モモンガさん、世界征服しないってよ   作:用具 操十雄

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9日目 王都リ・エスティーゼ

 

 

 ヤトの指示を受け、エイトエッジ・アサシン部隊は夜明けとともに武器屋を襲撃した。

 

 報告によれば、金貨が100枚程度、他の貨幣が金貨20枚相当、武器・防具が店一軒分手に入った。店1軒相当の装備品をどこに売ればいいか考えたが、量が多すぎて妙案も浮かばず、ナザリックの参謀に丸投げした。せめて全体の三割相当の武器くらいは売り払ってしまおうと、いくつかの武器屋・質屋・市場など、王都中の買い取りをしてくれそうな場所をはしごして、更に50枚の金貨が追加された。

 

 空っ風が吹いていた懐は、今や十二分に潤っていた。

 

 元より浮かれ気分のヤトは、遊びを過熱させていく。

 

「セバス、黄金の林檎亭に行き二人部屋を。料金は10日分まとめて前払いで。ここはすぐに引き払ってしまおう」

「それでは、店主に伝えて参りましょう」

 

 拠点となる宿はすぐに変わった。

 

 “黄金の林檎亭”は最高級宿屋に相応しく、三階建ての豪華な屋敷だった。煌びやかな装飾が周辺のどの建物よりも眩しく、出入りする冒険者も中級以上で、喧騒が外まで聞こえてくる。実際のところ、冒険者としての見栄、顧客の信頼・評判を得るために、無理をして宿泊する者も多い。そんな中、銅のプレートをつけた正体不明なヤトと執事は十分な注目を集めていた。

 

 部屋に案内され、転移ゲートの紐をつけさせようと、シャルティアを呼び出す。

 

 前日の失敗を警戒し、小さなシャルティアは部屋の窓から侵入を果たした。

 

「これにて、ナザリックに帰還いたしんす」

 

 シャルティアはスカートの裾を軽く摘み、育ちのよい女性が行う礼をした。

 

「ありがとうシャルティア。シャルティアにとても助けられたと言っていたと、アインズ様に会ったら報告してくれ」

「光栄でありんす。失礼いたしんす」

 

 笑顔でシャルティアが応えた。シャルティアがゲートに吸い込まれるのをセバスと見送った。

 

「シャルティアは頑張り屋さんだな」

 

 誰ともなく呟いた。

 

 王都中を武器売却のために歩き回り、時刻は夜になっていた。宿の中に酒場兼用の食堂を有しており、自然と思考はそちらへ流れていく。アインズと情報交換する必要もあった。

 

「セバス、酒場でアインズさんと情報交換をしてくる」

「お供を」

「いや、悪いが遠慮してほしい。どうしてもというのであれば、酒場が見える位置で離れて待機を」

「……大変に失礼を致しました。留守はお任せください」

「すまないな」

「いえ、私も気が利きませんでした。お帰りをお待ちしております」

 

 深々と礼をするセバスを後ろに、部屋を出て酒場に向かう。

 

 後でセバスは、強引にでもついて行かなかったことを後悔する。

 

 宿の1階にある酒場食堂は、冒険者たちで活気に溢れていた。依頼の報酬や依頼者の態度に愚痴を零すもの、直近にこなした依頼の自慢話をするもの、口説いた女の話など、騒がしかったが一様に楽しそうだ。

 

(いいね、こういう大衆的な雰囲気)

 

 その光景に愛想笑いを浮かべながら、テーブルの隙間を縫ってカウンターに辿り着き、影の差している端の席へ座る。目の前にいた店主に金貨を一枚手渡した。

 

「マスター、適当にこれで一杯ちょうだい。お釣りはいらないです」

「あいよ、毎度あり」

 

 ちょうどよく物陰に隠れる席に座り、《伝言(メッセージ)》のスクロールを取り出し、アインズに連絡を飛ばした。

 

 元営業マン同士の長話が始まった。

 

 

 

 

