勝利を刻むべき水平線は   作:月日星夜(木端妖精)

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ストックが切れました。


第八話 欠けた金剛

 夕食時を過ぎてまで本棟に足を運ぶ艦娘はいない。

 十数年前であったならトレーニングルームや娯楽室、遠征帰りで報告に来る艦娘や秘書艦、助秘書の艦娘が忙しなく動き回り、賑やかだった事だろう。

 だが今はかつての喧噪は影もない。耳の奥に空気が詰まるような静寂が満ちて、照明は切らしたままなために廊下は薄暗く雰囲気も悪い。気分はお化け屋敷だ。

 窓から入る月明かりだけではマッチを持って夜闇の中を歩くに等しくて、壁際に体を預けている艦娘達を避けるのは難しかった。

 誰かの体に足を引っ掛けないよう注意深く歩みながら、そもそもなぜここにいるみんなはそのままにされているのだろう、と吹雪は思った。

 寮に運んでベッドに寝かせてあげるとか、燃料が切れているなら与えるとか、そういった事をしなければみんな駄目になってしまうのではないだろうか。

 

 ……その心配はもはや意味がないものだった。

 のちに吹雪はこの事を問う機会があって、「立ち上がる意志の無い艦娘に分け与えられる燃料はありません。酷な事ですが」と大淀に告げられている。

 根本的な部分がぽっきり折れてしまっているから補給などに意味はなく、それは資源を圧迫するだけだ。資材は有限なのだ。

 何年もの間この問題に対してきた艦娘達の出した結論が彼女達の放置なのだろう。

 吹雪には世界の情勢もこの地の懐具合もよくわからない。無責任に「こうすれば良いのでは」「ああすれば良いのでは」と考える事はできるけれど、実現は難しい。

 

「ん……」

 

 満潮の前で立ち止まった吹雪は、その場にしゃがんで乾いた瞳と目線を合わせると、そっとその両目に手の平をかぶせ、目を閉じさせた。まだ瑞々しい肌は、それでもどうしてか無機質で、無機物的で……触れていると活力や燃料を吸い取られてしまうかのような不安や恐怖が伝わってくる。それでも吹雪は一瞬手を引きかけた以外は怯まなかった。そういった反応は自分にだって許さない。彼女達を怖がったり、ましてや疎ましがったりするつもりはなく、吹雪は正義感だけを心に、満潮の頬にかかった髪を指で退()けた。

 

 廊下の向こうを眺める。注意深く耳を澄ませれば聞こえてくる微かな息遣い。

 輪郭しか見えない艦娘達に、吹雪は決意する。みんなを元に戻すんだ、と。

 言うだけなら簡単だ。実際に行うのは難しいどころの話ではない。

 複数人の吹雪よりも経験のある艦娘達が何もできないでいるのだ、生まれたばかりの吹雪に何ができると言うのであろうか。

 方法はわからない。何も思いつかない。何も知らない。

 それでも吹雪は彼女達を助けたいと思った。

 その気持ちだけは本物だった。

 

 ひとまずは放置されている彼女達を寮へ運ぶところから始めようか、と考えつつ満潮の肩に手を添えて、流れる血の感覚に、今感じたのは自分の血の流れなのか、それともこの子のものなのかと悩みながら目を細めた。

 触れていてもわからない。でも、生きているのだから彼女にも血が流れているはず。それが判断付かないのは、まだ自分が未熟だからだ。

 そういう風に結論付けた吹雪は、目を伏せて腰を上げた。

 当初の目的を思い出したのだ。本棟に来たのは金剛に会うため。彼女と仲良くなるため。

 ここにいるみんなを運ぶのはその後だ。だから、うっすらと目を開けた吹雪は消え入るような声で謝罪をして、踵を返して階段に向かった。

 

 

 三階の踊り場に金剛はいた。

 階段を上り切った直後に左に現れた気配に思わず声が出そうになって、慌てて吹雪は両手で口を押さえた。

 騒いだからといって何がある訳でもないのだが、こう静かだと大きな声を出すのは躊躇われたのだ。夜でもあるし、できるだけ静かに動きたかった。

 

 黄色いテープで雁字搦めにされたバリケードの前に彼女は立っている。

 向かい側にある窓から差し込む光だけでは金剛の表情は見えない。だけど吹雪は、彼女が朝の時の輝くような笑顔を浮かべてはいないだろうなと直感した。

 手すりにかけていた手に力をこめて自分の体を引っ張り、歩き出す。近付けば近付くほど少しずつ顔が見えてくる。

 果たして、彼女は笑っていなかった。

 平時からずっと笑顔であるという方がおかしな話なので変な事ではないはずなのに、彼女に明るすぎる印象を持っていた吹雪はギャップに戸惑い、すぐには声をかけられなかった。

 細められた目。引き結ばれた唇。影に彩られた顎のライン。

 

「この先には、先生がいたのデス」

 

 ただ見上げている事しかできない吹雪に、先に彼女の方から話しかけてきた。

 先生……?

