勝利を刻むべき水平線は   作:月日星夜(木端妖精)

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第九話 連装砲ちゃん!

『本日より、君を我が鎮守府の艦娘とし、最高指揮官である私の秘書艦に任命する」

『は、はいっ! 頑張ります!』

 

 どことも知れぬ一室で、吹雪は大きな机についている人間と向かい合っていた。

 逆光に照らされた姿は輪郭さえぼやけさせて、それが男なのか女なのかもわからない。

 声は何重にも重なってぐわんぐわんと響いており、やはり男女どちらなのかは判断付かなかった。

 

 だが、それはどうでも良いのだ。

 重要なのは、吹雪が人間の指揮下に入ったという事。

 人の(もと)で戦えるという事。

 

『辛く厳しく、長い道のりになるだろう。私と共に歩んでくれる事を期待している』

『……! 任せてくださいっ!!』

 

 すでにびしっと決めていた敬礼にもっと力を込め、胸を張るように返答する。

 喜びが体中に満ち溢れていた。

 これこそが艦娘なのだと、実感した。

 

 じわりじわりと手や足や首や胸の節々まで熱いものが染みわたっていく。

 エネルギーとパワーが充足していく。

 

 人類に、未来を。

 

 吹雪は、艦娘の悲願を知った。

 

 

 ぱたたっ、と薄布を打つ水の音がして、吹雪は薄く目を開いた。

 視界の四隅が黒くぼやけ、それが収まっても、見えるものは薄ぼんやりとしたままだった。

 それはまだ日が昇っていない早い時間だからという理由だけではなかった。

 熱い水が肌を伝い、布団に染み込んでいく。

 肩までかけていた毛布をかぶり直した吹雪は、のそりと出した手で口元を覆い、小さく欠伸をしてから目を擦った。

 ぱたたっ。

 また雫が零れ落ちる。

 じん……と痛む鼻と胸にかぶりを振って、息を吐く。

 

 あんなのは、ただの夢だ。

 

 先程見た夢を、吹雪はすぐに忘れようとした。

 人間がいる時代に生まれていたなら、あんな風に人と共に生きられたんだろうな。

 そんな羨望は意味がなく、もしもという仮定に意義はない。

 それでも思わずにはいられない。

 ああ、人間と一緒に戦いたかった、と。

 

 切なさと痛みが混ざった感情に苛まれ、朝から憂鬱になってしまった吹雪は、もう少し寝る時間はあるだろうと考えながら寝返りを打った。

 

 ぐちゃぐちゃの黒が目の前にあった。

 

「――――!!」

 

 思わずあげかけた悲鳴はその滅茶苦茶な顔を持つ艦娘――あのレ級に囚われていた艦娘だ!――の手で塞がれ、息が漏れ出るばかりだった。その行動の理由がわからずますます混乱して、吹雪はなんとかその腕を掴んで外した。

 

「なっ、なな、なん、なんで!?」

『…………』

 

 がばりと身を起こす。ずれ落ちた毛布を気にせず距離をとるように縁まで移動して背を押し当て、ただ疑問を吐き出す。

 彼女は答えなかった。言葉を話せないのだから当然だ。しかし吹雪はこの瞬間だけその事を忘れてしまった。

 最初の艦娘と呼ばれた少女が身を起こす。

 黒線が空間を乱し、不気味に蠢く。吹雪の心も掻き乱されて、また一筋、涙が流れた。

 

『…………』

 

 少女は何も語らない。

 首を傾げるような動作をすれば、長い黒髪が揺れて……それだけ。

 なぜここにいるのか。なぜ布団に潜り込んできていたのか。

 聞きたい事は山ほどあるのに、咄嗟に言葉が出てこない。

 

「……え?」

 

 そうこうしているうちに少女は消えてしまった。

 瞬きをしたその刹那に、忽然と姿を消してしまったのだ。

 

『キュー』

 

 少女がいた場所には大中小の自立稼働兵装、連装砲ちゃんが気持ち良さそうに寝息をたてているのみで、他には何も残っていなかった。

 

「……え?」

 

 混乱を通り越して声を出す機械になった吹雪は、それからしばらくして迎えに来た初雪の手により再起動を果たした。

 斜め四十五度は復活にはもってこいであった。

 

 

