大洗への旅   作:景浦泰明

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第三話 『岡山 継続高校』

 二日間かけて山口と広島を抜け、今日は岡山を通過する予定だった。

 

 このあたりはひたすら海沿いを走ることができるので気もまぎれていい。

 

 海を見ながら走るのがとても素敵なことだと知ったのはこの旅のいくつかの収穫だと思う。朝、昼、夜と海は様々な要因にさらされながら刻一刻とその姿を変えていき、そしていつも美しい。

 

 海沿いで休憩するたびに猫が寄ってきてはエサを寄越せと鳴かれるのは少し億劫だったが、それも海辺の町の風景のひとつだった。俺は良く晴れた毎日を何の苦も無くパンターと走り抜けていた。岡山駅を通過してしばらくまでは。

 

 ――この旅に出るにあたって覚悟していたことがふたつあって、ひとつはお風呂に毎日入れないこと、もうひとつはいつか絶対パンクするということだった。

 

 前者はすでに昨日の夜実績を得た。そして後者に関してはたったいまだ。

 

 そう、パンクだ。パンクした! あー!

 

 軽快に山道を走り抜けていたら突如として背後から低い破裂音が鳴り、それから視界が一段下がった。慌ててバイクを路肩に止めて確認すると、タイヤから釘の頭が出ているのを見つけた。正直これは我慢できずに三発ぐらいため息を吐いてしまったが、そもそも旅の最初に覚悟していたことでもあるので黙々と作業を開始する。

 

 パンク修理自体は何ということはない。穴が開いている場所を見つけてそれを専用キットでふさいでいくだけだが、問題は空気を入れることにある。現在の山道から人里までパンターを押して歩くことがたまらなく憂鬱だった。自分で走ってくれる分にはまだしも、一度沈黙してしまったこいつを押して歩くのは本当にかったるい。想定通り二十分もするとパンク修理はおわり、そして俺はもう二回ため息をついてパンターを押して上り坂を登り始める。

 

 登り始めて十分もすると全身から汗が噴き出してきた。夏の坂道で原付を押しながら歩くのは正気の沙汰とは思えない。街についたらすぐにどこかで空気をいれさせてもらって、今日はゆっくり休もうと決意する。今日のノルマは守れないかもしれないが、そもそも十日ぐらいで行っちゃおうというのが間違っているような気がする。

 

「まあ、日に百五十㎞は走るだろうから、それだと十日でいけちゃうな。余裕すぎる……西住流の血が怖い……」

 

 とか言ってへらへら笑っていた自分のことを殴ってやりたい。置手紙にも書いた通り、新学期までに戻るぐらいのつもりでゆっくりやろうと決意した。

 

 だが、それはそれとして今はこの坂が問題だ。ひとつ目の坂を越え、ふたつ、みっつと越えるころには既に俺と原付のどちらがどちらに体を預けているのかよくわからなくなっていた。俺はパンターの車体に体を覆いかぶせるように、前傾姿勢でひたすら坂を上り続ける。うつむいた顔から汗がだらだらと零れ落ち、しばらくの間頭上からかけられる声にも気が付くことはなかった。

 

「おーい! おーい! だいじょうぶですかー!?」

 

 その声が自分にかけられているものだと気付いて顔をあげると、目の前にBT-42が止まっていた。BT-42、別名クリスティ突撃砲。第二次大戦中にフィンランドが開発した自走砲だ。なんでこんなところにと思う間もなく、車体の左側に腰かけている髪をふたつ縛りにした女の子から声をかけられる。

「タイヤ、パンクしちゃったんですか?」

 

 そうなんだ、と俺が答えると、戦車の中からぞろぞろふたりほど乗組員が出てきた。ひとりはチューリップハットをかぶってカンテレを抱えた女性で、もうひとりは勝気な表情をした赤毛の女の子だった。赤毛のほうの女の子が寄ってきて、タイヤの状態を調べる。

 

「パンクは自分で直したのか。じゃああとは空気だけだけど、この先はまだしばらく街がないよ。見たとこ旅の途中みたいだけど、この調子じゃ今日は山の中で野宿だぞ」

 