 急な話に頭がついていかず、言葉の意味さえよくわからない。

 センセイ……先生とはなんだろう。

 

「強く、優しく、美しく……そんな先生は、もういまセン」

「……!」

 

 いない。

 それは、そうだ。

 先生とはおそらく人間の事だろう。この世界に人間はいない。だからきっと、その先生という人もとうの昔に亡くなってしまっているのだろう。

 

「だから、吹雪。ワタシ達が伝えられた技術は、しっかりと受け継いでいかなければなりまセンヨ」

「ぎ、技術……ですか?」

 

 カチャリと音を立て、金剛が吹雪へと体を向ける。そうすると斜めに光がかかって、かろうじて双眸が見えるようになった。

 うっすらと浮かんだ笑みは元気さとはかけ離れていたが、悲観的であったり痛ましかったりはしない、大人の笑みだった。

 サッと手を差し出されて、思わず吹雪はその手を見た。

 

「どうデス、久しぶりに手合せしまセンカ?」

 

 ……握手でもすれば良いのだろうかと悩んでいれば、そんな言葉。

 手合せ? なんて言葉の意味を考えている暇はない。ぱしっと手を掴まれ、そのまま階下への強制連行が始まった。

 

「わ、わ、こ、金剛さん!?」

「んー、んー、なーにも言わなくてもわかってマース! 疼いてマスネー、ワクワクなんデスネー」

「わ、わくわくっ?」

 

 ぐいぐいと引っ張られ、跳ねるようにしてなんとか階段を下りながらかけた声には変な答えが返ってきて、目を白黒させているうちに外へ出た。夜道は月明かりで薄明るく、歩くのに苦労はしない。ただ、金剛と吹雪では歩幅が違うので、引っ張られたままだと何度もつんのめってしまっていた。

 吹雪が一息つけたのは、ボロボロの体育館についた時だった。

 錆びてたてつけの悪くなっている金属扉を強引に引き剥がし投げ捨てた金剛がずんずんと入っていくのに、流れで後に続く吹雪。彼女にこっそり帰るという選択肢はないらしい。

 

「ありゃ、電気切れてマスネー」

「……あの」

 

 そりゃ、たぶん使われなくなってから十数年経ってるし、そもそも天井はほとんど壊れて星空が覗いているから、電気なんてつく訳がない。

 だというのに入口脇のスイッチをカチカチいわせつつ天を仰ぐ金剛に、吹雪は言い知れぬ悪寒に襲われて自身の肩を抱いた。普通に喋って普通に笑ったりするのに、時折顔を覗かせる狂気的な言動が怖くてたまらない。

 

「まーいーデス。さぁ、吹雪、やりマショウ」

「な、何をですか?」

 

 吹雪の方を向いてそう言った金剛が館内中央に向けて大股で歩いていくのを走って追いながら聞く。

 さっきの手合せの事を言っているのだとはわかっているが、その手合せがなんなのかがわからない。先程話していた先生の技術というのが関係しているのだろうか。

 

「構えて」

「は、はいっ」

 

 思考の海に潜りかけた吹雪を金剛の声がすくい上げる。

 反射的に背を伸ばして返事をした吹雪は、少し距離を開けて自然体で立つ金剛の姿を眺め、首を傾げた。構えろと言われても……何を、どうやって?

 砲がないから砲じゃない。ならまさか、この拳を……?

 握った右の拳を眼前に持っていき、まじまじと見つめる吹雪は、すぐ目の前まで迫ってきていた金剛に気付かなかった。

 

「ふげっ!?」

 

 そして気付いた時には背中から床に叩きつけられ、間の抜けた声を発してしまっていた。

 肺から空気が抜け、背骨がギシギシと痛む。掴まれたままの腕をぐいと引っ張られて無理矢理立たされた吹雪は、涙の滲んだ瞳に金剛を捉えた。

 

「っこんご……ぅ……さ」

「ンー」

 

 眉を寄せて凛々しい表情を浮かべる彼女はどこか怒っているようにも見えて、文句を言おうとしていた吹雪は声を掠れさせて押し黙った。

 

「もう一度デス」

「ぇほっ、えほ、う、も、もう一度……?」

「構えて」

 

 口元を抑えて咳き込みながら顔を上げれば、離れて行った金剛は一定の距離で振り返り、先程と同じ姿勢をとってみせた。

 あ、これは駄目だな、と吹雪は直感した。制止は聞いてくれそうにないし、声が届きそうもない。

 

「こんっ――」

 