《へー、タレントですか。割と転がってるもんですね、その辺に》

《いや、そんなことはないと思う。割合は200人に一人って話だったかな。

《じゃ、流石はアインズ・ウール・剛運さんってとこですね》

《まあな……全てのマジックアイテム使用可能というのは珍しいけど》

《うーん、接近を間違えるとモモンとアインズが同一人物とバレる危険がありますが》

《そうなんだよ。ナーベも会った瞬間に斬りかかろうとしてたし》

《コネ作りに成功したのはよかったですね》

《そちらの情報収集は? 図書館にはもう行ったの?》

《あ、いや、その……1ミリも進んでません》

《……はぁ?》

 

 アインズは僅かな怒気を孕んだ声で聞き返した。

 

《でも稼いだ金は金貨200枚ッスよ! 凄くないですか?》

《はぁ!? なんだそのアンバランスな》

 

 僅かに漏れた怒気は消え、予想していなかった資金稼ぎに、アインズの声は機嫌を取り戻した。改めてヤトは経緯を説明する。

 

《なるほど、そんなことが。武器屋を襲撃なんて、ただの盗賊じゃないか。発覚しないといいが》

《今回の件で死体は1体も出てません。発覚しても言い逃れができるように全てナザリック送りにしましたから。ご丁寧に血痕すら残してません》

《アダマンタイト級と接触する時は注意を怠らないように。どんなタレント持ってるのかわからないから》

《大丈夫ですよ。逃げ足に定評のあるヤトノカミさんを信じてください》

《るし★ふぁー仕込みのヤトノカミを?》

《む、それを言われると言い返せませんが》

 

 仕込まれているのではなく、素直についていくから被害者や実験台にされていただけなのだが、周りから見ると舎弟に見えていたらしい。

 彼もそこを無理に否定しようとは思っていない。

 

《話は変わりますけど、面倒なんで図書館の本を盗んでもいいスかね? 一冊ずつ読む気だったんですけど、面倒なんでまとめてナザリック送りでいいスか?》

《いいんじゃないか? 情報を搾り取ったら返しておけば問題ない。確か、盗賊職を取っていたよね?》

 

 普段は慎重なアインズも、所詮は他人事である。図書館泥棒しようとするヤトを、止めるつもりはさらさらない。当面の問題は転移した異世界の情報収集と資金稼ぎだ。こうしている間にも、ナザリックを維持するためにユグドラシル金貨は刻一刻と消費されている。

 

《もちろんです。上位盗賊まで取ってます。弐式炎雷さんみたいに、最上位の盗賊は取ってませんけどね》

《それなら大丈夫かな。くれぐれもヤトが盗ったと気付かれないように》

《手の空いた時に、アインズさんからアルベドへ情報の確認連絡をお願いします》

《なんでアルベドなの?》

《声を聞きたがってるでしょう。ついでにねぎらいの言葉でも掛けてやれば、業務も捗るでしょうから》

《アルベドに限ってそんなことは無いと思う……》

《いいや、そこは譲れませんね。必ずやってください》

《あ、はい……》

《ところで、その薬師の彼なんですけど》

 

 酒を頼んだのに口もつけず、こめかみに指をあてて微動だにしない仮面の男を、マスターは名状しがたき目で眺めた。

 

 

 

 

 猫背で黒髪黒目の男がアインズと連絡を取っている同時刻、同室内、対象までの距離6mのテーブル席に、アダマンタイト級冒険者チーム“蒼の薔薇”がいた。双子の忍者ティアとティナ、戦士のガガーラン、魔法詠唱者のイビルアイがテーブルで打ち合わせを兼ねた食事をしているのだ。

 

 周囲に気を配るのが自然になっており、皆がヤトを発見していたが、興味を示したのはガガーランとイビルアイだ。暗殺者として優秀な三つ子の二人、ティアとティナは、見慣れない者と分かっていたが、無害な輩に反応を示さない。

 

「あそこの奴、メッセージを使ってるな」

 

 赤いフードを被った仮面の者は呟く。仮面の影響で、性別や年齢を悟らせぬ歪んだ声しかでないが、人間ではなくても一応は女性だった。

 

「見かけない奴」

「仮面がおそろ」

 

 ティアとティナは素っ気なく答えた。話題に上ってもさした興味が湧かなかった。

 

