢な城門はブレーキ代わりに利用して破壊され、内側で控えていたドワーフを瓦礫の下敷きにした。

 真っ先に殺したのはドワーフだった。

 

「あ……」

「陛下……仲間が死んでおるのじゃが……どうしてくれるんじゃ」

「……すぐに蘇生する」

「当たり前じゃい……」

 

 シャルティアは底の見えない大裂け目に全てのクアゴゼを叩き落として戻った。アインズの表情は浮かない。今度こそクアゴゼから情報を引き出そうと思い、死体でも残れば一体は蘇生させるかと考えていたところ、死体は一つも残らなかった。

 おまけに死体が残っているのはドワーフという、全く以てありがたくない付加価値(プレミア)まで付いている。アインズは自分で命じたことを棚に上げ、人選ミスに胃を押さえた。

 

(叱るべきか? ……いや、命じたのは私だ。だが、部下への説教は上司として……うぅむ)

 

 会社の代表として部下の叱咤激励に悩むが、元気溌剌としたシャルティアに言葉は出なかった。そちらよりも早急に犠牲となったドワーフの蘇生に取り掛かる必要があった。

 蘇生された軍事関係者は蘇生の摩耗が落ち着いてからアインズを瞳に映し、事態の把握もせず一目散に逃げだした。ゴンドがいなければ入口で足踏みをする羽目になっただろう。

 

 ゴンドの熱意ある説得で、彼らは摂政会へ通される。道すがら、アインズを見つけたドワーフの反応は一貫しており、死の恐怖に体を硬直させていた。

 

「アインズ様に無礼な! 下等なドワーフを殺す許可を」

「落ち着きなさい、シャルティア。この世界のアンデッドとはそういうものだ。生者を憎み、殺戮衝動に駆られる」

「シャルティアぁ、あんたさっきドワーフまで殺して失敗しちゃったんだから、大人しくしなさいよ」

「うぅっ……」

「アウラ、そういう言い方は良くないぞ。彼女は彼女なりに頑張っているのだ」

「そうですかぁ……?」

 

 アウラに睨まれ、シャルティアは肩をすくめた。ゼンベルは皆の後を控えめに追従した。ブレイン宅でお気楽に過ごした過去が懐かしかった。

 

 クアゴアの弱さを把握し、プレイヤー級の存在がいないとわかっていた。ドワーフの支配はさほど重要ではない。ルーン工匠の懐柔もゴンドがいれば問題ない。他に期待できることはこの世界特有の財宝だ。13英雄にドワーフがいたと知識はないが、ドワーフの王が残したアイテムには期待していた。

 

(ルーン技術は魔導王としての仕事だからな。それを終わらせて新たなコレクションの捜索にでも出たいのだが)

 

 アインズは思い悩みながら歩を進め、ゴンドの案内で周囲よりもひときわ大きな建物、摂政府に到着する。

 

(先方が状況を把握せぬうちにこちらの条件を飲ませたい。準備されると厄介だ……法国の例もあるからな)

 

「シャルティア、アウラ、スレイン法国は洗脳系アイテムを所持していた。あれはアンデッドでも洗脳ができるアイテムだ。類似するワールド・アイテムが複数存在するとは考えにくいが、あの運営……いや、万が一と言うこともある。十分に注意し、交渉決裂の際は撤退も視野に入れなさい」

「わかりました」

「お任せください、アインズさま」

「よし、では行くぞ」

 

 ドワーフの摂政会にとっては死と隣り合わせの、アインズには気楽な余暇の会談が実現した。

 

 

 

 

 救国の英雄でありながら招かれざる客のアインズは、案内される前に摂政会の扉をかってに開いた。入室するなり早々に超上位者、神として超高高度な位置より上から目線でものを言う。

 

「諸君、集まってくれて礼を言う」

 

 当然、このために集まってなどいない。クアゴアの侵攻に直面して既に集まっていただけだが、話を聞こうとした八人の摂政は出鼻をくじかれた。

 

「クアゴアに襲われていたので、こちらの都合で勝手に助けさせていただいた。こちらは部下一名が少々疲れた程度の消耗をしてしまった。そちらに今回の労力に対する対価をお支払い願いたい」

 

 アインズは誰かが反論を言うのを待ったが、何の反応も返ってこなかった。聞こえなかったのかと視線を一人一人に向けると、容姿が非常に酷似した髭面は同じ大きさに口を開いていた。言葉が出てくるのかと待っていたが、開いた口は開いたままに止まっていた。

 

「……聞こえなかったか?」

「はっ……い、いや、そ、そんな、え? 対価?」

「そんな無茶苦茶な」

「軍事関係者は手を上げろ」

「……わしじゃ」

 

 アインズは軍部の総司令官を凝視し、一歩前に出た。

 

「君たちはクアゴアに襲われていた。城門がいかに堅牢であろうと、あれほどの戦力で急襲され、崖っぷちに追い込まれていた、そうだな?」

「う、うむ」

「あとどのくらいで都市が陥落すると思っていた?」

「い、いや、そこ、まではぁ……」

「我々が来なければ今ごろ君たちは階下に見える裂け目に落ちていたか、鋭い爪で引き裂かれていただろう」

「は、はぁ……」

 

 勝手に来て勝手に助け、しかも勝手に報酬を要求するアインズに対し、ドワーフ側から非難がましい言葉が欲しかった。しかし、彼らの知能はそこまで追いついてこない。

 

「命の対価としては申し分ない対価をいただきたい」

 

 また反応はない。

 

 大地の神殿長から神殿国家、スレイン法国が魔導国の属国となった情報は朧気ながら回っていた。それについての精査をする前に彼らは殴り込んできた。

 目の前にいるおぞましいアンデッドこそが、魔導国の王だというのだから情報の整理が追い付いていない。餌に食いつくのを待ち、更なる情報を引き出し、都合の良い条件を提示しようと想定したアインズの目測は外れていく。諦めて話を勝手に進めた。

 

 独擅場で太陽は猛威を振るう。

 