 実際、止めようとする前にすーっと幽霊のように近付いてきた金剛に襟元を掴まれ、と思えば床に強かに打ち据えられていた。

 

 立ち上がらされて、「構えて」の声と共に近寄ってきた金剛に投げられる事五度。

 クラクラでフラフラな吹雪を見て、金剛は「フーム」と不思議そうに唸った。

 

「まったく手応えがありまセンネー。……吹雪?」

「は、はひ……」

「サボってマシタネ? 鍛錬」

「へぅ、い、いぇ、えぇ?」

 

 なんだかよくわからないが、金剛から不機嫌オーラが発されている。だから反射的にサボってませんと答えようとして、しかし吹雪は嘘がつけなかった。言葉を止めてしまえば疑問が溢れてきて、弁解どころではなくなってしまう。

 なんでこんな痛い事になっているのだろう。なんで咎められているのだろう。

 わからない事ばっかりで、そろそろ涙腺が決壊しそうであったが、同時に吹雪は「ひょっとして……」とも思っていた。

 このよくわからない喧嘩を凌ぎきれば、友情的なものが芽生えてお友達大作戦は成功を収めるのではないだろーか。

 ドクドクギュンギュンと脈打つ後頭部と鈍痛を発する肩に、吹雪はにへらっと笑みを浮かべててきとーに構えた。

 それなら話は速い。事情が呑み込めたわけではないが、仲良くなれるならとことん付き合うまでだ。

 

 

 そう思った事を吹雪が深く深く後悔したのは、都合十二回目の床との激突の際だった。

 結局その日は夜が明けるまで金剛の相手をする事になった吹雪は、泣き笑いで無謀な戦いに挑み続ける羽目になった。

 

 

「いたたたた……」

「染みマスカ? 鍛錬を怠っていた罰だと思う事デス」

「ううう、だから違うって言ってるのに……」

 

 ザァァァ。

 温かい湯の雨が浴室に煙を蔓延させている。

 重みのある白煙に包まれた吹雪と金剛は、シャワーの前で向かい合って立っていた。

 流れゆく水滴が玉の肌を滑り落ちていく。照明が胸の谷間にはっきりと影をつけていて、吹雪は今日、全敗だった。

 

「でも、やっぱり吹雪は物覚えが良いデス。さすがは那珂ちゃんの一番弟子デース!」

「那珂ちゃん……先輩?」

 

 濡れた髪を梳くように手を這わせられた吹雪は、すぐ近くで笑う金剛の顔を見上げて聞き返した。

 おそらく彼女が話しているのは自分ではない自分(吹雪)の事なのだろうけど、吹雪には何が何やらさっぱりだ。那珂ちゃんと言われてもピンと来ない。たしか、軽巡の艦娘だったような……。

 少しずつ情報が集まりつつはあるのだが、打ち傷に湯が染みてたびたび考え事が中断されてしまう。

 

「ホラ」

「あぅ、す、すみません」

 

 くいっと顎を動かされ、顔を背ける形になる吹雪に、金剛は片手に持った小瓶に指を差し入れ、緑色の液体をどろりと持ち上げると、傷へ塗り込み始めた。

 するとあっという間に傷が消え、痛みも引いていく。これは高速修復剤を薄めたもの。艦娘に対しては効き目抜群だ。貴重なものではない。ただの古臭い、なんの意味もない物品。敵がいない以上、回復薬などあっても意味がない。

 

「ありがとうございます」

「ウン、もう痛む個所はありまセンネー?」

「はい、平気です!」

 

 広い浴室内に吹雪の声が木霊する。

 びしっと敬礼する吹雪に笑みを零した金剛は、デハ、と体を戻し、目の前のでっぱりに小瓶を置いた。

 

「裸の付き合いと洒落込みマショウ! スキンシップは大事デース!」

「え? あぁはい、そうです……ね?」

 

 シャンプーの容器を手に取ってチャッチャッと液を手に溜める金剛に返事をしながら、その言葉と動きに嫌な予感を覚えた。

 

「ハイ、頭出しテー」

「えええっ、い、いいですいいです、自分でやりますから!」

「遠慮しなーい」

 

 手を擦り合わせて薬液を泡立たせつつ迫りくる金剛に対抗する手段を、吹雪は持ち合わせていなかった。両手をぶんぶん振って遠慮するものの、そういった行動がなんの意味もなさない事はさっき散々味わって知っている。だからもう、半ば以上観念してされるがままにする事にした。

 椅子に座らされ、密着するくらいに後ろに座った金剛の手によって髪の毛を泡塗れにされながら、この年になって頭を洗ってもらうなんて、と吹雪は嘆いた。……この年も何も彼女は生後二日であるのだが……艦娘の心は不可思議で、時に不便である。

 大きな鏡には死んだ目でうりうりと頭を揺り動かされている吹雪の姿が映っていた。


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