 初雪に連れられて本棟前の噴水がある広場にやって来た吹雪は、その場で朝の柔軟体操をする事になった。

 眠気がとれ、体が(ほぐ)れたなら朝食だ。食堂には金剛以外の艦娘が揃っていた。

 初雪に大淀に瑞鳳、憮然とした表情の大井、エプロンを畳んで調理場に置いてきた潮が席につけば、これで全員。吹雪を入れて六名の艦娘が、今鎮守府でまともに動いている者達だ。

 

「いただきます」

 

 全員で手を合わせ、声を合わせる。

 潮が用意してくれた朝食はトーストにコーンスープにゆで卵のみ。

 質素と侮る事なかれ、これでなかなか贅沢をしているのだ。

 特に卵などは家畜を飼う事ができなければ入手できない代物(しろもの)。他所との交流で手に入れたこれは貴重品も同然だった。

 生鮮食品なのでこうして毎回食卓にあがるが、希少なのはたしか。

 そうとは知らず剥き身の玉子をためつすがめつした吹雪は、小皿に盛られている塩にちょんとつけて口に運んだ。

 

「……!」

 

 美味、である。

 これおいしいね、と気持ちを共有しようと顔を上げた吹雪の前には、黙々と食を進める五人の姿があった。

 そこに団欒はなく、笑顔もない。

 なんとも寂しげで、しかし正しい食卓であった。

 

 朝餉を終え、日課の仕事が始まる。

 お墓の手入れ、鎮守府や基地、街の掃除、整備。

 その中で吹雪は、廊下や外に倒れているすべての艦娘を寮に運び込み、空いている部屋のベッドへと寝かせていった。

 それが終わったのが午後三時の少し前。

 

 日の照る外へ一度出て、深呼吸をしてから本棟三階へ向かえば、ちょうどティータイムを楽しんでいる金剛と会う事ができる。

 

「hello、吹雪。今日も手合せしマスカ?」

「い、いえ。今日は遠慮しておきます」

 

 ここに来れば、彼女がすかさずこういった提案をしてくるのはわかっていたのだが、吹雪にはどうしても聞きたい事があったので訪れざるをえなかったのだ。

 

「ノンノン、日々、たゆまぬ鍛錬が大事なのデース。今日だけサボるなんて許されマセン!」

 

 「ち、ち、ち」と人差し指を振った金剛が目をつぶって解説する。

 

「えぇっ、いえあの、私は、自主的に、その」

「……フム、まあ、それもそうデスネ。自分のペースでやるのも大事ネ。その調子で頑張るデス!」

「は、はい! 頑張ります!」

 

 激励するように声をかけられて、思わず吹雪は嬉しくなって返答してしまったが、こんな事をしに来たのではなかったと思い出した。

 ティーカップとソーサーを両手に、白磁に花のような形状のカップを傾けて香りを楽しんでいる金剛の下に歩み寄った吹雪は、一枚の写真を取り出して金剛に見せた。

 

「この『島風』って艦娘を知りませんか?」

「ンー、島風デスネー。よーく知ってマース」

「本当ですか! で、できればお話をお聞きしたいのですが!」

 

 満潮が持っていた写真に写る艦娘達を金剛は知っているようだった。これは初雪の言った通りで、しかし金剛の様子からちゃんと話を聞けるのか不安を抱いていた吹雪は、しっかりとした受け答えに安心してお願いをした。

 

「話すのはやぶさかではないデス」

「じゃあ、お願いします!」

「――デスガ、それになんの意味があるのデショウ? 彼女の事なら、ワタシより吹雪、貴女の方が知っているはずです」

「え……」

 

 小首を傾げ、カップを揺らす金剛に、吹雪は頭の中を疑問符で埋め尽くした。

 私の方が知っている? そんなまさか。

 名前や装備くらいしか知らない艦娘の事をなぜよく知っていると思われたのかが不思議で、その原因に思いを馳せた吹雪は、すぐに理由に思い当たった。

 

「彼女の友人である貴女なら、ワタシの知らない事も知っているのデショウ?」

「あ……」

 

 金剛は過去の時間に生きている。

 人間がいた時代。十四年も前の世界。

 彼女の中ではシマカゼはまだこの鎮守府にいて、そして吹雪は吹雪(前の私)なのだ。

 ……そうなんだ、と内心で頷く。

 吹雪とシマカゼは友達だった。

 だからあの最初の艦娘は、自分にシマカゼの事を話したのかもしれない。

 そういう風に信頼されて、それは重しとなって胸に深く沈む。

 金剛から向けられる親しみや明るい感情は、きっと自分に向けられているものではない。

 そうと気付いてしまうと途端に居心地が悪くなってしまい、吹雪は一礼して、その場を去る事にした。

 とてもではないが、違う自分と友人だったという島風の事を聞く気にはなれなかった。そこから連鎖して自分の知らない自分の話も出てきてしまいそうだったから。

 

