部活との両立が難しいよぅ………(;´Д`A
泣き言言っても始まらない。とりあえず頑張ろう!
と言って小説を頑張る自分。
秀吉に一通の手紙が届いた。
その手紙の差出人は秀吉の側室、淀殿。
その手紙の内容は、なんと淀殿が鶴松に引き続き、また秀吉の子供を産んだというのである。
「な、な、なんと………そんな馬鹿な………」
この手紙を明攻めの拠点、名護屋城で受け取った秀吉は大いに喜び、急いで大坂に戻った。
この時、秀吉五十六歳。もう実子を諦めていた秀吉の喜びは大きなもので今まで元気の無かった秀吉を見てきた豊臣家の人間ははさぞかし安堵しただろう。
既に関白の位を譲られていた秀吉の甥、豊臣秀次以外は………。
ある時、秀吉は秀次を呼び出した。
「秀次、最近元気がないな。」
「そんなことはありませぬ。」
「いやいや、俺には分かる。秀頼(秀吉の子の名)のことだろう。大丈夫だ。秀頼はまだ幼い。豊臣家の当主はおぬしだ。」
「叔父上………」
「そこでだ。もし秀頼が成長したら日本を五つにわけ、四つをおぬし、一つを秀頼に分ける、というのはどうだ?」
「叔父上………何から何までお気遣いありがとうございます。」
「うむ。おぬしはわしだけでなく秀頼、そしてこれからの豊臣家を担う重要な人間だ。何かあったら俺にいつでも相談せい。」
「かたじけのうございます。」
そう言うと秀吉はニコリと笑って部屋を出た。
そのやりとりを見た家来たちはもとの優しい太閤殿下に戻った、と一安心したものだった。
しばらくして、明から国書が届いた。
秀吉の提示した、講和の条件の返事が届いた………
はずだった。
「行長殿、まずいぞ。我々が太閤殿下の手紙の文面を書き換えてしまったから明からの国書には講和の条件のことなど書いてない!」
「………大丈夫だろう、三成殿。太閤殿下はもとの優しい殿下に戻られた。何も問題無かろう。」
「だと良いがな………」
秀吉に国書が渡された。
「おい、それにはなんと書いてある?」
「はっ、読み上げまする。
『………爾を日本国王となす………』」
「何?日本国王?」
「はっ、そのように書いてありまする。」
「ぶ、無礼な!俺は言われるまでもなく日本国王だ!降伏したくせに(秀吉は明が降伏したと思い込んでいる)なんて傲慢なんだ!それに講和の条件のことがこれっぽっちも書いてないではないか⁉︎」
「ギク………」
三成と行長はお互いの顔を見合った。
秀吉はそんなこと気にもとめず、
「使者を追い返せ!戦だ!明を懲らしめてやる!」
三成や行長はじめ奉行衆はこの言葉を聞いて青くなった。
秀吉に明が降伏した、と報告したのも、文面を書き換えたのも自分たちだからである。
日明両国の間をうまくとりもとうとした結果が朝鮮への再出兵なのだから皮肉な話だ。
朝鮮への再出兵を決めた秀吉は秀次を呼び出した。
「秀次、今度こそは朝鮮、明を手に入れてみせるぞ!」
「………」
「明を手に入れた暁にはおぬしを明の関白にしてやるぞ。」
「………」
「日本の帝(後陽成天皇)には明の皇帝になっていただこう。朝鮮には織田秀信(信長の孫)か宇喜多秀家(備中の大名。秀吉の養子)を置き、日本の帝には今の東宮様(皇太子)か帝の弟君になっていただこう。そして日本の関白は秀保(秀次の弟、秀吉の甥)がなる。」
「叔父上は………」
「俺は明の寧波というところに本拠を置き、そこで日明貿易を推進し、ゆくゆくは天竺、南蛮まで征服する。」
「………」
「楽しみだなぁ、俺は今まで誰も成し遂げたことのない明征服を成し遂げようとしてるんだ。きっと小一郎もあっちで喜んでいることだろう。」