「対価とは言ったが、それはこちらが勝手にしたことだ。そちらに関しては不問で構わん」

 

 やはり返事と反応がない。

 

「そこで我々、アインズ・ウール・ゴウン魔導国は君たちドワーフのルーン技術をいただきたい。それに関する対価として、クアゴアを滅ぼそう。もちろん、ルーン技術だけでなく、国交、属国化、魔導国に住処を移すも、そちらの好きにするといい。我々魔導国は全てを受け入れる」

「へ、陛下……その辺で」

 

 見かねたゴンドが両手を広げて熱弁する王を止めた。

 アインズは御付きの三名を立たせ、自らの言葉が彼らの脳みそで溶けていくのをゆっくりと眺めていた。あとは彼らの反発を待ち、こちらの誠意ある対応として手土産の酒を渡せばいい。真っ先に釣れたのは鍛冶工房長だったが、それはアインズの推測と違う食いつき方だった。

 

「アンデッド風情が……」

「何か言ったか?」

「ルーン工匠を奴隷として持ち帰れば、そちらは満足だろうよ。彼らを奴隷化するまで我らに取り入り、お目当てのものが手に入ったら放逐するのは目に見えておる。ドワーフが誇る武器工匠が消えたこの国は魔導国から見放され、あとはクアゴアに好き放題にされる目測じゃな」

 

(被害妄想もここまでくると恐れ入る……条件が良すぎたか? いや、もしかするとそれほどに技術力に自信があるのか?)

 

 黙り込むアインズを見て死の嵐を想像し、隣のドワーフが慌てて諫めた。

 

「お、おい、口が過ぎるぞ」

「だいたいな、儂は初めから信用しておらん。司令官が門を閉じたのだって、数匹のクアゴアどもを大軍と見間違えたに決まっておる。死体一つありゃせんじゃないか」

「ふざけるな! 儂は嘘をついておらんわい!」

「仮に大軍が本当だとして、それを葬ったのがそこにいる少女か? 酒の席でももう少し面白い嘘をつくわ。ドワーフを舐めるのも大概にしろ! その子にどれほどの力があるんじゃ、儂らを皆殺しにする力でもあるっていうんかい!」

 

 アインズの髑髏に赤い光が宿り、ゼンベルは訪れる殺戮の予感に大きく距離を取った。アインズが指を振れば、巻き添えを喰らって地獄の苦しみを味わいかねない。誰よりも怒っているのは功労者のシャルティアだった。

 

「証拠をお見せしんしょうかぇ?」

 

 皆がシャルティアを目で追ったが、影さえ捉えられなかった。工房長のうめき声で視線が映ったが、すでに彼は小柄な少女に首を掴んで持ち上げられていた。

 

「ドワーフ風情が御方の前で調子に乗り過ぎでありんすぇ」

「シャルティア、国家間の条例を取り付けているのだ。邪魔をするな」

「……」

「シャルティア」

「……申し訳ないでありんす」

 

 ドワーフの両脚は大地を踏みしめた。僅かな空中遊泳ながら、地に足がつく素晴らしさを実感させられた。

 

「ゴホッ……ゴホッ……み、見たか! やはりこやつらはドワーフを奴隷にしようとしておるんじゃ」

「ドワーフどもが、思い上がらないでほしいんす」

 

 口の減らない小男はシャルティアの趣味ではない。彼らの立ち位置は魔導国側からすれば虫けらと大差なく、工房長の首に槍が突きつけられた。吸血姫の歯ぎしり音がギリリッと鳴った。

 

「取るに足らないドワーフが、慈悲深きアインズ様の温情で助けていただけるというのに、自分たちで命を捨てるなら死んでみんすかぇ?」

「我らはアンデッドなどに屈せんわ! やれるもんならやってみろクソガキ!」

「上等でありんす。冥府魔導を彷徨いなんし!」

「シャルティア!」

 

 アインズの声で精密機械のように動きは止まったが、槍の切っ先は首に埋もれていた。

 

「シャルティア、こちらに戻れ」

「はい、アインズ様」

 

 時すでに遅く、引き抜かれた槍の切っ先は頸動脈に横穴を空けた。鼓動に合わせて出血が勢いよく飛び、小さめのテーブル中央まで出血が飛んでいた。

 

「……シャルティア回復薬を振りかけておけ」

 

 背後のゴンドが目で責めているのを感じる。「面倒だから皆殺しにしちゃおうかな」と脳裏をよぎった。出会った当初、煮えたぎる忠誠を捧げていたゴンドは、度重なる珍事に脳を冷やした。

 

 一命をとりとめた工房長は席に戻ったが、敵意を込めてこちらを見ていた。アインズは早々と路線変更する。

 

「手土産を持ってきた。これは友好の証として持ってきた酒だ」

 

 アインズは琥珀色の瓶を複数取り出し、ドワーフたちへ配る。直ちに場の空気が変わった。酒は喉を潤し、格式高い摂政会は大衆酒場の様相を呈す。

 

「うまい!」

「待たんか! 一人で飲み過ぎじゃ!」

「おぉい! 儂のグラスを空けたのは誰じゃああ!」

 

 酒で態度を一変させた同胞に、工房長が慌てて立ち上がる。

 

「お、おい、お前ら、酒で懐柔されるんじゃない!」

「なんじゃい、ノリが悪いのぅ。きさまも飲まんかい!」

 

 一旦引くには頃合いだった。

 

「皆、酒を楽しむといい。我らは一旦引き、明日にまた出直そう。部下の失礼を詫びるこちらの誠意だと思ってくれ。それから………勘違いしないでほしいのだが」

 

 アインズは一旦言葉を切り、利き手を前に出した。ドワーフ全員の頭に手を置いたような、絶対強者に相応しい態度だった。酒を飲む手が思わず止まる。

 

「君たちドワーフは我ら魔導国にとって重要ではない。人間の使う武器を安価で強力なものにしたいだけだ。もし、君たちが条件を飲まないというのなら仕方がない。我らはゴンドとともに力ずくでルーン工匠を攫う。手向かうもの、刃向かうものは踏み拉いて潰す」

