Fate/Zero Gravity   作:色慾

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第23話

「雁夜おじさん……」

 

力を失った手の平から足を引き抜く。紺色のワンストラップシューズが片足だけ脱げた。振り向き、ごめんなさい、と呟いて、桜は両手を広げた白野の懐に飛び込んだ。

 

「行こう。よく頑張ったね、桜」

 

「ぅん…うん!」

 

ボロボロになりながら、抱きしめ返してくれる白野に、止めどなく涙が溢れる。言葉がつっかえてうまく話せない。ずっと一人で耐えて来た寂しさや、それを分かってもらえた喜びや、今までの仕打ちへの悲しみやらがぐちゃくちゃに混ざり合って、桜は暫くされるがままに白野に体を預けた。

 

「カッカッカッ、小童どもがなかなかやるようじゃのう。じゃが、詰めが甘い、甘い」

 

「おじぃ、さま……」

 

反射的に桜を背後に庇い、神の盾を起動しようとする白野に、老怪は微塵の動揺も見せず、影から滲み出るように、その姿を現した。死人のように真っ白な肌を持った老翁である。古木の皮のように年期の入った皺が深く刻まれ、毛髪はおろか、体毛の一本たりとも残っていない。腰を曲げているせいか、白野と変わらぬほどの矮躯の癖して、目だけは爛々と不気味に光っている。桜は祖父と言ったが、そうは思えないどこか人間離れをしている形相だ。

 

「何をする気なの?」

 

「おお、怖い怖い。王が隠そうとする獅子の子とくれば、さて、どうしたものか。しかし、この器、逃すには惜しいというもの」

 

警戒心を露わにする白野に、臓硯はというと、当たってのんびりした調子で一人ごちる。片手についた杖で二度床を叩くと、臓硯の影がうぞうぞと蠢く。濃い闇が塗りつぶすように白野たちへと伸びる。一つの生き物のようなそれは、無数の虫の集合体だった。汚らしい粘液で糸を引きながら、わさわさと短い足を動かしながら這い寄る。

 

「桜、立って!」

 

あまりの悍ましさに腰を抜かす桜を引き起こし、白野は駆け出す。本能が叫ぶ。あれに捕まっては最後だ。あれは人の血肉を食み、人の魂を啜るもの。ギルガメッシュの魔力反応が近い。合流するまで幾ばく、令呪で呼んでしまう事も視野に動かねばならない。ただ、あの老人がギルガメッシュがいることを見越して罠を仕掛けていたとすれば、ここで呼ぶのは思う壺だ。

 

ぐちゃぐちゃと思考がまとまらない。幾度となく盤面を予想するのではなく、俯瞰しろと言われたが、この事態は彼女の想定を遥かに上回る敗走となった。事実間桐の魔術の本懐は「吸収」であり、臓硯が使役する虫はいずれも人を分解し魔力を回収する特質を持つ。接触すればするほど、魔術師の使える魔力が目減りするため、魔力を放出しそれを盾の宝具として使う白野とは非常に相性の悪い相手と言える。

 

肩で息を吐きながら、幼い少女2人は屋敷の奥へと進む。そう言った防御魔術なのか、方向感覚があやふやで、何処が外につながっているかなど、てんで分からない。そして夥しい数の虫たち。白野は悟る。この屋敷は外敵を防ぐよりも、外敵を閉じ込めて逃がさないことに特化している。この屋敷自体が、あの怪物の大きな胃袋であるのだ。

 

「うぅっ」

 

「桜!」

 

白野に体格の劣る桜が再び躓く。残った方の靴も、ストラップがおかしくなって脱ぎかけている。このままでは歩く事もままならないため、何とか靴を脱がせようと四苦八苦するが、手が震えてままならない。

 

「私を、置いて、逃げて」

 

「何、言って…」

 

途切れ途切れに言う桜に、白野は狼狽える。確かに一人であれば逃げられる確率が上がる。だが、ここでまた手を離すのか?また、喪うのか?ぐっと歯を食いしばる。虫の群れは既に間近まで迫っていた。内側から、自分ではない誰かが何かを叫ぶ。

 

「嫌だっ!!」

 

困憊している割には、やけに大きな声が長い回廊にこだまする。庇うように桜を抱きしめ、白野は天翼の盾(アイギス)を展開した。

 

 

 

「貴様、白野に何をした?」

 

黄金の鎧を鳴らしながら、ギルガメッシュは回廊の奥に佇む老人に問う。ブツクサと何かをつぶやいていた老怪は、自らの影に杖をついて、のっそりと振り返った。

 

「太古の王か。カカカカッ、雑兵との戯れに随分と時間を掛けたように思える」

 

「ふんっ」

 

極めて密度の高い魔力の塊が、光の帯と為して臓硯の間近を通り、そしてその空間をそのまま抉り取った。抵抗する間も無く黒い虫達が塵芥と化し、耳障りな金切り声をあげる。不愉快そうに片手を目の上に翳して、臓硯は目を細めた。口角は、厭らしくつり上がったままだ。

 

「おお、一撃で儂の虫を半数は持って行きよって…じゃが、生憎とあの小娘を飲み込んだのは儂の虫ではない。あれを見よ」

 

枯れ枝のような指が指す先、一つの生き物としてうねる虫の群れの合間から、光の差さない赤い瞳が見え隠れする。憎悪の欠片もなく、ただそこにいるだけで、吐き気を催すような化け物のそれが、黄金の王を捉える。直後、虫の壁を突き破って、黒い帯がギルガメッシュに巻き付いた。

 

「ハッハハハハハハハハ!何たる道化!よもや自ら作り上げた人形に食い滅ぼされんようとしているとはなっ!あの空虚な眼を見よ!既にあれは貴様の御せぬ悪鬼妖異の類と見た!」

 

カチリと指を鳴らし、天の鎖が纏わりつく帯を寸断する。触れた箇所はそのまま侵食され、消え失せていた。

 

「だが(おれ)を襲うなど万死に値する!貴様の外法な飼い主の前で、処断してくれよう!」

 

「もう一振りの伝承であればやすやすと片が付くと言うのに何故わざわざ弓兵に徹する?それとも今は抜けんか?……カッカッカッ!見えたぞ英雄王。無比の英霊も落ちたことだ。貴様、あの娘に何をした?え?」

 

「虫ケラには関わりのない事だ。手が滑ってしまったではないか」

 

幾星雲の光を集めた光が生の妄執に取り憑かれた老人を貫き、虫の大群が殆ど消え失せる。閉ざされた帯に隠れていた怪物が、深淵より唸り声を上げた。


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