 その言葉にショックを受け、もうこのまま森の中でトトロのように寝て暮らそうかとおもった。

 

「わかった。じゃあ俺は今日からこの森でトトロのように寝て暮らす」

 

 声に出てしまった。今の俺は多分死んだような目をしているのだろう。赤毛の女の子がげらげら愉快そうに笑って、カンテレ持ちが弦をぽろぽろと鳴らした。なんなんだこのキャラ立ち集団は。最初に話しかけてきたふたつ縛りの女の子が「もー! ミッコったら意地悪だよ!」と赤毛をたしなめ、それから俺に向き直った。

 

「私たち今から岡山のBC自由学園まで行くんだけど、よかったらそこまで一緒に乗っていかない? 原付もBT-42の後ろに乗せればいいよ」

 

 願ってもないことだった。俺はそちらさえよければぜひそうさせてほしいと願い出て、彼女に頭をさげた。

 

「そ、そこまでしてくれなくていいよう。……ね、ミカもそれでいいでしょ?」

 

 そう言ってカンテレ持ちを振り返ると、彼女はまた弦をぽろぽろと鳴らす。

 

「ふたりが良いなら構わないよ。道連れが増えるのもいいものだ」

 

「決まりだね」

 

 それから俺は彼女たちとお互いに自己紹介し、彼女たちの名前を確認した。俺の名前を聞いた時に西住流の息子だと知って驚いていたようだが、俺も彼女たちが継続高校の面々だと知って驚いた。その名前はかつてみほ姉さんが「とっても優秀な隊長がいて手ごわいんだよ」と褒めていた学校だったからだ。俺はBT-42の後部にパンターをくくりつけながらその話をした。

 

「戦車道の規模自体はそう大きくないけど、優秀な隊長がいて手ごわいと姉さんが言っていました」

 

「天下の西住流にそう言ってもらえるなんて、私も捨てたものじゃないようだね」

 

「また皮肉っぽい言い方」

 

 軽口を飛ばしつつ、パンターの固定を終えるとゆっくりと戦車が走り出した。慌てて車内に入ろうとするとミッコから「くるなくるな。人がたくさん入るとあついだろ」と注意され、結局後部にパンターと一緒に座り込んだ。アキとミカさんも戦車に腰かけているし、風も涼しいからそのほうがいいのかもしれない。道交法は戦車に甘い。

 

 先ほどまで汗を流しながら見上げていた空と比べて、戦車にゆられて快適に進みながら見上げる空は全く別に見える。道の両脇から伸びた木々が空を縁取り、木漏れ日がキラキラと輝く。俺は背中を押しつけるように戦車に深く腰掛け、わずかに残った汗をぬぐって息を吐いた。

 

「ものの見え方なんて簡単に変わってしまうものだよ」

 

 不意に聞こえた言葉に驚いて引っ張られたように首を向ける。

 

 俺は言葉を発することもできず、口の端をふるわせながらミカさんのことを見つめる。言いようのない不気味さを感じる。俺の心が読まれているかのような、全て見透かされているかのような。カンテレから指を離すと、彼女がゆっくりとこちらに顔を向けた。切れ長の澄んだ瞳が俺の眼を射抜く。

 

「ミカ! またひとをからかってる!」

 

 アキの声が聞こえて、俺は自分をとらえていた糸を断たれたように弛緩した。

 

「からかっちゃいないよ。彼が悩んでる風だったからちょっとね」

 

「そういうの、大きなお世話っていうんだからね。ごめんなさい、一意くん」

 

 いや、いいんだ。とだけ言った。俺は事実、先ほどミカさんが言ったことを獲得するために旅に出たのだ。

 

 それならいいけどと言って、アキはまた自分の席に腰を下ろす。俺はミカさんのほうに体を傾けた。

 

「BC自由学園に行くのは戦車道の練習試合ですか」

 

 答える代りに浅く首肯する。

 

「継続高校は確か石川ですよね。母港からかなり離れてますけど」

 

