大洗への旅   作:景浦泰明

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第二十話 『北海道 続アンツィオ高校』

 

 

 

 十三時発のフェリーで苫小牧へ向かうことになり、それまではアンツィオ高校戦車道による盛大な壮行会となった。

 

 学園艦内の大きな広場に大量の長机が並べられ、みるみるうちにそこに料理が並べられていく。はっきり言ってこういうことをしているからすぐお金がなくなるんじゃないかと思ったが、とりあえずはこれが彼女たちのやり方みたいなので野暮なことは言わないでおいた。

 

 俺はアンチョビさんから「沢山食べろ!」と肩を叩かれ、そしていわれるまでもなく机に並べられた料理たちをもりもりと食べまくっていた。先ほど屋台で見たアクアパッツァや種々のパスタ、プロシュートやカプレーゼをどんどん皿に盛りつけていく。決して大事にとっておいたお金がなくなったからせめて元を取ろうと思っているわけではない。

 

 アンツィオのイタリアンは噂にたがわず絶品で、特にぺパロニさんが作ってくれた鉄板ナポリタンとアンチョビさんのピザは特筆に値する。鉄板ナポリタンがイタリアンと呼べるのかどうかは謎だが、甘いケチャップ味のナポリタンにひき肉の入ったスクランブルエッグが乗せられた濃厚な味わいだ。すごく美味しいですとぺパロニさんに伝えると「だろ~! アレを買えたのもこいつの力があってこそさ!」と言いながら肩を組んで髪の毛をめちゃくちゃにされたが、すぐに「アレ」とやらのことを思い出したのか意気消沈していた。めんどくさいひとだと思う。

 

 その様子を見てすぐにアンチョビさんが飛んできて、私のピザも食べろ! とピザを差し出してくる。イタリアのおばちゃんは押しが強いって聞いたことがあると発言したところ、無理やり熱々のピザを口に突っ込まれた。狙ったのかどうかは知らないが、アンチョビさんのピザは彼女が自作したアンチョビが乗せられたシンプルなものだ。もちもちした手作りの生地に酸味の効いたトマトソースがかけられ、その上に載ったバジルの香りと減塩アンチョビのほのかな塩味が良く効き、それらが渾然一体となって口の中を刺激してくる。これは確かに美味しい。俺がただ黙って咀嚼し続けているのをみてアンチョビさんが誇らしげに鼻を鳴らした。

 

 アンツィオの生徒たちは壮行会の間じゅう食べては騒ぎ飲んでは騒ぎ、その間に少しのことで盛り上がっては口々にアンチョビさんを讃えあう。もうなんか騒げればそれで良いんじゃないかと思わないでもないんだが、とにかくアンチョビさんにはものすごい人望があるようだ。壮行会が終わって俺たちがフェリーに乗り込む段になってもそれは続き、最後には全員で見送ってくれた。

 

 「カルパッチョ! ドゥーチェのことをしっかりな!」

 

 「ぺパロニ! みほさんの弟に手ぇ出すんじゃねえぞ!」

 

 「ばかやろう! 誰がそんな真似するか!」

 

 「お前ら留守をしっかりな! ちゃんと歯を磨けよ! 勉強もしろ!? 戦車の訓練を怠るな!」

 

 「うぉー! ドゥーチェ! ドゥーチェ!」

 

 これではお母さんかなにかではないかと思わないでもないんだが、アンチョビさんが本当に心配そうな表情をしているので本気らしい。大きく汽笛が鳴り響いて船が出港し、それを追いかけるようにアンツィオのひとたちも走り出す。全員がその手に白いハンカチを握り、絶え間なくドゥーチェコールを送りながら俺たちのことを見送ってくれる。その様子を見て既に泣きそうになっているアンチョビさんを見て俺は「気が早いなあ」と苦笑いしていた。

 

 その後船室で三時間にわたって「うちの子たちは本当にみんな良い子でなあ」と酔った父親みたいな絡み方をされ、少々気が滅入ったりもする。

 

 

 

 アンツィオの三人との旅は騒がしくも楽しいものだった。食堂室で美味しいものを食べ、時にはアンチョビさんと姉さんの昔話や、俺がこれまでしてきた旅の話で盛りあがった。ぺパロニさんの寝相が悪すぎて三つ隣の寝所から俺のところまで来た挙句寝ているところに乗っかられた時は海に放り出してやろうかと思ったが、アンチョビさんとカルパッチョさんのふたりから宥められて事なきを得る。北海道に上陸してからもそれは変わらず、彼女たちの騒がしさが時折ふさぎがちになるのを解消してくれた。

 

