大洗への旅   作:景浦泰明

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第十三話 『千葉県 西絹代』

 千葉県に入ってしばらくした頃、爆音とともに背後から巨大なバイクに追い抜かれた。

 

 すれ違う瞬間にちらっとみえた感じでは髪の長いスタイルの良い女性で、ああいう人に乗られるのはバイクとしても冥利に尽きるだろうなと考える。追い抜かれるのもクラクションを鳴らされるのも別になんということはないが、俺の旅の道連れがおんぼろのカブと不細工な猫だけだというのはどうもわびしい気持ちになってくる。

 

 そこまで考えて、継続の連中としばらく一緒に旅をしたことを思い出した。

 

「普通あんな経験ないし、満足するべきだな」

 

 信号待ちでそう呟いたところ、いつの間にか身体を乗り出していた猫に後ろから背中を叩かれた。

 

 こいつ本当に人間の言葉がわかるんじゃないのかという疑問がわき、これ以上こいつの理解不能さにひきずられてたまるかと無理やり思考を中断する。

 

 走り始めたとき、驚かせてやろうと思ってアクセルを思いっきり回転させたところ、色々あり、ウィリーした。

 

 

 

「普通に死ぬかと思った」

 

 しばらくして休憩所で一息つくと自然とそんな声が出た。隣にはまたいつのまにか荷物から抜け出した猫が転がり、挑発的な態度でこちらを見ながら鳴き声を上げている。デブ猫のくせに扇情的なポーズをとりやがって。

 

 まわりの乗用車は興味深そうにこちらを見てくるし、トラックのおじさんなんか身を乗り出して爆笑していた。あのおじさん、爆笑しながら「一速はいっちゃった! 一速はいっちゃったねえ!」と叫んでいたが、実は経験あるんじゃないのか。

 

 俺はため息をつきながらデブ猫の腹を撫でる。俺の手の動きを受け入れて嬉しそうにごろごろと喉を鳴らす様子を見て、猫のくせにプライドも何もないやつだとあきれ果てた。こいつを見るたびにいったいどうしたものかと考える。荷物の中から出てきたときは余程大洗まで戻って捨ててやろうと思ったのだが、今更姉さんのところへ戻るほど恥ずかしいこともない。道中危険を覚えたらすぐ海沿いの街に捨ててやろうとも考えたのだが、運転しているときには荷物から頭を出すだけで行儀よくしている。

 

「なんだって俺につきまとうんだ」

 

 そう尋ねても猫は何も答えない。答えるわけがないが。

 

 どうもおかしくなってきてしまったなと頭を掻く。猫と二人で旅をして、しかも休憩所でそいつに話しかけているというのは、傍から見たら気がふれているかお花畑に見られるかもしれない。

 

 俺はまた黙って猫の腹を撫でる。気持ちよさそうに撫でられあくびまでしている様子を見て、まあなんだって良いかという気持ちになる。大洗を出発して四時間、気持ちの良い夏の午後に俺まで眠気に誘われる。

 

 あくびをひとつした後で、休憩所に髪の長い女のひとが入ってくるのが見えた。腰あたりまで髪を伸ばした姿勢の良い女性で、服の胸元が大きく開かれていて少し目のやり場に困る。俺はなるべくそちらを見ないようにしながら猫をもてあそんでいたが、ふと気が付くと目の前にその女性が立っていた。

 

「はじめまして西住みほさん。可愛い猫ですね」

 

 笑いかけてくる女性を見て「え」と呆けた声が出てしまう。

 

「あっ、驚かせてしまい申し訳ありません! 私知波単学園の戦車道で隊長を務めております西絹代と申します! 今年度の優勝、おめでとうございます!」

 

 隣を見ると、猫もそろって同じような顔をしていた。先ほどまで腹を撫でられていた体勢のままで上半身だけを起こし、何言ってんだこいつみたいな顔だ。気持ちはわかるがうざったいので頭を掌で抑え込むようにしてまた仰向けに戻す。俺の掌にじゃれ付く様子をみて不覚にも可愛いと思ってしまった。

 

「あー、西さん。それは俺の姉ですね。俺は西住みほの弟で西住一意と申します」

 

「なっ」

 

 気まずい沈黙が流れる。

 

「これは失礼いたしました! あまりにも似ていたものですから!」

 

 そう声を張って敬礼する西さんに向い、よくあることなので大丈夫ですよと返す。良ければどうぞと長椅子を手で示すと、彼女はふわりと上品な所作で座り込んだ。小脇に抱えていたヘルメットが目に入り、先ほど追い抜かれた巨大なバイクの運転手だと知る。

 

「あの大きなバイク、西さんが乗っていたんですね」

 