「うちはお金がないからね。練習試合があったりするとこうやってみんなで戦車に乗って、野宿しながら旅をするのさ」

 

「一意くんも旅の途中なんだよね」

 

 運転席から「わざわざ自分からなんて物好きな奴だな」と笑う声が聞こえてくる。この旅を始めてから数えきれないぐらい言われてきたことだ。俺はその言葉にけらけら笑った。

 

 下り坂の向こうにさっき通り過ぎた街がもう一度見えて、ため息をついた。こういう日もあるのだと自分に言い聞かせる。

 

 

 

 BC自由学園は一言で言って雰囲気の悪い高校で、あまりチーム内で仲がよろしくないようだった。話を聞くところによると色々込み入った事情があるようだが、そこらへんは俺には関係ないことだ。俺はBCに着くとすぐ事情を説明して同校の自動車部を紹介してもらい、そちらでパンターに空気を入れさせてもらった。ちなみに継続高校は彼らと一対一の模擬選をやって全勝したらしく、あの隊長は変な人だが本当に強いのだなと感心した。思えばみほ姉も変なぬいぐるみを可愛がったりするし、中学時代の姉の知り合いとかいうひとは自分のことを「アンチョビ」と呼ばせようとしてきたし、戦車乗りには変な人が多いのかもしれない。

 

 それはともかく。

 

「いやあ、ありがとう!! 本当にたすかりました!!」

 

 はずんだ声で礼を言いながら、俺は何度も後輪を持ち上げては地面にバウンドさせる。パンター完全復活だ。

 

「処置自体は自分でやってくれたみたいだし、こっちは空気を入れただけだよ」

 

「それでも助かりました。継続高校とみなさんには頭があがりません」

 

「そんなおおげさな……」

 

 今日一日ぶんは少しばかり遅れが出てしまうかもしれないが、これで明日からはまた変わらないペースで走り出すことができる。今度は絶対路肩によらないようにしようと考えた。クラクションがなんだという気持ちだ。パンクするよりはクラクションを鳴らされるほうがいい。いやどっちも嫌だが。

 

 遠く、夕陽の先でBCの戦車隊が追い立てられているのが見える。後ろから隊長のなんとかいうひとが「きびきびはしるざます!!」と怒鳴り声をあげながら追い立てていた。こころなしか隊長さんの首が伸びているように見えるが、あれは気のせいだろうか。継続相手にぼろ負けしてしまったのがかなり腹に据えかねたようであるが、このままでは俺もとばっちりを受けるかもしれないと想い、もう一度自動車部に礼を言って早めに切り上げた。彼らはにこにこ笑って、気を付けなよと声をかけて見送ってくれた。

 

 来た道を戻り、そしてまた行く。二時間も走るころにはとっぷりと日は暮れ、すっかり世界は闇のなかだ。なんとか朝パンクした地点を越えたあたりで、どうせ山を走るなら一番高いところで野宿しようと考えた。寒いかもしれないが星が良く見えるだろう。

 

 俺はもう一息とアクセルを開いて山道を登ると、いつのまにか背後から聞き覚えのある駆動音が近づいてきた。

 

「一意くん!」

 

「アキ! BCに泊まるんじゃなかったのか!」

 

 今日一日何度も目にしたBT-42だ。今日はBCのほうで一泊させてもらうということだったから別れてきたが、話をきくとどうやら雰囲気が悪いから逃げ出してきたらしい。隣に並んで走る車体からミッコが顔を見せ、こちらを見てにやりと笑う。

 

「ま、途中までは行き先も一緒だし仲良くやろうぜ」

 

 俺は不敵な笑みを浮かべるミッコに苦笑いを返す。見上げるとアキも似たような苦笑いを浮かべ、ミカさんは相変わらず泰然とカンテレをもてあそんでいる。どうもこの旅は一筋縄ではいかなくなってきたようだ。

 

 

 




戦車道大作戦に出てくる☆3のスズキが南米出身のF1レーサーにしか見えなくて困ります。

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