 波乱万丈の旅もここに極まれりだな、と笑う。これまで散々旅をしてきたが、水平線だけじゃなく地平線まで見られるような場所に来るとは思わなかった。果てしない平野のど真ん中でアンチョビさんが炊き出しをしているのを横目にそう考える。

 

 熊本から出て何故か青森まで行って、静岡までたどり着いたと思ったら今度は北海道にいる。俺はアンチョビさんに少し散歩してくると言って歩き出した。小川の流れに沿って歩きつつ、「迷子になるなよ! お前がどうにかなったらみほとまほが心配するぞ!」と叫び声をあげるアンチョビさんに「ならないよ!」と負けずに叫び返す。あのひと俺のことを犬かなんかだと思っている。俺はあの母親気取りを見返してやろうとミッコ直伝の山菜取りスキルを発揮し、小川のそばに自生していたクレソンを収穫して帰った。これでどうだとばかりにそれを差し出したが、

 

 「クレソンじゃないかー! おまえ偉いなあ!」

 

 「一意君すごいわねえ」

 

 「やるなあお前!」

 

 と口ぐちに褒められているうち、いつの間にか三人によしよしと頭をなでられていた。俺が求めていたものはこういうものではない。俺は自分で採って帰ったクレソンのサラダを食べながら、もしかしたら自分は逞しさから遠く離れた場所にいるのかもしれないと悩む。そもそも連中が全員弟もちというのも悪いような気がする。年下の弟は全員自分とこの弟みたいなものとでも思っているのだろうか。

 

 猫はすっかりアンチョビさんが(エサをくれるから)気に入ったようで、そばで家猫のようになっていた。

 

 

 

 試合会場にほど近い場所で野宿となり、みんなが寝静まったあとでトラックの荷台に乗って空を見上げた。図上には夜空一杯に砂糖をまぶしたような星空が広がり、思わずため息が出る。地上にある光が少ないからだろうが、これほどの星空はこれまで旅してきた中でもそうはなかった。陳腐な表現かもしれないが俺はそれを眺めているとまるで落ちてきそうだと感じ、そう思わせるほどにどこまでも深く黒々とした夜空に胸が寒々としてくるのを感じた。

 

 結局ここでも何の役にも立たない人間が一匹。頭の中にそんな声が響いてくる。たとえば俺が石油王だったらすぐに大洗の学園艦を資金援助して救えるんじゃないか。俺が女の子だったら姉さんたちと一緒に戦えただろうか。たとえば今の記憶を持ったまま、昨年の全国大会決勝まで記憶が戻ったらどうなるだろう。俺は姉さんに何か有益なことをしてあげられて、今でも熊本の実家で三人一緒にいられただろうか。――あまりにもくだらない考え方だ。

 

 胸の隙間から入り込んだ冷たい風が暴風のように心をかき乱すのを感じる。俺は凍えるように膝を抱えて顔を伏せた。八月とはいえ北海道の夜は寒い。

 

 しばらくそうしていると、足の間に何か気持ち悪い感触を覚える。何かと思って顔をあげると、そこを割って猫が顔をだした。足の間から頭だけ出している猫はなんだかプレーリードッグのようで、顔の不細工さと合わさって笑えるほど滑稽である。俺は脚を崩して猫をだき、優しく顎の下をくすぐった。今度は何の役にも立たない猫が一匹。

 

 「なにやってる」

 

 しばらくそうして猫をなでていると、突然荷台の縁からアンチョビさんが顔を出す。俺は驚きのあまり猫を取り落とし、地面にへばりついた猫が不満げな悲鳴をあげた。

 

 「まったく、明日は試合なんだから早めに寝ないとだめだ。わかっているのか」

 

 そう言いながらアンチョビさんが荷台によじ登り、うーさぶさぶとぼやきながら隣に座る。俺と同じように空を見上げてため息をついた。

 

 「これはすごいなあ。学園艦にいてもこれだけの星はめったに見えないぞ」

 

 「本当ですね。プラウダみたいにもっと遠くまで航行すれば違うんでしょうけど」

 

 「すげー! うちももっと北の方まで行ってもらえるように交渉しましょうよ!」

 

 いつのまにかカルパッチョさんとぺパロニさんも荷台の縁から顔を出していて、アンチョビさんとふたりで驚いて飛び上がる。俺が驚きに声が出ないなかアンチョビさんがおまえらなあ! と注意をし、ふたりはそれを意に介さず笑いながら荷台に上がってきた。

 

 「せまい」

 

 「狭いとかいうな! お前年頃の女とこんなに密着して最初に言うことがそれか!?」

 

 「そういうの姉さんたちで慣れてるし……」

 