「おぉ、ウラヌス号をご覧になりましたか!」

 

 ウラヌス号ってどうなの。バロン西だからウラヌス号なのだろうが、年若い乙女の乗るバイクの名前がウラヌス号とは。

 

 俺は少し離れた場所に置かれた自分のカブを見詰め、そのあと西さんのウラヌス号を見る。こうやって見るとカブってほんとに三輪車みたいだなと笑う。

 

「立派なバイクですね」

 

「おぉ、恐縮です! 休日は気分転換にあれを乗り回すのが趣味でして」

 

「それで突撃を」

 

「突撃です! ってそんなことはしません!」

 

 意外と乗りが良くて笑ってしまう。事前情報では突撃ばかりの学校かと思っていたが、今年の大会では黒森峰相手に隊長車を追い詰める快進撃を見せて胸が躍ったものだった。直後にまほ姉さんが無双していたのには苦笑いが出たが。

 

「今年の夏は惜しかったですね」

 

 ご覧になりましたか、と西さんが笑う。苦笑のなかに少し照れがまじった笑いだった。

 

「あそこまで追いつめておいて勝てなかったのは、お恥ずかしい限りです」

 

 頬をかく西さんにたいして何も言うことができないでいると、彼女があわてて「申し訳ない! 情けないことを申しました!」と声をあげた。俺が黙って猫を差し出すと西さんは嬉しそうにそれを受け取り、もみくちゃにもてあそび始める。猫はものすごく不本意そうな顔でずっと俺のことを見ていた。

 

 会話が途切れて空を見上げると、巨大な入道雲が眼下の街にのしかかるようにしてそびえていた。俺がいるパーゴラの下と外は陽の光によって別の世界のように分かたれている。頬を汗が一筋流れるのを感じ、ただ脳から零れ落ちるように「夏だなあ」という声が出た。

 

 その視線に気が付いたように西さんも猫を撫でまわすのをやめ、空を見上げて「夏ですねえ」と呟く。俺はその言葉に心底同意しながら「暑い……」と呟いた。この状況で旅をするのは少々無理があるように思える。ここでこうしていると熱気のあまり全身が溶けるようだった。

 

「そうだ! 近くに良い甘味の店があるので一緒に行きましょう!」

 

 西さんが突然立ち上がり、猫が粘性物質のように地面にへばりつく。こいつ猫のくせに着地もまともにできないのか。何もできない奴だな。

 

 俺があー、という感じで猫を見ていると、ほら! と声をかけられて西さんに引っ張られる。俺が抵抗することもできず西さんにひっぱられていくと、後ろから猫がちょっとは抵抗しろよという顔でついてくるのが見えた。

 

 

 

 「このバイクで歩調を合わせるのは少し無理がありますね」ということで俺は西さんのバイクの後ろに乗ることになり、ものすごい運転の粗さに猫とふたりで顔面が真っ青になった。俺は運転の最中必死に西さんの腰にしがみつき、信号待ちのときには猫までもがリュックから抜け出して俺と西さんの間に身体をすべり込ませてきた。

 

「早晩死にますよ!」

 

 冷房の効いた店内で一息つくと俺はそう切り出した。西さんは困ったように笑い、これがおすすめなんですよ、とサクサク注文を済ませてくれる。

 

「申し訳ない! 恥ずかしながらハンドルを握ると他のことが見えなくなってしまって」

 

「知波単魂か!」

 

 これが噂にきく知波単魂なのね……と戦慄した。今頃猫も店の玄関先でへたばっていることだろう。

 

「どうでしょう。黒森峰も知波単魂に対抗して猛虎魂とか!」

 

「うちの姉の学校を球団みたいに言わないでくださいよ」

 

 大体アニマルシリーズなら虎以外にもいろいろあるでしょうがと言おうとして、店員さんがかき氷を持ってきてくれて会話が中断される。

 

「これが美味しいんです!」

 

 俺はまだ西さんに言いたいことがあったが、とりあえず目の前のかき氷の魅力には敵わなかったので黙る。

 

 きめ細かい氷が照明を受けてきらきらと輝き、紡錘形の山にかけられた抹茶のシロップとあずき、そしてふもとに二つ添えられた白玉が日本人の心を揺さぶる。こいつを前にして文句を言えるほどできた人間じゃないというのが俺の気持ちだった。

 

 添えられた匙をとって山を突き崩すと途端に周囲の氷がほろほろと零れ落ち、その粒の繊細さを感じさせた。俺はシロップが濃くかかった部分に少し小豆を添えて口に含む。

 

「お、おいしすぎる……」

 