「……」

「あまり自らの命を買い被らぬことだ。ドワーフ王国が滅んだとしても、我ら魔導国はルーン技術さえ得られれば構わない。いや、極論を言えば、それさえも重要ではない。何が大事で何が重要か、酒を飲みながらよく考えるといい」

 

 「また明日くる」と言い残して一同はその場を去った。「刃向かうならクアゴアに滅ぼされても知らないし、なんならこっちで滅ぼすよ?」と、分厚いオブラートで包み、威厳ある言い回しで装飾して伝えただけだが、効果は絶大だった。彼らが立ち去ったあと、大衆酒場は通夜へと変わる。命を捨てるか、奴隷として拾われるかの議論がしっとりとなされたが、結論は初めから決まっていた。

 

 彼らに選択肢はない。往生際が悪い山小人(ドワーフ)は、通夜の如き粛々とした雰囲気で酒に舌鼓を打つという離れ業をやってのけた。

 

 神酒(ソーマ)は体の奥深くへ浸透していった。

 

 

 

 

 人間種のために設置された宿屋に部屋を取り、それぞれに部屋をあてがった。

 ドワーフ国は閉鎖的な国家ではないが、戦乱渦巻く情勢下で宿泊客はおらず、部屋は有り余っていた。アウラとシャルティアは同室にされた。

 

 特別に大きな部屋で、アインズはゴンドへ指示を出す。

 

「案内感謝する、ゴンド。今日は自宅へ戻ってよい」

「いや、儂はルーン工匠たちを説得しよう。酒瓶の余裕はあるかね」

「まだ何本かある」

「その、説得するために必要なんじゃが……頂いてもよろしいか?」

 

 物欲し気なゴンドは内心が透けて見えた。彼はドワーフ種族でありながら酒に執着が薄かったが、蘇生の際に飲まされた酒を知るまでの話である。この世界で入手が困難な美酒はゴンドの血液に溶け、体中にアルコールの因子を広めた。命の水の効果は絶大だった。

 

「構わん、持っていくといい」

「ほ、本当か!? 一度もらったら返さんぞ!?」

「すぐに入手できる。我らの国では中級の酒だ。皆で平等に分けるといい」

「これで中級なのか……」

 

 瓶を貰ったゴンドは涎を拭いながら仮宿を去った。呼び集められたルーン工匠たちとゴンドにて、酒を薄めて大量に飲むべきか、ストレートでちびちびと飲むべきかと、蛇に足を描くが如く無駄な議論が夜通しで行われた。ゴンド及びルーン工匠は翌日、使い物にならなくなった。

 

 次にアインズは部屋の片隅で正座させられている部下を眺める。視線を感じた彼女は正座したまま体を跳ね上げ、アウラがため息を吐いていた。ゼンベルは別の部屋を取り、既に寝入っている。

 

「シャルティア、反省は終わったか?」

 

「はい……この度は申し訳ございませんでしたでありんす」三つ指ついて土下座をした。据え膳という言葉が浮かび、慌てて掻き消した。

 

「お前がそう設定されていたとしても、それは創造主であるペロロンチーノの評価をも下げる行為だ。NPCであっても成長をしなければならない」

 

 ちょこんと座っている彼女はとても可愛らしいが、話の理解度は疑わしい。

 体の一部へ密かな湿り気を帯び、頬を赤く染めた彼女に説明が浸透していないのは明白で、アウラの大袈裟なため息がそれを立証した。アインズは少し強めに釘を打った。

 

「シャルティア、私を失望させてくれるなよ。お前はペロロンチーノさんの最高傑作だ。守護者最強の者としてお手本にする僕は数多くいるだろう」

「はい! 頑張るでありんす!」

 

「あんた、本当にわかってんの?」アウラは限界まで眉根を寄せる。

 

「ふんっ! 当たり前でしょ。アインズ様がドワーフを支配するため、御助力をすればいいでありんす」

「……ほぅら、わかってない。ドワーフと友好関係を結ぶって、アインズ様は仰ってるのに」

「シャルティア……いいか、もう一度説明するぞ。さっき彼らに伝えたのは駆け引きの一環だ」

「は、はぅ、恋の駆け引きでありんすか!? これが噂に聞くらぶ・げいむ――」

「違うっ! ドワーフたちのルーン技術をいただき、彼らへの救済を行なって恩を……」

 

 好みのタイプでもない、ナザリックに役に立つ武器も作れない、思い込みでこちらを侮るドワーフの価値は、シャルティアの中で大暴落していた。アインズの不安は翌日に持ち越された。

 

 アウラとシャルティアを部屋に返し、アインズはドワーフへの埋め合わせに頭を悩ませ、久しぶりに存在しない胃袋の幻痛を味わった。

 

 懐かしい痛みが帰ってきた。

 

 

 

 

 翌日の摂政会は、アインズの到着を待たずして喧嘩から始まった。

 

「ドワーフが奴隷化するのを受け入れろというのか!」

「どちらにしてもこのままだと滅びるんじゃ! この頭でっかちが!」

「何だとこの若造が! やるならかかってこい!」

「こぉのぉ老害がぁ!」

 

 ドワーフ王国の遺棄された王都奪還、美酒を生産する国家と友好関係、敵対勢力の討伐は、誰の目から見ても破格の条件だった。今後、新たな脅威が現れたとしても後ろ盾となるのは魔導国だ。下手に断って滅ぼされるより、服従してドワーフの国を繁栄させる方がいい。約束を反故にされる可能性はあるが、現段階で拒否することはクアゴアに滅ぼされる結末を招く。

 鍛冶工房長は意固地になって駄々を捏ねまわし、口が悪くなっていく。皆の不満は溜まっていった。

 

「誰が奴隷になるかっ!」

「あんたいったいなにしたいんだよ!」

「ドワーフの長い歴史で培った技術を、そのまま明け渡してどうする! 儂らになんの価値もないじゃないか! 残るのは糞じゃ! 糞! うんこじゃ!」

「うっぜぇ……」

「おう、儂も貴様らがうっざいわ。なんなら七人全員でかかってこい!」

 