 生意気なことを言うな! とアンチョビさんからヘッドロックをかけられる。俺がもがいている間にカルパッチョさんがこちらに毛布を運び込み、どうせだから星を眺めながら寝ようということになった。この夜遅くに荷台からCVとパンターを降ろし、そこに毛布を敷き詰めていく。掛布団が薄いからかどうにも寒く、俺はパンターから寝袋を持ってきてその中に入ったが、それを見たアンチョビさんが寒い寒いとうめきながら無理やり寝袋に入ろうとしてくる。

 

 「一意! お前一人だけ寝袋なんてずるいじゃないか!」

 

 「そっちはそっちで毛布あるじゃんか」

 

 「黙れ! ドゥーチェの言うことにさからうな!」

 

 「あっ、裂ける! ちょっと待てこれ裂ける裂けるから痩せて!」

 

 「太ってない!」

 

 痩せてと言ったのが発破になったのか、アンチョビさんがさらに強引に寝袋に押し入ってきたせいで寝袋が裂けた。

 

 「あ~ドゥーチェ何やってんすか~!」

 

 「ご、ごめんこれは……」

 

 「だから裂けるって言ったじゃん! 安斎!」

 

 俺が安斎と呼んだことに対する反駁もどこか小さい。ドゥーチェダメだな……と呟いて落ち込んでいるのを見かね、結局寝袋は全部裂いて開き、大きい掛布団にしてしまった。このひとがへこんでいると全面的にこっちが悪いように感じるの、絶対人生得してるよなと思う。多分こんな風にしてアンツィオ戦車道のメンバーを増やしたんだろう。

 

 ようやく掛布団が四人全体にいきわたり、充分な暖をとることができるようになる。左から順にカルパッチョさん、俺(猫)、アンチョビさん、ぺパロニさんの並びで荷台に寝転がった。隣からぺパロニさんがアンチョビさんにちょっかいを出すのが聞こえ、カルパッチョさんとふたりで苦笑いする。

 

 「明日、がんばって下さい」

 

 笑い声も静まった頃、ふとそんな言葉が口をついてでた。アンチョビさんとカルパッチョさんが顔だけをこちらにむける気配がする。俺は空の星を眺めて明日の試合の事を想う。そのとき自分が観客席から眺めるしかできないことを考え、拳を強く握りこむ。

 

 「俺には何も出来ないけど……観客席で応援してます」

 

 そう言葉にした瞬間、アンチョビさんが勢いよく立ちあがった。

 

 「ばかもん! 何も出来ないなんて言うな!」

 

 大気をふるわせるような大音声が響く。両肩をわなわなとふるわせながら顔を真っ赤にしてこちらを見ている。拳をぎゅっと握りこむその姿に俺は言葉をなくし、ただ茫然としてしまった。静寂が訪れる間もなくすぐにぺパロニさんがアンチョビさんのことを引きずりおろし、抱きしめてもみくちゃにする。

 

 「そうだ! 姐さんはそういうのに弱いんだぞ! 泣いたらどうする!」

 

 「泣かないー!」

 

 とは言うもののアンチョビさんの顔はまだ赤いままで、俺は申し訳ない気持ちになって俯く。気分を悪くさせるようなつもりはなかったんだが、どうやらアンチョビさんのことを不快にさせてしまったらしい。いまだぺパロニさんと猫の喧嘩のような揉みあいを続けるアンチョビさんを見ながら、どうしていいかわからなくて足元の猫をなでる。

 

 後ろから俺の頭にあたたかい掌が乗せられた。

 

 振り向くとそこにカルパッチョさんがいて、優しげな瞳で俺のことを見詰めている。

 

 「何もできないなんてことない。みほさんもあなたの姿を見ればきっと勇気付けられるわ。こんなに素敵な弟さんだもの」

 

 優しく諭すように頭をなでられ、固く握っていた拳がほどけていく。いつもなら子供扱いされることに苛立つはずだが、このときは不思議とそうは思わなかった。自分など何の役にも立たないと自棄になっていたからか、それともカルパッチョさんの優しく包み込むような雰囲気がそうさせたのかはわからない。

 

 「私がお姉さんだったら、すごくうれしいと思う」

 

 その言葉で胸にあたたかな火が灯るのを感じる。すぐに「そうだー!」と叫んでぺパロニさんとアンチョビさんがこちらに突撃してきて全員がもみくちゃになる。猫と俺がそろってヒキガエルのような声を出し、それからすぐに枕で応戦した。

 

 夜の平野に俺たちの声が響き、それが星空にこだまする。

 

 姉さんたちの試合がすぐそばに迫ってきていた。

 

 

 


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