「いい加減にしてください叔父上!!!」
秀次がいきなり叫ぶように言った。
「何?」
「秀長叔父上は自分が死んだ後、豊臣家がこんなことになってさぞ悲しんでいることでしょう。」
「何だと⁉︎」
秀吉の顔が一瞬で険しくなる。
「明征服を成し遂げることが『最も優れた天下人』になる条件なのですか?そんなことよりやるべきことがあるはずです。秀長叔父上と築きあげたこの太平の世を守ることこそ………」
「黙れ!秀次!」
「私は朝鮮出兵のせいで家中が分裂していくのをみてきました。石田三成など此度の戦で苦労している者もいます。これではたとえ戦に勝っても豊臣家そのものが疲れ果ててしまいます!」
これ以上秀吉は何も言わなかった。
そして何も言えないうちにぷいと部屋を出てしまった。
秀次としては関白として、日本を背負っていく者として秀吉を諌めただけであった。
かつての秀吉ならこの言葉を聞き入れたであろう。秀吉も信長に対していろんな場面で諌めてきたからである。
しかし今の秀吉は違った。
秀次に日本を任せたとは言え、まだ二十代の秀次には全てを任せ切ることができなかったのだ。
秀長が死んで、今まで二人で引っ張ってきた豊臣家をたった一人で引っ張っていかなければならないという不安から、そうやすやすと二十代の青二才には天下を完全に譲ることはできなかった。
この時秀吉は、秀次のことを未だ「天下人」たる自分に逆らう反逆者として捉えてしまったのだ。
しばらくして秀吉は秀次を再び呼び出すと静かに口を開いた。
「秀次、高野山に行って、頭を冷やせ。」
秀吉は一刻も早く自分に逆らう反逆者を取り除きたかった。
弟と築いた天下を守らなければならない、という使命感が秀吉を実の甥を追放するという決断に至らせたのだ。
高野山に行った秀次は二十八歳でこの世を去る。
秀吉に自害を命じられたと言われている。
それは秀吉に意見を言える、諌めることのできる最後の人間がいなくなったことを意味していた。
秀吉のその使命感は、秀吉を信長以上の独裁者へと導いていくことになるのである。
秀吉は秀次の家臣、小姓二十名近くに切腹を命じ、秀次の妻子四十名近くを処刑した。
さらに秀次の関白だった時の邸宅、聚楽第という建物も徹底的に破壊し、秀次の生前の面影を完全に消し去ってしまったのだ。
秀吉はさらにこんなことも考えた。
今、自分には後継者が複数いる。
秀次が死んだことにより、豊臣家の次の後継者は秀頼に決まった。
もし秀頼が家督を継いだ時、他の候補がいた場合、もしかしたら家督を奪おうとする輩がでるかもしれぬ。
もしそうなると豊臣家が分裂し、また戦乱の世にならんとも限らない。現に自分は織田家の家督争いを利用して天下を取ったのだから。
秀吉はそんな事態を防ぐ為、秀頼以外の豊臣家の男子、秀吉の養子を豊臣家から追い出した。
秀次の義理の弟、秀秋は小早川家に養子に出し、徳川家康から貰い受けた養子、秀康(家康の次男)は結城家に養子に出した。
これは豊臣家を支える人間が少なくなっていくことを暗示していた。
秀次切腹の報は豊臣家を混乱させた。
もとは一国の大名で秀吉に渋々従っていた大名(徳川家康など)は、豊臣の世はもう長くない、次の天下人は自分だ、と天下への道を模索し始め、古くから秀吉に仕える、いわゆる秀吉子飼いの家臣ら(石田三成、加藤清正など)は秀吉のこの狂気の沙汰に混乱し、ますます対立を深めていくのだった。
豊臣家の崩壊はもうすぐそこまで来ていた。
そろそろこの話も完結するかな………?
もうそろそろ終わりです。
最後までお付き合いください。