 フットワークも軽く、腕を突き出してシャドウボクシングする工房長をしり目に、彼以外は目で会話をした。

 

 「本当にヤっちゃおうか?」と意思の疎通は十分に取れていた。二日酔いで涎を垂らして眠るルーン工匠たちに説明を諦め、アインズが摂政会を訪れたのは殴り合いになる寸前である。

 

「何の騒ぎだ騒々しい、静かにしろ」

 

 アインズの声はさほど大きなものではないが、七人は動きを止めた。七人の山小人(ドワーフ)は工房長が失言をして魔導王の機嫌を損ね、破格の交渉が破談になることを恐れた。

 

 その通りに状況は推移する。

 

「アンデッドが我が物顔でこの地を訪れるでない、無礼者が! 親の顔が見たいわい!」

「……お前、いい度胸でありんす」

「シャルティア、殺しちゃだめだよ。痛めつける程度にしな」

 

 アインズへの冒涜に、アウラはシャルティアを止めなかった。アインズが止める間もなく工房長は串刺しされ、スプリンクラーよろしく空中から血を撒き散らした。工房長の悲鳴は騒がしく耳障りだった。昨日の話を聞いていない彼女に、アインズは一時的な怒りに囚われる。

 

「シャルティア! 貴様、何をやっている!」

「え……?」

「勝手な行動をするな! 私の邪魔をしたいのなら、いつでもナザリックから消え失せろ!」

「あ……あの……でも……」

 

 ドワーフたちの阿鼻叫喚たる声はナザリック側に聞こえない。シャルティアは(まとい)よろしく工房長に突き刺さった槍を持ったまま、口をパクパクと開閉した。瞳は潤い、目尻から涙が滲む。

 

「あ、あの、アインズ様! この馬鹿を許してやってください! アインズ様の名誉を守りたかっただけなんです。罰するなら止めなかった私も一緒にお願いします!」

 

 アウラがシャルティアを庇って前に出たとき、アインズは精神の沈静化を終えていた。

 

「シャルティア、その者を下ろして治療せよ」

「は、はいぃ!」

 

 前日に工房長がまき散らした血痕の掃除も終えず、テーブルに上塗りされた赤い水玉模様は二度と消えなそうだ。仕切り直しに十分な時間を要した。

 

「部下が勝手な真似をした。許していただきたい」

「い、いや、こちらも無礼な発言が」

「そ、そうじゃ、この老害が勝手にやったんじゃ。儂らの総意に反発しとるのはこいつだけじゃ」

 

 治療された工房長は、不貞腐れて何も話さない。殺されるのも御免だが素直に従う気にもなれず、一矢報いる反撃の機会を窺っていた。摂政の七人は全面降伏し、それぞれが服従を誓った。そして工房長へ順番が回る。

 

「反対」

 

 他の七名に怒りが浮かんだ。アインズは全く別の事を考えていた。

 

(そうか、これは議会形式のミニゲームだ。常に反対者は存在し得る、協力者からは貢物がくる。反対議員への対策は……)

 

「鍛冶工房長、自らの技術に自信と誇りを持っている。それは素晴らしいことだ。一子相伝で培った技術は、かけがえのない大切なものだろう」

「ふふん、わかればいいんだ」

 

 反対議員のドワーフは鼻で笑った。

 

「その腕前を見込んで、どれほどの技術か私に示してくれないか。私の質問に全て答えれば、君の条件を全て飲むと約束しよう」

「ほう、いい度胸だな、アンデッド。儂が勝ったら何も取らずに王都を奪還しろと言うぞ。男に二言は無いな?」

「もちろんだ。ではまず手始めに、アダマンタイトよりも固い鉱石を複数挙げよ。二つ以上で構わん」

「………え?」

「……」

「……」

 

 長い沈黙。工房長は冗談を言っているのだと思い、次の言葉を待った。しかし、予想したお道化る言葉は聞こえない。

 

「…………はぁぁぁー」

 

 アインズの深いため息はわざとらしかったが、意味するところは誰もが嗅ぎ取った。

 深い失望だった。

 シャルティアが「ざまぁみろ」とばかりに口元を隠して嘲笑した。

 次いで行ういくつもの質問は山脈の彼方へ飛んでいく。

 

「期待した私が愚かだった。君の程度は把握した。一人で勝手にするといい。私は王都を奪還し、ドワーフ国と友好関係を結ぼう」

「ま、待て! アダマンタイトより固い鉱石など存在しない! 嘘を並べて誤魔化そうとしてもそうはいか――」

 

 アインズはローブの内側に手を突っ込み、一つのインゴットを取り出した。

 

「見てみろ。アダマンタイトよりも固い鉱石だ。私にとっては路傍の小石程度の価値もないがね」

 

 インゴットは机の上を滑っていく。この世界において最上級鉱石がアダマンタイトであれば、渡した鉱石は無上の宝石にみえることだろう。

 

「な、なんだこの鉱石は!」

「今、自分で言ったではないか。存在しないと思い込んでいたアダマンタイトよりも上位の鉱石だ」

「な……にぃぃ……」

「いかに自分が矮小なる小人か思い知ったか?」

「ふぅざけるなぁ! 舐めるのも大概にしろ!」

「その鉱石、鍛えてみたくはないか?」

 

 鍛冶職人として目の色が変わるのを見逃さなかった。

 

「我々が保持する技術と比べ、君たちが持つ技術力の低さは知っている。魔導国で更なる高みを目指すのなら、そのインゴットを差し上げよう」

「……うぅ」

「それでも気に入らないというのなら好きにするがいい。身の丈に相応しい小さなプライドを守るというのなら、それ以上の進化も期待できまい。これまでに培った小さな技術を死守しながら死ね。生死の選択は生命に許された自由な権利だ」

「……」

「何か反論はあるか? 質問があれば気軽に言うといい。上位者として質問に答えよう。もっとも、正論は人を怒らせるという。君が冷静さを保てていればの話だが」

 