「おそろって、アイツは私とは違うだろ」

「確かに見かけない奴だな。メッセージで堂々と会話する奴も今時珍しいよな」

「黒髪だから南方の出身者なのだろう。この辺の常識に疎いのも仕方がない。ガゼフ・ストロノーフも南方の血が入っているからな、そこまで珍しいものでもない」

「興味あるなら声でも掛けてくるか? 同じ冒険者なら繋がりがあっても損はねえからな」

 

 屈強なガガーランが答えた。一見だけではなく、至近距離で見たとしても男性と見紛える逞しい彼女は、男らしい見た目通りに肉をほお張っている。ガガーランの後姿はガゼフ・ストロノーフよりたくましく、隣の小さなイビルアイは親に付いてきた子供に見えた。

 

「流石だな、童貞食い」

「童貞にすぐ反応する」

「いや、俺の見立てでは童貞じゃねえな、ありゃあ。間違いないぜ」

 

 フフンと自慢げに鼻で笑った。

 

「意味が分からん。見た目で分かったら苦労しないだろう」

 

 イビルアイは呆れてため息を吐く。

 

「甘いぜ、イビルアイ。お前も卒業したらわかるぜ」

 

 ガッハッハと大口を開け、豪快に笑った。彼女が女性と知らなければ、頼りがいのある男性と見間違えた。

 

「私には関係ない。お前と一緒にするんじゃない、筋肉ダルマめ」

「イビルアイ、嫉妬は見苦しい」

「卒業するなら相手を紹介する」

「余計なお世話だ。私には関係ないし興味もない」

「張型という手段も」

「雑貨屋に売ってる」

「いい加減にしろ。下品な双子め」

「しかし、この宿にいる以上は同じ冒険者だろ? あの服装だと貴族とは思えないからな、なぁそこのアンタ」

「ひっ。はい、なんでしょうか?」

 

 ガガーランは隣席の中級冒険者に声を掛けた。突然に声を掛けられた彼の怯え方は過剰で、ガガーランに何かされたのではないかと想像を掻き立てた。

 

「あそこで飲んでいる奴は誰だ?」

「あー、確か登録したばかりの冒険者だったかな。胸にカッパー()がぶら下がっていたと」

「カッパー? ここの宿代って結構するが、払えるのか」

「店の主人によると10日分の金貨を前払いしたとか」

「悪かったな、邪魔をして。構わず続けてくれ」

 

 明るく気さくに呼びかけ、安心した彼は仲間との談笑に戻った。下級冒険者で金持ち、そんな人間は王都に今までいなかった。

 

 イビルアイは考え込む。最悪な選択肢として思い至るのは、敵対中の犯罪組織“八本指”に雇われた用心棒で、こちらの情報を調査していることだ。ラキュースに報告すべきか、彼に接触するか迷った。

 

「イビルアイ、奴はどれくらい強いと思う?」

「わからん。全く強くなさそうだ。まるで力を感じないぞ」

「南方の武器……カタナだったかな。かなり希少な武器だと思うぞ。あのブレイン・アングラウスも使ってるとか。戦士の勘だとかなり強いと見た」

「興味ない」

「仮面の下が子供だったら興味ある」

 

 冷静に分析するより、性的嗜好の興味で返事をする二人。一瞬だけ湧き上がったイビルアイの懸念はどこかへ去り、強さを感じないヤトの警戒は解けていった。

 

「二人ともしょうがねえなあ」

「買い被り過ぎだ。見た目で強さを感じないなら、やはり私より弱い」

「そうかね、戦士の勘が外れたかな」

「それより、ラキュースの作戦はどうなっているんだ?」

「鬼ボスは近いうちに黒粉の村を攻める予定」

「鬼リーダーは、実験で3手に分けて監視させたい」

「ほー。本腰上げて壊滅させるってか。王女様も思い切った決断したな」

 

 四人は打ち合わせに戻っていった。

 

 

 

 

 友好関係にある営業マン同士の話は長い。話しを職業とする手前、どんなに短く切り上げても次から次へと話題が移っていく。時間も際限なく延長され、気が付けば二時間が経過していた。カウンターは空席が目立ち、長居しても嫌な顔はされなかった。

 

(ふぅ、今日はこんなところかな。アインズさんは野営中だったし)

 

 ヤトは首を左右に振り、ボギボギと濁った音を鳴らし、仮面の下でため息を吐いた。

 

「マスター、御馳走さまー」

 

 カウンターを降りて壁際の通路を歩いていると、塞ぐように足が投げ出されていた。

 

(なんだこの足は。踏んづけて欲しいのか?)

