ーーギルガメッシュ!
喧嘩別れしたと言うのに、まさか来てくれるとは思わなかった。平時であれば艶やかに立てられている金髪が、止めどなく降り注ぐ雨に打たれ、たっぷりの雫を下げて顔を覆っている。怒っているのだろうか。それとも呆れているのだろうか。表情が読めない。
「何を呆けている!
叱咤を受けて、急速に体温が戻った気がした。胸に熱いものが込み上げる。反抗した己に対して、ギルガメッシュは意思を貫けと後押ししてくれた。なら、やる事は一つだけだ。一度だけ振り返ってから、白野は桜を連れ去ったパーカーの男を探すべく邸内へ侵入した。
残された男たちは湖面のように凪いでいた。起源の水を顕す双剣を下げた黄金の王。獣の瘴気を纏った漆黒の騎士。果たして先に動いたのはどちらか。雨粒が互いの眼前から、爪先まで落ちぬ間に、すでに剣戟は振るわれていた。互いに肉薄し、激しい鍔迫り合いの元、本来大雨の中で灯されるはずのない火花が散る。
語る事は何一つない。白野の見識通りあの黒い獣の特質は恐らく手にしたものの宝具への変質。投擲すれば圧倒的不利な上、バーサーカーの特質として、ステータスは筋力、耐久、敏捷のいずれもギルガメッシュより一段階以上高いと観測される。何よりギルガメッシュは王であって戦士ではない。例え自らの伝説の中で怪物を屠った英雄としての側面があっても、決して戦闘に特化しているわけではないのだ。しかるに、バーサーカーに白兵戦を挑むのは無謀の極みと思われた。
だが、そこにこそギルガメッシュの思惑はあった。己の財を汚す敵と認めた以上、かの王に慢心は一片もない。
邸宅前の廃材を剣代わりに、漆黒に染められたその切っ先が王の鼻先に迫れば、大きく上体を沈め、がら空きの胴に黄金の剣の一撃が、吸い寄せられるようにして叩きつけられる。しかし、無窮の武芸を誇る騎士もまた、手をこまねいていた訳ではない。宝具化した廃材の軌道を無理やり変え、ギルガメッシュの首元に叩き込む。二つの影が弾け、前庭の両端にある垣根が崩れた。瓦礫より立ち上がった両者はいずれも手にした武器を捨て、身一つで間合いを詰める。
黒い手甲が眼前に迫れば、顔をそらし、その勢いで持って振り上げられた黄金の戦靴が騎士の腰を狙う。もろに当たれば体勢を崩されかねない蹴りを、しかしながらバーサーカーはひらりと躱し、互いの背後へとすれ違った二人はまた即座に反転し、向かい合った。
「Arrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrr!」
またもや先に攻勢に転じたのはバーサーカーだった。今度は鋭いアッパーが英雄王の鳩尾を狙う。電光石火の一撃に、ギルガメッシュは咄嗟に身体を左に逸らし、どうにかして回避しようとするところを、脇に受けてしまった。黄金の軍靴が、雨で柔らかくなった大地に食い込む。何とかその場に踏みとどまり、続け様に左ストレートをバーサーカーに食らわせる。
強かに当たったことを確かめつつ身体を一度引き、回転をつけた右の拳をバーサーカーの顔に叩き込む。直後、ギルガメッシュの意識が、コンマ数秒分だけ失われた。クロスカウンター。見事に決まった右ストレートに脳髄を揺さぶられ、天地がひっくり返る。体格差と技量の壁は容易に補えるものではない。だが、啖呵を切った以上負けることは王の矜持が到底許せるものではなかった。空中で魔力を放出し、無理やり体勢を立て直す。
「シィッーー」
憎たらしいことに、無様に突き飛ばされることなく、その場で崩れた体勢を立て直した狂戦士は、すでにこちらに掴みかからんと肉薄して来ていた。腰を沈め、相手の突進の勢いを利用して、フルフェイスマイルに覆われた頭を半ば抱えるようにして掴み、大地に沈める。反撃を許すより早く顔面への踏みつけ。通常人ならば戦意を失う所だが、理性を失った戦士に効くはずもなく、再度距離を取る。
間違いない。明らかに反応が鈍っている。天を仰ぎ、黒の騎士が吠える。その声に呼応して魔力反応が一瞬だけ膨れ上がる。殺意とともに向けられた赤い眼差しを物ともせず、渾身の正拳突きがバーサーカーの腹に吸い込まれ、そしてーー
「チィッ、逃げられたか」
忌々しげに空を切った拳を戻し、己の血に染まった口元を拭う。霊体化することで最後の一撃を免れたバーサーカーの魔力反応はすでにない。黄金の王は、悠然とした足取りでマスターの元へと向かった。
間桐雁夜は生家である洋館内を突き進んでいた。臓硯は桜を連れ戻せば、あの非人道的な調練は加減すると言っていた。あの老怪から珍しく言質を取れたのだ。そこに乗らない訳には行かない。真っ向勝負では、怪物じみた老魔術師に、最初から叶う訳は無いのだから。あの女の子を出来れば巻き込みたくはなかったが、子供とは言え聖杯戦争のマスターだ。ここは早めに振り切って諦めてもらうのが仏心だろう。願わくば、このまま諦めて無事帰ってくれれば……。
「ゲホッ、ゲホッ…!」
急激に力が失われ、半身に埋め込まれた虫がガチガチと
「ーー桜ッ!」
「はくの…」
ポツリと、今まで無反応だった桜が、彼女の名前を呟く。傍に伏す雁夜には目もくれず、追いついた岸波白野の方へ進もうとする細い足首を思わず掴む。滑稽すぎて笑いがこみ上げる。助けるどころか、これではまるでこちらが悪役では無いか。葵さん…桜ちゃん……どうして君達は。雁夜の意識はここで闇に飲まれた。