 正しくは、“正論は人を傷つける”だ。アインズは彼を追い込み過ぎた。工房長は激昂して立ち上がり、インゴットをアインズに放り投げた。

 

 「死ねえ!」掛け声で彼の感情はすぐにわかる。

 

 無礼な振る舞いに七名が慌てて彼を羽交い絞めにする。もはや摂政会は会としての体裁を保っていなかった。

 

 自然とシャルティアが反撃し、スポイトランスで素晴らしい名バッティングを見せた。

 打ち返したくらいでは死なないだろうと高を括っていたが、ドワーフの弱さへの理解が足りなかった。音速を超えた勢いで打ち返され、インゴットは工房長にクリティカルヒットし、羽交い絞めにしたドワーフもろとも壁まで飛んだ。インゴットは頭蓋を粉砕し、頭部の奥にめり込んでいた。

 

「あ……弱い」

 

 今度は即死だっただろう。再び蘇生させる手間を億劫に感じ、そして理解が薄い彼女への怒りが湧く。アインズは自分で思う以上に激情家だった。

 

「シャルティィアァ……」

「あ、アインズさま、すぐに蘇生を――」

「いい加減にしろ! どこまで私を失望させれば気が済むのだ!」

 

 シャルティアは誰よりも自分が一番わかっていた。御付きの護衛に取り立ててくれたアインズに報いたい一心で、過剰に動きすぎただけだ。元より高い知能を創られておらず、自分なりに一生懸命やったつもりだった。

 

「あ、あの、わた、わたしは……」

「消え失せろ! 頭を冷やしてこい!」

 

 瞬時に瞳は湧き水でも湧いたのかと聞きたくなるほどに潤った。すぐに目尻から大粒の涙が滝のように流れた。アウラは慌てて彼女に駆け寄る。

 

「シャルティア! 大丈夫、大丈夫だから、ね? アインズ様は反省すれば御許しになるから」

 

 アウラの労わる視線が余計に彼女を追い込んだ。強さは違えど対等な立場である。一度訪れた悲しみはなかなか帰ってくれず、シャルティアの頭は悲哀一色になった。

 

「う………ぅぅう……う”わ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”!」

「あ、待てこら! 逃げんなー!」

「アウラ、シャルティアを追え………慰めてやれ」

「はい!」

 

 アインズの気遣いを察した闇妖精は全力で疾走する。直ちに死者の蘇生に取り掛かり、皆への埋め合わせの対応に追われた。追いかけて慰めてやりたい内心を押し殺したが、苛立つ彼の交渉は高圧的であった。

 

 今さら彼に刃向かうものはおらず、仮にいたとしても本当に殺されていた。

 

 場面は変わり、宿屋付近の定食屋で焼き魚を肴に赤キノコ酒で一杯やる蜥蜴人がいた。

 ゼンベルは窒息しそうな御付きから解放され、酒の進みが早い。酒はいいが肴はお世辞にも美味しいとは言えず、酔いは遅々として進まなかった。

 

「バアさん、悪いんだけどよぅ、飯がまずいぜ……」

「はああ!? この糞垂れ小僧がぁ!」

「だってよ……これ、魚傷んでんじゃねえの? 酸っぱいぜ……」

「ああ、魚は駄目じゃ。それはタダでいいと言ったじゃろ」

「いや……そんな当たり前だって顔すんなよ……」

 

 クリアーナの偉大さが身に沁みた。彼女の魚料理は、少なくともここよりは旨かった。

 

「煮物でも食うか? こっちは金とるぞ?」

「だから初めから言ってんだろうよ。金払うって」

「ほーかほーか。ならすぐに支度するわい」

 

 店主の老婆は次の酒を持ってきた。“髭乙女”と書いてあった。

 

「まったく、今日は騒がしいのぅ」

「何かあったのか?」

巨大蜥蜴(ライディングリザード)が大騒ぎしているらしいぞい。何かの前触れじゃろうか」

「へぇ、大地震でもくるのかねぇ。それよりバアさんよ、早くメシ食わせてくれよ」

「はいよ」

 

 地酒の“髭乙女”を出し、老婆は昼間から酒を飲む自由人の相手をはじめた。

 

 客は彼しかいなかった。

 

 

 

 

(怒られたっ! アインズ様に捨てられたっ!)

 

 シャルティアは疾走する。

 零れる涙は真横に流れた。一刻も早くこの場を離れようと、愛と忠誠を誓う支配者から逃げていく。ナザリックにも、魔導国にも、自分の居場所を失ったと思い込んでいる彼女の足は速い。声を上げて号泣したくても、胸を貸してくれる相手がいない。思い出すのは自分を創造した存在だ。

 

(……ペロロンチーノ様ぁ、どうすればいいのでしょうか)

 

 創造主が聞いたらさぞかし困り果てたに違いない。彼女はドワーフの国を飛び出して、明後日の方角に進む寸前に立ち止まる。

 

 今は一人で思い切り泣き叫びたかった。それには誰も来ない場所でなければならない。

 

 階下に真っ暗な裂け目が口を開いて待っている。底の見えない暗闇は孤独になるに最適と思えた。未知の存在への怖れや不安は彼女に存在しない。自身が粋を結集して想像された創造主の最高傑作という自負がそうさせている。

 ここに至るまで失敗経験のない彼女は、恐怖や躊躇いなく大裂け目に飛び込んだ。

 

 光を拒む闇の中、暗闇の入口付近は血なまぐさい。

 彼女が先ほど投げ落としたクアゴアたちの死体は、地面に激突して粉々に粉砕されていた。生体の残骸はそこかしこに散乱し、生々しい肉の臭いが立ち込めていた。臭いに釣られて闇に巣食う魔物が集まっていた。彼らは威嚇していたが、強烈な殺気を返され、尻尾を巻いて逃げた。

 

 夜目が利く彼女は奥へ進んでいった。

 

 闇は奥へ進むごとに濃くなっていく。誰もいない横穴などがあれば泣くのに適切だ。

 

「アインズ様ぁ……ぐずっ」

 