 

 中級冒険者らしき人物がヤトの通る場所に片足を投げ出していた。楽しそうに飲んでいる彼らを邪魔するのに気が引けた。横に避けようとしたが、足は通せんぼをするように腰まで上がった。彼らは生意気にも最高級宿にいる低位冒険者の実力を図るために絡んでいるので、接触を避けられはしない。

 

(よく絡まれる街だな。まあいいや、刀を抜かなければ死なないだろ)

 

 遠慮なく、差し出された足を、手心を加えない全力で蹴り上げた。

 

「ぎゃあああ! いてえぇぇ!」

 

 人間の体とは言え、異形種のレベル100プレイヤーのヤトが全力で蹴り上げれば、人間の足など木の枝に等しい。ふくらはぎの骨にひびが入ったが、自分から絡んできて痛い目を見る彼の苦痛が愉快だった。男は予想を遥かに超える痛みに悶絶し、床を這いまわった。

 

「弱いなぁ……オイ。そっちから喧嘩を売ってきたんだから、醜い悲鳴を上げるなよ、雑魚が」

 

 みっともなく転げまわる彼に、加虐心がそそられ、仮面の下で口を歪めて笑った。同じテーブルに座っていた仲間が激昂して立ち上がる。

 

「おい、仲間になにしやがるんだ、この野郎。カッパーの下級冒険者風情が!」

「おまえらそれなりの冒険者の癖に相手の実力もわからんのか?」

「表へ出ろ!」

「この野郎、ボコボコにしてやる!」

 

 ヤトの胸倉を掴まれた。彼の加虐心は小さな殺意へと昇格を果たしている。順調に進めば、数刻と待たずに彼らはバラバラにされ石畳の街へ肉塊となって散らかる。自らの運命を悟らぬ彼らは、歯を剥いて敵意を向けていた。

 

「はぁー、よく絡まれる街だな、本当に」

 

 先ほどの一息ついた意味のため息と違い、失望の意味を込めて深いため息を吐いた。昨日の件が燻っていた彼は、落ちて来た火の粉を払う感覚で殺意を抱いた。

 

「お望み通りこの世から消えろ。生ごみさん」

 

 最下級冒険者という最も格下に侮辱された彼らは、顔を真っ赤にして怒り狂っていた。

 

「舐めんなカッパーが!」

「外で土下座させてやる!」

「あ、そう。頑張って。弱いお前らにできるといいなぁ……」

「ふ、ふざけるなぁあああ!」

 

 相手の怒りを悪戯に助長させ、収拾は殺戮しかないと思っていた。

 

 

 

 

 遠くで騒いでいる冒険者たちの喧騒は、最高位冒険者チームの彼女らまで届く。ティアとティナが眉をひそめ、顔の広いガガーランに抗議した。

 

「あいつらうるさい」

「筋肉さん、止めてきて」

「まったく、大事な話をしてる時に……しょうがねぇなぁ」

 

 面倒見のいいガガーランは、席を立って彼らに近寄っていく。

 

「おいおい、この店で揉めるなよ。出入り禁止になったら、おまえらまとめて損をするだろ?」

 

 希少価値の高いアダマンタイト級の冒険者の発言力は、他を凌駕する力を持っていた。その中でも見た目が屈強なこと、初物(童貞)好きということ、二点で奇異なるガガーランは特別だ。

 

「し、しかしガガーランさん。仲間が負傷を」

「自分で喧嘩売ったんだから仕方ねえだろ。ほら、おまえさんもその辺りで抑えときなって、な?」

 

 ヤトの視界は仮面に覆われ、サーモグラフィのように人の体温しか感知できない。突然やってきた屈強な形を持ち、気さくな対応で上位者として喧嘩を止めたソレが、男か女か判断付かず、怪しい存在に戸惑った。面倒が済むなら大人しく謝ろうと思い、続投しようとするほど子供ではなかった。

 

「はぁ、そうっすか。みなさんごめんなさい、私の注意不足でしたー、あまりに弱すぎたので」

 