 口に入れた瞬間に氷がほどけ、抹茶と小豆と渾然一体になった。小豆まで一緒に食べると甘すぎるきらいはあるが、それを補うように苦みを押し出した抹茶が口の中に清涼感をもたらし、いつまででも食べられるさわやかさを演出する。俺はかき氷と一緒に食べるだけで小豆を消費しつくすことはせず、白玉と和えて口に含む。

 

 やはり。硬すぎずもちもちと柔らかい白玉だが、その甘みはかなり控えめだ。小豆と和えることによってぜんざいとして立ち上がり、この一品の楽しみとして機能している。

 

 俺は目の前の西さんが嬉しそうに笑っているのにも気が付かないままひたすら食べ続け、食べ終わったときには食事の前に考えていたことをすべて忘れ、西さんと一緒にかき氷の素晴らしさをたたえあった。その後に運ばれてきた熱いお茶も香りが良く、かき氷と空調で冷えた体を温めてくれる。俺はこれ以上ないほどの満足感に包まれ、だらしないとは思いつつも椅子の背もたれに倒れこんだ。

 

「一意殿は、我が校についてどのように考えますか?」

 

 ふと、西さんがそんなことを言う。

 

「……どうもいけません。恥ずかしい話ですが、隊長になったばかりで弱気に駆られているようです」

 

 そう呟く西さんの顔に悩みの影が差し、俺は戦車道の隊長という役職の圧力を思う。

 

「前の隊長さんには相談とかしてないんですか? 辻さん、でしたっけ」

 

「辻隊長はその、ただ厳めしく『裂帛の気合を以て突撃すれば後は野となり山となる』と……」

 

 野となり山となってはいけないですよね。確かに試合のモニターで見ていた時の知波単学園は野山という感じだった。

 

 俺は笑い出しそうになってしまいそうになるのをなんとかこらえて西さんへと向き直る。このまま笑ってしまうのはあまりにも失礼すぎる。

 

「知波単高校は伝統ある戦車道部隊をお持ちですから、きっとその歴史の中に学ぶべき点があると思います。いつも原点に立ち返ってこそ、見えてくるものがあるのではないでしょうか」

 

 と、なんとか言ってはみたものの殆ど昔母さんが黒森峰の隊長さんに言っていたことと同じである。姉さんの前の隊長さんはよく我が家にやってきては母さんに意見をもらっていたものだが、その際に言っていたことを覚えていて良かったと思う。

 

「母の受け売りですが」

 

 言い切ったはいいものの、照れるというか誠実でないような気がしたので言い添えることにする。こういうところに自分の未熟を思わずにはいられないが、いつかミカさんのようにバシッと決められるようになるだろうと未来の自分に丸投げした。

 

「それに西さんは素敵な方ですから、きっと良い仲間に恵まれているはずです。仲間と力を合わせればきっとうまくいきますよ」

 

「なっ、あー、あっ、西住流は話術も達者ですな!」

 

「えっ、いや、そういうわけではなく」

 

「撃てば必中とはこういうことなのですか!?」

 

「いやいやいやいやそういうわけではなく!」

 

 なんだか話の腰が折れてしまい、その後はひたすら西さんに弁解をすることに終始してしまう。いつかバシッと決められるようになるはずだと考えたが、この調子ではそれも危ういなと思って頭を掻く。

 

 

 

 やはり玄関先でのびていた猫をひろい甘味処を後にする。抱き上げた時にこちらを向くことせずただなすがままになっている猫を見て、そういえば不機嫌になるようなこともあったなと思い出す。帰りもやはり西さんのバイクに乗せてもらったため少し怖気づいたが、今度は来た時ほど乱暴な運転ではなくなっていた。

 

 休憩所に戻ってパンターに荷物を縛り付ける。ずいぶん寄り道してしまったが、ここから先は大都市だから今晩泊まる場所には苦労しないだろう。

 

「旅の途中だというのに付きあわせてしまい申し訳ありません!」

 

 西さんに旅の途中であることを話すとそう謝られたが、美味しいかき氷を教えてもらって怒ることなど何もない。笑ってそう伝えると西さんもその表情を緩めてくれた。

 

 「明後日の大洗とのエキシビションがとても楽しみです! 一意殿の姉君と戦えることを誇りに思います!」

 

 俺はその言葉に嬉しくなり、西さんに向かって手を差し出す。すぐにその手を掴まれ、がっちりと握手した。

 

「姉をよろしくお願いします。大洗知波単連合の健闘を祈ります!」

 

「ありがとうございます! 必ずや吉報を届けましょう!」

 

 夕陽の中で笑う西さんはとても美しく、俺は満ち足りた気分で再びパンターを走らせる。

 

 背後のリュックで猫が不満げに鳴いた。

 

 




天鏡のアルデラミンが面白いです

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