 彼女はヘンゼルとグレーテルさながらに、鼻をかんでティッシュの足跡を残しながら先に進む。しばらく創造主と主君が見たら心を痛める光景を展開した。何かの気配で立ち止まる。既にどれほど進んだのか記憶はない。

 

「な、なんだ? おまえ、何者だ」

 

 夜闇を歩くもの(ナイトウォーカー)は招かれざる客を見て激しく動揺する。

 

「とま、とまれ、この先はあの方の――」

「邪魔」

 

 下級の魔物風情は記憶にさえ残らない。行く手を阻む草を薙ぎ払った程度の感覚で先に進むと、道は徐々に広く、そして高くなっていった。

 

 そこに彼はいた。

 

 

 

 

 暗闇の中、鼻をくすぐる気配がした。幾年の歳月が経過したのか、暗闇にいる彼に記憶はない。しかし、何が起きているかはわかる。

 

 夜目が利く彼は、常闇の竜王(ディープダークネス・ドラゴンロード)

 暗闇を愛し、常闇に蠢き、黒闇に眠る竜王。

 

 希少価値の高い財宝の気配が鼻をくすぐり、以前に殺したプレイヤーを想起させる。

 胸に去来したのは財宝への期待ではなく、自らの縄張りを侵した者への嫌悪。

 

 眠りと物思いの邪魔をする、忌客への敵意が溢れた。

 

 敵の場所はここから遠くない。遅かれ早かれこちらに現れるだろう。

 

(邪魔だな……)

 

 過去、対プレイヤー戦(PK)で勝利を収めた経験は、油断を膨らませた。伊達に竜王の名を冠しておらず、強者の自負は揺るがない。事実、彼は強かった。

 

 故に、不安や動揺はなく、粘っこい不快感だけがあった。

 

(僕の闇を邪魔しないでほしい……闇で覆われているから、世界は美しい)

 

 太陽の破壊をどれほど夢見ただろうか。

 しかし、遥かな頭上に位置するそれを破壊することはとうとう叶わなかった。

 光を避けるように手に入れた常闇にいながら、悲願は彼の心を焼いていた。

 

(ほうら、あそこの角を曲がった。そろそろ姿が見えてくるかな)

 

 気配だけではなく、聴覚に届く足音は相手の小柄さを物語っていた。どの魔法で不意打ちを喰らわせてやろうかと考える。プレイヤーから奪った希少なアイテムを一瞥したが、使い切りの財宝を使うほど状況は差し迫っていない。

 

 愛する常闇を侵す侵入者は角を曲がってその姿を見せる。

 深海の如き光の差さない闇の中、人外の両者は互いの姿を認識した。

 

 思いのほか、敵は小柄だった。

 

「おんやぁ? こんなところにドラゴンがいるでありんすか?」

「僕は誰にも邪魔されたくないんだ……だから……持っている財宝を置いて帰ってくれ。命だけは助けてあげよう」

「ドラゴンのくせに生意気でありんすねぇ……ちょうどむしゃくしゃしていたの。少うし遊んでくんなまし」

「面白い冗談だ」

 

 互いに相手を嘲り、嗤った。

 

 すぐに静寂が戻る。鼓膜が破れそうな静寂は、蠢くヘドロのように耳から脳へ侵入する。戦闘が避けられる雰囲気ではなく、また自身が相手より強いと思っている両者に引く気配は微塵もない。

 

「調教してアインズ様にお見せしてやりんす」

「ここから消えてしまえ!」

 

 常闇の竜王は暗黒で塗りつぶされた体を蠢かせ、死霊系魔法を詠唱する。

 

 引く事のない常闇の穴倉で無敗だった竜王は、初めて自身の魔法を無効化してしまう天敵と遭遇した。

 

 

 

 

霜の巨人(フロスト・ジャイアント)がこの山脈の覇者か?」

「そうだ……霜の竜(フロスト・ドラゴン)と縄張りを争っている。巨人どもの縄張りは儂らドワーフからすれば遠すぎる。竜の方が脅威だ、奴らはクアゴアと組んでいる」

「そちらは何とかしよう。しかし……霜の竜(フロスト・ドラゴン)……か。彼女は幸せだったのだろうか……」

 

 胸に小さな棘が刺さった。高圧的に情報を引き出していたアインズは、雰囲気を一変させた。

 

「なに?」

「……気にするな、過去を思い出しただけだ。次はクアゴアの情報を――」

 

 摂政府のみならず、都市全体が大きな揺れに見舞われた。机の上に並べられた飲み物は全て床に落ち、椅子に座っていた者は揺れに耐え切れず倒れた。アインズは宙に浮き、状況を把握しようと窓の外を眺めた。

 

「…………なんだこれは」

 

 絶妙のタイミングでアウラから連絡が入った。

 

《アインズ様、シャルティアの姿が見えません。連絡も繋がらなくて、どうしましょう……》

《まさに今、黒いドラゴンと空中戦を行なっている》

《……えぇ?》

 

 《伝言(メッセージ)》を接続したままに、沈黙が流れた。感情の抑制が働かなければ取り乱して叫んでいた。件のシャルティアは高笑いしながら、竜の黒い体を出血で汚している。血塗れの黒龍は一際、大量の吐血をした。出血量は命の灯が消えかけていると物語った。

 

 ストレス発散に利用され、加虐嗜好に物を言わせて徹底的に痛めつけられた竜王の傷は深く、高笑いをするシャルティアは絶えることなく槍を突き込んでいる。

 

《アウラ、大至急、帰還しろ。状況によっては撤退し、ドワーフを見捨てる》

 

 《伝言(メッセージ)》を切断し、アインズは窓も開けずに窓から飛び出した。摂政会は風通しがよくなった。

 

「シャルティア!」

 

 アインズの声が聞こえた途端、悪魔のように歪んだ笑みは怒られた少女へ変わる。

 

「あ、あぅ……アインズさまぁ……」

「な、なにをしているのだ?」

「はいぃ……そのぅ、あっと……喧嘩を売ってきたこの竜を、アインズ様へ献上しようと、その」

「……痛めつけていただけではないのか?」

 