 過去の自分が怖いのではない。

 その吹雪が人と共に在ったという事に嫉妬してしまいそうな自分が怖かったのだ。

 生まれたての体に負の感情は毒だ。避けるようにして部屋に戻った吹雪は、ベッドに入り込んですぐ、目をつぶって溜め息を吐いた。

 

『キュー』

 

 連装砲ちゃん達の事をすっかり忘れていたのだ。

 

「……どうしよう、この子達」

 

 今朝はぐっすり眠っていた三匹は、今はお目目をぱっちり開いてとことこと歩き回っている。細い砲身が上下し、小首を傾げて吹雪を見上げる仕草は庇護欲を誘う。

 自然と口角が下がり始めて、吹雪は慌てて頭を振った。

 

 この得体の知れない艤装は、唐突に現れた未知なるもの。

 これが島風の装備だというのは知っている。

 ではなぜこれが現れたのか。……考えを辿って行けば、一つの結論に辿り着く事ができた。

 

「託された、の、かな」

 

 あの少女に。

 きっとこの島風の仲間達は、最初の艦娘の妹らしい、この鎮守府に所属していた島風のものなのだろう。

 彼女がどうやって現れ、そして消えたのかはわからない。

 でも託されたのなら自分がちゃんと守ってあげなければ。

 

「……でも、困ったなぁ」

『キュー?』

 

 天板を見上げる吹雪に、ヘラのような手をぱたぱたやって連装砲ちゃん達が不思議そうに鳴く。

 

「叢雲ちゃんが戻ってくるまであの深海棲艦の話をするのはやめておこうって考えてたのに、この子達がいたら、黙ってるなんて無理だよね……」

 

 はぁーあ、と重苦しい溜め息を吐く吹雪。

 そもそも、叢雲がくるまで黙っていようって考えが間違いだったのかもしれない。

 ほんの短い期間だが、みんなと過ごして、吹雪は感じた。

 『深海棲艦と遭った』といったって、みんな取り乱したりはしないだろう。

 そういう風に信じられるくらいにはなっていた。

 

 この世界の、この場所の異様な雰囲気に不安を抱いていたけど、でも、話さないといけないなら、話した方が良い。

 そう決意しようとした吹雪の膝をくすぐるものがあって、あまりのこしょばゆさに思考が中断されてしまった。

 

「あははっ、な、なぁに? どうしたの?」

『キュー!』

 

 体ごと擦り付けるような動きで、半ばスカートの中に埋もれつつ動いていた小さな連装砲ちゃんが訴えるように鳴く。

 その個体を両手で抱え上げ、他の子は、と見れば……なぜか、二匹とも布団の中に潜り込んでいた。

 

「何、してるの……?」

『キュー!』

 

 もぞもぞとはいずり回り、ひょこっと外へ顔を出した二匹は、動きを揃えて敬礼っぽく手を動かし(届いてない)、きりっとした表情を作った。

 吹雪の手にいた一匹も身体を捻って手から逃れると、布団に潜り込んで反転し、顔を覗かせた。

 

「眠たいの?」

『キュー?』

 

 んーん、と首を振られる。

 ……それじゃあ、ひょっとして。

 

「……隠れててくれるの?」

『キュー!』

 

 今度はうんうんと頷かれた。

 どうやら連装砲ちゃん達は吹雪の意思を汲み、時が来るまで待機していてくれるらしい。

 ならば無理に話す必要はなくなった。

 吹雪は秘かに掻いていた汗を拭い、肩から力を抜いた。

 なんだかんだ言って緊張していたのだ。これはいくら他の艦娘を信頼していようとどうしようもない事。

 

 コンコン、と扉がノックされる。

 「はーい」と吹雪が声を出せば、間を置かず初雪が入ってきた。

 夕食のお誘いだ。

 手元の掛布団を連装砲ちゃん達にそれとなくかぶせながら、吹雪はベッドを降りて初雪に続いた。

 ……ちなみに今朝の段階では初雪にも連装砲ちゃんの存在はばれていない。ちょうど彼女達は今のように布団に潜り込んだ状態に近かったためだ。これはあの最初の艦娘が吹雪の布団に入り込んでいたためだろう。

 

 そんな訳で、二十日後に叢雲が帰ってくるまで、吹雪はゆっくりとした時間を過ごした。


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