 子供ではないが、大人でもなかった。足を蹴り上げて骨にひびを入れておきながら、不注意も何もない。口調も相手を小馬鹿にして間延びしている。なおも挑発するヤトに冒険者たちは顔を真っ赤にして怒りを堪えていた。

 

 転移魔法を使うのが面倒だと考えていたヤトは、形だけの謝罪をして落とし所を作ったつもりだった。

 

「ちっ、覚えてろよ」

「夜道で後ろに気をつけなっ!」

 

 小物臭さが拭えない捨て台詞を吐き、負傷した仲間の肩を抱いて去っていった。物珍しそうに見ていたやじ馬も、事態の収拾を見て自分たちの話へ戻った。

 

「どなたか存じ上げませんが、感謝いたします」

 

 アダマンタイト級の顔を知らず、また仮面を付けているので顔も見えないヤトからすれば至極まっとうな会話だった。最上級の冒険者に対する最下級の冒険者にしては態度が大きく、酒場の空気は改めて凍り付いた。

 

 やじ馬の顔は改めてヤトに向けられ、今度は信じられないと言わんばかりの表情をしていた。仮面をつけたヤトがそれを見ることはない。

 

「おぉ、じゃ覚えておいてくれ。俺はアダマンタイト級冒険者で蒼の薔薇の戦士、ガガーラン様だ」

 

 ガッハッハと笑う彼女は、本当に楽しそうに笑った。自慢したいわけではなく、自分を知らない彼がとても珍しかった。

 

「あ、え? は? ……え?」

 

 仮面の男は混乱する。蒼の薔薇とは女性のみで構成されるチームのはずだ。彼の探知スキルで見たガガーランは、分厚い筋肉で構成された迫力のある“男性”に見えた。

 

「ガガーラン、さっさと戻ってこい。打ち合わせの続きだ」

「おぉ、イビルアイ。悪かったな」

「んん!?」

 

 ヤトは更に混乱する。探知スキルによると、誰もいなかった場所から唐突に歪んだような、男女の判別がつかない声が自身の背丈よりも低い場所から聞こえた。空中から声を流せる魔法でもあれば別だが、前衛職のヤトは魔法の種類に疎い。

 

 手のひらサイズの妖精でもいたのだろうかと思ったが、依然として生者の体温は検知できない。

 

 事態が把握できずに混乱し、声の聞えた場所に両手を伸ばすが、周りからは透明人間でも探しているかに見えた。

 

 身長149cmのイビルアイに対し、170cmのヤトが少し低めに手を伸ばしてしまうと、ちょうどよくイビルアイの胸に向かって手が伸びていく。イビルアイが反応できたのは、自分の胸に彼の手が触れる寸前だった。

 

 小さな赤頭巾は野良猫並みに素早く飛び退き、その気配で誰かがそこにいたのだ理解した。

 

「な、何をする!」

 

 貞操の危機を感じ、瞬時に怒るイビルアイをよそに、セクハラの加害者は様々な思案をしていた。

 

(……これは一体、どうしたことだ? 探知スキルの異常か?)

 

 考えてもわからず、時間を掛けても面倒なので仮面を剥ぎ取った。目に光が差し込み、眩しそうに目を細めた。屈強な男性と思っていたガガーランは、逞しい大胸筋に申し訳程度の胸が付いていたので体は女性だ。赤いフードを被った小さな人物が、少し離れた場所で警戒していた。

 

「ちっちゃいな」

「なんだとこの無礼者! 今度は私に喧嘩を売る気か!」

 

 ついつい口から洩れてしまった本音に、「やべえ」と冷や汗を掻いた。本気で怒っているイビルアイはアンデッドだ。成長や変化と無縁で、そこを刺激されるのが嫌だった。

 

「落ち着けよ、イビルアイ」

「あー……ゴホン! 申し訳ありません、許してください。私はナザリックのヤトと申します。相方はセバス・チャンという執事です。今日はお会いできてとても嬉しかったです」

 

 深々と頭を下げ、イビルアイの警戒がほどけたのを察した。

 

「あなたはイビルアイさんと言いましたか?」

「な、なんだ?」

 

 イビルアイは再度、警戒し、体を強張らせる。

 