 竜王の傷は深い。加虐的(サディスティック)な性的嗜好を露わに攻撃している光景が目に浮かぶ。辛うじて翼を動かして飛んでいるが、吐く血反吐の量が多すぎた。余命は幾ばくもないと、調べるまでもなくわかった。

 

「あ、あの、アイテムを奪いました」

「なぁあにいぃっ!」

 

 黄金に輝く光輪が背中に装着されていた。聖者の背で輝く後光のように、輝くリングは煌めいて回転をしていた。アインズの顎が限界まで落ち、言葉にならない。交代しますとでも言うように竜王が絶叫する。

 

「あああああ! どうしてだ! 僕は誰の邪魔もしていない! なんなんだこの化け物は! どうして僕の邪魔をするんだ!」

「うるさい、邪魔するな」

 

 シャルティアは止めを刺そうと心臓を探す。肉を削がれた彼の胸部は内部まで開放され、鼓動を刻む赤い心臓が剥き出しにされていた。

 

「ま、待て! 殺すな!」

「あ……はい」

 

 槍の切っ先はあばら骨を一本へし折って止まった。竜王の翼は力なく羽ばたき、体は徐々に下降していく。全身を漆黒の鱗で覆われた竜は、太陽光を反射することなく呑み込んだ。闇そのものが顕現したような暗黒の竜王は、情けない声を漏らす。

 

「もういい……殺せばいい。この世界に僕の望んだ平穏はなかった。太陽が憎い……静寂の夢は幻と消えた」

「アインズ様に無礼なっ!」

「シャルティアもその、うん、いや落ち着きなさい」

「はいっ! アインズさま!」

 

 前触れもなく天敵に襲撃されて死にたがる常闇の竜王(ディープダークネス・ドラゴンロード)、それを追い詰めて得意げになる吸血姫の狭間で、白い頭骨を輝かせるアインズは何から始めるか必死で考えた。

 

 確実に判明したことは、シャルティアはペロロンチーノの最高傑作であるということだ。

 

 太陽を必要としない花は存在しない。彼女はアインズの下にいる限り、最高傑作であり続ける。液体を垂らし、たまに漏らしながら。

 

 

 

 

 摂政会及び、ルーン工匠たちへの対応は前日に引き続き、どこかへ放り投げられた。

 もっとも、傷だらけになったという表現では生温いほど竜王の傷は深く、竜王を手玉に取ったシャルティアを見たドワーフには、アインズへ対応する気力は残っていなかった。

 彼らの中で何かが壊れたが、アインズの知ったことではない。

 そびえる城壁に頭を付け、メソメソと欷泣(ききゅう)する暗黒の竜王を慰めた。

 

「暗黒の竜王、そろそろ泣くのを止めたらどうだ」

「僕は常闇の竜王だけど……」

「……」

 

 すすり泣きが再開した。

 

 本来ならばそのまま亡き者にしてしまい、目撃者全員に緘口令を敷けば世界守護者(ツアー)への対応は取れるが、竜王を僕にする対外評価に惹かれた。巨大なハムスターよりも武力、威厳、外聞において遥かに価値が高いが、問題は彼の精神の脆さだった。嬉々としたシャルティアに完膚なきまで八つ裂きにされかけた事実は、ボッギリと音を立てて心をへし折った。

 

「……僕はもう何も見たくないんだ……だから、返してよ、暗闇を」

「部下の勝手をそろそろ許してほしい。何か欲しいものがあればこちらで用意しよう」

 

 アインズに多大な迷惑を掛けたA級戦犯から、竜王を捕えて世界級アイテムを奪った風雲児、勇婦シャルティアはお褒めの言葉を賜ったとアウラに自慢していた。離れているので声は聞こえないが、心なしか鼻が高くなっているように見えた。

 

「この世界で最強の存在、竜王がそんな有様では下位種族に示しがつかんぞ」

「僕だって竜王になりたくてなったわけじゃないんだ。大切な場所に勝手に立ち入る者を倒していただけなのに」

「強者は世界が放っておかないさ。それは私も同じだ」

「もう生きる理由も無いんだ。どこにも静かで暗い場所はない。忌々しい太陽は世界を支配しようとする。放っておいてくれよ、僕なんか! 好きに殺せばいいだろう!」

 

 嗚咽が混じり始めていた。竜王らしからぬメンタルの弱さに、流石のアインズも困り果てた。何を言っても一貫して絶望している彼は耳を貸さず、要塞都市の片隅で城壁に頭を埋め立てようとしていた。夜であるにもかかわらずドワーフの野次馬が多く、建物の角や近隣建造物の窓から無数の視線を感じる。

 

「生まれた理由など考える必要はない。生きたいから生きればいい。どうせ命は平等ではない」

「死にたい……」

「お前が欲するのなら、魔導国の地下深く、望む場所を作ってやろう」

 

 嗚咽は止まらなかったが、漆黒の瞳が開いた。

 

「魔導国に来い。私の部下として彼らの上に君臨すれば、私が望むものを与えよう。魔導国は欲しいものが手に入る、平穏が約束された地だ」

 

 返事はないが、聞いているものとして勝手に続けた。

 

「仮に、私の言っていることが嘘だったとしても、それは私と敵対する理由であり、お前が死ぬ理由ではない、わかるな?」

「……」

「我らに従え。お前のためだけに光の差さない特注の穴倉を建設しよう。如何なる存在も侵入ができない、食料だけが自生する特殊環境をな」

 

 彼の頭が壁から離れ、アインズへ向けられた。あと一押しとばかり、アインズは手を差し伸べ、声高らかに叫んだ。

 

「立ち上がれ、常闇の竜王! お前だけの理想郷を手に入れろ!」

 

 常闇の竜王は闇が塗りたくられた頭部をようやく上げた。物陰から見ていたゴンド、並びにルーン工匠の一団は、自分に言われたようで身の内から湧き上がる何かを堪えた。

 

「……さっきの約束、嘘だったら人間を皆殺しにするから」

「時間はかかる。だが、約束は必ず守る。アインズ・ウール・ゴウン魔導王の名においてな」

「あのアイテム、返してほしいな」

 

