Fate/Zero Gravity   作:色慾

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第3話

豊かな栗毛の髪が宙を舞い、岸波白野は、若干5歳にして、自らの足が寸断され、背中から突き刺さった短刀が臓物を掻き出すのを目の当たりにした。それでも、大切な鍵を握りしめたまま。なんとか先へ進もうと這いずる。

 

「諦めなさい。その体では持って10分。鍵を渡せば、せめて安らかに逝けるように配慮する」

 

ひゅーひゅーと不恰好な呼吸音が口から漏れ、白野は血と泥で汚れた手を宙へ伸ばした。何かを掴みとろうとして、何もできなかった。もうここで死んでしまうの?また、会えないの?嫌だ。嫌だ。だって、お別れも言えなかったのに。

 

ーー来て!ギルガメッシュ!!

 

「そんな…ばかな……」

 

眩い光が天地を照らし、裸身のまま重傷を受けた少女の胸に、赤い印がはっきりと刻まれた。そして、その身を受け取り、しかと腕に抱いた原初の王、ギルガメッシュもまた、時臣に召喚された時とは違い、髪を下ろし、上半身の甲冑をとった姿ーー即ちかつて無二の友、エルキドゥと争った際の神話礼装をまとった姿で顕現した。蛇のような赤い目に激情を湛え、ギルガメッシュは静かに手を上げた。バビロニアの宝庫に蓄えた全ての原典が、殺意を持って一斉投擲され、幾千万の星の雨となって二人の男に降り注いだ。

 

 

 

 

 

 

 

失態だ、これはあるまじき失態だ。これであの少女は此度の聖杯戦争で最も強力なサーヴァントを手に入れ、その上こちらは完全にアレを敵に回してしまった。幸い、万が一のために使い魔に写し身を載せていたので、命拾いをしたが、これで生存率は大幅に下がってしまった。アサシン数体をわざと寸断させ、既に亡き者にされたように工作したのは良い策だったが、それがもし成功していなかったとしたらと考える、本当にゾッとする。

 

「綺礼、ステータスは、あの時、ギルガメッシュのステータスは見えたか?」

 

「はい、なんとか。師よ。あの娘は化け物です。あの娘の姿を見るや、ギルガメッシュのステータスが全てA+以上に跳ね上がっておりました」

 

「……それは、本当かい?」

 

長い沈黙の後、やっとの事で時臣はそう絞り出した。愛弟子の綺礼は、青い顔のまま是といった。ソファに沈み込み、遠坂時臣は目を閉じた。遠くへ残してきた妻子の笑顔が浮かぶ。しかしそれを再び目の当たりにすることはないだろう。この時点で、遠坂家の聖杯への道は途絶えたのだから。

 

 

 

 

 

 

 

岸波白野は冬木市で最も豪奢な最上階のスイートルームの中、一人意識と無意識の間に漂っていた。無残に切断された足にも、裂かれた腹にも不器用に包帯が巻かれており、今や呼吸もやや安定している。命に別状を来す傷はギルガメッシュが宝物庫に持っていた霊薬を湯水のように使ったおかげでなんとか治ったが、意識の方はそうもいかなかった。人形のように動かぬ少女を、ギルガメッシュは一人じっと見守り続けた。

 

「早く目を覚まさんか、雑種」

 

そう言って、愛しそうに豊かな栗毛に指を通す。懐かしい感触に、胸が締め付けられるような思いがした。王は柄にもなく感傷に浸り、後悔の沼に沈んでいた。コレがこの時代にいると知り、即刻仮初めのマスターとの縁を切ったことに後悔はない。だが、こやつが今は血と肉を持つただの人であることを失念していた。月の裏のデータであれば、バックアップから容易に回復させることが出来るが、生身の人間というのは余りにも脆弱過ぎた。何より、令呪が顕現していなかったとはいえ、彼奴らに先を越されたのが最大の失策だった。

 

「ぎる…がめしゅ……?…」

 

「安心するが良い。我はもうどこにも行かん」

 

うわ言のような呟きが聞こえて、まだ幼い額に口付けを落とす。まだ幼い少女の横に長身を横たえると、黄金の男は久しく見えなかった愛しき財を、そっと腕の中へ引き寄せた。

 

 

 

あくる朝、岸波白野は濃密なまつげで縁取られた琥珀の瞳をぱちくりとさせながら、己の置かれた状況に当惑していた。逞しい男の人の腕で抱きとめられている。腕の主は、眩い金髪と、まるで彫像のように整った顔立ちをしていた。優しいけど、少し近寄りがたい雰囲気をしている。人より高いところで、孤独を抱えているような人だなと思った。

 

「……おうさま?」

 

二、三度の瞬きの後、重い金色の睫毛が持ち上がり、神秘的な赤い虹彩が姿を現した。キュッと結ばれた口元が笑みに歪んで、男は尊大に言い放った。

 

「ようやく起きたか、雑種。待ちわびたぞ?だがよい。貴様の耳触りのよい声色に免じ、特に許す。我のことは名で呼ぶがよい」

 

「なまえ…ギルガメッシュ?」

 

「そうだ。その通りだ。良いぞ。記憶はまだ戻らんようだが、それでも我を求め、我の名前を呼ぶのが実にお前らしい」

 

目の前の男の話はまだ岸波白野には少し難しかったが、頭を撫でる大きな掌の暖かさに、今までにない幸福を感じた。ふと、体を起こした拍子に疼いた傷に、昨日の惨劇が脳裏に蘇る。自分でも、言葉を発する唇が震えるのを感じた。

 

「みんなは、どうなったの?」

 

「お前以外は皆死に絶えた」

 

現実を拒絶したい心と、現実を受け入れろと言う頭がせめぎ合う。先ほどの幸福感からどん底に突き落とされる。一人のうのうと生き延びたことへの罪悪感に雁字搦めにされ、つま先からすっと体温が消えていく。ごめんなさい。ごめんなさい。生きていて、ごめんなさい。

 

「え?」

 

呟きが漏れたのは、ギルガメッシュに濡れた頬を叩かれたと気付いた後だった。頬を挟まれ、剣のように鋭い双眸と対峙する。とてつもなく怖くて、心を切り裂かれるような思いがした。

 

「我を見ろ。痴れ者が。貴様は確かに奪われた。なればやるべきことは何だ?ここであきらめるか?愚か者め。お前の目の前にあるのはお前だけの剣だ。何をすべきか、わからないとは言わせまい?」

 

張り裂けそうな胸から、浄化されていくような感覚。ギルガメッシュは私というちっぽけな人間に愛情を注いでくれる。それが嘘偽りのないまっすぐな感情だからこそ、私を甘やかさず、現実を突き付けてくるのだ。その言葉は、自分でも驚くほど、すっと口から滑り落ちた。

 

「私は、進む。前を向いて、ギルガメッシュと一緒に進む。振り返ったり、諦めたりなんかしない」

 

「ハッ、それでこそ我が雑種、我が財よ。お前は真に我が愛でるに足りる(こころ)の持ち主だ」

 

少女のまだ幼い琥珀に強い意志が灯される。闇に、弱さに足元を掬われてはいけない。死なせてしまった者たちみんなを背負って、一度も振り返ることなく、前に進もう。


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