「あなたとはまたお会いしたいですね。私もこの宿を使っております。よろしければ今度、食事にお付き合いを、できれば二人きりで」

「な、ぜ私が、そんなことをしないといけな……いんだ」

 

 動揺してしまい、奇妙な間が生じた。

 

「気が向いたらで構いません、我々はしばらく王都にいる予定です。宿が同じならまた会えるでしょう。あなたのことをもっと教えてください」

 

 アンデッドと公言しては可哀想と思い、緩い表現をしたつもりだった。アインズがアンデッドであり、この世界の知性あるアンデッドから有益な情報でも仕入れられるかと探りを入れたつもりだった。イビルアイの性別を知っている者からすると、口説いているようにしか見えない。

 

「はぁ!?」

「マジでか!」

 

 イビルアイは警戒を解いて驚きの声をあげ、ガガーランは面白そうに声を上げる。

 

「それじゃ、これで」

 

 頭を下げ、彼は借りている居室がある2階に続く階段を昇っていく。

 

「イビルアイ卒業」

「でえとの申し込みされた」

 

 その場に立ち尽くし、固まっていたイビルアイは、近寄ってきたティアとティナの声で我に返った。

 

「うるさい! なんなんだあいつは。初対面で無礼な」

「でも断ってなかったよなー? イビルアイも満更じゃないんじゃねぇのー?」

 

 ニヤニヤと笑うガガーラン。

 

「仮面をつけた者なんか信用できるか。八本指の手かもしれないんだぞ」

 

 自分を棚に上げて言い返す。

 

「でも向こうは信用した」

「こっちも信用すべき」

 

 信用も何も食事に誘われたというだけだ。イビルアイは過剰表現で煽られ、徐々に様々な意味で過熱されていく。打ち合わせに戻れる雰囲気ではなくなっていた。

 

「黙れ! 明日の話をしろ!」

 

 強引に話を戻したつもりのイビルアイだが、他の面々は聞いていない。

 

「でもよー、あのカタナ、近くで見たら本当に名刀だな。顔を見る限り、南方の出身なんだろうぜ。もしかすると腕前も相当なもんかもしれないぜ? 顔も童貞じゃなかったしな!」

「そ、そうなのか?」

「イビルアイ興味出てきた」

「鬼リーダーより先に卒業決定」

「は、いやなにを言っているんだ、馬鹿! 明日の夜から忙しいのだ! もう会うこともない!」

「いいや、よく会えると思うぜぇ、同じ宿を使ってんならな」

「イチャイチャするなら他の宿へ一部屋取るべき。ゆっくり眠れない」

「手ほどきが必要ならする。事前準備は依頼と同じくらい大切」

「いい加減にお前ら黙れ! 真面目な話をしろ!」

 

 三人からニヤニヤされて、イビルアイは怒りながら話を続けた。小さな赤ずきんの仮面に隠された素顔を知っているのは、蒼の薔薇の仲間だけだ。探知スキルは体温を生命反応として感知するスキルであり、探知できない存在は一つしかない。

 

 イビルアイの声は仮面の効果で歪んでしまい、初対面の相手には男女の判別が難しく、ヤトはアンデッドの”少年”だと勘違いをしていた。ガガーランの性別には自信と興味がなかった。

 

「アダマンタイト級冒険者“蒼の薔薇”、王国で知らない人間の方が少ない。メンバーはガゼフより屈強な女……だよな? つーか本当に女か? それと、小さいアンデッドのガキ。この国はどうなってるんだ。アンデッドが紛れているのが判明した以上、お面に穴を開けて視覚がないとまずい……」

 

 階段を上りながら、気が重たくなった。

 

「外したくないんだよ。無くてもいいけど、気に入ってんだよね。大きい穴を開けると格好悪いし……」

 

 大きなため息をつきながら、セバスが待つ部屋に戻っていった。

 

 話を聞いたセバスは自分がいればと、猛烈に後悔した。

 

 イビルアイを宥めた以上に、本腰を入れてセバスを慰める羽目になった。

 

 

 




喧嘩を売られる→30%→9 喧嘩イベント発生


スキル《女好き》女性タイプに対する攻撃力減少は、飲酒で発動する《うわばみ》で相殺が可能

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