 シャルティアの背後で回転する光輪を指さした。

 

「それは駄目だ。住処を与える対価だと思ってくれ。その他に、魔導国に滞在中、お前の望みは極力叶えよう」

 

 不満は垂れ流されていたが、アウラ相手に高笑いをするシャルティアが拷問に似た戦闘を思い起こさせ、従うしかなかった。いっそ素直に殺された方が楽だと思わせる凄惨で一方的な死闘を思い出し、鱗が一部だけ逆立った。

 

「……それで、僕に何をさせる気だ」

「アゼリシア山脈の勢力図を破壊する。霜の竜王を従えたいので、協力してほしい」

「……僕は必要ないよ。君たちなら造作もなく殺せる」

「無駄な戦闘は避けたいのでな」

「扱いが悪かったら逃げ出すから」

「構わん。もっとも、追手はシャルティアだ。そのときはどんな目に遭っても恨み言を言うなよ?」

「悔しいなぁ……どうして平和に過ごしていただけなのに、こんな目に遭わなきゃならないんだ……やっぱり死のう……」

 

 竜の頭部は城壁に向き直った。

 

「欲しい場所があるのだろう? 我らに従う選択こそがそれを入手する最短ルートだ。運命とやらは信じていないが、この出会いはお前にとって最も重要な出会いだ」

「……今日は眠らせてほしい」

「回復薬を置いておく。体の傷が疼くのなら飲むといい」

 

 光の差さない常闇の住処を与えてくれる条件は決して悪くなかった。太陽は常に天にある。ならば自分が地中奥底へ潜るしかない。竜王が観念したのを確認して、様子を窺っていたシャルティアとアウラが呼びにきた。

 

「アインズ様、この馬鹿が調子に乗っています」

「アインズ様ぁ、その、ご褒美をおくんなまし」

 

 もじもじと足を手をこすり合わせ、可憐な少女は(しな)を作った。アウラの視線は極寒で、隣の気色悪い友人を凍り付かそうとしていた。

 

「……ああ、そうだったな」

「え、あ、あのぅ……私の初めてを奪っ――」

「褒美を与えるというのに純潔を奪うのもおかしな話だ、そう思わんか、シャルティア」

「え、あ、言われてみればそうでありんすねぇ」

 

 事前に対策が打たれていた。アウラが明後日の方角へ顔を向け、あたふたしている友人に悟られぬように吹き出した。肩が小刻みに震えていた。

 

「忘れてはいないな? ドワーフたちへの会談中に激昂したことを。あれから彼らの警戒心を解くのにどれほどの時間を要したか」

「ぅぅ……申し訳ありんせんです」

「よいよい、それを補って余りある成果を上げた。純潔を奪うまでは至らずとも、これくらいはしてやろう。流石はペロロンチーノさんの最高傑作だぞ、シャルティア。よく頑張ったな」

「あぅぅ……」

 

 アインズはシャルティアの頭を撫でた。両手で顔を覆い、羞恥と歓喜が全身から滲み出ていく。見苦しい姿にアウラが顔を逸らしたが、表情は暖かかった。ひとしきり愛でたアインズは竜王をその場に残して仮宿へ移動した。

 

 シャルティアが立っていた場所に正体不明の水溜りができていたが、朝には乾いて跡形もなく消えた。体の大きさゆえにドワーフ国の外れ、人気のない場所で丸くなって野宿する常闇の竜王は、嫌がらせのように眩い星空の下で呟く。

 

「外は明るすぎる……」

 

 

 竜王の不満通り、朝は近づいていた。

 

 

 

 





原作の常闇
世捨て人。アフラマズダー持っていて、しかも強い。シャルティアが天敵。アンデッドではない。何をしてるか不明。

想像→死霊系魔法を駆使することから、イメージ的にはアジ・ダカーハ。ワールドアイテムの二つ名と合致するため、ゾロアスター教の邪竜。双頭(ツーヘッド)の可能性も考慮。アフラ・マズダーに対抗してアンラ・マンユという可能性も考慮したが、流石に善神と悪神が単一で共存するのは不可能か……


常闇の竜王(ディープダークネス・ドラゴンロード)
世捨て人。単頭、鱗が光を呑み込む常闇の色彩。死霊系魔法を駆使。強い。シャルティアにボッコボコにされた。知性60。へし折れた心は弱っている。



《次回予告》

                   ――――七彩の竜王(ブライトネス・ドラゴンロード)の雑感


 人と異形の狭間で揺れるのはわかるが、赤子を抱いて中立地帯を彷徨うとは……。

 頭の回転が鈍い男だ。
 他者は必要ないと判断した事実を話さない。獣人の劣等を推察するに必要な知識の断片は、三軍を滅ぼした時点で君の手に握られている。

 もう一度、彼らの言葉を思い返し、真実を推し量りたまえ。

 プレイヤー(元人間)が感情移入して目を曇らせ、獣に丸め込まれるなど前代未聞だ。
 (ある)いはその苦悩も定められた一幕か……。

 ほう、部下が呼びに来たな。知性の高い部下がいるといいのだが。

 いい加減に君は目覚めたまえ。

 悠長に苦しんでいる時間はない、既に獣と人は大海原へ投げ込まれた。君が手を出さなければ弱肉強食の激流に呑まれ、(いず)れかが淘汰されるだけのこと。

 荒れ狂う大海原こそ人喰い鮫の支配圏であろう。

 私に見せてくれ。

 天秤を破壊して吐き出した黄金の方位磁針は、君を何処へ導く。

 難しく考えず、望むがままを行えばいいのだ。君がどれほど無茶をしようと大地は破壊を恐れない。風雅は天地(あめつち)を流れ、大海は数多の生命を育み続けるだろう。
 太陽の支配から逃れられないように。

次回、「Human nature is evil」

 「反吐が出る……」とでも言うに違いない。

 私も最前列で観覧を………君は誰だ。いつからそこにいた。


Fear(畏れよ)



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